姉と一緒に湖

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姉と宮沢湖へ行ったのは、父のお墓参りの後のことだ。晴れているが冷たい風の吹く日で、冬のコートを着ていても寒かった。こんな寒い日にお墓参りを、そして宮沢湖の散策などしなくてもと人は言うけれど、何しろ私には限られた時間しかなく、雨だろうと風だろうと雪だろうと、待ったなしだった。ボローニャではありえないことである。私にとっては雨も風も雪も、家に籠っていたい理由になるのだから。

姉と電車に乗るのは昔から好きだった。子供の頃から姉とふたりで電車を乗り継いで叔母達の家に行ったものだ。難関は幾つもあったが中目黒から電車に乗れば、あとは目を瞑っていても間違えることなどなかった。思春期の頃は姉と美術館に通った。そして大人になっても私は、姉と何処かへ行くのが好きだった。姉からすれば私は疎ましい存在だったに違いない。特に子供の頃。4つ年下の私を連れて歩く大きな責任を感じていたに違いないのだ。大きくなってからはどうだろう、と思う。私の存在が疎ましくなかったなら良いと思う。今の私達は色んなことを潜り抜けて、とても良い関係になった。だからこんな風に電車に乗って何処かへ行くことがとても愉しいのである。
宮沢湖の存在は今まで知らなかった。私は何時の頃からか水辺が好きで、海辺もそうだけど湖もとても好き。例えばドロミテ辺りの湖とか、例えば南オーストリアの湖とか。でも沼や湿地帯が好きになれないのは、昔見たアメリカ映画のせいだ。湿地帯、沼地に大きなワニが潜んでいる。そしてあのワニ達に嚙みつかれたら最後。あの映画のせいで湿地帯や沼地に近寄れなくなった。だから姉に宮沢湖へ行こうと誘われた時は嬉しかった。湖の周りを歩くなんて。こんな素敵なことはない。
湖の周りを歩きながら色んな話をした。まるで離れていた時間を埋めるかのように。何時か私達姉妹がこんなに沢山の言葉を交わすことになるなんて、もう空の住人になった父は思いもよらなかったに違いない。私はいつも自分のことで精いっぱいだけど、姉は姉なりに私のことを考えていたようだ。これまでのことと言うよりは、これから先のことを。それが私には有難くて、零れそうになる涙をこらえるために時々湖の方を眺めるふりをして、この湖はなかなか良いね、などと言ったものだ。湖の周りを歩きながら私は知ったのだ、幾つになっても私は母にとって小さな娘であるように、幾つになっても私は姉にとって守りたくなる妹であること。
どれほど歩いただろうか。足が痛くてこれ以上歩けそうにない、奥多摩の御岳山に行った時ほどではないけれど、なんて笑いながら電車に乗って帰ってきた。あのくらいで足が疲れるなんてねえ。次に会う時にも散策を楽しめるように、健康でなくては。

目を覚ましたら相棒と猫がいた。そうだった、昨日ボローニャに戻ってきたのだ。いつも長く感じる飛行機の旅は、今回も例に漏れずとても長かった。行きは勿論のこと、しかし帰りは更に長かった。何しろアラスカの上を通るというのだから。日本からドイツまでの旅は14時間、そして私には更なるボローニャへの旅がある。何時までこんな長旅が出来るだろうかと時々思う。しかし、此の長旅抜きでは帰省できないのだから、全く悩ましい。

日本に居たことが夢だったように思える。短い短い帰省だった。そうかあ、もうボローニャなんだなあ。




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母と一緒

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もうあまり日がない。そんな今日、母を伴って電車に乗った。目的地は病院の売店。行きつけの病院で売られているものを購入するために。母がそうしたいと言いだしたのは数日前のことだった。かなりの高齢で足もあまり強くないのに言いだしたのは、私が姉とばかり出掛けていることへの多少ながらのやきもちだったかもしれない。前回、5年半前に帰省した時は疲れるから電車に乗って出掛けたくないと言った母だったから、私にとっては母の提案は嬉しいことだった。小さな母。遠くから見ても近くから見ても、昔のような力強さはなく、寧ろ儚く見えた。僅か3時間のことだったが、母は疲れたようだ。昔私を守ってくれた母を、今は私が守る番になったと思った。

冷たい北風が吹き荒れる日。だけど空にはは美しい月が。




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雨の六本木

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雨の一日。それは予報が出ていたことだから決して驚いてはいないけど、しかし何と冷たい雨。日本滞在残り数日となっては、雨だからと言って、それがたとえ苦手な雨降りだとしても、何処へも行かないなんてことはできず、今日も姉と共に外に出た。何処へ行く。張さんの店に酢豚を食べに行こう。

