素敵見つけた

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散歩中に見つけた素敵。美しい木の葉が私の心を射止めて離さなかった。こんな上の方を見て歩く人は少ないのか、この木の下で足を止める人は居ない。そういえば、もう12年ほど前に郊外の散歩道を歩きながら、素敵な木の葉だ、素敵な枝だと喜ぶ私に知人が目を丸くした。知人はその街に住んでいて、幾度もこの木の下を歩いていたのに、一度だってそれに気が付いたことはなかったらしい。だって上の方など見て歩かないもの。だって歩いている時は前だけ見ているのだから。知人がそう言うので私は驚いてしまった。私は歩いている時に前だけを見ていることはあまりない。前のことを気にしながらも何時だって色んなところに視線が向いている。足元の時もあれば回廊の天井や空の時もある。通りすがりの店のウィンドウの時もあれば、すれ違う人々の装いや表情の時もある。だから頭の中が色んなことで一杯になってしまうが、それが私の収穫なのだ。眺めることや観察するのが好きな私は、前だけ見て歩くなんてことは到底できないのだ。この美しい葉はがはらりはらりと落ちるまでに、もう一度、散歩に来ようと思うけど、何時まで待って貰えるだろうか。今年のボローニャの秋は日本の秋に似ている、ような気がする。ゆっくりと通り過ぎる秋。私の目を楽しませる秋。秋がこんなに好きだなんて、知らなかったなあ。




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星空

今日は降るまいと思っていたのに、夕方遅くに降りだした雨。嫌な予感はしていたのだ、バスを待っている時に向こうの空を覆っていた黒い雲の群れを見て。そしてポツリポツリと降り始めた頃、バスがのろのろやって来た。客がすっかりバスに乗り込むと、待っていたかのように強い雨が降りだして、あっという間にアスファルトの路面が濡れて黒く光った。傘を持っていなかったから、救われた気分だった。明日はどうだろう。明日も雨は降るだろうか。

相棒が丸い物体を持って帰って来たのは先週のことだ。細いメタルのスタンドがついていて、テーブルに置くように出来ていた。何かなあ、と思いながらも私は夕食の準備に忙しくて、訊くタイミングを逃してしまった。そうして夕食を終えて、食器を洗浄機の中にすっかり収めて片付けが終わったところで、相棒が居間の中から私の名を呼んだ。何かと思って行ってみたら、居間の入り口の扉が閉まっていて、何事かと思って開けてみると中は照明も点けづに真っ暗だった。しかし、ほんのりと薄明るい。と思ったところで相棒が天井を指さした。暗い天井に無数の星が輝いていた。星の正体は、相棒が持って帰ってきたあの丸い物体で、それは星を映し出す映写機みたいなものだった。プラネタリウムを思い出させるような天井の星を眺めながら、ふと昔のことを思いだした。
私が相棒のフラットに住み始めて初めての初夏に私達は結婚した。すると居心地が悪くなったのだろう、丁度空いた隣のフラットに、一緒に暮らしていたイタリア人女性ブリジットが引っ越して行き、広いフラットに私達はふたりきりになった。広いベッドルームは、以前ブリジットが占領していた場所で明るくて美しかった。白い壁に空色の天井。ウォーキングクローゼットがふたつもついていて、明るいで窓があった。木製の床は飴色に磨かれていて申し分なかった。その中でもひときわ私を喜ばせたのは、天井だった。夜、ベッドに潜りこんで明かりを消したら、空色の天井は星空に変わった。それは蛍光塗料を塗った、星のステッカーが貼られて作られた星空で、明るい昼間には分からないものだった。そもそも私はブリジッドの部屋に足を踏み入れたことは昼間に一度あっただけだったから、天井がそんな具合になっているだなんて知る由もなかったのである。ブリジットが残していった私達への贈り物みたいに思えて、嬉しかった。
相棒が持ってきた丸い物体が、そんな昔のこと、24年も前のことを思いださせてくれた。様々なことを覚えているが、これについてはすっかり忘れていたから、飛び切り嬉しかった。聞けばこの丸い物体は、故障して修理の術がないからと言って、知人が捨てようとしていたところを相棒が待ったをかけて貰ってきたものだそうだ。こんな素敵なものを捨てるなんて、と夢中になってあれこれいじったら使えるようになったとのことだった。それでうちに持ってきた、きっと私が喜ぶだろうと思って。実際私は歓喜して、どんな贈り物よりも嬉しいと思った。タイマーがついているのは実に気が利いていると思った。夜ベッドに潜りこむ前にタイマーをセットして、明かりを消すのだ。そうして星空を眺めながら、穏やかな気持ちで眠りに落ちる。ここ数日、安眠しているのは星空のおかげ。朝の目覚めが良いのもこの星空があってならではのことだ。星空に乾杯。思いやりのある相棒にも乾杯。私は幸せ者だと思った。

