ミモザ色

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雨。単なる雨ではない。一日中弱まることのない、しぶとい雨だ。まるで雨季のよう。窓の外に降り続ける雨を眺めていると、ちょっと気が滅入る。ああ、どうしてこんなことになってしまったのか、みたいな。ただ、雨が降っているだけだというのに。

ボローニャ旧市街を歩いていたら、店先の色とりどりの皿に目が惹かれた。皿といえば白が好きで、家にあるのは白い皿が多い。白い皿は食べ物を美味しそうに見せるとか何とか、そんな理由よりも、兎に角白い皿が好きなのだ。そして美しい柄のテーブルクロスの上に置くと美しく映える、ということは後々知ったことである。アメリカに居た頃はそうしたことに拘ることすらなかったけれど、今は日常に使う皿ひとつにしても自分が気に入って選んだものを使いたいと思うようになった。
アメリカに居た頃、同居人であるイタリア人のブリジットは私と相棒の結婚を機に隣のフラットに引っ越した。広々としたフラットはふたりでだって充分過ぎたのに、彼女はひとりですべての空間を所有し、それを十分楽しんでいたようだ。彼女はひとり暮らしを始めるにあたり、まずはキッチン用品を買い揃えた。大小様々な鍋やフライパンと食器類。ワインが好きな彼女は上等なワイングラスを揃え、うちには存在しないような水を飲む用の素敵なグラスも購入した。カッフェ用の小さなカップにマグカップ。そして皿のセット。皿はイタリア製とのことで、ミモザ色、つまり黄色だった。イタリア式に食事をするように3種類の異なった形とサイズの皿が6枚づつ。買ったばかりのそれを、恭しく食器棚から取り出して、ほら見て、ミモザ色の皿なの、と見せてくれた。黄色! と驚く私にブリジットは、違うわよ、ミモザ色よ、と言って譲らなかった。そして当時の私はそれがイタリア風な呼び方だとは気付くよしもなかった。兎に角彼女はこの皿が大好きだった。彼女曰く、ミモザ色の皿で食事をすると食欲が湧くとのことだったが、私はそんなことすら考えたことがなかったし、そういうことにはあまり関心がなかった。
イタリアに暮らして数年経つとようやくイタリアの習慣やイタリア人の好みが分かり始め、そうして彼らの色に対する独特な呼び方に関心を持つようになった。それがミモザ色で、海水色で、茄子色だった。その昔ブリジットが色の呼び方に拘っていたのを思いだして、成程、それはイタリア文化のひとつなのだなと知り、今ならば彼女に同意出来るのにと、遅すぎる発見を残念に思った。色といえば微妙な、青と緑を混ぜて一瞬暗くしたような色を、油の緑色とこの国では呼ぶらしい。人によってはそれを孔雀の緑色などと呼ぶようだけど、大抵の人は油の緑色と呼ぶ。油の色について考えたことがなかった私は大変驚いたものだけど、今ではそんな私も油の緑色と呼ぶようになり、そしてそれが私の好きな色のひとつとなった。此処に居ると色について考えることが多く、私はそうしたことで結構楽しい気分にして貰っている。それでいて冬場になると私はいつも濃紺や黒、グレーばかり着ているのだから、全く可笑しな話である。


明日も雨が降るだろうか。うんざりだなあ、と思っているのは私だけではない筈だけど。




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好奇心

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長くその土地に暮らしているからと言って、何でも知っている訳ではない。ましてや道。道に関しては、生活に都合のよい道を使うから、振り返ってみれば同じ道ばかり歩いていることが多く、知らない道、使わない道が如何に沢山あるかに気づいて愕然としている。それから、この道を途中で曲がると何処に突き当たるかとか、其処へ行くには行く通りの道順があるかとか。随分経っても知らない道は沢山あるものだと気がついて、気候が良くなったら少しづつ探検してみようと決めた。特に自分がいつも行かない界隈。きっといろんな発見がある筈なのだ。

