電車に乗って何処かへ行こう

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ヴェネツィアに行ったら海を見に行こうと思っていたが、道に迷ったせいで時間が足らなくなってしまった。海がある街が好きだ。ボローニャもいいが、海が無い。それで海の有無に拘りながら、海に行っても泳ぐわけでも潜るわけでもない。ただ、海を眺めるだけ。海を眺めながら岸をそぞろ歩くだけだ。波の音に耳を傾けながら、きらめく白い波に目を細めながら。私にとっての海はそんな存在なのである。海を見に行くことは出来なかったが、代わりに運河沿いをひたすら歩いた。広い運河、狭い運河。運河沿いにはしばしばカフェや食堂、それともエノテカが存在して、小さなテーブル席が並んでいた。地元の人と旅行者が、運河を眺めながらグラスを傾け談話する様子を、私は運河の向こう岸から眺めた。私が運河沿いのテーブル席に着かないのはあまり時間が無かったからだ。その代わりに、運河沿いのオステリアに入って、立ったままでグラスワインを一杯。つまみには鱈や海老をからりと揚げたものと、他愛ないお喋り。こういうのがいい。豪華な食事よりも、こういうほうが私らしい。店の人や、近所の人達に混じっての僅か20分ほどが、どんなに愉しかったか。後ろ髪を引かれるような気持ちで店を出だ。また立ち寄るから、と言い残して。

小旅行、と言っても僅か4時間のヴェネツィア散策だ。それをあえて小旅行と呼ぶのは、私があまりにもボローニャにばかり居るから。このあたりの人達は大抵自分が暮らす街で働くから、電車に乗ることはまず無い。だから電車に乗ること自体が既に旅行の始まりなのだ。少なくとも私にとってはそうだ。車窓から過ぎ行く景色を眺めることすらも、小旅行のひとつに含まれるほど。思い存分歩いて、太陽を浴びて、路地を吹きぬける風に吹かれて、至極満足。こういうのを、今年は沢山してみようと思っている。




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吐息

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この街の路地を駆け巡る風は冷たい。ヴェネツィアに来る度にそう思う。広場に面して在る店の主人も言っていたが、この時期はまた旅行者が少なく、時には誰にすれ違うことも無い場所すらある。ひっそりとした美しい場所に吐息する。この街でしか出会うことの無い美しい配色にはっとしながら歩く時間をもてたことに、私は深く感謝しているのだ。




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1300年代

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私はいったい何時から方向音痴になったのだろう。昔は方向感覚がとてもよく、知らない街でも迷うことなど無かったのに。そしてそれが自慢のひとつでもあったと言うのに。そういえば、2年前にパリを歩いたときもそうだった。パリの場合は、私にはあまりにも広すぎる街だから、かもしれない。そしてヴェネツィアは、恐らく複雑に存在する道のせいだ。地図を片手に歩いているのに、途中で何処を歩いているのか分からなくなる。道をたどっていくと行き止まりだったり、運河に出くわしてしまう。幾度もそんなことを繰り返しているうちに、お手上げになった。丁度通りかかった人に道を訊ねるのは案外好きだ。訊かれるのが好きそうな人を選んで声を掛けると、大抵喜んで教えてくれる。地元の人、親切そうな人・・・と見回していたら、向こうの角からやって来た。地図を広げて、此処へ行きたいのだが、現在地点すら分からない。どうやら道に迷ってしまったようだ、と情けなさそうに言う私に、訊かれた人は不憫そうに言った。君の現在地点は此処。目的地とはまったく反対側に居るんだよ。そう言われて私はまったく自信がなくなってしまった。私は大運河の反対側に居た。どうしたらこんなミスを犯せるのかと可笑しいやら情けないやら。最後は道を教えてくれた人と一緒にお腹を抱えて笑ってしまった。そうして自信がなくなったと言う私に、大丈夫だ、途中でまた誰かに訊けばいい、と言って私の左肩をぽんぽんと叩いて向こうに歩いていった親切な人。こういう人が居る限り、世の中まだまだ悪いことばかりじゃない。

