古い店

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昨日は正午まで眠ってしまい、多少ながらの罪悪感と自己嫌悪を感じながらも、必要だった睡眠と称して俄かに元気を取り戻すと、穏やかな気候に誘われて外に出た。散策、というよりもずっと行きたかった店に行くためにだった。店はボローニャ旧市街の中でも西側に位置している。私の住まいがボローニャの南東に位置していることもあって、思い切らないと足を延ばせないのである。例えば仕事帰りにしても、ちょっと都合の悪い場所で、だから行きたいと思いながら半年以上も延ばし延ばしになっていた。まあ、半年も延ばせるのだからそれほど必要でなかったのかもしれないけれど。

店は戦前から営まれている。Corameriaの種類に店に属していて、直訳すれば皮革製品の店だろうか。別に革製品を販売しているでもなく、寧ろ革製品を手入れするための用品や靴を履きやすくするための用具を置いている。店の構えは古く、本当に小さく、天井の低いポルティコの下を歩きながら注意していなければ、うっかり見過ごしてしまう程だ。ただ、大抵の場合、店の外にまで人が溢れていたり、昼休みが終わるのを待っている客が店の前に突っ立っているので、うっかり屋さんの私でも見過ごしたことはまだ一度もない。こんな小さな店で、私にしては不便な場所にあるのに、何故私が知っているかと言えば、以前、旧市街で鞄を購入した際に店の人が教えてくれたからだ。この鞄は何で手入れをしたらいいかと訊く私に、店主が小さなボトルを見せてくれた。これだよ。これを使うといい。何処で購入できるのかと訊けば、いつか散策中に見掛けた、小さくてぱっとしないあの店だと分かった。店主が言うには、革製品の手入れのことなら、あの店に行けば何でも手に入る、ボローニャではあの店が一番だ、とのことであった。店主に勧められたその足で店に行ってみたところ、小さな店内が客で混み合っていて驚いた。どうやら店主の言葉は本当らしい。列の最後列に並んで、薦められたボトルを購入した。もう何年も前のことである。昨日私が購入したかったのは、其のボトルだった。革製品の手入れのクリームだった。店は昼休みを終えたばかりで、店が開く前から待っていたらしい客達でごった返していた。店主なのか、店に居た年配の女性の革製品の手入れに関する知識の深さには、舌を巻くばかりであった。店では製品を預かって手入れもしてくれるらしいけれど、お金が沢山かかるから、まずは自分でしてみるとよい、と彼女は客に説明していた。随分と良心的な店だと思った。私が店主なら、喜んで引き行けてしまうのに。店の儲けに繋がるのだから。彼女は客にこれをこのように使うこと、布はどのようなものを使うこと、そしてこんな風に布を革の上に滑らして、と手入れの方法を教えている。まあ、こんな具合だから店が大きくなることもないけれど、潰れることもないのである。ようやく私の番が回ってきて、例のボトルを買い求めた。そこで彼女は少し首を傾げて私に訊いた。このクリームのことは何処で知ったのか、と。それで随分前にあの店で鞄を購入した際に、これを紹介されて、それでこの店のことを知ったのだと話すと、ああ、と驚いたように目を開いて、そういえば前にも同じことをあなたに訊いたわね、と言った。驚いたのは私の方だった。もう何年も前に、本当に随分前に一度来ただけの客との会話を思い出した彼女に。あれは確か冬の、寒いけれど夕日が暖かい色だった土曜日の午後のことで、確か5,6年前のことではないだろうか。そんな客との話を覚えているなんて。そして手に入れたボトルはあの当時から全く値上げされていなかった。これもまた私を驚かせてくれた、でも分かったのは、こんなだからこの店は愛されているのだと言うことだ。どんなにいくのが不便でも、多分私はこの店にまた数年後足を運ぶのだろう。

今夜、暖房が壊れた。昼間は暖かくも、晩には暖房は必要だ。体を冷やさぬうちに、さっさとベッドの中に潜り込むことにしよう。




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Strada Maggiore

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朝から快晴。数日前から急に気温が上昇して、昼間は半袖で過ごせるようになった。気持ちの良い初夏のような気候を一跨ぎして、夏になってしまったかのようだ。日差しの強いこと、湿度の高いこと。少し動くと汗ばんで、不快といえば不快、しかし快活な季節と言えば全くその通りだと思う。テラスに続く大窓を開放してレースのカーテンを引くと、風に膨らんだり萎んだりして楽しそう。そんな様子を眺めていると必ず子供の頃を思い出す。子供心にも気怠いと感じた夏の昼下がり。昼寝をしなさいと母に言われて寝転がってみるも、うとうとすることすら無い。ぼんやりと、レースのカーテンが膨らんだり萎んだりする様子を1時間も眺めていた。時には蝉が狂ったように鳴いていて、うんざりすることもあったけれど。子供の頃を思い出すとき一番初めに思い浮かぶのが、そんなことだ。

