夜が更けていく

何時の頃からか、私はチーズが大好きになった。けれども無類のチーズ好きではない。何故ならゴルゴンゾーラだけはどうしても苦手で、ほら食べてごらん、ほら美味しいからと周囲にどんなに勧められても、やっぱり手を出す気にはならないからだ。ゴルゴンゾーラを好きな人に言わせれば、これほど美味しいものはない、とのことだけど。子供の頃、私の家ではいつもチーズが出された。四角くて長細い、俗に言うプロセスチーズというもので、母親が包丁で奇麗に切り分けてくれた。姉はそれが好物で、美味しいと喜んで食べたが、私にはその美味しさがどうしても理解できず、むしろ少し苦手だった。しかしカルシウムがとか、たんぱく質がとか、両親がとても勧めるのでとりあえずその場を楽しく切り抜ける為に、何でもない振りをしてチーズを口の中に放り込んだ。それが10代半ばになるとチーズを冷蔵庫の中に探しては、あった、あったと喜んで自ら切り分けて食するようになった。そして大人になるとフランスのチーズをカウンターで食べさせる店に足を運ぶようにもなった。白黴に覆われた柔らかいチーズ。一度でぞっこんになった。しかし私はまだワインの魅力に出会っていなくて、その小さなカウンターに座ってチーズとパンを齧るだけだった。私がワインと出会ったのはアメリカに暮していたころだった。それは偶然で、偶然ワインの魅了されたのだ。ところが此処では美味しいチーズに出会うことがなく、ワインを楽しむだけ。そうしてボローニャに辿り着いて、ようやくチーズとワインが一緒になった。冬はもっぱら赤ワイン。赤ワインときたらペコリーノチーズ。ペコリーノにもいろいろあるけど、大晦日に相棒がトリュフ入りのペコリーノチーズを買ってきてくれて以来、私はこれにぞっこんだ。先日、旧市街でこれを見つけた。ちょっと高めで迷ったけれど、その店から僅か100mの店では更に高い値段がつけられているのを発見して、安い方の店で丸ごと買った。店の人は半分だけでも売ってくれると言ったけれど、丸ごと買うことにしたのは多分あっという間に食べきるに違いないと思ったからだ。店の人が言ったからだ。これはとっても美味しいよ、と。案の定、丸いチーズは今ではほんの切れ端しか残っていない。毎晩相棒と赤ワインを頂きながら、これを薄く薄く切り取って頂いているからである。日中は互いに別の場所で仕事に勤しむ私達が、唯一交差できるのが夕食の時間。だからこの時間を大切にしているのだ。その為には、ちょっとくらい奮発したって良いではないか。それが私達の生活スタイル。などと言って、単なる美味しいもの好きなのだけど。今夜もそんな風にして夜が更けていく。

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いいことに気がついた日

昨晩はとても冷え込んで、8時過ぎに出かける予定を急遽止めにした。こんな晩に出かけようものなら、どんなに着込んで出掛けても体が冷えて風邪を引くに決まっているからだ。少なくとも私は。無理してまで出掛ける程の用事がある訳でもなかった。言うなれば相棒に付き合っていつものバールに車で駆けつけ、大きなスクリーンでサッカー観戦するだけだから。しかもボローニャがトリノまで行ってユヴェントゥスと対決などという結果が初めから分かりきったような試合で、だから私がやっぱり行かないと言うと相棒もすんなりと出掛けるのを止めた。そうは言え、やはり気になるらしい相棒はラジオに耳を傾けて、随分経った頃に驚愕とも歓びとも区別のつかぬ大声を上げた。別の部屋にいる私には何が起こったのか分からなかったが、ボローニャが敵の攻撃をブロックしたくらいのものであろうと思っていたら、何と敵組をゼロ点に抑えて2ゴールを入れて勝ったと言う。うっかり口が滑って、それは奇跡というものだね、と言うと相棒は勝利で寛大になっているらしく怒りもせず、いや、素晴らしいチームワークだったのだ、などなど長々と私相手に説き続けて私に眠気を十分に誘ってくれた。ボローニャのチームに拘る人にしてみれば、確かに嬉しい勝利であっただろう。今日の新聞もボローニャの勝利が8ページにも渡って記されていて、近くの国リビアでは大変なことになっているというのに、全く平和で幸せなボローニャであった。それにして今日は一日中雪が降った。でもがっかりはしなかった。それよりも、昨日のうちに十分楽しんでおいてよかったと思った。冬の晴天とか、散策とか。そうだ、この調子だ。意に反して物事が起きた時、がっかりする前に良い点を探してみよう。そうしたら案外楽しい生活なのかもしれない、今日も明日も、明後日も。雪を見ながらいいことに気がつけたことを喜んだ。

