散策

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土曜日。長く忙しい一週間の疲れが出たらしく、目覚ましのアラームが鳴ったのに起きることが出来なかった。その前の週末は熱を出して寝込んでいて、土曜日を堪能することが出来なかったと思いながら天井を眺めていたら、びっくりするような鳴き声がして飛び起きた。にゃおーん。猫だった。いつもは週末ともなると朝寝坊を許してくれるのに、相当空腹だったのだろう、その小さな体に見合わぬ大きな鳴き声で訴えたのだ。はいはい、お待ちください。もう少しベッドの中でぐずぐずしていたかったけれど、諦めることにした。雨の予報が出ていたけれど、地面は乾いていた。これはいい。土曜日に雨だなんて残念過ぎる。猫に食事を与えると自分の為に朝食の用意をして、時間を掛けていただいた。土曜日の朝は時計を見る必要が無い。これは本当に素敵なことだ。家の中の整理整頓をして、さて、本でも読もうかと思ったところで気が変わった。散策に出掛けよう。先週末は散策をしていなかったから、と。いつもと違うコートを着て出掛けたのは、一種の気分転換の為だ。平日と週末。何かで区切りをつけたかったのである。それは案外悪くないことだった。いつもと違うということで足取り軽く、気分も軽く、いかにも週末って感じがした。

バスが旧市街を取り囲む環状道路を横切ったところで下車した。今日は歩く日。ポルティコの下を沢山歩こうと思ったからだ。パキスタン人経営の小さな食料品店の前を通り、バールの前を通り、花屋の前を通り、バスの停留所三つ分歩いた。久しぶりだったので疲れたが、気持ちの良い疲れだった。いつものバールに行ってカップチーノと小さな菓子をふたつ頂き、そうして少し先に行くと、ギターを弾きながら歌う男が居た。私が彼の前で足を止めたのは、味のあるギターの音色、そして彼の歌が気に入ったからだ。じきに通行人が足を止めて、あっという間に彼を沢山の人が囲んだ。曲が終わった時の大きな拍手に私はちょっと感動したのだが、一番驚いたのは彼自身だったようだ。次から次へとギターケースにコインが入れられて、そんな様子を眺めながら彼は今どんな気持ちなのだろうと想像した。そのうち体が冷えてきて私は再び歩き始めたが、もう一度彼の歌を聴きたいと思った。来週の土曜日も此処に来れば聞けるのだろうか。そうであればいいと思った。街に連なる店の冬のサルディはまだまだ続いている。一枚セーターを新調したいと思って気に入りの店に入ってみた。小さな店だ。シンプルでいいものを置いている。流行ものはない。それが実に私好みなのだ。2週間前に店に来て色々試着したのだが、何も購入しなかった。それなのに、そのうちのひとつが忘れられず、店に舞い戻ったという訳だ。セーターはあったが自分のサイズがなかった。当然といえば当然。諦めようとしたところで、店の女性が言った。探してみましょう、来週電話で知らせますから、と。此の店の素晴らしいところはこうしたサービスで、以前にもこんな風にして探してもらったことがある。期待し過ぎない方が良いとは思いつつ、良い知らせの電話を貰えることを期待するのだ。散々歩いて家に帰ったのは夕方だった。やはり土曜日は散策がいい。家に閉じ籠もっているなんて私には似合わない。元気な限り、雨が降らない限り、私は土曜日の散策時間を大切にしたいと思う。

沢山歩いて、くたくたになって、今夜はヴェネト州の赤ワインの栓を開けた。先日、知り合いのミケーラから貰ったワインだ。美味しくて柔らかくて、グラス一杯でとどめるのに苦労した。ワインは好きだけど、ほどほどがいい。私にはグラス一杯が丁度いい。




