小さなブティック
- 2019/11/17 19:36
- Category: bologna散策・あれこれ

もう6年前のことになる。その夏はリスボンの旧市街にアパートメントを借りて半月程過ごした。暮らすように滞在するなんてものではなくて、ただ予定を作らない気ままに過ごしたかっただけだ。その点では便利で風情があって格安で不足なものなど何も無く、上の階まで重い荷物持って階段を上らねばならなかったことすらも、旅話の笑い話のひとつになってしまうほどだった。心臓破りの階段。そう思いながら階段を上った。エレベーターがないのには自分の家でも慣れている筈だが、しかしあの古い建物は天井が高く作られているために階段がやたら急で長くて、本当に心臓破りだった。
彼女と知り合ったのはその夏のことだ。互いに同じ日本人女性という気安さもあり、カフェへ行ったり食事をしたり、そして小旅行で部屋を分けあったり。予定の無い滞在だったから、誘われるがまま彼女と色んなところに同行したものだ。その彼女がボローニャにやって来た。その翌年の秋だっただろうか。散々見て歩いているのに歴史など聞かれたら困ってしまうほど何も知らない私である。私ができることと言ったら、散歩と食事を共にすることくらいだった。そう、街案内と言うよりは、私の行動範囲を見せる程度の。但し、彼女にとってそれが楽しいものであるかどうかの保証はない。人は皆、感覚が多少ながら異なるものだから、と私は思っているからだ。それから私は時々同行者を歩かせ過ぎる傾向がある。例えば相棒と休暇を取って他の街に出掛けると、際限なく歩く私に彼はついてこれなくて、時々カフェに入って休憩時間を持たねばならぬ。自由気ままに独りでふらふら歩くのに慣れ過ぎた私の欠点のひとつだ。そんな散策ではあったけれど、彼女にとっては目に入るものが目新しくて興味深くて、楽しい時間になったらしい。食料品市場界隈に存在する小さなホテルに滞在した彼女が、朝の喧騒について話してくれた。私はそれがとても面白くて、いつか私も其処に泊まってみたいなどと思ったものだ。自分の家が同じ街にあるというのに。
先日歩いたPORTA NOVA。その通りも彼女と歩いた道のひとつだ。当時あった店の幾つかは姿を消してしまったが、お茶の店は健在だし、そしてその並びにある小さなブティックも健在。いつ見ても店の中に客は居ないが、通行人が大抵足を止めて中を覗き込む。ちょっと雰囲気の変わった店。創作と言う呼び方が似合うような店である。あの日、店の中に入ってみたくなった彼女に誘われて、私は初めてこの店に足を踏み入れた。明るい色調のものはなく、ダークトーンが主な色合いだった。変則的な形の上着やセーター。特徴のある帽子。そしてダークトーンに映えるように計算された色合いのアクセサリー。スカーフやストールの種類も豊富で、彼女は大そう喜んでいた。気に入ったものを見つけたようだが予算と合わなかったらしく、また来るからと言って店を出たが、その後も彼女は歩きながら、あんな趣味の良い店があるボローニャを随分と褒めていた。あれが初めで最後だった。5年前のことだ。お茶を二種類購入してウキウキしながら店を出たところで、あの店の前で足を止めた。ショーウィンドウの前には既に二人の先客が居て、じっと中を凝視しながら入店するかどうか迷っているようだった。私はと言えば、この後に控えている用事まで時間がたっぷりあったこともあり、冷やかし気分で店に入った。ちょっと見せてくださいね、と店の人に断って。手に取ってみて分かったのは、なかなか縫製が良いことと、布地を選んでいることだった。デザインが凝っているばかりでなく、素材も選んでいることに好感を持ち、ふと店の人と話をしてみたくなった。この辺りの小さな店の幾つかは姿を消してしまったけれど、此の店は今も健在なのを褒めると、有難いことに良い顧客がついていて案外うまくやっているのだと言った。服のデザインを担っている人は別にいるらしい。それが店主らしい。そして内装を手掛けているのはデザインを担当する人の夫だと言う。ならば私と話をしている人は店員なのかと言うと、どうでもないらしい。詳しいことは訊かなかったけれど、話せば話すほど感心させられた。若かった頃、私は自分で衣類を縫っていたことがある。自分で型紙を作り、布を選びに行って、ミシンで縫った。だから布地への拘りが強く、そして縫製の仕上がりにとてもうるさい。見かけが良くても手が出ないのはそういう理由で、気に入ると何年も着続けるのは、勿論それが好きだからだけれど、それに代わる自分の目に適う服が見つからないからなのだ。高級品なら良いかと言えば、そうとも限らない。高級品も、裏を見るとびっくりすることが多々あるものだ。そんな話を店の人と話をすると、うん、うんと頷きながら、貴方は日本人だからでしょ、と言った。日本の布地は質が良くて、縫製がきちんとしていて縫い目がほつれることがないから、と。彼女は日本へ行ったことがあるのだろうか。それについては訊かなかったが、成程なあと思った。確かに、日本製は質が良い。衣類にしても何にしても。ひとしきり話をして手ぶらで店を出のは、気に入ったジャケットのサイズが合わなかったからだ。ウールの、柔らかくて、ラフで、格好の良いジャケットだったが、私には大き過ぎた。店の人が言うには、だぼっと着るように作られていて、そのジャケットを着こなすにはもう少し背丈があった方が良いらしい。ああ、残念、背丈はもう伸びないからなあ、と言うと店の人は遠慮なく笑い、懲りずにまた立ち寄って欲しいと言ったものだ。クリスマス前にストールを見に行こうか。それとももう少し待って、サルディで賢い買い物をするのもよいだろう。久しぶりに良いものを見て嬉しくなった。
今日は一日雨の筈だったのに、思いがけず空が晴れた。素晴らしい。何処へ出かけることがなくとも、空が晴れると気分が良い。地面はもう十分雨を含んでいる筈。暫く雨が降らなくても困ることは無いだろう。さあ、明日も続けて晴天で行こう。
