il risotto alle 12.00

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旅先で美味しいものを頂くのもひとつの楽しみで、ヴェネツィアへ行こうと決めた日からずっと案を練っていた。気軽に入ることが出来る店。地元の人が入るような店。少しくらい高くても美味しければ良し。しかし、さて、そんな店はあるだろうか。此れほど旅行者が多く詰めかける街に。ひとつ、ふたつと店の前で足を止めてみるが、どれも入ってみたい欲望に至らず、そうしているうちに魚市場に辿り着いた。此処には良く足を運ぶ。まだ正午前とあって、店も客もまばらながら存在した。朝早くに来ていれば、もっと活気のある様子を見ることが出来ただろうと思うと、少々残念ではあった。魚を買い求める人達は、これから家に帰って昼食の準備をするのだろうか。そんなことを思いながら市場を見て歩いた。

市場の前には小さなバール。そこは前に来た時に立ち寄って、カッフェのあまりの美味さにに脱帽した覚えがある。昼食後に立ち寄ろうと思いながら歩みを進めた。その先に小さな橋。そしてもう一つ小さな橋が並ぶように備えられているのに気がついて渡ってみた。この道にはいつか来たことがある。そう思ったとき、傍らに小さな店があるのに気が付いた。ガラス越しに中を覗いてみたら、食事処であることが分かった。11時半。中には既に客が数人いて、彼らはどうやらこの辺りに住んでいる人らしく、ワインの入った小さなコップを片手にカウンターの中に居る店の人と談笑していた。店内のガラスケースには惣菜が並んでいた。この町特有のキエッティというものらしい。ということは、此処はこの町特有の店であることが分かった。と、見つけたのが小さな紙きれ。il risotto alle 12.00。12時になれば出来立てのリゾットにありつけるらしい。リゾットは何人分もまとめて作る方が美味しく出来上がるので、レストランへ行くとリゾットは2名分から受け付けると注意書きがかかれていることが多い。恐らくこの店では大鍋でリゾットをまとめて作るのだろう。そして常連たちは12時をめがけて店にやって来るのかもしれない。これはいい。と思って私は店の扉を押した。リゾットは魚介の入ったものであること、12時まで出来上がらないこと、それならそれまでアペリティーヴォを楽しみながらリゾットが出来上がるのを待つことなどを店の人と手早く決めて、私は小さなテーブル席についた。軽めの冷えた白ワインとカラマーリの揚げ物。昼前からこんなことをしていることを日本に居る母や姉家族が知ったら、さぞかし驚くことだろうと思ったら、腹の底から笑いがこみ上げてきて、笑い声を抑えるのに苦労した。私の家族は面目なのだ。昼からワイン、しかも昼食の前に待ち切れずにつまみを食べながらワインを頂くなんて、考えたこともないだろう。カリカリに揚がったカラマーリが美味しくて、食欲を増長させた。美味しそうに食する私に、向こうに群がっていた地元人たちがワインの入ったコップをちょいと上げた。Saluti.健康に乾杯、ということか。彼らにつられて私もグラスを上げて挨拶した。そのうち12時になったのか、店の人がリゾットを運んできた。出来立ての熱々。米粒がピカピカで嬉しかった。そして私が長年イタリアに暮らして食べたリゾットの中で一番美味しかった。素晴らしいのは煮え方が丁度良いこと。これは当たり前なようでなかなかないことなのだ。煮え時間が足らず消化不要になるほど堅いリゾットもあれば、煮えすぎで歯ごたえがなく、がっかりなリゾットもある。その点、このリゾットは完璧。文句のつけようがなくて感激だった。テーブルの脇を通り掛った店の人が、どうだ、と訊く。完璧だ、文句のつけようがない、と答えると、あはは、と大きく笑った。向こうに居た地元の人達もリゾットにありついているらしく、全くだ、今日のも完璧だ、と大きな声で言った。ああ、美味しかった、また来るからと言って店を出た。これはまんざら嘘ではない。こんなに安くて美味しくて楽しい雰囲気の店に来ない手はないのだから。勿論、ここに辿り着ければの話だけれど。しかし魚市場まで来れれば大丈夫だろう。メニューを見ずに注文したから勘定がいくらになるか見当がつかなかった。訊けば16ユーロだった。何しろヴェネツィアなのだ。いくら要求されても驚きはしないが、まさかたったの16ユーロとはねえ。ワインをグラスに2杯。揚げたカラマーリ、リゾット。席代は要求されず。確かにこれなら地元の人達が通うだろう。私が近所で働いていたら、近所に住んでいたら、常連客になっていること間違いなしだ。その足で魚市場の前のバールでカッフェを頂くと、昼食が完了。ヴェネツィアには旅行者に高額を求めるような悪徳レストランやカフェが沢山あると聞く。事実そういう不運に遭遇して、痛い目にあった人も多くいる。幸運なことに私はまだそうした店に遭遇したことがない。何処も感じが良くて美味しくて、良心的な値段を今も保ち続けるような店もある。店に入る側が、目を見開いて店の良しあしを吟味できるようにならねばならないと思う。それは多分ヴェネツィアばかりでなく、何処の街に居ても同様なのかもしれない。

