夏の終わり

1週間続いた不快な暑さにピリオドを打つかのように強い雨が降った金曜日だった。雨が降ると自信満々に予報が出ていた昨日、夕方遅くに向こうの空が墨色になっただけで一滴の雨も落ちてこないまま終わってしまった。予定が遅れたのだろう、午前10時を回った頃ひんやりした風が吹き始めたなと思ったらあっという間に大した雨降りになった。夏特有の通り雨ではない、一気に降ってあっという間に止んでしまう夏らしい潔い雨ではない。遠くの方でどーん、どーんと雷が鳴っているのを聴きながら、仕事の手を時々止めては窓についた水滴の間に目を凝らして外の様子を伺った。まだ降っていた。果たして夕方になってやっと雨が上がるとすっかり涼しく、誰もが半袖シャツの襟の部分を立てて少しでも身を包もうとしていた。丘の家に戻って夕食の用意をする。私にとって金曜日の晩は週末の始まり、一週間働いた疲れを癒す為の楽しく過ごすべき時間である。そんな晩にはワインが欠かせない、それは多分イタリアの家ならば何処もそうなのではないだろう。時に外の気温は20度を下回っており、久しぶりに赤ワインが欲しくなった。暑い最中は血液循環を良くして体温が俄然上がる赤ワインを意識的に避けていたのである。そうだあれを開けよう。地下倉庫から古い瓶を引っ張り出してきた。それはボローニャ近郊にあるサヴォイアという名の農家から買った物である。このワイン農家を教えてくれたのは今は亡きイラリオ老人で、彼は昔隣人だった。偏屈で頑固で我侭で全く手に負えないが、美味しいワインは何処へ行けば買えるかを人一倍知っている人だった。サヴォイアはワインを0.75リットルの瓶に入れて売っていない、だから持参の大きなタンクなり容器なりに入れて貰って自宅で瓶詰め作業をするのである。その作業はいつしても良い訳ではない。スパークリングワインは満月の前に、それ以外のワインならば満月の後にしなくてはならない。もしその時期を間違おうものならば、キッチリと栓をしたにも拘らずある日突然コルク栓がポーン! と抜け出てしまうのだと言う。まさかそんなこと、と初めは信じていなかった私。しかしある年その作業をする時期が少し過ぎてしまい、でも多分大丈夫だろう、と高をくくっていたところ、忘れた頃にコルク栓が幾つも弾け飛んだのだった。昔の人達が言うことは面白くて嘘っぽいが、役に立つことが多い。特にワインとサラミについてはもの凄い知識を持っているので、あはは、可笑しい、冗談みたい、と馬鹿にしてると後で失敗することが多々ある。コルク栓のことはそんなことのひとつである。埃がかぶった瓶をきれいにして昔自分達が苦労して栓したコルクを引き抜く。これは美味しいワインが出来た年のもの。もう残り数本しかない貴重な1本なのである。ああ、こんなに美味しい! ひんやりした晩に特別な赤ワイン、手作りの料理に話し相手が居て、こんな週末の始まりはまったく素敵だ。それにしても涼しい。思えば今日で8月は終わり。私の夏ももうお終い。明日からは違う色の風が吹く。

塔に暮らす

ボローニャ旧市街の中心、2本の塔の前に真っ直ぐ西に延びるvia rizzoriからvia oberdanに曲って直ぐ右側にある脇道に入る。そこはあまりひと気のない場所で、知らない人を一瞬躊躇させる雰囲気が漂っている。何か胡散くらい訳でもない。ただ、足を踏み入れていいのかな、と思わせるのである。私がはじめてここに足を踏み入れた時もそうであった。良い気候の春の日の真昼、大通りは春を楽しむ人達で溢れかえっていると言うのにここには人間ひとり居なかった。物音もせず、ただただセピア色の世界があったのだった。別に個人の所有うちではないのだから堂々としていれば良いのに、周りを見回してこそこそと中に入ったのを覚えている。中に入っていくと前方と左手に路地が続く。左手の路はvicolo tubertiniと呼ばれていて、そこだけ中世の時代が息づいているようだった。路に面してあるのは頑丈な塔。塔の名前ははtorre uguzzoni (ウグッツォーニ塔)。12世紀に家屋として建てられた高さは僅か32mの塔である。家屋として建てられた、という注意書きがあるところからuguzzoni一家が住んではないかと想像するが、これは私の単なる想像であって確かめる術もない。何時だったか、ボローニャの友達が塔に住むのが夢だ、と言っていた。あの時はピンと来なくて聞き流したが、家屋として建てられた塔を目の前にしてふと思い出した。昔使われていた入り口や窓はレンガとセメントで硬く閉じられている。昔の窓や入り口は冬を温かく過ごす為に小さめに作られているから、もっと陽射しを取り入れるために、もっと使いやすいようにと考えたのか、別のところにもう少し大きめで実用的な窓と入り口が設けられていた。いったい誰が住んでいるのだろう。家屋にしては造りが小さい。きっと中の階段は狭くて急勾配だろう。分厚い壁が夏の暑さを遮って真夏でもひんやりしているに違いない。それにしても壁の厚みはどのくらいだろう。たぶん70,80cm位あるのではないだろうか。だとしたら中は外見よりも更に狭いわけだが天井がとても高く出来ているだろうから閉塞感は感じないに違いない。そんなことを考えながら暫く塔を眺めた。12,13世紀頃、権力と豊かさの象徴として塔を建てるのがブームだったボローニャ。この塔もそのひとつなのだろうか。

