吐息

7月もこれで終わりだ。この日に向けて馬のように走り続けてきたから疲労も心労も相当なものだが、引き換えに手に入れるものは途方もなく大きい。夏の休暇。なんて良い響きなのだろう。今朝、いつもなら触るのもちょっと戸惑うトカゲ、室内に迷い込んだトカゲを捕まえて外の草むらに逃がした。最近よく見掛ける、トカゲといっても子供のトカゲで、トカゲちゃんと呼ぶのが相応しかった。しかし何という奴だ。こんな鈍い私に捕まるようなトカゲなのだから、間違いなく鈍くさいトカゲであった。人間に捕まってしまった小さなトカゲは手足をばたばたさせていた。私には聞えなかったが多分きゃーきゃー喚いていたに違いない。草むらにそっと置くと小さなトカゲはあっという間に草の陰に隠れて見えなくなった。トカゲを捕まえたのは子供の頃以来である。いつも出来ないことも出来てしまう、それは楽しいことが直ぐ後に控えているからなのだ。そんな朝の始まりは私の気持ちを更に高揚させた。それにしても何度口にしただろう。明日から夏の休暇だなんて夢のよう、と。指折り数えていた待ち焦がれていた休暇が目の前にやってくると信じられないような気がする。魔法にかかったような気分。いい夢を見ているような気分。昼には職場の人達と白のスパークリングワインで休暇を迎える喜びを分かち合った。夕方仕事を終えて外に出ると熱風が吹いていた。暑い筈なのに清々しく感じるのだから気分とは何ていい加減なものなのだろうと、思わずひとりで苦笑した。ピアノーロへの道は驚くほど空いていて、あっという間に家の前まで来た。だから家には帰らずにそのまま道を走り続けて山を目指した。何もないが自然だけは溢れかえっているこの界隈。そうでなくてもカーブが多いこの辺りは、道こそ舗装されているが車2台がすれ違うのがやっとの山道。しかしそんなのも全て含めて私はここが大好きだ。鬱蒼と木が生い茂っていた。今まで何度もここを通っているが、気が付かなかった。今年は雨が沢山降ったおかげで緑が特別濃いようだ。様々な種類の緑が互いに調和しながら息づいている様子に小さな吐息をついた。自然とは人間がどうにかできるものではないのだ。どうにかしようと思うと壊れてしまうのかもしれない。眩しいほどの豊かな緑に囲まれて澄んだ空気を肺に送り込んでいるうちに、ようやく休暇の実感が湧いてきた。もう一度吐息をついた。感慨の吐息だった。

逃げていく7月

7月が逃げていく。実際は逃げて行きはしないけど、早足で逃げていくようにあっという間に終わろうとしている。ところがである。あと少しというところで、終わりそうでなかなか終わらない。特に昨日今日の時間の経つのが遅いといったら無かった。もう一生時間が進まないのではないかと思うほどであった。加えて寝不足である。並大抵の頑張りでは午後を乗り越えることが出来ないので、仕事中に意味も無く何度も席を立っては歩き回って眠気と戦わなければならなかった。同僚は時々面白いことを言う。蚊によく刺される私に向って、あなたは甘い菓子が好きだから、と言う。彼女風に言えば甘い菓子を食べると血液が甘くなり、その匂いに誘われて蚊が寄って来るのだそうだ。彼女の口ぶりにはちょっとした説得力があって、聞いている人達に、ふーん、そうなのかもしれないわね、と思わせるのだ。その彼女が仕事中に蚊に刺された。涼しい風が入ってくるからと開け放っていた窓から蚊が入ってきたらしかった。だから私は言ったのだ。甘い菓子を食べ過ぎているのではないでしょうね、と。すると彼女はそれには応えず、もっと玉葱を食べなくてはいけないと言った。彼女の発言や発想に慣れている筈の私だが、この面白い発想に驚いて思わず声を上げて笑った。彼女は、あら本当よ、と言わんばかりの真剣な顔で笑う私を戒めた。頭が抜群に冴えている彼女が言うと何でも本当に聞えるのが不思議だ。そうだ、彼女に暑い夏を乗り切る方法を聞いてみよう。きっと何か素敵な提案を得られるに違いない。それにしてもあと2日働くと夏期休暇だ。既に休暇に入って町を脱出したのは友人夫婦だけではない。近所に暮らす双子の父親も、先にプーリアへと帰省した妻と双子達を追って不在である。ボローニャ市内も郊外も、人口密度が低くなって空間ばかりが目立つようになった。ぴゅーっと脇を通り過ぎていった自転車小僧。こんな所を自転車で駆け抜けられるのもこの時期ならではのことなのさ、と彼の後姿が言っていた。

