大晦日

静かな1日。皆が息を潜めて一年が通り過ぎていくのを待っているようだ、と思っていたら夕方になると人の動きを感じるようになった。皆が何処かへと急いでいる様子ような気配。主要道路は車の往来が激しい。むやみに車のクラクションを鳴らし、夜中を待ちきれないらしい子供達が数々の爆竹を鳴らす。イタリアは爆竹や花火を盛大に鳴らして新しい年を迎えるのが慣わしだ。一人で、若しくは恋人と2人で静かに新年を迎えるのも良いけれど、大抵は沢山の人達が寄り集まって賑やかに食事してワインを飲みお喋りしながらその瞬間を迎える。そんな風にして迎かえた年は大抵活気のある楽しい一年になるものだ。私がアメリカのあの町で初めて迎えた新年は、町の真ん中のスクエアに設置された大きなクリスマスツリーの下だった。予想以上の群衆の中だった。私と友人はもみくちゃにされてこんな所にきたことを酷く後悔したが、そのうちカウントダウンが始まって新年を迎えた瞬間に人々がシャンパンの栓を抜き、知っている人知らない人構わず近くにいる人同士が抱き合って新年を迎えた喜びを分かち合うと、ああ、やはりここに来て良かった、と思ったのだった。あんなクレイジーな新年の迎え方は後にも先にもあれっきりで、大抵は家で気の合う友人達とシャンパンを抜いて大人しく過ごした。イタリアでは何かにつけてPorta fortuna (幸運を招くこと)を好むけれど、一年の最後をこんな風に過ごすのも多分Porta fortuna のひとつなのではないかと思う。昨年のように静かに迎える新年も良い。しかし今年に限っては賑やかに思い存分お喋りして楽しく新年を迎えたい。今夜は私が暮らす町ピアノーロでも花火が何十と上がり数え切れぬほどの爆竹が鳴り響き、田舎町にしてはびっくりするほど賑やかになる筈だ。ボローニャ旧市街のPiazza maggiore では恒例のカウントダウンの為に恐ろしいほど沢山の人が詰め掛けてスプマンテ(スパークリングワイン)の栓を抜いて大騒ぎになるだろう。私はそんな旧市街からもピアノーロからも遠く離れた所にある友人の家で、持ち寄りの料理とスプマンテと喉がからからになる程のお喋りと笑い声で新年を迎えるつもりだ。Porta fortuna。一年を締めくくって新しい年を向かえる。新しく迎える年が楽しい一年になることを願って止まない。

楽しい計画

家の郵便ポストを開けると封筒が入っていた。光熱費や電話代、カード会社や銀行から以外の封筒だった。これはかなり珍しく、大急ぎで差出人を確認するとブダペストの友人達からだった。封を開けると中にはしっかりした紙質のカードが入っていて、カードの表は20にも及ぶ扉の写真で埋められていて、写真の上にはBUDAPESTI KAPUK (DOORS OF BUDAPEST) と題名が記されていた。扉が好きで何処へ行ってもちょっと気にいった扉の前では足を止めて写真を撮らずには居られない、扉マニアの私にぴったりということで友人がこれを選んでくれたらしかった。ブダペストの街中を歩いていると目に飛び込んでくる扉たち。色といい形といい模様といい、どれひとつ同じでないのが私の関心を引いてくれる。厳めしいのもあり、可憐なのもあり。ブダペストの写真を見返すと如何に沢山の扉が私の目を引いたかがよく分かる。私は9回ブダペストに足を運んでたっぷり散策したからこの町のことは知っていると多少自負していたが、どうやらそれは錯覚だったようだ。これらの写真のどれひとつ、私は見た記憶がなかった。私の記憶、と言うのは時々自分でも凄いと思うのだけど、勉強以外のことの記憶力は奥深く、写真を撮ったみたいに鮮明に覚えているのだ。そしてそれと見た時に一緒にいた人、横を通り過ぎた人々、聞えた音や匂い、樹々がどんな風に揺れていたとかまでよく覚えている。これらの記憶が私の人生に役立つかと言えば殆ど役立たないと言っても過言ではないが、私の人生に色を添えてくれていることだけは確かである。それで扉の写真である。ひょっとしたら、と言うのがひとつあって、それをどうにかして確かめたい。かと言って差出人の友人に其処まで行って貰って本当にその扉がその場所にあるかを確かめて貰うのも何なのだ。9回目の訪問だったこの夏の旅行を終えてボローニャに帰ってきた時、ブダペストはもう充分見たから暫くはよかろうと思ったが、このカードを貰って確かめに行かなくてはならなくなった。いや、その言い方はずるいだろう。言い訳はよそう。私はブダペストが好きなのだ。それで写真を見てまたうずうずしてきたと言うのが本心なのだ。そうだ、扉を探しにブダペストへ行こう。ついでにまだ見ぬ近隣国にも立ち寄ってみたらよいだろう。と、早くも来夏の楽しみが出来てしまった。楽しい計画は幾つあっても良い。早すぎることなどひとつもない。そうだ、これから楽しい計画を沢山立てよう。このところ、少々塞いでいたのが嘘のように急に楽しい気分になった。

