素晴らしい気分

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すっかり気候が安定して、半袖が気持ちの良い季節になった。時には日差しが強すぎるほどで、湿度が高い日などは蒸し暑くて不快なほどだ。こんな時期には冷たい蕎麦。私も相棒も冷たい蕎麦が好物なのだ。天婦羅などを準備できれば最高だけど、忙しい毎日の中ではそうもいかぬ。わかめはそんな時に活躍する優秀選手。頂き物のドライわかめ。これを発明した人はすごいと、昔から思っていた。袋の裏に記載された、10倍の量に増える、には日本人の私でも驚きで、幾度か多く水に戻しずぎて失敗している。そんなことを忘れて、相棒に頼んだ。棚にある黄緑色のわかめの袋からほんのひとつまみだけ、水の入った器に入れて。くれぐれもほんの少しだけ。兎に角すごく増えるのだから。これだけ言えば間違えることもなかろう。と思ったが、そんなことはなかった。流石にこれでは足らないだろうと思って、ほんの気持ち多く水の中に入れたらしい。気持ち、どんな気持ちなのだろうと思うほど、器に溢れんばかりのわかめが水に戻されていて、怒るのも忘れて相棒とお腹を抱えて笑った。どうする、こんなに沢山。こんなに沢山のわかめを食べたら、ふたりともわかめになってしまうかもよ、と。素晴らしい日本の発明、ドライわかめ。これほど増えるなど、彼に分かる筈もない。悪いのは彼ではない。当然、頼んだ私が悪かった。貴重なわかめ。それにしたって、もう残り少ない。

予想外のことだった。ワールドカップで日本がコロンビアを下したとの速報に、たとえ相手国がひとり足らなかったにしても、サッカー文化の南アメリカの一国を相手にと、周囲のイタリア人たちは驚きを隠さない。日本人の私だって驚いている。この20年の間に日本のサッカーが成長しているのを感じた、素晴らしい気分の火曜日の午後だった。




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独り言

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暑い一日。30度に上がる予報が出てはいたから覚悟はできていたけれど、しかし家の中に流れ込む風すら生暖かいと、案外しんどいものである。昔、暑い夏が好きだった。暑ければ暑いほど良かったけれど、今となれば父や母が夏場は外出したがらなかった気持ちがよく分かる。子供だった私は、陽が照り付ける時間を好んで遊びに出たものだけど。帽子を被りなさい。昼寝をしなさい。栄養を取りなさい。母がいつも私の背後から声を掛けた。帽子は嫌いだったし、昼寝も嫌いだった。栄養があるからと出されるものは皆嫌いだったから、私は親泣かせの子供だったに違いない。梅干しなど、酸っぱくてとんでもない話だった。それが今では好物になった。年を取って手間がかかって大変になったからと梅干しづくりを辞めてしまった母が、昨冬、私が風邪を引いた時に母が作った梅干しを湯に入れて飲んだら急激に良くなった、随分と助けられた、と話したところ、再び梅干しづくりをしようと思ったらしい。この夏帰省するときに、それを分けてくれるのかもしれない。親とは何と有難いことか。こんなに大きな大人になってから、そうした有難さに初めて気づく私は、やはり今でも親泣かせなのだろう。