ローマへと独り飛び出したのは、もう22年も前のことになる。仕事が休みになると歩いた。それは知らない土地を少しでも知るための最短な、最適な方法だったからだが、私はそれ以上に好奇心に満ちていたのだ。特にヴィットリア広場界隈からプラティと呼ばれる界隈に引っ越してからは、季節が良かったことも重なって、とにかくよく歩いた。マンスリーパスを持っていたから、地下鉄もバスもトラムだって利用することはできたけれど、しかし私はひとつだって見逃したくないと言わんばかりに歩いた。アパートメントを出て右手に歩いていくと交通量の多い道に出るので、左手に歩くことが多かった。そして途中で右に折れて少し行くと大通りがあった。この通りはなかなか魅力的な通りだった。同居人が気に入っているGENTEという名の店があった。今風に言うとセレクトショップということになるが、兎に角選り抜きの洒落た良品が置いてあって、例えば同居人はそこで冬のマニッシュなコートやパンツスーツなどを購入していたのだが、仕立ての良い衣服が彼女の素敵なスタイルに良く似合っていて、誰もがカッコイイと褒めたものだ。ただ、つけられた高値は驚くばかりで、自分には手が出ない、といつも思っていた。だから店の外から眺めるだけで、中に入ったことは一度もない。私が行くのはその並びにある市場だった。それほど大きくはないけれど、大抵のものが手に入って、しかも顔を覚えて貰うと値段は安くなるは、おまけはしてくれるは、いいものを選んでくれるはで、回を重ねるたびに行くのが楽しくなった。市場のずっと先の右手には高級食料品店があった。同居人と一緒に歩いていたある日、此処でカッフェをしようと誘われて入ったのが始まりだった。彼女は此処でチーズやら何やらを購入するらしく、店のことは何でも知っていた。彼女に店の中を案内してもらうと、成程面白いものが沢山あって、それからここのカッフェが大変美味しいことも分かり、以来、散策中にこの店に立ち寄ることが多くなった。高級食料品店ではあるがカッフェの値段は他のバール同様だったから。それにしたってローマの値段はボローニャよりも全般的に安く、カッフェを安く感じたものである。店を出て更に歩く。この先にはリラの街路樹があって、とても楽しい気分にさせられたものだ。兎に角ローマにはボローニャよりも春が早くやってきて、3月になる前からリラの花が咲きこぼれていた。プラティのアパートメントに越して来る前に、どんなところだろう、と視察がてら散策に行ったところ、このリラの花が咲いていた。どこまでもリラの樹が植えられたこの道を歩きながら、此処はいい、きっと楽しいに違いない、と確信したものだ。肝心のアパートメントを見る前だったが、すでに私は決めていたのだ。明るい界隈。気持ちの良い界隈。此処に暮らそう、と。リラの街路樹の下を歩いていくとテヴェレ川に架かる橋があって、それを超えて少し行くとポポロ広場に到着するというコースだった。兎に角立ち止まりながら、時には脇道にそれながらだったから、何時間もかけての散策だった。しかしそうすることで、私はあっという間にその界隈のことを知って、まるで随分前から住んでいたみたいな気分になったものだ。少しづつ自分の好きなものを購入できる店を発掘していった。パンの美味しい店。新鮮な美味しい牛乳が手に入る店。生ハムは此処。野菜はあの店。格好の良い服を見つけるなら何処、と言ったように。相棒がたまにボローニャからやって来ると、私は彼を連れて歩き、如何にこの辺りが素敵かを語ったものだ。いつか彼がローマに暮らす決心をすればよいと願って。しかし遂に彼はその決心はせず、私がローマの生活を畳んでボローニャに戻ったのだけれど、あの経験や思い出は22年経った今も廃れることがない。勿論ローマの街は、あの界隈にしても随分変化を遂げているに違いないが、多分、あのリラの街路樹は今も存在するはずだ。そうであることを私は願う。

ボローニャの暮らしが長くなって、少し新鮮味に掛けてきたこの頃。しかし知らないことはまだまだあると気付いて、私はわくわくしている。天気が落ち着いたら、この寒季が終わったら、歩きやすい靴を履いて、外に出よう。さあ、春よ来い。私の心はもう準備万端なのだから。




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1月がもうすぐ終わりだなんて

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あっ。カレンダーを見て驚いた。もう1月が終わろうとしている。こんな、特急列車のように大急ぎで通り過ぎてよいのかと思いながら、これでよい、とも思う。ああ、早かったなあ、と思うくらいがいいような気がする。これはここ半年程のうちに起きた、私の中の小さな変化のひとつである。

