地面の匂い

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猫も私も、まるで怠け者のようにぐーたら過ごした土曜日。いいや、猫の方がずっと怠け者だった。と私は思っていたが、相棒に言わせてみれば、どちらも甲乙つけがたいほど怠け者だったそうだ。あまりに暑くて体力が低下した土曜日。夜中も寝苦しくて、翌朝の目覚めは酷かった。ひどい頭痛だった。食欲もない。私の胃袋は人より小さめだけれど、食欲がないことは滅多にないから、これは一大事だった。どうやら暑さにやられたようだった。
昼を回る頃になると雲行きがおかしくなった。今朝ほど向こうの方にあった鼠色の雲の大群が、頭上に広がり蒸し暑い。この雲に沢山の水分が含まれているのではないかと疑いたくなるほど、蒸し暑かった。と、大粒の雨がひとつ。ひとつ落ちてきたと思った。すると、それが合図だったかのように次から次へと雨がばらばら落ちてきて地面という地面をあっという間に黒く濡らした。雨に濡れた地面の匂い。私の好きな匂いのひとつだ。この匂いが、私を遠い昔に運んでくれる。

遠い昔に暮らしていたサンフランシスコの街には、いくつもの本屋が存在した。本が好きだから、本屋の存在は探さなくとも視界に飛び込んできた。ノースビーチの小さな本屋もよかったが、私は町の中心の、坂道に面した本屋が好きだった。訊ねない限り店の人に話しかけられることもない。それが心地よいと思っていたのは私がまだ言葉を十分習得していなかったからだ。
この店に初めて入ったのは、全くの偶然だった。何処かへ行った帰り道か、誰かに会って別れた後にひとり歩いていたら、急に雨が降り始めた。いつもは霧雨くらい、小雨くらいなんともない、と傘もささずに雨の中を粋がって歩くのに、こんな強い雨では太刀打ちできぬ、と店の軒下に駆け込んだ。乾いたアスファルトが濡れる匂いがした。久しぶりの雨だった。そのうち雨脚はさらに強くなり、横に立っていた見知らぬ雨宿り仲間が店の中に入って止むのを待つかと呟きながら店の中に吸い込まれていったのを見て、そうねえ、私もそうしよう、と後に続いたのがこの店との出会いだった。雨宿り程度で中に入ったが、折角だからと店の端から端まで歩いてみた。そして分かったのはこれと言って拘り品を置くでもなく、ごく一般的なものばかり、だけど中央に置かれた本は半額にも下がっていて魅力的だった。今は書物をネットで読むような時代になったけれど、26年も前のあの頃は、本はやはり本であって、手に取って熟読して、ページをめくる、それが喜び、楽しみのひとつだった。だから本屋が不景気のためにクローズなんてことは考えられなかった、そんな時代だった。私が手にしたのは写真集だった。分厚い立派な写真集が、数ドルで購入できるなんて夢にも思っていなかったから、酷く驚いたものだ。写真家がこれを知ったら残念がるに違いない。それとも多くの人の手に渡って自分の写真を堪能してもらえるならば、それも良いと思うだろうか。そんなことを考えながら、ついにそれを購入することなく、雨が止んだのを機に店を出た。雨上がりの街は急に涼しくなって、駆け足で夕方がやってきそうな感じがした。雨上がりの街を歩きながら、ジャケットもカーディガンも、スカーフですらカバンに入れてこなかったことを反省しながら、家へと急いだ。そんなことを今でも覚えているのは、あの写真集を購入しておくべきだった、と悔やんでいるからだ。手元になくても困ることはないけれど、手元にあれば、時にはそれを開いて堪能することができただろう、と。

今日の雨は案外真剣に降った。もしかしたらこの界隈だけかもしれないけれど。少なくとも周辺の木々は枝を元気に伸ばして喜んでいる。それからテラスの並べられた植物たちも。それにしてもその後に残された湿度と言ったら。どうしようもない、という表現がぴったりだ。そして雨の後の入道雲の美しさと言ったら。こんな入道雲を見ることができるならば、暑い夏も悪くない。




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髪を切る

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週末なのに早起きするのがこの夏の決まり。暑さにめっきり弱くなって、暑い時間帯は何も手につかぬようになったのを機に、自ら決めたこの夏のルールだ。早起きをして朝のうちに色んなことをしてしまおう、というのではない。気温が上がって気持ちがくじける前にさっさと外に出掛けよう、という訳だ。週末は朝寝坊を楽しむのが好きだった私が、急に早起きしだしたのを相棒は相当驚いている。そのうえ、いそいそと出掛けていく。暑くなる前に、と幾度説明してみても、相棒の疑惑がすっきり片付くまでにはもう少し時間が掛るようだ。

