4月は人生で一番の貧乏暮らしだった

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今日は風が冷たくて、開けた窓をすぐに閉めた。ああ、寒い! と言ったのは私で、相棒は4月なのだから寒いなんて言葉は的確ではないと言って私を戒めた。ところが相棒もいつもの軽装でテラスに出てみたら、5秒と経たずに家の中に入ってきた。ふふふ。4月だって寒い日は寒いのだ。空が青い。驚くほど青い。東からの風に乗って雲の群れがぐんぐん空を走る。いつの間にか新緑に覆われた木の枝が風に揺れてきらきら光る。それは何か遠い記憶を呼び起こす為の儀式のようにすら見えた。窓辺で眺める分には美しくも、パスクエッタの祝日を郊外のどこかで過ごす人々は寒くて肩をつぼめているに違いない。それもボローニャあたりが寒いだけで、ローマあたりへ行けば、案外暖かくて素敵なピクニックなのかもしれないけれど。いつの頃からなのだろう、パスクエッタはピクニックや屋外で食事を楽しむのが一般的になった。そう言えば以前は私達も山の友人たちに誘われて、パスクエッタの屋外での食事を楽しんだものだった。

4月になって以来、私はアメリカに暮らしていた頃のことをよく思い出す。実のところ、冬の半ばからあの頃のことをあまり思い出さなくなっていた。理由はあるようで、ない。ほかに考えることが沢山あったからかもしれないし、無意識のうちに思い出さぬようにしていたのかもしれない。もし後者の方が理由だとしたら、その理由すらも分からない。
4月、4月。アメリカに暮らして初めての4月は人生で一番の貧乏暮らしだった。と言っても、住むアパートメントもあったし、家賃もきちんと払ったし、自由に市の交通機関を使える月間パスも持っていたし、食事だって贅沢をしなければ困ることはなかった。なのに人生で一番の貧乏暮らしだったと思ったのは、どっちつかずの生活で、ふと気が付いたら、そういえば自分には何もない、自分の手の中は空っぽだ、と思ったからだった。そのうえ仕事探しもうまくいかなかったから、貯金が確実に減っていくのを確認しながら、途方に暮れていた。あれほど夢みて叶えたアメリカ暮らしだったのに、日本に帰ってしまおうかと思ったこともある。なのにそうしなかったのは、帰るのは何時だって帰れるではないか、君はぎりぎりまでチャレンジしていないではないか、好きな場所をそんなに簡単に離れることができるのかい、などど様々な人が私に声を掛けてくれたからだ。それは知人だったり、同じアパートメントに暮らす他の階の住人だったり、よく足を運んだカフェの店員だったり、一緒に暮らしていた友人だったり。そういう意味では私はついていたのだ。運の良い人間と言ってもいいだろう。もしあの時誰かが、残念ねえなどと言っていたら、私はあのまま、何も得ぬまま帰ってしまったに違いないから。4月のある日、とても暖かかった。しかし夕方になると湾からの風が吹いて終いには霧が出始めて急に冷え始めた。襟ぐりの広い、薄手のブラウス一枚で出掛けてきてしまったことを後悔した。首元がひどく寒かった。この街の住人としては初歩的な失敗で、ジャケットのひとつ、スカーフのひとつも持たずに家を出てきたことに我ながら呆れていた。私はユニオンストリートを歩いていた。ユニオンストリートとはこの街でも目抜きの通りで、お洒落で手の込んだものを置く小さな店が連なる通りだった。そこで偶然知人を見つけた。お洒落なものが好きな彼女はこの界隈によく買い物に来るらしい。同じようによくこの通りを歩く私はもっぱら眺めるばかりだったが、ユニオンストリートという共通項を見つけて少し嬉しくなったのを覚えている。寒くなったから帰ろうと思っていたという私に、もう少し先まで一緒に歩かないか、その先にとてもいい店があって、きっとあなたも好きだと思うから、との知人の誘いに乗って寒いのを我慢して歩いた。目当ての店は驚くほど小さくて、狭い店内に驚くほどの量のものが飾られていた。知人は店の常連なのか、店の人と親しそうに話しをしながら、あれを見せて、これを見せてと忙しかった。私はと言えば、ひとりで店に置かれているものを物色していた。繊細な美しいピアスや、ブレスレット。華やかな帽子。レースのブラウス。そうして私が手を触れたのはストールともいえるような、しかしとても薄い軽い、華やかな大きな花模様のシルクのスカーフだった。春とも初夏ともいえる雰囲気の、素晴らしい色合いだった。スカーフに手を触れて考え込んでいる私に、首に巻いてみると言い、と言ったのはもうひとりの店の人だった。複雑にまかれているスカーフを上手にほどいて広げて見せてくれたら、さらに素晴らしかった。勿論エルメスなどと比べたら素材にしても縫製にしても雲泥の差があったけれど、あの頃の私にはそんなことはあまり気にならず、その色合い、花の開き方が私の心をとらえ、踊るような気分になった。首に巻いてみたらいい感じだった。それに首元が寒くてどうしようもなかったから、スカーフの温かさが有難かった。傍にいた知人ともう一人の店員がとても褒めてくれた。値段は29ドル。25年前の私にとっての29ドルは、人生で一番貧乏暮らしだと思っていた私にとっての29ドル。思い切って買うことにしたのは、実際寒くて仕方なかったからと、そしてこんな華やかなものを首に巻いたら気分が明るくなって良いのではないかと思ったからだ。あのスカーフは、あれからとても人気者だった。知人友人ばかりでなく、街を歩いているとすれ違いざまに見知らぬ人たちに声を掛けられた。美しいとか、よく似合うとか。若い人だったり年配の人だったり、女性だったり男性だったり。あれが私の運命を変えたとは思っていないけれど、少なくとも私の気持ちは明るくなって、考える方向を少しならずとも変えたのではないかと思う。私にとってあの時期は、思い出すのもつらいような時期だ。自分の方向が見えなくなって、こんな時、海の向こうに暮らす両親は、姉はどんなことを言ってくれるのだろうと思いながらも、電話をかけなかった。心配を掛けたくないというよりも、好きで自分で決めて飛び出してきたのに泣き言などいえない、といった頑なな気持ちがあったからだ。自分の中で戦うしかなくて、苦しくてつらい時期だった。だから私は外を歩いた。大好きな街の空気に触れながら、坂を上り、下り、階段のてっぺんに腰を下ろして街を眺めた。気を紛らわしていただけと言われればそうかもしれないけれど、私はそんな形で気持ちの整理をしていたのではないかと思う。歩きながら何かを見たり考えたりするのは、人が考える以上に効力があると思っている。鎮静剤の役目もするし、刺激剤にもなる、と言ったら分かりやすいかもしれない。

