美味しいチョコレートをひとかけら

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やっと金曜日の晩を迎えて、ほっと一息。いつの間にか日没時間が遅くなって、仕事を終えて外に出たら空がまだ明るかった。冬の寒さは少しも弱ることがないけれど、冬のコートに身を包まずにはいられないけれど、革の手袋も帽子も欠かせないけれど、しかし確実に冬と春の接点に近づいているのだと思うと、ふふふと笑みが零れてしまう。今はまだ、花屋の店先でしか花を見ることはないけれど、そのうちこの辺りの街路樹にも花が咲き、行きかう人々の目を楽しませ、心を穏やかにしてくれるのだろう。春。春とは何と美しい響きなのだろう。温かい響き。心を躍らせるような響きがある。しかし冬があるから春が嬉しいのだと思えば、冬もまた必要な存在、有難い存在と言えよう。ただ願うのはボローニャに雪が降ることなく、穏やかに冬を締めくくって貰いたいということだ。

昨日、仕事帰りに旧市街に立ち寄った。理由らしい理由はない。しかし、家と職場の往復に嫌気がさしたというのが、もしかしたら理由に当たるのかもしれなかった。バスが旧市街に入ったところで下車し、ポルティコの下を歩いていたら急にチョコレートが欲しくなって店に入った。此処はジェラート屋さん。けれども店内に小さなテーブル席が幾つか設けられていて、そこでジェラートだけに限らず、カッフェや小さな菓子を楽しめるようになっている。この辺りでは有名な店だ、と思う。夏場はジェラートを求める客でウナギの寝床のような店の中は一杯になる。わりと高めの店でありながら、これほど人が入ってくるのはやはり上質だからなのだろう。そして手作りであることも理由かもしれない。私の目当ての半分はジェラート、しかし残りの半分はこの店の奥で作っているチョコレートなのだ。店は適度に混んでいた。小さなテーブルの上から板状チョコレートを二種類取り上げて店主に代金を払った。と、店主が言った。前に買い上げたチョコレートはどうだったか、好みだっただろうか、と。そういえば前に購入した。しかし前と言ってもちょっと前ではなく、10月だった。確かにあの日、私は板状チョコレートを購入して、店主に言われたのだった。このチョコレートの感想を次回教えてほしいと。それは決して新商品ではなかったが、私が求めていたものがなかったので、店主のお薦めチョコレートを購入したのだ。それにしたって店主の記憶力の良さには驚いた。もう4か月も前に来た客の顔を覚えているなんて。夏場は頻繁に顔を出すが、かと言って常連客でもない私のことを。それで、美味しかったが私はやはり此れが好きだ、口の中での溶け具合とか、苦みと甘さのバランスとかが、と言って今購入したばかりの板状チョコレートを見せた。うん、うん、これはやはり一番だなあ、と店主は満足そうに頷きながら言った。購入したものは、その晩、相棒と堪能した。これはなかなか良い、え? 何処のだって? と目を丸くして驚く相棒。ボローニャ生まれのボローニャ育ち。しかし車人間の彼は、車で侵入できない近年のボローニャ旧市街のことはあまり知らない。いつの間にか、外国人の私の方がボローニャ旧市街の通になってしまったことをちょっと複雑に思った。

さあ、今夜は早めにベッドに入ろう。明日は友人と旧市街を思い存分散策するから。同じ年齢の友人だが、どうも大変健脚らしい。そんな友人との散策中に、疲れたよう、もう歩けないよう、などと弱音を吐かなくていいように。充分睡眠を取っておかねば、と。




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道具と手入れ

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昨日の雨には参った。朝から晩まで降り続けて、雨空と人間の根競べのような一日だった。だから今日もそんな一日だったらどうしようかと心配していたけれど、昼前に空が明るくなり、雨雲はどうやらボローニャ上空から立ち去ったようだ。ああ、気持ちがいい。と大きな伸びをして、深呼吸する。空が明るいとこんなにも気分がいいことを、空が明るいことの喜びを、雨降りの後にいつも思う。もしかしたらば神様が、地上の人間たちに感謝の気持ちを忘れぬようにと雨を降らせるのかもしれない。

