薄緑色の自転車

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昨夕から夏の休暇が始まった。纏まった休みはクリスマス休暇以来で、7ヶ月ぶりということになる。数日前昼間なのに涼しくてうっかり風邪を引きかけた。だるいなと思うや否や熱が上がり始めたのだ。でも、涼しかったから、だけではない。恐らく私は少々疲れていたのだ。何しろ休みの前はいつも忙しくて、しかしもう直ぐ夏休みだからと自分を叱咤激励しているうちに少しなりとも無理をしてしまうらしいのだ。もうひとつ付け加えると、例えば子供が遠足を楽しみにし過ぎて興奮しすぎて遠足の前日に熱を出してしまう、それとよく似た理由もあるらしい。ああ、本当に。もう少し大人にならなくては。
仕事中、同僚が私に訊いた。ねえ、もう荷物は準備したの? 彼女はこれまでに何度この質問をしただろう。後にも先にもそんな質問をしたのは彼女だけで、一番初めに訊かれたのはひと月前だった。訊かれた私は驚いて、だってまだ1ヶ月も先のことではないかと答えた。すると彼女は1ヶ月前は別に早くない、みたいなことを言って、逆に驚く私を風変わりな動物を観察するような顔で見返した。あれから多分4回は訊かれ、その度に私は出発の前日に準備するのだと答えた。そうなのだ、私の旅の準備は前日なのだ。昔から旅行の準備はいつだって前日だった。出発の当日の早朝に荷物を詰め込む私の相棒を考えれば、充分事前に準備をしていることになる。もっとも彼を基準にするのは大きな間違えなのかもしれないと、最近ちょっと思っているのだけれど。
昨日の帰り道に休暇に入った事を祝う為に相棒と食前酒を楽しんだ。エノテカではなく、いつものバールで。金曜日の夕方なので人が一杯かと思ったら案外空いていて拍子抜けした。どうやら早くも休暇に入った人が多いらしく、最近こんな風なのだとカウンターの中で働く女の子が言った。いつもいる老人達の姿がない。近郊の山の小さなホテルで澄んだ空気を満喫しているのだろうか。それとも海で太陽を浴びているのか。どちらにしても彼らが元気ならばそれで良い。彼らは一様にして80歳を超えているので、暫く姿を見かけないと心配で仕方がない。そんなことを女の子と話しているうちに数日前の帰り道に見掛けた自転車のことを思い出した。ポルティコの下に停められた薄緑色の自転車。ずっと昔、私の家にも良く似た自転車があった。独りでボローニャからローマへ行って暮し、そしてまたボローニャに戻ってくると私と相棒は旧市街から程近い所にアパルタメントを借りた。住居は狭いが30平方メートルのテラスがあった。そんなアパルタメントは滅多にないので人づてにそれを貸してもらうことが出来たのは全くの幸運だった。相棒と私が再び一緒に暮し始めたことを舅は喜んでくれたらしい。ある日相棒が薄緑色の自転車を持って帰ってきた。古い自転車だった。私が自転車に乗って色んな所にいけたら便利だろうと、舅が相棒に持ち帰らせたのだそうだ。舅は昔から自転車が好きで、80歳直前に亡くなるまで毎日自転車を漕いでいた人だ。多分彼は、実は私も自転車が好きで自転車のない生活を大変不便に思っているに違いない、と想像したに違いなかった。自転車は古かったが個々の箇所はきちんと手入れがされていて、それはどうやら舅が修理してくれたらしかった。そんな舅の気持ちは嬉しかったが、実は私は自転車が嫌いだった。中学生のときに3年間続けた長距離自転車通学以来、私は自転車が嫌いになった。あれから時々自転車には乗ったが、乗りながらこれが最後と何度も思った。ジムにある自転車こぎの器具にしても。あれは5分と続かない。どうやら自転車との相性は驚くほど悪いらしい。兎に角そんな風だから相棒が自転車を持ち帰ってきたあの秋の午後はとても複雑な気分になった。自転車は嫌いだったが舅の気持ちがありがたかったので私は時々自転車に乗っ手出掛けた。例えば市場に野菜を買いに行くとき、例えば知り合いの家を訪れるとき。勿論遠距離ではなく歩いても行けるような近距離の時だけ。そのうち自転車は故障して舅のところに持ち込んで直してもらおうと思ったところ、部品が驚くほど高いのでこれなら新しい自転車を買ったほうが良いという話になって、それきりだ。あの自転車との付き合いは2年も続かなかったが、あれから12年経つ今でも覚えているのだから案外気に入っていたのだろうと、今頃になって気がついた。そんなことを思い出していたら、後ろから声を掛けられた。バールの中にある煙草屋の男性だった。さて、彼は今日働いていないはずだが。兎に角。君たちの食前酒の支払いはもう済んだのかい? そう訊かれて、これからなのだと答えると彼はカウンターの中の女の子に大きな紙幣を差し出して、彼の分とそこいらじゅうの客人たちの食前酒を一手に引き受けて支払った。私達は口々に礼を言って店から出て行く彼を見送った。どうやら今日は何か良いことがあったらしい。それともこれから何か良いことがあるのかもしれない。私の夏の休暇はこんな風にして始まった。