嬉しい気分だから、明日は飛び切り美味しいチョコレートを買って帰ろう。勿論その前に立ち寄る歯医者の健診で問題が見つからなかったらのこと。可能性は、フィフティ、フィフティだ。




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銀色の月

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外が妙に明るいと思ったら、夜空に光る月。数日前に満月だった其れは、ほんの少しだけ欠けていて、銀色に輝いていた。銀色の粒子が地上に降り注いでいるような感じ。月明かり、と声に出してみたら、とてもロマンティックだと思った。東京の、原っぱのあるような場所に生まれた私は、父や母に月の美しさを教えられて育った。いったい何時まで信じていただろうか、月の中に兎が住んでいると。目を凝らすと月の中に兎がうろちょろしているのが見えたような気がして、あ、見えた、と言っては周囲の大人の笑みを誘ったものだった。この時期は、耳を澄ますと聞こえる虫の声が、楽しかった夏が終わったこと、そろりそろりと秋がやって来ることを知らせているかのようだった。そんなことを感じながら育った私は幸せな子供だったのだと今になって思う。今夜の美しい此の月に、どれほどの人達が気づいているのだろう。私と相棒と猫と、それから、それから。

それにしても、今夜の月が飛び切り美しく見えるのにはもう一つ、確かな理由がある。それは、週末の始まり。今夜は良い眠りにつけそうだ。




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サン・ルイ島を歩く

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不安定な天気の週末。北北東の風が雲の群れをぐんぐん動かす。雲の群れが太陽の真下を通るたびに地上はうす暗くなり雨が降るのではないかと心配するが、どうやら今日は雨の心配はないらしい。予報通りだ。それにしたって9月早々こんなに涼しくてよいのかと思うほどである。この夏、あまりの暑さに体調を崩した私としては、この涼しさは空からの贈り物。しかし一般的にはどうだろう。早く立ち去り過ぎた夏、早く来過ぎた初秋に戸惑ってはいないだろうか。話によればピエモンテ州の標高の高い辺りでは、早くも雪が降ったそうだ。涼しさを求めてやって来た夏の客たち。彼らの為に設けられたテラス席の日除けパラソル。鮮やかな色のゼラニウムの花が零れんばかりに咲いている其処に、降り落ちて積もった白い雪。早すぎた雪。テレビの画面に映された映像を見て、言葉を失ってしまった。