散策を終えて駅へと続く道を歩いていたら、かっこいい若いお嬢さん発見。背後の建物と抜群の相性で、素早く写真を撮った。後に写真を見て気が付いた。背後の壁の色はボローニャ色。なんだ、ヴェネツィアまで行ってボローニャ色なのか、と笑った。日常からの脱出、異なる色を求めてヴェネツィアへ行ったが、案外、好きなのはこんなボローニャの色なのかもしれない。




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古くて味わいのある

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気温は相変わらず低く誰もが冬の装いだが、日差しが強く、空が明るいから、足取りはひと際軽かった。ヴェネツィアに行こうと決めた時に一番気になったのが天気だった。雨が降るかもしれない。雪が降るかもしれない。そんなことを囁かれていた北イタリアだったから、この素晴らしい快晴は空からの贈り物としか思えなかった。

いつもは駅を出てすぐに左手に歩きだす。Cannaregioと呼ばれる、一頃ユダヤ人が多く住んでいた界隈へと向かう道だ。今回はそれを辞めて大運河に架かる橋を渡った。何を見たいとか、そうしたものは無く、兎に角さ迷い歩いてみようと思ったのだ。Santa Croce、San poloそしてDorsoduro。この辺りは知っているようであまり知らない、歩きなれない界隈だった。地図は持っていたが、歩き始めてすぐに役に立たなくなった。早くも現在地点が分からなくなったからだ。もういい。と地図を鞄の中に押し込んだ。時間はたっぷりある。6時間後に駅に戻ればいいのだから。たっぷり迷いながら歩こうと思った。
路地から路地へ。人の波と異なる方向を選んで歩いたのは、単に混雑が嫌いだからだ。そしてひと気のない路地こそが、私の好きなヴェネツィアだからだった。と、古い建物を見つけた。教会だった。建物はかなり古い。傷んでいると言っても過言ではない。私は招かれるようにして中に吸い込まれた。こじんまりした教会。こんな小さな教会はヴェネツィアにどれほどあるのか。そんなことを思いながらぼんやりと内装を眺めていたら、年の頃は60歳をとうに過ぎた感じの女性が、訪問者に説明していた。これはね、あれはね。ガイドさんなのかもしれない。そんなことを思っていたら、そうでもなさそうだ。それで声を掛けてみたのだ。シニョーラ、あなたはこの協会の関係者ですか。すると一見して東洋人の訪問者がイタリア語で話しかけてきたことに驚き、そして、そうだ、この教会に関わっていて、ボランティアで教会の説明をしているのだと言った。ならばと私は訊ねてみた。入り口わきにある階段のこと。まるで壁の中に埋め込まれるようにして存在する階段のこと。彼女は、あなた、気が付いたのね、と目をきらきらさせると押し寄せる波のように、しかし声を最小に落として話し始めた。この教会は13世紀前後のものと言い伝えられている。大変古くて、小さくて、地元の人達が好んでここで結婚式を挙げたがる。理由は小規模だから。本当に親しい人達だけを招いて式を挙げることが出来るからだ。この教会こそが地元に愛されているのだ、と誇らしげに言った。