猫の居る生活

猫が好きだ。でも犬も好きだし小鳥も好き。虫は心底嫌いだけれど動物は大好きなのだ。かといってガタイの大きい象は怖くて、たとえ檻の中に納まっていたとしてもそばにも近寄ることが出来ない。動物好きの人間を動物側も感じるのだろうか。あ、この人は動物好きねとか、近くに寄ったら可愛がって貰えそうとか。街を歩いていると飼い主と一緒に散歩中の犬が近付いてくることがしばしばだ。ブルドッグやドーベルマンなどに近寄られるとほんの少し怖い、それが正直なところなのだけど、向こうには全く悪気がないので近付いてくる犬に投げキッスなどをして自分の怖い気持ちを緩和させる。さて猫なのだ。昔は大の猫嫌いだったのにいつの間にか好きになっていた。この夏ブダペストに滞在した時、近所の雄の飼い猫と仲良くなった。名前はソチ。ソチとはハンガリー語でひまわりの種を食べる、という意味なのだそうだが、さて飼い主は何故そんな名前をつけたのか。疑問は残るがその素朴な名前が気に入って朝から晩までソチ、ソチと私に呼ばれてはあっちに行ったりこっちに行ったり私と行動を共にした。ソチが夜遅くになっても自分の家に戻らないと70歳をとうの昔に過ぎたおばあさんが弱々しい声で"ソチー、ソチー。"と呼ぶ。ああ、大変、おばあさんが呼んでいるから早く帰りなよ、と私や友達にお尻をたたかれてしぶしぶ帰っていったソチは多分私たちが彼をとても好きなように私たちのことが好きだったに違いない。太った猫だった。どんな風に人に接したら可愛がってもらえるかを良く心得た頭の良い猫だった。ボローニャに連れて帰りたいくらい好きだった。ボローニャに帰ってきてソチの写真をプリントして部屋に飾ってみた。彼は今でも覚えているかな、楽しかった私との10日間を。

古いもの好き

ボローニャに限らずヨーロッパの街を歩いていると古い建物の壁にこんな四角いちょっとした彫刻がくっついているのを見かける。物凄く大きいものもあればボローニャのこれのように50cmX70cmくらいのものもある。大抵の場合が小さな文字でその建物の由来や持ち主、建設した年が刻み込まれている。そして何かしらかの図柄が彫りこまれている、といった具合だ。あまり目が良くない私、しかし日常生活で眼鏡をかけることもコンタクトレンズを入れることも酷く嫌う私は、大体の感じこそ分かるけれど細かい文字まで解読することは出来ず、だから図柄から色んなことを想像するだけである。それとも高いところに取り付けられているから私でなくても読み辛いものなのかもしれない、とも思う。ボローニャの人はこんなことには興味はないのか、それとも見慣れているのでもう特別でも何でもなくなってしまったのだろうか。道を歩いては立ち止まりレンズを向ける私のことを不思議な顔して見ながら通り過ぎる人ばかりだ。もし見慣れてしまって日常生活の一部になってしまっているのだとしたら、それはそれでとても幸せなことである。いつかこういうものが全くない近代都市に暮らすようになったら、今までの古いものが大切に保たれている町に暮らしていた幸せさをしみじみ感じるに違いない。私はそういうものがない町から来たから、こんな小さなものでも100年も200年も大切にされてきたものが目に付いて仕方がないし、愛しくてならない。この手のものをボローニャの旧市街で見つけようと思えば、意外と簡単に見つかるものだ。古い建物を探せばよい。古くて由緒ありそうな、何かストーリーがありそうな建物を探せば良いのである。勿論、こんな古物好みな人がどれだけいるのか知らないけれど。私の古いもの好きは友達の中でも有名。暇を見つけては、いや忙しくても時間を作り出してはこういうものを探しながら街を見て歩くのが大好きなのだ。

いつもの生活

昨晩は仕事嫌々病に罹ったせいでなかなか寝付けず寝不足。今日は眠い目を擦りながらの社会復帰となった。そうでなくても長い休みで頭のネジが緩んでいるというのに、眠気が加わってしまってはどうにもならない。しかし形だけでも仕事をしている、そうだ、それが大切なのだ、と周囲の人に言われて誰もが同じ状況であることに気が付いた。頑張ろうと思う。今日からいつもの生活に戻る人は沢山居るに違いない。その証拠に先週のボローニャは驚くほど人が少なかった。夏はいつも街から人が居なくなるもの、しかしこんなに人が少ないことも滅多にない。道行く人の居ない通りに置き去りにされた自転車。店先には8月26日まで休みです、の張り紙がされていて折角ボローニャに来た人たちには残念なのではないかと思うけど、これもイタリアの夏の風物詩と思って我慢して貰うしかない。それにしても久しぶりだった。郊外の緑豊かな中でのんびり生活するのも良い、たまには国外に出て違った空気を吸ったり違った文化を感じるのも良い。それでいてボローニャを歩いているとやっぱりこの街が好きだと思う。フィレンツェのように有名な美術館があるわけでもないし有名な教会があるわけでもない。ローマのように遺跡が街中の至るところに存在して街行く人の足を止めるわけでもない。ミラノのような煌びやかさもないしヴェネツィアのような運河が醸し出す情緒もない。明日のは多分素朴さと普通さ。地味で頑固そうな建物とそこに生活する普通の人々。そういう街が私の性格には合っていて、居心地の良さを感じてはここに居ることを幸せだと思う。さあ、嫌々病を早く克服して、また元気に街散策を始めよう。