独り言

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金曜日。夕方、職場から外に出た時の解放感もさることながら、晩の喜びは何物にも代えがたい。少しくらい夕食時間が遅くなったっていいのだ。いつもは手早く準備する夕食も、時間を掛けて色んなものを用意して、相棒とワインを堪能しながらゆっくり過ごす夕食時間。今日はこんなことがあった、こんなものを見た、こんなことを考えた。ふたりで言葉を交換しながら、そうだ、まだチーズが残っていたっけ、そうだ、パンチェッタにバルサミコ酢を少し垂らすと美味しかったっけ、などと冷蔵庫や棚の中を探るのだ。そうしてまた少しグラスにワインを注いで乾杯をする。今日は一体幾度乾杯しただろう。別に素敵なことなどなかったし、特別な日でも何でもないけれど。しいて言うなら金曜日の晩に乾杯、だろうか。昔は外に気持ちが向いていて、外での食事、外でのワインが金曜日にぴったりだと思っていたけれど、最近の私達は、金曜日だから家で過ごす。肩の力を抜いて、思うがままに言葉を交換できるから。気取ることもなく、人の目を意識することもなく、そのままの自分でいられる家がいい。金曜日の晩だからこそ。

昨日の夕方、13番のバスに乗っていたら、ひとりの女性が乗り込んできた。完璧でない、栗色と金色が微妙に混じった真っ直ぐの長い髪は、背中の中ほどで真っ直ぐちょきんと切り揃えられていた。前髪の方もそうかと思えば眉の上でばらばらに切られて、それがとても似合っていた。スレンダーな体系の彼女は仕立ての良い濃い茶色のコートに変則的なリズムで揺れるベージュのプリーツスカート、そして履き込んだ、柔らかそうな革のロングブーツを履いていた。と書くと何か野暮ったそうな感じがするけれど、それぞれが実によくできていて、まるで彼女の体に合わせて縫ったのではないかと思うほど、幅も長さも微妙なタイミングでぴたりと合っていた。隠すように持っていた、もう何シーズンも前の小さな革のグッチの鞄。使い込んだ感じが素晴らしかった。彼女は、ひとつひとつは大変上質なものを身に着けていたが、決して目立つ装いをしていなかった。むしろ目立たぬようにしているような感じさえあった。バスの中にはもっと威圧的で派手で、ほら、私を見てよ、と言った感じの女性が沢山居たというのに、多くの人の目が彼女に釘付けだった。何がどうしてこうも皆の目が彼女に集中したのかと考えてみたがわからない。高価そうな、あの小さな鞄だろうか。それともあの見たこともないようなプリーツスカートだろうか。私はあれからずっと考えているけれど、分からない、私には分からない。彼女はどうやら私と同じ界隈に住んでいるようだ。またいつかバスの中で会うことはあるだろうか。私の脳裏に良い印象を残した彼女と声を交わす機会に恵まれればいいのにと願った。久しぶりに魅力的な女性に出会って嬉しくなった。

良い週末にしよう。平日の疲れを忘れるくらいのんびりして、そうだ、ツタの葉を見に行こう。きっと赤く染まっているから。それから植木屋さんにも行ってみよう。赤いもみじの木を探しに。




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ひとり暮らしをしていた

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今日は午後から雨が降るらしい。この雨の後は、きっと気温が急降下して秋がさらに深まるのだろう。窓から眺める菩提樹の枝は、そろそろ葉が落ちだした。窓辺にたたずむ習慣があるのは猫も同じ。猫が眺めているのは窓から見えたプールの跡地。階下の家の庭のプールが在ったころは良かった。夏には子供たちが賑やかに集い、誰も居ない時は水面が風に揺れて、落ちた木の葉が波に揺れて、天気の具合によって水の色を変え、美しくて溜息すら出た。それが私と猫の小さな楽しみだったけれど、ある日プールが取り去られて、大きな空間になった。芝を植えたり木製のベンチを置いたり、花を植えたりしたけれど、誰がベンチに座って本を読んだりお喋りをするでもない。単なる空間、プールの跡地の感がぬぐわれない。まあ、それも隣人の庭だからどうしようもないことで、しかし、あのプールの存在がどれほど素敵だったかを思いだしては淋しく思う。もう、プールはないんだから、と猫に言って聞かせるけれど、いつかまた戻ってくると彼女は思っているに違いない。

