憧れのペン

人々がサン・ペトロニオ教会の左脇の通り、Via Archiginnasioを歩く頻度はとても高い。市民にしても旅行者にしても、私にしても。道の半分はポルティコに覆われているから、夏の強い日差しや強すぎる風、雨や雪を逃れて通行することが出来る。人々がこの通りを歩く理由は多分其処に気の利いた、洒落た店が連立しているからだろう。並ぶ大きなガラス張りの靴屋や服飾店の前で足を止めては歩き、また足を止めてなかなか先に進まない。Via Archiginnasio とVia de’Foscherari の角にモンブランの店が出来た。出来たと言っても最近出来た訳でなく、もう何年も前に出来たのだ。その前はどんな店だったのか。何百回と前を歩いている筈なのに幾ら考えても思い出すことが出来ない。この店にはまだ一度だって足を踏み入れたことがない。縁がないから、ではない。関心がないから、でもない。それどころか私は昔からモンブランのペンに憧れていて、関心だけは人一倍持っている筈である。私が手紙を書き出したのはまだ小学生の時だった。字は正直言って上手くない。毛筆は好きだったが、かといって下手の横好きと言った感じで、大抵の場合は褒めようもないので堂々としているとか、伸び伸びとしているとか、当たり障りのない評価しか貰えなかった。ペンや鉛筆で書くのは苦手だった。兎に角苦手だった。それのに手紙を書くようになってから、下手ではあっても字を書くことを嫌だとは思わなくなった。私が初めて得た文通相手は遠くに住む同じ年の少女だった。どんな風にして知り合ったのか幾ら考えても思い出せないが、見えない少女に自分のことや自分を取り巻く環境のことを報告したり言葉を交わすのは案外楽しかった。そのうちどちらからともなく書かなくなってしまったが、あの年齢の子供たちにしては根気よく続けられたと思う。あれを通じて手紙を書く楽しみを知った。10代の終わり、ある店でモンブランのペンを見つけた。黒光りしたそれを美しいと思った。欲しいとも思った。私の手の中に自然に納まると、すらすらと文字を書けるような錯覚にも陥った。それでいて、駄目駄目、と自分に言った。当然そんなお金は無かった。しかしそれよりも見分不相応な感じがしたのだ。それで小さなガラスケースの中に納められた美しいペンを見つめながら、何時か私がこのペンに似合う大人になったらば、自分への褒美として購入しようと決めたのだった。20代半ばにクロスの銀製のペンを買った。高価なものではなかった。でも書き心地が良かった。書きながらモンブランはどんなに素晴らしい書き心地なのだろうと考えた。あれから何年も経ち私はいい大人になったが、あの憧れのペンはまだ手に入れていない。あのペンは憧れなのだ。多分今の私ならもう手の届かないものではないに違いないけれど、憧れはそう簡単に手に入れてしまってはいけないような気がするのだ。だからなのか、私はこの店の外からこっそり覗き見ることはあっても中に足を踏み入れることはない。時々店に吸い込まれていく人々を見ては、ひょっとして彼らはあの美しいペンを購入するのだろうか、などと思っては羨ましく思い、それでいて、ううん、私のご褒美はもっと先、と自分に言い聞かせる。

