旅発ちたくなる癖

時々ふと旅発ちたくなる。旅と言ってもそんなに遠くに行かなくたっていい、ほんの2,3日でもいい。毎日から離れて違う空気を吸いたくなる。いつもと違う眺めを求めてふらりと飛行機や列車に飛び乗りたくなる。それはどうやら今に始まったことではないらしい。どうやら体の中心の、肝心な部分に根付いていることのようだ。それに気がついたのは最近のことで、それまでは単に旅行好きなのだと思っていた。昔は良かった。結婚するまでの数年間は特に良かった。気が向くと時間とお金が許す限り人々の前から急に姿を消したものだ。そうすることで私は心に栄養を満たして元気にまたいつもの生活に戻ってきた。もともと一人旅が好きだったのだ。だからそんな旅がぴったりだったし、そんなことが出来ることをとても嬉しく思っていた。夏の旅行中、そんなことを考えた。丁度この場所に差し掛かったところでそんなことを考えて、ここはそんな私にぴったりの街だと思った。静かで穏やか。それだけで充分魅力的でまさに私が求めていた場所だった。最近またふと旅発ちたくなった。秋の不安定な空の色が似合う、心がときめいて一瞬立ち止まってしまうような、そんな場所を求めて。

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眩しくて楽しい思い出

夏の思い出とは大抵楽しいものばかりだ。私にしてもこの夏アレルギーで悩まされたことを肝に銘じて食事や生活を気をつける毎日だけど、それを除けばまるで魔法が掛かったみたいに眩しくて楽しい思い出ばかり。夏休み前に新しい人と知り合ったこと、週末の夜に山の友人と村祭りにつるんで出かけたこと、ウィーンという新しい発見があったこと、ブダペストで友人知人と毎日楽しく過ごしたこと、友人の家の近所に住む大きな猫と1年振りに会えたこと、猫が私を覚えていてにゃーにゃーと嬉しそうな声ををだして駆け寄ってきてくれたこと。旅行から帰ってたところで、友人が私を訪ねてきてくれたこと。閑散としたボローニャを案内しながら色んな話をしたこと、昼食にトラットリアに立ち寄ってポルチーニのパスタを食べたこと。あれからもう1ヶ月以上が経ってしまったのだ。そう思うとちょっと寂しいような気がするのは私の昔からの癖である。先日、ボローニャの旧市街を歩いていたとき思い出した。確かここを友人と一緒に歩いたはずだ。友人は昔、プロ野球の選手か歴史の先生になりたかったのだそうだ。実際はどちらにもならなかったけど歴史への関心は薄れることは無いらしく、歩きながら時々建物や道、ボローニャが赤のボローニャと呼ばれる由来などを説明する私の声に耳を傾けては、時々うんうんと頷きながら成る程などと呟いていた。そういえば友人はポルチーニ茸のソースを絡めたパスタがとても香り高くて美味しいと言って驚いていたっけ。そんなことを歩きながら思い出していたら翌日友人からメッセージが届いた。ポルチーニのパスタの良い香りが忘れられません、と。友人は余程それが気に入ったらしい。それから夏を思い出しているのはどうやら私ひとりではないらしい。やはり夏の思い出は眩しくて楽しいのだ。