テラスが随分と綺麗になったのは、相棒が精を出してくれたおかげだ。春先にやって来た寒波のせいで根元から腐ってしまったゼラニウム。その穴埋めをするように、幾つもの苗ほどの小さなゼラニウムを買ってきて、鉢に植え替えてくれた。土がいいのか、陽当たりが良いせいか、それともうちの庭師の腕がいいのか、ぐんぐん成長している。このままいけば来月には美しい花が咲くだろう。それからジャスミン。ふたつの大きな鉢のうちのひとつが、やはり寒波にやられて枯れてしまった。もうひとつは元気なもので、蔓をどんどん伸ばして白い小さな花を驚くほど咲かせた。さて、枯れてしまった方はどうしたものかと暫く放置しておいたところ、枯れた根元の脇から新しい芽が。それで枯れたものを鋏ですっかり切りおとして新しい土を足して、水をたっぷりくべたところ、伸びる伸びる、新しい芽がどんどん伸びた。此の生命力に私も相棒も驚き、とても大切なことを教えて貰ったような気分である。そしてバジリコ。毎年春先に苗を購入するのが習わしで、今年も4月早々に近所の店から買ってきた。今の季節はバジリコが大活躍する。バジリコのない夏なんて、と言うくらい。と、思いだした。私がローマから戻ってくるために、相棒が用意してくれたアパートメントは、旧市街から歩いてすぐそこの住宅街だった。家自体は狭いがテラスはとても広々としていて、草木を育てるのが楽しかった。そのうちのひとつがバジリコで、何しろ陽当たり抜群だったから、育つのだ。それで時々ペスト・ジェノヴェーゼを作った。テラスで育ったバジリコでこんなに美味しいペストソースが出来るのかと感激したものだけど、あのアパートメントを出てからは作らなくなってしまった。どうしてだろう。
そしてもうひとつ思いだした。トロントに暮らす友人夫婦に会いに行った夏、もう15年ほど前のことになるけれど、あの夏、私は彼らに美味しいイタリアの家庭料理をご馳走したくて、遠くのイタリア食材店や、近所の食料品市場を渡り歩いた。遠くのイタリア食材店はトラムに乗って出向いた。色んなものがあったけれど、どうしてもバジリコが見つからない。バジリコ、バジリコはないの?とイタリア人らしい店員に訊くと、あるわよ、此れよ、と取り上げて私に見せた。それは私が期待していたようなものではなかったから、これがバジリコなのかと訊き返すと、店の人が残念そうに、そう、これがここのバジリコなの、と言った。確かに匂いがバジリコだったが、ふーん、そうなのかあ、と納得できないままそれを購入した覚えがある。うちのテラスにあるようなバジリコはトロントでは手に入らない。ちょっと残念だった、そんな思い出。目を瞑ってあの時のバジリコを思いだしてみたのだが、長さは40センチほどあって、何に使えばいいのだろうと思うほどの束だった。ばさり、ばさりと誰かの頭の上にバジリコの枝をかざして、お祓いか何かに使えそうなほど。今ならトロントでもイタリアのバジリコが手に入るのだろうか。イタリアの美味しいバジリコが。

週末は駆け足で立ち去ろうとしている。もっとゆっくりしていけばいいのに。




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猫のこと

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連日素敵に晴れているボローニャ。日射しは既に夏同然だけど、吹く風が爽やかで、人々に初夏の喜びを与える。昔、この時期にサンフランシスコから引っ越して来た当時の私には、兎に角涼しい街からやってきたと言う理由から、ボローニャのこの気候を真夏のようだと思ったものだけど、今の私には分かる、これはまだ夏ではなくて、初夏、単なる始まりであることが。初夏とは何と心地よい響きなのだろう。足取りが軽くなるし、心も何処かへ走って行きそうな軽快さだ。これと言ってよいこともない毎日だけど、空が明るいこと、薄手のシャツ一枚で過ごせること、足首をむき出しにして素足で靴を履けることなど、小さい喜びが実に安易に見つかる。それから仕事帰りの寄り道。ジェラート屋さんに立ち寄ることも。空を飛び交うツバメの様子を眺めながら、テラスに座って冷えたワインを頂くことも。テラスに咲く花たちが、良い季節になったことに歓喜している。少し前まですっかり枯れて再起不能と思われていた植物たちが、知らぬ間に小さな緑の芽を出して私と相棒を喜ばせてくれる。強いなあ、とは相棒の言葉。それに耳を傾けながら、私もそうでありたいと思った。