風に流される雲の群れと揺らめく新緑を眺めているうちに、やはりいろんなことを思いだした。しかも一番思いだしたくないに違いない時期のことを。3連休のせいに違いない。長い週末で、考える余裕ができたから、面倒くさいことを思いだした。きっとそうだ。でも、それも悪くない。時々、思いだすとよいだろう。




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私の傍らには藤の花が咲いていた

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散歩をしていたところ、藤の花が咲いているのを見つけた。ほんの少し例年より早いような気がするが、気のせいだろうか。ほんの少し春が駆け足で進んでいるような気がするのは私だけなのだろうか。それは別にして、藤の花は何と美しいのだろう。まるで優雅な貴婦人のよう。

私にとって藤の花は、初めてのローマ暮らしに繋がっていて、20年経った今も、そしてこれから先も、忘れることはないだろう。ローマの強い春の日差しの下で手紙を書いた、私の傍らには藤の花が咲き乱れていて、それがひとりぼっちの私を支えていた。あんな素敵な職場はなかったと思う。隣の建物はテッラコッタの工房だった。とても興味深くてよく足を運んだ。私の上司はとても優しい人で、相棒と離れてローマに暮らす私に気を使ってくれた。時々、休憩と称して外に連れ出してくれた。ある時は近所のバールに。ある時は隣の工房見学に。ひとりぼっちを自ら選んでボローニャを出てきた私は寂しいなんて言える立場ではなかったから、そんなことは言ったためしがないのに、上司に限らず周囲の人たちはこんな風にして私を外に誘い出してくれた。私がローマに特別な感情を持っているのは、そんな人たちが居たからだ。私が感謝してもしきれない人たちの存在。そうした思い出がすべて藤の花に繋がっている。美しい藤の花。青い空。眩い太陽。
私が働いていた会社は、もう何年も前にあの場所から立ち退いたらしい。でも私の思い出はいつもあの場所にある。ずっとあの場所にある。