有意義な時間

Il Vignola (イル・ヴィニョーラ)とも呼ばれていたJacopo Barozzi の屋敷は約440年前に建てられたものだ。広場に面してどっしりと腰を降ろしたように存在する。この建物の正面玄関から入って直ぐ右手には老人達に丁度良い社交スペースが在り、その先の右手奥にはビリヤードの部屋、それから入って左手奥には地元料理を振舞うお食事処、その手前つまり玄関を入って直ぐ左手にはバールがある。前に来た時は玄関扉が閉まっていたので分からなかったが、どうやらここは町人達に気軽に利用されているようであった。社交スペースの椅子という椅子は老人達で塞がっていて、彼らは夢中になってカード遊びをしていた。ふと思い出した。昔、舅姑のご近所さんの奥さんがぼやいていた。うちの旦那は朝食を済ますと姿をくらます。昼食時間になると何処からともなく現れて、昼食が済んでちょっと昼寝をしているなあと思っていれば、いつの間にかまたいなくなる。一体何処に行くのだろう、よそで若い女と会っているのでは、と思ってある日後をつけていったらね、バールの奥でカード遊びに興じているじゃないの。次の日も、次の日も。ああ、良かったとほっとしたけど何だか腹が立ってねえ。と、60を過ぎても毎日孫の世話と家事仕事に忙しい奥さんが、買い物帰りの途中に会った私達にそうぼやいた。あの時は何の実感もなかったけれど、そうかこんな感じだったのかと分かったら、あのときの奥さんの悔しさが何となく分かったような気分になって笑いが後から後からこみ上げてきた。バールに行ってカフェを注文した。バールの店内は私の好みではなかった。もう少し何とかならないのか、と言いたくなるような内装だった。ところが出されたカフェを一口飲んで驚いた。美味い! と思った瞬間に口から声が漏れた。Buono! すると店の主人が顔を輝かせて、そりゃそうさ、モデナのカフェだからね、と言って胸を張った。すると私達の横に立っていた男性が、こいつのカフェを淹れる腕もいいけどね、やっぱりモデナのカフェだからね、と言った。ボローニャ県人はボローニャをひたすら自慢するがここもまた、モデナ県人はモデナを思い切り自慢するらしい。しかし本当に美味しいカフェであった。だから、カフェはモデナが美味しいと素直に同意すると、今度は店中のみんなが嬉しそうに顔を輝かせた。いいな、嬉しいことを素直に表情に表す人達って。私達は店の主人と客達に挨拶をして店を出た。さて、私達の本当の目的地はこの建物の奥にある美しい螺旋階段だ。La scala a chiocciola と呼ばれるこの階段を見なくて。これを見ずには帰れない。テッラ・コッタの階段がぐるぐると上まで続く。天井には美しいフレスコ画が施されていてそれを見ながら登っていくと自分が今何処に居るのか分からなくなってしまうので要注意だ。階段の途中には例の音楽院の入り口があり、開け放たれた扉から学生達の美しく弾力のある歌声が流れ出る。歌声は螺旋階段の上に下に反響して、一瞬オペラの中に迷い込んだような錯覚に陥る。それほど高さのある建物ではないからあっという間に最上階に辿り着き、そしてまたあっという間に地上階に下りてきてしまう。全くあっという間だけど、一瞬の夢を見るには丁度良いのかもしれない。美しいもの、歴史的に価値あるものを保つのには沢山の資金が必要だ。昔は町がサポートしていたようだが近年は殆ど個人負担らしい。だから沢山の歴史的建築物や芸術が朽ちてゆく、と通りすがりのシニョーラが言っていた。僅か数時間であったが有意義な時間を過ごしたようだ。沢山の宝物がポケットに入っているみたいに豊かな気持ちになってこの町を後にした。

