涼しい色

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明るい日が続く。朝から夕方までカンカン照りだ。しかし其れも、少し前まで5時半早々日が昇っていたが、今は6時を過ぎなければ明るくならない。それから21時でも明るかった空は20時半には暗くなる。日は少し短くなった。それを相棒は夏が終わろうとしていると呼ぶ。それには少し異論がある。夏は決して終わろうとなどしていない。ただ、夏の力が衰え始めただけだ。ただ、夏を見くびってはいけない。夏の底地からは凄いのだから。8月末から9月にかけてのあの執拗な暑さを、毎年その時期になって思いだす。夏の悪あがきとでも呼ぼうか昔は暑い夏が大好きだったが、20歳を過ぎた頃から苦手になった。秋生まれとか何とか。そういうことって関係あるのか知らないけれど、私は涼しい季節と相性がいい。

先日、着て出た薄青緑色の麻地の一枚。これを着る日をずっと楽しみにしていた。白いパンツに合わせるために縫って貰った一枚だった。実にシンプルな形だが、着ると適度に形が崩れていい感じになる。その上涼しい。それはその前に縫って貰った白い麻地の一枚で確認済みだけど、色というのは不思議なもので、薄青緑色のそれは大変涼しい印象を人に与えるらしい。勿論、白いパンツに合わせたせいもあるかもしれないけれど、身に着けている私も気分爽快で、何となく足取りが軽かった。
こういう色が自分に似合うのは新しい発見だった。好きな色ではあるけれど、自分には似合わない部類の色とずっと思っていたから。そう思っていた理由は何だろう。幾ら頭を捻っても思い浮かばないけれど。だから旧市街の店で服を縫っている彼女が、この色の麻地がある、この色はあなたに似合うと思うと言った時、そうかしら、と思った。色サンプルは店に無く、彼女の言葉を駆使して色を想像するしかなかった。上手く想像できたと思うが、やはり私にはそうかしらとしか思えなかった。ただ、それでもそれを注文したのは、賭け、そう一種の賭けだったと思う。それに彼女が言うのだから、きっと間違えない。思えば随分と彼女のことを信用したものだったが、時には人の声を聞いてみるのも良いのだ。この夏手に入れた黄色のパンツがそうだ。黄色が似合うと言われて購入したが大正解だったから。さて、仕上がった一枚を手に取った時、ああ、想像した通りの色だと思った。そして彼女の言葉を信用して良かったと思ったのはもっと後のことだ。
先日初めてこの一枚を着て外に出掛けた時、後ろから声を掛けられた。素敵なシャツ、綺麗な色、良く似合う、と。振り向けば先ほどすれ違った魅力的な女性だった。彼女の方こそ素晴らしくて、シンプルなパターンの、オードリー・ヘップバーンが着ていたような肩がすっかり見える、膝上丈の緩やかな曲線のドレスを身に着けていた。見て直ぐに分かる上等な麻で縫われた黒いワンピースを纏った彼女はとてもエレガントで、その素敵さに誰もが振り返っていた。その彼女が目の前に居て、私は言葉を失った。彼女は此れをどこで手に入れたのかを知りたかったようだ。秘密にしたいことではないので場所と店の名を教えたけれど、恐らく数日で夏季休暇に入ること、そして二度とその店が開かないこと、秋からは別の形で販売することを説明すると、彼女はふーっと溜息をついた。無理もない。私だって初めは溜息をついたのだから。ああ、あの店は閉めずに続ければよかったのにと思うが仕方がない。彼女は別れ際にもう一度、私が身につけた新調したての一枚を称賛して歩き去った。私は気分が良かった。何故ならこの色が自分に似合うと言うのは間違えではなかったからだ。どんなに素晴らしいシャツでも、色が似合わなければ其れほど魅力的には見えないに違いない。知らない人が声を掛けたくなるような涼しげな色のシャツ。あの日、店の彼女が薦めてくれなかったら、私はこの色を好んで選ぶことはなかっただろう。だから時には人の言葉に耳を傾けるものである。と、この夏はそんなことばかり考えている。