それで壁に埋め込まれるようにして存在する階段だが、教会を建てたはいいが上階に登るための階段を作らなかった。オルガンを上階に置くはいいが、どうやって演奏者が上階に登ることが出来ようか。当初は上からロープを垂らしたたらしい。演奏者はそのロープをよじ登ったと言われている。そのうち2メートルほどある入り口脇の厚い壁をくり抜いて、螺旋階段を作ることになった。階段は一段が大変高くてつま先で登るほどしか奥行きがないものだそうだ。現在電気配線が故障して、上に登ることが禁じられている。兎に角暗くて危ないのだと彼女は言った。教会は来年から遂に修復作業に入るそうで、あなたは運が良かったわ、来年からは暫く教会に入ることが出来ないのだから、と彼女は言った。ほら、この床も。大理石がひどく傷んでいる。修復が必要なのよ。それにね、この大理石の下はお墓なんだけど、と言うので私はひゃーっと飛び上がった。彼女は苦笑しながらあの壁もお墓。教会とはそう言うものなのよ、あなた知らなかったの?と言わんばかりに私をまじまじと見た。奥の方に素晴らしい絵が掲げられていた。あれは?と訊ねると彼女は再び目を光らせて、あれはティントレットの絵だと言った。彼女は美術を専門にしているのではないだろうかと思うほど詳しくて、ティントレットの絵から彼の息子と娘の話におよび、その話は大変興味深くて私は久しぶりに夢中になった。そしてこの先にあるもう少し大きな教会にも行くべきだと言った。彼女の楽しい話に感謝を述べて外に出た。小一時間、私は彼女と話をしていたらしい。教会の前の道を行くと小さな古い広場に出た。あっ。と声を上げたのは、其処が前回偶然辿り着いて、広場に面してある店の主人が愛着のあるその広場の歴史を話してくれた、その場所だったからだ。この辺りの人達はこの界隈に大変愛着を持っているのだろう。訊ねるとするすると色んな興味深い話をしてくれる。店の主人もそうかったが、先ほどの教会の彼女もそうだった。自分が生まれ育った場所に愛着と誇りを持つ人々。私はそんな人達が大好きだ。思いがけず辿り着いた場所。多分次回も迷いながら、此処にたどり着くのだろう。
広場を通り抜け、水路に架かる橋を渡り、暗い通りを通り抜けると先ほどの彼女が言っていたとおり新聞や雑誌の小さな売店があり、もう一つ橋を超えると広場に面して教会があった。それが彼女の言っていた教会だった。大きな教会で何もかもが綺麗だった。綺麗すぎたかもしれない。私は前者の教会が好きだ。古くて味わいのある。来年には修復作業が始まると言うが、願わくばあの教会の良さを壊さぬように修復してもらいたいものだと思いながら美しすぎる教会を後にした。もし相棒がこの場に居たらば、同じことを言っただろう。相棒と私は価値観も何もかも異なり、誰もがなぜ結婚した、未だに一緒に居るのが不思議だと言って驚くのだが、こうしたことになると意見が一致する。ほらね、満更全然異なる訳でもないのだ。

歩くことはいいことだ。いつもと違うものを見ることが出来て、そして思考も潤滑になる。それから空腹。程よくお腹が空いて、自分が健康であることを確認できる。歩け、歩け。元気なうちはどんどん歩こう。歩けるうちはヴェネツィアに幾度も通おうと思いながら、美味しい店はないかと見まわしながら歩みを進めた。