9月になると何か始めたくなるのは、今に始まったことではない。もう中学生の頃からのことで、それが4月でもなく、1月でもないと言うところが面白いと、9月を迎えるたびに思うのだ。恐らく、楽しかった夏を終えて心が落ち着いたところで、さあ、という気持ちになるのかもしれないと睨んでいるが、本当のところはあれから何十年経った今も分からない。
昨晩夢を見た。私はサン・ルイ島を歩いていた。パリを訪れているらしかった。そんな夢を見たのは、数年前の10月にサン・ルイ島のアパートメントを借りて、周辺をくまなく歩いたからに違いなかった。それから心の隅っこにあるフランスへの小さな憧れのせいでもあろう。そもそも私が持つサン・ルイ島の知識なんてものは微々たるもので、ボローニャのフランス屋の店主と妻が私に話してくれた程度の豆知識だった。しかし到着してみてわかったのは、コンパクトで実に味があって、私好みであること。小さな小さな店が連なり、客と言葉を交わしながら商売するのが実に私好みであること。朝晩の静けさは夢のようで、こっそりアパートメントを抜け出して歩いたものだ。到着した日に真っ先に足を運んだのは、ワインとチーズを売る小さな店。チーズの店ならもうひとつ、名が知れた店が在ったけれど、敢えて私は更に小さな店に行った。地元の人しか行かないような店だった。店主が一人で賄っているのか、先客が数人いたために辛抱強く待たねばならなかった。私にしてはかなり奮発した赤ワイン。それから5日間分のチーズ。辛抱強く待った甲斐があった。店主は実に丁寧に説明してくれたし、良いものを選んでくれたから。ただ、言葉が通じにくかった。なに、店主の英語が分かりにくかっただけだ。でも、店主が悪いんじゃない。私がフランス語を話せないのが悪いだけだった。私がフランス語を話せる客だったらば、どんなに楽しい話ができたであろう、と思ったのは、先客たちが皆、店主と楽しそうに話をしながらワインやチーズを選んでいたからだった。店を出て、ミネラルウオーターを買いに、アパートメントのすぐ近くの食料品店に行った。先ほどの失敗があったので、他の人達がそうするように、店に入るなりフランス語で元気良く挨拶をしてみたら、店主が大そう気をよくして色んなことを話しかけてくれた。ああ、分からないのよ、私、フランス語は挨拶しかわからなくてね、とイタリア語で返してみたら、どうやら理解できたらしく、いいんだ、いいんだと言うように肩をぽんぽんと叩いて、釣銭をくれた。店を出る時にフランス語で挨拶すると、店主が歌うように返してくれた。歌うように。そうだ、私にはフランス語は歌のように聞こえる。とても機嫌のよい滑らかな歌。そんな風にして過ぎていった5日間。夢の中の私は、やはりフランス語が分からない。話せない。通りすがりの人々の言葉に耳を傾けながら、入った店の店員と客が交わす言葉に耳を傾けながら、話をしたくてむずむずしている自分を夢の中にみつけた。高度なレベルは考えていない。街を歩きながら聞こえる言葉が少しわかる程度だっていい。言いたいことの1/10程のことを言える程度だっていい。20歳の頃に必須科目でとったフランス語は完敗だったけれど、今度は自分の為にするのだから、きっと少しくらいは習得できるだろう。それに9月なのだから。9月。そうだ、9月だから。いつかサン・ルイ島の食料品店の店主に挨拶以外のことも話せるように。

居間の窓の前の栃ノ木。私の大好きな木のひとつだ。眩しいほどの緑の葉に茂った栃ノ木が4月に花を咲かせ、実がなり、今では葉は茶色く枯れている。もう少しすれば葉が落ちて落ち葉ががカサカサ言いながら風に掃かれるのだろう、と思っていたのは一週間前のことだ。それが一昨日の夕方、仕事から帰ってきたら見つけた、茶色い葉をつけた枝の先に存在する緑色の葉、そして花を。ひとつではない、枝という枝の先っぽに。どうしたことだろう。この家に住むようになって3度目の9月だが、こんなことは初めてだ。何か良いことのある知らせと勝手にポジティブに受け取ることにしたが、さて、どうだろう。




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カフェ

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夏の休暇真っ最中と言うのに、割と早めに起床して旧市街へ行った。10日ぶりだろうか、それとももっとだっただろうか、兎に角、久しぶりにボローニャ旧市街を歩いて新鮮な気分だった。見慣れた街並みも歩きなれた小路も、数日とはいえ離れてみると、懐かしく感じるものだ。愛おしくさえ感じるのは、私が知らぬ間にボローニャに愛着を持った証拠かもしれない。このポルティコも、あの石畳も、ちょっと特別に見えた。殆どの店がシャッターを下ろしていて、それからその隙にという訳なのだろう、旧市街のあちらこちらが工事中だった。食料品市場界隈の2軒続きの魚やの前の道が掘り起こされていた。早く終わらせて貰いたいものだ。街に人々が戻ってくる前に。そして魚屋が夏季休暇から戻ってくる前に。