ここ数日眠ってばかりいる。そして沢山の夢を見た。そのうちのひとつは懐かしくて、目を覚ました後もずっと心に残った。
アメリカに暮らし始めた頃、私はひとり暮らしをしていた。ダウンタウンの端の方で、坂道の途中にあった。赤く塗られたレンガの壁、白く塗られた窓枠。5、6階建ての建物には旧式のエレベーターがついていて、蛇腹のようなドアを手で閉めてボタンを押すと、一瞬がくんと下がってから、ギシギシ音を立てて上がっていく。私の部屋は上から二番目の階で、Studioだった。ドアを開けると奥にキッチンがあり、右手奥にはバスルーム、左手奥には部屋があり大きな窓があった。知人が用意してくれた部屋で、知人がこの建物の主だった。知人が住人に紹介してくれたから、入り口などですれ違うと誰もが感じの良い挨拶を投げかけてくれた。地上階に住む大工のロバート。その向かいに住むのはコンピュータ技師の夫と妻のリーナという名のフィリピン人女性。私の上の階には日本人の男性が居て、レストランで働く料理人だった。他にもいろんな人が居たけれど、思いだすことはあまりない。名前すら覚えていないのだから、共に通じるようなものは無かったのだろう。坂を下りると道の向こう角にコーヒーショップがあった。中国系アメリカ人夫婦が営んでいた。わりと寂れていて、それでもこの辺りでは人気があるらしく、いつも客が入っていた。店に行くことはあまりなかった。理由は代金を受け取ってくれないからだった。私が東洋人であるからなのか、いいのよ、あなたは特別だから、と店の女主人は言うけれど、それが私を店に足を向けさせぬ理由だったとは彼女は知るまい。だから私はいつだって店の前を通り過ぎながら、ガラス越しに手を振って挨拶するばかりだった。ある週末、近所に住む英語学校の先生と生徒のイタリア人と3人で店に行った。イタリア人の生徒は私のクラスメートで、しかし私達は互いにあまり好いていなかった。彼女はプライドが高く、いつもつんとしていたし、イタリア語なまりの激しい英語で、何を言っているのかわからなかったからだ。彼女の方にだって言い分があったに違いない。何しろその頃の私は、英語が話せなかったから、話し相手にもならなかったに違いない。そんなことを知ってかどうか知らないけれど、ある日3人で週末の朝食を楽しむために店に行ったのだ。話によればこの店は大変評判の店で、特にパンケーキが旨いらしい。へええ、そうなんだ。と初めて知ったその店の評判が、まるで自分の店のように嬉しかった。朝食を3人で堪能しながら、初めてイタリア人の彼女とゆっくり話をした。別に悪い娘ではなかった。ただ、私の語学力が低すぎただけだと思った。彼女はいつも地味な装いをしていた。何時だか皆で夕食に出掛けた時、彼女はグレーのジャケットに同じ生地のパンツという装いだった。当時のアメリカで、その装いはしっくりこなくて、皆にどうしてそんな装いなのかと訊かれていた。彼女は、これが彼女の持っている一番良い服で、一番自分に似合っていると思うからだと答えていたけれど、あなたのように若い人はもっとラフで良いのではないかと言うのがみんなの意見だった。でも、今ならわかる。イタリアに暮らすようになってやっとわかった。あれは確かに美しいパンツスーツだった。無駄な飾りがないのは、ラインが美しい証拠。シンプルなグレーだったのも、上質な生地だったからだ。そういう素材の良さや、形の美しさにイタリア人はとてもうるさくて厳しい。母親が衣服のデザイナーだと言っていた彼女ならではの一番良い装いで、スタイルの良い彼女が一番美しく自分を見せることが出来る装いだったのだと思う。26年も経ってそんな夢を見て、そういうことに気が付いた。今の私ならば、彼女ともっと楽しい話が出来るのかもしれないと思った。26年前。私が日本を飛び出した年で、あれから私の冒険が始まった。何時まで経っても安定しなくて手探りばかり。それはこれからも続くのだろう。