先日散策をしていて、ふと足を止めたのは、ガラス張りの窓の向こうに並べられた道具のせいだ。よく手入れされた道具。どんなふうに使われるのかは分からない。店はヴァイオリンなのかヴィオラなのか、兎に角弦楽器職人が営む店だ。昼休みらしく、店の中には人影がなかった。以前通り掛かった時は、奥で職人が作業をしていて、それをガラス越しに眺めた。私はこうした職人の作業する様子が大好きだ。これは子供の頃から少しも変わらない。
子供の頃、10歳にも満たぬ頃の話だ。ちょっと空き地に行くと職人の姿を見かけた。よく見かけたのは畳職人。危ないから離れていなよ、みたいなことを言われて、私は少し離れたところに立って何時までもその作業姿を眺めた。子供ながらに手際の良さや道具扱いのうまさなどに感心したものだ。どこに行っていたのかと訊く母に畳屋さんの仕事を見ていたと言っては喜んでいたことも覚えている。それにいい匂いだった。新しい畳の匂い。そんな子供時代を過ごすことが出来たのは、案外幸運だったと思う。
それから田舎に引っ越すと空き地ばかりだった。畳屋さんの姿を見ることはなかったけれど、その代わりに大工さんを見かけることが多くなった。空き地と思っていたその場所は、売られた土地だったらしい。そこに一軒家が建つらしく、基礎工事が済むと大工さんが毎日仕事に通った。しゅー、しゅーとカンナを掛ける音と、その動作が好きだった。そこでも私は危ないから離れているように言われたのだが、少し離れたところに佇んで、飽きるまでずっと眺めた。私達家族の家もこんな風にして建てられたのかと思いながら。一番好きだったのは、作業を終えた後に使った道具を綺麗にしてきちんとしまう瞬間だった。大切なものはこうして手入れをして長く使うんだよ、と教えてくれたのはもう老人と言ってもおかしくないほどの大工さんだった。大切なものは手入れをして長く使う。今の私が身の回りの好きなもの、大切なものを手入れして長く使うことのは、あの大工さんが教えてくれたからなのだと思う。いいことを教えてくれたと感謝している。

今週の土曜日に友人がボローニャにやって来る。アメリカに居た頃の友人で、最後に会ったのは多分25年ほど前のことだ。その後も手紙を交わしたりしたが、途中で途切れてしまった。それが数年前に復活して、ボローニャに一日だけ来てくれることになった。私達はどれほど変化を遂げているだろうか、などという一種の心配はよそに、とても嬉しく楽しみだ。一緒に真冬のボローニャを散策して、美味しいボローニャ料理でも頂いて、ちょっとワインで乾杯などして、ああ、また会えてよかったね、なんて思える一日になればいいと思う。そのためには、土曜日は是非とも晴れて貰いたいものだ。空よ。お願いだから。




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空の青い町

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驚くような青空。こんな青空が欲しかった。穏やかな日曜日に、こんな空を仰ぐことが出来て運がいいと思った。そんな空を眺めながら、リスボンのことを想った。穏やかな気候の、緩やかな空気の流れる街。

