冬の青空

この頃ボローニャは曇り空が多い。雨降りは嫌い(雪はもっと嫌い)なので雨でないだけでも有難いがすっきりと晴れる日がないというのは何というストレスだろう。と言うと冬なのだから仕方がない、と直ぐに窘められてしまう私だが、昨冬は寒かったけど確か快晴の日が多かった筈・・・。キーンと空気が冷えていて帽子なしでは居られなかったくらいだったけど、青空を見ることで楽しい気分になった記憶があるのは気のせいか。どんな青空を求めているかというと、ほら、こんな青空。この写真は昨年の12月10日に撮ったものだが外気が冷たく澄んでいる冬だからなのか、それとも冬にしては珍しいのか、素晴らしい青空が広がって青空支持者の私を狂喜させてくれたことを覚えている。郊外の遮るものがない広々とした青空が好き、だけど旧市街の古い建物と建物の隙間に見える小さな青空も大好きだ。

友人のこと

週末の楽しみは人それぞれ。ある友人はスポーツ三昧だし、普段仕事で外にいることの多い友人は家の中の生活を楽しむ。私は週末にはボローニャの生活から脱出すべくイタリア小アルプス方面へ足が向かう。エミリア・ロマーニャ州とトスカーナ州の境目よりももう少し手前の小さな村、スカースコリには私のお気に入りの友人家族が住んでいて、彼らを訪ねるのが週末の楽しみの一つだ。この家族は一見気ままな生活をしているように見えるが実は色んなことを積極的に取り組んでいる興味深い人達だ。本当に美味しいものを食べる為に自給自足の生活をしているこの人達はいつ遊びに行っても畑や山で働いていたり家畜の世話をしているが、決して苦に見えない。遊びたい年頃の息子達もごく自然にいつも畑仕事を手伝っていて全く感心だ。そしてまるでこれが本職のように見えるが実は夫婦共に教師で忙しい身であるが為、週末にはこうして畑仕事をするらしい。と言うことはこれは彼らの単なる趣味なのか、と言えばそうとも言えない。自家製の生ハムにしろソーセージにしろ蜂蜜にしろ、一度食べたらやめられないくらいの美味しさだし、収穫される野菜だって無農薬で自然の恵みを一身に受けた味の濃いものだ。産みたての卵で練って作るタリアテッレが美味しいのは説明不要であろう。そんなだからこの家には家族に会いに来るついでに密かに美味しいものを求める人達でいつも一杯、そして遊びに来る人達をそっくりそのまま受け入れてもてなす彼らの寛容さには毎度ながらありがとうの一言に尽きる。彼らについてもう少し書き加えれば、外国人に対する偏見がないということだ。彼らと初めて会った当時、ボローニャでは"日本人って?"みたいな感じがまだあったし町を歩けば物珍しそうに見られたものだが、この家族にとって人種、国籍はあまり関係ないようで来るもの拒まず的な懐の大きさが私には有難かった。友人はお金で買うことの出来ない宝物だと思う。この寛大な家族に特別な恵みがありますように。

愛読書

もう13年程も前のこと、私がまだここに住むようになる前の、別の場所で暮らしていた頃のことだ。その当時、超話題だった映画 The Joy Luck Club の原本を読むように薦めてくれた人がふたりいた。ひとりはその街ではとても名の知れた洒落たカフェのオーナーの奥さんで、何かの拍子に"映画も良かったけれど本は更に数倍も良かった、きっとあなたも気に入る筈"と言った。もうひとりは数ヶ月前まで一緒にアパートメントをシェアしていた素敵、且つ知的で美しいものが大好きだった女性。彼女がこの本を薦めてくれた理由もやはり本を読んで感動したからとのことだったが字が大きくて私には読みやすいからということも大きな理由だったようだ。そのくらい当時の私は本を読むのが苦手だった。それから1年も経たぬうちに以前のシェアメイトである彼女がある日突然病気で亡くなった。暫くショックで頭も気持ちも整理がつかない日々を過ごしたが、ある日ふと薦めてくれた本のことを思い出して本を買った。この本を読んだことがある人、映画を観たことがある人はどのくらい居るのだろうか。サンフランシスコに暮らすチャイニーズアメリカンの女性達が潜ってきた様々なことを書いたこの本は決して面白いものではなく辛い、心が痛いの連続で、読んでいる最中に何度も、何故彼女達がこんな本を私に薦めたのか、と疑問でならなかった。それが読み終えた時に一言では言い切れない感情が心を埋め尽くして、自分はきっとこの本を何度も読むことになるだろう、と思った。実際今までに何度読み返したことだろう、そしてこれからも繰り返し読むのだろう。新品だったペーパーバックのこの本は今では古本と化して少々悲しい姿になってしまったが私の宝物である。薦めてくれたカフェのオーナーの奥さんと、そして親愛なる今は亡きブリジットに心から感謝する。

