Buon natale.

今日から冬の休暇だ。明日から雪が降るらしい。けれども外は良い天気で、そんな気配ひとつ見せていない。今日がまるで最後の日のように町中があわただしく動いている。24日とはそんな日だ。会社も店も昼まで働く。そして午後から皆が休みに入り、25日のクリスマス、26日の聖ステ-ファノの祝日を親しい人たちと共に過ごすのだ。私はそんなことを思いながら窓の外を眺める。私はといえば、昨日から大変な偏頭痛と扁桃腺だ。私はいつだってそうだった。何か楽しいことがある前にこんな風にして扁桃腺を腫らしては高熱を出して家族を心配させたのだ。小学生だった頃、母は何度も学校に私を迎えに来た。扁桃腺による高熱で、学校から連絡があったからだ。その足で医者に行って薬を貰った。家に帰るなり布団に包まりぐったりする私に、母は長ねぎをガーゼのタオルに包んで首に巻いてくれた。それは子供だった私にはあまり楽しくない儀式のようなものだった。長ねぎが嫌いだったからだ。匂いを嗅ぐことすら嫌だったのだ。あの時代は熱を出したり喉が腫れると、そんな風に長ねぎを首に巻いたものだ。そんなことを覚えている人はもうあまりいないのかもしれない。また、そんなことをする人ももうあまりいないのだろう、と思う。良く晴れた空を窓の隅っこから見上げながら、私はもうとっくの昔に忘れたと思っていたことを思い出して、久し振りに母を恋しく思った。体が弱っていると、人はメランコリーになるらしい。
遠くに暮らす家族と友人達、私を取り囲む沢山の人々、まだ会ったこともないけれど日記に立ち寄ってくれる沢山の人々に感謝します。全ての人々に分け隔てなく平等に、温かい喜び溢れるクリスマスがありますように。
Buon Natale.

蓄え

天気が良いのは嬉しいが異常に寒い。足元から底冷えする、そんな表現がぴったりの寒さだ。もともと寒さに弱いので停留所でバスを待つのが兎に角辛い。じっとして居られないので5m歩いてはまた戻り、私はまるで熊のようだ、と時々思う。あまりバスが来ない時はじっと待っているよりも歩いたほうが体も温まるだろうと次の停留所まで歩いたり。今でも充分寒いのに1月早々大寒波が押し寄せて来るそうで、なんとも恐ろしい話である。それにしても風邪が大流行りだ。うっかりすると今にも風邪を引いてしまいそうだ。風邪、と侮るなかれ。風邪を引くか引かないかで冬が楽しく過ごせるかどうかが決まると言っても過言ではない。今の季節に大切なのは充分な睡眠と栄養。ひょっとしたら今の季節に限らずに、このふたつが元気で居ることの鍵なのかもしれない、と思う。兎に角。私にとってはこのふたつが元気の源なのである。だからと言う訳ではないけれど、食品店の前を素通りできない。多種のチーズ、サラミの類に加えて好きなのが惣菜だ。惣菜にも色々あるが私の気に入りは小玉葱を甘酢で煮たもの。この酢がバルサミコ酢ならば尚更宜しい。美味しくて食べ始めたら止まらない。美味しいだけでなく体にもとても良いのである。ただ食べた後の口臭は頂けない。人に嫌がられること間違えなしだ。人に会う必要のない日に食すのが良いだろう。この店はボローニャ旧市街の、via oberdan の古いポルティコの下に佇んでいる。小さくて地味だが感じが良く、美味しいものが沢山あるのでいつも地元客で賑わう。待たされるのを覚悟で入る必要があるが、待たされ甲斐のある店でもある。だから客は皆文句も言わずに順番を待つ。生ハムは薄く切るのが基本だが、注文する時に一言付け加える。"薄ーく切って頂けるかしら?" その一言でその客がどれくらい生ハムに拘りがあるかが分かるというものだ。世の若い女性達は如何に細身でいるかに情熱を燃やす。私も一頃そんな女性であったけど、今は如何に元気でいられるかが大切になった。元気が一番。元気でなかったら折角の人生も台無した。そう、自分に言って、今晩もまた小玉葱のバルサミコ酢煮を口に放り込んだ。

高気圧に乗って

この11月、12月と沢山雨が降った。湿っぽくて陰気臭くて全く憂鬱な毎日だったが、青々とした草が野や山を覆っていて美しい。まるで数週間後には春が待っているかのような、そんな青さである。この雨を自然は喜んでいたのかもしれない。しかし人間にははた迷惑な雨であった。ヴェネツィアでは数回に及んで床上浸水で大騒ぎだったし、ローマのテヴェレ河も今まさに溢れんばかりの高い水位になった。あの大きな河が溢れたら一体どうなったことだろう。ボローニャでも古い運河が溢れたそうだ。毎晩テレビをつける度にそんな報道が耳に入り、早く雨が止むといいのに、と誰もが願った。しかし、である。もし、もう少し気温が低かったら・・・この雨は雪だったのだろう。大変な大雪になったに違いない。そう思うと、雨で良かったのかもしれない、と思うのは人間の勝手さだろうか。兎に角人々の願いが聞き入れられたかのように、すっきり晴れて3日目だ。人間は時間が経つと直ぐに忘れてしまうもの。どうしたことか不思議なことに良いことには直ぐに慣れてしまうのだ。だから敢えて太陽の有難さを暫くの間だけでも覚えていたい。さあ、高気圧に乗ってこの一年を気持ちよく終わらせようか。

