感謝の数を数える

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夜空の高いところに銀色に光る月。そんな月を眺めて居ると、ああ、此れでよかったのだ、と思う。何が此れでよかったのかと言えば、あの事も、この事も、である。色んなことが成るべく形になっていく。希望通りにならないこともあるけれど、案外後になってみたら、これでよかったのだと思うのかもしれない。
肩の力がすーと抜けていく。元気に週末を迎えることが出来たことに感謝。色んな小さな苦難が、問題を風呂敷に包んで、さようなら、と私の目の前から去ろうとしていることに感謝。時には感謝することをひとつふたつと指折り数えてみるといい。案外沢山あることに驚かされる。

明日は列車に乗って小旅行。ほんの一瞬のボローニャ脱出。愉しみで、嬉しくて、心が逸って、今夜はなかなか眠りに落ちそうに無い。




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何が幸せかということ

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予想以上の快晴。外を歩く人々の姿は軽快で、恐らくは10度以上に気温が上がっているのではないかと思われる。そっと窓を開けてみると、ほんのり春の匂いがした。ほんのりの理由は、やはりまだ冬だから。しかし確実に春へと向かっていると空気が教えてくれた。

空が青い。隣の建物のオレンジ色の壁に午後の陽が当たる様子を眺めながら、頑張らなくてはと自分を励ます。たかが熱を出したぐらいで体中が痺れるように痛くなって寝込んだ自分を、何だ、随分弱いじゃないか、と窘めながら、ふと私は友のことを思い出した。何年も病気と闘いながら静かな秋の終わりに天の昇った友は、自分の方が大そう大変だった筈なのに、扁桃腺は腫れていないか、熱は出していないか、ボローニャで上手くやっているのかと、私の心配ばかりしていた。私と彼女はアメリカ時代に幾つもの季節を共有した。疲れると夏と言わず冬と言わず扁桃腺を腫らせて高熱を出して寝込んだ私のことを、それから何年経っても心配していた。季節の変わり目は気を付けて。あまり頑張り過ぎないで。疲れたら自分に甘くしてあげるといい。そんなことを海の向こう側で綴っては、私に長い便りをよこした。今は分かる、彼女のこと。病になると体が辛くなる、病になると心細くなることを知っていたからこそ、彼女は私を心配したのだろう。彼女が居なくなってもう何年も経つけれど、私は彼女のことを思い出すたびに新しい何かを学ぶのだ。今も遠くの何処かから見守っていて、案外私のことを心配しているのかもしれない。
15年も前に、私は彼女を訪ねた。まだ彼女が元気だった頃のことだ。彼女はカナダの大きな湖のある町に暮らしていて、夫婦仲よさそうにしていた。彼女の恋が実っての結婚だったから、私はとても嬉しかった。彼女の仕事帰りや休みの日に、私達はよく街を歩いた。昔私達がそうして坂を一緒に歩いたように。夕食の後に暗い夜道を歩いてカフェへ行ったように。私達はもうあの頃のような若いお嬢さんの年齢ではなく、其れなりに立派な大人になっていたが、ふたりで肩を並べて歩くと10年も前に遡って、小さなどうでも良いことにも笑いが零れてしまい、体をくねらせて肩をぶつけ合いながら笑ったものだった。ある日、私達は何処かへ向かう途中だっただろうか、街路樹のある広い歩道を歩きながら恋愛や結婚について話をしていた。彼女は思い悩んでいた。それは私にも共通していたことだったから、私なりに考えていることを私なりの言葉で伝えたところ、彼女ははっとした表情で、それを私は言いたかったのだと言った。そして、何故あなたには私の気持ちがうまく伝わるのだろう、とも言った。他の誰に話しても、一番大切な部分を理解してもらえないのに、と。丁度、赤いひさしのある店の前だったのを覚えている。驚きの気持ちを隠さない彼女の表情を眺めながら、ああ、この赤い色は彼女にとても良く似合う、と思いながら、友と気持ちを共有できることの幸せを味わっていた。
彼女が、もう病に勝てそうにない、と思うようになったころ届いた彼女からの便りに、此れが恐らく最後の便りになると思うけれど、私はいつもあなたのことを遠くから応援している、と書かれていた。何を言うか、私のことなど心配したり応援したりしている場合ではないではないかと、便りの向こう側に彼女が居るかのように、私は握りこぶしを振り回しながら、涙をこぼしながら怒った。でも、今ならわかる。彼女は何時だってそうだったのだ。彼女はそう言う人だったのだ。人の喜びを自分のことのように喜び、人の苦しみを自分のことのように苦しむ。多分今だって何処かから、ああ、また熱を出してしまったね、と心配しているに違いないのだ。体を横たえてゆっくり休みなさいよ、と言っているのかもしれない。私は思う。そんな風に心配してくれる人が居る幸せ。何時も何処かから応援している人が居る幸せ。自分の喜びを一緒に喜んでくれる人が居る幸せ。そう思えば、私は大した幸せ者だ。