初めて猫を飼ったのはアメリカに住んでいた頃のことだ。私が相棒と友人のブリジットが暮らすフラットに転がり込み、そして相棒と結婚するとブリジットが丁度空いた隣のフラットに越していったすぐ後に猫はやって来た。近所に住んでいた大工さんが何処かへ引っ越して行く時に、猫は取り残されてしまったようだ。地上階から2階のテラスまで続く木製の階段を使って上がって来たのだろう。兎に角、うちとブリジットのフラット裏の扉を繋ぐ共同のテラスに猫はやって来た。明るい午後のことだった。まだ子猫で、みゃーみゃーと小さな声で鳴いていた。それはまるで、扉を開けてよ、と言っているかのようだった。初めに扉を開けたのは私だった。そしてその気配に気づいたブリジットが扉を少し開けて顔を出すと、ああ、あなた、猫を家にいれたら出ていかなくなるから気を付けなくてはいけないわ、と私を窘めた。彼女は相棒が猫を好まないことを知っていて、情がうつる前に忠告した方がいいと思ったようだった。事実、以前猫か犬をと提案した私に相棒は酷く冷たく、動物は駄目だ、の一点張りだった。それにしても小さくて、痩せっぽちで、お腹が空いているのは一目瞭然だった。気を付けろと言ったくせにブリジットがキッチンから猫の好きそうな食べ物を持ってきて食べさせると、猫は満足したように階下に降りていった。それから少しの間、猫はやってこなかったから何処かの家に迎え入れて貰ったのかと安心していたが、ある相棒が居る晩に猫はまたやって来た。小さな鳴き声が長く続いて、お腹が空いていることは明快だった。扉を開けてもいいかと訊くと相棒は駄目だと言う。家にいれたら出ていかなくなる、と言ったので、ああ、ブリジットが言ったのは恐らく同じようなことがあった、猫の鳴き声に扉を開けようとした彼女に相棒がこんなことを言ったのだろうと思った。そう言われても猫はよそへ行こうとしない。お腹が空いているのだから、牛乳くらい飲ませてあげてもよいのではないかと文句を言う私に負けて、牛乳だけ、と相棒は言って私達は裏の扉を開けた。開けたが猫は中に入ってこなかった。私が小さな皿に牛乳を注いで床に置くと、猫はようやく中に足を踏み入れて牛乳の皿に顔を突っ込んで舐めはじめた。夢中になって牛乳を舐めていたが、不意に頭を上げて私達を見た。その瞳に涙が沢山溜まっていて、その幾つかがぽとりぽとりと床に落ちた。あれほど動物は駄目だと言っていたのに、初めに猫を抱き上げたのは相棒で、初めにこの猫をうちに迎え入れようと言ったのも相棒だった。僕の心にタッチした、とか何とか言って。なんだかんだ言って、彼は情がうつりやすく、優しいのだ。そしてアメリカの生活を引き払ってボローニャ移る、暫く定まった住居がないであろう私達のために、私達のフラットを引き継いだ友人が猫をルームメイトとして受け入れた。この広いフラットにひとりではあまりにも淋しすぎると友人は言って。それは私達にとっては感謝してもしきれない友人の善行だった。それから長いこと私達の生活に猫が居なかった。置いてきてしまった猫のことを思うと、とても別の猫のことを考えることが出来なかったからだ。それが、今の家に住んで、やっと居心地の良い場所を得たと気持ちが落ち着くと、猫を飼いたいと思うようになった。それに、ずっと友人と一緒で幸せだった置いてきた猫が、数年前に15歳の高齢で空の星になったからかもしれない。今うちに居る猫は、数年前に猫保護の会から引き取ってきた猫。生まれてすぐに箱に入れてガソリンスタンドに置き去りにされていたらしい。だから猫は箱の中に入るのが好きだとよく耳にするが、うちの猫は箱の中が大嫌い。それから車の音も大嫌い。ガソリンスタンドに置き去りにされた時の悲しい思い出が染みついているのかもしれない。そんな猫を見て、いつかそうした悲しい記憶が消えてしまえばいいのにと思う。猫は気まぐれで我儘だと世間ではよく言われているけれど、人間だってかなり気まぐれで我儘一杯だと思う。私などが良い例た。母や姉、相棒に訊けばすぐわかることだ。気まぐれも気まぐれ。思い付きの人生だし、我儘も我儘、昔も今も、これからも、変わることはないだろう。だからなのか、猫と私は気がよく合うと猫を抱きながらそう思う。

今夜はボローニャ旧市街を取り囲む環状道路のすぐ近くの教会で、コンチェルトがあるらしい。素晴らしいオルガン奏者によるものだと聞いて是非行きたいと思うものの、どうにも都合がつかない。それにしてもその場所が、私達がこの街に引っ越してきたばかりの頃に毎日のように車で前を通っていたあの教会だと知って、とても懐かしく思った。あの教会なのか、と。そして此の教会で行われるコンチェルトの知らせが、まるで、あの頃の気持ちを思いだせ、初心を取り戻せ、と言っているかのように思えた。今の自分が方向違いの道を歩んでいないかどうか、暫く考えてみたいと思う。




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有難くて嬉しいこと

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母の日を迎えて、海の向こうに居る母を想う。こんなに大きな大人になった今も、母にとっては私は子供のままであろう。勿論一人前の大人扱いをしてくれはするけれど、心配ばかりかけている、いつも心細くて母の後ろに隠れている女の子の印象が母の脳裏に染みついているに違いない。その証拠に母からの便りには、私が元気にしているのか、無理はしていないか、相棒と仲良くしているか、と、文面の裏側に、大丈夫かなあ、といった気持ちが含まれている。それがこの頃の私には有難くて嬉しい。母がまだ元気な証拠なのだと思っている。