リスボンに初めて足を運んだのは確か15年ほど前のことだ。ボローニャからリスボンはこんなに近いというのに飛行機を乗り継いで行った。安い航空券のせいだった。3月のボローニャは春というには早過ぎて冬の分厚いコートが必要だったが、リスボンは風よけのジャケットの下にコットンセーターを着ていれば充分すぎる理想的な気候だった。青い空。街中に横たわる坂道。それはサンフランシスコ似たものがあって、私はあっという間にこの街の虜になった。
6年前だっただろうか、私は再びリスボンに飛んだ。今度は真夏の8月で、暑いボローニャから何もわざわざ暑いリスボンに行くこともないだろうと多くの人に窘められたが、こんな時期でもなければ長い休みを得ることが出来なかったのだ。16日間滞在した。カステラ屋の上階にあるアパートメントを借りて。毎日、のんびり起床して、のんびり朝食をとって、テラスから階下の通りの様子を眺め、ふらりと外に出て、気が向くと帰って来た。何をしなくてはいけないでもなく、何処へ行かなくてはいけないでもなく、日陰を探しながら気ままに歩き回った。古いカフェに入って、席にもつかずにカウンターでカッフェを立ち飲みするのが好きなのは、ボローニャでもリスボンでも同じだった。地元の人達と肩を並べていれば、色んな話が聞こえてくるものだから。昼間になると遂に日蔭は存在しなくなる。太陽の日射しから逃げるかのように、小さな食堂に入って、焼き魚や、ピリピリ辛い炭火焼の鶏を頂いた。レストランではなくて、食堂。近所の住人や、その界隈で働く人達が行くような低料金の食堂だったが、そう言う店で失敗したことは一度もなく、大抵店の人が何かを奢ってくれたり、隣の席の人がこれも食べてみろと分けてくれたり、楽しいことがひとつやふたつくらい存在して、料理は飛び切り美味しかった。それはそうだ、美味しくなければ近所の人や近くの勤め人は足を運ばないのだから。満腹になると再び散歩を続けた。時には風通しの良い店で夕方を過ごした。冷えたワインとチーズを頂きながら、店に出入りする人々の様子を観察した。リスボンの人々の足取りは軽快で、話している言葉は分からなかったが、此処は本当に居心地のいい街だと思った。何処まで続くのかわからぬような長く緩やかな坂道に、もう降参、と呟きたくなるころに到達した頂上から見た絶景。流れる汗を乾いた風が撫でて、疲れと絶景と風の心地よさに、へなへなと地面に座りこんでしまった。この街でなら、私は自然体でいられた。人より素敵なものを身に着けて気取って歩く必要はなかった。何処へ行っても顔見知りなどいない。それがどれほど快適だったかわからない。日陰ばかり選んで歩いたのに、散々日に焼けた。まるで子供時代に戻ったような日の焼け方だった。リスボン以外のどこへも行く予定のない私を一泊二日の旅に連れだしてくれたのは、カステラ屋の夫婦。そして同行したのは料理人の女性。このアパートメントに滞在しなかったらで会うことのなかった人達。こういう出会いがあるから旅は楽しいと何度も思った。縁があってのこと。こういう縁はお金では買えない。時間や運が生み出す賜物なのだ。
あの時同行した女性とは、今も細く長く繋がっている。海を隔てての付き合いだから、頻度に会うことはないけれど。その彼女がもうすぐポルトガルへ行くという。そんな話を聞いてから、私の心の中にはあの青空がチラリチラリと見え隠れしている。来年の夏あたりに行ってみようか、リスボン。あのカステラ屋はもう存在しないけれど、どこかに快適なアパートメントを借りて20日間ほど滞在したら、魂の細胞もリラックスするに違いない。
それにしても、来年の夏のことをもう考えているなんて。でも楽しいことに関しては、早いも遅いもありはしない。何時も楽しいことが心の隅っこを陣取っていたら、生活は楽しくなるものなのだ。そう私は信じている。

最近相棒と話をした。私達はずっとこれからもボローニャに居るのだろうかと。あと10年くらいしたら、私は空の青い町に、時間がゆるやかに流れる町に、肩の力を抜いて暮らせる町に住みたいと思っている。




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冬の夜の街歩き

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夕方の帰り道が辛い。身に染みる寒さというのか、兎に角、身体が凍ってしまいそうだ。だから、このところ、仕事を終えるとまっすぐ家に帰る。まるでそれが得策とでも言うように。しかし、それも金曜日の夕方ともなれば話が違う。寒くても疲れていても、旧市街へ向かうバスに吸い込まれてしまうのだ。そういう人は、きっと私だけではないに違いないのだ。

寒いのは苦手。でも暑いのよりは良いかもしれないと、ここ数年思うようになった。人間は少しづつ変化していくらしい。昔の私ならば決してそんなことは思わなかっただろう。そんなことを思いながら、橙色の照明に照らされた街を歩く。冬の夜の旧市街は幻想的で、これは他の何よりも美しいと思う。ツバメが飛び交う初夏の夕方の空も美しいし、秋口の乾いた、夏色の名残のある午後も美しいと思うけれど。
初めて晩のボローニャ旧市街をひとりで歩いたのはいつだっただろう。心細かった記憶はない。こんな美しいだなんて知らなかった、もっと早く知りたかった、そう思いながら歩いた。特にマッジョーレ広場には感激して、ひと気の少ない広場の真ん中にぽつんと立って色んなことを感じ取った。寒かったけれど、飛び切り寒かったけれど、寒い分空気がキリリと澄んでいて景色が研ぎ澄まされたように見えた。夜の広場に立ちすくんでいた私は、傍から見たら可笑しな人に見えただろうか。それともそんな時間に広場に居るような人は、多少ながらも共通した思いを持っていたかもしれない。
10年くらい前は遅い時は限りなく夜中に近い時間も旧市街を歩いたものだが、近年は遅い時間と言ってもせいぜい20時くらいである。家で夕食を頂くのが楽しくてならないからかもしれない。好きなワインと好きな食事。お喋りしながら時間をたっぷりかけて楽しむ。10年前の私は、気持ちが外へ外へと向かっていて、外で食事をしてばかりだったけれど。こういうことも、人間は少しづつ変化していくと思う理由なのだ。そう言いながら私の奥深くには子供の頃から少しも変わっていない部分もある。それはまるで自分の奥底に散りばめられた宝石みたいなもので、私は大切にしたいと思っている。