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魅力的

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驚くほど冷たい朝だった。10月というのはそういうものだっただろうか、と朝食のカッフェを淹れながら思った。俄かに木の葉が揺れていた。風が少しあるらしい。なかなか晴れぬ空を眺めていると、重い腰がもっと重くなってしまいそうだった。最近、私は少し出掛けるのが億劫になっている。長らくなかった現象だ。家が居心地が良いからだろうか。古い家だけど、狭い家だけど、今の家は本当に居心地が良くて、うっかりすると外に出る気が失せてしまう。いけない、いけない。元気なうちは外に出なくては。自分の足を使って歩かなくては。色んなものを眺めて、色んなことを感じて、考える。そういうことは私にとって大切だった筈。そんなふうに自分に言い聞かせると、手短に身支度をして外に出た。

もう昼になっていた。目を覚ますのが遅かったせいだ。最寄りのバスの停留所へ行くと、その背後にある床屋のモレーノが昼の休憩中の札をガラスの扉にかけて出てきた。久しぶりに見る彼は顎髭なども生やしてなかなか格好いい。床屋という職業柄、髭の手入れはお手の物なのだろう、大変手入れが行き届いていて、決してむさ苦しい感じはしない。イタリア男性は髭を生やすのが好きだ。そしてイタリア女性は髭のある男を格好いいと多少ながら思っている節がある。ただ、この髭には条件がある。生やせばよいというものではない。生やす以上は手入れをせねばならぬ。しかもきちんとし過ぎていないように手入れをするのだ。これがお洒落に見えるか見えないかの瀬戸際。モレーノのそれは、正にお洒落の正統派だ。やあ、元気かい。ハンチング帽を被ったモレーノが片手を上げて挨拶を投げかけた。元気よ。今日で夏時間も終わりよ。私が返事をすると、そうなんだ、夏時間が終わってしまう、それが問題なんだよ、と言いながら大通りをひょいと横断して道の向こうにできた新しいカフェに吸い込まれていった。モレーノのいう問題は、何だろう。夜になるのが早くなることだろうか。爽やかな印象の夏時間が終わってしまうという、気分的なものだろうか。それとも私のように、僅か1時間違うだけで、暫く時差ボケで生活リズムが狂うのだろうか、モレーノも。
旧市街は賑わっていた。特別な催し物はないのに、七つの教会群の前の骨董品市があるわけでもないのに。恐らく皆、この秋の日を楽しもうと思っているのだろう。散策に一番適した季節。いくら歩いても汗をかかない、全く有難い季節なのだから。夏以来、歩いていない界隈を歩いた。ポルティコの下の店先に、たくさんの花が並んでいた。おもなる花の種類は菊。地味だったり寂しげな印象はなく、大輪で咲き誇ると言った表現がぴたりとくるような菊の花だった。菊をこれほど美しいと思ったことはない。そして、菊をこれほど魅力的だと思ったこともない。大変優雅でヨーロッパ的な大輪の菊は、まるで1600年代の貴婦人のようだと思った。その美しい菊のすぐ近くには、低い椅子に座ったバールの客。菊が美しいことに気づくこともなく。それとも彼はこのバールの常連で、毎日のように菊の花を見ているから、見慣れてしまったのかもしれない。どちらにしても隣の花屋の花を眺めながらカッフェや食前酒を楽しめるこのバールの客は大変幸せである。そうだ、今度花を買って帰ろう。久しぶりに家に花を飾ってみよう。散策の間、ずっとそんなことを考えていた。

今夜、夏時間が終わって、冬時間になる。単に元に戻るだけなのに、何か大切なものを手放してしまうような後悔の念に駆られるのは、何故だろう。引き留めることが出来ない自分の無力みたいなものを感じるのは、どうしてだろう。




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古い店

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昨日は正午まで眠ってしまい、多少ながらの罪悪感と自己嫌悪を感じながらも、必要だった睡眠と称して俄かに元気を取り戻すと、穏やかな気候に誘われて外に出た。散策、というよりもずっと行きたかった店に行くためにだった。店はボローニャ旧市街の中でも西側に位置している。私の住まいがボローニャの南東に位置していることもあって、思い切らないと足を延ばせないのである。例えば仕事帰りにしても、ちょっと都合の悪い場所で、だから行きたいと思いながら半年以上も延ばし延ばしになっていた。まあ、半年も延ばせるのだからそれほど必要でなかったのかもしれないけれど。