雨降りのボローニャ

当然と言えば当然。何しろ数日前はクリスマスだったのだから。それにしてもカレンダーを見て12月も残りあと3日と知って驚いた。一年が終わるってちょっと感慨深い。それで今年はいったいどんなことをしたのだっけ。そう自問してみたら驚いたことに胸を張って私はこれをしたと言えるものが片手の指ほども無かった。いったい何をしていたのだろう。ぼんやりと過ごしてしまったことがとても悪いことに思えて、しょんぼりしてしまった。それにしても寒い。数日前の暖かいアフリカからの風は長く続かず、あっという間に真冬の風が戻ってきた。昼過ぎに客人たちが来た。最近こんな風に時々客人たちがやって来る。それは良いことではあるけれど、私は旧市街へ行きたかったのだ。何しろ冬休みに入ってから家にばかりいてうんざりしていたのだ。客人たちが去ったのは夕方4時を過ぎていた。それから雨も降り出した。いつもならこの段階で家から出るのが嫌になるところだ。しかし私の外出したい欲望は自分でも驚くくらい大きかったらしく、そうまでしても出掛けたいのかと相棒に言われながらボローニャ旧市街へと向った。ボローニャ旧市街につく頃にはもうすっかり暗くなっていた。雨降りも手伝って、人の姿も疎らだった。ボローニャの旧市街に師走の言葉は似合わない。慌しい様子はなく、閑散としていて寂しいと思った。勿論12月31日の晩にはPiazza Maggiore に驚くほどの人が集まり恒例のカウントダウンで賑わうことだろう。でも、少なくとも今日のボローニャは、ちょっぴり物悲しい雰囲気を漂わせていた。雨に濡れた町が橙色の街灯に照らされていた。確かに、こんな雨の日の夕方に私は何をしにきたのだろう、旧市街まで。誰に会うでもなく、何を見るでもなく、今日と言う今日は本当に何の目的も無くただただ彷徨うだけだった。ふと思い出して町の真ん中にある靴屋へ向った。いや、靴と鞄の店、と言った方が良いかもしれなかった。10日ほど前にもその店に行った。店は既に大幅割引をしていて、常連客と通りがかりの客で混み合っていた。私はこれまでにこの店の割引を利用して何度か買い物をした。この店の割引はごまかしが無いのでとてもお得だ、と思っている。それであの日、私は黒い上質の革で出来た丈の短いブーツを試したのだ。格好が良かった。ただ、強烈に欲しいと感じなかったので、ちょっと考えると言って店を出たのだ。私の買い物はいつもそうだ。これだ、と感じれば店の人も驚くほど直ぐに買うことを決めるが、感じるものがない時は幾ら素敵でも良いものでも買う決断に至らないのだ。なのにもう一度見たくなった。やはりあれはいいブーツだった、と、もう何日も考えていたからだった。ところが店の前に行くと驚いたことに店は閉店していた。閉店。完全なる閉店。つまり店が無くなっていた。大きなガラスのショウウィンドウには模造紙が張られて中が見えないようになっていたが、隙間から見える店内はもぬけの殻であった。そうか、冬のセールにしては早いと思っていたが閉店セールだったのか。気が付いた時にはもう遅い。ブーツどころか店ごと存在しなくなってしまったのだから。その現実を受け入れがたくていつまでも店の中を覗いていたら、背後で女性が声を上げた。え、閉店、閉店なの? 私は振り向いてゆっくり首を立てに振り、そう、閉店なのよ、と言った。私達は肩を並べて模造紙の隙間から暫く中を観察した。そしてどちらからともなく店の前から立ち去った。年末に店を閉めるのは寂しいなあ。そんなことを考えながら見た雨降りのボローニャの町は益々寂しそうに見えた。

