存在

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昨晩の蒸し暑さには閉口だった。窓を開けると流れ込む熱風。こんな晩は初めてのことだ。大抵21時を過ぎる頃にはヒンヤリした夜風が吹いて、家のあちこちで開け放っている窓を細めなければならないほどなのだ。そういえば昨日は8月1日で、そう言われても実感が湧かぬ私に自然が8月だもの、夏なんだもの、と話しかけていたのかもしれない。蒸し暑い晩に見た美しい月。満月には数日分足らないけれど、すっかり暗くなった空に輝き、何か妙に心を打たれた。寝つきの悪い晩だった。何時まで経っても下がらぬ気温。夜中になっても鳴き止まぬ蝉。ああでもない、こうでもないと寝返りを打ちながらようやく寝付いたのに飛び起きた。大きな雷音だった。レースのカーテンをめくって外を眺めると、黒い空がピカピカ光っていた。そして轟音を響かせて、私と猫をひどく不安にさせた。猫はと言えば矢の如く抽斗箪笥の下に逃げ込んでいくら呼んでも出てこなかった。そのうちばらばらと雨が降りだして、私の不安は安堵に変わる。降れ、降れ、雨よ。此の異常に暑い空気を冷ましておくれ。

次に目を覚ましたのは朝だった。早くも窓の外では蝉たちが合唱していて、まるで自分たちの早起きを自慢しているかのようだった。夜中の雨は案外まとまったものだったらしい。地面がまだ乾かず、草木たちが嬉しそうに風に揺れていた。
8月は私がアメリカへと旅立った月だ。色んな準備は7月のうちに済ませたから、出発までは家族と時間を過ごしたり、自分の部屋の整理をしたり、図書館へ行って本を読んだりと、実にぶらぶらしたものだった。
高校時代からの友人と時間を作って会ったのは、その頃だっただろうか。暑い日で、彼女が涼しそうな袖なしの、裾の長いドレスを着て約束の場所にやって来たのを今も良く覚えている。彼女が過ごしたオーストラリアでの話、恋人のこと、結婚を控えていること、幸せなこと。彼女が確実に幸せな道を歩んでいることを出発前に知れたのは、私にとって嬉しいことだった。
ある晩には別の友人から電話を貰った。出発する前に都内の河原で開かれる花火を見に行かないかとの誘いの電話だった。大きな花火が打ち上げられるので有名な其れは、とても日本らしいこと、きっと良い記憶になるだろうと、思いやりのある彼女らしい誘いだった。そういう気持ちが嬉しかったのに、誘いに乗らなかったのは、私が人混みを好まないからと言うよりも、もうじき旅立ちだと言うのに少々夏バテ気味だったから。こういう時な家に居るのが一番。そう思って断ったのに、不思議なことにあれから29年も経った今頃、あの誘われた花火大会のことを思いだすのだ。本当は、私は行きたかったのだろう、彼女と花火を見に。きっと彼女はそんなこと、とっくの昔に忘れてしまっているに違いないのに。
もうひとり思いだす人が居る。大きな店で買い物をして袋に買っものを詰めていた時、えっ、と目が止まった。向こうの方に懐かしい顔を見つけたのだ。彼女は中学一年生の時の同級生。私と彼女は初めて会ったその日から気が合って、私は学校帰りに街中に暮らす彼女の家に立ち寄ったものだった。教育に厳しい両親を持つ勉強家の彼女に触発されて、私は彼女の家で一緒に勉強をしたのは幸運だった。面白いくらい頭に入って、面白いくらい成績も上がった。彼女とは何時も肩を並べての成績で、それがまた励みになったのだと思う。その彼女の両親の勧めで地域の旅行に一緒に参加したり、夏祭りへ行ったりと共に過ごした時間が沢山あったのだが、翌年区域変更で彼女が別の中学校に通うようになると、あまり会えなくなってしまった。それでも時々互いのところを行き来していたが、それぞれの環境に別の友人を見つけると、そのうちそんなことがあったことも忘れてしまった。医者の娘で、その界隈では銘家と言われた家の長女。色んな期待と圧力があっただろうけれど、聡明な彼女はどれもこれも上手くこなして大人になったのではなかろうか。その彼女が其処に居た。間違えは無いと思ったのに声を掛けられなかったのは、足を一ぴ踏み出そうと思った瞬間に夫と思われる外国人が登場したからだ。そして彼女は赤ん坊がふたりも入っているのではないかと思われるような大きなお腹を抱えてしんどそうで、彼は両手に重い荷物を持ちながら彼女をいたわり、ふたりが何やら楽しそうに話をしながら歩き始めたからだった。これでいいような気がした。彼女が今も元気で、幸せにやっていることが分かっただけで満足だった。そしてあの頃私達が夢中になった英語を、彼女は続けていたに違いないことに私は喜びを覚え、そういう私は英語の文法はさっぱりだけど、好きで好きでアメリカへと旅立とうとしているのを、あはは、やはり私達は似た者同士なのだ、などと思ったものだ。あの日声を掛けなかったことは後悔していない。ただ、もう一度チャンスが欲しい、もう一度何処かで会えたらいいのに、と今も思っている。
私の思い出には沢山の女性の存在がある。どの人も大切で、どの人も私に色んな大切なことを分けてくれた友。そういう人達に囲まれていたことを、私は幸運と呼びたい。

