これでよかったのだと思う。

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ふうーっ、と大きな溜息をつく。金曜日の晩を迎えてつく溜息だから、安堵の溜息であり、幸せの印だ。忙しい一週間だった。泉のように湧いてくる、こまごまとした小さな仕事。職場でも、家でも、走りまわっていたような記憶しかない。何だか誰かに追われているような感じすらした毎日だった。でも、それも終わりだ。色んなことに一区切りがついたから、深呼吸をして、自分のいつものゆっくりリズムで行こうと思う。一日一日を味わいながら、色んなことに目を向けながら。

めっきり寒くなった。私の感覚で言えば、これはれっきとした初冬であり、もう冬のコートを着ても可笑しくない気候である。なのに世間の人達ときたら案外薄着で、丈の短いジャケットにジーンズ、そして足元を見れば、足首は素肌がむき出しだ。素足というやつだ。そんな恰好でこの寒空の下を歩けるということが若さであり、元気の証拠のように思えた。私のように足首をすっぽりとショートブーツで覆っているような人は、どんな人に見えるのだろうか、彼女のような人達からは。帽子が欲しい、温かくて柔らかい帽子。さもなければ寒気で頭痛になってしまいそうだ。確実に冬へと向かっているということであろう。
ボローニャに暮らし始めた、初めの年の11月、私は暖かいコートを持っていなかった。それは、それまで暮らしていたアメリカの街が、寒い冬を持ち合わせていなかったからだ。勿論、冬になればそれなりに気温は下がったけれど、しかしボローニャのそれとは比較にならぬ程度のものだった。そんな街に暮らすために家族のもとを離れた時も、冬のコートは不要、と置いてきてしまったのだ。11月の寒い日、自分が持っている中で一番暖かいジャケットを着て出掛けたが、それを見た相棒の友人が、相棒に言ったものだ。もっと暖かいジャケットを、あなたの奥さんに買ってあげなくてはね。22年も前のことだけれど忘れないのは、あまりにも印象的なことだったからだ。これからもっと寒くなるから、と友人は言った。これ以上寒くなるのかと目を丸くして驚く私に、黙って深く頷いた友人。それがボローニャの冬がどれほど寒いかを暗示しているかのようだった。そして冬がやって来ると、痺れるような寒さだった。私達は郊外に部屋を借りて住んでいた。ストーブがあったが、到底追いつかないような寒さだった。それに辟易したからという訳ではないけれど、仕事のオファーを受けて、私はひとりでローマへ行った。何から逃げた訳ではない。相棒からでもなければ、不自由な田舎暮らしからでもなく、仕事をしたかったからだと私は今でも思っているが、しかし考えてみれば、私はボローニャの寒さから逃げ出したかったのかもしれない。けれども、ボローニャに戻って来た。そして今思うのは、寒いのは苦手だけれどボローニャの暮らしは案外悪くない、ということだ。私は遠回りをしてそれに気が付いた。でも気がつけて良かった。此処に戻ってこなければ、気付くこともなかったことだ。遠回りを、人は無駄と呼ぶのかもしれない。でも、私は思う。無駄なことなんで、生きていくうえで無駄なことなんて、あまりないのではないかと。無駄なように思えるけれど、その間に学ぶこともあるだろう。その無駄がなければ知ることもできなかった、なんてこともあるだろう。そもそも私の人生なんて、他人から見たら無駄ばかり。でも私にしてみれば、色んなことが詰まっていて、どれもこれも大切で愛おしい。11月になって、寒くなると、私は22年前のことを思いだし、これでよかったのだと思うのだ。

忙しくて残念に感じていたのは猫も同様だったらしい。肩の力を抜いて家に帰ってくるなり、兎のように跳ねながら猫がやって来た。遊んで。遊んで。そんな感じ。今週末はゆっくりしよう。深呼吸しながら、時間を気にせずに。金曜日の晩に乾杯だ。