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雨降りの日はあの日のことを思い出す

9月も終わりに近づいて随分冷え込むようになった。雨が降る度に気温が下がり、雨が降る度に秋が深まっていく。そう言えばローマの仕事を辞めてボローニャに帰ってきたあの年の秋もこんな風だった。仕事を終えて職場の仲間に挨拶をして、車で迎えに来てくれた相棒と一緒にローマを去った。1年弱暮らしたこの街には様々な思い出が詰まっていたが、私はとてもさっぱりした気持ちだった。大好きだった職場の仲間との別れも、大好きだったその仕事を手放してしまうのも、新しい気持ちで相棒とふたりで暮らすことを考えればどうでも良いことに思えた。それ程私は相棒とのふたり暮しを望んでいたのだろう。誰かの家の居候でも他人との共同生活でもなく、相棒とのふたり暮し。9月の終わりのローマはまだ半袖姿の人々で一杯だった。異常なほどに車とスクーターが多いこの街は常にスモッグが立ち込めていたが、それでも空は驚くほど高く青かった。私達はローマを後にするとローマから北の方向に車で小一時間ほど行ったところにある小さな美しい町ヴィテルボで一泊した。ローマに暮していた時、同居人のひとりがこの町の出身だったのをきっかけに一度足を運んでみると美しさにあっという間に魅了されて、同居人が家に帰る度にくっついていったものだ。夜遅くの旧市街は橙色の明かりが点々と灯っていて、中世の時代に遡ってしまったような錯覚に陥った。そのヴィテルボを相棒にも見せたいと思って、それから私の目にこの美しい町の様子を焼き付けておきたいと思って、立ち寄ることにしたのだった。翌日は素晴らしい快晴で益々気分が良かった。爽快。そんな言葉がぴったりの天気で、ヴィテルボから真っ直ぐボローニャに向う気になれなくて私達はウンブリア州の小さな町や村に立ち寄った。緑の濃いウンブリア州は空気が奇麗なせいなのか、何を食べても美味しかった。町のバールには素朴な人達が集まっていて、カードを楽しんでいた。何時までもそんな当ての無い旅を続けていたかったけど、夕方の渋滞に巻き込まれたら大変ということでしぶしぶボローニャへと発つことになった。助手席に座っていた私は途中から眠り込んでしまったらしい。気がつくと既にボローニャ市内を走っていた。窓の外は真っ暗でガラスには珠のような水滴が沢山ついていた。雨が降っていた。それも音を立てて降る、夢から現実に引き戻すような感じの雨。先程までの快晴は何処にも無く、闇が益々黒く光っていた。私達はアパートに着くと荷物を置くや否や乾杯をしたかったがまだ食器棚にはグラスも何も並んでいなかった。ちょっと前途多難な予感を感じながら私達のボローニャふたり暮しが始まった。その翌日も翌々日も雨が降った。糸を引くような雨が飽きもせず降り続けた。ローマの生活が恋しいわけではなかったが、毎日ローマの空を思い出した。ボローニャにはそんな青い空は何処を探しても無かった。結局雨は一週間ほど降り続け、雨が上がると完全な秋になっていた。もう随分前の話なのにこんなに良く覚えているのは、私があの雨に自分が思っている以上にうんざりしたからなのかもしれない。後2日で9月が終わる。せめて最後の2日間は良い天気になって欲しいものだ。

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鹿たちへ

ボローニャは町からちょっと車で外に外に走って行くと驚くような自然に出会う。例えばボローニャ旧市街からVia Santo Stefano からVia Murri、そしてVia Toscana、 途中からVia Nazionaleと名前こそ変わるがトスカーナへと続く長い道を走っていくと空気の匂いも色もボローニャ市内とは全く違う場所に辿り着く。たかだか20km行っただけで標高は500メートルになり、最近はそんなところにも家が沢山建つようになったが動物達が少し前と同じように暮らす、そんな場所。夏は涼しくて夜になると沢山の蛍が飛び交い、秋には辺りが黄色く染まり、冬が町よりもひと足もふた足も早くやって来て、雪が降れば家の中に閉じこもるしかなくなるそんな場所。そんな場所に気が向いたら直ぐに行けるのがボローニャの良い点のひとつだとボローニャの人達も口を揃えて言う。私達は町の生活も好きだけど、自然とのふれあいも好きなのだ。晩秋の暗闇で大きな猪に遭遇するのは怖いけど、早朝の丘の斜面に鹿たちが草を食したり飛び跳ねている姿を見るのは心が和む。鹿。そうだ、私達は鹿が好きなのだ。それなのに。昨日のボローニャの新聞にこんなことが書かれていた。ボローニャ県には現在1000匹以上の鹿が存在するそうで、多くなり過ぎたので猟師達に鹿狩りを解禁する、そして半分に減らすと言う。そんなことってあるのだろうか。それでは人間はどうなのだろう。一体どれだけ沢山居ることか。こんな山の方にまで家を建て、車をぐんぐん乗り回して空気を汚して。ずっと先に住んでいた動物達を追い出して。例えば鹿たちがその辺りの家の倉庫にこっそり侵入して保存していたじゃがいもや茄子のオイル漬けを食べてしまったというならば困ったものだと思うけど、別にそういうわけでもない。鹿が急に出現して近所の老人や子供を驚かしたとかでもない。そんな話は聞いたこともない。大抵鹿は人から離れたところに居て、悠々と自分の生活を楽しんでいるのだ。私達は上手く共存している筈なのだ。それなのに。ああ、嫌になってしまうなあ。人間は何にも分かっていないんだから。今朝、通勤途中に丘の斜面を2匹の鹿が楽しそうに歩いているのを見かけた。鹿を見るのが私の朝の楽しみなのだ。鹿を見た朝は良い一日になりそうな気がするのだ。でも、もう姿を見せてくれなくてもいいよ。猟師に捕まらないようにもっと奥深い森の中に隠れていなくちゃね。窓を開けて鹿に声を掛けてみたけれど、私の声が遠くに居る彼らの耳に届くはずもない。私の声を聞いた丘の草木が鹿に伝えてくれればよいと思いながら彼らの姿を後にした。