それにしても静かだ。周囲の家の人達は先週あたりから夏季休暇に入ったらしく、どの家の雨戸も閉めたまま。更に今週末は人が減り、全く静かな土曜日になった。こういう時期は空き巣が多い。でも大丈夫。私と相棒が居るからね、と庭でばったり会ったついでに上階や隣の住人に声を掛けたら大そう喜んで貰えた。彼らは山の別荘へと出掛けていった。冷えた空気を求めて標高の高い山の家へ。階下を借りている住人とは交流がないが、例年通りならば何処ぞへ出かけるに違いない。うちは管理人でも何でもないけれど、こういう時はお互いさま。この夏は任して頂戴。うちはずっとボローニャに居るんだから。





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姉妹

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完全に晴れない空。薄日が時々射す程度。それでいいと思っている。今日はカンカン照りにならなくていいよと空にメッセージを送ってみたが、さてうまく伝わっただろうか。時折吹く涼しい風。鳴りやまぬ蝉の声。木の枝葉が作る影が風に揺れて、それがとても涼しそうだと思う。こんな小さなことを考えることが出来る時間を持てたのは幸運だ。私にとっては大切な時間。これが無い時は自分が物事に振り回されている証拠。

私がアメリカへ発つと私と姉は疎遠になった。理由は簡単。姉は手紙を書くタイプの人ではないからだ。当時、アメリカから日本、若しくは日本からアメリカへのいわゆる国際電話と呼ばれるものはとても高かったから、重要な話が無い限り電話はあまりかけなかったし、折角電話しても高くつくからもう切るよなんて言われたり。かと言って気持ちが離れてしまった訳ではなく、その証拠に姉はアメリカに会いに来てもくれたし、私が帰省すれば楽しい時間を共に過ごしたものだ。私の拠点がアメリカからイタリアに移ると、今度は本当に疎遠になった。理由はもちろん姉が手紙を書かないからで、それに加えて私がそうそう日本に帰省できない身となったからだ。経済的に安定していなかったからだ。加えて姉は私のことを勘違いしていたらしい。そうと分かったのは10年振りに私が帰省した時で、話を聞きながら、成程、それは致命的、疎遠になる筈だと思ったものだ。それを機に姉と私はとても近い存在になった。理由はもうひとつある。インターネットを使って簡単にメッセージを送ることができるようになったからだ。手紙が苦手でメールもやはり苦手の姉にとって、手軽にメッセージが送れるLINEは魔法みたいなものだっただろう。そういうことに疎い私は、此れなら簡単に連絡を取り合えるからと姉からLINEの存在を教えて貰い、それ以来週に幾度も話すような簡単なやり取りをするようになった。本当に簡単なやり取りばかり。元気にしてる? 今日は雨が降って急に涼しくなった。そんなふうに。毎夏帰ってこない糸に切れた凧のような妹を、今も大切にしてくれる姉に、私は頭が上がらない。別に何か恩を感じているとか借りがあるとかではない。離れていても思いやってくれる寛大さに頭が上がらないのである。私が逆立ちしても真似できないのは、姉のそんなところ。姉と妹。遠く離れていてもしっかり繋がっている。
コロナウィルス騒ぎで全然先の予定が立てられぬようになったが、来年帰省したいと言う妹に、姉はそれは楽しみだと言ってくれた。川越まで足を延ばして美味しい鰻を食べに行こうとか、銀座を昔のように歩こうとか、電車を乗り継いで鎌倉へ行こうとか、その足で江の島へ行こうとか。8月の暑い時期に帰省する妹に付き合って散策するのは辛いだろうに、それを嫌がったことは一度もない姉。やはり寛大なのだ彼女は。汗を掻きながら、木陰を探しながら、肩を並べて歩きながら、私はいつもそう思う。