雨が降ると言っていたが、雨粒の一滴も落ちてこなかった日曜日。窓の前の栃ノ木はすっかり新緑に覆われていて、早くも花を咲かせようとしている。そんなに急がなくてもいいのに、と思うほど。もう少しゆっくり行こうよ、と声を掛けたくなるほど。今週の一週間、私は自分にそんな言葉を掛けながら過ごそうと思っている。ねえ、もう少しゆっくり行こうよ。




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感謝の数を数える

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夜空の高いところに銀色に光る月。そんな月を眺めて居ると、ああ、此れでよかったのだ、と思う。何が此れでよかったのかと言えば、あの事も、この事も、である。色んなことが成るべく形になっていく。希望通りにならないこともあるけれど、案外後になってみたら、これでよかったのだと思うのかもしれない。
肩の力がすーと抜けていく。元気に週末を迎えることが出来たことに感謝。色んな小さな苦難が、問題を風呂敷に包んで、さようなら、と私の目の前から去ろうとしていることに感謝。時には感謝することをひとつふたつと指折り数えてみるといい。案外沢山あることに驚かされる。

明日は列車に乗って小旅行。ほんの一瞬のボローニャ脱出。愉しみで、嬉しくて、心が逸って、今夜はなかなか眠りに落ちそうに無い。




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何が幸せかということ

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予想以上の快晴。外を歩く人々の姿は軽快で、恐らくは10度以上に気温が上がっているのではないかと思われる。そっと窓を開けてみると、ほんのり春の匂いがした。ほんのりの理由は、やはりまだ冬だから。しかし確実に春へと向かっていると空気が教えてくれた。