こんな暑い日の散策は、早い時間に家を出るに限る。そうと分かっていながら、あれもこれもと欲張って家のことをしていたら、昼前になってしまった。どうしよう。外に出るのをやめようか。一瞬迷ったけれども、思い切って家を出た。そのうち本当の夏がやって来て、暑くて外を歩き回るのが大変になるかもしれないから。この夏は恐ろしく暑くなる、というのが巷の噂だ。私がボローニャに引っ越して来た夏に43度を体験したが、そんな暑さになるのかもしれない。

旧市街は驚くほどの人だった。何か特別なことがある様子はないけれど、皆、にこにこして嬉しそう。手を繋いで歩く男女。これは若い人ばかりでなく年上の夫婦者も同じ。そうした様子を眺めていると、此処はイタリアなのだともう一度思う。そうした様子を眺めていると、心がぽっと温かくなる。旧市街の真ん中の2本の塔の横に走る、環状道路へと続く道、Strada Maggiore。この通りに私は案外沢山の思い入れがあって、時間を見つけては歩いている。環状道路へ向かって歩いていると古い古い教会に出る。古い教会ならば幾らでも存在するけれど、私はこの教会が好きだ。中も良いけれど教会の横に備わる幅の広いポルティコが飛び切り良い。ところどころにフレスコ画が残っていて、新しく塗り替えるのではなく丁寧に修復して、元々あった古いものを大切にする心が伝わってくる。ここを行き交う人々だって、そんな風に思っているに違いない。冬になると、ポルティコの下にクリスマスの市がたち、駄菓子やクリスマスに必要なものや、贈り物類を売る店が並ぶ。何を買うでもない、そうだ、今まで一度だって何かを買い求めたことは無いけれど、人の波に揺られながらその雰囲気を楽しむために一度は足を運ぶ。私の大好きな友人も、もう随分と会っていないけれど、冬になるとこの市場を冷かしながら歩くのが好きだった。彼女はこの教会を、私の教会、と呼んで、私にちょっとした感動を与えたことがあった。そんな風に呼ぶ人に今まで出会ったことが無かったからかもしれない。アメリカの生活を閉じてボローニャに暮らし始めた頃、この道を数え切れぬほど歩いた。相棒の両親が暮らす家はこの道をずっとずっと行ったところに在ったからで、勿論バスを使わねばならぬほどの距離だったけれど、この通りはバスで通過してしまうにはあまりにも惜しかったから、そして教会の少し先には小さな自転車屋と骨董品屋があって、それらは相棒の若い時代の友人たちの店だったから、たまに立ち寄るためにも、相棒とふたりで肩を並べて歩いた。暑い夏も、このポルティコの下はひんやりしていて、何時も此処で足を止めたものだ。此処の様子はあの当時と一寸とも違わない。道の向こうにある建物も、ポルティコも、教会も。変わったのは私達で、通り過ぎる車の色や型で、スカートの裾をひらひらさせながら自転車で疾走していくスタイルの良い若い女性で、ポルティコの柱に寄りかかって携帯電話を操作する学生だ。

帰りのバスに小さな男の子を連れた若い母親がいた。今週の木曜日で学校は終わりよ。母親が男の子に語り掛けたのを聞いて、はっとした。そうか、もうそんな時期なのか。学校が終わって長い夏休みに入る時期。あと数日で5月も終わってしまう、そんな時期に辿り着いた。




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静寂

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月曜日の夕方。誰もいない。こんな静かな場所があったなんて。




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頑固な姿

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ボローニャ旧市街の、俗に言う大通りはバスが通っているから便利に違いないけれど、そして、それに沿って小さな店が連立しているから、買い物するのに全く便利というものだけど、そうした通りから少し内側に入った細い道が、私は好きだ。車の通りが少なかったり、又は車が通らなかったり、店が無いから人通りさえも少なくて、すれ違う人は同じような大通りから回避してきた、その道の存在を知っている人達。ボローニャにはそうした道が沢山あって、未だにあるいたことのない道もあれば、存在すら知らない道もある。言うなれば、私はごく一握りの道しか知らなくて、そうした道に通うようにして歩いていると言う訳だ。この道もそうだ。初めて歩いたのは何時だっただろう。細々と続けている雰囲気のアンテーク家具の修復工房があって、私は歓喜したものだった。中を覘いたら修復師が居て、じっと中を覗き込んでいる私をジロリと睨んだ。それも数回続くと、ああまた見ているとしか思わなくなったのだろう。睨まれることは無くなった。こういう道がある限り、こういう店が存在する限り、ボローニャは安泰だ。大通りが徐々に変化しようとも、一本内側に入れば今も変わらぬ情景が残っている。誰が何と言おうと、私はやはりボローニャに、昔ながらの様子を保ってもらいたいと思っている。時代の流れに流されない、頑固な姿でいて欲しい。