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花屋

毎日快晴だ。寒いけれど快晴はとても嬉しい。それが週末に当たれば尚更で、休みの日くらいゆっくり寝れいればいいのに、いそいそと身支度をして外出した。このところ少し頭が混乱しているようだ。それで気分転換にもってこいの町歩きに繰り出したのである。外は10度もない。しかし春まで待てないと言わんばかりに沢山の人が旧市街に集まった。勿論皆冬支度。この冬の終わりに風邪でも引いたら損してしまうと言わんばかりに。通りかかった小さな店に入った。Piazza Santo Stefano から直ぐ其処の店で、私の気に入りのひとつだ。ちょっと他の店にない感じの衣服やアクセサリーを置いている。特別高い店ではない。しかし決してリーズナブルな店ではない。だから見るだけのことが殆どで、振り返ってみても割引をしてくれる時期以外に購入したことは今まで一度もない。先日冬のサルディを利用して襟巻を2本購入した。とても気に入ったので早速首に巻いて出掛けたところ、思いがけず色んな人に褒められて益々この店が気に入ったというわけだ。店にはいると狭い店内に先客が幾人もいたが、いつもの店の人が直ぐに私に気がついてくれた。彼女は私の首に巻きつけられた襟巻を見て、気に入って頂けたようで嬉しいです、と囁いてまた先客の元へと戻っていった。今の時期は大変微妙で、店内は冬物と春物が其処此処に置かれていた。先客の美しいシニョーラはどうやらこの店の常連らしい。幾枚もの春先の襟巻と衣服を試し、どれもこれも気にいって困ってしまった様子である。あら困ったわ、などと言って。そうしてひと唸りしてから決めたと言わんばかりに顔を上げ、全部購入してしまった。あら、びっくり。それは私だけでなくて他の客も、そして店の人も。私は狭い店内を一通り見てから、また来るからと挨拶をして店を出た。自分への小さなご褒美でもと思っていたのだけど、何も見つからなかった。カメラを手に路地を歩き大通に出てはまた路地に入り込みしているうちに食品市場界隈に入り込んだ。その一角の間口の狭い花屋。寒いけれどここだけには春がやって来たらしく、目に眩しいほどの春の色が散りばめられていた。足を止めて花に見入っていたところ、女性が後ろから私を追い越して店員に声を掛けた。これをひと束。贈り物ですかと訊く店員に、ううん、自分用だからそのままで、と答えて彼女はそのまま花束を受け取った。そうだ、と思いつき私も店員に声を掛けた。これをひと束。私は先程の女性とは違う花を指差して、自分用だからそのままで、と言った。すると店員が今日は自分用の花がよく売れると言ったので、まだ横にいた先客の女性と私は顔を見合わせて笑った。自分用の花。いい響きだ。私は鼻歌を歌いながら歩き始めた。そのうち頭の中の混乱は快晴の空に空気と化して飛んでいった。

