
この数日の暑さと言ったら。肌が火照って鬱陶しい。昼前、根を詰めすぎたのか単に頭の回転が鈍くなったのか、兎に角気分転換に職場の外に出た。気持ちの良い空気でも吸ったら良いのではないかと思って。私は時々そんな風にして外に出る。ほんの2,3分だけどその効果は大なのである。ところがあまりの暑さに驚いて1分と経たないうちに建物の中に逃げ込んだ。じりじりと焼きつくような太陽の陽射し。肌という肌を包み込む蒸し暑い空気。頭の回転が良く無くどころか思考能力が停止するような暑さであった。5月も下旬になったのだから当然とも言うべき気候。しかも待ちに待った初夏の到来で文句はひとつも無いけれど、年々暑さに弱くなっていくような気がするのは、単なる気のせいか、それとも本当にそうなのか。夕方ボローニャの町を歩いているとあちこちで見かける様子。人々は家や店の中から椅子を引っ張り出してきて夕方に吹く弱い風に当たろうとする。今日もそんな人を幾人も見かけた。夕涼みというにはあまり涼しくない風だけど、無いよりもましと言ったところだろう。世間話をしながら、本を読みながら、行き交う人々の様子を観察しながら過ごす夕方。ボローニャに暮し始めた当時そんな人々の様子を見てなんて暇人なのだろう、退屈しないのだろうか、と驚いたものである。けれども年月が経つに連れて少しづつ分かり始めた。これはなかなか楽しいものなのである。確かに暇がなくては出来ない行為だけど、退屈だけはしないことなのだと。私が少しづつ変化しているのかもしれないけれど。そういえば16年前の今日、相棒は長いこと不在にしていた故郷のボローニャに帰ってきた。私はといえば新しく始まる生活に希望と不安を鞄に詰め込んでボローニャに引っ越してきた。あの日もなかなか暑い日で、夕方の旧市街の日陰を探しながら歩いた。旧市街に住む知人のアパルタメントの大理石の床がひんやりして冷たかったこと。スパークリングウォーターが喉にちくちく痛かったけど、冷たくて美味しかったこと。長旅に疲れていたのに興奮してその晩は深い眠りにつけなかったこと。そんなことを今でも覚えている。それにしても年月の経つのはなんて早いのだろう。火照った肌がようやく吹き始めた涼しい夜風に吹かれて冷めていく。今夜は良く眠れるだろう。