昔は8月15日のFerragostoを境に夏が去っていくと言ったそうだ。しかし私が知る限り、Ferragostoを過ぎたってボローニャの暑さが弱まることはない。ただ、確かに夏の頂点を超え、私達の夏の休暇が終わりへと近づいていることは何となく感じる。それは例えば遅い午後の陽の色だったり、空が暗くなるのが一瞬早くなったり。そういうことで私の休暇も確実に終わりの方向に向かっているのを感じるのである。二度目の朝食をとろうと思って気に入りのバールへ行ってみたが閉まっていた。昨年も、その前の年も、この時期は夏季休暇だったから驚きはしない。ただ、とても残念だったのは確かである。このバールの菓子は、美味しいのだ。コルネットと言う円錐形のサクサクしたブリオッシュにクリームがたっぷり入っている。何時もこれを注文するので、一度店主に言われたことがある。シニョーラ、他のも食べてみてくださいよ。どれもこれも美味しいんですから。いつもそれを注文していることに店主が気が付いていたことに驚きながら、次回は他のを注文する、と約束したくせに、やはりいつもコルネットを注文してしまう。兎に角そのくらい、この菓子が好きだ。だから今朝はぜひともそれを頂きたい気分だったのだけど、願いかなわず、全く残念だった。私は二度目の朝食を諦めようと思ったが、歩いているうちに気が向いて、いつもは入ることのない店に吸い込まれていった。朝食の時間にはもう遅く、昼食の時間にはちょっと早い時間帯で、店はがら空きだったからだ。それからもうひとつ付け加えれば、道に面した部分をすっかり開け放って、とても開放的だったからだ。私はテラス席にはあえて座らず、店の中の壁際の、外の様子が見える席に着いて、カップチーノとブリオッシュを注文し、道行く人を眺めているうちに、ずっと昔、相棒と私がアメリカに暮らしていた頃のことを思いだした。
私とふたりの友人はある年の1月を機に共同生活を解散した。ひとりはアメリカ人家族の家にオペアとして住み込み、ひとりは恋人と暮らし、私は相棒のフラットに移り住んだ。私は相棒も好きだったが、このフラットも大好きだった。だからそこに移り住むのは実に嬉しいことだった。フラットの作りも場所もよかったし、他の住人も大変好ましかった。実に干渉せず、実に好感の持てる人達。その証拠に、私達がいがみ合ったことは一度だってなかった。フラットを出て1ブロックの角を左に曲がるとじきに小さな店が並ぶ界隈になる。大好きなタサハラベーカリー、それからフィリピン人が経営するクリーニング店、家族経営の小さな中国料理店、向かい側にはイラン人が経営する大きなグロサリーストア、金物屋さん、酒屋さん。その辺りにZazie Caféがあった。Zazieは私がその界隈に暮らし始めた前にの年にオープンしたばかりだったが、その雰囲気の良さ、店主の感じの良さ、それからフレンチスタイルの朝食の素敵なことから、あっという間に住人たちの気に入りの場所となった。サンフランシスコによくあるタイプの店の作りで、扉の左右がガラス張りの出窓になっていて、この場所を獲得できたら大そう幸運だったものだ。初めて相棒に連れていかれたのは何時だっただろう。朝食は家で、気ままな姿でのんびりとるのが好みの私は、朝から外に出てカフェで朝食だなんて、と随分渋った記憶がある。いいから、いいから、ついてくれば分かるから。そういって私を引っ張り出した相棒だったから、Zazieのあの特別の席に座って、大振りの器に入れられた美味しいカフェオーレに歓喜した時は、実に満足げであった。ほうらね、言ったじゃないか。そんなことを言われた記憶がある。店主は素敵な女性で、気さくなひとだった。皆が満足しているのを確認しながら、ひとりひとりに声を掛けた。素敵な朝食、美味しい朝食。朝食を終えてフラットに帰る途中、友人や知人に会ってZazieで朝食を終えてきたところだと言うと、あの出窓の席に座ったんじゃないだろうね、と訊かれた。それくらいあの店のあの出窓の席はこの界隈の住人にとっては憧れの場所だった。そういえば、Zazieの並びの大きな文房具屋の隣辺りにSpinelliという名のコーヒーショップがあった。この店は持ち帰りのコーヒーを売るだけの店で、店に面してカウンターがあって、客は歩道に並んでコーヒーを買った。散歩しながらコーヒーを飲むとき、持ち帰りたいときはSpinelli。コーヒー豆の煎り方が少々強すぎるような気がすると言って私は好まなかったけれど、Spinelliは確実に住人の心をつかんでいて、持ち帰りコーヒーの座を勝ち取っていた。どの店もが繁盛していて、だから互いの店の人同士も大そう仲が良かった。のんびりした空気が流れていたあの界隈。あの界隈に欠かせない3つの店だった。私のあの界隈の思い出には、必ずこれらの店がちらちらと顔を出す。
気まぐれで入った店ではあったが、なかなか居心地が良かった。こうした開放感はお金では買えない。こうした緩やかな時間もまた、お金では買うことが出来ない。いい時間を過ごさせてもらったと言って勘定を済ませると、店の人が顔中に笑みを湛えて喜んだ。

あまり天気が良いので居間のカーテンを洗濯した。すっかり乾いて綺麗になったカーテンを吊るしながら、これも夏の恩恵と思う。3時間でカーテンが乾いてしまうなんて。そのうち冬がやってきたらば、今日のことを懐かしく思うだろう。




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