素朴で静か

昨日の大風が立ち込めていた熱気と空の塵を一掃したらしい。今日はさわやかな微風が吹く素晴らしい青空の1日だった。半袖姿でじっとしていると少し寒く、しかし木綿のカーディガンを羽織っていると暑苦しい。羽織っては脱ぎ、脱いでは羽織る。16年前ボローニャに来る前まで暮していたアメリカの、海のある町がそうだった。風が無ければ暑いくせに、潮風が吹き始めるとあっという間に鳥肌が立つほど冷え込む。今日は1日、何度もあの町を歩いているような錯覚に陥った。一種のノスタルジー。違いは海の匂いがしないこと。それから目に映る眺めが明らかにボローニャであること。ボローニャの旧市街は意外と空いていた。今頃から海や山に家を借りて週末を過ごす人が多いボローニャ。不景気といえどこの素晴らしい季節を楽しまない手はない、ということなのだろう。それがとてもイタリア人らしく、ボローニャの人らしいと思う。5月の終わりにしては涼しくて気持ちが良いので沢山歩いた。素足にモカシンシューズを履いてきて良かったと何度も思った。こんな気持ちの良い日はこれから何度も無いだろう。歩きつかれたのでカフェに入ろうと思ったが、ふと気が変わって市庁舎のほうに足を向けた。モランディ美術館だ。カフェで一息つく代わりにモランディの絵を見ながら一息つきたくなったのだ。此処に来るのは久し振りだった。一瞬その存在を忘れてすらいたのに急に思い出したのは、最近届いたメールにモランディのことが書かれていたからだった。彼の絵が好きだ。モランディがどれほど有名か私は知らないけれど、テレビで見たことがある。モランディといえば静物画らしい。でも私が好きなのは彼の風景画。情熱的でもないし刺激的でもない。私が好きなマティスとは違う、素朴で静かで見る者に優しいモランディの絵。絵の前に置かれている小さな椅子に腰を下ろして眺めているとほっとする。カフェで休憩するのも良いけれど、好きな絵の前で休憩するのも良い。喉が潤う代わりに精神が潤う、と言ったらどうだろう。そういうのもたまには良い。すっかりリフレッシュしてモランディの絵を後にした。建物の窓から土曜日の午後にしてはひと気の少ないPiazza Maggiore が見えた。

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水のある生活

外は大風。私が暮らすボローニャ郊外の丘の町は風の通り道のようなところで、一年を通じてこんなことがある。けれども今日の大風は凄い。時々テラスの植木鉢が風に飛ばされていないか確認したくなるほどの風である。昼間のボローニャもまた風が吹いていた。こちらは大風とか突風とかの類ではなく、大きな樹ががざわざわとする程度のもの。しかし風が吹くとこんなに気持ちが良いのか、と改めて考えるほど気持ちの良いものであった。それだからいつもより涼しくて快適だった。それは私と相棒にとっては幸運中の幸運であった。昨晩遅く、急に断水になった。何の予告も無く。気が付いたら水が出なかったという訳だ。これは大変、と何がどうしてこんなことになったのかを確認しに家の外に飛び出したら、近所の人たちも外に飛び出してきて大騒ぎになった。12世帯ほどが水を断たれてしまったのだった。どうやら水道管に穴が開いたそうで、水道の元栓を閉めなくてはならなかったらしい。それにしても困った。何しろ急だったので水を溜めることも出来なかったからだ。家の中にある水といったらミネラルウォーターしかない。歯を磨くのも顔を洗うのも手を洗うのもミネラルウォーターなのである。幸い家には6本のボトルがあったが、よく考えればたったの6本。飲み水で手を洗う度に僅かながらもこんな贅沢をする良心の呵責みたいなものを感じた。仕方ないことだけど、何しろ飲み水、なのであるから。今朝は仕事へ行く前にカフェに立ち寄って朝食をとった。クリームがたっぷり入ったボンボローネにカップチーノ。久し振りにそんな朝食をとったので、断水で不便しているが少しご機嫌な朝であった。しかし昼が過ぎた頃から心配が膨れ始めた。水道管の穴の修理が終わらなかったら・・・と。それは恐ろしいことなのだ。何しろイタリアの職人は週末働かないのだから。つまり月曜日まで断水のままということになる。この暑い季節に何日も水が使えないのは困る。困る、困る、と気持ちだけが早まるが、状況を誰に確認したら良いのか分からない。つまり家に帰ってからのお楽しみということで、万が一修理が済んでいなかった場合の為に汗をかいてはいけないと何度も自分に言い聞かせた。さて、家に戻って水道の蛇口をひねってみた。数秒間気を持たせてから、激しく水が出てきた。水だ。水が出る。冷たい水で両手と顔を洗った。気持ちが良かった。いつも有って当たり前だった水。突然使えなくなってその有難さを実感した。多分どのうちの人達もこんなことを感じたに違いない。