自家製ジェラート500グラムで11ユーロ。コロナウィルスのロックダウン後、どの店も若干値段を上げた。それも仕方がないことだと思っている。彼らも商売を続けなければならないのだから。気に入りのジェラート屋さんが経営を続けることが出来るなら、多少の値上がりは暗黙の了解。私のようにどんぶり勘定ではない相棒だ。多少ながら値上げを好ましく思っていないようだけど、大切なのはジェラートが美味しいこと、そうでしょう? と言う私の言葉に説得力があったのか無かったのか、最近相棒が率先してジェラートを買ってくる。有難いことだ。美味しいジェラート、万歳。




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涼しい8月

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雨が連れてきた涼しさ。8月とは思えぬような涼しさに、私達は喜び、安堵の溜息をついた。数日前の雨だ。8月というのにジャケットを引っ張り出すような涼しさがやって来て、先週末のうだるような暑さに慄き舌を巻いていた私達は当然ながら戸惑い、しかしこの涼しさで安眠を手に入れた。今日もまだ涼しい余韻が。私が元気なのはその涼しさの余韻のせい、そして昨夕から始まった長い夏の休暇のおかげ。

涼しい夏は昨年も経験した。思いがけず行くことになったオスロの夏だ。オスロに居る最後の夏だからと友人が誘ってくれなければ、恐らく一生オスロへ行くことは無かったのではあるまいか。その理由は、恐ろしく物価が高いことから始まり、私は情緒のある街並みが好きだし、それに散策をしながら行く先々で人と話すのが好きだからだ。オスロのような近代的な街並みや、あまり知らない人と話をしそうにないノルウェーの人々の気質に関心が湧かないのも無理なかった。しかし友人がオスロを離れてしまえば、其れこそ足を運ぶことは無いだろうと思い、ならばと重い腰を上げて飛行機に乗った。正直言って期待はしていなかった。私が期待していたのは単に友人との時間。友人と肩を並べて歩くこと。空港からオスロ中央駅へ。そして其処からトラムに乗り、最寄りの停留所から友人が暮らす界隈へと歩く間に私は幾度もサンフランシスコを思いだした。海からの冷たい風。なだらかな坂道。広い歩道。整然としながらも温かみのある建物。雨が上がったばかりの夜の街を歩きながら、私はオスロに恋をした。翌日の雨。ジャケットを着てもまだ寒くて、首にスカーフを巻いた。短い丈のジーンズから出た足首が冷たくてちぎれそうだと思った。8月にして15度ほどしかない。冷たい雨で樹々が輝いていた。雨に洗われた葉の色が目に痛いほどだった。物価は確かに高く、友人のアパートメントの高価さに私は舌を巻いたほどだ。しかし其れも此処で仕事をしていれば何とかなるものらしい。だから一概に物価が高いと言えないことが分かった。この国にはイタリアにはない保証がある。そして生活水準の高さ。此処に住んでいる人達の頭の中は、この国のように整然としているのではあるまいか。コーヒーショップでテーブル席につきながら、そんなことを考えた。ただ、情緒、私が愛する情緒に関しては見つけることが出来なかった。情緒は、整然さと同居できないのかもしれない。ある日、友人が街中からトラムに乗って丘の方に連れて行ってくれた。ほんの少し行っただけで自然に満ちた場所に行けることを友人は見せたかったらしい。そして此処をきっと私が気に入る筈だと。ひたすら道を登っていくとそこには小さな滝があった。住宅の真ん前にある滝。滝の流れに沿って歩道があり、其処を住人たちが散歩する。と歩いていたら、川に飛び込んでずぶぬれになった犬と遭遇した。あら、あんた、可愛いわね、川遊びしてびしょ濡れなのね、と声を掛けると飼い主らしき年配の男性が近くのベンチに座って笑った。犬は私に関心があるらしく、今にもすり寄ってきそうな、それとも飛びかかってきそうな。私は人差し指をピーンと立てて、それを制するように言った。駄目よ。私と友達になりたいのは分かるけど、私が通り過ぎるまで其処から動いては駄目よ。周囲の人達はくすくす笑いながら、私が無事犬の横をすり抜けるのを見守って、振り向いた私が手を振って、大成功、またね、また会いましょうねと手を振ると機嫌よく手を手を振り返しながら挨拶を投げかけてくれた。嬉しそうに跳ねる犬。私が勝手に持っていたこの街の人達の冷たい印象は、そんな風にして少しづつ融けていった。偏見はいけない。思い込みはいけない。色んなところへ行ってみるものだ。まだ自分が知らない様々なことに遭遇したり得る感情が沢山ある筈だから。私はオスロへ行ってそんな当たり前のことを学んだ。
あれから1年経って思うのは、私がまたオスロへ行きたいと思っていることだ。友人はもうあの街に住んでいないけれど、独りでぶらりとするのもいいだろう。独りで行くと知ったらば友人はきっと言うだろう。だから言ったではないか。もっと早くに来ればよかったのに、と。何しろ友人は8年間そこに住んで、長いこと私を誘ってくれていたのだから。あはは。実に私らしい。でも8年目に間に合った。それで良いではないか。涼しい風に吹かれながら昨年のオスロを思いだす。友人が強く誘ってくれてよかったと思う。

