季節限定

夕方、ボローニャ旧市街へ行った。約束の時間までまだ1時間と少しあったので、時間を気にしながら散策した。なに、約束と言っても友達との楽しい約束がある訳ではない。ちょっとした用事があっただけだ。ただ、明日が祝日だから、どうしても今日のうちに済ませておきたい事があったのだ。天気の良い金曜日だから街は混んでいるに違いない。そう睨んでいたのに思いのほか空いていた。多分こういうことだ。天気が良くて急に暖かくなったから、多くの人は仕事を終えるなり、若しくは仕事を半日で切り上げて小旅行へと出かけたのだろう。イタリアでは夏になるとこういうことが殆ど当たり前のことになる。だから金曜日も真面目に仕事をして旧市街などへ行くと、こんな風に人が少なくて寂しいような快適のような肩透かしされたような気分になるのだ。それにしても木々の緑の濃いこと。何しろ雨が沢山降ったから、山も丘も、町中の街路樹も緑が燃えている。これからは自転車やオートバイが気持ちよいのだろう、にわかに車の交通量が減り自転車、オートバイが増えたような気がする。昨朝、私が暮らすピアノーロの丘を下った辺りの谷間の村からボローニャ市内へと行く道で自転車を軽快にこぐ男性を見つけた。私と相棒はその後姿を見つけて、あっ! と叫んだ。それは毎年良い季節限定に毎朝見掛ける想像年齢80歳くらいの老人だった。去年は確か11月になる随分前に見掛けなくなった。そして今年はなかなか冬が終わらなかったから昨日まで見掛けなかったという訳だ。老人のトレードマークはベージュのジャンパーと白い帽子、それからサングラスだ。年はとっているが一年の半分ほど毎朝自転車で鍛えているので、ペダルを漕ぐ速さは若者並だ。おじいさん、今年も元気そうですね。また会うことが出来て本当に嬉しいです。そんなことを呟きながら車で追い越そうとすると、何かいつもと様子が違った。何だろうと観察すると、何時も何かの袋が括り付けられている荷台にリラの花束が括り付けられていた。多分ついさっき庭先で摘んだのだろう。おじいさんが毎朝ボローニャ市内へ自転車で通う理由は私と相棒の間では長いこと謎だった。仕事ではあるまい。孫の顔を見に行くのだろうか。そんな推測をしていたが、この春はその推測にもうひとつ加わった。もしかして憧れの女性がいる何処かに毎朝通っているのかもしれない、何しろリラの花束だし。どんな理由にしろ、おじいさんの姿を朝見かけると元気が出る。おじいさんは今日も元気に自転車を漕いでいるのだと思うと。おじいさんを追い越しながら、私達が本当に良い季節を迎えたことを確信した。

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日陰

毎日上々の天気のボローニャ。昼間は26度を越える。そして日差しがとても強い。町を歩きながら面白いことに気が付いた。人々が日陰に居ること。つい最近まで日向を選んで歩いていたのに、陽が当たるテーブル席を選んで座っていたのに。此処は二本の塔の直ぐ下。何時見ても混んでいる店。テーブル席の目の前をバスや車が幾度と無く通る所謂交通量の多い場所なのに、そんなのお構い無しに自分の時間を楽しむ人達が集う。旅行者が半分、地元の人が半分。Piazza Maggiore に面したカフェやサン・ペトロニオ教会の裏手にあるカフェのような華やかさは無く、雑踏とか喧騒とか、それに近い雰囲気。それはそれで魅力的だ。しかしながら、この店もまた日陰席が人気らしい。

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好物

ボローニャ旧市街の中では一番大きいであろう食料品市場Mercato Ugo Bassi の一角で目に入ったもの。決して安くは無い、しかし手作りは美味しい。今日は奮発してこれにしてみようか。