気が付けば7月もあと僅か。此れは吉報。何処へも行かない夏休み。でも、マスクをしないで居られるのなら、私にとってはやっぱり素敵な夏休みだ。




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私達は若いお嬢さんだった

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6月が終わる朝、私は古い知人のことを思った。彼女と会ったのは、彼女も私も若いお嬢さんみたいな頃だった。私はアメリカへ行こうと考えていて、彼女はイギリスへ行こうと考えていた。出会ったのは東京の何処にでもある英語のクラス。此れほど英語が好きなのに、私は文法が散々で、だからクラス分けテストで初歩と判定された。あらあら、と思いながらも初めからしっかり学ぶのもいいと思ってクラスに行ったその日、私は彼女と知りあった。年齢が同じだったせいもあるかもしれないが、さばさばとした彼女の性格が私と合い、たちまち親しく話をするようになった。初歩のクラスには仕事帰りや学校帰りに通う人が8人ほど。初歩と言うくせに意欲は人一倍あって、アメリカのカレッジへ行こうとか、叔母を頼ってニューヨークへ行こうとか、つまり私達は似た者同士だった。教えてくれたのはイギリス男性。アメリカ英語に耳が慣れていた私には、新鮮極まる綺麗な英語だった。かと言って、彼は中学生の頃からアメリカ英語を教え込まれていた私達の話し方を正すでもなく、話せ、もっと話せと煽りたて、文法などはひとつも教えてくれない此の初歩クラスに通うことになったのを運が良かったと誰もが思っていた。それに私達は、話がしたくて仕方がなかった。間違えることを恐れず話すことを覚えたのは、多分その頃だっただろう。そのうち彼女はイギリスへ行った。半年間。イギリスの南の方の海の街だった筈だ。彼女が帰って来て聞いた話は、本がとても高かったこと、とても寂しかったこと、ひとり友達が出来たこと、などだった。それで彼女が念願のイギリスへ行って良かったのかどうかは、結局分からずじまいだったが、その答えが出ないうちに、私はアメリカへ発った。ああ、彼女が言わんとしていたのはこういうことだったのだろうか。そう思うことが時々あった。例えば孤独を感じた時。例えば家族を恋しいと感じた時。例えば貯金を減らさぬために倹約した生活をしている時。良い本を見つけたが値段を見て本を元の場所に戻した時。言葉に表しがたいことが沢山あって、そんな時彼女のことを思いだしたものである。ただ、私はそれでも幸せだった。住み居場所に住む幸せは、他の何にも代えがたかったから。あれから驚くほどの歳月が経った。彼女のことを思いだしたのはアメリカに渡って一年目の頃。それから先は思いだすことがなかったのは、私が前へ前へと進もうとしていたからだろう。彼女のことが過去のことになった訳ではないけれど、彼女が言わんとしていたことを考えることはもうなかった。
なのに昨晩彼女の夢を見た。あの頃と同じようにまっすぐな髪を後ろでひとつに結わいて、細身の体にコットンのボーダーシャツとジーンズが良く似合って。歳は少しも取っていなくて、笑顔も昔のままだった。何故彼女の夢を見たのかは、いくら考えても分からない。そもそも彼女の名前すら覚えていない有様なのに。不思議なことがあるものだ。そんなことを思いながら一日過ごしたら、また何時か会えそうな気がしてきた。案外とても近くに居るのかもしれない。互いが気付かないだけで。世の中には不思議が一杯だから、私達もそんな不思議に引き寄せられてもう一度会うことがあるのかもしれない。