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好きな場所がある

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不満を溜めぬために、したいことをしようと思って日帰り旅行に出掛けた。行き先はヴェネツィア。列車に乗ればあっという間。今では特急列車に乗れば僅か1時間半だから、随分と身近な存在になった。それでいてボローニャとは違う色がある。幾度足を運んでも、飽きることはない。それがヴェネツィア。ヴェネツィアへ行こうと思いついたのは、先々週の晩にテレビで放映していた古いイタリア映画のせいだ。美しい音楽と美しい映像に刺激されて、それでなくとも一年中訪れる人の多いこの街が、人で溢れすぎる前に行きたい、行こうと思ったのだ。忙しい毎日から、縫うようにして見つけた一日。この日を逃したら、暫くチャンスは手に入らないような気がして、えいっと掴み取った。

初めてこの街を訪れたのも今頃の時期で、25年も前のことだ。映画でしか見たことの無かったこの街を歩いていることが、不思議でならなかった。眩い光で、温かくて、気の早い人達は既に半袖姿だったのを覚えている。水路の薄緑色の水面が揺れるときらきら光った。薄緑色の水面だなんて、と思いながら水路に遭遇するたびに足を止めて見入った。それは25年経つ今も同じ。私は今も薄緑色の水面に魅了されている。ヴェネツィアへ行ってくるから、と言って家を出る私を相棒は快く送り出してくれた。君はヴェネツィアが好きだね、と言って。好きな場所がある。快く送り出してくれる人が居る。忙しい毎日のなかからこんな一日を生み出すことが出来たことにしても、私は大変幸運だと思った。そんなことを思いながら、水路の街の散策を始めた。




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ヴィエンナの女性

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ヴィエンナに到着したあの日の午後、携帯電話にメッセージが届いた。送り主はフランカで、通常ならば彼女はロンドンに居る筈だった。何だろうと思って読んでみれば、ボローニャに帰っているらしい。けれども翌朝早くロンドンへと発つから、これからボローニャ旧市街の、七つの教会群辺りの店で落ち合わないか、19時頃に、という誘いだった。時々ボローニャに帰っているとは思うが、こんな風に声が掛ったことはなかった。何しろ彼女は忙しい身なのだ。夫の家族との付き合いも疎かにできないし、勿論自分の家族とも一緒に過ごしたい。それからボローニャ旧市街に生まれボローニャ旧市街で育った彼女は、街を歩けばすぐに友人知人に出会うから、あっちからもこっちからも声が掛って、彼女の方から友人知人に声を掛ける暇なんて殆どないと言ってよいのだから。しかし、こんな時期だ、きっと彼女の友人たちも休暇でどこぞに出払っているのだろう。私はメッセージを送り返した。残念だけど、私は今ヴィエンナで休暇中よ。またの機会に会いましょう。わりと冷たい返事だったが、彼女は興奮した感じであっという間にメッセージを返してきた。ヴィエンナ! ああ、いいわねえ! 良い休暇を! 私は携帯電話を鞄に突っ込むと、また歩き出した。フランカが言うように私はヴィエンナでよい休暇を過ごそうと思って。