窓の外の菩提樹が花をつけた。目を凝らさないと見えないほどの小さな花。思うに菩提樹は私の元気の象徴みたいなもの。濃い緑の葉をふさふさとつけるその様子を見ていると、私はぐんぐん元気になる。いや、それまでだって元気だったけれど、しかし菩提樹のそのエネルギッシュな様子が、私に新たな力と勇気をもたらせると言うと良いかもしれない。そして枝に茂った葉が風に揺れるその音はさざ波のようで、心癒されてふーっと胸の底から息を吐き出したくなる。暑い季節も菩提樹のさざ波があれば何とかやっていけると気付いたのは一昨年前のことだ。
ローマに暮らしていた頃、プラティ界隈にアパートメントを借りていた。イタリア人4人との共同生活で賑やかで楽しい生活だった。プラティと言う界隈自体も気に入っていたし、アパートメント自体もよかったけれど、ひとつ残念なことがあった。私の部屋は建物の中側に面していて、窓を開けると住人たちの窓に囲まれた空間しか見えなかった。窓を全開すれば他所の家から見えてしまうし、反対に他所の家の中が見えてしまう。この辺りの人達はそうしたことを気にしないようで、皆潔く窓を開け放っていたけれど、私はなかなか慣れることが出来なかった。そもそも私は窓を開けたら樹が存在する、そうした状況を好んでいたから、開ける必要もなかった。それに建物は古くて壁が分厚く、天井がいやに高く、床が大理石だったから、窓を閉めていてもひんやりとして夏場も苦痛ではなかった。窓を開けても樹がないから、時間を見つけては外を歩いた。この辺りには安易に樹が植わっていたから、歩きながら不足していた喜びを補充した。喜びを補充しながら街を歩くと表情が自然と明るくなって、すれ違う見知らぬ住人たちに声を掛けられたものだ。やあ、楽しそうだね、何処へ行くんだい。良いことでもあったの?とても嬉しそうよ。と、そんな感じに。確かに私は嬉しかった。何故ならボローニャに相棒を残してローマにやって来てしまった私を、周囲の人達が良くしてくれたし、ボローニャの田舎でぐずぐずしている生活から脱出して自分の友人知人、同僚を手に入れて、自分の足で立って生活している実感を再び取り戻したからだ。これで相棒がローマに引っ越して来れば完璧だったが、世の中そうはうまくいかないもので、私が手に入れた生活を折りたたんでポケットにしまってボローニャに帰ってしまったけれど。でも、と思う。私があの頃ローマに行ってあの生活をしなかったらば、恐らくとっくの昔にしっぽを巻いてアメリカか日本へ逃げていったことだろう。何故ならボローニャの田舎でのぐずぐずした生活はそれほど長く続けられるようなものではなかったから。受け入れなければならぬことばかりで、自分がしたいことも求めていることも認められることはなかっただろうから。
と、そこまで考えて、思う。今が何と幸せなことか。ああだ、こうだと文句を言いながらも、自分の居所があり、自分の意思で色んなことを決めることが出来て。随分と贅沢になったものだ。窓の外の揺れる菩提樹の葉を眺めながら、今手元にある普通の生活の幸せを噛み締め、そして自分に言い聞かせるのだ。もう少し感謝しなくてはいけない。

猫は随分と気持ちが落ち着いたらしく、いつものような機嫌のよい猫に戻った。歩く私の背後について歩き、時々、ねえ、ねえ、と言うかのようにグイッと膝っ小僧に頭を押し付ける。はいはい。機嫌が良くてよろしい。人間も猫も元気で機嫌がいいのが一番だ。




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アカシアの樹

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薄曇り。肌寒いくらいだ。薄着で出掛ければ体が冷えてしまうに違いなく、温かいと思えば寒くなり、全く厄介な気候である。これもこの季節の特徴。油断がならぬ。昔からそんな風に思っていた。