夕方、バスのマンスリーパスを購入しに旧市街へ行った。毎月必ず購入するのだから、お得な年間パスを買えばよいではないか、と幾度か考えたことがあるが、私はこういうことに拘りがある。まとめて買ってしまった後に何かが起こるかもしれない。毎月バスに乗ることが出来なくなるような。そんなことならば、毎月購入して、心配を払拭して、毎月元気にバスに乗る方がいい。その方が断然精神的にもよい。古臭いとか、迷信じみているとか、自分でも時々思って笑ってしまうけれど、それから人は心配し過ぎだとか考え過ぎだとか言うけれど、まあ、これが私のお守りみたいなもので、私を来月も元気に生活させてくれる幸運のパスみたいなものなのだ。それで、パスを購入して、私はすっかり来月の元気も購入したような気分である。

晩になって霧が発生した。東から北にかけては一寸先も見えぬような分厚い霧の壁。ところが西から南はすっきり晴れて、空の高いところに美しい月。こんなこともある。妙といえば妙、でも、だから自然は神秘的なのだ。水曜日の晩は満月らしい。ちょっと小洒落た夕食を準備して満月に乾杯したいと思う。




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光に輝く枝

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冬は嫌いじゃない、と近年は思うようになった。ただ、元気を保つのが少々難しい。例えば睡眠をたっぷり摂るようにしていても、例えば栄養をバランスよくとるようにしていても、バスの中に悪い風邪を引いた人が居たならば、日頃の努力も水の泡、ということもある。冬は難しいと私が思うのはそういうことなのだ。3日間ベッドに横たわっている間、ずっと眠っていたわけではない。時には目が覚めて、窓の外の明るい様子を眺めた。菩提樹の枝に鳥が止まって囀る様子に心を奪われたり、まだ新芽すら生えないすべすべの枝が光りにあたって銀色に光る様子に驚いたり。そんなことをしながら、以前、私の友人がメールに書いていたことを思いだした。彼女はあまりに短い余命を医者に宣告されてからも周囲が驚くほど前向きで明るく、時にはこんな私のことを心配したり励ましてくれたものだが、その彼女が時々書いていたのは、家の窓から見える隣の公園の様子。まだ春は来ないけれど、光に輝く裸ん坊の木の枝。其の下を走る子供たち。春になったら自分も子供を連れて公園に行こう、と彼女はそんなことを書いていた。彼女の存在は目に見えないけれど、彼女と関わった人達の心の中にこれからも存在するのだろう、彼女の言葉は消えることがないのだろうと思うと、心がぽっと暖かくなる。そんな答えを自分なりに出して安心すると、また深い眠りに落ちた。

随分昔のこと。アメリカに暮らしていた頃のことだ。私が暮らしていたあの街は、ボローニャのような寒い冬もなければ、暑い夏もなかった。一年中明るくて、しかし、うっかりすると海から霧が発生してあっという間に一瞬先が見えなくなった。そんなことですら、私は好きだった。あの街のことのすべてが好きだった。さて、しかし其の気候のせいで、私は頻繁に扁桃腺を腫らせて寝込んだ。保険に入っていたから、気軽に医者に行くことが出来たが、時にはその医者が休暇や用事で留守で、困ったことになった。私のかかりつけの医者は日系アメリカ人で、多分3代目か4代目の、日本語は話せるけれど英語の方が絶対に達者、と言った医者だった。かなり人気の医者で、いつも予約が一杯だった。ある日、確か大変天気の良い中間の季節に扁桃腺を腫らせた。それがひどい腫れで、これは抗生物質でも服用せねば治らぬ、と医者に電話したところ、留守だという。何か学会みたいなものに参加していて、数日間不在だとのことだった。電話に出るのはいつも医者の母親だった。彼女もアメリカ生まれらしく、日本語は日本生まれの日本人並みに上手いけれど、ちょっとしたところが英語っぽくて、いつも彼女の話を聞くのを私はちょっと楽しみにしていた。それで彼女が電話口で言うのだ。あなた、明後日まで待てるかしら。私は、待てない、扁桃腺が腫れて熱が出てすぐにでも薬が欲しい、と答えると彼女はそれじゃあと言って別の医者を紹介してくれた。名前はね、場所はね、時間はね、万が一の電話番号はね、と私にメモを取るように言った。いい医者だから、とのことだった。さて、彼女に言われた医者の診療所は街の西側に位置する、太平洋に近い地域だった。サンセット地区と呼ばれていた。その中でもあまり馴染のない通りにその医者は診療所を構えていて、扁桃腺が腫れて痛いくせにちょっと探検しているようで愉しかった。診療所は、一軒家だった。草花が生い茂る庭があって、建物の中に入ると、あっ、と驚いた。それは日本家屋みたいな雰囲気で、広々としていて、昔にタイムスリップしたような感じ。受付の人に待つように言われて椅子に腰かけて待ちながら、内装をしげしげと眺めると、黒光りするような板の間といい、くもり硝子格子の引き戸といい、私の子供時代に存在した日本の建物のようで居心地が良かった。近所にあったお習字を教えてくれる家みたいな感じ。と、硝子格子が左右に開いて、医者が私を呼んだ。医者は日本語を話せない日系アメリカ人で野球の選手のように清々しかった。こんなに腫れていたら痛いでしょう、と私の扁桃腺を見ると驚いて、あっという間に腕に注射を打った。そして薬を処方してくれて、これで大丈夫だからと言って、診察が終わった。あれっきりあの医者に行くことはなく、すっかり忘れていたけれど、25年も経った今頃、思いだした。あの診療所、あの診療所は印象的だった。今の私はあんな家に住みたいと思う。もしかしたら時代遅れなのかもしれないけれど。