普通の土曜日

週末の朝はゆっくり起床するのが好きだ。だから敢えて目覚まし時計を掛けずにいるのに、電話が鳴って目が覚めた。いつもなら電話ぐらいでは目が覚めないが、今日に限って目が覚めた。ふらふらと起き上がって電話に出ると間違え電話だった。がっくりと肩を落としたところで先ほどまでの眠気が一気に覚めた。いつもの週末なら起きていない時間だったが、眠気が覚めてしまったものは仕方がない。窓の外を眺めると晴天だった。甘い匂いのする大きなオレンジを3つ絞ってグラスに注ぐ。平日の朝には忙しくて出来ないオレンジを絞る作業は週末の朝に相応しい、と思う。ずっと読みたかった雑誌を読みながら、時間を掛けて朝食をとった。イタリアの多くの会社は昨日が仕事納めだったらしい。私の友人も知人も、今日から冬の休暇だ。今頃みんな肩の力を抜いて休みを満喫しているに違いない。私は残念ながら来週火曜日まで仕事だけど、それにしても後2日働くと休暇なのだ。勝ったも同然。夏以来忙しくて頭から爪先まで詰まっていた異常な緊張感が、小さな呼吸と共に体内から出て行くのが見えるようだ。朝食を終えて身支度をした。何の約束も予定もないけれど、こんな天気の良い日だもの、外に出なくてどうしよう。ボローニャ旧市街はクリスマスの買い物客と冬の晴天を楽しむ人たちで一杯だった。piazza santo stefano ではアンティークの市が建っていた。いつもより出店が少ないようだ。ひょっとしたら店の人も冬の休暇に入ったのかもしれない。そんなことを思いながら物色した。時々休んで広場の端っこから人々を観察した。人を観察するのが好きだ。それは映画を見るような楽しさ、街角で撮った写真を見るような楽しさだ。暫くして広場を後にした。カップチーノが欲しくなったのだ。久し振りにzanarini へ行った。この店はちょっと高め。でも味もサーヴィスも特級だ、と思う。カップチーノと "リコッティーナ" という名の菓子を注文した。リコッタチーズを使ったその菓子は、見た目よりも想像していたよりも5倍美味しくて、もうひとつ注文した。カウンターの中で忙しく動き回る店の男性が、ふたつ目を頬張る私を見て思わず笑った。ちょっと恥ずかしくなって私も照れ隠しに笑い返した。気分は上々だった。もう迷わない。そんな言葉がふと浮かんで私は塔の近くの店に駆け込んだ。鞄だ。私はこの店の黒い鞄が欲しいともう何日も店の外から見ていたのだ。それでいて贅沢なのではないだろうかと迷っては店の前から立ち去った。先ほど私は菓子を頬張りながら思ったのだ。何て長い一年だったのだろう。それにしても頑張ったなあ、と。誰が褒めてくれる訳でもないから、自分が褒めてあげなくてどうしよう。そう思ったら自分に褒美をあげたくなったのだ。鞄を買った。自分への一年間の褒美だ。一年に一度くらいそんなことがあっても宜しい。そう言いながら、丘の町ピアノーロ行きのバスに乗った。ごく普通の土曜日。小さな楽しいことが沢山詰まった土曜日になった。

白いドレス

ボローニャ旧市街を歩いていると時々ウェディングドレスの店を見かける。気が向くまま、足の先が向くままに歩いているから、それでは一体何処と何処にあるかと訊かれたら、正確に覚えていないのではないかと思うけど。ふーん、こんな所に。そんなことを思いながら店の前を通り過ぎる時、足を一瞬止める。私は跳ねっ返りで型に嵌るのが嫌いで、ウェディングドレスを着なかった。だから一種の憧れがあるのだろうか。自分に問いてみるがどうやらそれは正しいようでちょっと違うようだ。私が憧れているのはウェディングドレスではなく、白いドレスなのだ、と最近気が付いた。シンプルであればあるほど良い。眺めていると気持ちが真っ直ぐになって深く呼吸が出来るような気がする。先日この店の前に突っ立ちながら、私はこんなことを思い出した。私がまだ日本に居た頃のことだ。私より10歳ほど年上の女性と気が合ってよく話をした。彼女はイタリアが大好きで一頃イタリアに居たことがあったらしかった。当時の私は心がアメリカに傾いていたものだから、彼女のイタリア話をかなり上の空で聞いていた筈なのに、面白いことにちゃんと覚えていた。彼女はこんなことを言ったのだ。ボローニャのウェディングドレスの店が好きだ、と。ボローニャ?ふーん、それって何処なの?言葉にこそ出さなかったがそんな風に思ったことを覚えていた。その数年後、自分の気持ちに正直である為にアメリカへと発つ無鉄砲な私を、それが私らしい、と実に簡単な言葉で、しかし深い思いを込めて応援してくれた。もう昔の話になってしまったが、それはまるで昨日のことのように思える。私は遠回りして彼女が好きだと言ったウェディングドレスの店があるボローニャに暮らすようになった。不思議なものだ。それで彼女が好きだった店は一体どれなのだろう。彼女はどんな想いでドレスを眺めていたのだろう。私は旧市街に点在する幾つかの店を思い浮かべながら想いを馳せた。