郷愁

あまりホームシックになることは無い。でも時には堪らなく日本へ帰りたいと思う。ただ、その周期が普通の人よりも長くて、何年に一度やって来る訳だ。それは日本への郷愁というよりは私の家族や友人達への郷愁で、つまり人間が恋しくなるのだ。例えば私が暫くボローニャを離れていてボローニャを恋しいと思うときは町が恋しいわけで人間関係への郷愁ではない。生まれ育った日本ではあるが、国よりも私を取り囲む人々への想いのほうがずっと強いと言うのは、つまり私はそれだけ人々と強いつながりを感じていたからなのだろう。私は自慢ではないが友人と呼べる人が少ない。知人や友人に限りなく近い存在は山ほど居るけれど、これが私の友人、と心から呼べる人は割と少ない。それを昔は寂しいことだと思ったが、よく考えてみると心から友人と呼べる人がひとりだっていることは大変な幸運であることに気がついた。毎日会うでもない、毎日電話で話すでもない。でも、何か大切なことを話したい相手が居て、それを聞いてくれる相手が居る。気持ちの一方通行でないことがとても嬉しいと思う。まだメールなんて便利なものが無かった頃、私と友人達は頻繁に手紙を交わした。寂しいなあ、と思っている時にまるで見抜いたみたいに手紙が届く。文頭にボローニャの生活を満喫してますか、と書かれているのを見ては、はい、満喫するよう心掛けます、と手紙に向って誓ってみたり。数え始めたら両手の指では納まらないほど沢山ある不安や悩みよりも、今ある小さな幸運をひとつひとつ数えてみることを手紙に記して教えてくれた友人も居る。考えてみれば慣れない生活の中で私はいつも友人達に支えられていたように思う。何しろ私は頑固なくせに直ぐに弱音を吐くので、友人達も放っておけなかったのかもしれない。でも、そんなおかげで私はいつも皆に支えてもらって今日までやって来た。私の友人達は一様に地に足がついていて、立派な人たちばかり。私のように弱気を吐く人なんていやしない。私の手など必要とする人なんて居ないように見える。それでは何時か別のことで恩返しが出来たらよい。友人達がボローニャを訪れるようなことがあったら、そんなことがあった、こんなことを考えたと話しながら、暮らしていく中で見つけた私の目線から見たボローニャの道案内するのもよいだろう。ボローニャのどの道もどの広場にも様々な私の想いが詰まっている。昨日、収納家具の奥底から老朽化して今にも切れそうな輪ゴムに束ねられた手紙の束がごっそり出てきた。その幾つかを開いて読み始めたら有難くて涙が沢山零れた。久し振りにひとしきり泣いたら体が冷えたのだろう、風邪を引いた。ホームシックな上に風邪を引いて、冴えない日曜日になった。

安眠

随分静かだと思ったらいつの間にか雨が降り始めていた。窓の外側に取り付けてある日除け戸を閉めようと窓を開けるまで全く気がつかなかった。そのくらい静かな雨だった。数日前とは比べようもないくらい温暖だが、昨日のようなわくわくするような温かさは何処にも無い。霧雨のような細かい雨、しんしんと身体に染みこむような冷たい雨だった。サント・ステーファノという名の今日は、昨日に引き続き祝日。近所の人たちはいったい何処へ行ってしまったのか、物音ひとつしない。何処かへ小旅行だろうか、それとも家で静かにのんびり祝日を過ごしているのか。私は数日前から一年を奇麗に締めくくる為の片付けに夢中だ。夢中というと楽しそうに聞えるけれど、別に楽しんでいるわけではない。残り数日になった今年のことを今年中に何とかしようとか、不要なものを処分してみたり、乱雑になっている書類を整理してみたり。手をつけ始めると終わりが無いのではないかと思われるほど次から次へとすることが見つかった。何しろ何年もそんな片付けごとをしていなかったから、自分でも驚くほど沢山あるのだ。しかし私は切羽詰っていないのだろう、出て来たものを開いては色んなことを思い出し、暫くその手が止まってしまう。寝室に置かれた小さな家具の小さな引き出しを開けたら石ころがでてきた。石ころと言っても道から拾ってきたものではない。多分、河や海辺で拾ったに違いない不恰好で丸くて平たい石。真珠色に色付けされている。上面には優しい顔の天使が描かれていて、天使は石ころを手のひらに乗せた私をじっと見上げているように見えた。忘れていたな、こんな所にしまいこんでいたのか。それは2年前の12月の半ば頃、隣の会社の女性社員がクリスマスに贈ってくれたものだった。彼女は何人も居る隣の会社の社員の中でもとりわけ賢くて優しい、本当の意味での物事の良い悪いがよく分かる女性だった。私よりもずっと若いのに、時々通路で私を呼び止めては、どうしたの? 話してごらん? と私の肩を抱くのだった。それで2年前のクリスマス前、同じように私を通路で呼び止めて小さな包みを手の上に乗せてくれた。包みを開けるとこの石ころが出てきた。枕元に置いてね。天使があなたを見守っていてくれるから、安心して眠れるの。そう、彼女は照れながら教えてくれた。私は彼女の気持ちが嬉しくて、有難うはもう充分! と彼女が遂に言ったほど、抱きついて何度も有難うと言ったのを覚えている。彼女が言ったとおり不安や心配事を一切忘れて安眠できた。その石ころを何時だったか引き出しの中にしまいこんで、すっかり存在を忘れてしまった。あれから私の職場が引っ越して、彼女と会うことも無くなった。彼女、どうしているのかな。元気にしてるといいけれど。手のひらに乗った天使の石ころを指で撫でてみると天使が嬉しそうな顔をしたように見えた。枕元に石ころを置いた。今日からまた安眠だ。