寄り道が楽しい

近頃寄り道が楽しい。理由は勿論この晴天と、それに加えて夏時間になった今は7時を過ぎてもまだまだ明るいからである。面白いもので真っ直ぐ家に帰るのが勿体なく感じる。そして帰宅時間は日に日に遅くなっていくのだ。駆け足で週末に向っている。まだもう1日仕事が残っていると言うのに、心の方は既に秒読み開始。

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ふくろう

夕方遅く旧市街を歩いていたら店のガラス窓の向こう側に明かりを灯すふくろうを見つけた。温かい色に灯されたふくろうを観察しているうちにある女性のことを思い出した。アメリカで知り合った、私の母ほどの年齢の、大変お洒落な女性だ。経済的に豊かで、贅沢な衣服と宝石を身につけるのが好きだった。顔色を明るく見せるために鮮やか色の服を身につけるようにしていたのか、それとも単にそういう色が好きなのか、彼女ははっとするような赤い服をよく着ていた。しかし彼女が本当に美しく見えたのはチャコールグレーのカシミアのタートルネックセーターを合わせたスリムなパンツルックだった。短く切った髪に良く似合っていた。特別な美人ではないけれどそんな颯爽とした姿で街を歩いていると男性に限らず女性もが振り返った。彼女は街中の大きな家の他に郊外に何ヤードもの庭があるコロニアルスタイルの家を持っていた。馬が好きな彼女は其の庭を時々ゆっくりと散歩するのだといった。手に入らないものは殆どない豊かな女性だったけど、連れ合いの愛情だけが手に入らないと時々悲しい目をしてぽつりとこぼした。彼女は兎に角贅沢で、と周囲の評判はそんなものであったけど、そんな彼女が一番好きな物は実は宝石でもなんでもなく、小さなふくろうだった。ふくろうは幸運を招くからとか何とか言って藁で編んだふくろうや陶器で出来たふくろうなど、行った先々で手に入れては家のテーブルや棚に並べていた。そうやって何時か連れ合いが戻ってくれば良いと思って。いつも勝気で怖いもの無しで堂々としている彼女だったから、私は少なからずとも其の言葉に驚き、そう言う彼女の横顔を見ながら何時か沢山のふくろうたちが彼女の願いを叶えてくれれば良いと思った。彼女とはもう16年会っていない。多分今もあの家に居て、週末になると郊外の家で過ごすのだろう。ふくろうが沢山並んだテーブルや棚。彼女の願いどおり連れ合いが戻ってきて、あの広い庭をふたり並んで馬で散歩しているならば良いのに。

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美しさ

先日の明るい日の午後、久し振りに此処に来た。久し振りと言っても頻繁にこの通りのすぐ傍を通って視界に其の様子がさりげなく入り込むので、あまり久し振りに感じないのだけれど。でもこうしてじっくりと観察しながら此処を歩くのは実に久し振りであった。心を打つような色合いのフレスコ画が描かれているでもない。目を惹くような美しい彫刻が施されているでもない。しかし私はこのポルティコをひと目見た日からすっかり虜で、その素朴な色合いの素朴な様式のポルティコガ大好きだ。そんな人は案外沢山いるらしい。此処に来ると私のように天井を眺める人達が必ずひとりはいるものだ。この美しさは、例えて言えば何かを貫き通したような美しさ。何かを乗り越えてきたような美しさ。

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何もない良さ

急に暖かくなった。昼間は20度を越え、もうウールのセーターなど着ている場合ではない。セーターならばコットン、木綿の薄いシャツ一枚でも良いくらいだ。ところが朝晩の冷え込みといったら驚くばかりで、其の上風が吹こうものならジャケットを着てスカーフをぐるぐる首に巻きつけていても寒いくらいなのである。これは典型的なボローニャの春。気をつけないとあっという間に風邪を引く。金曜日もそうだった。明るくて穏やかな昼間からは想像できぬほどの冷え込みで、友人と其のまた友人たちと旧市街で食事をしていたらうっかり11時になってしまい、それではと店を出たところひゅーひゅーと風が吹き荒れていて驚いた。勿論、寒いと言っても冬のように骨までしみこむような鋭い寒さではなく、春の嵐という言葉がぴったりくるようなものだったけれど。翌朝はまた穏やかな日になっていた。木綿のシャツ一枚にスカーフで良いくらいの気候。しかし寒がりの私だから一応薄手の革のジャケットを羽織って出かけることにした。足元は歩きやすいモカシンシューズ。これを素足で履けるようになったら初夏。そんなことを考えたら急に嬉しくなってきた。旧市街にはスニーカーで軽快に歩く人が沢山居た。そんな彼らに混じって私も何時もより軽快に散策した。Via De’ Chiari、此処を歩く人は少ないけれど私のお気に入りのひとつである。特別興味を誘うような店はなく、道の片側に長いポルティコが続いているだけなのだ。しかし色合いがよくて歩いていると気持ちが落ち着く。この通りを歩くのは大抵この辺りの住人で、カメラを持って歩く私を不思議に眺める。こんな何にもない道なのに? まるでそう言っているかのように。何もないから良いときもある。何か特別なものがありすぎて居心地悪いときもある。最近そんな風に思うようになった。
今日から夏時間が始まり、たったの1時間の違いなのに朝からぼんやりしている。そんな人は私だけでないに違いない。

追記。今日で1000回目の記事になりました。気まぐれで飽きっぽい私の割には良く続きました。それは楽しみにしてくれる人達が居たからで、改めて読者の皆さんに感謝です。これからも肩の力を抜きたくなったら、息抜きがてら遊びに来てください。

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香ばしいパンの匂い

いつの頃からかパンが好きだった。私が十代だった頃、病気になって家で休養していた姉が暇を持て余して菓子やパン作りに励んだ。本当は励んではいけなかった。本当は家でゆっくりして疲れてはいけない身体だった。しかしそうと決めたら周囲の声など聞えなくなって突進するところが姉と私の共通点で、だから私が学校から帰ってくるといつも良い匂いが家中に立ちこめていた。あれほど家のガスオーブンが活躍した年はなかった。あのパンは本当に美味しかった。姉と私の共通点はそうと決めたら突進することだが、姉が私と大きく違うのは大変研究心や探求心があって常に改善、上達することだった。だからパンは日に日に美味しくなり、何処のパンよりも美味しいと家中の評判になった。そうして1年も経つと姉はようやく外の生活が出来るようになり、それと同時に手作り菓子もパンも家の中から消え去った。私も何度かパンを焼いたがどうもしっくり行かなかった。先にも説明したように私には研究心や探究心が掛けているので、何度かパンを焼いてからあっさりと辞めた。それっきりだ。パン屋の前を通ると良い匂いがする。香ばしいパンの匂い。良い具合に焼きあがったパンが店先に並んでいて、それを見る度にあの頃の私達4人家族のことを思い出す。幸せだった私達4人家族の時代。

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