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Cinquecento

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私にもとうとうその時がやって来たのだ、と此処数ヶ月の間に何度呟いたことだろう。それは滞在許可書の更新だ。滞在許可書と言っても様々な種類があるらしく、私のは俗に言う永住権。今時のそれのようにプラスチックのカードではない。A4 サイズの薄い紙っきれだ。10年ごとに更新すること、と紙の一番下に小さな字で記載されている。パスポートの間に挟めるように小さく折りたたんで旅行時に携帯するものだから、しかも何度も開いては折りたたむものだから折り目はすっかり擦り切れて、急いで開こうものならばぴりりと裂けてしまいそうだ。あれから10年が経ち、更新の日が近づいている。はーっと深い溜息が思わず出てしまうほど面倒臭くて重荷である。多分これを乗り越えれば今の憂鬱な気分もあははと笑い飛ばして酒のつまみのひとつにもなるのだろうけれど。
兎に角そんな溜息をつきながら歩いていたらFIAT の白いチンクエチェントを見かけた。近年新しいバージョンで再登場して話題になったが、私はやはり60年代の古い型が好きだ。同じ古いにも製造年によって違う。例えばドアの開き方、例えば内部の座席の風情。失礼かと思いながらも良い状態で保っているのを見掛けると、立ち止まって観察せずにはいられない。そういえばこんな事があった。何時も行くバールの近くにベージュ色のチンクエチェントが停めてあった。小さくて中に大人がふたり座ったら車内はぎっしりになるに違いなかった。細身のハンドル、磨きこまれた黒革の座席。古いながらもワックスで磨かれているらしくピカピカだった。粋だなあ、と呟いたところで持ち主が背後からやって来た。いいですね。素敵ですね。それにしても手入れされていますね、ピカピカではないですか。持ち主にそう話しかけると、ひとことも発さずに、しかし嬉しそうな顔で大きく縦に首を振った。持ち主はこの車よりも更に年上の白髪の男性だった。白いカッターシャツに朱色のパンツ、素足にモカシンシューズを履いた、シンプルで粋な装いだった。若かった頃、沢山の女の子達が彼を追い掛け回したに違いなかった。彼は車に乗り込むとエンジンをかけ、まだ其処に立っていた私に片手をちょっと上げて挨拶すると雑踏の中に消えていった。実にイタリアらしい瞬間であった。何時だったか、私もこの車を欲しいと誰かに言ったところ運転はなかなか複雑で難しいとのことだった。でも後で分かったのだけど、それは少なくともいつまで経っても運転に向上が見られない私のような人には、と言うことらしい。


