festa di guarda

6月最後の週末は空けておいてね、と友達のantonellaが何週間も前から言っていた。それと言うのも6月30日、7月1日の2晩続けてguarda (ボローニャ県ロイアーノ市グァールダ村)で地元の小さな祭りがあるからであった。その祭りで彼女は知人達と一緒に出店を構え、0歳から12歳までの子供服の古着を売ることになっていた。この古着は全て人々から譲り受けたもので、これを売って上げた収益をアフリカのコンゴの病院に寄付しよう、という話なのである。行けないと諦めていたら親切にも迎えが来て思いがけず祭りに行くことになった。guarda は小さな村だ。あるのは良い空気と汚染されていない空と緑、そして疎らにある家。沢山の曲がり道を通って進んでいくと村が見えてきた。既に沢山の車が駐車されていて楽しい音楽と美味しそうな匂いも漂っている。antonella の出店に立ち寄ってみると幾人かのお客さんが居て忙しそうだった。よくもこんなに集めたと思うほどの大小様々な服が並べられていて、沢山の人がこの寄付金に関心があることを知った。どの服もほぼ新しく、良いコンディションの物ばかりであった。私は2才用の小さな水色の袖なしのワンピースが気に入ったが、着せる子供も居ないので何度も考えた挙句の果てに買うのを止めた。それにしても安い、50セントから始まってどんなに高くても5ユーロなのでうっかりするとすぐに成長してサイズが合わなくなる子供を持つ若い母親達が上手な買い物をしていた。村の祭りに何があるか、なんて凄い期待をしてはいけない。大抵の場合数軒ので店と子供を楽しませるエリアと大人がダンスをして楽しむエリアと軽食を食べるエリアがあるくらいである。明るいからうっかりしていたが既に9時を回っていたので美味しい匂いのする方角へ足を運ぶ。メニューを見ると大きく分けてクレシェンティーナ、ポレンタ、タリアテッレ、ポテトフライの4つだけ。こういう村祭りでは揚げたてのクレシェンティーナを選ぶのが宜しい。これにプロシュートクルード(生ハム)を挟むとかなりいける。これにコップ酒ならぬコップワイン。そのうち陽が落ちて大人達のダンスが始まった。音楽は北イタリア地方特有のアコーデオンで伴奏する長閑なものだ。50年代辺りの古臭いものであるが文句を言う人は誰もいない。それどころか若者までもがこれに合わせて楽しそうに踊っている。村ならではの情景であり、全く微笑ましい。ふと思い出した、今夜は満月であった。辺りを見回してみると、あった、あんなところに。でも誰も気が付いていないようであった。村の祭りはまだまだ続くが早めに切り上げて退散した。帰りの道のりで蛍を観賞した、来週末は隣村で祭りがあることを話しながら。

vetrina 見学

何度覘いても面白いvetrina (ショウウィンドウ)はここ、via drapperia に在る一軒だ。店の名前を覚えることが私の苦手なことのひとつであるが、この店の前を何度通っても何度看板の名前を確認しても覚えることが出来ない。それでいて大好きなのだ、この店が。ここはイタリアで俗に言うcasalinghe (カーザリンゲ)と呼ばれている家庭用品を売る店だ。vetrina の中には食器類もあるが面白いのはオリーブオイルやビネガーを入れる様々な形のガラスの器、包丁、薄手のガラス製のコーヒーカップやクリスタルのデキャンタ、ワインオープナーなどである。私は案外どうでも良いこと、物が気になるタイプなので、時々微妙に入れ替えがあるここを素通りすることがどうしても出来ない。変な性格と思うなかれ、こういうタイプの人間は思った以上に世の中に居るらしく、私がvetrina をひとり淋しく見学することは殆どない。必ず2,3人がガラスにへばりついている。彼らも同じどうでも良いものが気になる人達らしい。先日右上のほうに床屋が使うような道具を見つけた。泡立て及び顎に泡を塗りたくる、髭剃りに使うあれである。いったい誰が買うのだろう。私の友人知人関係で今時これを使っている人は居ないなあ。見ればそれなりに種類があって、ああ、これこれ、と拘って買っていく人が居ることを示唆しているようだった。それから様々な用途向けの大きさの違う鋏。写真には写っていないがぎらりと光を放つ包丁や刺抜きも並んでいる。スーパーマーケットで買い物をするのに慣れた現代人、特に北米人や日本人の目にこの店はいったいどんな風に映るのだろう。実際見学と称して見入っている人達は大抵ある程度の年齢を超えた人たちか、ヨーロッパの人達である。とりあえず現代人の仲間であり100%日本人の私だが、何しろ古いものが好きであり人間も昔風であることも手伝って懐かしい感じがすると同時にとても粋に見える。大好きな店。でもたった一つ困ったことがある。ここに居ると数匹の犬を連れた兄さんに必ず"小銭ちょうだい"と訊かれることである。

