12月への入り口

12月を目前にして私達の心は冬休みのことで一杯だ。不景気と言えど楽しみ無くしてどうしてやっていけばよいの? と言うわけだ。イタリア人に限らずイタリアに暮らしていると日本人の私だってそんな風になるけれど、それは決して悪いことではないと思う。多分それは国籍に限らず、生活を楽しむこと、人生を楽しむことを知っている人ならば多少なりとも休暇を心待ちにするのではないかと思う。長い休みになると何をしてよいか分からないと言う人がたまにいる。世の中には色んな考えを持つ人が居て良い筈だから非難する気はないけれど、私には理解できない話である。私にとって纏まった休暇とは、神様からの贈り物、幸せ、に等しい。これが無かったら生きていけないといっても過言ではない。それでいて私はこの冬の休暇の予定を立てていない。恐らくボローニャにいるだろう。でもちょっとバスに乗って郊外へ行ってみようとか、車でフィレンツェまで足を延ばしてみようかとか、ボローニャの旧市街をくまなく歩いてみようかとか、それとも久しく会っていない友人知人と会う約束をしてみようかとか、考え出したら芋づる式にしたいことが出てくる。日本へ行くとか近隣国でクリスマスを迎えるとか、スキーへ行くとか小耳のはさむと旅行をしたくてむずむずするが、たまにはボローニャで冬の休暇も宜しい。町はクリスマスを迎える準備が着々と進んでいる。寒いながらもこの季節は美しい。特にすっかり陽が沈んでひと気が引いた夜遅くは。静かで穏やかな11月から華やかで美しい12月へ。不思議な気分だ、数時間後にはもう12月だなんて。

小さな楽しみ

待ちに待った土曜日に雨が降ると少し辛い。もっとも昨日は北の方からモデナ辺りまで雨の予報が出ていたし、夜11時を回った頃にばらばらと霰か雹でも降ってきたのかと思うような音を立てて大粒の雨が降り落ちてきたのだから心の準備はちゃんと出来ていたのだけど。しかし目を覚まして窓の外の様子を窺うまでも無く、眠りのかなで雨降りを知った時の失望感といったらなかった。今日は是非散歩を楽しみたいと思っていたのである。そんな雨のせいで家に篭ることになった。外を歩く人はいないらしく、人の声ひとつしない。案外良いものだ、そんな一日も。と、思いがけず静かな雨の日を楽しむことになった。昼過ぎに思い出した。先日ボローニャ旧市街を歩いていた時に急に雨が降ってきた、其の時に思い出したことだ。
小雨が降ってきたので私は急いで身をポルティコの下に隠した。頭だけをひょいと外に出す。雨雲を見上げながら自分の小さな変化に気がついて、小さな笑いを抑えることが出来なかった。もっと前の私は、こんな小雨を素敵だといって傘も差さずに雨の中を踊るように歩いたのに。何時から私はこんな風になったのだろう。勿論それは健康上の理由もあるのかもしれなかった。近年、私の扁桃腺は酷く敏感なのである。そんな扁桃腺を刺激しない為に私は寒さや疲れ、ストレスに異常に気を使っているのだ。雨に濡れない、というのもとのうちのひとつなのかもしれなかった。私が雨の中を躍るように歩くようになったのはアメリカに暮らしていた頃知り合ったアンバー(琥珀)という名の少女がきっかけだった。彼女はクリスタル(水晶)と言う名の母親と年上の兄と私が暮らすフラットの下に住んでいた。メキシコ人の血が混じった彼女は一際輝いていた。確か10歳にもなっていなかった筈だ。近くのミッションスクールに通う彼女が学校の友達と歩いて帰ってくると近所の誰もが声を掛けた。可愛いアンバー。アンバーの可愛さは外見だけでなくて性格や考え方も子供らしくて素直で可愛かったから、近所の誰もが愛しい妹、娘、孫のように可愛がった。ある夕方雨が急に降り出した。シャワーと言うのがぴったりの、言うなれば天気雨のようなものだった。すると彼女は突然家から飛び出して雨の中でふわふわと踊り出した。母親が、アンバー、風邪を引くから家に戻りなさい、と言うと、もう少し、もう少しと言いながら楽しそうに踊り続けた。彼女は雨が好きらしかった。その後私は彼女が雨の中で楽しそうに踊っているのを何度も見かけた。私は勿論彼女ではないので踊ることはしなかったが、彼女がどうしてあの雨を楽しんだのかをその後分かるようになった。天の恵み。神様からの贈り物。そんな感じがした。それで傘も差さずに雨の中を踊るように歩くようになった。あのフラットに暮らしていた頃、私の家に友人が頻繁に立ち寄った。特に夕方7時頃、鍋にたっぷり湯を沸かして、今まさにパスタを入れる瞬間になると呼び鈴が鳴った。窓の隙間からソースのいい匂いがしたのだろうか。入れ替わり立ち代り違う友人達が家に来るが、何故かいつもそんな時間帯であった。それで大抵友人が加わっての賑やかな夕食になった。今思えばあの頃の私の生活は時間に全く自由だった。今の生活とは白と黒ほどの差がある。自由だけど不安定な生活だったあの頃と、安定しているが枠に嵌った今の生活。どちらが良いかは別として、あの時間の流れが時々懐かしくて堪らなくなる。
一瞬のことだったにしては随分沢山のことを思い出したものだ。外の雨は止んだが、濡れた地面は乾く気配もない。其のうち夕闇がやって来て、じっとりと暗い夜になるのだろう。さあ、そろそろ支度をしようか。今夜は友人の家で夕食会だ。美味しい食事に合う、ヴェネト州の白のスパークリングワインと美味しいお菓子を持って行こう。こんな長い夜のじっとりした季節にだってそれに合った生活の楽しみ方があるのだ。小さなことも楽しいと思える人間でありたいと久し振りに思い出して、それを忘れなかったことに感謝した。

