幕を閉じる

何という一年だったのだろう。試練が私を好んでいたのか、私が試練の道を選んでいたのか、今となってはもうどうでもよいことだけど、次々にぶつかる問題に何度も頭を悩ませては、今度こそ限界だ、と何度も項垂れた。人間を長いことやっているけどこんな一年は初めてで、一時は全てを放棄して何処かに逃亡しまおうかと本気で考えた。しかしそうしなかったのは何故だろう。失うものは何もなかったのに。しかしそれも今日で終わり。過ぎたことは小さな箱に詰め込んで箪笥の奥に押し込んでしまおう。いつかそんな思い出が懐かしく思える日まで開ける必要は無いのだから。天気は上々。特別楽しい計画も無い一年の幕閉じだけど、心穏やかに今日を迎えることが出来たこと、そして希望を持って新しい年を迎える準備が出来たことをを心から感謝する。明日に何かが急に変わることは無いだろう。けれど良い予感がするではないか。新しい生活の幕開けの予感がするではないか。ああ、どうかそれが単なる気のせいでありませんように。私に大きな恵みがありますように。そして私を取り囲む人々、まだ名も知らぬ沢山の人々にも同じように恵みがありますように。そんな私の気持ちを、一年の幕が閉じる前にここにそれを記しておきたいと思う。

bologna

ボローニャ県ボローニャ市のそのまた限定してボローニャ旧市街と言ったらば、案外狭くて健脚者ならば歩いて回れる広さである。けれども旧市街の中心の2本の塔を基点に放射線状に走る主要の通りとそれらから生えるように伸びる細い道の全てを歩こうと思ったら、1日2日では足らないだろう。もっともそんな細い道の散策に喜びなり楽しみなりを感じる人はごく少数。大抵の場合、ボローニャは半日立ち寄って終わりなのである。人には好みがある訳だから、それを良いとか悪いとか言うのは止めておこう。ただボローニャの魅力にとりつかれた私にとってはほんの少し残念で、せめて2日は滞在してボローニャの色んな顔を見て貰いたいと思うのだ。見て美しいと感じる場所も居あれば、目を背けたくなるような場所もある。ここもそのひとつである。勿論大通りvia indipendenza の直ぐ傍なので沢山の人がその前を通る。しかし通行人の殆どはこの建物に関心を持って近づいてみたり、ましてやレンズを向けたりはしない。この建物は何に使われていたのだろうか。建物の前には小さな広場があり生い茂った背の高い木の下にベンチが設けられている。大抵の場合、歩くのに疲れた老人か、さもなければ複数の犬連れの黒い衣服をずるりと引きずった若者達か、酒瓶を片手に昼から良い心地になって半分居眠りしているおじさんがベンチを占領している。たまに黒ずくめの若者に小銭をねだられたりするが心配することは無い。そんな時には突然旅行者に成り代わり目を真ん丸くして言葉が分からぬ振りをして、頭を少し傾げたり・・・少し演技をすれば宜しい。決して危険な人達ではないので、それ以上強引に小銭をせがむことは無い。小さな子供達が楽しそうに遊んでいたり、おしゃれな若者達が楽しそうにお喋りをしているのをまだ一度も見たことが無い、そう言ったらばどんな感じの場所か自然と想像できるだろうか。そうは言うけど、だからといって私がこの場所を嫌っているわけでもない。それどころかレンズも向ければ近づいて朽ちた建物をしげしげと観察したり、いつかチャンスがあれば是非中を覗いてみたいとも思っている。だれか住んでいるのだろう、と思う。未だ窓に人影を見たことも無ければ窓が開いているのを見たことも無いけれど。この辺りはとても微妙な界隈でvia indipendenza の喧騒と忘れられて取り残された退廃的空気が入り混じっている。いつ綺麗になるのだろうか。いや、このままで居て欲しい気もする。美しい部分も荒んだ部分も皆ボローニャ。全部ひっくるめて私はボローニャの魅力にとりつかれている。

靴好き

靴が好きだ。靴が好きだが足に合う靴がなかなか見つからない。若い頃は会社通いに踵の細くて高い靴を履いていたが、今思うと良くそんなものを履けたものだとひどく感心してしまう。今の私は履き易さ、歩き易さ重視であるが、かと言って履き易くて歩き易ければ何でも良い、と言う訳でもない。つまり見掛けも多少は大切にしたい、と言う訳だ。それらを全て満足させる店がある。それは旧市街の一角の小さな店、オーダーメイドの靴屋さんだ。ある日、友人が赤い革靴をはいていた。彼はアンティーク店の主人であり、そして今はついに辞めてしまったがひと頃は演劇にも没頭していた。役者だったのである。見繕いが洒落ていて、ただポルティコの下を歩いているだけでも人がどうしても振り向いてしまう、そんな人だ。その彼がある日赤い革靴を履いていた。60年代の型、足を綺麗に包んでいる革は柔らかい上等なものだった。赤色にしても滅多に無い色合いであった。あら、素敵なのを履いている。挨拶早々靴を褒める。すると彼の叔父さんが作ったものだと言う。追求してみるとそれは私がいつの日か大金持ちになった暁には是非靴を作りたい、そう願っていたあの店であった。僕は叔父さんの靴しか履かないのさ、とっても履き心地がいいからね。そう言う彼を多分私は燃えるような嫉妬の目で睨んでいたのではないかと思う。この店を見つけたのはもう何年も前、私がボローニャ住み始めた翌日だった。san francesco 教会の横手に佇む小さくて地味な、気をつけていないと見過ごしてしまうような店だ。注文した靴の出来具合を伺いに常に誰かしらの客人が店の人と話をしている。完成までに少なくとも3度は試すのだそうだ。そして完成までに何ヶ月も掛かるらしい。値段は私の収入1ヶ月分だ。一度その靴を履くとまた次の靴を作りたくなるのだそうだ。それほど履き心地が良いらしい。ふと数年前フィレンツェの路地に店を構えていた若い日本人の靴職人のことを思い出した。細身の今どきの若者ながら話してみると芯のしっかりした靴職人であった。ひとつのことに一生懸命な人は美しい。完成間近かの靴が台の上に並べられていた。どれも美しく吟味して選んだ素材が光っていた。靴一足作って貰うのに最低でも私の収入3ヶ月分が必要で、完成までに2年掛かると言われて驚いた。それでいてちゃんと顧客がいるのだから素晴らしい。どうやら顧客は伯爵らしい。フィレンツェならではのことである。私がそんなオーダーメイドの靴を求められるはずも無い。とぼとぼと歩いては靴屋を覘き、また歩き出す。既製品でもきっと何処かにある筈。私の靴探しはまだまだ続く。