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11月の雪とボンボローネ

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あっ、雪が降っている。そう、気が付いたのは午前10時頃のことだっただろうか。夜中のうちから降り始めた雨が折角の朝を台無しにして、何だ、今週も月曜日に雨なのかと窓ガラス越しに外を眺めながら呟いているのを耳にした相棒が、なんだ、毎週同じようなことを言っているなと戒めたので、えへへへ、と笑って誤魔化して、案外機嫌よく仕事に出掛けたのであるが、その雨が、まさか雪になろうとは。一体どれほどの人がこの11月の雪を予想していたのだろう。少なくとも私は意表を突かれて開いた口が塞がらなかった。11月の雪。22年ボローニャに居るが、こんなことは初めてだ、と思っていたが、1996年の11月下旬に雪が降ったような記憶もある。さて、どうだっただろう。もう随分と前のことだから、記憶はあまり定かではない。

こんな日は、ボンボローネがいい。卵黄のクリームがたっぷり入ったドーナツのような物だが、似ているようで異なるそれは、イタリア人の大好物だ。ふわふわしていて軽い。中にはとろけるようなクリームが一杯。ボローニャ旧市街にある老舗、ATTIのボンボローネもいいけれど、知人が噂していた出来立てのまだ温かいうちに頂くことが出来るボンボローネも魅力的だ。この店は旧市街の、学生の多い界隈にあるらしいが、未だに何処だか分からない。それに分かったとしても、この年齢になって、出来立てのボンボローネに路上で齧り付くというのもちょっと、なのである。私が今までに頂いたうちで一番美味しかったのは、コルティーナというドロミテ渓谷の洒落た街にある小さな店のボンボローネ。友人のフランカと子供たちと歩いていて見つけた、出来立ての、まだ温かいボンボローネだった。もっともコルティーナ辺りではボンボローネとは呼ばれていなくて、クラフェンという名前だった。詳しく調べれば二者の違いがいろいろ出てくる。例えば生地の作り方が違うとか、どのタイミングでクリームを中に入れるとか。それからオーストリアの影響の強い北東部ではクラフェンと呼ぶとか。しかし私も友人も彼女の子供たちもそうした理屈には関心がなく、兎に角こんな美味しいボンボローネは初めてだと喜び、店の人からクラフェンだと訂正されたものだった。結構お腹が満たされるから、子供のおやつにぴったりだけど、いいや、イタリアでは大人だってこれには目がなくて、様々な菓子がトレイの上に並んでいても一番先に姿を消すのが、このボンボローネなのである。イタリア人の好物。そう言ったら語弊があるだろうか。

テラスに置きっぱなしだった白いシクラメンの鉢植え。昼頃家に帰った相棒が家の中に入れてくれたけど、すっかり風邪を引いてしまったようだ。落ち込んだように頭を下に向けるシクラメンの花をみて、可哀そうなことをしたと思った。突然訪れた雪に、シクラメンの花も驚いたに違いない。さて、どうしたものか。こんな時、母はどんなふうにしていただろうかと、遠い昔のことに思いを馳せるのだ。




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月曜日と雨降り

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今日は一日雨だった。月曜日と雨降りが一緒だなんて、と何度呟いただろう。昔聴いたカーペンターズの歌にそんなのがあった。アメリカに居た頃、何度も聴いた歌だ。