いつの頃からか、私は休暇先で骨董品市や骨董品店を覗くのが趣味になった。100年、200年前にその街で流行っていたスタイルの椅子や本棚などを観察したり、ランプの装飾を観察したり。それから近年では絵画を探すのが好きで、そんなお金はないにしても、店に入って絵画にまつわる話を聞いたり、値段を教えて貰ったりして深いため息をついたりするのだ。絵画に関して言えば、高級骨董品店ではなくて、何か掘り出し物があるような、雑多な感じの店がいい。こうした店にはまだ価値が発掘されていない、掘り出し物、認められていない宝物が埋もれているからだ。ヴィエンナにもそうした店は案外沢山あったが、8月という時期が悪かった。見つけた店の半分は夏季休暇中だったから。いや、なに。自分だって夏季休暇中なのだから、文句を言う筋合いはない。ただ、実に残念で、次回は8月と冬のホリデーシーズンは外さなければね、と自分に言い聞かせて店の外からの観察だけで満足せねばならなかった。そんな風にして絵画を観察しているうちに思いだした言葉がある。それは私が友人を訪ねてブダペストに通うように足を運んでいた時代のことだ。8年ほど前のことだろうか。私と相棒がブダペストに散らばる無数の古びた、雑多な骨董品店を渡り歩いて、様々な絵画をハンティングをしたのを知った友人の夫がびっくりしたような声で言った。絵画だって? ハンガリーの絵画など暗くて家の中には飾れないよ。こちらまで気分が暗くなってしまう。私と相棒はその言葉を聞いて、さて、そんなに暗い印象の絵だっただろうかと不思議に思い、絵を取り出してみたら成程、確かに暗い印象だった。私達はそういう観点で絵を眺めてはいなかったから。しかし、そう言われてみたら頷ける点があった。辛い歴史のある国の絵は暗い。冬が長い国の絵も暗くて厳しい。思いがけず友人の夫が教えてくれたポイントであった。
この話には続きがある。私は偶然と幸運が重なって、ヴィエンナに暮らして長い日本人女性と話をする機会を得た。私は時々こうした幸運に出会う。旅先で、ひとり旅の旅先で、こうした機会が得られるのは、そう簡単なことではないと思うから、私はそれを幸運と呼ぶ。ヴィエンナに暮らし始めた頃の街の印象を訊いてみたら、驚いたことに言うではないか。暗い。絵を見ても何を見ても。・・・絵が暗い。それは以前、友人の夫が言った言葉だった。ヴィエンナの青くて高い空につかぬ言葉だったが、確かに冬の厳しさはボローニャの比ではないだろう。歴史は。歴史はどうだろう。しかしそれでも彼女はここに居る。どんなに暗くても、冬が厳しくても、絵が暗くても。そんなことを思い巡らせている私の横で、彼女は明るく笑う。陰りも見せぬ明るさ、そして強さだった。わあ、こういう人いいなあ。其処まで思ってはっと気が付いた。それに気づくために空の誰かが彼女に会うチャンスを与えてくれたのかもしれない。店先で絵画を眺めて歩きながら、私はもう一度そう思う。きっとそうだ。私がはっと気が付くように。私が持ち前の元気を取り戻すために。

ヴィエンナから戻って2日目の昨日、ようやく私は、旅先で日本人女性と知り合って古いカフェに入ったこと、散歩をしたこと、楽しかったことを報告して、相棒はほっとしたようだ。帰ってきても旅のことを何も言わないから、つまらなかったのかと心配していたそうだ。それに旅にでる少し前、私は少々元気がなかったから。でも違う。私が報告をしなかったのは、私の頭の中が未だヴィエンナの休暇中だからなのだ。そのうち、ひとつ、またひとつと旅の話をするだろう。その頃には、私の休暇は本当に終わって、ボローニャの街にも美しい小麦色の肌の人々が戻ってくるだろう。そうしたら少しは涼しい風が、街を吹き抜けるのかもしれない。




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雨と第三の男

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遠くで雷が鳴り響いている。気温が上がりすぎたヴィエンナは、今夜が峠なのかもしれない。そのうち、ザーッと雨が降り出すだろう。