毎日、熟れたオレンジをひとつ。シチリアの太陽を浴びたオレンジ。もうすぐ終わりになるらしい。そうしたら、ボローニャにも春がやって来て、ミモザの花が咲き乱れ、店先に甘い匂いの赤い苺が並ぶだろう。




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情熱

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気温が随分上がったようだ。なのに以前と同じように寒さを感じるのは、多分湿度のせいだろう。話によれば明日から数日雨が降るらしい。えー、雨かあ、と残念がる私を、知人が窘める。纏まった雨が全然降らなかったのだから、必要な雨、恵みの雨だ、と。確かにしばらく纏まった雨が降っていない。恵みの雨とはよく言ったものだ。これでは私も文句の言いようがない。

仕事帰りに、靴の修理屋さんへ行った。数日前に持って行った靴を引き取るために。気に入りの靴とは言え、此ればかり履いているものだから随分と傷んでしまった。持ち込んだ靴を見せながら踵の部分のゴムの取り換え、爪先の部分に滑り止めのゴムをしっかり張り付けて、それからぐるりと取り囲む底の部分が傷だらけだから何とかしてほしいと説明する私に、店主が頷きながら、任せてくださいよ、と言ったのは一昨日のことだった。そうは言っていたけれど、あんなに傷だらけでは、彼もお手上げではあるまいか。あまり期待せずに引き取りに行ったところ、驚くほど美しく仕上がっていて、店先で、えーっ! と歓喜を上げた。購入した時の姿に戻ったと言えばよいだろうか。手放しに喜ぶ私に店主は満足そうであった。求められた代金は踵のゴムの取り換えだけ。残りの作業は店主が靴への情熱でしたことだから、代金不要とのことだった。この仕事を始めたのも靴が好きだからと言うだけある。感心しながら店を出た。これで暫く安泰。この靴は壊れるまで履きたい、大の気に入りなのだ。

情熱とは何と素晴らしいことか。私は情熱を持っている人が好きだ。それは、多分、私が遠い昔に情熱を失ってしまったからなのかもしれない。そんなことを思いながら寒い冬の夜をひとり歩いた。




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ひとりごと

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相棒が、白ワインを沢山持ち帰った。どうしたのかと訊ねると、今は亡き舅の兄、つまり相棒の伯父からのものらしい。話によれば相棒の伯父はもうワインをたしなむことが出来なくなったらしい。随分の高齢の彼は一人娘とその夫の3人暮らし。どうやら医者からワインを止めるように言われたらしい。娘はワインに限らず酒を一切飲まないし、娘の夫は多少は嗜むが、ワインを飲めなくなった妻の父親の手前上、飲みたいとも言えず、結局家族ぐるみで酒禁止となったらしい。それで昨年気に入りのワイン農家から大量に購入した白ワインをどうしよう、ということで、相棒のところに持ってきたとのことだった。嫌じゃなかったら貰ってくれないか。そういう話だったらしい。どうしてこんなにへそ曲がりな言い方をしたかと言えば、伯父と相棒は長いこと仲違いをしていたからだった。相棒の父親、つまり伯父の弟が9年ほど前に空の星になってから、ずっとこんな具合なのだ。ああしろ、こうしろと煩い。ムッソリーニみたいな人だと相棒は言ったが、私に言わせれば伯父の一人娘の方がよほどムッソリーニみたいだと思った。兎に角、そう言う訳でうちには伯父自慢の白ワインが沢山ある。ボローニャ近郊の丘で摘まれた葡萄で作った白ワインである。