何処へも行かぬ夏休み。しかしマスクをしなくていい3週間は神様が私に与えてくれた贈り物。今夜は久しぶりに赤ワインの栓を抜いた。涼しい証拠。長い夏の休暇に乾杯。今夜は空に輝く月を眺めながら、テラスで美味しい赤ワイン。




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6月が好きになった

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テラスの草木に水やりをするのが毎日の楽しみになった。そんなつまらないこと、と人は言うかもしれないけれど、鮮やかな緑の葉のバジリコ、驚くほど大輪のゼラニウム、相棒が種から育てら唐辛子の苗、未だに咲くのを止めないジャスミン、小さな実を付けた柚子の木。そして名も知らぬ、昔からうちにある草花たち。さほど広くもない此のテラスに不満を言うこともなく育つ彼らに、私はいつも感謝している。元気をありがとう。これからも一緒にうまくやっていこうよ、と。

雨がよく降る日本の6月は苦手だったけれど、アメリカに住むようになって、私は6月が好きになった。アメリカで初めて迎えた6月は私が仕事を始めてようやく一か月が経った頃だった。仕事が見つかったのは自分の努力なんかじゃない。知人が、私が仕事を探しているのを知って、話を持ってきてくれたのだ。幾度考えても運が良かったとしか言いようがない。彼があの午後、街角で偶然見かけた私をコーヒーショップに誘ってくれなかったらば、私の仕事探しは延々と続いていたに違いない。今でも思う。私が仕事を探していることを、知らないところで色んな人が口から口に伝えていたこと。あの当時のから私は独りが好きで、どちらかと言えば保守的で弱虫、ただ若さと健康だけが頼りの、無鉄砲な人間だった。そんな私の為に周囲の人達が動いていたことに私は今でも酷く驚くのだが、私はそれを通じて、人に感謝することを学び、人間は一人では生きていけない、いや、自分は多くの人に囲まれて、守られて、助けられて生きていることを知ることになり、其れから随分と人間性が変わったと思う。そうは言っても、私の独り好きは相変わらずだったけれど。さて、仕事を始めて一か月も経つと気持ちに多少は余裕が出て、休みの日や晩は近所の大通りにオープンしたばかりの大きなジムに通いだし、そして週末は街のあちらこちらで催されるストリートフェアなるものに足を運んだ。何か面白いことは無いだろうか。私は何時だってそんな好奇心に満ちていた。私が人と話す楽しみを覚えたのは、恐らくあの頃だったと思う。行く先々で知らない人達と話をする面白さ。何処の誰だかわからないから気が楽と言うのもある。90年代初期という平和な時代が背後にあったせいもある。いや、怖いもの知らずだっただけなのかもしれないけれど。一緒に暮らしていた友人は、独りでそういう場所に繰り出す私に訊ねたものだ。ストリートフェアに独りで行って愉しい? 多分彼女にとっては楽しみとは、誰かと一緒だから得られるものなのだろう。勿論私だって友人と話をしたり肩を並べて散策するのは嫌いじゃない。ただ、私は独りの時間が好きなのだ。時々独りにならないと息が詰まってしまう。そしてそんな私をアメリカは、変わり者扱いすることがなく、10人いたら10人違うと言う感覚が、私にはとても有難かった。私が好きだったのは、フィルモア・ストリート。旅行者だった時代から通うようにして歩いた道。今でもその様子は覚えている。坂をのぼりながら右手にあるのは私が好きだった文房具店。何時もいい匂いがした。少し先の左手には洒落た家具の店。其の並びにセレクトショップみたいなものがあって、あの店にはヨーロッパからの質の良いものが置かれていて。其の先に知人のレストランがあり、もう少し行った右手には殺風景な、しかし地元の人達が通う小さなレコード店があった。そんなことを思いだしていたら、相棒が横から口を出す。彼もまた此の通りに通い詰めたひとりだった。もっとも彼の場合は70年代後半に流行ったライブハウスみたいな場所で、其処には名だたるバンドが出演することで有名だったと言う。私が好き始めた90年代には既に姿を消していたから、残念ながら思い出を共有することは出来ないけれど。
今日は気分はフィルモア・ストリート。あの通りとは似ても似つかぬボローニャの片隅で、あの時代にあの街に居ることが出来たのは実に運が良かったと思う。私の周囲に居た人々はどうしているだろう。みんな元気で居るならいいけれど。