明日は7月なのかと思うと心が躍る。暑いのは苦手だけれど、7月という言葉の響きが大好きだから。一日一日丁寧に生活したいと思っている。




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彼は元気だろうか

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雨が降るかもしれないと聞いたので、空が黒くなり始めたのを眺めながら、成程、降り始めるのだなと思ったのに、空振り。あの黒い雲の群れは東からの強い風に押されて、向こうの方へ行ってしまった。雨が降った方がいいと思っていたわけじゃない。ただ、雨が降るなら草木が喜ぶだろうと思っただけだ。少し前にフランスのテレビドラマを見ていた時、アリスという名を耳にして、思いだしたことがある。パリからやって来たアリスと言う美しい金色の長い髪の女性がいた。一緒にやって来たのは何という名の青年だっただろうか。思いだせぬ青年の名前のことが心の片隅に残ってひと月以上経った頃、ようやく思いだした。クラウディオだ。

それはまだ私と相棒がアメリカに居た頃のことだ。私達は結婚を控えていて、まだフォルテ・デル・マルミ出身のブリジットと相棒と私が共同生活していた頃のことだ。私達の結婚式が目前だと言うのに彼女はイタリアに休暇に帰った。そもそも私達の結婚式が市役所の都合で急に決まったのが理由なのだが、しかし一緒に祝って貰いたい彼女が不在とは、何とも淋しいことだった。ある日彼女から電話を貰った。彼女は家族の元で楽しく休暇を過ごしているとのことだった。そんなことを言うために電話してきたのかと思えばも勿論そうではなく、自分がイタリアに居る間に従弟と恋人がサンフランシスコへ行くので、自分の部屋に泊めてあげたいが良いだろうかと、許可を乞う為の電話だった。部屋代を払っているのは彼女だから、勿論言いに決まっている、と言うと彼女は安心して、彼らのことを簡単に説明し始めた。従弟はスイスに住むイタリア人。彼女は生粋のパリっ子。どういういきさつか、ふたりはスイスで知り合い恋人になり、此の度一緒にアメリカ大陸を旅することになったのだと言う。それで従姉のブリジットにも会えればと思ったらしいが、イタリアに帰っていて不在。ならば空いている私の部屋に泊まりなさいよ、やあ、それは有難いな、ということになったらしい。名前はクラウディオとアリス。私より27歳くらいの若い恋人同士とのことだった。若いから羽目を外すかもしれない。その時は冷酷にフラットから追い出せばいい、とのことだった。
彼らがうちに居るようになって、賑やかになった。彼らには旅の予定なんてものは無く、此処に滞在しながらこれからの計画を練るとのことだった。ふたりは若くて自由な空気を身にまとっていた。金色の長い髪が美しいアリスは、身に着けるものは簡単極まりないが何処となく良家のお嬢さんといった雰囲気の女性だった。クラウディオの方はと言えば、此れがあの美しさに拘るブリジットの従弟なのかと思うような、ラフな衣類を身に着けた青年で、70年代の映画に放り込んだらぴったりくるような雰囲気と思想を持っていた。彼らがお金を切り詰めていたのは、旅の先が長いからだった。だから私と相棒は食料を買いこんで、毎晩豪勢な夕食を振舞った。昼間外に出ている彼らは、どうせ安いタコスくらいしか食べていないに違いないと思って。そうして私と相棒が結婚して、更に10日ほど経った頃、随分世話になったと言って彼らは腕を振るって夕食を準備してくれて、そして翌日旅立っていった。私達のフラットに転がり込んでから20日ほど経っていた。彼らは私達に良い印象を残していった。だから時々思ったものである。彼らは今頃どの辺りを旅しているのだろう。元気にやっているだろうか、と。