Vignola (ヴィニョーラ)・町歩き

ヴィニョーラの町なかは静かだった。多くの店は昼休み中で、町の人々もまた昼食後の休憩を自宅で楽しんでいるようだった。教会の横のバールには幾人かの老人達が陽を浴びながらカード遊びをしていたが、それ以外は殆どひと気がなかった。教会の前から真っ直ぐ伸びる道も左右に走る道もアスファルト舗装はされていなかった。河から集めてくるのか色とりどりの丸い石と赤茶けた煉瓦を敷き詰めている。雨が降ったら雨水が嫌でも道の中央に集まって下水道へと流れ込む仕組みまでされている。誰が一体考えたのか、なかなか賢い上に美しい。しかしこの石畳では自転車はさぞかし走り難いに違いない、と思っていると後ろからチリンと自転車のベルを鳴った。黒いハンチング帽を被った、推測するに80歳は下らないであろう老人が背後から自転車でやってくるところだった。ポルティコの下を我が物顔で通行する自転車に乗った老人は、危ないよ、どいてくれ、と言わんばかりにまたベルを鳴らした。自転車は路上ではなくポルティコを走るらしい。そういえばこの町のポルティコはボローニャのそれよりも幅広である。何となくこの町のルールみたいなものが分かり始めた。しかし老人ばかりだ。若者は何処で何をしているのだろう。ヴィニョーラの小さな旧市街を巡る石畳をなぞりながら歩き回った。そして気が済むと広場へと続く古い厚みのある門をくぐった。町の真ん中に存在するヴィニョーラの城もまた昼休みだった。城と呼ぶには小さすぎる、が確かに中世の時代に城として使われていた。城の周囲には堀が設けられているが堀の直ぐ向こう側には民家が建てられていて、その様子を見るのはなんとも可笑しい。あの民家の窓からは城が見えるのだろう。毎日朝のカフェを淹れながら、それから夕食の用意をしながら城を眺めるのだろうか。ちょっと羨ましい。城の門が開くのを待つ夫婦が腰を下ろして日向ぼっこしていた。子供達はじっとしていられないらしく、奇声を上げながら広場のあちらからこちらへと走り回り、たまに転んでは大声で泣き、そして気が済むとまた奇声を上げて走り回った。城の中一度だけ入ったことがある。あの時は中で何かの会合があって閉館だった。がっかりしていると丁度中に入ろうとしていた館員がちょっとだけならと中を見せてくれたのだ。実際本当にちょっとだけだった。でも館員の気持ちがとても嬉しかった。イタリアならば当たり前の昼休みだけど、ヴィニョーラの昼休みの徹底さには完敗だった。多分この町はこれで良いのだ。町の人達もまたこのリズムで生活しているに違いない。広場の右手から歌声が聞えてきた。美しい振動のようなテノールだった。バロッツィの館 (Palazzo Barozzi) の二階に音楽院があるのだ。そして私達はテノールに誘われて館のほうへと歩き出した。

Vignola (ヴィニョーラ)

3日間雨が降った。正確には丸3日ではない。しかし3日連日雨空を見て過ごした。昨晩の雨といったら全く憂鬱になった。窓から外の様子を覗き見ては声もなく溜息をつくばかりだった。雨脚は緩むどころか激しくなる一方で、街路樹は風雨に揺さぶられていた。強い風雨にもぎ取られたプラタナスの葉が路面に張り付いていた。ああ、これでは駄目だろう。明日も雨に違いない。折角の週末に雨が降るのは残念だった。何故なら電車でヴェネツィアへ行こうと考えていたからである。雨の日のヴェネツィアは宜しくない。それで土曜日の朝は雨音に耳を澄ましながら遅起きすることに決めた。それでゆっくり起きた。少し前まで雨が降っていたのだろう、外は湿気てテラスの植物達はずぶ濡れだった。空は鼠色だった、が隙間から微かな明るい光が見え隠れしていて、午後から晴れる予感がした。何しろ遅起きしたのであっという間に昼になった。私が予感したとおり空は次第に明るくなって久し振りに気温が上がって楽しい午後になりそうだった。それで提案したのだ、ヴィニョーラへ行こう、と。ヴィニョーラはボローニャの中心から北西に約35km行ったところに在る町である。ボローニャ県ではなくてモデナ県に属する。たった35km行っただけで空気の違いを感じる小さな、落ち着いた文化的な町、と私は思っている。この町には時々急に行きたくなる。発作的に行きたくなるのだ。理由は分からない。多分単に私と相性が良いのだろう。初めて訪れたのは6年前のことだ。アメリカからやって来た友人とモデナへ向う途中だった。友人は誰からかモデナは素晴らしい町だと聞かされていたらしく、モデナへ行けることをまるで子供のように喜んでいた。その途中でこの町を見つけた。見つけたといっても相棒はこの町の存在を知っていたので正しい表現ではないかもしれない。でも、私にとっても友人にとっても思いがけず宝石を道の途中で見つけたような感じがしたのだった。モデナへと心が急いでいた友人だったが一旦この町を見てしまうと酷く気に入ったらしく、いつまで経ってもモデナへと出発しようとしなかった。それで私達は折角ここまで来たのだからモデナへ行こうよ、と友人に言い聞かせなくてはならなかった。あれから私は何度か足を運んでいるが一向に飽きる気配はない。それどころか行く都度、もっとこの町を好きになる。相棒は呆れた顔をしていたが、多分彼もまたこの町が好きなのだろう、やれやれと言いながらも車を北西へと走らせた。実際、午後は良い天気になった。ボローニャの町を離れると景色は一変して小高い丘の斜面に葡萄畑、ぽつんぽつんと建つ大きな昔の屋敷、そして収穫がとっくの昔に済んでしまった果樹園が広がった。それに所々に雲の群れのある青空が加わり、まるでルネサンス時代の風景画のようだった。上出来だ。自分が描いた訳でもないのに誇らしくすら思った。そうしているうちに私達はヴィニョーラに到着して、町歩きを始めた。