今日は髪を切りに行った。人は皆、まだ切る必要はないと言うけれど、私は短い髪が好きなのだ。それに6週間も経てば、髪型というものは多少なりとも崩れるし、痛みもするそういうのをひっくるめて、専門家に頼もうという訳なのである。今年の春先に今まで通っていた美容院に行くのを辞めて、新しいところに通うようになったのを私はとても喜んでいる。とても感じが良いし、無駄口が少ない。他人の噂話が耳の中に飛び込んでくることがないことだけでも、この店で髪の手入れをしてもらう価値があるというものだ。
思えば私の髪切り好きは私の子供時代に始まったことなのだと思う。5歳くらいまでは母親が庭で髪を切ってくれた。ちょきん。ちょきん。と、そんな具合に。だからいつだって代わり映えのないおかっぱ頭で、他の髪形にしたいと希望したら、次から店に行くようになった。それは小さな床屋だった。あの時代は女の子も床屋に通う時代だったのだろうか、と思い返しても、床屋に通っていた女の子など姉と私しか思い当たらない。床屋の入り口にはよく吠える犬が繋がれていて、まるで店に入るなと言わんばかりの吠えようだった。犬はそんなであったが床屋の店主は感じが良くて、機嫌よく髪を切った。ちょきん。ちょきん。と結局は母と同じくおかっぱ頭が出来上がってがっかりだったが、しかし店に行って髪の手入れをしているという事実が、早くも芽生え始めていた女の子としての自覚を喜ばせていた。両親は倹約家だったから、服が欲しいとか、本以外の何かを欲しがっても決して財布のひもを緩めることはなかったけれど、髪を切りに行くことには寛容で、そんなこともあってひと月に一度髪を切りに行くのが習慣になった。あれが始まりだ、私に髪切り好きは。靴も鞄もめったに新調しないけれど、髪を切ることには財布のひもを緩めるのは、あの頃の両親と同じだ、と思いだして笑ってしまった。この子はいったい誰に似たのだろうね。変わった考えの持ち主の私をいつも父と母が言っていたけれど、なんだ、私はやっぱり父と母に似ているのだ。髪を切ることも、銀座が好きなことも、千疋屋フルーツパーラーが好きなことにしても。あれもこれも私の両親が私にさりげなく教えてくれたことなのだ。
ところで今回も大変短く切った。髪を切ってくれるアランという名の人は、私から好きなように切ってくれればいいと頼まれるのを、心から喜んでいるかのように張り切って楽しそうに髪を切ってくれた。その彼の様子を眺めるのは、私にとっても楽しいことだった。帰り際に6週間先の予約をした。そんな先の予約をする人なんていないだろうと思っていたら、どの日にも予約が書き込まれていて、私と同じようにこの店を大そう気に入っている人が沢山いることが分かった。まさかボローニャで、こんなに気に入りの店が見つかるとは夢にも思っていなかった。

午後になって風が吹き始めた。涼しい風だと喜ぶと、ポーランドからの風だと相棒がった。先ほどテレビのニュースか何かで言っていたらしい。ポーランドからの涼しい風だ、と。しかしまた随分と遠くから吹いてくるものだと笑う私に、アフリカからの風が存在するのだからポーランドからの風が存在しても可笑しくはないと、相棒は言った。成程、そうかもしれない。こんな話をする時、ここが本当に欧羅巴であることを、私は深く感じるのだ。




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望み

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何が素晴らしいって、金曜日の今日が祝日で、今週末は3連休であることだ。これがアメリカならば、ラジオのDJが幾度となくLong weekend、しかもLooooong weekendと喜びを倍増させるような陽気な口調で言っているに違いない。それにしてもこの天気。のびのびとした、冬には望めない開放感。これが素晴らしくないわけがない。昼間の日差しはもう夏のものだ。テラスに咲きこぼれるジャスミンとジェラニウムの花が、この良い気候を満喫している様子を眺めるのが好きだ。今日はそんな様子を眺める時間の余裕があるこということだ。眺めて堪能する心の余裕もあるということだ。今日の祝日に感謝。