それから数か月経った頃、電話が鳴った。相棒が電話をとって、相手が誰か知り合いであることこそ分かったが、何しろイタリア語だったからどんな話かは分からなかった。電話を切ると相棒が言った。電話の主はクラウディオだったこと。彼らは旅を終えて、いつもの生活に戻ったこと。アリスはパリで、クラウディオはスイスの何とかと言う街に住んでいて。アリスの誕生日に彼は手紙の差出住所を頼りにパリへ行った。贈り物と大きな花束を抱えて。ちょっとしたサプライズで、顔を見たかったらしい。そうして行ってみると家は高級住宅地にある大きな一軒家で、ベルを鳴らすと使用人が出てきた。開けて貰った門。そろそろと中に入ると向こうの方に庭があり、アリスの声がするので歩み寄ってみたところ、盛大な誕生会が開かれて、其処には彼が見たことも無い、綺麗に着飾ったアリスと青年が寄り添って祝っていた。アリスに心底惚れていた彼は全てをすぐに理解して、気付かれぬようにその場を去った。遠い国の友人からの誕生日祝いと使用人に贈り物と花束を残して。その後アリスから電話を貰ったが、もう話すことは無かった。彼女は恋人がふたりいたのだ。そしてそのうちのひとりと婚約した。何処かの御曹司。将来の心配をする必要のない相手。彼は悲しくも誰にも話すことが出来ず、何週間も塞ぎこみ、そして彼とアリスの旅の途中に会った相棒と私を思いだしたらしい。僕らにあんなに良くしてくれたのに、こんなことになってしまったよ、と泣きこそしないが悲しい声で彼は言ったそうだ。それに対して相棒が何か気の利いたことを言えたのかどうかは私には分からない。ただ、その話を聞いて、あの日私がアリスを見て良家のお嬢さんのように感じたことは間違えではなかったのだ、と思った。恐らく彼女は冒険よりも、堅実な、補償のある結婚を選んだのだろう。それが正しい選択かどうかは私には分からない。ただ、そういう選択が世の中に沢山あることだけは知っている。アリスという名をテレビで聞いて思いだした27年前のこと。彼は元気だろうか。幸せになっているといいけれど。人生には色んなことが詰まっている。彼は強くなっただろうか。そんなことがあったんだよ、と人に聞かせることが出来る程、逞しくなったならいいと思う。

ところで頭痛がする。昨日汗を掻き過ぎたせいだろうか。それとも今朝窓を開けて冷たい風に吹かれたせいだろうか。どちらにしても新しい一週間を、元気に過ごしたいと願っている。




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海のように青く深い

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                             広場に集っていた頃が恋しい。


20時を過ぎても明るいのが5月になった証拠。ジャスミンやゼラニウムの花が咲き、ツバメが飛び交う。夏時間に関しては賛否両論らしいけれど、私は夏時間が案外好きだ。無くても良いがあっても良い。少なくとも存在する限りは、良い部分を楽しみたいと思っている。家に閉じ籠もっていた頃、相棒とふたりで家の中の改善を試みた。それが未だ完了しない居間であり、手入れを怠っていたテラスだった。2週間ほど前のことだ。まだ仕事に行ったり行かなかったりの毎日だった頃のことだ。仕事から帰ってくると相棒が手招きをした。来てごらん、と。何だろう。もしや子猫なんかが居たりして、まさか、まさか、などと勝手な想像に胸を膨らませながら大窓の外を眺めると、テラスがすっかり整備され、床のタイルまで綺麗に磨かれていた。わあっ。こんなに綺麗になって。風で落ちた柚子の木の葉も、植物の植え替え作業をした時に散乱した土も掃き清められていた。そして汚れていた白い小さなテーブルとオレンジ色に塗られたテラス用の二客の椅子も拭いたのだろう、とても清潔な印象で私を大そう喜ばせた。此れから先も家に居る時間が多いだろうから、せめてテラスで良い気候を堪能しながらアペリティーヴォを楽しめたらよいと思ってのことだそうだ。見掛けによらずいいところあるじゃない。そう言って相棒の腕を肘でつつくと、もう少しいい褒め方は無いのかい、と私を窘めながらも嬉しさを隠せないようだった。その綺麗になったテラスから、今夜は美しい満月が見える。じっと私を見つめているような月。月を眺めながら私は大切な友人のことを思いだしていた。