トレド、そしてアランフェス協奏曲

旅行好きの私がここ暫く旅行をしていないのでかなり悶々としている。長い人生、自分の思い通りにならない時期があっても不思議ではない、そして思い通りにいって幸運と思うくらいで良いのだ、と自称大人の私は頭の中では充分解っているつもりだが心の方は恐ろしいほどストレスを溜めていて兎に角旅行がしたい病に罹っているこの頃だ。日常生活から脱出できるのなら何処でも良い、しかし寒いのは辛いのでノルウェーやフィンランド、ロシアは別の機会にしておこう。そうだ、スペインに行きたい。と、ほんの思いつきで2週間前に思い始めたら止まらなくなり先週からはロドリーゴのアランフェス協奏曲が頭の中で流れだし気分はすっかりスペインだ。私がボローニャに住むことに決めたとき、隣接国にしろそうでないにしろ簡単に行き来が出来るものと信じていた。ところが何年も経つのにフランスもドイツもスペインにも行く機会がなく近くて遠いヨーロッパの近隣国であることを痛感している。さてスペイン、今の私にとってのスペインは背景で流れている音楽こそアランフェス協奏曲だが目指す町はトレドだ。
トレドは美しい町である。そしてスペインであるということを、痛いほど、歴史に凍結させた町である。
と、ある本に書いてあったのがとても印象的で、以来スペインに行くなら絶対トレドと決めていたのだ。はっきり言って私は思い始めたら止まらない性格である。今まで訪れたどの町もこんな風に思い込みだけで訪れて、そして夢中にさせられた。きっとトレドもそんなところに違いない。最近友人にトレドに行きたいことを漏らしてみたが、え、トレド?バルセロナの方がいいんじゃない?とあまり共感して貰えないのが残念だ。ああ、誰かトレドは実際素敵な町だと言ってくれる人はいないのだろうか。

エルボリステリア

イタリアのどの街にも、それがたとえ小さな村でも必ずあるエルボリステリア(日本語では自然薬局というのか、アロマの店と言うのか私には分からない)。ボローニャには一体何件あるのだろう、とにかくあっちにもこっちにも存在する。私がイタリアに来たばかりの頃はまだエルボリステリアが一体どういう店なのか理解できていなかったので妙にミステリアスで秘密の匂いがする感じがした。窓越しに覗いてみれば客足は耐えないし、内装はアンティーク調で趣味がよく、古い薬屋にあるような壺や瓶が並んでいて良い感じなのだが、かといって用もないのにふらりと立ち寄るにはあまりに敷居の高い感じのする店だったのだ。そんな私が数年前に友人の勧めでついにこの店を訪れることになった。私の話をひとしきり聞くと店の人はさささっと何種類かの乾燥した薬草を配合してくれた。これを毎晩水で煮てお茶のように飲むのだ。驚くほど安い、しかも体に良いと思って飲むから妙に美味しく感じられる。しかし問題がひとつだけあった。全く信じがたいことだが毎晩水で煮るという作業がどうしても面倒臭くて駄目なのだ。そんなことが面倒でどうする、と友人には叱咤されたが駄目なものは駄目なのだ。恥を忍んで例の店に行って継続できない理由を話すと、そういう面倒臭がり屋や時間のない人の為に少し高いがエキスの瓶詰めがあることが分かり、それ以来私はエルボリステリアに通うようになった。自然のものなので安心出来ることだけが理由ではない。話を思い存分聞いてくれた上で自分に合ったものを勧めてくれるのが好きだし、とても人間味溢れているのも好きな理由だ。だから体力が低下していて危険信号が出かけているとき、喉が痛くて困ったときは即エルボリステリア。そしてアロマを焚くことで空気を殺菌できたり鼻詰まりを治せたり、ストレスで気分がダウンしているときにも効果大。気が付けばすっかり夢中になっていた。・・・・・なるほど、これがエルボリステリアが沢山存在する理由かも知れない!、と最近やっと理解できたのでした。