テラスへと続く大窓のカーテンが風で膨らんだり萎んだりする様子を眺めているうちに思い出したこと。私が相棒と暮らしていた、アメリカのフラットと、それからその前に友人たちと3人暮らしをしていた坂道に面したアパートメント。どちらも大好きだった。後者の方は、それは友人とふたりで探しに探して得たアパートメントだったこともあって、それはそれは大切で、思い出深い場所。前者の方は相棒が、70年代終わり若しくは80年代初めからずっと住んでいたフラットだった。そんな前から住んでいたものだから家賃は上がるも微々たるもので、私が其処に暮らすようになった当時の私達の家賃と言ったら、近所の家賃の半分にも満たなかった。居間、寝室がふたつ、キッチンがあって、洗濯機と乾燥機を置くスペースがあって、その近くに備え付けられた扉の向こうにはテラスがあった。テラスは隣の家と共有で、つまりはテラスをつたって隣の家に遊びに行くこともできるようになっていた。そうだ、隣の住人が、朝の8時に扉を叩くので開けてみたら、コーヒーに入れる砂糖がない、少し分けて貰えないだろうか、なんてことがあった。そういえば私も一度同じようなことをした。夕方パスタを茹でようとしたらロックソルトがない。これを購入するには遠くまで行かねばならなかった。今はどうだか知らないけれど、当時はロックソルトがどこにでも売られているという訳ではなかったのだ。だから、隣のに住むイタリア人に分けて貰うのが得策だった。キッチンに備え付けらてていた食器棚は建物が作られた50年代からのオリジナルで、大変味わいがあった。そういえばガス台も昔ながらのもので、古い映画に出てくるような、ちょっと丸みがあっていかしていた。古い建物なので床がギシギシいうこともあったけれど、ワックスを塗って磨くと飴色に光って美しかった。あの建物にずっと住みたいと思っていたのは私達ばかりでなく、ほかの住人達も同様で、それから遊びに来る私達の友人知人たちにしても、この家に住みたい、誰か出ていく住人はいないのかと常に目を光らせていた。昔はどうってことのない界隈だったが、知らぬうちに随分と洒落た界隈になりあがったらしい。ずっととあの家に住みたいと思った理由のひとつは風通しの良い家だったからだ。緩い風がするりと通り抜けるような家だった。家のつくりがそうだったのか、土地柄そうだったのか、私にはわからない。私がボローニャにきて何が恋しかったって、あの家の中を通り抜ける緩い風と、そんな風が通り抜ける家だった。ボローニャにはそんな家はないだろう、と諦めていた。昔住んでいた田舎の家も、10年住んだボローニャの家も、そのあと住んだピアノーロの家も、私が望んだものは得られなかった。諦めてずいぶん経って忘れかけていたけれど、私は偶然手に入れた。緩い風が通り抜ける家。今住む家のことだ。そんな家だとは住んでみるまで思いもよらなかった。相性がいいことには気づいていたけれど。巡り巡って20年以上経って、やっと鞘に納まった、そんな感じ。案外、そんなものなのかもしれない。望んで望んで一生懸命な時には手に入らなくて、肩の力を抜いて気楽にいこうなんて思った頃に、ふと手の中を見てみたら望んでいたものが入っている、なんてこと。

それにしても、もう6月だなんて。夕方を遅くまで楽しむ月になった。




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拘り

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夕食を準備していると時々思うことがある。それは私は単純で、そして案外幸運な人間だということだ。誰にでも拘りのひとつはあるだろう。例えばコートの肩のラインはこうでなくてはいけないとか、革のベルトの縫い目とか、絹のスカーフの発色や手触りとか。私の拘りはそんな立派なものではない。大変身近なもので、笑ってしまうほど単純だ。ひとつはアスパラガスの茹で加減。絶妙なタイミングで茹で上がった日は、何という幸運、とまで思う。簡単そうで簡単ではない。そんな拘りを持っているから、相棒も茹で上がったアスパラガスを黙々と堪能しながら食してくれる。もうひとつも似たようなものだ。パスタ。パスタの茹で具合に非常にうるさい。うるさいのは相棒ではなく、私の方で、一瞬でも湯から引き上げるのが遅れてしまってはならぬ。茹で具合を試しながら、うーん、あと20秒、などというと居合わせた友人達はお腹を抱えて笑うけれど、それ程パスタの茹で具合は大切だ。30秒ではいけない。20秒きっかり。そうしてうまい具合に茹で上がったパスタを食する喜び。幸せだと思う。そういう訳で私はほぼ毎日幸せを感じることができるのである。単純であるがために幸せを人より多く感じることができる、というと丁度良いかもしれない。