10月の雨

朝から雨が降っていた。夜明けの時間になっても空は暗かった。厚い雨雲が空という空に立ち込めているからだった。まるで一瞬の隙も見せてはならぬ、と言っているかのようだった。雨音で目が覚めた。決して雨脚が強かった訳ではなかった。それどころか静かに、しかししっかりと降り落ちてきて私の眠りを一瞬妨げたのだった。ああ、今日が土曜日だったらいいのに。雨音を聞きながら眠るのは案外気持ちが良いもので、暫くの間耳につくがそのうち眠りに陥って安眠できる、ような気がする。しかし今日はたったの木曜日だ。そんなことを考えながら寝床から抜け出てカフェラッテを淹れた。雨は昼過ぎまで降り続いた。しかし雨の日と冬特有の湿度は路面を乾かすことはなかった。夕方ボローニャ旧市街へ行った。最近は夕方7時ともなればすっかり夜で、ボローニャの橙色の明かりが美しい。今年もまたこの季節になったのか、と思う。この季節とは私がローマの生活を辞めて再びボローニャで生活を始めた季節だ。あの頃の私に不可能なことはひとつも無くて、ボローニャに相棒を残してローマに仕事を求めた。求めたところ仕事が見つかり、私は失いかけてた自信と自分自身と勇気を取り戻す為にひとりローマで生活した。幸運なことに良い人間関係と職場に恵まれ文句の付けようもなかったが、一向にローマで暮らす気になれない相棒を放っておくのも宜しくなかろう、と自分の意思でまたボローニャに戻ってきたのだ。自分で決めたので清々しかった。後悔もなかった。ただ、その後暫く定まった仕事に就けずに辛かった時期は、何と愚かな決心だったのだろうと自分自身を酷く攻めた。でも攻めたところで過去に戻れる筈もなく、それでも自分で決めることが出来たのだから良かったではないかと自分を慰めた。もし誰かに無理やり帰ってくるように言われたのなら、私は悔やむに悔やみきれなかったに違いない。秋と冬の間、晩秋と呼ぶと良いのだろうか。あの年の10月は雨が多くて来る日も来る日も雨だった。折角ボローニャに帰ってきて新しく始めようとしているのに、その雨で気持ちが萎えてしまいそうな気がして怖かった。もう何年も前のことなのに、この季節になると必ず思い出すことだ。ボローニャ旧市街の路面は濡れていた。まるでつい1分前まで雨が降っていたかのように。10月のボローニャにしては寒すぎる。早く帰って温かいスープでも作ろう。そう言ってバスに飛び乗った。