そんな話をしたら、思い出したことがある。私はアメリカに暮らすまでアルコール類が駄目だった。ワインのみならず、ビールや梅酒と言った類も。毛嫌いしていた訳じゃない。欲しいと思ったことが無かっただけだ。だから付き合いで無理して飲むと具合が悪くなった。やはりこうしたものは、自ら欲してからこそ美味しく、体にも嬉しいのではないだろうか。アメリカに暮らし始めて色んな人と交わるうえで、ワインはいつも私達の真ん中に居た。初めは敬遠していたけれど、そのうち関心を持ち始めて、少し、また少し頂くうちに、こんな美味しいものをどうして今まで知らなかったのだろうと思うようになった。土地柄もあったかもしれない。カリフォルニアの北の方は、数々の素晴らしいワインが生まれる場所だったから。そうしているうちにワインと腐れ縁になった。夕食時にワインが無いなんて日はない。勿論相棒とふたりで一本開けることは無く、せいぜいグラスに一杯だけど。たまには仕事帰りに立ち飲みワインを楽しむこともある。あの立ち飲みワインは、なかなか楽しい。全然知らない人と偶然隣り合わせになった縁で、ワインを飲みながら一瞬の交流を楽しむことが出来るから。ワインが嫌いだったら、私の生活の楽しみがひとつ少なかったに違いない。
アメリカに暮らしてからの変化は、ワインのことばかりではない。私は結婚をしないと思っていた。別に男嫌いではなかった。ただ、恋愛を楽しむのはよくても、結婚はしない、とずっと思っていた。それが私の自由主義のひとつだったのかもしれないし、単に面倒くさいと思っていたのかもしれないが、今となってはそのどちらだったのか、それとも他に理由があったのか、思い出すことが出来ない。だから結婚すると母に告げた時、大変驚いたようだった。あれ程結婚に関心が無かった娘が、反対する母を説得して結婚したことを、実は私自身が一番驚いている。
アメリカが私を変えたとは思っていない。恐らく、アメリカに行って自分らしさというものを見つけて肩の力が抜けたら、色んな見えなかったこと、分からなかったことが見え始めたり分かり始めたりしただけなのだと思う。人にとやかく言われない世界。人と違っても良い世界。私にはそうした空気が必要だったのかもしれない。
アメリカが好きで飛び出した娘が、結婚相手の故郷のボローニャに棲みついた。私の家族はそんな私に驚いたかもしれない。実は私も驚いているが、でも、よく考えれば、色んな偶然が重なって私はボローニャに来たけれど、何時か此処に辿り着くようにできていたのかな、私の人生は、と最近思うようになった。勿論これが最終地点ではなくて、此れから私の人生の旅は続くのだけど。自分にもわからない最終地点。だから面白いのかもしれない、生きると言うことは。
と、白ワインをくれた相棒の伯父のことを考えていたら、こんなことを考えた。そんな日曜日。

ああ、甘いものが欲しい。とても美味しい甘いものが。そうだ、明日の帰り道にガンベリーニに立ち寄ろう。相棒と私の為に、小振りのトルタをひとつ。洋ナシとチョコレートのトルタがいい。こんな予定がひとつあれば、嫌いな月曜日も何とかうまく過ごせるに違いない。




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1月

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目を覚ましたら鼠色の空。曇り空とも呼べるが、其れよりも雪雲と呼んだほうが良いようなそらだった。一昨日の冷たい大風。昨日の驚くべき快晴と冷たい風。そして今日はこんな空で、私達人間は1月の空に大いに振り回されている。特に私。私は天気で気分がアップダウンするから困りものだ。あれは間違いなく雪雲だが、かと言って雪が降るでもなく。雪は降らないのだ、と思い始めた昼過ぎ、遂に雪が降り始めた。初めは目を凝らさなければ見えないような小さな雪の欠片で、そのうち窓越しに雪と分かるような雪が降り落ちてきた。積もらねば良いけれど、と心の隅っこで願いながら、窓辺に佇んで雪が舞う様子を眺めていた。