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花冷え

今朝テレビでボローニャ辺りは午後から雨が降ると言ったから、小さな折り畳みの傘を鞄に突っ込んで家を出た。決して寒くは無いけど何となく寒いような気がする朝。今日は何度も日本のことを思い出した。寒いような気がする日。確か日本にもそんな天気があった筈だ。新学期が始まってまだクラスに完全に馴染めないような、それとも馴染めたような感じの今頃。雨が降るでもなく陽が照るでもなく、しんしんと近寄るような肌寒い日。一番覚えているのはもう私が高校生か卒業した頃に行った遠足だ。私は特別何かに恵まれていたわけではなかったけれど多分両親からの愛情だけは充分あった、と大人になって随分経つ今頃になってそう思うようになった。何かにつけて私達家族は一緒に楽しむ時間を作った。私達家族は電車で隣町へ行った。駅前にはバス停があり其処からバスに乗ることも出来たくせに、両親は歩こうと私達姉妹を促した。歩いても歩いても目的地に着かなかったが、私達以外にも沢山の人達が歩いていたから、歩くのが当たり前のような気さえした。そうして一時間か二時間も歩くと大きな国立公園に辿り着いた。この時期の公園はつつじの花が満開でそれは子供の目に大変美しく映った。もしかしたら私達はこのつつじの花を見に来たのかもしれない、と思う程、長いこと観賞した。それにしても5月前にしては肌寒い日で、格好つけて薄着をしてきた私は何度も後悔した。歩いていた時には気が付かなかったが、こうして花を観賞していると4月の終わりにしては寒すぎると思って肩をつぼめて腕を摩った。今日は花冷えする。そう言ったのは母だったのか、父だったのか。花冷えという言葉がとても美しく響き、花冷え、と私は心の小さな手帳に小さな字で刻み込んだ。私達はそれから広い公園を歩き回り、静かで眺めの良い場所に腰を下ろして昼食を楽しみ、また花を観賞してから公園を後にした。帰り道はまた歩きだった。歩くのは好きな上に得意だったがそれでも辛かった。私は幾度もう歩けないと音を上げただろう。その都度意志の強い残り三人に戒められた。おかげで身体は温まったが、駅で電車を待つ間にまた寒さを感じだ。しかし今度はもう寒いとは言わずに、花冷えだからね、と大人ぶったことを言って家族を笑わせた。丁度今朝のような日だった。ボローニャに遂に雨は降らず、午後から太陽が顔を出した。人々は半袖姿。花冷えはもう終わりらしい。

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看板

ボローニャが面白いのは華やかな大きな広場や大通りではなく、ちょっと道を入った辺りの新旧が入り混じった様子だ、ということに気が付いたのは何年も前のことだ。ボローニャは中世の頃に商業で栄えた町。当時はその富を塔を建てて表したので、現在はそのごく一部しか残されていないにしても歩いていると、此処にも、あっちにも、と高低様々な塔を見つけることが出来る。残っている塔はB&B や予約制のアペリティーヴォの粋な空間として使われていたり、店が入っている所もあれば家屋に変身したのもある。どれも外見は無骨だが、私からすればそれが実にボローニャらしくてとても気に入っているのである。先日Via Clacatura を歩いていた。Piazza Maggiore を背にして少し行くと左手に籠やハンガーを売る未だによく理解できないがそれなりに繁盛しているらしい店、右手に高級食器店があり、その先には数年前に出来た衣服の店。この店はこの辺りでは大変現代風。何しろ道を挟んで向こう側には今は閉鎖された旧食料品市場があり、閉鎖された建物の前には小さな小屋、大人ひとりがやっと中にいられる程度の小屋があって、ボローニャ郊外の町で養蜂業を営むおじさんが自家製のプロポリスや蜂蜜、ロイヤルゼリーを販売している。そんな雰囲気の中でこの店は大きなガラス張りのショーウィンドウに流行の服を飾っている。だから初めてその様子を目にした時は何だか可笑しくて笑ってしまった。まあ、人間というのは見慣れてしまえば何とも思わなくなるもので、今では誰もそれを変だとも何とも思わなくなった。それが当たり前のようにすら思えるのだから本当に不思議だ。それで店の前を通り過ぎようと思ったその時、視界の隅っこに何かが入った。何だろう。立ち止まって見回すと、それは綺麗なショーウィンドウの上に残された昔の看板だった。昔、此処はA.BARALDI という名の牛肉(bovine) と羊肉(ovine) を扱う肉屋だったらしい。いったい何時の時代に存在したのか知らないが現在もちゃんと看板が残っていて、もし肉屋の主人や息子、家族親戚がこれを見たらきっと嬉しくなるに違いない。そしてこの今風の洒落た店の人達にしてもまた、この古い看板を店のチャームポイントの一つにも思っているに違いない。そうして気にしながら歩いてみると案外古い看板が新しい店の上に大事に残されていることが分かった。この気持ち。こういう考え方。多分、私がボローニャを好きになった理由のひとつだ。

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