藤の花が咲く頃

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                      昨年の今頃。Via Agamennone Zappoli, Bologna


家に居るようになってから早くも17日が経つ。そうして始まったのが午後に紅茶を入れるの習慣。気に入りのダージリン。紅茶の葉は昨秋購入したものだ。何しろ少量の葉で美味しいお茶を入れることが出来るので、今まで買い足す必要が無かったが、其れも近いうちに底がつく。買い足すことが出来ないから、在庫がなくなればこの習慣もお終い。ウィルスが終結して私たちが自由に街に出ることが許される日まで、ダージリンとはしばしの別れという訳だ。次にお茶屋さんに足を運ぶことが出来るのは、先のことになりそうだ。

窓の外はとても寒い。太陽の日射しに強さや空の青さからは想像出来ないほどだ。4月。こんな素敵な月に、家の中に居るのは残念なこと。4月といえば藤の花が美しい月で、ボローニャ旧市街の路地に藤の花を眺めに出向いたものだ。Via Agamennone Zappoli。この通りは私の散策範囲に含まれていないから、此処で素晴らしい藤の花を見ることが出来ると知ったのは、大きな発見だった。
私と藤の花の関係は、ローマで仕事をしていた頃にまで遡る。つまり24年前の春のことだ。あの年のローマは春がいち早くやって来て、3月早々街路樹の花が咲き始めた。仕事が早く終わる日の夕方は明るい空の下を歩くのが好きだった。あちらこちらに花が咲く様子を見つけては、ローマは春が早くやって来るのだと感嘆したものだ。藤の花は職場の上に咲いていた。職場は隣接した古い教会に貸して貰った付属の空間だった。中には小さな扉があって倉庫のようにして使っていたが、実はその中には藤の木の幹があって、幹は上へと続き、屋根の上のテラスに出たところで枝をふんだんに広げ、美しい花を咲かせるのだ。教会の横に付属の建物を作った時、既に藤の木があったのだろう。其れを切り落とすことなく、残したまま建物を作ったことに私は心を惹かれた。樹だって生きている。私達と同じなのだ。初めて扉の向こうに樹が生えていることを知った時の驚き。そして喜び。其れからは私が時々水をくべるようになった。それにしても屋根の上の藤の見事なこと。昼休みになると簡単な昼食を取り、そしてテラスで手紙を書いた。アメリカに暮らす友人達へ。日本に居る家族や友人達へ。夜、アパートメントの部屋で手紙を書くと淋しい言葉を綴りがちだったが、強い日差しの下、藤の花を眺めながらなら、元気な手紙を書くことが出来た。大丈夫。私はとても元気にしている、と。藤の花の時期は長いが、しかし何時かは終わるもの。花が終わると初夏を告げるように美しい緑の葉が生い茂る。其れもまた良し。私は藤の花にしろ、枝にしろ、葉にしろ、大好きだった。
Via Agamennone Zappoliの花は今頃が見頃だろうか。今年、あの藤の花はあの通りに暮らす人達だけの為に咲くのだろうか。外出禁止令が解かれたら、すぐに足を延ばすつもりだが、さて、間に合うだろうか。間に合うといいけれど。

ところで相棒が知人から譲って貰ったと言って持ち帰ったのは、紅茶を入れる小さな道具。ステンレス製の容器でぱくりと左右に開けた中に紅茶の葉を入れて、熱い湯の入ったカップの中に沈める、小さな鎖が付いた茶こしと呼ぶとぴたりとくるが、世間の人は此れを何と呼ぶのだろう。兎に角アヒルを模った愉快なもので、なかなか良くできていた。古いものらしい。綺麗に洗って早速それを使って紅茶を入れてみたが、うーん、私はやはりポットで居れる方が好きらしい。しかし持ち帰った相棒の気持ちが嬉しかったのでキッチンの棚に引っ掛けてみたところ、まあ、可愛い。こういうもの、必要だった。片付け魔の私はキッチンも実にさっぱりで、味気ないと思っていたから。うん、此れからこういうもので遊んでみよう。




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葉書が届いた

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今朝、呼び鈴が鳴った。アパートメントの建物を取り囲む敷地の外に在る入り口の呼び鈴だ。スイッチを押して誰だか確認すると郵便屋さんの姿が小さな画面に映し出され、郵便物があるから開けてほしいとのことだった。うちのように建物の中に郵便受けがある場合、そして管理人などが常在していない場合、住人がひとりくらい家に居なければ、郵便物を受け取ることもできないという訳だ。普段は上階もしくは隣の家族の誰かが対応してくれているのだろう。