空が青い。隣の建物のオレンジ色の壁に午後の陽が当たる様子を眺めながら、頑張らなくてはと自分を励ます。たかが熱を出したぐらいで体中が痺れるように痛くなって寝込んだ自分を、何だ、随分弱いじゃないか、と窘めながら、ふと私は友のことを思い出した。何年も病気と闘いながら静かな秋の終わりに天の昇った友は、自分の方が大そう大変だった筈なのに、扁桃腺は腫れていないか、熱は出していないか、ボローニャで上手くやっているのかと、私の心配ばかりしていた。私と彼女はアメリカ時代に幾つもの季節を共有した。疲れると夏と言わず冬と言わず扁桃腺を腫らせて高熱を出して寝込んだ私のことを、それから何年経っても心配していた。季節の変わり目は気を付けて。あまり頑張り過ぎないで。疲れたら自分に甘くしてあげるといい。そんなことを海の向こう側で綴っては、私に長い便りをよこした。今は分かる、彼女のこと。病になると体が辛くなる、病になると心細くなることを知っていたからこそ、彼女は私を心配したのだろう。彼女が居なくなってもう何年も経つけれど、私は彼女のことを思い出すたびに新しい何かを学ぶのだ。今も遠くの何処かから見守っていて、案外私のことを心配しているのかもしれない。
15年も前に、私は彼女を訪ねた。まだ彼女が元気だった頃のことだ。彼女はカナダの大きな湖のある町に暮らしていて、夫婦仲よさそうにしていた。彼女の恋が実っての結婚だったから、私はとても嬉しかった。彼女の仕事帰りや休みの日に、私達はよく街を歩いた。昔私達がそうして坂を一緒に歩いたように。夕食の後に暗い夜道を歩いてカフェへ行ったように。私達はもうあの頃のような若いお嬢さんの年齢ではなく、其れなりに立派な大人になっていたが、ふたりで肩を並べて歩くと10年も前に遡って、小さなどうでも良いことにも笑いが零れてしまい、体をくねらせて肩をぶつけ合いながら笑ったものだった。ある日、私達は何処かへ向かう途中だっただろうか、街路樹のある広い歩道を歩きながら恋愛や結婚について話をしていた。彼女は思い悩んでいた。それは私にも共通していたことだったから、私なりに考えていることを私なりの言葉で伝えたところ、彼女ははっとした表情で、それを私は言いたかったのだと言った。そして、何故あなたには私の気持ちがうまく伝わるのだろう、とも言った。他の誰に話しても、一番大切な部分を理解してもらえないのに、と。丁度、赤いひさしのある店の前だったのを覚えている。驚きの気持ちを隠さない彼女の表情を眺めながら、ああ、この赤い色は彼女にとても良く似合う、と思いながら、友と気持ちを共有できることの幸せを味わっていた。
彼女が、もう病に勝てそうにない、と思うようになったころ届いた彼女からの便りに、此れが恐らく最後の便りになると思うけれど、私はいつもあなたのことを遠くから応援している、と書かれていた。何を言うか、私のことなど心配したり応援したりしている場合ではないではないかと、便りの向こう側に彼女が居るかのように、私は握りこぶしを振り回しながら、涙をこぼしながら怒った。でも、今ならわかる。彼女は何時だってそうだったのだ。彼女はそう言う人だったのだ。人の喜びを自分のことのように喜び、人の苦しみを自分のことのように苦しむ。多分今だって何処かから、ああ、また熱を出してしまったね、と心配しているに違いないのだ。体を横たえてゆっくり休みなさいよ、と言っているのかもしれない。私は思う。そんな風に心配してくれる人が居る幸せ。何時も何処かから応援している人が居る幸せ。自分の喜びを一緒に喜んでくれる人が居る幸せ。そう思えば、私は大した幸せ者だ。

毎日、熟れたオレンジをひとつ。シチリアの太陽を浴びたオレンジ。もうすぐ終わりになるらしい。そうしたら、ボローニャにも春がやって来て、ミモザの花が咲き乱れ、店先に甘い匂いの赤い苺が並ぶだろう。




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情熱

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気温が随分上がったようだ。なのに以前と同じように寒さを感じるのは、多分湿度のせいだろう。話によれば明日から数日雨が降るらしい。えー、雨かあ、と残念がる私を、知人が窘める。纏まった雨が全然降らなかったのだから、必要な雨、恵みの雨だ、と。確かにしばらく纏まった雨が降っていない。恵みの雨とはよく言ったものだ。これでは私も文句の言いようがない。

仕事帰りに、靴の修理屋さんへ行った。数日前に持って行った靴を引き取るために。気に入りの靴とは言え、此ればかり履いているものだから随分と傷んでしまった。持ち込んだ靴を見せながら踵の部分のゴムの取り換え、爪先の部分に滑り止めのゴムをしっかり張り付けて、それからぐるりと取り囲む底の部分が傷だらけだから何とかしてほしいと説明する私に、店主が頷きながら、任せてくださいよ、と言ったのは一昨日のことだった。そうは言っていたけれど、あんなに傷だらけでは、彼もお手上げではあるまいか。あまり期待せずに引き取りに行ったところ、驚くほど美しく仕上がっていて、店先で、えーっ! と歓喜を上げた。購入した時の姿に戻ったと言えばよいだろうか。手放しに喜ぶ私に店主は満足そうであった。求められた代金は踵のゴムの取り換えだけ。残りの作業は店主が靴への情熱でしたことだから、代金不要とのことだった。この仕事を始めたのも靴が好きだからと言うだけある。感心しながら店を出た。これで暫く安泰。この靴は壊れるまで履きたい、大の気に入りなのだ。

情熱とは何と素晴らしいことか。私は情熱を持っている人が好きだ。それは、多分、私が遠い昔に情熱を失ってしまったからなのかもしれない。そんなことを思いながら寒い冬の夜をひとり歩いた。




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