風も吹かないのに街路樹のプラタナスの葉がかさかさと音を立てながら落ちていく。その様子を見ながら本当に冬がやってきたのだと思う。少し前まで黄色かった葉は、今はもう完全な枯れ葉だ。近所の老人が毎朝枯れ葉を掃除するのを窓から眺めるようになっていったいどの位経っただろうか。掻き集めても掻き集めても一向に終わらない。そんな様子を眺めながら私は、放っておけばいいのに、どうせまた枯れ葉が落ちるのだから、と呟く。それでいて翌朝になるとそんな老人の姿を見るために窓辺に立って様子を窺う。でもそれも多分あと数日で終わるだろう。もうそんな季節なのだ。夏が終わったと同時に私の生活は自分以外の人達を軸に回るようになった。もっとも、もう何年も前からそんな風ではあったけれど、いつも私はそれだけにならないように目と気持ちを外へ外へと向けてうまく調和させていたのだと思う。ところが今回は上手く行かず、ゆっくりと回る観覧車に乗ったら最後、降りるチャンスを失ってしまった。そんな感じであった。私は少し諦めていたのかもしれなかった。今までだってそうだったのだから、これからだってずっとこんな感じでいくのだろう、と。ただ、それは全然私らしくなくて、自分の中にいる本当の自分がびっくりした顔をして私を見つめているのを感じていた。金曜日の晩、友人達と旧市街をぶらついた。ぶらついたと言うのは本当は正しくなくて、目的地はちゃんとあったのだ。しかし目的地へ行ってみると全く期待はずれだったから、さっさと其処を後にしてひと気の少ないボローニャの夜を歩くことになったのだ。私達はどこかに腰を降ろして、気分転換にちょっとした食前酒を楽しめる場所を探していた。それで一番無難な場所ということで、ボローニャの中心に在る、7つの教会郡と呼ばれるサント・ステーファノ教会の近くの店に入った。好みのお酒を頂きながら私達は小一時間お喋りに耽った。私達に特別な話題があった訳ではない。事実どんな話をしたのか思い出そうとしても思い出すことが出来ないくらいだから、大した話はしなかったのだろう。それとも美味しいワインのせいで気分が良くて忘れてしまったのかもしれないけれど。ひとつだけ覚えているのは、こんな楽しみがあることを忘れていたなと思ったことだった。実際こんな楽しい気分になったのは夏の終わり以来だった。私達の楽しいお喋りは時間と共に幕を閉じたが、私は自分の中で閉じていた幕の隙間から小さな光を見た。そうだ、もっと外に出よう。目を心を外に向けて、時には全てを置いて外に出よう。諦めるのはまだ早すぎる。今までそうだったけど、これから変えていくことは可能なのだ。店を出て人のいないポルティコの途中で友人達と別れた。さっき見た隙間の小さな光に心が小躍りした。響き渡る自分の足音を聞きながらひとりポルティコの下を歩いた。自分の中にいる本当の自分が喜んでいるのが分かった。