私が滞在しているホテルは、旧市街とされる地区ではない。旧市街をぐるりと取り囲む環状道路を走るトラムのひとつが南へと走っているのだが、それに乗るとあっという間の界隈にある。ホテルも前の通りをトラムが行き交うから、窓を閉めていてもその音が聞こえる。ボローニャには無いタイプの音。だから到着した日は耳につく。かといってそれが嫌なわけではない。その証拠に、そうと知っていながら3度もこのホテルを使っている。嫌いなどころか案外好んでいるのかもしれないとすら思う。窓を開けてトラムが窓の下を通り過ぎるのを眺めるのも好きだ。トラムと言うのは何か異国情緒のある乗り物で、どの街へ行ってもトラムを見つけると訳も無く飛び乗りたくなる。そして自由自在にトラムに乗れるようにと、滞在日数分のパスを購入する。トラムさえあれば怖いもん無し。だから滞在場所が便利な旧市街でなくても良いと言うわけである。結局ホテルの場所を決めたのも、トラムが前を走っているからのようなものだ。もし相棒が一緒だったらば、トラムの音が煩いじゃないかと言うだろうか。それともサンフランシスコに住んでいた頃のことを思い出して、トラムの音を懐かしむのだろうか。
トラムが好きだと言いながら、ヴィエンナの街で私は降りる場所をしばしば間違える。自信満々で降車リクエストのボタンを押して、自信満々でトラムを降りるくせに、背後の扉が閉じた途端、しまった、此処ではなかった、もうひとつ先だった、と気が付くのだ。何しろ私の旅はあまりオーガナイズされていなくて、自分の直感だけで物事が進んでいる。地図を持っているくせにあまり確認することもないし、トラムを降りる場所にしたって、確かこの辺だった、みたいな不確かなものばかりだ。だから一人旅がいいのかもしれないと思う。連れが居たら、いい加減信用を失っていただろうし、その連れが相棒だったならば、既に喧嘩のひとつもしていただろう。今日もそんな風にしてトラムを降りる場所を間違えて、次のトラムを待っていた。後から美しい栗色の髪の女性がやって来て、少し離れた場所に立った。崩れた感じはなくて、かといって昔の学校の教師のような固い印象も無い。何処かでこんな感じの人を見たことがあると考えていたら、トラムに乗り込んで、ガタン、と走り始めたところで思いだした。相棒の、若い頃の恋人。
アメリカに暮らしていた頃、古い写真を整理していたら美しい女性の写真が出てきた。相棒が写したらしい肖像写真だった。綺麗な人ね、と訊ねるでもなく言うと、随分前の恋人だ、ヴィエンナの女性なんだ、と相棒が言った。相棒は私より年上だから、私が知らない時代があって当然で、それをとやかく言うつもりはさらさら無い。ただ、ヴィエンナの女性という言葉が心に引っかかり、それがどんなことを意味しているのだろうと長いこと考えていたことがある。美しいとか知的とか以外の意味があるのではないかと。あれから20何年も経って、こうしてヴィエンナの街を歩いたり、古い本を読んだり、人から話を聞いているうちに少しだけ分かったような気がする。それはある時代のヨーロッパを通過人達に共通するようなもので、そういう人達にしかわからないようなことなのかもしれない。そんなことを考えるようになったのは、第三の男、と言う映画のせいかもしれない。戦後のヴィエンナを舞台にしたこの映画を多くの人が高く評価していて、私も此れは作品として価値の高い映画だと思っている。ただ、とても微妙なのだ。そういう時代が本当にあったと言うことが。カフェ・ブダペストという映画があるけれど、此れも同じように微妙な気持ちが残った。私の知らない時代。でもそんなに昔のことじゃない。イタリアだって70年代は色々あった。人々が同じように安定して暮らせるようになったのは80年代のことらしいから。君は平和な国に生まれて育ったからと、相棒と知り合ったばかりの頃に言われたことがあるけれど、本当にそうなのかもしれない。そして平和な国に生まれ育ったことを、幸運に思うのだ。
そんなことを考えているのは、ヴィエンナの旧市街の外に、第三の男ミュージアムというものが存在して、それを是非見たいと思って訪ねたからだ。もっとも14時オープンのそのミュージアムは14時きっかりに行かないと中に入れてもらうことが出来ないらしく、15時に行った時は、扉は硬く閉ざされていて、扉を叩こうが何しようが、中から人が出てくることは無かった。それでもその雰囲気はミュージアムの外観を見て伝わってきた。古い建物で、あまり手入れはされていなくて、何か胡散臭いような、秘密めいているような。中に入りたかったような、入ることが出来なくてよかったような。

雨が降った。窓を開けてみたら路面が黒く光っていて、それを橙色の街灯が照らしていた。袖なしを着ているのに、まるで晩秋のようだと思った。昨日の明るい陽気な晩とは違う、もう夏の峠を越えてしまったような、そんなヴィエンナの、雨の晩だ。




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