数日前購入した南瓜。いい感じなので暫くキッチンに飾っておきたいけれど、美味しいうちに食べてしまおうと思う。さて、どうする。南瓜のパウンドケーキを作ろうか。いや、やはり天婦羅だろう。




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7日間

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淡々と生活するのが好きだ。いや、それは語弊があるかもしれない。淡々と生活するのに慣れている私だから、そうだ、そういう生活を繰り返していて其れが当たり前になっている私の日常だから、小さな様々が起きると深いため息が出てしまう。

急に水圧が弱くなって水の出が細くなってしまった。そのうち断水してしまうのではないかと心配するほど細い水。手を洗うのすら不自由に感じるくらい細い水で、いくら待ってもそのままだった。パスタを茹でるための鍋に水を注ぐのにも時間が掛るし、野菜を洗うのもままならぬ。私は深いため息をつきながら、レバーを動かせば水が出るのに慣れ過ぎていたことに反省し、あって当然と思っていた水の有難さを感じていた。それから海の向こう側の水が不足している国のことを思った。感謝して水を使うことを学んだ一日だった。
パソコンが故障して、使えなくなった。もうすぐ丸5年になろうとしているにしても、まだまだ活躍できるはずのパソコンだった。スイッチを入れると起動して、キーを叩けば文字が書けて、インターネットで調べごとをしたり、家族や友人に便りを書いたり。パソコンの存在は知らぬ間に私の生活の中の一部分になっていたらしい。だからパソコンが故障しただけで手足を縛られてしまったようになった。昔はパソコンなどなかったのに。無くたって、普通に生活が出来たのに。今夜、パソコンの機嫌が直って再び使えるようになったのは、幸運というべきだろう。有難いことだ。これからも仲良くやっていこうと思う。まだあと数年は頑張って貰えるように、労わりながら。
しばらく体調が悪かった。何か眩暈のようなものだ。疲れているのかと思っていたから、医者には行かなかったが遂に降参して医者に行った。医者は私の長い長い説明に辛抱強く耳を傾けて、処方箋と検査をする指示書を書いてくれた。思っていたより悪いものではないらしい。ほっとした。勿論検査をしてみなければわからないけれど、緊急に検査を要さないところを見ると、それほど悪いものではないということだろう。健康であることの喜び。具合が悪くなって気がつくのは愚かすぎるのかもしれない。

食器棚から野草の緑と勝手に名をつけているガラスコップを取り出した。古いガラスのコップ。吹きガラスの為に所々に空気が入っている。薄手のガラスで軽くて、そして美しい緑色。私の大の気に入りのガラスコップ。もともとは6つだったが、20年という歳月の間にふたつ割れてしまった。ミネラルウォーターを注ぐと緑色がさらに美しく見えた。そうして気が付いたのは、この緑色は野草の緑であり、うちの猫の瞳の緑だということ。あんたの瞳、綺麗ねえ。褒められたのを猫は理解したのか、機嫌がいい。そして私も機嫌がいい。水のことにしても、パソコンのことにしても、健康のことにしても、当たり前のことなどひとつもない。それに気がつけて良かった、そんな7日間だった。




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空からの贈り物

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こういうのを秋晴れと言うのだろう。もう暑さの微塵もないが、寒くもない。こうした丁度良い気候はなかなか存在しないから、これは空からの贈り物だと思った。遅く目を覚ましたので陽は既に高く、近所の人々は外での活動に忙しそうだ。庭やテラスの植物の手入れをしたり、洗濯物を干したり。私も久しぶりにテラスを掃き清め、植物という植物に水をたっぷりくべた。緑の葉がきらきら光り、微風に揺れるその様子は、久しぶりの水分を喜んでいるように見えた。もう少し頻繁に水をくべなければならないと思いながら、遅い朝食を時間をかけて楽しんだ。