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素適を探す

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新しい壁掛け時計を購入した。直径がせいぜい15センチ程しかない小振りのもので、縁取りがグリーン掛かったグレー、若しくはグレー掛かったグリーンで一目で気に入った。キッチンの壁に掛ける時計を探していたのだ、一昨年の夏からずっと。一目で気に入ったが、店の人に説明を受けて益々気に入ったその理由は、一時間ごとに異なった種類の野鳥の囀りがするからだ。ずっと前に帰省した時、姉の家にあった壁掛け時計がそんな感じのものだった。もっとも姉の家にあったものは素材といい作りといい、比較にならぬほど上等だったけれど。そんな時計だとは知らずに姉と話し込んでいたら、鳥が囀った。へえ、この辺りは自然保護されているのね、こんな鳥の囀りを聞けるとは、と目を丸くして驚く私に、姉が笑えをこらえながら教えてくれた。こんな野鳥がこの辺りに居る筈が無い。この鳥の囀りはあの壁掛け時計で・・・と仕掛けを教えてくれたものだ。あれから私はこの種の時計が欲しくて、チャンスをずっと狙っていたのだが、壁掛け時計を必要としていなかったし、必要になってからはそれが何処にも見つからなくて、最近やっと手に入れたと言う訳だ。土曜日の午後、相棒が壁の上方に釘を打ってくれたので時計をひっかけてみたら、とても良い感じだった。色といい大きさといい、それから文字盤に描かれている12種類の鳥にしても、キッチンにぴったりだった。と、3時の鳥が囀った。それはあまりに突然で、相棒も私も驚いたが、一番驚いたのは猫だった。何処に鳥が居るのか、何処に隠れているのだと、キッチンの隅から隅まで探し回り、居ない、居ないと首を振りながらキッチンから出ていった。ふふふ。相棒と顔を見合わせて笑った。慣れるまで当分はこんなことが続くだろう。

土曜日といえばこんなこともあった。旧市街を散策していたら、美しいものを見つけてシャッターを切った。それは朽ちた分厚い壁に嵌めこまれたように存在するセルリアンブルーに塗られた木製の古い扉に覆いかぶさるように茂った蔓の群れ。春や夏には美しい緑を、秋には赤く葉を茂らす蔓であるが、冬は葉っぱのひとつも無く、ただ蔓だけがぼさぼさと群れている。それが美しく見えるのは錆び色だからだ。青に錆び色。そして朽ちた分厚い壁。ひとつひとつを見たらば大したものではないが、それらが寄り集まると、はっと息をのむほど美しかった。夢中になってシャッターを切っていたら、左手前で年配の夫婦が前を横切るのを待ってくれていることに気が付いた。それでカメラを下ろして待っていてくれたことに礼を言うと、妻の方が口を開いた。何かいい物でもあるのかしら? だから私は説明したのだ。朽ちた壁に嵌められた青い扉に錆び色の蔓の群れのこと、それらが集まることで美しい情景が生まれていることを。すると妻は、えっと、一瞬驚いて、それから言うのだ。この通りに住んでいて、此処を毎日歩いているけれど、そんなことには気が付かなかったこと。でも、こうして改めて見たら、確かに美しいこと。そして今まで気が付かなかったことに驚き、他にも見逃していることが沢山あるのではないだろうかと言った。人は皆価値観が違って当たり前。大切に思うことも違えば、美しいと思う観点だって違うものだから、自分の感覚を押し付けるつもりは全くない。寧ろ違うから面白い訳で、皆が同じだったら逆につまらないだろう。でも、此れだけは言えよう。見ようとしなければ見えないものが沢山あること。気が付こうとしなければ気が付かないことが沢山あるということ。美しいことも、そうでないことも。素晴らしいことも、そうでないことも。夫婦は私を相手に少し立ち話をして、いつか再びどこかで会えるといいね、だって小さな街だもの、と言って、歩き去った。土曜日はこんな風にして散歩をするらしい夫婦が、これから少しづつ見慣れた通りに、見慣れたボローニャの街に小さな美しいもの、素晴らしいものを見つけていけたら良いと思う。そして私も、慣れてしまった自分の生活や見慣れてしまった私の街から、小さな素敵を見つけていきたいと思った。

今夜は満月。月明かりが冬の暗いボローニャを照らしている。今夜の月が、一体どれだけ私を勇気づけているか。月はちっとも知らないに違いない。


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