目的地のことは一切忘れて、散策を楽しむことにした。そうして踏み込んだ広場の片隅にはテーブル席がいくつか存在して、そのほかにあるのは広場を囲む古い建物と細い運河だけだった。よくみると古い建物は地面に垂直に立っていなかった。広場に面した壁が後ろ側に傾いていた。経っているのが辛くなったみたいな感じだと思いながら、もしかしたら何かの理由があってこのように建てたのかもしれないとも思った。そんなことを考えながら広場を取り囲む建物を観察していたら、ふと視線を感じた。歪んだ建物の地上階に店があり、その前で煙草をふかしている初老の男性の視線だった。広場を興味深そうに眺めているが異国人に関心を持ったのだろうか。それとも胡散臭いと思ったのだろうか。と、思いついた。ようし、声を掛けてみよう。
Buongiorno! 地元の方ですか? と元気の良い私の第一声に彼は驚いたようだった。もしかしたら、私がイタリア語を話すこと自体に驚いたのかもしれない。驚きを隠さぬ声で彼は挨拶を返した。言葉のアクセントはまさにヴェネツィア人のそれで、ああ、此処は確かにヴェネツィアなのだ、と改めて思った。さて、私の疑問を投げかけてみると彼は大変喜び、色んな話をしてくれた。この建物は昔は勿論真っ直ぐ建っていたが、何しろ古いし、冬場の洪水などでこんな風になったとのことだった。古いってどのくらい古いのかと訊くと、彼は益々喜び、1300年代の建物なんだよ、この広場はヴェネツィアの中でも古い広場で、しかし旅行者はあまり足を踏み込まない、こんなに美しいのにね、と言った。私も良く喋るほうだが、彼はそれを上回る。きっとヴェネツィアの歴史などを話し始めたら一晩中話が途切れることが無いに違いない。私が道に迷って偶然この広場に辿り着いたと言うと、君は運がいい、道に迷ってこんな古い、こんな味わい深い広場に辿り着いたんだからね、と彼は言った。色んなお話を有難う、と礼を言う私、彼は黙って幾度も頷きながら店の中に入って行った。どうやら彼は店の主人らしい。彼は自分の店が入っている建物の事を訊かれて嬉しかったのかもしれない。時にはあの隅っこのカフェのテーブル席につくこともあるのだろう。彼はこの広場が大好きなようだから。

地図があっても役に立たぬ、と鞄の中に突っ込んだ。さあ、自由気ままに歩こう、と私は細い運河に掛かる橋をひとつ渡った。




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また帰ってくる。

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日本滞在終了。あっという間だったけれど、至極満足。やはり私は幸せ者だ。





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沢井へ行こう

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沢井と言う名の駅を、いったいどれ程の人が知っているだろうか。沢井は青梅市に属する。東京のオアシスと言っても過言ではないに違いない奥多摩の、青梅線の小さな駅だ。昔は無人駅だった。上りも下りも本数が極端に少なくて、一旦電車を逃すと随分と待たねばならなかった。その記憶は私がまだ小さな子供だった頃から20歳くらいまでに跨っていて、どれも愉しくて懐かしい思い出。小さな沢井の駅から坂を下りていくと多摩川が大きく横たわっていた。河の水は冷たくて、その澄んだ水は視覚的に涼しげだったが、降るような蝉の声で涼しさも何もあったものではなかった。橋を渡った右手上には小さな鐘つき堂。そして急な坂道が続いて、ようやく舗装された車道に辿り着くころには玉のような汗をかき、夏に、蝉の声に、急な坂道にひたすら文句を言ったものだ。

そんな沢井駅を目指そうと言い出したのは姉だった。姉もまた、この駅に深い思い出を持っていた。幼い頃、私と姉はセットだったから。姉は嫌がっていたかもしれないけれど、私はそんな姉とのセットを子供心に喜んでいたのだけど。しかし姉が此処に行こうと思いついたのは、日光ほど遠くなく、東京にして緑があり、綺麗な空気があり、良い気分転換になるのではないかと思ったからだったらしい。その証拠に、私が歓喜し、懐かしいと言ったとき、姉は、ああ、そうか、子供の頃は夏になると行ったね、と今思い出したかのように呟いた。
拝島駅から奥多摩駅までを走る青梅線を私は間違って記憶していたらしい。何か寂れた路線。あまり使う人などいない。そんな風に思い込んでいたようだが、実際はそんなこともなく、寂れた様子も無ければ、拝島駅からの幾つかの駅は住宅地と見えて、利用者がとても多い。東京だけれど東京じゃない。あの喧騒も、スモッグも無い、耳を澄ませば鳥の声さえ聞こえた。
沢井駅にはふたりの駅員がいた。今も無人なのではないかと思っていた。沢井駅には、ずっと無人の、静かな駅でいて欲しかった。随分多くの人がこの駅で降りた。多くの人は多摩川へ。一握りの人は沢乃井と言う酒蔵に流れて行き、私と姉はふらふらと、気の向くままに歩き始めた。川沿いの遊歩道は足元が悪く、私は幾度も樹の根っこなどに躓いて姉を心配させた。昔から少しも変わっていない。姉はしっかり者。私は周囲の人達を心配させてばかりいた。水の音。木の枝と葉が風に揺れる音。一時も休みことなく鳴き続ける蝉。時々すれ違う人々の表情がゆったりしているのを確認しながら、自然の素晴らしさを感じた。大汗をかいたけれど、散々歩いて足が痛くなったけれど、散々歩いて大そう疲れたけれど、気持ちがよかった。きっと次の帰省にも、此処を歩くことだろう。

残り少なくなった滞在日数。愉しくて仕方が無いけれど、少しだけボローニャも恋しい。ボローニャは私の家。そして日本が私の原点。ふたつも帰る場所があって、私は幸せ者だ。




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