仕事帰りにクリーニング屋さんに立ち寄ると、あなた、寝込んでいたんでしょう、と言われた。土曜日に仕上がっているのに取に来ないし、月曜日にも取りに来ないし、これは絶対寝込んでいるのよ、と女店主は夫と話していたのだそうだ。あなた、油断はいけないわよ、と叱咤され、仕上がった衣類を貰って帰って来た。油断はいけない。うん、確かに。冬場の油断は禁物だ。




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独り言

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寒い。とても風が冷たい。昼間はそうでもなかったのに、夕方、陽が落ちてから急激に寒くなった。予想外の寒さに驚いているのは私だけなのか。ボローニャの街の何処かに、同じような人がひとりくらい居てもよさそうなものだけど。

年末は30日の正午まで店を開けているから、セーターを引き取りに来るといいわよ、と言っていた近所のクリーニング屋さん。ところが28日の昼に店を閉めてからずっと開かない。よく見たらシャッターに紙切れが張り付けてあった。病気のため休業。恐らくは旦那さんが張り付けたのだろう、みみずが這ったような字でそう書かれていた。頼んでおいたセーターは、別に急いでいたわけではない。それよりも年末に来て病に倒れた女主人のことが心配だった。
今日は朝から猫草を買いに旧市街へ行った。バスの窓から眺めてみたら、クリーニング屋さん6日ぶりに開店。案外早く復帰したな、と安堵の溜息をついた。旧市街は快晴も手伝って楽しい空気に満ちていた。新しい年を元気に過ごせるのは何と嬉しいことだろう。散歩をしながら猫草を購入して、食料品界隈を見て歩き、ああ、オレンジが美味しい季節になったのだな、と思いながら大急ぎで帰りのバスに乗ったのは昼休みに入る前にクリーニング屋さんに立ち寄りたかったからだ。
さて、女主人だが、察した通り悪い風邪を引いていたらしく、高熱を出して寝込んでいたそうだ。もう大丈夫なのかと訊けば、大丈夫だと思う、それよりも急に休んでお客さんに迷惑が掛かってはいけないと、これ以上家になんか居られなかったと言う。商売熱心というか、何というか。ちょっと不憫に思った。自営業の人とは、こういうものなのかもしれない。急な休業で客に迷惑は掛かっていないだろうか、客が逃げてしまわないだろうか。そんなことを年中考えているのかもしれない。夏休みの3週間以外は長い休みを取らぬこの店に私はいつも感心し、感謝をしているのだが、その裏にはこうした思いが隠されているのだと知った瞬間だった。クリーニングに出したセーターを引き取り、早く週末が来るといいね、ゆっくり休まないとぶり返すから、と言いながら、そんなに早く週末が来ては困ると思った。この週末で自分の冬の休暇が終わるからだ。あと4日。あと4日。のんびりゆっくりの生活をあと4日楽しむのだから、女主人には悪いけれど、ゆっくり週末に来てもらおう。

明日は古い知人との美味しい昼食に誘われている。健康のためにと年末年始に相応しくないシンプルな食生活を送る相棒と私だが、たまには美味しいものをお腹一杯もいいだろう。ジーンズのサイズがアップしない程度に。それが重要だ。




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