火曜日の夕方のことだ。疲れていたのに仕事帰りに旧市街に立ち寄ったのは、仕立て屋さんに丈直しを頼んでおいた衣服を引き取る為だった。昔は手持ちの衣類を持ち込んで、何センチ詰めてほしいと頼んでいたが、いつの頃からか仕立て屋さんにどの長さが自分に合っているかを確認してもらうようになった。短すぎず長すぎず、丁度良い長さは気分がいいものだ。これは当たり前のようで、案外知らない人は多い。1センチくらいだから、まあいいわ、と言う私に仕立て屋さんは言う。その1センチが、借り物の衣服に見える理由なのだ、と。そういう仕立て屋さんにお願いするようになってから、私も随分とうるさくなった。肩幅を1センチ詰める、たった1センチだけだけれど。そうするときちんとした印象になる。これはとても大切。勿論ルーズに着る服もある。それもあまり長過ぎたり大き過ぎたりすれば、格好いいものではなく単にだらしなく見えるものだ、と言うのも仕立て屋さんの意見である。長年衣服を縫う仕事に就いていたというこの女性に私の衣服を任せるようになったのは、こうしたことが理由である。
彼女のところで衣服を引き取り、その足で久しぶりにジャムを購入しようと思って大通りに並行して走る道の歩道を歩いていた。早くやって来る夕暮れに誰もが足早に歩いていたが、私の前を歩く男性は実にスローペースだった。しかし追い抜くことが出来ない。歩道が狭すぎるからだった。私は彼の背後1メートルまで迫っていたが、観念して歩みを緩め少し間隔を置くことにした。3メートルほど離れてみてはっとした。あまり背の高くない、もう年金生活に入っているであろう薄くなった髪の殆どグレーで、帽子を被ったその姿は、私の父によく似ていた。
父の仕事帰りと学生だった私の帰り時間が時々重なった。地元の駅の改札を出たところで父の後姿を見つけると、私は嬉しくて無邪気な声でおとうさーん、と呼んだ。父は耳慣れた声に反応して後ろを振り向き遠くに私を見つけると、ちょっと恥ずかしそうな表情で、でも笑みを浮かべて手を振った。混雑した駅を出たところでようやく父に追いつくと、一緒にバスに乗って家に帰った。私は昔から父が大好きだった。日曜日の朝、散歩に連れて行ってくれたのも父だったし、一緒に花の種を植えたのも父だった。地味で無口で静かな父は、大抵本を読んでいたけれど、姉や私が何かを提案すると、億劫そうにしながらも一緒に時間を過ごしてくれた。姉が彫刻を学びたいと言ったとき、姉がずっと彫刻の勉強を続けたいと言ったとき、私が絵をずっと続けたいと言ったとき、いつも応援してくれたのが父だった。私達のしたいことを応援するために、ずっと働くから心配はないよと言った父。そんな父の気持ちが嬉しくて腰を下ろした父の背中に抱き着いて有難う有難うと感謝したけれど、大人になって時間が経って思い返してみると、父のあの言葉の有難みはあの当時の百倍も大きい。もしもう一度父に会うことが出来るなら、私はその気持ちを伝えたいと思う。昔から何事ものんびりだった父だが、随分と年をとると父の歩調は更に緩くなった。時にはその後ろ姿がもどかしくて、もっと早く歩けないのだろうかと思ったものだけれど、あの歩調は父の性格や心と正比例していたのかもしれない。怒るまでに時間が掛った父。つれないことを言われても、耳に痛いことを聞いても、かっと怒ることなどなく、うんうん、そうだねえ、などと言って、傍らに居た私などは何故怒らないのだと、呑気な父に怒りを感じたりもしたけれど、それが父だった。温和で寛大で、あれほど心が広い人は居なかった。義兄は父のことを人格者だと言ったそうだけれど、そのことも、もしもう一度父に会うことが出来たら伝えたいと思う。とは言っても、父はもう12年も前に空の人となってしまったから、本当に会える筈もない。その父によく似た後ろ姿の男性が、私の前を歩いていた。その姿と歩き方があまりに懐かしくて、彼が雑踏に紛れて見えなくなるまで間隔を置いてついて行った。姿が見えなくなって気が付いた時には、陽はとっぷりと暮れ、随分遠くまで来てしまった。目が涙がたまっていたのは、父に似た姿が見えなくなって悲しくなったからじゃない。父の存在をこれほど有難いと思っていたことに気付いたからだ。