昼頃、相棒が外から帰って来た。君にだよ。そう言って渡されたのは字体と図柄が美しい、見てそれと分かるアールヌーヴォーの絵が施された葉書だった。

私が思春期だった頃、私は4歳半年上の姉の影響でアールヌーヴォーに傾倒した。思えば楽しいものも美しいものも、そして興味深いものも、大抵姉が家に持ち帰った。そういう訳で私は、自分の年の割には少し大人びた物事に夢中になるきらいがあった。私が関心を持ったのは字体。そして緩やかな線と大胆な配色。どんなに真似しても同じように描くことが出来ないアルファベット。終いには諦めて、画集を開いてただただ眺めた。美術展が開かれると聞けば足を運び、混み合う会場の中で長々と足を止めて見入ったものだ。美しい字体、そして緩やかな線と大胆な配色。そして手元に残すべく葉書や画集を購入した。小遣いは少なかった。けれど、こうしたものの為であるなら、父も母も惜しみなく小遣いを補充してくれた。そういう時代を過ごした。10年ほど続いただろうか。なのに全てを手放してしまった、あれほど好きだった絵画の世界から遠のいて、私は社会人になり、アメリカへ行き、イタリアにやって来た。送り主はそれを知る筈もない。なのに何故かこの葉書を見た時に私のことを考えたらしく、手に取った其れを送ってくれたらしい。不思議なことが時々ある。探そうとせずとも、生活の中に、まるで当たり前のような顔をして目の前にやって来る。今日の葉書がそれで、私は葉書を幾度も手に取っては抽斗箪笥の上に置き、昼食の準備をしようとキッチンに行く時にも何故か自分の傍に置いておきたくて、抽斗箪笥の上からテーブルの上に移動させたり。何かをしながら其れを横目で見ていると、葉書が語りかけるかのようだ。思いだせ、思いだせ。忘れてしまった夏の光を思いだすように。
手持ち無沙汰のこの時期に届いた葉書。考える時間はたっぷりある。色んなことを考えてみようと思う。

猫が可愛い。毎日いる相棒と私を不審に思いながらも、一緒に居るのが嬉しいらしく、気付くといつも傍らに居る。嬉しい? ねえ、嬉しい? と訊いてみるも、返ってくるのは溜息のような鼻息だけだ。




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私のヴェネツィア

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毎日情報が入って来る。その主なものがウィルス関係の情報で、日本領事館や外務省、それから契約している銀行やらなにやら。特に銀行からの連絡の頻度が高く、先日は銀行の営業は午前のみ、それ以外の時間帯はアポイントを取らねばならぬとの通達だった。今はどんなことがあっても仕方がない、何でもありだと思っていたが、不便になったものだと溜息が出た。そういえば3月の初めに相棒が、急にまとまったお金が必要になり銀行の窓口に入ったところ、そんな現金が必要なくらいで窓口に来るな、機械で引き下ろしてくれと言われたそうだ。しかし其れも機械で下せる額を遥かに超えているのだから仕方がなく、銀行員もぶつぶつ言いながら対応してくれたそうだ。銀行だって働く人を最小限に減らしているだろうことは理解できる。しかし、まさかそんなことを銀行で言われるようになるとは誰が想像できただろうか。暫くは銀行に行く用事は無い。ただ、そういう状況になったことに驚いているだけだ。

ヴェネツィア。昨秋から私のヴェネツィア行きは延期に延期を重ねている。ことの始まりはアクアアルタ。高潮による多大なる被害。あの美しい街が水に埋まったのは私達の記憶に新しく、旅行者が来なくなって、来れなくなって、既にいる人達も逃げる様に街から去っていき、街の経済が低迷してしまった。取材されたホテルマンが、美しいヴェネツィアはあなた達を待っている、是非来てほしい、とカメラに向かって呼びかけているのをテレビのニュースで見て、とても悲しかったのを覚えている。ヴェネツィアは、そんなことを誰が言わなくとも、押しかけるようにして世界中から人がやって来る街だった。高潮の被害がようやく終わろうとしたところで謝肉祭の時期になった。人混みが苦手な私は謝肉祭が終わってから日帰りで、そう、例年のように春先にと考え、早々に列車の乗車券を手配しようと思っていたところにウィルス騒ぎが始まった。勿論、此れほど真剣な問題になるとは夢にも思っていなかった。2月が終わる頃には終結して、穏やかな3月がやって来ると信じて疑わなかった。私は途方に暮れている。秋から今日に至るまでのヴェネツィアは運が悪かったとしか言いようがない。そして私もまた運が悪かった。そう思うしか方法がないと思っている。私達の生活が今までの平穏な生活に戻ったら、私は楽しみを先送りにする癖を辞めようと思う。したいと願うことは直ぐに始めよう。行きたい場所にはどんどん足を運ぼう。世の中には自分の力ではどうしようもないことがあることを、私は充分学んだから。