店は戦前から営まれている。Corameriaの種類に店に属していて、直訳すれば皮革製品の店だろうか。別に革製品を販売しているでもなく、寧ろ革製品を手入れするための用品や靴を履きやすくするための用具を置いている。店の構えは古く、本当に小さく、天井の低いポルティコの下を歩きながら注意していなければ、うっかり見過ごしてしまう程だ。ただ、大抵の場合、店の外にまで人が溢れていたり、昼休みが終わるのを待っている客が店の前に突っ立っているので、うっかり屋さんの私でも見過ごしたことはまだ一度もない。こんな小さな店で、私にしては不便な場所にあるのに、何故私が知っているかと言えば、以前、旧市街で鞄を購入した際に店の人が教えてくれたからだ。この鞄は何で手入れをしたらいいかと訊く私に、店主が小さなボトルを見せてくれた。これだよ。これを使うといい。何処で購入できるのかと訊けば、いつか散策中に見掛けた、小さくてぱっとしないあの店だと分かった。店主が言うには、革製品の手入れのことなら、あの店に行けば何でも手に入る、ボローニャではあの店が一番だ、とのことであった。店主に勧められたその足で店に行ってみたところ、小さな店内が客で混み合っていて驚いた。どうやら店主の言葉は本当らしい。列の最後列に並んで、薦められたボトルを購入した。もう何年も前のことである。昨日私が購入したかったのは、其のボトルだった。革製品の手入れのクリームだった。店は昼休みを終えたばかりで、店が開く前から待っていたらしい客達でごった返していた。店主なのか、店に居た年配の女性の革製品の手入れに関する知識の深さには、舌を巻くばかりであった。店では製品を預かって手入れもしてくれるらしいけれど、お金が沢山かかるから、まずは自分でしてみるとよい、と彼女は客に説明していた。随分と良心的な店だと思った。私が店主なら、喜んで引き行けてしまうのに。店の儲けに繋がるのだから。彼女は客にこれをこのように使うこと、布はどのようなものを使うこと、そしてこんな風に布を革の上に滑らして、と手入れの方法を教えている。まあ、こんな具合だから店が大きくなることもないけれど、潰れることもないのである。ようやく私の番が回ってきて、例のボトルを買い求めた。そこで彼女は少し首を傾げて私に訊いた。このクリームのことは何処で知ったのか、と。それで随分前にあの店で鞄を購入した際に、これを紹介されて、それでこの店のことを知ったのだと話すと、ああ、と驚いたように目を開いて、そういえば前にも同じことをあなたに訊いたわね、と言った。驚いたのは私の方だった。もう何年も前に、本当に随分前に一度来ただけの客との会話を思い出した彼女に。あれは確か冬の、寒いけれど夕日が暖かい色だった土曜日の午後のことで、確か5,6年前のことではないだろうか。そんな客との話を覚えているなんて。そして手に入れたボトルはあの当時から全く値上げされていなかった。これもまた私を驚かせてくれた、でも分かったのは、こんなだからこの店は愛されているのだと言うことだ。どんなにいくのが不便でも、多分私はこの店にまた数年後足を運ぶのだろう。

今夜、暖房が壊れた。昼間は暖かくも、晩には暖房は必要だ。体を冷やさぬうちに、さっさとベッドの中に潜り込むことにしよう。




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Strada Maggiore

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朝から快晴。数日前から急に気温が上昇して、昼間は半袖で過ごせるようになった。気持ちの良い初夏のような気候を一跨ぎして、夏になってしまったかのようだ。日差しの強いこと、湿度の高いこと。少し動くと汗ばんで、不快といえば不快、しかし快活な季節と言えば全くその通りだと思う。テラスに続く大窓を開放してレースのカーテンを引くと、風に膨らんだり萎んだりして楽しそう。そんな様子を眺めていると必ず子供の頃を思い出す。子供心にも気怠いと感じた夏の昼下がり。昼寝をしなさいと母に言われて寝転がってみるも、うとうとすることすら無い。ぼんやりと、レースのカーテンが膨らんだり萎んだりする様子を1時間も眺めていた。時には蝉が狂ったように鳴いていて、うんざりすることもあったけれど。子供の頃を思い出すとき一番初めに思い浮かぶのが、そんなことだ。