アメリカに暮らし始めたばかりの頃、私は小さなアパートメントに暮らしていた。欲を言えばきりがないが、独りだったから充分だった。まだ、共同生活の経験がなかったから、小さくてもいいからひとりで暮らせるのは有難かった。周囲を見まわせば多くの人がレジデンスで相部屋生活をしていたし、新聞を広げればアパートメントシェアの掲示が沢山あった。近所のコインランドリーには沢山の人が集まるから、そうした張り紙は星の数ほどあって、ひとつひとつ読んでいたら幾ら時間があっても足りなかった。それでも私は踏み切れなかった、誰か、家族以外の人と一緒に生活することを。
そんなある日、学校で知り合った若い女の子がうちに転がり込んだ。一時的に。次が見つかるまで、ということで。日本人だけど母親がアメリカ人だったから、外国人みたいだった。それなのに英語を学びにアメリカにやってきて、ちょっと不思議な感じの女の子だった。色白で、栗色の巻き毛。目がくりくりしていて、笑うと大きな口がわっと開いた。ジュリア・ロバーツみたいな印象で、華やかな感じがした。彼女は甘え上手で、大抵誰からも可愛がられた。その彼女が、私の家に泊めてほしいと言ってきて、何となく断ることが出来なかった。他人との生活は初めてで、さぞかし窮屈だろうと思っていたが、少しもそんな感じがなかった。彼女は空気みたいな人で、気を使う必要が無かった。それでいて彼女は淋しがり屋だから、時々私と話したがった。そのひとつが、カーペンターズの歌だった。安く手に入れたラジオから流れてくるカーペンターズの歌を彼女はなぞるようにして口ずさみ、これは私が子供の頃によく聴いた歌だと言った。幸せで、幸せ以外何も知らなかった頃に聴いた歌だと言った。僅か二十歳の若い彼女がそんなことを言うなんて思っても居なかったから、美しい横顔の彼女を盗み見ながら、誰にでもひとつくらい幸せでないことがあるのだなと思った。彼女は私といるのが居心地よかったらしいが、ついに家を出ることになった。それはアパートメントの経営者が、他人を止めるのは契約違反だからと忠告したからだ。彼女は適当な場所を探して住まいを替えたが、ねえ、聞いてくれる?こんなことがあったの、と頻繁に電話をよこした。そのうち彼女は恋をしてまた住まいを替えるのだが、やはり電話を掛けてきた。多分私は彼女にとってお姉さんみたいな存在だったのかもしれない。幾つか年上のお姉さん。何時だったか、彼女に誘われてクリフハウスへ行った。クリフハウスとは、太平洋を望む岩場に建てられた建物だ。オリジナルは1800年代半ばらしいが、何度も焼け落ちたり崩壊して現在の姿になったらしい、見かけは新しいけれど歴史的な建物なのである。その中にレストラン・カフェがあった。行って知ったのは、彼女がデートに誘われていたことだ。知らなかった私はそのデートの場所に一緒に行ってしまったのだ。しかし相手側も小心者で、親しい共を連れてきたから妙な具合になった。相手が一方的に彼女を好いているらしく、彼女は何とか穏やかに断る術をひねり出そうとしていた。結局彼女は断れぬまま、家に帰った。帰り道に彼女が言ったのは、いい人だから断れない、優しい人だって知っているから断れない、だった。そんな彼女を私は優柔不断とは思わなかった。人の優しさをくみ取ることのできる彼女もまた、優しい人なのだと思った。
彼女との思い出は沢山ある。親友でもなければ単なる知り合いでもなかった。彼女はやはり妹みたいな感じで、私はお姉さんみたいな感じだったのだろう。そんな彼女との短い間共同生活をしたおかげで、私は厚い壁を乗り越えて、家族以外と一緒に生活する勇気を得た。私が彼女に提供したのは短い間寝泊まりできる場所とお喋り。彼女が私に与えてくれたのは、それよりももっと価値のある、人と暮らすことの素晴らしさ、だった。カーペンターズの歌を聴くと思いだすのだ。昔の私。若い彼女。ラジオに耳を傾けながら、終わりのないお喋りをしたこと。もう寝ようよと、どちらかが言わなければ、眠るのを忘れていたかもしれなかったこと。

昨晩、一瞬姿を見せた真珠色の月。今日はちらりとも姿を見せないけれど、明日はどうだろう。




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昔の人の言うこと

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折角の日曜日なのに、正午前に雨が降り始めた。秋の週末といえば、Sagraと一般的には呼ばれているお祭りが、郊外の小さな町で開かれているはず。トリュフの祭り、栗の祭り。それからオリーブオイルの祭りだってある。それらは地元の住人や、近郊の町の人達にとっての楽しみで、陽が高く昇る正午辺りが最高潮。美味しい食事を求めて家から出てくる人達で広場や通りが一杯になって、わいわい喋りながら食する、それが祭りの楽しみのひとつなのだ。なのに正午前に雨が降り始めてしまった。若者たちが、小さな子供の手を引いた大人たちが、突然降りだした雨から逃げるように軒下やバール、テントの下に逃げ込む様子が目に浮かぶようだった。考えれば、今日は雨の予報が出ていたのだ。ただ、朝のうちは良く晴れていたから、予報が外れたのだな、ああ、よかった、と私達人間が良い方に解釈し過ぎていただけだ。

