帰り道

近頃多忙である。多忙な理由はアフター5の習い事ならぬ、自動車教習所通いなのだ。これは大変な心の負担になっている。20才前後のイタリアの若者に混じりながら授業についていくのは正直言ってキビシイ。しかし車を運転したい!その一心でゴールに向かって頑張る毎日だ。ゴールは果てしなく遠い。しかしこれから6が月以内にどうしても免許証を獲得せねばならなくなった。Foglia rosa (仮免許証)を発行して貰ったのである。そして本日、初運転を控えており、本人全然余裕満々な振りをしているが実は朝からかなり緊張している。自分がこんなに繊細な感情の持ち主だったとは今の今まで知らなかった。ひとつ新しい発見である。そんな本日の夕方は学校に向かう前に旧市街でも散歩すると良いかもしれない。そうだ、木曜日の午後も空いている本屋に立ち寄って心静かな時間を持つことにしよう。それとも元気付けにジェラート屋さんに行こうか。やっと昼になったばかりだが心は既に夕方へと飛んでいる。車の運転は生まれて初めて。車のkeyを回したことすらない。教える側のことを思うとこんな生徒で申し訳ないが、まあ我慢してもらおうか。ああ、それにしても初運転。楽しみであるような、怖いような、とても複雑な心境の今日の私なのであった。

水曜日・晴天

昨日までのもやもやした天気にようやく区切りがついて素晴らしい晴天を迎えた今朝のボローニャ。全ての塵が雨と風で一掃されて気持ちの良い一日。外気はまだまだ冷たく寒がりの私に限らずイタリア人達もがっちり着込んでいる。青空にはぽっかりと白い雲が浮かび雨で洗われた樹々の緑がきらきら光り、このまま天気が良くなれば清々しい初夏の気候を望めるに違いない。するべきことは沢山あるがハーブとキウイの木を大きな鉢に植え替えることが第一優先。これは天気のいよい日でないと出来ないことである。土曜日には待望のcastel san pietro。ブルース・フェスティバルがあると思っていたがどうやらカレンダーの読み間違えで先週末だけだった。残念、今年も逃してしまった。けれども友人宅で楽しい夕食を楽しんでから蛍見物をする予定である。友人によると蛍は水が濁り暑くなり過ぎると死んでしまうのだそうだ。だから6月が宜しいという訳だ。しかしこんなに涼しくて蛍を見ることは出来るのだろうか。土曜日の晩までにあと10度くらい上がってくれると良いのだが。ついでに紹介するとこの友人宅の食事に呼ばれるのは大変嬉しい。何故ならば友人はお菓子作りの名人なのだ。例えばこの春先に別の友人の所で集まった際に、驚くべき繊細かつ美味しいチョコレートケーキを作ってくれた。イタリアで暮らしているとあの甘みを抑えたデリケートな日本女性好みのお菓子は貴重である。皆がふた切れづつ食べたのであっという間に食べきってしまったほどだ。自分でそんなお菓子を作ることが出来たら良いと思うが、何事も大雑把な私には無理だろう、と自他共に思うので敢えてチャレンジはしない。だからこの土曜日は夕食の最後に何が出てくるのだろうと大変楽しみなのである。今日は水曜日、週末までにはまだ日があるけれど楽しみがあれば大丈夫。と天気が良いのも加わって元気満々である。

guasto (故障)

先週の暑さと日差しの強さを思い出すことが出来ないくらい日曜日の午後からどんより天気のボローニャとその近郊。寒い。寒がりの私がそう言うと必ず"寒いのではない、涼しいのだ"とイタリア人達に窘められるのが常だが、今回に関してはイタリア人達ですら"寒い"の単語を適用しているようだ。何しろ先週は夕方7時でも30度もあり暑さで眩暈がするほどだったと言うのに、昨日の夕方は13度しかなかった。あまりの低さに温度計を2度見直してしまったくらい驚いた。もうすっかり夏だね、の挨拶が定着していた最近だったが、天気の故障もよいところである。毎年5月になるとイタリア人達の心がうずき始める。金曜日を早めに切り上げて、若しくは月曜日に休みを取ってロングウィークエンドを山や海で過ごすのだ。6月が目前の今、そのように週末を過ごす人達に加えてpre夏休みと名付けて真夏に待ち構える本当の夏休みの前に1週間の休みを取る人達も居る筈。この天気には参っているに違いない。連日あれほど満員だったジェラート屋さんはどうしていることだろう。こんなに寒くてはジェラートを欲する人も少ないだろう。今朝、窓から腕を差し出してみたらブルルと震えた。半袖やサンダルでは風邪を引いてしまうと、、既にクローゼットの奥深くにしまい込んだコットンセーターを引っ張り出し、足元をしっかり包むローファーを履いて家を出た。空は今日も鼠色。樹々が風に大きく揺れている。初夏の陽気な花達が寒々しく見える。おーい太陽、早く戻ってきておくれ。と窓の外を眺めながら空に話しかけている。