相棒はもともと歩くのが苦手な人。アメリカに居た頃は3ブロック先のアンテークの店にだってオートバイで行き、仲間の誰もが揶揄ったものだ。そんな彼が私のヴェネツィア日帰り旅行についてきたいと言いだしたのはここ数年のことで2度ほど一緒に散策したが、まあ、彼の足の弱いこと。ふと横を見ると姿が無いので後ろを見れば、向こうの石段に座っている。隣に居ないことに気付かなかった私も何だなあと思いながら今来た道を戻り、暫く一緒に石段に腰を下ろして休み、そしてまた一緒に歩いた。だからいくら時間があっても足らなくて、帰りがすっかり暗くなってしまった。彼はもう一緒にヴェネツィアへ行きたいとは言いださないだろうと思いながら暗い道に車を走らせたものである。そういう訳で私の次のヴェネツィアは列車での独り旅。旅というには近距離すぎるので、独り散策というべきか。私にしても10年前に比べれば体力が落ちた。昔ほど沢山歩くことは出来なくなった。だから、連れはいない方がいい。歩いては休み、歩いてはカフェに入り、そして歩いては教会に入る。気ままな独り散策が丁度いい。恐らく相棒も独りで歩くのが良いのだろうけど、あの調子だと、10日掛ってもヴェネツィアを見て歩くことは出来まい。
私が春先のヴェネツィアが好きなのは、27年前に初めて訪れたのが春先だったことと関係があるだろうか。私はまだイタリアのことがよく分からなかったから、驚くばかりの人の波が復活祭の休暇のせいだと思っていたけれど、今なら分かる、復活祭の休暇などは関係なくて、ヴェネツィアという街は世界中の人達の憧れの場所で、一年通して訪問者が多いのだ。人混みが苦手な私とてヴェネツィアの魅力には敵わない。勿論人が居ない方へいない方へと歩くわけだけど、人が多いからヴェネツィアには行かないわ、などと夢にも思ったことはない。ああ、ヴェネツィア、ヴェネツィア。訪れたい場所は沢山あるが、長らく計画していたローマへ行く前に、まずはヴェネツィアへ行かなくては。

天気が良いのは空が元気な証拠。毎日これでもかと洗濯する私だが、周囲の家も負けてはいない。一昨日はシーツ、昨日はカーテン、今日は軽い上掛けと、誰もがこの好天気を喜んでいる。有難いことだ。空は私達の味方だ。




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木のある生活

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この頃の喜びは晴れた空を眺めること。木の枝の芽を確認すること。それから隣接した敷地に遊びに来る栗鼠たちを眺めること。寝室の窓から見える隣の建物の敷地はとても広々としている。10メートル以上に成長した背の高い樅の木が4本あって、其の下は夏場なら涼しい木陰が出来て住人たちの良い休憩場所となる。冬場は犬達が駆け回る程度にしても。今の時期、ちょうど今の時期は春を嗅ぎつけた小動物がやってくる。一番の常客が栗鼠で、尻尾が大きく膨らんだ栗鼠が数匹、木の枝から地面へ、そして再び木の枝へと走り回る姿は愛らしい。其れにいち早く気づいたのは猫。ガラス越しに小さな声で鳴いているので何かと思って窓の外を眺めたら、3匹の栗鼠が居たという訳だ。栗鼠は草花や球根、根を荒らすので庭いじりが好きな人にとっては困った存在なようだけど、私と猫にとっては単に愛すべき小動物だ。コミカルな動きをする栗鼠たち。住人たちも栗鼠が居る時は犬を庭に放すことはしない。皆、この栗鼠たちが大好きなのだ。ところでボローニャの庭には樅の木が植えられていることが多々ある。訊けば子供が小さかった頃、クリスマスに樅の木を購入して、時期を終えた其れを庭に植えたからということが多い。

10年程前、ボローニャ郊外の、殆どボローニャ県の端っこ辺りに一軒家を購入しようと考えたことがある。70年代に建てられた二階建ての大きな家で、上下の階を階段で行き来できる二世帯住宅のように作られていた。郊外の一軒家特有の広々とした庭があり、そして大きな樅の木が2本あった。家主は随分前に妻に先立たれ、ひとり息子とのふたり暮らしだったけど、その息子も大人になると仕事を理由に他の街に移り住んでしまった。この広い家を持て余した家主が、家を手放すことにしたのも無理はない。4人家族だって充分広い家だったから。私が一番気に入ったのは、家の作りや広い庭よりも、背の高い樅の木だった。ひとり息子がまだ小さかった頃、クリスマスの為に買った樅の木だと言うから、既に20年を経っているようだった。庭の真ん中に在るその大きな樅の木を邪魔だと私が思っていると勘違いした家主は、切ってしまうといいと言った。だから私はこの樅の木がなければ家には関心がないと言うと、家主は大そう驚いたようだった。庭の木で家を買うのかと。 百人いたら百の考え方がある。私のような人が居てもいいと思うと言うと、家主は更に驚いたようだったが、家族の思い出の樅の木を気に入ったと知り、内心嬉しそうだった。
結局あの家とは縁がなくて、途中で話はご破算となった。残念だったがそれでよかったと思っている。車で片道小一時間かけて仕事に行くのはあまり現実的なことではなかったから。其れに階下に姑を住まわそうと思っていたのも、よく考えればあまり現実的な案ではなかっただろう。そうして自分の広い庭も大きな樅の木も手に入れることがなかったが、今は寝室の窓から樅の木のある庭を眺めることが出来るのだから、満更でもない。あの日、庭の木で家を購入しようとした私は、やはり今の家を窓から見える木で手に入れた。寝室から見える樅の木と菩提樹、居間の窓から見える大きな栃ノ木、そしてアカシア。木が見える窓がある。其れで私は此処に暮らすようになった。妙な話ではあるけれど、百人いたら百の考え方がある。私のような人が居てもいい。

