オスロのこと

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そもそもオスロへの旅は、降って湧いたような話だった。この夏はリスボンだけで充分と思っていたところに友人から声が掛り、ならば、と重い腰を上げたという訳だった。何の知識もないまま出発の日を迎えたことに気が付いたのは、ボローニャ空港の待ち時間の間だった。ノルウェーの通貨も知らない有様で、インターネットで調べながら、先が思いやられると思ったものだった。それに、空港まで迎えに来ると言っていた友人が来れなくなった。オスロ中央駅で待ち合わせをすることになったのは良いが、中央駅へ行く手段すら分からなかった。何とかなるさ、といつものように考えていたが、知らない街に夜遅く到着することが私を不安にさせた。計算外だった。不安を追いかけるように飛行機の到着が遅れた。オスロ空港に到着するなり現地の貨幣を入手して、駅に向かう。この国はカード社会らしく、どんな少額でもカードでの購入が可能とのことである。チューインガムひとつだってカードで買えるのだと友人は言っていたが、成程、隣の青年も、その隣の女性も、カードで列車の乗車券を購入していた。初めての国、初めての街。雨が降ったらしく地面が濡れて光っていて、寒いと思ったら15度もない。此れがオスロの夏なのか、それとも夏はもう終わったのか。多くの人がトレンチコートや温かいジャケットに身を包んでいるのを見ながらそんなことを思い、20分たっぷり待って列車に乗りこんだ時には剥き出しになっていた足首が冷え切っていた。中央駅で間違えずに降りて、待っていた友人の顔を見た時の安堵。友人には分かるまい。時刻は23時を回っていて、そんな時間に待っていた友人への感謝の言葉を探してみたが、うまい言葉が見つからなかった。それが私のオスロ一日目。




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こんな人の居る街

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物は考えようとはよく言ったものだ。例えばタクシーのこと。リスボン空港に到着した日、あの日は予定より到着が遅れて21時になろうという時間だった。こういう時間帯は好きじゃない。まあ、好きだろうがあるまいが、そんな時間になってしまったのだから仕方がない。もともと公共の交通機関など使うつもりが無かったから、タクシー乗り場に行き、偶然あてがわれたタクシーに乗った瞬間に嫌な感じがした。若くて調子の良い青年で、運転が酷く乱暴だった。こういう運転手にあたってしまったからには腹をくくり、運転手の話の調子に合わせてホテルに到着した。30ユーロだった。6年前に利用した時は10ユーロだったから、幾ら6年経っているにしても、たとえ物価が上昇したにしても、ありえないことだ。吹っ掛けられたと思った。けれども道中いろんな話をして愉快に旅が始まったことを思えば、がたがた言うほどのことでもないと思った。過剰な心付けを払ったと思えばよい。それに旅の始まりから怒ったりして折角の旅にケチがつくのも嫌だったから、ありがとう、楽しかった、と言ってタクシーを降りた。物は考えようなのだ。怒らねばならぬ時も勿論ある。けれども怒ってばかりいると自分が損をすると、いつの間にか思うようになった。

暑かったボローニャでは暫くの間ワインを控えていた。その分、リスボンでは大いに堪能した。昼間もせいぜい25度にしかならぬリスボンは、昼食にしろ、夕食にしろ、ワインを注文するに相応しかったといえよう。隣席の人達が奢ってくれることもあれば、私の注文したものを分け合ったこともあった。リスボンという土地柄なのか、ポルトガルの人達とはそうした人達なのか、そして私にしても旅人になると気も懐も大きくなるのか、ひとり旅のひとり食事だが、全く愉快に過ごすことが出来た。一度、注文したものが間違って出てきたことがある。目の前に置かれた皿を見て、え、これ? と目を見開く私。それを見て、注文を間違えたと気付いた店の青年。その様子を見ていた隣のテーブルの人達が、わいわい文句をつけ始めようとしたので、これでいい、これが気に入ったからこれにする、と、注文を翻して出てきたものを頂くことにした。青年は恐縮していたし、隣のテーブルの人達もやいのやいのと騒いでいたが、私は気にせず食べ始めた。食べられないものではなかったし、間違えたことを青年が店主に叱られるのも嫌だったし、旅とはそうしたことが付きものだと思えばいいだけだ。少なくとも騙されたわけじゃない。まあ、そんなこともあり、隣のテーブルの人達がこれも食べてみろ、あれも美味しいぞと自分たちのものを味見させてくれたし、食事の後に頼みもしない菓子と食後酒が出てきたし。此れも皆、あの時怒らなかったからだろう。独りの休暇で時間が沢山あったから、色んなことを考えた。結局はあまり怒らない方がいい、ということだ。