野原

風の吹く日が続いている。窓から見える樹木が風に揺れるのを見るのはなんて気持ちが良いのだろう。そう言いつつも風が吹くと砂埃が舞い上がるらしく、ここ連日くしゃみを連発している次第だ。今朝、いつものように家を出て丘を更に登っていくと視界に茶色い物体が入った。良く見るとそれは野兎で、車の勢いに後ずさりをしているところであった。そういえば数日前にも野兎を見かけた。ちょうどこの辺りであった。同じ野兎か、又はその家族か、友達か。どちらにしろ野兎が生殖していることは良いことだ。自然環境が良い証拠である。そのことを友人に話したら美味しそうだったかと訊かれたので心底驚いた。そんな発想はやはりイタリア人ならではだ。なだらかな丘陵地帯を暫く走り丘を降りていくとそこはbotteghino di zocca と呼ばれる村である。ここにあるのは良い空気と丘と草むら、曲りくねる田舎道と所々に散らばる家だけだ。勿論バールがありトラットリアがありガソリンスタンドがあるが、それだけ。でもこの辺りは大人気、自転車好きには堪らない道である。毎朝自転車を楽しむ人たちを対向車線に沢山見かける。その多くは老人で、最近は他の国から自転車旅行を楽しみに来た外国人たちも見かける。ところが今朝はぱったりと見かけず、さて、どうしたのかな・・・と首をかしげながら進んでいくと、居た! 居たなんてものではない、その数は恐らくは50台を軽く超えるであろう自転車集団がそのもっと後ろに渋滞した車を携えながらこちらに向かってくるではないか。老人ばかりではない、若者も沢山居た。何かのレースなのだろうか、それとも何かのサークルが主催して今日と言う日に一緒に自転車で走ろうよ、と特別企画でも起こしたか。兎に角対向車線とは言え、前から走ってくる自転車集団の迫力には全く慄いてしまった。すっかり自転車と渋滞した車が行ってしまうと、そこには野原だけが残った。誰かが植えたのではなく何処かから種が飛んできて生えたのであろう、ラヴェンダーの花が風にそよぎながら咲いているのが美しかった。そうか、こんな景色が自転車族には堪らないのだろう、と一瞬彼らの気持ちがわかった気がした。

カフェ

何処の国の何処の街にもカフェが在り、見つけると立ち寄らずには居られない。他の大きな街に比べたら絶対的に数が少ないと思われるが、ボローニャにも色んな個性を持ったカフェが在り私達の目と感性を楽しませてくれる。上品な雰囲気のところもあれば粋な人達が通うお洒落なカフェも在る。一般市民が普通の顔して普通に居られるカフェもある。どの店が良いかと一言で言うの難しい。何故なら外目で感じが良くても実は店員の感じが悪いところもあるしカップチーノが味気ない単なる泡が乗ったミルクコーヒーなんてこともあるからだ。逆に傍目には、え、ここ? みたいな店が実は穴場だったりもするのだ。路の向こう側から見たことはあっても入ったことも店の中を覗いたこともない店があった。2本の塔の横にあるpiazza mercanziaに面したカフェはポルティコの下にこんな空間を設けている。最近気になっている場所のひとつである。イタリアっぽくない印象を受けるのは私だけだろうか。ところで私のお気に入りの街のひとつにブダペストがある。何年か前に行って以来、一年に一度は行かないと気がすまない程だと言えば、どれ程気に入っているか想像していただけるだろう。その昔は東欧と呼ばれていたがいつの間にか中欧と呼ぶようになり今はEU加盟国である。EUに加盟することが良いのかどうかは別にして、ここ数年の間にめまぐるしく変化しているように感じる。それでカフェの話だが、ブダペストには本当に数え切れないほどの店がある。そしてどれもが自分の色を持っていて私を魅了して離さない。そんなある晩、ブダペストに暮らす友人の家でビデオを見た。タイトルはカフェ・ブダペスト。original language(ハンガリー語)の日本語字幕。この街のカフェに夢中だった私は楽しい話に違いないと決め付けて見始めたところ、直ぐにそれとは無関係の話であることに気が付いた。考えさせられる話であった。かいつまんで言うと社会主義崩壊直後のこの街を舞台にした西を目指すロシア青年2人とそこに集まる人々の状況や心境を描いた、意味深い話なのである。それは単なる話でなくてほんの十年前までそうだったのだよ、と一緒に見ていた若いハンガリー青年が言った時にはふいに頭を殴られたような心境だった。その一件は私のこの街に対する考えを改めさせ、そして益々好きになったのである。この国の背後を知った上で訪れるとまた違ったものが見えてくる。単にカフェに入るだけでも。単にカフェに居る人々を観察するにしても。ハンガリーに限らずどの国のどの街もその背後を知っていると感じ方が違うのだろう。そうに違いない。それにしてもカフェ、私にはなくてはならない存在である。

水色の食器

先日街を歩いていたら心を引く水色の食器を見つけた。しかも魚の形だ。大皿と小皿の組み合わせで同じタイプでクリーム色もあり、一緒にするととても感じの良いテーブルをセット出来そうな気がした。時は初夏。テラスにテーブルを広げて屋外の食事が楽しいが、それにぴったりな配色であった。普段私は好んでginori のantico doccia と呼ばれるシリーズの食器を使用している。理由はシンプルで丈夫で使いやすいからと単純である。フォークとナイフを使う食生活は食器に傷が付きやすいが、ginori の食器は傷が付きにくい。従って長持ちすると言うわけだ。それからこのシリーズの白い皿は全くシンプルで飽きないし最低限の飾りしかない為に洗うのに便利と言う訳だ。実を言うと私がginori の皿を買おうと店に出向いたときvecchio ginori と呼ばれるもう少し細工の入ったものが気に入ったが、親切な店の人が"あまり綺麗に洗えない"とか"手洗いでないと洗い残す"とか教えてくれたのがきっかけで何事にも簡単なantico doccia を選ぶことになった。実際簡単に洗えて丈夫で良い皿であった。イタリア国産のginori であってもやはり高いものは高い。だから私はフィレンツェ旧市街に在るginori の店の奥にアウトレットが設けられる時を狙っての購入だ。真っ白の皿だもの、何処が上手いこと出来ていないのかは本当に目を凝らさないと解からない。それでいいのだ、普通の人の普通の食卓で使うものだから。さて、そういう訳で白い食器に満足をしているが、たまには気分を変えるのも良いではないか。楽しい食事会が出来そうだし。と、そのうち始まるであろうこの店の夏の売り出しを首を長くして待っている私である。