外は静かだ。車や人間が動く音は聞こえない。鳥の囀りと時々風に揺れて立てる葉の音だけが聞こえる。状況的には良くないけれど、心を静かに出来るこの環境を有難く思っている。




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気に入りの場所

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金曜日。長い一週間だったと振り返りながら思う。毎日新しい情報に慄かされた一週間。とても疲れたけれど、体調を崩すこともなく無事に金曜日の晩を迎えられたことに感謝である。金曜日の夕方を迎えた時の喜び。この瞬間がたまらない。こんな騒ぎの中、毎日仕事に通い、休憩をとる暇もなく働いて、ああ、なんだかなあ、などと思う訳だけど、考えれば病に罹って寝込むよりはずっと有難く、何処へ出かけることが出来ないにしても家での二日間を満喫できるのだから、不平不満は言うまい。今週末は本を読むのだ。それから明日の夕食は腕を振るおうと思っている。相棒をそそのかして、秘蔵のワインの栓を抜いて貰おうという魂胆だ。ワインなんてものは元気のうちに頂くのが良い。元気だからこそ美味しく頂けるのだよ、と言うのが私の殺し文句であるが、さて作戦通りいくだろうか。

写真の整理をしていたら出てきたリスボンの写真。昨夏のもので、影の濃さが日差しが強いことを語っていた。もう遠い昔のように思える。僅か半年ほど前のことだというのに。
明日にはボローニャに帰るという日、リスボンは好天気で空は青く日差しが目に突き刺さる程だった。此の滞在中、私には気に入りの場所が出来て、気が向くとそこへ足を運んだ。何と呼ばれる通りだっただろうか。街中の、車の通らない人通りの多い通りから一本入って歩いていると、ふいに階段が現れる。坂の街特有の、下の方に在る道へと続く階段で、途中の踊り場にはベンチが備え付けられていた。其処はとても良い雰囲気で、時には先客が居て、ああ、今日は駄目だったと思いながら通り過ぎたものだ。しかし、その日は運が良かった。先客は居るにしても若い女性一人だけで、私が腰を下ろしても充分距離を保てるに違いなく、此処に座ってもよいかと彼女に声を掛けて腰を下ろした。私は近くの店で購入したジェラートを手にしていた。イタリアのジェラートで、イタリア国内の二倍の値段が付けられていて店先で仰天したが、兎に角美味しいのが食べたかったので背に腹は代えられなかった。私はその高価なジェラートを気に入りの場所でのんびり堪能するチャンスを得てご機嫌だった。隣に座っている女性は学生らしい。難しそうな本を開いて、鉛筆で所々に印をつけていた。試験の準備だろうか。それとも。私はいつもより時間をかけてジェラートを食べたが遂に食べ終えてしまった。他にすることは無かったけれど、私は彼女の隣に座って、壁にできた樹の影を眺めたり、行きかう人を眺めたりして、この場所に居ることを楽しんだ。これが最後の機会だからと。そのうち軽食を抱えた若い人がふたり来た。ベンチが塞がっているのを見て彼女たちはがっかりした。座るところがないからと階段に腰を下ろそうとするのを見た私は、此処にどうぞと立ち上がった。いいえ、いいえ、と彼女たちは遠慮したが、私はもう食べ終えたからと空になったジェラートの器を見せると嬉しそうにベンチに座り、あなたは大変親切、ありがとうと言った。ありがとうの言葉は魔法。もう少し其処に居たい気持ちもあったが、場所を譲って良かったと思った。素敵な場所は皆で分け合う方がいい。それに私は、また何時かここに来れるに違いないから。それほど遠くない未来に。日差しの強い、壁や階段のタイルに濃い影を落とすような暑い夏に。

今夜は曇り空。夜中に雨が降ると言われている。昨晩見た美しい月。あの月は何処へ行ってしまったのか。





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