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朝の楽しみ

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近頃早朝が好きだ。もっとも私が言う早朝は朝の6時なんてものではなくて、8時とか9時とかでも早朝だ。しかし店がまだ開く前の旧市街は人も車も少なくてひっそりしているから、まるで夜が明けたばかりの雰囲気が漂っているのである。元々私は早起きが得意だった。例えば朝の5時に飛び起きてひとっ走りすると気持ちの良いシャワーを浴びてから颯爽とした気持ちで仕事へと出掛けた。ひとっ走りは日によって距離もコースも違った。気が乗れば調子に乗って何キロも走ったし、気が乗らない日は走ったという事実に満足する為に走ることもあった。どちらにしても早起きならではの楽しみだった。私が初めてアメリカを訪れた時、帰るまでの時間を惜しむように散策した。そして最後の日は、つまり帰るその当日はいつもより早く目が覚めたので朝食もとらずににホテルの外に出た。まだ通勤の人たちが行き交う前の時間だった。実に殺風景だったがそれが私の心を捉えた。やっと空が明るくなり始めた時間だった。夏でも涼しいその町の朝は恐ろしいほど涼しくて、はーっと吐く息が白くなった。車も人も居ない町を彷徨いながら、この町に何時か住もうと決めた。その何年か後に私は本当にその町に暮らすようになり、時々朝早く目が覚めるとアパートメントをそっと抜け出して小散策を楽しんだ。そんなことはアパートメントをシェアしていた友人たちも知らないし、その後で一緒に暮らすようになった相棒でさえも知らない。秘密にしたかったわけではない。でもひとりで朝を満喫したくて、結局誰にも言わなかっただけだ。
私はそんな風にしていつも早朝を楽しんできたが、いつの間にか朝にめっきり弱くなって一般の人たちの言う早朝に起きることが苦手になった。だから8時や9時でも早朝なのだ。いつの間にかそんな風になった。先日そんな時間に旧市街を歩いてみたら、あまりに気持ちが良いので気に入った。いつも広場にせり出して広げられているカフェのテーブル席は夜のうちにすっきり片付けられているし、数少ない通行人は足早で仕事に出掛けるのであろうことが想像された。此処近年、朝にめっきり弱くなったが週末の仕事に出掛けない日にも早く起きて散策に出掛けてみようかと、実に久し振りに思うようになった。この良い季節ならではのことだ。朝寝を楽しむのは冬の楽しみにとっておくことにしよう。


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カフェと新聞

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涼しい日が続いている。それなのにバスの中は冷房が利き過ぎているのはどうしたことか。昨日土曜日の朝、エネルギーの節約とは全く無縁の96番のバスに乗ってボローニャへ行った。車内の冷たい空気に肩をつぼめながらようやくボローニャ旧市街に辿り着くと、目的地よりも随分手前なのにバスを降りた。もうこれ以上我慢が出来なかったからだった。7月とは思えないような涼しい土曜日。ちょっと暖かいものを頂きたくなるようなそんな朝。そんな予定はなかったけれど、体の中に温かいものを流し込みたくなってカフェに入った。初めてのカフェだった。店の主人が、おや、とすこし驚いた様子で迎えてくれた。外国人だからでは無いだろう。旧市街とはいえ人通りの多い界隈ではない。多分この店に通うのはこの辺りの常連さんばかりなのだ。カップチーノをひとつ。熱いのをお願いします、と注文した。熱いのを、と言うさわりを耳にした人達が私の方を振り向く。それでバスの中の冷房があまりに強くて寒かったから、と誰に聞かせるでもなく付け足して言った。店の主人が頷く。冷房ねえ。うん、あれは時として利き過ぎて寒い。昔はそんなものは無くても充分生活が出来たのに。そう応えた主人に私も頷く。15年前には無かったけれど、何の不自由も無かった、と。私は熱いカップチーノを体の中に流し込むとようやく体温が戻ってきて元気になった。すると後ろに居た年配の女性が言った。15年前は扇風機だって無い家は沢山あったわよね、と。それで今でも私の家には冷房どころか扇風機も無いことを思い出しだして、思わず声を上げて笑った。彼女は私の心を見透かしたように、ええ、私の家にも冷房も扇風機も無いわ、と言って笑った。
店を出て右に曲がり左に曲がりと路地を渡り歩いているうちにStrada Maggiore に出た。ボローニャには無数の路地が存在する。人との約束が控えていない日は知らない道に迷い込んだら、迷うまま歩き続けるのが好きだ。旧市街の中心に向かって歩き出すとポルティコの下のテーブル席で新聞を読み耽る男性を見つけた。昔、そういう人たちを沢山見かけた。私が暮らしていたアメリカの町にはイタリア人街というものが存在して、其処に驚くほど沢山のイタリアのレストランとカフェ、食材店がひしめいていた。多くの人が好んで足を運んだが、例えば此処に根を下ろしたイタリア人達はイタリアの上手いカッフェを求めて必ずと言っても良いほど此処に通った。もうひとつ目的があった。それはイタリアの新聞を読む為であった。何部かある新聞は殆ど順番待ちで、奪い合いこそなかったけれど誰かが読み終えて元の場所に戻されたままになることは決してなかった。それは晩まで繰り返されるので、店を閉める時には新聞の端がボロボロになった。カップチーノ一杯とブリオッシュひとつで1時間も新聞に読み耽る人達。しかし店の主人はそれを疎ましがるでもなく、そういうものだと受け止めていたかのように見えた。故郷を離れて異国で暮らす人にとって、母国の新聞は誰にとっても大きな存在。そんな感じで。ポルティコの下で新聞を読む男性の横を通り過ぎながらそんなことを思い出した。
異国人、異国。私が長年付き合ってきた言葉たち。決して悪い言葉ではない。上手く付き合う術を知っていれば良いだけだ。