閑散

暑い毎日。しかし7月なのだから仕方がない。真冬になればこんな暑さだってきっと懐かしく思えるに違いないのだ。町がにわかに閑散としだした。昨年はもっと早く町から人が消えたけれど、今年は少し遅いようである。7月も終わりになってやっと、である。閑散とした旧市街を歩くのは人混みが嫌いな私には全く有難い話であるが、何処へ行っても人が居ないというのも寂しいものだ。そのうえ人が居ないとバスの本数は減る。そして気に入りの店も夏期休暇に入ってしまう。3年前の夏、私はずっとボローニャに居た。訳あって町を離れられなかったのである。それで時々友人と待ち合わせの約束をして旧市街へ行ったはよいが、長話を楽しめる店が何処も休暇中で大変困ったものだ。あの夏は本当に店という店が閉まっていて、旧市街はゴーストタウンのようであった。すれ違う人も疎らで沈黙が町に詰まっていた。今年もまたその時期が近づいた。ひと気のない道を見つけては、3年前の夏を思い出す。

柳の枝

暑い。蝉ですらあまりの暑さに口を噤んでしまうような暑さであった。昼間の暑さもさることながら夕方の帰宅時間、つまり18時前後にしてこんなに暑くてよいものか、と考え込んでしまうほど暑い一日であった。帰り道、ボローニャ市内の街路に点在する温度計を確認すると45度であった。成る程、暑いわけだ、と言わんばかりに温度計の前に初老の男性が腕を組んで立っていた。この暑さで頭が朦朧としているのだろうか、それとも暑すぎて気持ちをコントロールできないのだろうか、行き交う車の運転の酷さといったらなかった。何時事故が起きても不思議ではなかった。こんな日は真っ直ぐ家に帰るのが宜しい。さっさとボローニャ市内から脱出して、閑散とした丘の町ピアノーロに帰ろう。そう言いながらも通り掛ったジェラート屋さんに立ち寄って大きいのをひとつやっつけてから帰宅した。やはり丘の町ピアノーロはボローニャ市内よりも涼しかった。38度だった。可笑しなことだ。つい最近までは38度の暑さにあれほど文句を言っていたのに、今日は38度が涼しく感じた。それにしても早く帰ってきた。荷物を置いてもう一度出掛けることにした。こんな季節はもう少し先へと足を延ばすのが良い。Loiano、 Monghidoro、 Monzuno・・・この辺りは飽きるほど訪れているのに一向に飽きる様子もなく、私にとっては夏の手頃な避難場所だ。何からの避難場所かといえば雑多な問題からの避難場所であり、暑さからの避難場所であり、現実からの避難場所である。どの山もどの野原も誰かの所有地であるけれど、眺めるのは自由。誰に文句を言われるでもない。昔はこの辺りの一軒家を夢見たが、夏が涼しい分だけ冬の寒さと言ったらないし、それに雪が沢山降るので生活にも何かと不便であるから夢のままで終わらせることにした。時々大きな柳の木を見かける。柳の木とは何てしなやかで優雅なのだろう。私が子供の頃住んでいた家の近くに大きな、それは大きな柳の木があった。その木の下に立つと風になびく枝が涼しい音を立てながら私の頭や頬を優しく撫でてくれた。それがとても好きで木が切られてしまうまで殆ど毎日通った。ある日、大きくなり過ぎたと言って木の胴体の真ん中辺りでばっさり切られてしまった。学校から戻ってきてそれを発見した私は、何か自分の手足を切り落とされてしまったような痛みを感じて暫く其処から動けなかった。大丈夫、また大きくなるから。大丈夫、直ぐに枝が生えてくるから。そんな風に大人が言っていたけれど。こんな田舎では木が大きくなり過ぎたからといって枝を切り落とすことはない。木の胴体の真ん中をばっさり切るなんてこともない。風になびく柳の枝は来年も再来年も今日と同じようにゆらゆら揺れる。