元はと言えば彼は相棒の親友だった。彼に初めて会ったのは私が相棒の家の昼食に招かれた日だった。昼食に誘われて何処かへ行くのかと思っていたら、相棒のフラットだった。熟れたトマトを茹でて皮を剥いてザクザク刻んでいるところに彼がやって来たのだ。近所に住んでいることもあり、彼らはこんな風にして毎日のように顔を合わせるとのことだった。君も一緒に昼食をどうだいと相棒は誘ったけれど、彼はとんでもない、と遠慮して、けれども私という存在が珍しいらしく、帰るでもなかった。背の高い強い巻き毛の彼の瞳は驚くほど青くて、私を大そう感動させた。こんなに青い瞳は初めてだ。海のように青く深い。私のそんな言葉に彼は、生れて初めてそんな風に褒められたと大そう喜んだものだった。それが私と彼の友人関係の始まりだった。彼は少し難しい人で、変わり者とも言われていたが、当時の私もまた変わっていたのだろうか、私達は気が合い、相棒と彼と私は昼食や夕食、カフェへ行くに至るまで沢山の時間を共有した。一番多く足を運んだ場所はイタリア人街の背後にあったフナンという名の有名な中国料理店。相棒と彼は其処のメニュー28番が気に入りで、いつ行ってもそればかり。私もそれを注文してみたが確かに別格の美味さで、そのうち私までも28番を注文するようになった。店に行くと大抵彼らの仲間に遭遇して相席などすることになるが、呆れたことに誰もが28番を注文して、店主に笑われたものである。君達、家には他にも美味しい料理が沢山あるんだよ、と。そのうち新しいメニューが加わると28番は32番になり、店主が教えてくれなかったら知らずに28番を注文して、大騒ぎになるところだった晩もある。その店を出てぶらぶら歩き、車に乗って坂道の上まで行くのが私達のいつものコースだった。坂の上に立つと向こうの坂の上に美しい月があった。満月の晩は彼は奮発して購入したという、私には手も出ないようなカメラを引っ張り出して、写真を撮ったものである。気に入った物が撮れるまで飽きずに其処に居た。もう帰ろうよ、と私達がごねても。うん、もうすこし。もうすこし。彼はそんなことを言って、少しも動こうとしなかった。私達にとって満月は魔法だったから、彼が其処を動こうとしなくても仕方がないことだった。何しろ魔法なのだから。その彼は今年に入って他界した。私達に病気のことを少しも知らせなかったのが彼らしく、それが余計に泣けた。今夜の月は彼と一緒に坂の上から見た、あの美しい満月を思いださせる。彼が居たら、もう少し、もう少しと言ってテラスに出たきり家の中に入ってこないだろうと思ったら、笑いが零れながらも思わず涙が零れた。悲しいわけじゃない。彼のことが恋しいだけだ。青い瞳。海のように青く深い。声に出してみたのは、何処かで彼が聞いているかもしれないと思ったからだ。今夜は月が綺麗だ。魔法の満月だ。

最近睡眠時間が少ないのは、なかなか眠りに落ちないからだ。今夜のテレビの話によればウィルス騒ぎによる現象のひとつだそうだ。心配や不安が生み出す不眠。そうか、自分だけではないのだな。と、ちょっぴり安心したから、単純な私は案外、今夜はよく眠れるのかもしれない。




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