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木曜日

昨日帰りのバスで偶然一緒になった知人が木曜日から涼しくなると自信満々の様子で言っていたのでうっかり信じ込んでしまったが、実際は昨日よりも更に暑い1日となった。確かに昨晩の涼しい風といったら雨の予感すら感じたけれど、多分近郊の山の町あたりでひと降りしたからに違いなく、朝にはその涼しさは陰も形もなくなっていた。木曜日。今週の忙しさは並でない。そのせいかもう木曜日である。木曜日が好きだ。あと1日頑張れば週末だから。そしてボローニャでは木曜日の午後は店が閉まっていて町が静かだからである。ボローニャに来たばかりの頃は木曜日の午後になるとこんな風にして店が閉まり、町が妙に静かになる度にがっかりした。活気が無い。あの頃の私はそんな風に感じたものだ。ところが最近の私ときたら、それを活気がないとは感じることなく、落ち着いたその様子の中をすいすいと歩き回れることに喜びを感じる。面白いことだ。それでそれだからなのか帰りのバスも空いていた。旧市街を取り囲む環状道路を渡って旧市街にバスが指しかかったところで鞄の中で携帯電話が鳴った。でてみると懐かしい声が聞えた。私がローマの生活と仕事を後にすると決めた頃、数週間一緒に働いたことのある女性からの電話だった。もう14年程前のことだ。その後も彼女とは微妙に繋がっていて、一番最近話をしたのはローマを訪れた6年前の冬のことだ。次から次へと共通の友人知人の名前や、あの頃通ったシチリア人家族経営のバールのことや。私はいつの間にかバスを降りて2本の塔の横を通り過ぎ、朝食用の大きなテラスのある古いホテルの前を通り、旧ユダヤ人街に新しく出来た陶芸店の店先を眺め、古い知人の声を聞きながら人があまり居ない旧市街をさ迷い歩いた。昔に比べれば店は開いているほうだけど、しかし昨日とは何という違い。焼けるような太陽の日差し。黒い影。人の波もざわめきも無い。夏のような若い女の子達の声だけが聞える木曜日の午後。

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5月24日

この数日の暑さと言ったら。肌が火照って鬱陶しい。昼前、根を詰めすぎたのか単に頭の回転が鈍くなったのか、兎に角気分転換に職場の外に出た。気持ちの良い空気でも吸ったら良いのではないかと思って。私は時々そんな風にして外に出る。ほんの2,3分だけどその効果は大なのである。ところがあまりの暑さに驚いて1分と経たないうちに建物の中に逃げ込んだ。じりじりと焼きつくような太陽の陽射し。肌という肌を包み込む蒸し暑い空気。頭の回転が良く無くどころか思考能力が停止するような暑さであった。5月も下旬になったのだから当然とも言うべき気候。しかも待ちに待った初夏の到来で文句はひとつも無いけれど、年々暑さに弱くなっていくような気がするのは、単なる気のせいか、それとも本当にそうなのか。夕方ボローニャの町を歩いているとあちこちで見かける様子。人々は家や店の中から椅子を引っ張り出してきて夕方に吹く弱い風に当たろうとする。今日もそんな人を幾人も見かけた。夕涼みというにはあまり涼しくない風だけど、無いよりもましと言ったところだろう。世間話をしながら、本を読みながら、行き交う人々の様子を観察しながら過ごす夕方。ボローニャに暮し始めた当時そんな人々の様子を見てなんて暇人なのだろう、退屈しないのだろうか、と驚いたものである。けれども年月が経つに連れて少しづつ分かり始めた。これはなかなか楽しいものなのである。確かに暇がなくては出来ない行為だけど、退屈だけはしないことなのだと。私が少しづつ変化しているのかもしれないけれど。そういえば16年前の今日、相棒は長いこと不在にしていた故郷のボローニャに帰ってきた。私はといえば新しく始まる生活に希望と不安を鞄に詰め込んでボローニャに引っ越してきた。あの日もなかなか暑い日で、夕方の旧市街の日陰を探しながら歩いた。旧市街に住む知人のアパルタメントの大理石の床がひんやりして冷たかったこと。スパークリングウォーターが喉にちくちく痛かったけど、冷たくて美味しかったこと。長旅に疲れていたのに興奮してその晩は深い眠りにつけなかったこと。そんなことを今でも覚えている。それにしても年月の経つのはなんて早いのだろう。火照った肌がようやく吹き始めた涼しい夜風に吹かれて冷めていく。今夜は良く眠れるだろう。

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Via Santo Stefano 辺り

近頃Via Santo Stefano 辺りが賑やかだ。何か楽しい催し物をしている訳ではないけれど、道に沿って二色の布が掲げられていて近いうちに何かが行われる予感、みたいなものがある。そのせいか最近この通りはちょっと奇麗に感じていたのだけれど、今日の新聞を読んで成る程と頷いた。ボローニャ旧市街ときたらいつ頃から始まったのか壁に様々な落書きがされるようになってしまった。店のシャッターにしても古い建物の壁にしても、中世の頃からずっと守り続けられてきたポルティコの柱にしても。時には教会の壁にまで書かれていて、全くけしからん、と町の人達は憤慨していたのである。昨年くらいからだったか、界隈の住人とボランティアの人たちとで少しづつ落書きを消す運動が始まったが、それがついにVia Santo Stefano でも行われたらしい。だからちょっと奇麗になったと思ったのは単に気のせいではなかったのである。落書きは困ったものなのである。私がアメリカに暮らしていた頃、フラットの壁に解読不明の大きな落書きをされて住人皆で消したことがある。話によると十代のギャング達が夜中のうちに書いたらしい。兎に角こういうものはそのままにしておくと此処は書いても大丈夫と思われて、日に日に落書きが増えるのだそうだ。フラットの壁には確か二度落書きされたが、翌朝即座に消された。それを見てギャング達は降参したのか、三度目に書かれることはなかった。さてVia Santo Stefano の落書きはどうだろうか。皆が協力し合って折角奇麗にしたのだから、せめてこの夏の間だけでも落書きから開放されると良いけれど。

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