家の近くのパン屋さんで菓子を買った。この時期はカルニヴァーレの菓子が主で、林檎の揚げ菓子とか、兎に角揚げ菓子ばかりだったが、数種類選んで小さな紙のトレイに乗せて貰った。今週は目が回るような忙しさだったから、甘いものを少し。ちょっとしたご褒美だ。




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めまい

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風邪を引いたのか、それとも単なる疲れなのか、今朝はいつものように起き上がれなかった。体中に痛みが走り、ひどい頭痛だった。もうひと眠りしたらよくなるかもしれないと思って目を閉じたら、容易く眠りに落ちた。

ヒッチコック監督のめまいという名の映画が好きだ。初めて見たのは子供の頃。家族の誰かが見ていたのをちょっと見たら美しかったので虜になった。大人になって、初めての外国旅行でサンフランシスコへ行くと、私はその街に恋をして、いつかそこに住みたいと思うようになった。それだからこの街に関するものはすべて興味の対象となり、そうして思いだしたのが、子供の頃に見たあの映画のことだった。思いだすと居ても立ってもいられず、私は映画のビデオを購入した。当時の私の年齢からすれば、なかなか渋い趣味だっただろう。1950年代後半に撮られたこの映画を繰り返し見ていると、古い映画が好きだねえ、などと家族や友人に揶揄われたものだが、かまわなかった。映画の中のサンフランシスコは30年経った1980年代後半のサンフランシスコとあまり違わなかった。急な坂道。ハンティントンパーク。アイ・マグニンという名の高級デパートメントストア。ダウンタウンにある路地や花屋。それから小さなホテル。行きかう人々の装いや車の種類が違うだけで、30年も経つのに同じなのが不思議でならず、しかしそれだから私はこの街が好きなのかもしれないとも思った。それから数年経って、私はアメリカに暮らすようになった。あの映画はやはり私の憧れのような存在で、だから、元警察官の主人公スコッティの家の前を散歩がてら歩いてみたりしたものだ。当時と何も変わっていない建物を見て感激したり、今はどんな人が住んでいるのだろうと想像したり。そのうち私はイタリア人街のカフェに通うようになった。その後、私は相棒と知り合った。カフェの店主と相棒は大変懇意にしているらしく、私も店主や店主の妻と同席してカップチーノを頂くようになった。話題は最近の本のことや、映画のこと。それから休暇のことや、家のこと。そのうち私がヒッチコックのめまいという名の映画が好きで、それはもうビデオが擦り切れるほど繰り返し見たこと、スコッティが住んでいた家が今も同じように存在しているのを見て嬉しくなったことなど興奮して話すと、店主夫妻は顔を見合わせて、その家は今は僕らの家なんだよ、と言った。店主夫妻も同様、あの映画が好きで、だからあの家が売り出されるや否や、飛びついたのだそうだ。他のどの家よりもあの家が欲しかった。あの家に住みたいと思っていたらしい。修理はしたけれど外装はあのままにしておきたいのだと言った。居間にある暖炉もそのままだと言った。私は彼らの話を聞きながら、ああ、此処にも同じような人達が居た、と嬉しくなった。夢はそこまで行きつくとぷつりと切れた。目を覚まして夢だったと理解できるまでに時間が掛った。できればもう少し彼らと話をしていたかった。そんなことを思いながら遅い朝食にありついた。

あれから24年が経った。あの家には今も彼らが住んでいるのだろうか。あのカフェは今も存在するのだろうか。私が覚えているサンフランシスコは今もどこかに残っているだろうか。いろんな思いがグルグルと心の中で渦巻く、メランコリーな日曜日。




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