接触

日差しの強い日が続くのだそうだ。驚くほど涼しかった週末のことは既に過去のこととなり、思い出すことすら難しい。つい一昨日のことだというのに。町の人口が減ったようだ。毎夏恒例の現象だ。近所に住む家族にしてもまだ休暇にならない一家の主を取り残して、妻子供は妻の実家のプーリアの町へと発った。2歳の双子たちを連れて妻は如何にしてプーリアへと発ったのだろう。母は強しと言うけれど、それにしても小さな双子をひとりで連れての帰省は安易ではなかろう。プーリア州のどの町に帰ったのだろう。プーリアには美しい海があると聞いている。夏にはツーリストが詰め掛ける有名な海岸もあれば、地元の人たちがこっそり楽しむ秘密の海辺もあるらしい。私はそんな秘密の海辺へ行ってみたいが、秘密と言うからには見つけるは簡単ではないのだろう。多分地元の人たちと楽しく話しでもしたら教えて貰えるかもしれない。地元の人と接触するとしないとでは普段の生活にしても休暇先の滞在にしても面白味が違うと言うものだ。それは私のボローニャの生活が全く良い例である。私は金銭運にはほぼ見放されていると言って良いに違いないが、人間運だけは良いらしい。と言いながらも勿論今まで良いことばかりだった訳ではなく、人間関係で詰まらない思いをしたり悲しい思いをしたり、怒り狂ったこともあればがっかりしたこともある。ただ、それらの全てを含めてもかなりいいセンいっているのではないかと思うのだ。まあ、そう思うこと自体、私という人間があまり物事を深刻に考えすぎない楽観主義者であることを表している訳で、だから他人よりも嫌なことを嫌と感じる度合いが少ないだけなのかもしれなかった。町を歩くのが昔から好きだった。東京でも地下鉄の何駅分もの距離を歩いた。アメリカでも然り。車社会と言われるアメリカではあるが、こじんまりとした町に暮らしていたから暇さえあれば歩いたものだ。友人達は初めこそ閉口していたが、そのうち歩く楽しみが分かったらしい。誘っても誘わなくても気がつくと私の横に肩を並べて歩くようになっていた。急な坂道を上りつめるといっぺんに視界が開けて、ずっと向うに海が見える町だった。そんな眺めを求めて私達は歩いたのだ。ボローニャに暮らすようになってからはそんな眺めは求めても得られる筈が無く、しかしポルティコの下をつらつらと歩くのは思ったよりも楽しいことであることを知った。大抵の場合が一人歩きだ。足を止めては外から店の中を覗き込む。足を止めて写真を撮る。そんなことをしていると不思議なことに通行人達に声を掛けられる。Ciao bella (こんにちは、素敵なお嬢さん)、のような声は一向に掛からないが、地元の人達が珍しがって話しかけてくるのだ。Via collegio di Spagna を歩いていた時のことだ。足を止めて外から小さな工芸店の中を覗き込む私の横に、恐らくは既に60歳をとっくに超えた白髪のご婦人が並んで立って、こういうのが飽きなくていいのよ、と言った。どうやら私に話しかけているようだった。でも高いのよ、こういう普通のものって、と言葉を続ける。そして更に言葉を続ける。でもね、最近はイタリア伝統工芸に見せかけてイタリア製でないことがあるから、買うほうは気をつけなくてはいけないのよ。ほら、あなた、買う時には必ず確認するのよ。まるで娘か誰かに教えるように話す見知らぬご婦人の言葉に思わず笑いがこみ上げてきて、私は笑いを堪えながら答えた。ええ、ええ、そうね、気をつけなくちゃ。通りがかりの見知らぬ娘が忠告を素直に受け入れたことにご婦人は気を良くしたらしく、あなた、ボローニャに住んでるの? と私に訊ねた。ボローニャ郊外に住んでいてボローニャを散歩するのが好きでしょっちゅう来るのだと答えると、ご婦人は "あらそう" みたいな表情をして、それじゃまたこの辺で会えるわね、と言うとすたすたと去っていった。人に話しかけるのが好きな私は人に話しかけられるのも大好きで、こんな何でもない人との接触があった日はご機嫌なのである。こういう小さなことが私の人間運のかけらなのだと思う。再び歩き出した私は角を右に曲がり、また先で曲がりを繰り返してPorta Saragozza の近くのピッツェリアの角を曲がろうとした所で、先程のご婦人と出くわした。私が声を発するよりも先にご婦人が嬉しそうに言った。ほーら、もう会えたわね。