一歩早く秋が来たのは窓の前の栃ノ木。葉が枯れて、陽を浴びると黄金に輝く。心穏やかな9月。風邪が完治したら、ボローニャの散策に出掛けよう。




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理由

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日が暮れるのが早くなった。暑い夏はもういいけれど、夜が早くやって来るのはちょっと寂しい、と思うのはあまりに都合が良すぎるだろうか。これからますます日没時間が早くなって、帰り道を急ぎ足で歩くようになるのだろう。

昔は夜道が好きだった。それはもう随分と昔のことで、私がアメリカに暮らし始めた頃のことだから、26年も前のことである。アパートメントをシェアしていた友人には、兎に角たくさんの友人知人がいて、アパートメントに押しかけて来る時もあれば、彼女が外に出ていくこともあった。兎に角彼女がひとりでアパートメントに居ることは滅多になくて、一緒に住んでいるといいながら私達はあまり互いのことを知らなかったかもしれない。もうひとり住人が居た。彼はハンガリーからやって来たばかりの世間知らずの大男。と言うのは祖母に育てられたらしい彼は祖母が何でもしてくれることに慣れ過ぎていた為に、掃除をするのも食事を作るのもコーヒーを淹れるのも誰かがしてくれると信じていて、自分のことは自分ですることをモットーにしていた私と友人を呆れさせてばかりいた。悪い人ではなかったけれど、大木のような大男だった分だけ、その甘えた彼の気持ちが鬱陶しく感じられたのかもしれない。そんな彼も祖国を離れて生活するためには仕事をせねばならず、夕方からレストランでアルバイトをしていた。私が夜道を歩くのが好きになったのは、ひとり行動が好きなくせに、誰も居ない広いアパートメントにひとりでいるのが嫌だったからだ。
坂道を上がりきったところにハンティントンパークがあった。そこで左に折れるとなだらかな下り坂があって、途中で階段を上がると不思議な界隈があった。豊かな人達の家に違いないが、何か芸術の匂いがした。それは小さな庭の作り方であったり、垣根の色合いであったり。背の高い目隠しのような塀などは存在せず、道行く人達にどうぞ庭を堪能してくださいよ、と言っているかのように見えた。恐らく私は怖いもの知らずだったのかもしれない、そんな夜道をひとりで歩くなんて。それとも26年前のあの街は、今からは想像できぬほど平和だったのかもしれない。もしそうだとしたら、私は大変幸運だったといえよう。そうした道を歩きながら、イタリア人街に辿り着くのがいつものコースだった。ガラス張りのカフェに腰を下ろして、書き物をした。書き物とは母への手紙だったり、友人への手紙だったり。私のようにひとりでテーブル席に着いて何かをしている人は多かったから、居心地は抜群だった。帰り道は大抵月が美しかった。月を眺めながら家路につくのはなかなか豊かな時間だと思った。実際外を歩いていなければ月が出ているのも分からなかっただろう。そんな私の小さな楽しみを知った友人は、少しづつ夜になると家に帰ってくるようになり、軽い夕食を終えると一緒に夜道を歩くようになった。ひとりでのカフェの時間がふたりになり、ひとりも良いけれどふたりも案外楽しいものだと知った。昔からひとりで旅をしたり歩くのが好きだった私が、人と一緒も悪くないと思うようになった瞬間だった。

近年は夜道が苦手だ。理由は分からない。それともあの街に行けば、また昔のように夜道を歩くのが好きになるのだろうか。もう何年も訪れていない街。何年も訪れていない理由も分からない。ああ、最近分からないことばかりだ。でも、それでいい。時には物事を曖昧にしておくのもよいと、最近の私は思っているから。




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