恵みの雨

週末に雨が降る予報が出ていた。けれども朝起きてみると素晴らしい晴天だったから、多分誰も信じていなかったに違いなかった。正直言えば私もそうで、だから午後から出掛けようと考えていた。旧市街へ行こうか、それとも山へ行こうか。あれこれ考えたが結局出掛けなかったのは今週末は長い夏の休暇から戻ってくる人達で道が何処も道が混んでいそうだと思ったからだった。実際近所の人たちも一斉に戻ってきて急に騒がしくなった。夏の閑散としたピアノーロとは来夏までお別れ。そんなことを考えているうちに驚くような大粒の雨がぼとり、ぼとりと落ちてきて見る見る間に地面を濡らしていった。テラスの奥から思いがけなく降り出した雨に往生している人々を眺めるのはなかなか面白かった。もう少し涼しい季節ならば着ている上着を脱いでは傘の代わりに上にかざすことも出来るというものだが、こんな季節は脱ぐものなどない。軒下を目掛けて走っているのは、髪を整えたばかりの近所のご婦人。それからブランドの鞄を濡らしたくないのだろう、若い女性は鞄を全身で包むようにして走っている。私は鞄が濡れるのも嫌だけど、足元が濡れるのはもっと嫌い。家に居てよかった、と人々の様子を見ながらそう思った。しかし世の中には色んな人がいるものだ。大粒の雨が降り落ちてくる空を両腕を広げて喜んでいる人もいる。気が狂ったか。いや、彼は心の底から雨を欲していたのだろう。広い庭の持ち主か、それとも農家の人なのか。きっと乾いた大地も彼のように喜んでいるに違いない。凄い雨だと呟く私に、栗の為にもこんな雨が必要だったな、と相棒が答えた。え、栗? 確かに、スカースコリの友人家族は家の周りをぐるりと取り囲む栗林を所有している。それで数年前までは私たちも栗の収穫時期になると手伝いに行ったものだ。手伝った報酬はつやつやの大粒の栗。そして自家製の蜂蜜とやはり自家製のワインだ。お疲れさん、有難う、と地下倉庫から自家製の生ハムやサラミを引っ張り出して振舞ってくれるのも嬉しかった。近年は駄目なのだ。急傾斜の山の斜面を転げ落ちないように歩きながら栗を拾う作業は簡単そうで大変だ。1日やったら1週間体が痛む。あれは慣れた人や、または若い人達がすると良い作業である。と、彼は友人達に最近会ったばかりだから栗のことを思い出したのかもしれなかったが、降る雨を見て栗の実りに結びつけるなんて面白い発想だと心の中でくすりと笑いながら、本当だ、栗にとっては良い雨だ、と相槌を打った。そうだ、恵みの雨。そんなことを考えながら降り続ける雨をずっと眺めていた。

スカースコリへ行こう

先週のある晩、久し振りにスカースコリへ行った。毎夏恒例の村祭りがあるからだった。それはこの7月に行ったバルバローロの大きな村祭りの5分の一ほどの小規模だ。スカースコリの教会の前に広がる小さな広場で開かれるそれは、小さな村らしく控えめで、しかしこれを楽しみにしている人が案外多いのを私は知っている。スカースコリなんて村のことは誰も知らないだろうと思っていたが、ある日知人たちと話していたとき私の口からポロリと零れたその名を誰もが知っていたのには驚き、そして村祭りと秋にある栗祭りを皆楽しみにしていることが分かった。マイナーだと思っていたのだ、この村を。いや、実際マイナーなのだ。多分、類は友を呼ぶという言葉があるから、単に私の周りにそういう人が集まっただけなのかもしれない。私は村祭りを楽しみにしていたのだ。でも折角スカースコリへ行くのだから、と村に住む親しい友人家族を訪ねることにした。その数日前、相棒がバールで偶然この家の主と会ったらしい。それでいつでも歓迎するから遊びにおいで、うん、大歓迎だよ、と言われたのだそうだ。村祭りとは目と鼻の先に住んでいる彼らのところへ行くと、丁度夕食を終えて庭と呼ぶには広すぎる広い庭先で涼んでいるところだった。家の主は地下倉庫から自家製の、しかも特別のワインを持ってきてくれた。ワインを好む私の顔を見るといつもそんな風にして、今日はこれ、次は別のを、と小出しにご馳走してくれる。飛び切り美味しい自家製ワインを楽しみながら皆で近況報告をした。主の妻は数年前病気で倒れて以来体調が不安定だ。昔教鞭をとりながら自給自足生活を営む為に朝も晩も惜しみなく働いていた彼女は、今は彼女の夫や6人の既に成人した娘息子達に助けられながらの生活だ。一年前の彼女はこちらも悲しくなるほど塞ぎこんでいたが、この夏の彼女は何か吹っ切れたのか、気持ちの良い表情だった。私は何かの話しの流れで言ったのだ、あなたは優しい家族がいて幸せね、と。すると彼女は真正面に頷いて言った。私は感謝しているの。病気になって身体が動かなるまでそれが分からなかったから、こうして分かったことを感謝しているの。あまりに真っ直ぐな心で言ったその言葉が、なんと私に新鮮だっただろう。彼女の気持ちの良い表情にはそんな気持ちが隠れているのだろう。彼女の素直な心に乾杯だ。私達は嬉しくなってまた9月に遊びに来ることを約束して家を後にした。そうして村祭りへ行くと沢山の人で賑わっていた。ところが出店という出店が店じまいしていた。ここで売っている食べ物は村のお母さん達が腕を振るうので本当に美味しいのだ。中でもクレシェンティーナと呼ばれる発酵させたパン種(のようなもの)を薄く延ばして油でからりと揚げた熱々はとびきりで、これに生ハムや新鮮なチーズを挟んで食べるのが大好きなのだ。毎夏ここに来てはまずこれを注文するのだ。食材がなくなったので店じまいだよ、と言う出店のおじいさん。その言い方はまるで200年前の古い建物の分厚い壁によく似ていた。落胆した私の顔を見るとおじいさんは仕方ないという顔をして奥から籠を持ってきた。多分これからおじいさんが食べるのだろう、中には先程揚げたばかりの大きなクレシェンティーナが数枚入っていた。一番大きいのを摘み上げて私に手渡してくれた。代金を払おうとすると大きなグローブのような手をひらひらさせて、いらないと言う。その様子もやはり200年前の古い建物の分厚い壁のようだった。生ハムも新鮮なチーズもない素のクレシェンティーナだったけど、特別な味がした。おじいさんの親切の味ってところだろうか。やっぱりスカースコリの村祭りは良い。満たされて良い晩となった。