こんな暑い日の散策は、早い時間に家を出るに限る。そうと分かっていながら、あれもこれもと欲張って家のことをしていたら、昼前になってしまった。どうしよう。外に出るのをやめようか。一瞬迷ったけれども、思い切って家を出た。そのうち本当の夏がやって来て、暑くて外を歩き回るのが大変になるかもしれないから。この夏は恐ろしく暑くなる、というのが巷の噂だ。私がボローニャに引っ越して来た夏に43度を体験したが、そんな暑さになるのかもしれない。

旧市街は驚くほどの人だった。何か特別なことがある様子はないけれど、皆、にこにこして嬉しそう。手を繋いで歩く男女。これは若い人ばかりでなく年上の夫婦者も同じ。そうした様子を眺めていると、此処はイタリアなのだともう一度思う。そうした様子を眺めていると、心がぽっと温かくなる。旧市街の真ん中の2本の塔の横に走る、環状道路へと続く道、Strada Maggiore。この通りに私は案外沢山の思い入れがあって、時間を見つけては歩いている。環状道路へ向かって歩いていると古い古い教会に出る。古い教会ならば幾らでも存在するけれど、私はこの教会が好きだ。中も良いけれど教会の横に備わる幅の広いポルティコが飛び切り良い。ところどころにフレスコ画が残っていて、新しく塗り替えるのではなく丁寧に修復して、元々あった古いものを大切にする心が伝わってくる。ここを行き交う人々だって、そんな風に思っているに違いない。冬になると、ポルティコの下にクリスマスの市がたち、駄菓子やクリスマスに必要なものや、贈り物類を売る店が並ぶ。何を買うでもない、そうだ、今まで一度だって何かを買い求めたことは無いけれど、人の波に揺られながらその雰囲気を楽しむために一度は足を運ぶ。私の大好きな友人も、もう随分と会っていないけれど、冬になるとこの市場を冷かしながら歩くのが好きだった。彼女はこの教会を、私の教会、と呼んで、私にちょっとした感動を与えたことがあった。そんな風に呼ぶ人に今まで出会ったことが無かったからかもしれない。アメリカの生活を閉じてボローニャに暮らし始めた頃、この道を数え切れぬほど歩いた。相棒の両親が暮らす家はこの道をずっとずっと行ったところに在ったからで、勿論バスを使わねばならぬほどの距離だったけれど、この通りはバスで通過してしまうにはあまりにも惜しかったから、そして教会の少し先には小さな自転車屋と骨董品屋があって、それらは相棒の若い時代の友人たちの店だったから、たまに立ち寄るためにも、相棒とふたりで肩を並べて歩いた。暑い夏も、このポルティコの下はひんやりしていて、何時も此処で足を止めたものだ。此処の様子はあの当時と一寸とも違わない。道の向こうにある建物も、ポルティコも、教会も。変わったのは私達で、通り過ぎる車の色や型で、スカートの裾をひらひらさせながら自転車で疾走していくスタイルの良い若い女性で、ポルティコの柱に寄りかかって携帯電話を操作する学生だ。

帰りのバスに小さな男の子を連れた若い母親がいた。今週の木曜日で学校は終わりよ。母親が男の子に語り掛けたのを聞いて、はっとした。そうか、もうそんな時期なのか。学校が終わって長い夏休みに入る時期。あと数日で5月も終わってしまう、そんな時期に辿り着いた。




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静寂

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月曜日の夕方。誰もいない。こんな静かな場所があったなんて。




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