気持ち

土曜日。あっという間にやって来た。忙しいのはいつものことだ。でも、自分のためでないことで忙しいのは案外くたびれるものであることを実感する一週間であった。体が辛くてわざと朝寝坊した。風邪を引いたでもない、熱があるでもない。単に疲れ過ぎていただけだ。それも体の疲れだけでなく、ほんの少し心の方も疲れているようだった。だから目覚まし時計の針が9時を指しても10時を指しても起き上がる気になれなかった。遂に起きる決心をしたのは、なんてことはない、空腹を感じたからだった。これは良い。健康な証拠だ。何故って具合が悪くて寝ているときは空腹すら感じないで昏々と眠り続けるからである。大きなカップに注いだカフェラッテにビスケットを浸しては口に運ぶ。こんな朝食を母が見たらきっと驚くに違いない。昔はこんな朝食に嫌悪感すら感じたと言うのに、いつの間にか慣れてしまった。生活習慣というのはそんなものなのかもしれない。窓の外は霧が立ち込めていた。太陽が出る様子はなく、重苦しい鼠色の空が辺りを覆っていた。さて、こんな日はどうしたものか。考えた挙句、バスに乗ってボローニャ旧市街へ行くことにした。昼食時のバスは空いていた。おまけに道も空いていた。それに反して旧市街は大変な混み具合だったが、丁度催されるチョコショウのせいらしかった。Piazza Maggire に設置された白い大きなテントの下に幾つものチョコレートの出店が並んでいた。人々は手に手に温かいチョコレートが入ったカップを持って、いい匂いを放っていた。濃厚なこの温かいチョコレートの飲み物を初めて頂いた時にはその重さを嫌ったものだが、これも朝のビスケット同様に慣れてしまえば美味しいのである。特にこんな季節には、その存在を有り難いと思うほかない。ところが大変な人混みで、どうしてもテントの中へ足を踏み入れる勇気がなかった。それでその代わりにガンベリーニへ行くことにした。そろそろマロングラッセがあっても良い筈だった。店に入ると、あった、マロングラッセ。カップチーノにマロングラッセをふたつ頼んだ。美味しい。昨年よりずっと美味しかった。そうだ、一昨年と同じくらい美味しかった。それで店の人にそれを伝えると、とても嬉しそうな顔を見せてくれた。店を出て町を歩きながら考えた。この一週間のことを振り返った後にイタリアに来てからのことに思いを馳せた。誰のせいでもない。イタリアに来たことも、今もここに居ることも成り行きとは言いながらも全て自分で決めたことだ。だから良いのだ。でも。私はここで何か自分の為にしていることはあるのだろうか。今思いついた疑問ではなかった。本当はずっと前から心の底に見え隠れしていて、気が付かない振りをしていたのだと思う。昨夜疲れ果てて深い眠りに落ちていきながら、そんなことが思い浮かんで道を失ったような気分になった。だから今朝疲れていたのはそんなことが理由だったのかもしれなかった。それから頑張ることにも疲れてしまった。そんな気持ちになったのは、鼠色の空のせいだろうか。ぐるぐると歩き回り、幾つもの角を曲がり、小さな店の前で足を止めた。Piazza Maggireから直ぐ其処の手袋屋さんだった。12月になるとその小さな店内が満員バスのようになる程、人気の店だ。ショーウィンドウの下の方に私によく似合うであろう、柔らかそうな革の手袋を見つけた。ふと目の前にある手袋を試してみたくなって店の扉を押し開けた。この店の娘が丁寧に迎えてくれた。娘といっても若い娘ではなく、多分40歳前後の娘である。飛び切り美人ではないけれど、イタリア人女性には珍しいタイプのもの静かで控えめで押し付けることの決して無いこの女性に、私は初めて会った数年前から強く惹かれるものを感じていた。さて、例の手袋を試すとぴたりと合った。驚くほど早く決心がつき、ええ、これにします、と言う私に彼女は少々驚いたようだった。しかしそのあと彼女は言ったのだ、ご褒美ですか、と。私は開いた口が塞がらない上に零れる笑みを止めることが出来なくなった。彼女は良い。感じが良いばかりでなく人の気持ちが分かる人らしい。そうなんですよ、自分へのご褒美なんです。そう言って店を出た。小さな手提げ袋に入った気に入りの新しい手袋。それから素敵な女性と言葉を交わしたこと。すっかり気分が良くなり、口元に笑みが生まれた。さっきまでの心の中で縺れて絡まった気の迷いも疲れも、多分もう大丈夫だろう。銀杏の樹に絡みついたライトが青白く光っている。もう直ぐ12月。