迷路

郊外に住むようになって帰りのバスルートを変えた。それは旧市街とは全く無縁な最短ルートなので道が空いていて良いと言えば良いが、味気ないと言えば大変味気ないのである。早く家に帰ってしたいことがないこともないが、たまには時間を気にせず遠回りを承知で旧市街に立ち寄ると楽しい。ボローニャの旧市街は規模が小さい、しかし沢山の道に路地が入り込んでいてうっかりすると自分が居る位置が分からなくなってしまう。いつも通る道を歩いている時、ふとまだ歩いたことのない路地を見つけたりすると足を踏み込まずには居られない。珍しくてあっちを覗きこっちを覗き、また上を見上げながら歩いていると自分が居る場所が分らなくなったりするのである。道にしても真っ直ぐな道はごく僅かだから自分の予想を反した場所に出たりすることがしばしばだ。イタリア国外に暮らす私の友人達は皆ボローニャが好き。小さいけれど面白いものが凝縮されていて飽きないのだそうだ。みんな大人なんだから、と平日の昼間は仕事をしている私抜きで一人歩きをさせるが、皆、地図を頼りに堪能しているようだ。たまに迷子になりながらも。もしローマのような、それからニューヨークのような大きな街だったらばそうはいかないに違いない。本当の迷子になってしまうだろう。ところで何年も住んでいるのに未だ未開拓界隈というのがある。それはvia d'azeglio 界隈で特に旧市街をぐるりと取り囲む環状道路に近い辺りは殆ど歩いたことがない。と、久々にボローニャ旧市街地図を広げて分かった。引越し後の片付けは生活に困らないレベルになってから難航しているので暇とは言い難い毎日、しかし週に1回くらいそんな風に寄り道をすると余裕を感じて良いのではないかと思うこの頃だ。

Roncastaldo (ロンカスタルド)

昨夕方、急に山の友人達から誘われてロンカスタルドまで夕食に行った。ここは友人達が住むところよりも更に南の小さな村、もう少し先に行くともうトスカーナ州だ。ロンカスタルド・・・聞いたことがない、と思いながら到着したところは実は既に2度訪れたことのある村であった。そして予約を入れていたトラットリアも初めてではなかった。ここは薄く延ばしたドウを油で揚げたクレシェンティーナとこの辺りの郷土料理が美味しくて、それでいて高くないのでいつ来ても満席の店。予約を入れていかないと折角こんな遠くまで足を延ばしても無駄足になってしまう。夜9時近いのに空はまだ明るい。店の近くに車を止めて歩き出すと麦畑の向こうに教会が見えた。どうやら何かのお祭りらしい。こんな時間なのに沢山の人が教会前に集まっていた。坂道を降りていくとトラットリアの店先に数々の蝋燭。辺りを見回すと路肩にも点々と蝋燭が並んでいた。路上では小さな子供達が駆け回り、大人達はいつもより少しめかし込んで教会への坂道をゆっくり下りて行く。私達はテラス席に着いた。樹々の合間から教会の鐘楼が遠めに見えた。お決まりのクレシェンティーナを頼んで赤ワインをちびちび舐めながら待っていると鐘が鳴った。一つ二つではない。色んな音色の鐘が音楽のように10分近くも鳴り続け、終わったと思うと又鳴り始める。こんなに長く鳴り続ける鐘は今まで聞いたことがない。ようやく終わると神父の声が聞こえその後に人々の声。そのうち音楽隊が音楽を奏で始め、人々が歩き出した。音楽と声がだんだん近づいてくる、とても神妙な空気を感じた。ようやく一団が店の前まで来た時、私達が見たものは神父を先頭に蝋燭を手に手に持つ人々と音楽隊、そして体長1m程のマドンナ(聖母)の像。イタリアの教会の殆どはカトリックでその教会内には必ずマドンナが納められているが、一団はそのマドンナを何処に連れて行くのであろうか。暫く店の人も客達もお喋りも食べるのも忘れてその様子をじっと見守った。そうして一団が行ってしまうと何もなかったかのように賑やかさが戻った。ここのクレシェンティーナはとても大きい。薄くて丸い、直径30cmほどの食べ応えのある熱々のそれに各自がサラミや生ハム、それともチーズや自家製の杏ジャムをのせて頂く。やっぱりここのが一番。食事が美味しいと話も弾む。話が弾むと楽しくて益々食欲が沸く、と好循環である。そうしているうちに例の一団が戻ってきた。今度は神父も人々も無口でただ音楽だけが流れていた。人々の手元には蝋燭の火が灯りすっかり暗くなった田舎道にゆらゆら揺れていた。マドンナはどうしたのだろう、と暗闇の中を探してみると居た居た、どうやらマドンナと共に村を一周するのが今日のお祭りらしい。イタリア人の全員が敬虔なカトリック教信者ではない、しかし周囲を見回すと沢山の客が椅子から立ち上がって胸に十字を切り、つぼめた自分の右手にキッスをして何やら呟いていた。そういう様子を見るのは初めてではない、イタリアに暮らしているとしばしば目にするシーンである。マドンナが教会内に再び納められたらしく一団の役目もこれで終わり。その後には楽しいお祝いが待っていたようで楽しい声が遠くから聞こえてきた。そんな祭りがあるとは知らずにやって来た私達は美味しい夕食に思いがけない贈り物を貰ったような気分になって、誰もが微笑みを溢しながら生温い夜風の中を散歩した、そんな素敵な一日の終わりであった。