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3連休に向けて

イタリアには振り替え休日なんて気の利いたものはない。祝日が月曜日に当たるような仕組みもない。だから祝日が土曜日や日曜日にぶつかる度に、祝日を一日損したような気分になる。元々土曜日と日曜日は仕事が休みなので、祝日に肩すかしされたような気分になるのである。イタリアの祝日の4分の3はそんな具合に終わってしまう。そんな中、10月4日が月曜日に当たるのである。この日はボローニャの守護聖人サン・ペトロニオの日。ボローニャだけの祝日なのだ。これは大変貴重な日で、つまりボローニャの人だけが休みだから何処かへ遠出しても行った先が混み合わない、混雑が嫌いな私にとっては素晴らしい日なのである。3連休だ。それでちょっと足を延ばしてヴェネツィアへ、シエナへ、フィレンツェへと考えているうちに、心だけがどんどん先に飛んでいってブダペストに辿り着いた。夏の写真を数日前に整理したせいだ。整理しているうちにその手が遅くなって、写真を撮ったときのことをいちいち思い出すことになった。後数日でこの街を去るという日の午後、この建物を見つけた。見つけたと言っても今までに何度もその前を歩いていた筈なのに、一度も気がつかなかったのだ。それで私は真正面に立ってこの不思議な雰囲気の建物を眺めた。近代的なものよりも古くて味わいのある建物が好きだ。丁度こんな感じの建物。ボローニャ中を探しても絶対に見つからないであろうこんな建物。私は一度だって建築家になりたいと思ったことは無いけれど、建築家という職業は大変芸術的で興味深いものであると建物を眺めながら思った。次に生まれてくる時は建築を勉強したいものだ、とすら思った。私があまりに熱心に眺めていたからなのか、通りすがりの若者がふたり、私の右横に並んで建物を眺めた。彼らはハンガリー人だった。何を話しているのか耳を澄まして聞いていたが殆ど理解できなかったけど、口調から想像するに彼らもまたこの建物を大そう気にいっているようであった。そうしているうちに小さな子供をつれた老女が足を止め、ドイツ圏から来た旅行者達が足を止め、何だか賑やかになってきたので私はこっそりとその場を去った。皆あの建物に惹かれている様子だ。自分が建てた訳ではないけれど、何故だかとても嬉しくなって暫く口元の小さな笑いを止めることが出来なかった。ブダペストへ行きたいなあ。11月になると酷く冷え込むこの街は、今頃行くのが良い。旅行者も減り、夏とは違うこの街の横顔を見る旅。しかしたったの3日間。私は急ぎ足の旅行が嫌いなのだ。ふー、と深い溜息をついて諦めることにした。しかし折角の休みだもの、と久し振りに心が躍る。近くで良い、足を延ばしてみよう。うん、楽しみだなあ。来週末はぜひとも快晴に恵まれて貰いたいものである。


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