いつもの生活

夏の休暇が本当に終わり、今日からいつもの毎日が始まった。昨日は休暇の最後の最後を楽しみたくて、夕食後9時半を過ぎてからボローニャの丘を車で走った。2ヶ月前は9時半になってようやく日没だったのに、今は9時にはすっかり暗い。確実に秋に向っていることを実感する。8月下旬。まだまだ暑さは続き日差しの強さといったらないけれど、それでも空気の違いを感じる。太陽の色の違いをにわかに感じる。暑いのは嫌い。けれども後数ヶ月したらこんな暑さも懐かしく思えるようになるのだから、今のうちに、夏がすっかり終わってしまわぬうちに楽しんでおこうと思う。24日ぶりの仕事。24日ぶりに仕事に戻るには精神的葛藤に打ち勝たなくてはならない。夏休みを終えて2学期を迎えた子供の頃を思い出して、今も昔も同じだ、と苦笑する。私は外見だけ大人になって中身は昔も今もあまり変わっていないらしい。そう言いながらもしぶしぶ職場に向ったくせに、久し振りに同僚の顔を見るとそんなことも忘れていつもの生活に戻れるところは、少しは大人になった証拠かもしれないと思う。何だかんだ言っても仕事があるというのは有難い話なのだ。時々溜息をつきながら、そんな風に自分を励ました。夕方、強い日差しと戦いながら久し振りに旧市街へ行った。8月の初め以来だった。日焼けした人々とすれ違いながら、いったい何処へ行ってきたのだろうと思う。美しく澄んだ海のサルデーニャかシチリアか、それともギリシャかクロアチアか。白いシャツに映える日焼けした肌が楽しい休暇だったと言って笑っているように見えた。町を歩く人はまだ少ない。勿論8月初めに比べれば断然活気は戻ったものの、時々人の居ない空間を見つけることが出来るのだから、町が本格的にいつもの様子に戻るのは9月になってからなのだろう。