昨晩のことだ。夕食の準備をしていたら、ポン! と大きな音がした。例えばワインのコルク栓を、わざと大きな音を立てて抜いた時のような音。驚いて振り向いたら、床に置いてあったプラスチックの四角い箱の中から飛び出した何かが、天井にぶつかって落下してくるところだった。床に落ちた何かを拾ってみたら、コルク栓だった。相棒が床屋から貰ったワインをボトルに詰めて栓をしたが、それらのうちのひとつのコルク栓が物凄い勢いで飛び出してしまったのだ。天井は床から3メートル以上もある。そんな高いところまでコルク栓が飛び上がったことに驚きながら、コルク栓を失ったボトルを取り出してみたら、中の赤ワインが発酵したらしく泡立っていた。発泡性のワインではなかったが、自然とは不思議なもので、いつの間にか発泡性になったらしい。それにしてもコルク栓が抜けるなんて、と思ったところで思いだした。昔、舅が話していたこと。古い人達はワインと月は大いに関係していると信じていた。そんな舅がある日、馴染のワイン農家から購入した大量の白ワインを地下倉庫で丹念にボトルに詰めてコルク栓をした。これで良し。一年分のワインボトルが地下倉庫に並ぶ様子は圧巻だったそうで、それにしても中腰でするその作業で、舅はくたくたになったそうだ。でもね、美味しいワインを一年分用意したと思えば、疲れは、すなわち満足感なんだよ。舅はそんな風に話してくれた。外国人の君はワインのことなど何も分からないだろうけれど、と言った表情で。それだから、舅いと私はうまくいかなかった。一目置いてくれないような人と、自分を小馬鹿にするような人とうまくいく筈がなかった。それに私は若かったし跳ねっかえりだったから、舅が私に偏見を持てば持つほどうまくいかなかった。ある日舅がワイン農家から大量のワインを購入して帰って来た。確か一年分のワインが準備できたと喜んでいた筈だけど、と訊いてみたら泣きそうな顔で言った。数日前、昼食の為にワインを取りに地下倉庫へ行ってみたら、栓がひとつ残らず抜けていたんだよ。月の動きを間違えたのかもしれない。いいや、ちゃんとカレンダーで確認したはずなのに、と。どうやらワインと月の動きは大いに関係しているらしく、舅はそれを間違えたためにコルク栓がひとつ残らず抜け出てしまったと思っているらしかった。その話を近所の老人に話したら、君、それは笑い事じゃないんだよ、本当のことなんだからさ、と戒められてしまった。どうやらイタリアではそういう言い伝えがあるらしい。本当かどうかはわからない。でも、こうして自分のうちでコルク栓が飛び上がったところに出くわしてみれば、月の動きの話は本当なのかもしれない。

発酵した赤ワインのことだけど、とても強いワインになっていて相棒と顔を見合わせた。そして飛び切りうまい。一体どうしてこんなことになったのだろう。




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骨董品

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今朝、窓を開けたら秋の匂いがした。秋の匂いとは、枯葉が湿った匂い。ボローニャは秋が深まると湿度が思いきり高くなって、雨が降ったわけでもないのに地面が濡れる。外に置きっぱなしだった椅子がすっかり湿ってしまった。やれやれと深いため息をつきながら家の中に入れようとしたら、がさごそ、と音がした。階下の庭の方からだった。動物でもいるのかもしれない。この辺りにはハリネズミや野兎が居るから。私の家は、旧市街からバスで15分ほどの普通の住宅街。確かに坂道を奥へ奥へと登っていけばびっくりするような豊かな自然が存在するが、こうした動物たちがこんな住宅街に存在するのはどうしたことだろう、と思う。そしてこの辺りに昔から住んでいる人達は、そういうことに驚くこともない。まるで当然とでもいうような口調で言うのだ。庭の手入れをしていたら枯葉の下にハリネズミが隠れていたとか。草むらから野兎が出てきたとか。聞けばこの住宅街も昔は大変な田舎だったらしい。だからそんな小動物が居たってちっとも不思議ではないよ、とのことらしい。そういえば、窓から外を眺めていたら、木の枝を栗鼠が駆け上がっているところを見たこともあった。その速さといったら驚くほどで、私も猫も、その一瞬の椅子の姿に目を丸くしてしまったっけ。がさごそ、という音に目を凝らして眺めてみたが、それっきり音はしなくなった。小動物は警戒心が強いから。きっと人間の気配に気づいて身を固めてしまったに違いない。残ったのは黄色い葉の落ちる音。かさり、かさり、と落ちていく。葉が落ちるその音は、さよなら、さよなら、に聞こえる。窓の前の菩提樹の葉が、来年の春までさよなら、と言っているかのようで、ちょっぴり寂しい。

