S.Silvestro

今日は12月31日、イタリアではS.Silvestroと呼ばれる日である。イタリアは宗教上どの日にも、どんな普通の日にも聖人の名前がつけられていて、自分の名前と同じ聖人の日にはお祝いをするくらい生活に馴染んだものである。例えば私の名前がAnna(アンナ)だったとしたら自分の誕生日の他に7月26日にもお祝いがあるという訳だ。これは古い習慣、でもそんな古い習慣が今も普通に続いているのがイタリアで、私はそんなイタリアが好きだ。さて、今日は一年の最後の日なので何となく慌しい。それというのも今日の晩は新しい年を迎える為の夕食会を控えているのでその準備に忙しかったり、日本同様気持ちよく新しい年を迎えるために掃除をしたり。始めたらきりなくすることがある一日だ。写真は街の中心のpiazza maggiore. こんなにのんびりした雰囲気の広場も今夜は大騒ぎ、お祭り騒ぎで大混乱になる。友達や恋人と行くならしっかりと腕を組んでいないとはぐれたら最後、はぐれっ放しになること間違いなしの混雑なのだ。夜中の12時を過ぎた頃に広場の様子をTV中継で見ることも出来る。空恐ろしい混雑だ。当然ながら私は行かない。毎年この日は旧市街の友人の店に行って仲間と一緒にわいわいしながら新しい年を迎えるが、今年はこの秋郊外に暮らし始めた友人の家で気心の知れたもの同士が集まって祝うことになった。参加者がそれぞれ美味しいものを持ち寄っての夕食会で、ある人はお菓子を作り、ある人はアンティパストを作る、そして作らない人はワイン農家から飛び切り美味しい白のスパークリングワインを調達するといった具合だ。私は昨晩からハンガリー名物のグラーシュを煮込んでいる。既に7時間も煮込んでいるが煮込めば煮込むほど美味しいのでまだまだ頑張る。今回はとても気合が入っているのだ。折角みんなで頂くんだから美味しい方がいい。グラーシュにプーリア州の弾力のあるパンを添えて食したら美味しいだろう。1月1日の元旦よりも前日の方が大騒ぎのイタリア。今夜12時を回って新しい年のお祝いをしたら、またいつもと変わらぬ平凡な日が始まる。

vinoとお喋り

ボローニャの街を歩いているとエノテカ、つまり試飲の出来るワイン販売所があっちにもこっちにもあるのに気が付く。ある店は暗い穴倉のようだったり、ある店はガラス張りで明るくお洒落だったり。どちらも店主の性格と好みがよく現れていて面白く私はどちらの雰囲気も好きだ。私がワインを楽しむようになっててからまだ13年程度。それまではお酒類の一滴も飲まない、飲めない体質と信じていたのだが、実は飲んでみたら沢山飲めるわけではないが結構好きなのだ、と知った。今では気心の知れた友達が集まった時や美味しい食事をもっと美味しく味わいたい時には欠かすことが出来ない。好きだが知識満載で人にあれこれ教えることが出来る訳ではないし、長々とワインの講釈する人の説明を聞きくのも好きではない。でもワインを選ぶときにほんの少しそのワインの逸話を話してくれたりアドバイスしてくれたら有難いと思う。後は人それぞれの好み次第だ。私にとってワインは美味しく楽しく頂くだけでよい。そして楽しく頂くのに欠かせないのがお喋りだ。折角の美味しいワインもひとり黙りこくって飲むのはつまらない、と思うのは私だけだろうか。話し相手は友達や恋人でなくても良い、偶然となりに座った知らない人でも良いし店の人でも良いのだ。お喋りなしよりもお喋りありの方が断然ワインは美味しいと私は信じる。私がエノテカに行くようになったのはほんの5,6年前。今はローマに暮らす私の友人がまだ私と一緒に仕事をしていた頃、普通の日は黙々と帰宅するくせにまるでそうと決めたかのように金曜日の仕事の後はエノテカに足を運んだ。私たちが好きだったのはrosso di montalcino、その当時の私たちにとっては他のワインよりもほんの少し高くて(と言っても今考えればグラスに一杯4・50ユーロだったのだがそのほかにチーズやサラミ、生ハムを頼むと自然とひとり10ユーロを超えてしまうのだった)懐と相談、みたいな存在だった。だから毎回それを頼むのではなく例えば何かのお祝いにかこつけて頂くといった感じだった。たまにヨーロッパとは違う文化を持つ国アメリカから来た人達が周囲に馴染んでワインを楽しみ、つたないイタリア語で交流しようとする様子を見て感心したものだ。エノテカはパブやバーではない。エノテカでワインを頂くときはやはり周囲との調和を大切にするべきだと思うし、隣に席を並べる人達や店の人との交流も大切にしたい。そしてそういうのもエノテカの楽しみのひとつなのではないかと思う。まだ入ったことのないエノテカに足を踏み入れるのはいつだってほんの少し緊張するものだ。だからとびきりの笑顔でBuona sera(こんばんわ)と挨拶をして店に入ろう。そうしたら店の人も既にいる常連達も温かく迎えてくれること間違いなしだ。