目的地は六本木。幾つも電車を乗り継いで六本木を目指した。懐かしい界隈。私はこの辺りを仕事で歩いていた時期がある。デザイン会社に居た頃だ。もっとも私は下っ端で、名のあるデザイナーのために走り回ってばかりいたけれど。そういえば働き始める前も、この界隈をよく歩いた。理由は今となってはわからない。覚えているのは午後のまだ陽の高い時間の冷え冷えした建物の群れ。今のように人が集まる商業施設はなく、スタイリッシュでありながらも人が少なかった。
最近は列車移動が随分と便利になった。新しい地下鉄がいつの間にか開通して、幾つか乗り継ぐとあっという間に目的地に着く。そして地上に出ようとしたら風雨だった。それも結構雨足の強い。張さんの店は新国立美術館の目と鼻の先にある。火曜日定休の美術館近くの張さんの店のことである、案外此処もまた火曜日定休化もしてない。それにこの雨だ。結構簡単にあきらめることになった。要するに私の張さんの店への情熱はその程度のことだったのだ。駅続きの建物は六本木ヒルズと言うそうだ。予定が変更になったが、此処を探検するのも悪くない。姉と私が姉妹だと感じるのは、割と簡単に予定を変更もすれば柔軟に状況を受け入れることだ。言い換えれば執着心がなく、あまり深く考えることもない。悪いことではないと思う。私達の美点だと思っている。
それで見つけた、ユニクロ。きゃー、ユニクロ。と歓喜する私を姉がどう思ったかは定かでない。店の雰囲気は良く、美しいな空間で宜しい。製品を手に取って驚いたのは、形も素材も色合いも、イタリアで販売されているものと比べても引けを取らないことだった。寧ろこの手のものをイタリアで買い求めるならば、かなりの投資をすることになるだろう。うーむ。製品を手にして感心する私の背をしたのは、姉の言葉。試してみたら?買い物をするつもりはなかったのに、試着する気になったのは、小さな予感がしたからだ、気に入る予感。果たして私はそれが大変気に入って購入。とても良い買い物をしたと思う。いつもは銀座のユニクロを覗くが、あそこは人が多くて私向きではない。これからは此処がいい。次の帰省の時に張さんの店に行くことがあるならば、是非ここにも立ち寄りたいと思う。
張さんの店には行かなかったが、美味しい中国料理を堪能。一面のガラス窓から外の様子を眺めながらの昼食は、なかなか気持ちが良かった。向こうの公園を歩く人々。色とりどりんの傘をさして。雨のなか、芝生の整備をする人。こんな雨の日にしなくてもよいのにと思うのは、私だけだろうか。それにしても優雅な時間。イタリアでは、少なくともボローニャでは手に入らない時間だと思った。
特別なことはしなかった一日。だけどどれもこれもボローニャでは出来ないことばかり。少なくとも姉と一緒の時間は、それだけでとても尊い。

夕方の風雨はさらに強く、差した雨傘がひっくり返るほどだった。運が良かったのは強く握っていたこと。さもなければ傘は風雨に吹き飛ばされていたに違いない。さあ、明日はどうだろう。母と出掛ける約束があるけれど。老いた母が一緒に外を歩きたいと望んだから、是非とも良い天気になってっ欲しいものである。この願い、空に伝わるとよいけれど。




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浅草へ

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5年半ぶりの帰省は3月と、近年異例のことである。いつもは8月に帰省する私は多少ながら夏の蒸し暑さに辟易していて、だから3月なんて時期に帰りたいと長いこと夢見ていた。春の始まりい。人々の足取りが軽くなる時期。世間は卒業シーズンで、学生たちのそんな姿を目にしては、いい時期に帰ってこれたと思うのだ。ところがとんでもなく寒くて、最低気温は零度である。冷たい風が吹き抜けると体の芯まで冷えてしまう。夏の暑さに辟易していた筈なのに、それを恋しく思ったのは昨日のことだ。どの時期に帰ってきてもよい事あり、よくない事あり。帰ってこれるだけでいいじゃないか。最終的にはそんな答えが出た。

明日は雨降りとのことなので、今日は姉と浅草に行った。これは私の希望。帰省するたびに何故か浅草に足を延ばしたくなる、私の希望によるものだ。3月で月曜日で混み合っている筈がないと思っていたのに、浅草は大変な賑わいぶりだった。私は自分の希望が叶って期限が良かったが、姉はこの混み具合にうんざりだったに違いない。それでも私に付き合って随分歩いてくれた。全く姉には頭が上がらない。釜めし屋に入ったり、瀬戸物屋を見て回ったり、舟和の芋羊羹を食べに行ったり。一番面白かったのは唐辛子屋さん。相棒のために七味唐辛子を入れる、桜の木を使った瓢箪型容器を手に入れた。そこは私にはワンダーランドのような場所で、あれもこれも欲しくなってしまい姉と店の女性に笑われたものだ。七味唐辛子や一味唐辛子。山椒、豆菓子、それから、それから。小さな店の中の隅から隅まで見て回り、その中から必要なものを絞って購入した。さて、帰ろうと思ったところで目に入ったのものがある。桜の塩漬けだった。春らしい色合いでいい匂いが漂ってきそうだった。大振りの湯飲みにたっぷりの湯を注ぎ、桜の塩漬けをひとつ落として頂く桜湯が好きだ。ご飯を炊く際にいくつか入れるとよいと店の人が教えてくれた。成程ねえ。それでそれも購入した。春を手に入れたような気分になった。この店の存在を教えてくれたのは少し離れたところにある問屋さん。良い店を教えてくれたものだ。私は最近ついている。

母はとても嬉しそうだ。こんなに喜んでくれるのなら、もっと早く帰省するべきだった。




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泣きそうなほど空が青い

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快晴。寒いけど飛び切りの晴天の日曜日。姉と共に父の墓参りをした。5年半ぶりのこと。私は糸が切れた凧のように、飛び出したきり帰ってこなかった娘。親不孝だったと思う。それとも父はそんな娘でも娘は娘、心の中で許していただろうか。そうだったら良いけれど。そんなことを思いながら花を添えた。

私は甘えっ子の夢見る小さな女の子だった。夕方父を迎えに駅まで行ったり、まだ眠っていたい筈の父を起こして日曜日の朝の散歩に連れて行って貰ったり。何時も姉と私の傍らには父が居て、それが当たり前だった頃。いつか私が大人になるなんて思いつきもしなかった頃。いつか父が居なくなるなんて思ってもいなかった頃。墓参りの後、そんなことを話しながら姉と長い道のりを歩いた。それが一番父が喜ぶことだと姉は言った。父との思い出を忘れないことが大切なのだと。今日、私は帰省した理由のひとつが叶った。

それにしても、泣きそうなほど空が青い。




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