yspringmind 規則を破る

少し時間があったので久しぶりにvia galliera を歩いてみた。それは私の気に入りの通りで半年くらい前まで好んで歩いた所である。大通りと平行に南北に走るこの通りは静けさとか真面目さとか素朴さとかが感じられ、ぶらぶら歩きには最適だ。街の中心へと向かって歩くと途中でvia riva di reno に交わる。いつもここに来ると暫く足を止める。理由はない。ただこの情景が好きなだけだ。その日も足を止めて眺めていたら、ずっと心の中に渦巻いていた小さな規則が鬱陶しくなった。規則。そう、単に自分が勝手に作った規則である。が、なにぶんにも根が真面目なものだから、そんなものも忠実に守ってしまうのだ。中央に停めてある自転車の群を眺めながら、今日は規則を破ろうと決めた。祝い事が目白押しの今のような時期をイタリアではsotto festa と言う。この時期は何かと賑やかで忙しく、しかしたまに一人になって辺りが急に静かになると様々なことを考えさせられる。物事をじっくり考えることは大切だ。ただ考え過ぎて溝に嵌まり込まないように気を付けねばならない。それに考えてもどうにもならないこともある。だからと言うわけではないが私は規則を破ってひとりワインをすることにしたのだ。ひとりで店に入ってワインを飲むのは構わない。けれども家でひとりワインの栓を抜くのは止そう、そう何年も前に決めたのだ。理由は何だっただろうか。思い出せない。もしかしたら理由など無かったのかもしれない。家に帰るなりワインの棚を覘き込む。あれでもない、これでもないと言いながらil barone を選び出した。地元の人達にカステッロと呼ばれて親しまれているボローニャ県のcastel san pietro terme の丘陵地帯にあるワイン農家barone の産物だ。ここでワインやチーズを購入するカステッロ市民の友人の家でご馳走になったのだ。あまりに美味しい美味しいと褒めたものだから、嬉しくなったのか、ワインを土産に持たせてくれた。赤ワインは1時間前に栓を抜くと更に美味しくなる・・・誰がそれを初めに発見したのか知らないが、大変な発見だったと思う。il barone は2006年の若い赤ワインだ。特別なものではない。しかし味わい深いワインなのだ。折角の美味しいワイン、何か美味しいものを食べるとしよう。と、冷凍庫からポルチーニ茸を取り出してポルチーニのパスタを作る。カマンベールチーズやらパルミッジャーノ・レッジャーノを大きく切って小皿に乗せると、久しぶりに楽しい夕食の準備が出来た。そしてグラスには規則破りのひとりワイン。破ってしまえばどうと言うことのない規則であった。こんなことで楽しく、そして気持ちよく生活できるなら安いものである。

ギターの音色

ボローニャの旧市街の中心のpiazza maggiore とそれを取り囲む辺りには色んな人々が存在する。怪しげな署名をしつこくせがむ若者達もいるし、政治関係の署名を求める人達もいる。けれども大抵の場合はオペラを歌う人や四重奏を奏でる人々、旧式な手動オルゴールをぐるぐる回して子供達を喜ばせる人や操り人形で子供だけでなく大人をも楽しませる人など、有難い存在の人々である。私の気に入りはスペイン音楽をギターで奏でる年の頃は40位の男性だ。彼が演奏しているとひとり立ち止まり、また一人立ち止まりしていつの間にか人垣が出来る。悲しい音色が胸を打つ。最近見掛けないがどうしたのだろう。風邪でも引いたか、それとも私が単に運が悪くて見掛けないだけなのか。健康であるならば良いけれど。そんなことを考えていたらギターの音が聞こえてきた。さて、いったい何処から聞こえるのか・・・と、辺りをぐるりと見回してみたところ市庁舎の建物の角に凭れるようにして青年がギターを奏でていた。それは前者の悲しい音色のスペイン音楽ではない。60年代から70年代にかけての古いアメリカ音楽だった。誰が足を止めて聞き入るでもない。しかし青年はそんなことも構わず淡々とギターを奏でていた。私はその時代のアメリカ音楽に強く惹かれる。子供の頃に聴いた音楽だから懐かしいだけなのかもしれないし、姉と一緒に見た映画の影響かもしれない。青年の腕は悪くない。遠くから耳を澄まして聴いているとある映画を思い出した。1969年の映画midnight cowboy(真夜中のカウボーイ)であった。初めて見たのは多分今から25年も前のことだ。不可解と嫌悪感と怠惰感が入り混じったこのアメリカ映画は私の心に深い根っこを植えつけて離れず、暫くそのことばかり考えた。、そうしてこの映画の曲を口ずさんではまた考えた。若かった頃の話だ。ギターの音色は時に人をメランコリーな気分にさせる。青年のギターの音色がそんなことを思い出させてくれた。