爆竹・花火

今年も残り僅か、そう実感するのはいつも夜9時を回る頃だ。それは何故かと言えば近所の若者達か子供達か分からないけど夜9時を過ぎる頃になると花火を打ち上げたり爆竹を道に叩きつけて盛り上がるからだ。日本人は花火が好き、花火は日本の文化の一部と言ったら言い過ぎだろうか。日本の打ち上げ花火は大きくて美しいことで世界でも有名だ。さてイタリアの花火は美しいかどうかは別にしてお祝いの日やその前日などの夜に打ち上げられることが多いが、音が大きいので関心がなくても何ごとか!と窓の外を見ずにはいられない。一昨日の晩のこと、うちですっかりくつろぎモードに入った頃に外で爆竹や花火の音が鳴り始めた。何だか今日の音はとても近くのような気がする。こんな住宅街で花火や爆竹をするなんて何ということ!夜なんだからあんまり騒がないでよね、と心の中で思ったその時、もの凄い爆音が響き家が大きく揺れた。怖かった、本当に怖かった。自分の手足がまだ存在していることを確認して、良かったと胸を撫で下ろした。きっと近所の誰もが悪いことを一瞬ながらも想像したに違いない。大爆音後の数秒間、辺りはしーんと静まり返りその後窓という窓から住人が頭を突き出して爆音の犯人達を一気に叱り飛ばしあっという間に退散させた。ここ数日、人々は爆音にとても神経質だ。何故ならクリスマス前日にボローニャ郊外のある村でガス漏れによる爆発事故があったばかりだからだ。この事故はその後も尾を引いており解決するのはいつになることか。話しはこうだ。24日の朝7時頃、村の一部でガスの臭いがした。住民は直ぐガス会社に連絡をしてコントロールしてくれるよう頼んだがガス会社は一向に来ない。後でガス会社は"ガス漏れ通告のうちの90%は嘘通告だから"と弁明した。兎に角、そのうちに、ボン!爆発して家が一軒吹っ飛んでしまった。住人は残念ながら亡くなった。世間は狭いものでこの家族は私の知人にとっては家族同然の親しい人達だった。ボローニャから直ぐそこの村に住む家の家長は数年前まで羊を100匹ほど飼っていて、その乳でペコリーノチーズを作って販売していたから彼を知っていた人は多いに違いない。私は面識こそないものの彼のペコリーノチーズは美味しく頂いていたのでこの知らせは胸にずっしり重くのしかかり、昨日の葬式には参加しなかったがボローニャの家から冥福を祈った。ガス漏れによる爆発事故からたったの5日しか経たない今日この頃は、出来れば爆竹や花火の爆音を聞きたくないのが正直なところだ。

comune di bologna(ボローニャの市役所)