到着した日のタクシーが30ユーロだったから、またそんなものかと覚悟していた。ホテルに頼んで呼んで貰ったタクシーの運転手は、結構な年齢のお父さんで、運転はやはり荒いが、気の良い呑気な人だった。無駄な話はひとつもしない。まあ、彼は英語があまり分からないと言うこともあるけれど。そうして空港につくと料金は10ユーロだった。6年前と同じだった。あなたは大変な正直者。行きのタクシーは30ユーロ請求されたと言うのにね。10ユーロに奮発した心付けを載せた料金を渡しながらイタリア語とポルトガル語を駆使して言う私に、旅行者だと思って随分と酷い奴が居るものだ、と運転手は憤慨して、心付けはいりませんよ、申し訳なかったね、と言って私の手から10ユーロ札だけを摘み上げた。正直者の運転手。お父さん、此れではちょっともお金が貯まらないでしょう? と思いながら、こういう人がいるリスボンが、やはり私はリスボンが好きだと思った。さよなら、おじさん。さよなら、リスボン。

そうしてリスボンの旅が終わり、ボローニャで飛行機を降りたら息が詰まるような熱風が待っていた。夢から覚めた、そんな気分。それとも、夢だったのかもしれない。




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リスボンのこと

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ミラノから来た夫婦が今朝此処を発った。良い旅を。またね、また何処かで会いましょう。地球は広そうで狭いから、また何処かで会うような気がする。私達はそう言って固く手を握り合って別れた。私達は旅人で、必ずいつか此処を去っていく。帰る家がある。帰る場所がることの幸せを、今朝突然実感した。

リスボンに来て6日目。ふと思いだして、初めてこの街に来た時に宿を取った界隈を歩きたくなった。18年も前のことである。大通りから内側に入り組んだ坂道の上にある眺めの良いホテル。難点は公共の交通機関を降りた場所から暫く歩かねばならないことだった。それもきつい坂道で、歩道の整備が飛び切り悪かった。そもそも開発から置き去りにされたような場所で、夜などは怖くてひとりで歩けなかった。部屋からの美しい眺めがなければ、このホテルも御終い。そんな感じだったが、今もホテルが健在らしいから、あの界隈も少しは良くなったのではないだろうかと思ってのことだった。もう18年も経つのだから。坂道沿いには安宿が数軒あって、それから安い食堂と飲み屋も数軒あって、そういえば坂道の下には公園があり、それはそれは大きな木があったが、怪しい感じの人達、クスリなどをやっていそうな人達が幾人も居たために足を踏み込むことすらできなかった。つまり、そういう界隈だったのだ。それでいて坂の上のホテルは綺麗で眺めが良くて居心地がよかった。値段だって決して手頃はなく、ホテルのホームページの部屋からの眺めの写真ひとつで其処に宿を取ったものだから、荷物を持って坂を歩きながら、失敗したかもしれないなどと思ったものだった。部屋の大きな窓からの眺めが素晴らしかった分だけ、道の悪さ、周辺の雰囲気の悪さが気になったものだった。さて、公園は随分改善されていた。大きな木は益々大きく成長し、公園内の石畳は綺麗に整備され、旅行者も足を踏み込んでベンチに腰を下ろせるくらいになった。しかし公園から先は相変わらずで、18年の年月が凍り付いてしまったかのようだった。リスボンの中心街が目を見張るほどの発展を遂げているのに反して、この界隈は取り残されたというのか、それとも頑固に変わることを拒んでいるのか、それともほかに何か理由があるのか知らないけれど。廃屋だった家は今も廃屋だった。新しくなりすぎるのが嫌いな私とて、こればかりは腑に落ちなかった。それでも坂の上のホテルはうまくやっているらしい。外観はきれいにされているし、あの開け放つことができる大きなガラス窓も健在で、あの部屋に泊っている旅人達は窓からの眺めに感激しているだろう。
リスボンの表側は新しくなる一方だが、少し中に入ると手付かずのリスボンがある。この街に生活する人々の場所。彼らはどう思っているだろう。旅行業、観光業に拘わることのない普通の人達。混みあう街に眉をしかめていないか。それとも街が豊かになることを喜んでいるだろうか。そればかりは、私には分からない。