今日は相棒が近所のジェラート店に立ち寄って、二種類のジェラートを合わせて1キロ買ってきてくれた。君、気が利いているじゃないかと褒めると、もっと違う褒め方は無いのかと言うので、私達はお腹を抱えて笑った。そうだ、もっといい言い方がある。有難う。大好きなジェラートを買ってきてくれて有難う。 




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夕方の寄り道

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ほっと一息。今週は何かと用事のある一週間。その上、冷え込んだり急に気温が上がったりで、気候に存分振り回された。世の中にはどんな気候でも冷静に生活できる人が居るようだけど、私は駄目、全然駄目だ。例えば俄かに冷たい風が吹き始めると、低気圧の渦がやって来る前触れのように頭痛が始まる。今週はそういうことが度々あって、そんなことに振り回される自分に腹さえ立った。えい。しっかりしなさいよ。ところで、えい、と言うのは、アメリカ人ならHey,というところだがイタリアではHを発音しないので、こういう言い方になる。しかもそれが私のような人にかかると、アルファベットではなく平仮名風になるのだから、世の中にはまだまだ面白いことが沢山あると感心しているところである。

昨日は、久しぶりに寄り道をした。金曜日の夕方の寄り道開始である。色々立ち寄りたいところがあったのだ。例えば靴の修理屋さん。此処に立ち寄るのは一種の賭けたった。まだ閉まったままなのか、それとも営業を再開しているのか、私には全然見当がつかなかったからだ。電話番号をあの手この手で探してみたが見つからず、ええい、行ってみよう、となった。行ってみれば店は当然のような顔で開いていて、足を踏み込んだ途端に元気な声で迎えてくれた。シニョーラ。元気そうですね。そう言われて、あなたの店が開いていて本当に良かったと言う私に、当然ですよ、店を開けなくては仕事が出来ませんからね、と店主が元気に答えるので、成程その通りだと私は頷く。持ち込んだ靴の何処をどうしてほしいのか説明して店を出た。仕上がりは来週の水曜日以降。どうやら仕事が沢山あるようだ、と安心しながら旧市街へと歩いた。ところがすぐに疲れてしまう。気がついては居たのだが、私の足は随分と弱ったようだ。人間の足は、車に頼っていると直ぐにこんな風になるのかと驚きながら、これから毎日歩こう、好んで歩こうと心に誓った。次なる目的は仕立て屋さん。冬の間に頼んでおいたジャケット。先日電話をしたら店は既に開いているらしい。ところが私のジャケットの直しは何か問題があるらしい。近いうちに立ち寄って欲しいとのことなので、女店主の元気な顔を見る楽しみも含めて店に行ったが、閉まっていた。腕時計を見ると18時10分。そうだった、店は18時までだった。失敗、失敗。と言いながら旧市街の中心へと歩く。久し振りの道。ポルティコの下を歩きながら、再びこんな日が戻ってきたことを喜んだ。私達はコロナウィルスという名の怪物によって、生活の色々を捥ぎ取られた。皆で集まって時間を共にすることや、肩を抱き合ったり頬を付け合わせて再会を喜ぶ習慣。皆で同じテーブルを囲んでワインを頂いたり食事をする楽しみ。飛行機や列車、バスに乗っての小旅行。