寄り道Graz

真っ直ぐボローニャに帰ってくる予定だったのだ。ボローニャで首を長くして待っている年老いた相棒の母親の為に一時間でも早くボローニャに帰らなくてはいけない、出来れば暗くなる前に、というのが相棒の言い分であった。なに、いつものことである。私達はイタリアに暮らし始めてからずっと、そんな風に暮らしてきたのだ。だから慣れているのだ、大急ぎで帰って来なくてはいけないことや、一緒に旅行出来ないことにしたって。もともと私は一人旅が好きだから、それを寂しいとか何とか思ったことはない。しかし時には相棒と一緒の旅行もしたいものだ、というのが私の心の底の、そのまた底に隠してあった本音であった。だから出発直前に来て相棒が同行することを決めた時は、正直の話しとても嬉しかった。それだから帰りは真っ直ぐ、しかも大急ぎで帰ってくるくらいは私にはどうでも良いことだった。何しろ2年振りに一緒に旅行したのだから。ところがボローニャを目掛けて車を飛ばしていた相棒の提案でグラーツに立ち寄ることになった。此処を訪れるのは5年振りだった。5年前の9月半ば頃、私達は南オーストリアの小さな村に何日も宿を取って周辺の町や村を見て回ったのだ。グラーツという町に関心があった訳ではなかった。が、宿を取った村から車でゆっくり走っても1時間と手頃だった為、それでは行ってみようか、とそんな軽い気持ちだったのだ。そうして訪れてみたら、大き過ぎず小さ過ぎず、程々の活気と新旧が入り混じるイタリアにはない不思議な雰囲気にあっという間に魅了されて、私達はグラーツの町が大好きになった。オーストリアに来るといつも思うことだが、人々のマナーが大変宜しい。特に運転マナーの良さには、学ぶものがある。私達のような外国人は兎角道を失いがちで交差点でもたもたするが、背後からクラクションを鳴らして怒る人はあまり居ない。私達は車を停めて旧市街の路地を歩き始めた。窓越しに美味しそうな黒パンを見つけてパン屋に入った。黒パンと言っても柔らかいのから固めのもあるし、角張ったのもあれば円形のもある。私達は棚の上に並んでいた中で一番大きい直径が25cmほどの円形のを買った。2,90ユーロ。え、2,90ユーロ? ボローニャでもこの手のパンをしばしば買うが、この半分にも満たない大きさを4ユーロで買っている。だから聞き間違えかと思って何度も聞きなおして、店の売り子に笑われた。パンは大きくてずっしりと重く、袋を開けなくてもいい匂いがした。この町に暮らすと毎日こんなパンを手に入れることが出来るのかと思ったら、この町に暮らすのも悪くないな、と思ったりした。私の癖である。直ぐ好きになって其処に暮らしてみたくなる変な癖だ。途中、小さなカフェに入った。ワインとコーヒーしか置いていない店だった。しまうま柄のワンピースを着た年配の店主目当てに来る客が多いようだ。といっても男性客ばかりではない。女性客からも好まれているようだった。私から見ても魅力的だった。たぶん性格が良いのだろう。この町に暮らしたらこの店に通うのも悪くない。また変な癖が出て、そんなことを考えたりした。グラーツには大学があるらしい。町行く人の3分の1はそんな若者達だった。良く手入れされた美しい町並みを見ている限りボローニャとは似てもに付かないけれど、自転車で町を駈け抜ける学生達を見ていたら我が町ボローニャを歩いているような気分になってきた。なんだ、やっぱりボローニャか。私はいつも最後はボローニャに辿り着く。さあ、そろそろ出発しようか、と楽しかった散策をお終いにして町の何処かに停めた車に向う途中に思った。多分相棒は、私がずっと一緒に旅行したいと思っていたことを知っていたのだろう。それで次はいつ一緒に旅行できるか分からないから、グラーツに立ち寄ろうと言い出したのではないか。少しでも長く旅行が続くようにと。多分そんなところだろう。良い旅行だった。短くも沢山の満足感を得た旅行となった。

さようなら、ブダペスト

交通機関が発達しているブダペストは例えて言えばミラノのような町だ。メトロが巡り幾つものトラムが走っている。それ以外のところはバスがくまなく巡っていて、本当に便利極まりない。初めてこの町を訪れた時90フォリントだったチケットは、訪れる度に値上がりされて今では300フォリントだボローニャの60分以内ならば乗り換え可能のバスチケットではない。一度降りて次に乗り換えるときには、また新しいのに刻印を打ち込まなくてはいけない。たった一区間しか乗らない時などはチケットを使うのを惜しく思うものだ。が、ただ乗りしようものならば直ぐに検察に引っかかって罰金ものだ。近頃ボローニャも検察が頻繁に行われているが、ブダペストの頻度には到底叶わない。一般市民のような感じで乗り込んで、あっという間にただ乗りした人をキャッチする。だから私はいつもパスを購入するのだ。そうすればチケットを倹約する心理と戦う必要もないし、乗り降りが自由に出来るからだ。購入時に高いと感じるそれも、滞在を終える頃にはとっくに元が取れていて、やはり購入してよかった、と思うのだ。そのパスを今回は敢えて買わなかった。バスのチケットにしても。少しでも沢山歩きたいと思ってのことである。そうして歩いてみると、何度も訪れているのに初めて歩く道が何と沢山あったことか。勿論それらはまだまだ沢山ある中の一握りに過ぎない。バスやトラムが通らないそれらの道を少し涼しくなってきた夕方にぶらぶら歩きした。一体いつから在るのか、店の入り口の横に掲げられた古臭い看板。何度も塗りなおしたであろう古い建物の入り口。それから幾つもの緑色に塗られた窓枠を見た。この町には様々な緑色が点在している。そういえばハンガリーの国旗に緑色があるけれど、それと何か関係があるのかもしれない。夕暮れの町を歩きながら、次はいったい何時この町を訪れることになるだろうと考えた。来年だろうか、それとも再来年だろうか。それとももっと先だろうか。何年経ってもブダペストらしさを失わないで居て欲しい。ブダペスト、また会う日まで。