リスボンは快適な気候が続いている。テージョ河からの涼しい風。それとも大西洋からの風かもしれない。ボローニャを離れて数日しか経たぬというのにジェラートが欲しくなり、街の中心のイタリアのジェラートの店で小さいのを注文し、少し先の木陰のベンチに腰を下ろして堪能した。相棒が知ったら笑うだろう。なんだ、もう恋しくなったのか、と。仕方がないさ、ジェラートばかりはイタリアのが、世界で一番美味しいのだから。




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休暇中も日曜日は日曜日

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日曜日。休暇中に日曜日も何もないが、しかし日曜日くらいゆっくり目を覚まそうと思ったのは私だけでなかったらしい。いつも朝食時間に顔を合わせる人達も同じように遅く朝食に降りてきた。そのうちのふたりがミラノから来た夫婦。彼らと知り合ったのは数日前。ホテルがオファーする夕方のお茶の時間に偶然一緒になったのだ。耳慣れた言葉が聞こえたので私が声をかけた。50歳になるかならぬかの夫婦で、とても感じがよかった。このアクセントならミラノあたりに違いない、それに装いも何となくそんな感じだと思っていたら、案の定生まれも育ちもミラノだという。夫の方は気さくで知的で感じが良いばかりでなく、見かけの良い男性だ。恐らく若い頃は女性が群がっていたに違いない。そして女性の方は小柄でスレンダー。髪は思い切り短く、そのベリーショートの髪に白い刺繍が施された上品な白いブラウスが意外なほどよく似合っていた。膝丈のふんわりした紺色のスカート、裾から伸びる真っ直ぐな美しい脚。きっと彼が彼女に惚れて結婚したのあろうと思った。大変魅力的な女性。まさかリスボンで素敵なイタリア人女性に会うとは夢にも思っていなかった。それで彼らも今日は遅く朝食に降りてきてた。彼らは明日の朝帰るのだそうだ。それであなたはと訊かれて火曜日だと答えると、彼女は目を見開いて言った。あなた、日に焼けたはねえ。それは寝耳に水。何故なら私は日陰を好んで歩いていたし、顔に関しては日焼け止めもきちんと施していたからだ。ううん、あなた本当に日に焼けたわよ。素敵ねえ。そう言って向こうのテーブルに着いた。素敵なんて言われたが、少しも素敵な気分ではなかった。これ以上日焼けする必要などないのに。

今日はアズレージョ美術館へ足を延ばした。足を延ばしたという通り、随分と長い道のりを歩いた。日曜日なのでバスの本数が夥しく少ないから、歩くことをホテルの人に勧められたからだ。真っ直ぐ歩いていけばいいだけなのだが、行けども行けども見つからない。通り掛りの人に訊ねたり、通りに面した店の人に訊ねたり。警察官にも訊ねた。しかし一様に此の道をまっすぐ歩いていけばよいと言うだけだった。それでも途中で自信が揺らいだ。その時現れたのが年齢不詳の短パン姿の女性。同じ方向に行くから一緒に歩こうとのことなので、ついていくことにした。彼女は1975年にポルトガルに来たのだと言った。それまではアフリカに住んでいたそうだ。しかし私が知っているアフリカ人とは様子が違って、どう見てもポルトガル人だった。ポルトガルに来てから苦労をしたが、人の紹介で空港の仕事を得て生計を立てることになったそうだ。それも、もう過去の話で、今は何もしていないと彼女は言った。だから時間は沢山ある。だからどこへ行くにも歩くのだそうだ。彼女と20分も共に歩いただろうか。やっと目的地に着くと、彼女は手を振って風のように居なくなった。冷たい飲み物でもご馳走したかったのに。親切な人。親切の代償を求めない人がこの街には沢山いる。美術館には2時間もいただろうか。たった5ユーロで随分と美しいものを見せて貰った。少々街の中心から外れているが、多くの人が訪れればよいと思った。