マスクなどに顔を隠さずに、相手の顔を見たいと幾度願っただろう。笑っていても笑っているように見えない。口角が上がっているのか、白い歯を見せているのか。ああ、もどかしいと思うのだ。一握りの人がマスクを外して油断していることに驚きながらも、分かる分かる、気持ちはよく分かるわよ、と思いながら見慣れたポルティコの下を歩いた。二本の塔の下に立つと、懐かしい声。空を見上げるとツバメの群れ。この春生まれた子ツバメに飛び方を教えているのだろうか、10羽ほどが群れて空を驚くほどの速さで飛んでいた。私は此れが見たかった。夕方の青い初夏の空に飛び交うツバメ達の様子。私にとってこれは初夏の眺め。幸せの印。平和の証拠。ツバメ達は毎年、塔の高い位置に巣を作る。それを汚れるからなどと言って、市の職員が取り去ったり綺麗にしないことを私は嬉しく思っている。共存。そう、共存しているのだ、人間と自然は。ツバメに場所を貸している代償として、私達は飛び交うツバメ達から季節感や元気を貰っているのだ。路地の小さな店に入って、コットンの白いシャツを購入した。このシンプルなシャツ。こういうのが欲しかったのよと店の女性に言うと、こういうシンプルなものがなかなか手に入らない世の中、と言うので、私達は顔を見合わせて笑った。マスクで口元は覆われているが、彼女は白い歯を見せている筈だ。笑い声がその証拠。今の私はそんな小さなことに喜びを覚える。
時計を見ると歩いて僅か1時間弱。もう歩けないよう。まるで小さな子供のように弱音を吐いてバスに乗った。何事も少しづつ。また来週歩けばいい。それに私は果たしたのだから。金曜日の夕方の寄り道。

今日は近所の市場に行った。何時もならバングラ人の青果店に行くところだが、ふと気が向いて少し先のローカル市場に行ってみたのだ。既に昼になっていたから市場の半分は店を畳んでいたが、奥に行くと開いている青果店発見。上等なトロペア産の玉葱が自慢気に置かれていた。それで、其れと今夜の為の熟れたメロンをひとつ、そして小さなトマトを袋一杯に詰め込んで貰った。悪くない。この店も悪くない。と思いながら家に帰ってきた。熟れたメロンは冷蔵庫の中に。扉を開ける度にいい匂いがする。そんな季節になった。メロンが美味しい季節。




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綺麗

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夕方、帰宅した途端に空が黒い雲で覆われて、大雨が降った。遅くまで空が明るい季節なのに、此れでは台無しだと口を尖らせていたが、そのうち再び空が明るくなった。でも、止まぬ雨。何時までも降り続く雨。テラスの柚子の木についた小さな実が雨に落とされていやしないかと心配になって外に出てみたら、植物が雨粒に覆われてきらきら光っていた。綺麗。そして、愉しそうに見えた。植物たちは雨を喜んでいるようだった。そうか、草木に必要だった雨。柚子の実はしっかり枝についていて、このくらいの雨ではびくともしないよと言っているかのようだった。雨。雨。私は雨が苦手だけれど、必要な雨と思えばいい。それに、こんなに綺麗な草木を眺められるなら、雨も満更悪くない。




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