ところでこんな風に茹で具合にひどく拘るようになったのはイタリアに暮らし始めて、数年経ってからのことだ。私と相棒は山の友人ジーノと頻繁に交流していた。時には私達が山へ行き、時には彼がボローニャの私達のアパートメントに来て、昼食や夕食を共にした。そのうち彼の弟夫婦がナポリからボローニャに移り住み、時々一緒に食事を共にするようになった。若い夫婦で、ボローニャでの新しい生活に希望をたくさん持っているようだった。ある日、弟夫婦が自分たちの家に来ないか、夕食をご馳走するよ、というので行ってみた。ふたりはボローニャ郊外の山の、小さな村に小さなアパートメントを借りていた。本当に小さなアパートメントだった。太陽が降り注ぐナポリからやってきた夫婦は、昼間でもあまり太陽の光が入らない此のアパートメントは湿気だらけで嫌いだと言った。湿度は、建物が岩に張り付くようにして建てられているからで、ふたりが借りていた住まいは丁度岩に接する部分だったからだ。太陽の光が当たらないのは、この家に限ったことではなく、村全体が太陽の光から逃げるようにして存在していた。皆、悪くない、なかなかいいじゃないかと言うけれど。唯一の救いは兄さんの家が近い。だから僕らはここにいるけれど、君はどう思う、と私に訊いた。どうやら第三者の、外国人の意見を知りたいらしかった。私は太陽の光の入らぬ家も、湿っぽい家も気分が塞ぐから嫌だ、いくら兄弟が近くに住んでいたとしても、と言うと、ほら!ほら!やっぱりそうなのよ! と弟の嫁が言った。周囲の人は皆、私が我儘だというのだけれど、と言って私を抱きしめた。ありがとう、ありがとう、まだこの家に居なくてはいけないにしても、誰かが分かってくれただけで私は何とか我慢できる、と言って。私からすればナポリ出身の彼女はれっきとしたイタリア人だが、こんな村に住んでいると外国人並みの扱いを受けるのかもしれない。それに彼女は若かったから。あなたは我慢が足りないだの、あなたは何もわかっていないだの、私にも覚えのある言葉だった。私がボローニャに引っ越してきた時に言われた言葉に通じるものがあって、彼女に抱きしめられながら、心がチクンと痛んだ。忘れかけていたこと。あまり思い出したくないことでもだった。元気を取り戻した彼女は、さあ、パスタを茹でるわよ、と腕まくりをして湯が沸騰する大きな鍋にパスタを投げ入れた。パスタはナポリから持ってきた特別なパスタらしく、ボローニャ辺りでは手に入らない、とのことだった。彼女は一度茹で具合を試し、あと2分と言い、そのあと試して、あと30秒と言い、そうして何か別のことをしたが為に30秒の予定時間より10秒か15秒ほど過ぎてしまい、ベストの茹で具合を逃してしまった、と大騒ぎになった。わーわー、きゃーきゃー言いながらテーブルに出されたパスタはお世辞抜きに大変美味しかった。なのに彼女は残念でならぬと言った風で、あなた達に本当に美味しい、ベストの茹で具合のパスタを食べてほしかったのに、とパスタを全部食べ切るまで残念がった。彼女の夫はと言えば、やはりベストの茹で具合を一瞬過ぎてしまったと、一瞬彼女がテーブルを離れた時にこっそりと小声で零した。こんなに湯で具合に拘りのある人達に会ったのは初めてだったから、大変印象的だった。それからうちでは茹で具合に厳しくなった。あ、茹で過ぎだね。あ、絶妙のタイミングで湯から上げたね、とそんな感じに。それがパスタであり、アスパラガスなのである。

帰りにパンを買ってきた。弾力があって、ほんの少し酸っぱい。サンフランシスコのサワードゥブレッドに良く似たパンで、思い切りサンフランシスコに居た頃のことを思いだした。このパンをテーブルに出したら、相棒も思いだすだろうか、サンフランシスコに暮らしていた頃のこと、あの水色のフラットに住んでいた頃のことを。




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旅に出たくなった理由

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ところで昨日の花市には数軒の食料品店が参加していて、その中でも際立っていた光っていたのがチーズ屋さん。私はチーズが大好き。子供の頃は四角い箱入りのプロセスチーズなんてものしかなかったし、やはり子供の頃に土産か何かで貰ったオランダの堅いチーズは好みではなかった。好きになり始めたのは恐らく10代の終わりで、何処かでフランスのチーズを食した時から始まったと覚えている。今はワインを嗜むようになったせいで、それに拍車がかかった。兎に角、そういう背景があって、だからチーズの店を見つけると足を止めずにはいられない。美味しいフランスのチーズを求めて、急に旅に出たくなった。




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