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涼しい7月 風の音

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7月中旬にしては驚くほど涼しい1日。昨日は一晩中家の前の背の高い樹がざわざわと風に揺れてまるで波のような音を奏でていたが、それは実に気持ちが良くて心が和んだ。眠りにつきながら私はまるで緩い波に身体を任せて揺れているような錯覚に陥り、覚えて頃居ないけれどとてもよい夢を見たようだ。いつだって朝はもっと眠って居たいと思うけれど、それとは別に一種の満足を感じながら目を覚ました。7月にしては珍しいことであった。夏休みまで後1週間と思うと知らずと興奮する。それは行き先が何処であってもありえることで、毎年のように訪れているブダペストであってもアメリカであっても、それから単にボローニャに居残りであっても。ところが今年は帰省とあって興奮度は桁外れだ。私は世間の人が驚くほどあまり帰省をしない人。別に帰りたくない訳ではない。様々な理由と状況から結果的にそうなってしまっただけだ。けれども昨年の終わりから私は妙に家族と故郷が恋しくて、そんなことから様々な状況と理由を他所に帰省を決めた。その途端に分かったこと。私がどんなに日本に帰りたいと思っていたか。日本の小さなこと、些細なことを恋しいと思っていたか。まあ、そういう訳でここ数日の興奮ときたら大変なのである。私がアメリカの海のある町に暮らしていた頃、私と相棒がまだ結婚をして居なかった頃、私達はブリジットと言う名の女性と一緒にアパートメントをシェアしていた。彼女はイタリアのイオニア海に面する町から来た人で、ブロンドヘアと焼けた肌、それから細くて長い足と明晰な頭脳が魅力的な人だった。彼女は既にアメリカに暮らして十何年が経っていて、普段は決してそんな素振りを見せなかったがある日イタリア行きの航空券を購入したと言って興奮しながら帰宅した。色んなイタリア人を知っていたが彼女はその中でも飛び抜けて帰省しない人だった。どうしてなのかと訊ねたことがある。そうしたら彼女が教えてくれた、家族と上手くいっていないのよ、と。ファシズムに大きく影響された父親、そして全てのことを指図したがる母親。自由奔放に生きることを愛する彼女にとっては両親の元に帰るのは私が想像するよりも気が重いものだったらしい。しかしそれで居て彼女は恋しかったのだ、彼女のそんな両親と幾つか年下の弟、そして自分に良く似た自由奔放の叔母とか美しいイオニア海とか、故郷の空気とか。それである日彼女は航空券を購入して、今までに無くご機嫌だった。あら、あなた。一緒にワインでも頂きましょうよ。などと言って。そうして私達はキッチンに集合して上等の赤ワインの栓を抜いた。彼女はそれが大好きだった。ワインはやっぱり赤でなくてはね、と言って。彼女はそうして故郷に帰り、また私達の元に戻ってくると今度は彼女の母親が追いかけるようにやって来た。母親が長い滞在を終えてイタリアに帰ってしまうと、彼女はまるで置いてきぼりにされた小さな子供のように小さく丸まって泣いた。あれから十何年も経って彼女の気持ちが理解できるようになった。ブリジットはあれからあっという間に病いに罹り私達の目の前から姿を消してしまったから、もう彼女とそのことについて語り合うことはできない。やっと彼女の気持ちが分かったというのに。私はこの頃、帰省することに心を弾ませてはあの日のブリジットのことを思い出すのだ。今日は思いがけず涼しい1日だった。風がさわさわと木の枝を揺らし、遅い夕方にもなると涼しすぎるほどになった。遅い夕食に上等の赤ワインを抜いたのは涼しくて気持ちが良いからだけど、遠くの何処かから私達を眺めているに違いないブリジットと一緒に帰省する喜びを分かち合いたかったからだ。彼女なら私の今の気持ちを良く理解できるに違いない。


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