土曜日の楽しみは、旧市街の散策。いつもなら昼前に出掛けるのに、午後も3時を過ぎてからになったのは、相棒が家で待って居てほしいと言ったからだ。そういうことは滅多にない。一緒に昼食をしようということなのだろうか、と思って準備をして待っていたら、ふう、ふう、と言いながら家の中に入って来た。何か重いものでも持って階段を上がって来たような感じで。どうしたのかと思って行ってみたら、分かった。修復を終えたSpecchiera、つまり化粧台を持ってきてくれたのだ。丹念に修復されて乾いた布で良く磨かれた其れは美しく、声を出すのも忘れてしまった。
化粧台を見つけたのは先月だった。ボローニャ郊外の古道具屋で、相棒は店主に頼まれて、時々修復することがあるらしかった。初めて出向くその店で、私は店主に紹介されて、ちょっといいかい、と言って相棒が店主と奥に行ってしまったので、私は店に並んでいるものを物色していた。と、目に留まったのが、古い、上等の小さな化粧台だった。抽斗箪笥の上に置くもので、小振りの鏡と小さな抽斗がひとつだけ付いていた。丁寧に使われてきたと良くわかるが、随分と虫が食っていて小さな穴ぼこが幾つもあった。胡桃の木を使っていて、1800年代末のものらしかった。私がそれを丹念に眺めていたら、店主が教えてくれた。これは今日店に入ったもので、どこかのご婦人が大切にしていたものらしいが、手放すことになった。ご婦人が他界して家族が保管していたが、遂に建物ごと手放すことにしたのだそうだ。建物は売られ、中にあった家具類は安価で売りに出されたのだそうだ。こうしたことはよくあることらしい。建物は人が住んでいないと傷んでしまうから、と。それにしたってこうした骨董家具を手放すなんて、と思うのだけど、人にはそれぞれ好みというものがあって、どうやら残された若い家族の人達は、こうしたものには関心が全くないらしかった。化粧台をもう一度観察すると、部品はどれもオリジナルらしいが、鏡を支えるねじがひとつだけ妙に新しい。店主が言うには、確かにオリジナルのねじがついていたのだが、何かの拍子にはずれてしまって見つからない、でも、店の何処かにあるんだよ、とのことだった。確かにネギがひとつオリジナルではないけれど、確かに虫食いで穴が沢山あるけれど、私は化粧台がすっかり気に入ってしまった。修復したら、きっと素晴らしくなる。相棒が店主に交渉して安価で譲ってもらった。それから何処かにあるに違いないオリジナルのねじも。絶対見つけてほしいとお願いして。
化粧台のことを忘れていたわけでなないけれど何も言わずにいた。だいたい、化粧台を手に入れた時、年内に修復が出来たら上等だと相棒が言っていたではないか。仕事優先。化粧台の修復は、時間のある時に少しづつ。言われなくても承知していたから、ずっと黙っていた。だから、こんなに早く修復を終えて家に持ち込まれるなんて夢にも思っていなかったのだ。顔をぱっと明るくして喜ぶ私に、だって君はこのところ元気がなかったから、と相棒は言った。そうか、私は元気がなさそうに見えたのか、と思いながら、そういうことを相棒が気にしてくれたことが有難かった。磨き込まれて飴色に光る小さな化粧台。同じ年代の抽斗箪笥の上に置いたら、ぴったりだった。何時だって両親や親しい友人知人のことで時間も気持ちも一杯だった相棒が、ようやく自分たちの生活の方に向いてくれたような気がして嬉しくなった。

午後になって旧市街へ行ったが、あっという間に日が暮れてしまった。夕方5時には日が暮れる。ちょっと早すぎやしないか、と思うけれど、11月とはそういう月なのだろう。今夜は満月の筈なのに、夜空のどこを探しても月の姿が見つからない。妙に湿った空気。どうやら雨が降るらしく、空が黒く深い。そんな土曜日の夜。




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