1月。忘れもしない1月のこと。私は相棒の車でローマを目指した。ボローニャで安定した仕事に就くことを諦めた私は、ローマに就職先を見つけた。普通の人ならば、配偶者を置いて別の街にひとりで引っ越しするなんて考えもしないだろう。だから私がローマで仕事を得て、独りローマに移り住もうとするのを周囲の人達は決して快く思っていなかったと思う。でも、私にとって周囲の人達がどう思うとかはあまり大きな問題ではなかった。私は、相棒が同意してくれていればそれで十分だった。相棒は、恐らく寂しかったに違いない。その証拠にローマの仕事の誘いがあった後、酷く慌ててボローニャで私がしたいと思うような仕事が無いかと探し回っていたから。21年も前のことである。あの頃のボローニャと言ったら、外国人が定職に就くなんて夢のような話だった。私がローマの仕事に就くことを相棒が了解してくれたのは、相棒がボローニャでの現実を知ったからと言っても良かった。私は自分の足で立って生活するのが好きだった。結婚しているからと言って相棒に頼って生活することが出来ないタイプの人間だった。もし私が違うタイプの性格だったら、どんなに楽だっただろう。兎に角そんなだから、相棒も引き留めることをせずに、思い切り頑張ってくるといい、と送り出してくれた。
ローマへ行けばすべてがうまくいく、なんて思っていなかった。でも、少なくとも自分の力で生活を切り開いていかねばならぬことで、失いかけていた自分を取り戻すきっかけとなった。好きだったアメリカの生活を引き払ってボローニャに暮らし始めてから、私は日に日に元気を失っていったから。外国人というのは、と言われるばかりで、肩身が狭くて仕方なかった。自分が外国人であることを始めて実感したのもそのころである。私がアメリカに暮らしていた頃は、自分を外国人と感じたことがあまりなかったからである。ローマの何がよかったかと言えば、例えば空が広いこと。大観光地であるが為に外国人であることで周囲に注目されないで済んだこと。もっとも知らない土地で生活するのは簡単とは言い難かったが、しかしいつもどの国のどの町でも始めはそんな風だったから、別に辛いとは思わなかった。
今思えば、随分勇気があったと思う。同じことを今の自分が出来るかと言えば、それはちょっとわからない。若かったからできたことなのかもしれない。いいや、それとも人間切羽詰れば火事場の底力みたいに。なんとかしなければ、と行動に移すことが出来るのかもしれない。そして今思うことは、あの時の世間的には突拍子もない行動が今の自分を支えていると言うこと。くじけそうになった時に思いだすのは、何時も21年前の1月のことだ。出来ない事なんてない。不可能なことなんてない。やってみればいいだけなのだ、と。
最近知ったことなのだが、そんな突拍子もない行動をとって周囲を驚かせて、随分と後ろ指を刺されたというのに、あの頃のそんな私のことを相棒は誇りに思っていてくれたことだ。私を強い人間だと、諦めない人間だと、周囲の評判を気にしないで前に進んで行ける女性だと。確かに彼は寂しかっただろうけれど、そんな風に思ってくれていたのだ、やはり応援してくれていたのだと21年も経ってから知って、私は相棒に頭が上がらない。私が自分を取り戻せたのは、私がローマで仕事をすることが出来たのは、結局自分の力ではなくて、そうした見えない相棒の支えがあったからなのだと。
1月というのはそういう月だ。一年に一度くらい思い出して、それらの全てに感謝するのも悪くない。

それにしても雪はあっという間に止んでしまった。これでいい。積もったりしたら後が厄介だからという私を、ロマンティックでないと人は言う。ロマンティックねえ。勿論私もロマンティックは好きだけど、出来れば雪は避けておきたい。その代わりにこんなのはどうだろう。月を眺めながら相棒と旧市街の広場を一緒に散歩する。寒いから腕をぎゅっと組んで、寄り添って。恋人時代にそうしたように。




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