via altabella のカフェ

via altabella を歩いたのは久し振りだった。この通りには一軒好きなカフェがあり、そしてその隣の隣に好きな店があるのでひと頃ここばかり歩いていたが、いつの間にか足が向かなくなった。カフェの前にはテーブル席が並んでいて、いつも人で賑わっていたのはもう何ヶ月も前のこと。テーブルはこの冬空の下にも並んでいるが、ここに座る人は誰も居ない。店の中は、と覗いてみるといつものように一種独特の洒落た客層で賑わっていた。この店が好きだ。店に置いてあるワインの選択も興味深いし、店員の感じもよい。でも一番気に入っているのはこの客層、この店に集まる人達の雰囲気だ。私にはもうひとつ気に入りの、とても入りやすい店があって女友達とは其処にばかり行くのだ。ところが最近若い子達、大学生にもならない、つまり高校生程の子供達に占領されているのを見て少々興ざめしてしまった。客質は大切だ。単に誰でもいいから来てくれればよい、儲かればよい訳ではない、と思う。店側が客人に与える雰囲気や質が勿論一番大切だけど、集まる客人の質もまた大切だと思うのだ。特にカフェなどという場所は。と、言っているうちに気が付いた。このカフェは私がアメリカに暮らしていた頃毎日通ったカフェに似ているのだ。店の構えも店員も違うけど、集まる客の雰囲気がまさに其れなのだ。ああ、そうか。そうなのか。そんな簡単なことに初めて気づいて、急に嬉しくなった。近いうちに女友達をここに誘ってみよう。気に入って貰えると良いけれど。

5時間

雨になるだろうか、雪になるだろうか。そう、心配していたが今朝起きてみると意外に明るい空が広がっていた。薄曇り、そう呼ぶのがぴったりの空だった。そして1時間も経たないうちに眩しいほどの青空が広がった。今日は予定のない土曜日。そうだ、旧市街へ行こう。大急ぎで仕度をして、土曜日には30分おきにしかないボローニャ旧市街行きのバスに乗るべく家を出た。旧市街をこうしてゆっくり歩くのは久しぶりだった。何時も時間に追われての、いつもも時計を見ながらあまり遠くへ行かないように気をつけての散策ばかりだったから、何時に何処へ行く必要のない今日は思い存分歩くのだ、と心の中で何度も笑った。心の中で笑っていると顔も自然に笑うらしい。通り過ぎる人達が私の顔を見ては笑い返してくれた。土曜日と快晴とクリスマス前ということもあって街はとんでもない混雑だった。いつもなら人の居ないところへと逃避するところだが、今日はなぜかその混雑が、雑踏が楽しい。そんな事もたまにはあるのだな、とこの心境の変化に驚きながらpiazza maggiore へと向かった。piazza maggiore ではこんなものが催されていた。よく分からないが、こういうことだ。イタリアには沢山の研究者たちがいる、しかし研究する場が与えられない、研究費が少な過ぎる。ヨーロッパ中を見回してもそんな国はイタリアだけだ、イタリアは遅れをとっているぞ。とそんな感じの話である。デモ行進をするでもない。広場一面に研究者たちの顔写真を張って広場の隅っこで小さな演説がある。ところどころで風船の無料サービスがあったり温かいチョコレートが売られていたり。このちょっと風変わりな催しは快晴の土曜日に相応しく、誰もが広場に貼り付けられた顔写真をひとつひとつ眺めて楽しんでいた。ひとしきり写真を見て歩いた後、急に体力の残りが少ないことに気が付いて散策にピリオドを打った。それにしても、いくら楽しかったからといえ5時間も歩くことはないだろう。おかげで今夜はくたくただ。くたくただけど満足感があり、満足感があけどくたくただ。疲労で椅子から立ち上がれない。もう一歩だって歩けないよう。そう言ってはあれを持って来てくれ、これを其処に置いてくれと相棒に言いつける。最悪だ。そう言って相棒は先程から狸寝入り作戦に入った。