迷路

ボローニャを初めて訪れたのは今から16年前のことだ。私と相棒は4週間の休暇をとってボローニャに暮らす相棒の両親を訪ねがてら、ボローニャから少し足を延ばすのが目的だった。3月中旬のボローニャは肌寒くて人々は一様に厚着をしていた。着いたその日はタクシーのストライキで、稼動しているタクシー数台が夢中になって仕事していた。ミラノからバスに乗ってボローニャ駅に到着したらタクシー乗り場の前に長蛇の列が出来ていて、そうでなくても長旅で疲れていた私達はへなへなと地面に座り込んでしまいそうだった。小一時間待ってやっとタクシーに乗った。車窓から見るボローニャの景色は殺風景でごみごみしていて、本で見たボローニャとは全然違うことに落胆した。今思えば仕方のないことだった。タクシーは旧市街を通ることなく両親が暮らす郊外へと走っていったのだから。だから翌日バスに乗ってボローニャ旧市街へ行くなり、そうだ、これが本に描かれていたボローニャだ、と安心した。旧市街の中心にあるタクシー乗り場には空車が十何台も置かれていて、運転手は車の外でタバコをふかしていた。昨日のストライキがまだ続いているらしかった。タクシーがこんなにあるのに誰も客を乗せない。その様子は一種のカルチャーショックでもあった。その中に見覚えのある顔を見つけた。昨日の運転手だった。成る程、今日は彼もストライキに参加なのか。そう思っている隙に、相棒はするすると運転手に近づいて話しかけた。ひとしきり話して私のところに戻ってくると、今回のストライキは少なくとも3日間は続くそうだ、と言った。3日間のストライキなんて。確かそんな風に思ったけれど、ボローニャに暮らし始めてからこの国は、いや、欧羅巴はそんなストライキが案外多いことを知った。今では驚きもしないけれど、恐らく日本やアメリカからやって来る人達がストライキに遭遇したら、あの頃の私同様に新鮮な驚きを感じるに違いない。やると言って中止になることはあまりない。やると言ったら本当にそうなると思う方が気がらくだ。望みを掛けるだけ無駄なのだ。そういうことも長い年月を通じて学んだ。それで16年前のことだけど、ボローニャ旧市街の地図を見て頭を抱えた。決して広くはない、しかし何と道が入り組んでいるのだろう。しかも数ブロック行くと道の名前が変わってしまうのだ。地図を見ながら歩いても、そのうち地理感を失って迷ってしまうのだった。まるで迷路を歩いているようで、歩いても歩いても目的地に着くことが出来なかった。この町で生まれて育った相棒も役に立たなかった。2人で迷路の中をうろつくばかりだった。あれから私の地理感はかなり向上して地図無しで何処へでもすいすい歩くようになったけど、未だにここにくると訳が分からなくなる、という場所がある。人は笑うかもしれないけれど、Via Riva di Reno 界隈。魅力的で謎が詰まった界隈。私にとってはいつまで経っても手に負えない界隈なのだ。この冬はこのあたりを探求してみようか。小さな発見があるかもしれない。