私がようやく10歳になったかならぬ頃の春、私達家族は田舎に引っ越した。そこは本当に驚くほど田舎で、最寄りの駅からバスに乗り、そしてバスを降りてから子供の足なら30分も歩くような場所だった。そんな場所に引っ越したのは父と母が土地を購入して家を建てたからだ。今思えば、あの頃の私の両親には精いっぱいのことだったに違いない。だから不便な土地であっても大そう嬉しかったに違いないが、いきなり田舎町に連れていかれた姉と私は、開いた口が塞がらなかった。小学校には歩いて小一時間掛かり、最寄りの店も歩いて30分歩かねばならなかった。それまでが便利過ぎたと思えばよかったのかもしれないけれど、子供だった私には恐ろしく不便な場所でしかなかった。だから、広い庭も二階に位置する日当たりの良い自分の勉強部屋も、感謝の気持ちが芽生えるまでに随分と時間が掛った。しかし、そんな場所にぴったりの商売というものがあった。御用聞きという商売だ。初めに家にやって来たのはアカシアという名の酒屋だった。駅前の大通りの角地に立つ手広く商売をしている酒屋で、この辺りの人達は皆この御用聞きを利用しているとのことだった。それを教えてくれたのはご近所さんで、値段は店に買いに行くよりも少し高いが時間と労力を節約できると思えば悪くない、それに信用できる店だから、とのことで、母も利用する気になったらしい。そうしてアカシヤ酒屋店はうちに毎週出入りするようになった。時には母が駅に行ったついでに店に立ち寄り、店にあるものを選び出して後から配達して貰った。このアカシア酒屋店はこんな風にして地元の人達に愛用されているようだった。そのうちクリーニング屋さんとお米屋さんもうちに出入りするようになった。以前のように豆腐屋さんや魚屋さんに毎日気軽に行けなくなったけれど、私達は少しづつこの生活に慣れていった。アカシア酒屋店なんて変な名前だ、とずっと思っていた。あの頃の多くは、店主の名字が店名になっていたからだ。しかしそれを次第に忘れていったのは、田舎町がそれなりに発展して、もう御用聞きにお願いせずとも生活が成り立つようになったからだ。その代わりに余るほどあった空き地には家が建ち並び、引っ越してきた当時のことが半世紀も前のことのように思えるほどの住宅地になってしまった。もう庭に野兎や雉が遊びに来ることはなく、引き換えに沢山の住人と便利な店が残った。
アカシアとは樹の名前で、春になると良い匂いを放つ美しい白い花を咲かせると知ったのは、あれから随分と年月が経ってからのこと、イタリアに暮らし始めてからのことだ。山に暮らす友人家族を訪ねたら、自家製の蜂蜜を分けてくれた。それは半透明の明るい色で、実に美味しい蜂蜜だった。そのまま口の中に入れても美味しいし、紅茶に入れても抜群に美味しかった。アカーチァと呼ばれる種類の蜂蜜で、アカーチァとは花の名前、その花の蜜から作られたのがその蜂蜜なのだと友人は言った。しかしそれがアカシアであることにまで考えが至らず、アカーチァとはどんな花なのだろうと思っていた。
探求心がないというのか何と言うのか。私は自分が本当に知りたいこと、興味のあること以外にはあまり興味を示すことなく、何年も何年も過ぎていくのだ。アカーチァがいい例だ。インターネットが普通の人々の生活に浸透していない時代だったから、疑問が疑問のまま残ってしまった。今日、薄曇りの空の下に咲く白い花を眺めながら、まあ、今年も何と沢山の花をつけたのだろうと思った。満開の栃ノ木の少し向こうにある、競うように花を咲かせている2本の樹。1本は背がとても高くもう1本は低く、互いが寄り添うようにほんの少しか傾いた感じで立っているので、ボローニャの斜塔のようだとずっと思っていた。夏場はその樹の様子が大変涼しげで眺めているだけで気持ちが和んだ。でも名前は知らなかった。相棒は知っているだろうか、と多少の期待を込めて訊いてみたら、あれ、君、知らないのかい、あれが君の大好きなアカーチァだよ、と言う。それでネットでアカーチァと調べてみたら、出てきた、アカシアという四文字。アカシア。ああ、アカシア酒屋店のアカシアは樹のことだったのか、と、何十年振りにその名を思いだし、遂に謎が解けたのである。山でアカーチァの蜂蜜に出会った時にピンと来なかったことに我ながら呆れるが、これも語学センスの問題とか、感の良さ悪さなど、様々な理由があったに違いない。あの店が何故そのような名前を店につけたのかは分からないが、きっとアカシアの樹に何か良い思い出があったのだろう。例えば生まれ育った家の庭にアカシアの大きな樹があったとか、なんとか。子供時代の私は無口の人見知りで、知らない人と話をするなんてことは出来なかった。ましてや家に出入りしている店の人となど。今なら訊けるのに。今の私なら店の人に訊けるのに。アカシア酒屋店の名前の由来を。

近所の店で入手したバジリコの苗を植木鉢にきちんと植えてくれたのは相棒だ。冬の間放置して荒れ果てたテラスと植物に手を加えて貰った。私はいつの頃からか、こうしたことが上手くできなくなった。反対に、相棒の手が掛ると、何か特別なエネルギーでも貰ったかのように、種でも苗でも木でも花でも良く育つ。だから黄金の手、と私は呼んでいる。さて、昨年すっかり枯れてしまった金木犀に奇跡は起こるだろうか。これも近いうちに、黄金の手に託してみたいと思う。




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