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街にミモザの花が溢れる頃

寒波が戻ってきた。良く考えてみればまだ2月が終わっていないので不思議ではないけれど、それにしても数日前は20度近くまで気温が上がったので錯覚を起こしてしまったのだ。そうだ、あれは土曜日だった。着込んで出かけたところ昼過ぎには気温が上がり、帽子を脱ぎ、首に巻きつけていた襟巻きをとり、コートの前を開け放たなくてはならなかった。そうでもなければ大汗をかいてしまいそうだった。暖かくなってから外に出てきた人達の薄着。腰丈のジャケット。そんな人達が沢山いたからついつい冬はもう終わり、なんて勘違いしてしまった。それにしても光が生み出す影の濃いこと。もう冬の光ではないように思えたのに。そういえば近頃朝方に目が覚める。テラスに集う小鳥達が声高く囀るからだ。多分朝の4時頃で、ころころと転がすような声が陽気で美しく、もう少し眠っていたいのにごそごそとベッドから抜け出してテラスに面した大窓に耳を寄せる。テラスの何処かにいるに違いない小鳥が囀ると、遠くから返事の囀りが戻ってくる。恋人達の会話のような、それとも恋の駆け引きのような。それとも単なるご近所さんで、今朝は冷えるねえ、なんて話しているのか。どちらにしても少し前までは聞くことのなかった夜明け前の小鳥達の囀り。寒波が戻ってきたので私の襟元は再び襟巻きのぐるぐる巻き。ベレー帽を目深にかぶっての外出だ。土曜日に薄着をしていた彼女達も今日は着込んで居るに違いない。多分、街にミモザの花が溢れる頃、本当の春がやって来る。

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檸檬色

午後から太陽が顔を出して職場を後にする頃にはすっかり晴れ渡った。もう直ぐ夕方も6時なのに空がこんない明るいって凄い、確実に春が近づいているのだと、同僚と空を仰ぎながら囁いた。うっすら薔薇色の空。日没後には奇麗な満月が見える筈だった。寄り道をした。何しろ金曜日だし、何しろ冬らしからぬ夕方だから。立ち並ぶ店の半分は既に冬のセールを終えて春の淡い色、爽やかな色で埋まっていた。どの店に入るでもなく、店先を眺めながらひたすら歩いた。と、一軒の店の前で足を止めた。檸檬色のセーターが美しかった。眺めているうちに思い出した。私がまだ子供の頃のことだ。私は4つ半年上の姉が大好きだった。姉は何処へ行ってもリーダーで、私は何時も後からとぼとぼとついて行った。ある夏、姉は美しいワンピースを着ていた。母が姉のために縫った袖なしでシンプルな形のよそいきの夏服で、爽やかな檸檬色だった。色白の姉が着ると、とても素敵だった。妹の運命でしばしば姉のお下がりを着る機会が多い私だった。幾ら姉が好きとは言えあまり嬉しくなかったが、このワンピースに関しては早くお下がりに欲しいと思った。成長期だった姉だから翌夏にはワンピースが小さくなり、ワンピースは私のものとなった。しかし私の身体はまだ小さくてワンピースを着るには後1,2年待たなければならなかった。ある夏、ようやくワンピースを身につけた。姉と違って色黒の私が身につけると美しい檸檬色に見えたその夏服は違う種類の黄色に見えた。涼しげな素敵な檸檬色に憧れていた私は大そうがっかりしたけれど、陽に焼けた私の肌にぴったりだと言って両親も姉も褒めてくれた。ひまわりのようだ、と言って。確か私は檸檬と言うよりもひまわりだった。太陽の陽射しをものともせずに家から飛び出して夕方まで帰ってこない娘だった。生まれつき色が黒かったから、肌はいとも簡単に太陽を吸収して、近所の誰よりも色黒だった。そんな私は確かに檸檬と言うよりもひまわりだった。それは子供心にも嬉しかったが、やはり姉が着た時のような檸檬の素敵さに憧れるた。同じものでも着る人によってこんなに印象が違うのだと、うまれて初めて知った夏だった。さて、このセーターはどうなのだろう。私が着たらどうなのだろう。それとも先程から隣に立って店先を眺めている色白のイタリア女性のほうが、やはり素敵に着こなすのだろうか。そんなことを考えながら、ふと思い出した遠い昔を暫くの間懐かしんだ。

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