街の中心のpiazza maggioreに面してボローニャの市役所がある。この建物は1450年から1550年位にかけて作られた幾つもの建物の集合体と言ったら正しいかもしれない。兎に角ある一角が全て市役所の建物なのだ。色んな歴史が詰まっているのでそんなことを想いながら見学するのは非常に面白い。旧市街に存在するイタリアの市役所は何処も大抵とてもオープンで自由に見学させてくれるし市役所職員もとても親切。もともとイタリア人の大半はお喋り好きなので関心を持って色々訊ねる外国人の私に彼らが知っていることを惜しみなく教えてくれる。何年も前までは2階の広場に面した一角がカフェだった。外の景色と友達との長話を楽しみながらここでカプッチーノと美味しい焼き菓子を頂くのが好きだったから、このカフェが閉鎖になったときには心底ガックリしたものだ。さて、ボローニャの市役所には中庭があり誰もが自由に出入りできるようになっている。ここはそんなに広くはないが真夏の暑くて堪らないときには涼しむ為に立ち寄ったり、雨が降っている日の待ち合わせをここでするもよし、そしてベンチに腰掛けて本を読む人もよく見かける。広場の真ん前でありながら信じられないくらい静かでほっと出来る空間だ。その中庭に沢山の人が集まっていた。とても陽気な集団だ。多分結婚式があったのだろう、二階の大広間で結婚のセレモニーを終えたカップルを中庭で待っているに違いない。良く見ればお米を手に握っている。イタリアでは結婚式の直後、カップルに向かってお米を投げて祝う習慣がある。それはどういう意味なのか正しいところは未だに知らないままだが、恐らくporta fortuna(幸運を招く)ひとつの習慣なのだろうと想像している。こんな年末の忙しくて寒くて楽しくない時期に偶然知らない人達の結婚式に出くわしたことで何だかとってもツイテル気分になった。

裏通り

やっと何でもない普通の日になった。12月に入ってから自分も周囲もざわついていたので、こんな何でもない普通の日が心地よい。ここ連日の快晴は予報によると後3日間だけ。そう聞いたら今のうちに外に出ておかないと勿体無い気分になり用もないのに外出することにした。今、旧市街はとても微妙な時期である。と言うのはクリスマスのショッピングがすっかり終わった今は1月から始まる冬のサルディ(セール)を前にして店に人が入らない超シラケた時期なのだ。確かに人は歩いているが店の中にはなかなか入らず皆ショーウィンドウにへばりついて物色しているだけだ。誰も見ていないショーウィンドウに私がへばりついていたらあとから左右に人がへばりついた。中に居る店の人は一人、へばりつく客は3人だ。暫くしたらちょっと恥ずかしくなり、それぞれがva bene(ま、いいわ)と言ってその場を離れた。何がva beneなんだか分からないが宜しい。気の向くままに歩いていたらpiazza san martinoに辿り着いた。この広場の前はよく通るがこの広場の奥にある道を歩いたことはない。何となく秘密っぽい暗ったい印象の道だといつも思っていたからだ。旧市街の建物の多くは大変古いがそれなりに手入れがされていて良い状況が保たれているのに、この道はいつ見ても壁がボロボロしていて情緒があると言えばそうなのだが、何となく気に入らない。人通りも大変少なくひっそりとしているのだ。でも、気になる。奥から身なりの良い男性が歩いてきたのをきっかけに思い切って足を踏み込んだ。道の名前はvia valdonica。この名前は聞いたことがある。16世紀の頃ユダヤ人街と呼ばれていたところだ。ポルテイィコを潜り抜けると右の方に道が伸びていたのでそちらに行ってみる。道の名前はvia dell'inferno、直訳すれば地獄通り、柔らかく言えば苦しみの通り。でも全然苦しんでいる様子もないし佇まいは質素ながらも工房が立ち並びとてもよい感じである。道はアスファルトでも普通の石畳でもない、川から拾ってきたような丸い石をセメントで固めた、そうだ、これは昔馬が使っていた道に違いない。傍らの工房のガラス窓から中を覗いてみる。ここはアンティークの額縁屋さん、無数の額縁が所狭しと積み上げられている中で職人が修復している姿が見えた。ガラス窓にはアンティーク額縁の修復コース参加者募集の紙切れが貼ってあった。いつか参加してみたい。あんなに抵抗を感じていた印象の悪い、その名も"苦しみの通り"は実は全然苦しくなく、それどころか感性豊かな工房や店が並ぶ私好みの裏通りだと分かり、また一つお気に入りの散歩道が増えた。そうしてこの道を突き進んでいって抜け出たところは私がいつも行く本屋さんの横だった。こんなに身近に素敵な道があったなんて、と、ふと"灯台もと暮らし"の言葉が頭に浮かんだ。