美しい大人

今朝の寒さは格別だった。丘といい屋根といい、何処にも彼処にも霜が降りて真っ白だった。考え事などして居られないほど忙しいのに、昼を回った頃になって突然あることを思い出して他の事を考えられなくなった。ずっと前のこと、もう何年も何年も前のことだ。私がサンフランシスコに暮らし始めた頃、知人を通じて知り合った女性が居た。日本人女性で私より年上だった。空港の近くの大きな会社に勤めていた彼女はまだ独身で、独身の時間を堪能しているかのようだった。自分の足で立っている、誰に媚びることも無い。とてもポジティブな彼女は同性の私から見ても魅力に溢れた人だった。彼女と会ったのはたったの二回だけ。私から見る彼女は精神的に逞しくてとても眩しかったけど、彼女から見たら私は頼りなくて放っておけない、そんな印象だったに違いない。だから時々電話をくれた。大丈夫か。元気にやってるか。困ったことは無いか。そんな簡単な言葉だったけど、自分が好んでしているとはいえ異国に暮らし始めたばかりで少々心細かった私だから有難く、嬉しかった。彼女が暮らしている郊外の洒落た町で一緒にカフェに入ったことがある。フランス風の小振りで甘みを抑えた菓子が美味しいことで名の売れた店だった。菓子をつまみながら、私を見ているとアメリカに来たばかりの頃の自分を見ているようだ、と彼女が教えてくれた。彼女と私は10歳と離れていないのに、精神的に自立している彼女が美しい大人に見える。そう、彼女に言うと、嬉しそうに笑って、そしてそんなことを言われたのは初めてだと言った。その後、音信が途絶えた。そしてそのもっと後、人から彼女が突然町を離れたことを知った。彼女は町を出て行く前に何度も私に電話をしたそうだ。留守番電話が付いていなかったから、伝言を残すことも出来なかったのだ。彼女は何を私に話したかったのだろう。単なる別れの挨拶だったのだろうか。それとも何かもっと私に話したいことがあったのではないか。遂に電話に出ることの無かった私は、その後長いことそれが運命とか偶然の不運とか考えては長い溜息をついて電話に出たかったと思った。彼女は今何処に居るのだろう。幸せならばいいけれど。暫くそんなことを考えながら窓の外の良く晴れた冬空を見ていた。

Ferrara・小さな宝探し

フェッラーラはボローニャの隣町の同じエミリア地域にして、相違するものが沢山あるから散策に時間が掛かる。小さな町なのだ。けれども私風に言えば小さな宝が一杯詰まった町、なのである。主要の通りを避けて歩いた訳ではない。しかし少し歩いては路地に吸い込まれ、結局路地巡りをしたと言っても良かった。この町の歴史は古く、時々建物の壁にラテン語で刻み込まれた文字盤が埋め込まれていた。ラテン語。ボローニャ旧市街にある旧ボローニャ大学の壁にもラテン語が書かれていて、じっと眺めていれば何かしら理解できるのではないかと思って何度か試みてみたが、結局何も分からなかった。ラテン語は昔から学生泣かせの語学といわれていたらしいが、これは確かに難しい、とつぶやきながらフェッラーラの町を歩いた。歩いていると時々こんなものを見かける。何式というのだろうこういう建築様式を。昔の柱を壊さずにこんな形で現在も生き続けているのをとても嬉しく思う。この柱の少し先で窓に取り付けられたいい感じの鉄柵を見つけた。防犯用に取り付けられたに違いないものだけど、単なる鉄格子でないところが良い。最近フェッラーラ贔屓な私だから、全てが良く見えて仕方ないのかもしれない。ボローニャも好きだけど、ボローニャに暮らしていることを嬉しく思っているけれど、懐かしい空気がゆっくり流れるフェッラーラに暮らす人々がちょっぴり羨ましいこの頃の私だ。

Ferrara・土曜日は霙

朝目を覚まして窓の外を見るのが習慣だ。ボローニャ旧市街の方には青い空が広がっていたがピアノーロの上空には厚い雲が被さっていた。そのうち晴れるさ、と思いながら遅い朝食をとっていると本当に青空が広がって、空に気持ちが通じたことに気をよくした。昼過ぎに家を出た。快晴だが温かくはない。恐らく5度もないだろう。気に入りの襟巻きを首にぐるぐる巻きつけてフェッラーラへと向かった。先日この町を訪れて大変気に入った為、近いうちにもう一度、と思っていたからだった。快晴のボローニャを背に高速道路を北上していくうちに雲行きが怪しくなった。と言うよりは妙に空が黒い。フェッラーラ市内に入る頃には大風になり、行きかう人達は舞飛ぶ枯葉を避けるかのように顔を覆いながら足早に歩いていた。旧市街の入り口の駐車場に向かう途中で車の窓ガラスに雨粒が当たり始め、あーあ、雨が降ってきた、と呟いているうちに雨は霙に変わった。おお、天気予報は当たったではないか。この週末エミリアでは雪が降ると言っていたではないか。勝負あり。そんなことを思いながらも、勝負などなくていいから霙も雪も降らないでくれと懇願した。人々が予想外の展開に当惑しながら一様に襟を立て背を丸めながら近くのバールや店に駆け込む、その様子を見ながら私も一番近くのバールに逃げ込んだ。ああ、寒い。そう言って、温かいカップチーノを注文した。霙だね。うん、霙だよね。たまたま隣に立った見知らぬ人と声を交わして外に出ると、霙は既に止み、金色の光が降っていた。妙な天気だ。しかし宜しい。それでは散策を始めよう、とフェッラーラの石畳を歩き始めた。