ところでリスボンに来たら行きたい店がいくつかあった。ひとつは焼き立ての鳥を食べさせる店。この店は金曜日の昼に立ち寄った。繁盛していて健在だ。店のおじさんは歳を取って小さくなったが、今でも現役で嬉しかった。それからイワシを焼いて食べさせる、お役所の職員たちが昼に美味いものを求めて来るテージョ河にほど近い店。美味いばかりでなく、飛び切り安い。店のおかあさんがとてもいい感じだったが、あの店はもうない。人手に渡り、如何にも観光客目当ての喰えない店になった。あのおかあさんが相当な歳になり、店を閉めたのかもしれない。ならば仕方のないことだった。そしてカフェ。行ってみたら店はもぬけの殻だった。いつ閉まったのだろうか。いい客がついていた筈なのに。店は閉店当時のままと言った感じで、寂れていて、朽ちていて、汚れていて、それがどうしようもなく悲しかった。この6年間にリスボンは随分変化を遂げた。何処もかしこも新しいホテルとレストラン。それが時代の流れなのだろうけれど、やはり寂しさを拭い去ることができない。受け入れるしかないと分かっていても。





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相性の良い街

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この夏は美味しいメロンに遭遇しない。きっと気候のせいに違いない。そうだ、不作なのだ。と周囲の人たちと話していたが、此処にあった。美味しいメロンが、リスボンにあった。そもそも朝食はあまり沢山食べないので、ホテルに用意されている朝食にもあまり手が出ない。皆、嬉しそうに朝食を満喫しているが、私はカフェラッテと小振りのブリオッシュ。これにバナナがあれば完璧だが、バナナがない。見回せば一口サイズに切られたメロンが。朝からメロンなんて。そう思いながらも口に放り込んでみたら、あら、あらら、この夏一番の美味しいメロン。まさか此処にあるとはねえ。そういう訳で、私は休暇早々上機嫌だ。

今朝は天気が良くて朝から光に満ちていた。時折吹く風は冷たいし、日陰に入るとむき出しになった肩が痛いほどだったが、日差しの強いことと言ったら。サングラスなしでは到底歩けそうになかった。先日修復中で運休していたケーブルカーが稼働し始めたらしい。急な坂を上がるケーブルカーだ。こんな場所にあるなど、この夏まで知らなかった。私の休暇には予定がない。約束もなければ、行かねばならぬことも、しなければならぬこともない。折角だから、とケーブルカーに乗り込んだ。入り口に運転手が立っていたので修復が終わってよかったと声をかけると、ペンキを塗りなおしたのだと運転手は言った。成程、ペンキの匂いがした。内部は塗りなおした様子はない。恐らく外装のペンキだろう。私は自分の鼻の頭に人差し指を添えて、確かにペンキの匂いがすると言うと、運転手は眉をしかめて首を振った。彼はこの匂いが嫌いらしい。一日中この匂いを嗅ぎながら運転する彼を、ちょっと不憫だと思った。リスボンの人達は実に気さくだ。私がイタリア語に聞きかじりで覚えたポルトガル語を適当に交えて話しかける言葉に、よく答えてくれる。言葉なんてものは、話す気があれば、そして聞き手に聞く耳があれば、なんとか通じるものである。今回の滞在ではそんな風にして行く先々で話を楽しんでいる。車内には数人の客。磨き込まれた木製のベンチに疎らに腰を下ろしている。年季の入ったふたりの老女は買い物袋を持っていた。どちらも80歳は超えているだろう。それからフランス語を話す家族。あとは分厚い本を持った青年。私が腰を下ろすと驚くほど滑らかに動き出した。傾斜はキツイがあっという間の距離だろうと想像していたが、結構な距離だった。生活に利用している住人達には、ここ数日、大変不自由だったに違いない。足をもがれたようなものだ。特に年老いた人達。この街の老人たちは割と健脚なようだけど、しかしこの傾斜は無理というものだ。歩くのが好きな私だって歩きたいとは思わない。頂上に着くと老女たちが運転手に礼を言って下りて行った。これで良し。老女たちの生活が元に戻った。さて、思いがけない場所に来て、すっかり方向が分からなくなった。昔から方向感覚には自信があった私であるが、リスボンではその自信も粉々だ。大きな地図を広げながら、それでも幾度も道を間違えて、通行人に道を教えてもらいながら、やっと見覚えのある広場に出た時には嬉しかった。それにしても、道に迷うことの新鮮さ。久しぶりに愉快な気分になり、だから旅が好きだと改めて思う。

夕方、通り掛かったアレンテージョ会館で、ひとりでワインを一杯ひっかけた。つまみはアサリを大蒜とオリーブオイルとコリアンダーで蒸したもの。こういうのがしたかったのだ。地元の人達と相席して、こっちのも食べてみろなんて言われながら。やはり思った通りだった。リスボンと私は抜群に相性がいい。




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