春を感じる

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4月1日。4月の魚という名が付いた今日だが、つまりはエイプリルフールである。数日前から企んでいたのに、うっかり忘れてしまった。本当ならば紙をくり抜いて作った魚に色を付けて、相棒と猫の背中に張り付ける筈だった。猫は大抵すぐに気付いてカンカンに怒るのだが、相棒は気付かずに出掛けていく。そして外で知人に会って指摘されるのだ。何だ、君は今年も奥さんにこんなことをされて。あははは、と外で大笑いするくせに、家に帰ってくると怒るのだ。よくも今年もこんなことをしてくれたな、と。その繰り返し。外出禁止でクサクサしているからこそ必要だと企んでいたが、ああ、残念。でも忘れてしまったものは仕方がない。

外に出ないので春を感じる機会が少ない。何時もなら街を散策して、其処此処に春を感じるというのに。例えば美しいポルティコの下を歩いているだけでも。そんな今日、相棒がキッチンに春を持ち込んだ。アスパラである。私は此れが好物で、アスパラがあると心が躍る。大きな一束はふたり暮らしに多すぎるから、何時も2,3度に分けて調理する。一番好きなのはやはり茹でたもの。これに溶かしたバターをかけたり、大蒜を焦がしたオリーブオイルを掛けてみたり。塩ゆでしただけでも充分美味しいものはシンプルな調理が良いと思う。
アスパラで思いだすのは、私がローマに暮らしていた頃、同居人と郊外の街の野原で野生のアスパラを摘み取って、其れを夕食に頂いたことだ。ほら、こんな風にして摘むのよ。彼女はそう言って教えてくれたが、え、何処にあるの、と私はきょろきょろするばかり。そうしたら彼女が教えてくれた。腰を落としてね、こうして見るとよく分かる。ほら、此処に。此処にも。彼女の言うように腰を落として草原を凝視すると、本当に驚くほどの野生のアスパラが存在することに気付いた。私達は僅か10分ほどで大人が3人堪能するに充分な量を摘み取り、其れを茹でて、そして大蒜とオリーブオイルと少しの塩でさっと炒めた。此れが本当に美味しくて、暫く忘れることが出来なかった。
ローマを引き揚げてボローニャに暮らすようになったある春の日、舅と姑、そして相棒と私は田舎へと車を走らせた。此処よ、と姑が言うので車を止めたら、あるある、驚くほどの野生のアスパラが。ああ、ボローニャにもあった、と私は大喜びで、ローマで同じような体験をしたこと、素晴らしく美味しかったことを皆に話したものだった。そういう話をすると、大抵舅が口を出すのだ。どうだ、イタリアは日本よりいいだろう、などと。すると相棒か姑が、彼女は日本の方がいいに決まっているじゃないか、日本人なのだから、と舅をコテンパンにやっつけたものだ。もう10年以上も前に他界した舅が今ここに居たら、私は言うに違いない。日本もいいけれどイタリアもとてもいい。いや、もう少しひねって、イタリアも悪くないわね、などと言ったらば、舅は苦笑するだろう。此奴は口が減らないな、と。

家に居るのもあと数日、ははは、来週の月曜日には仕事へ行くのだ、と張り切っていたら、またしても通達が届いた。自宅待機は4月13日まで延長。はーっと大きな溜息を吐く。今の職に就いて、これほど仕事に行きたいと熱望したことは無い。この気持ち、忘れないで居たいと思う。きっと役に立つと思うから。




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骨董象牙色

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                      昨年の今頃、私達は普通の生活をしていた。旧市街にて。


風が吹いている。其れは夕方か、それとも晩に雨が降るぞとの予告のような風。テラスには昨夕ペンキを塗った4枚の板が立てかけられている。其れなりの厚みも幅も長さもある板だから、そうそうの風で飛ばされたり倒れる心配はない。寧ろこの風は早く乾かすために好ましいくらいなのだが、それも雨が降り始めたら元の木阿弥。そういう訳で私は朝から外の様子が気になって仕方がない。

この家に暮らすようになって5年が経つが、未だに居間が完了していない。生活に困ることはないが、未だに二角が空いたままで殺風景。好みの家具に遭遇できず、かと言ってその場しのぎの家具を置くようなことはしたくない。何しろエレベーターが無いので、運び入れるのも運びだすのも体力と時間、そして誰かの助けが必要なのだ。それで未完了。5年も経っているのにである。以前の住まいで使っていたものの多くは、売ってしまった。良い買い手が付いたからというのもあるけれど、気分一新したかったのが一番の理由だった。ひとつの角には棚を、もうひとつの角には1800年代終わりくらいの骨董箪笥を置きたい。自分達が気に入るものを時間をかけて探す、そういうつもりだった。5年間、その空間が気にならなかったわけではない。幾度か此れはどうかというものに遭遇したが、結局決められないまま時間が経ってしまった。
数日前、外出禁止で有り余る時間に辟易したのだろう、相棒が地下倉庫から引っ張り出して来た。渋く光るステンレス製のとても重たい太い円柱が2本。棚の柱になる部分で、板を支える腕もついていた。見て直ぐわかる時代物だ。私はそれに歓喜した。遂に棚を取り付けるのか。訊けば随分前に古い店が閉まるにあたり、譲って貰ったものだという。70年代のステンレス製。かなり好みのものだった。置きたい場所に建ててみたら居間の印象がぐっと良くなった。骨董家具は大好きだが、其ればかりだと息が詰まる。だから照明器具とか棚とか、そういうもので息抜きするのがいいと思っている。板は、板はどうする。しかし、板は無いという。相棒がもう一度地下倉庫に潜り、探し出してきた4枚の板。同じ厚みで同じ幅の木材だが、色も違えば長さも違う。それで長さを切り揃えて、ペンキを塗ることになった。今はどの店も閉まっているから、あるもので済ませる、ということで再度地下倉庫へ行って見つけたのが一缶の骨董象牙色で、昨夕ペンキを塗ったという訳である。たまたま見つけた残りのペンキとはいえ、塗りあがった板は居間のレースのカーテンとの相性がとても良い。一歩前進。明日は棚を組み立てて、ずっと部屋の隅っこで待機していたレコードや本を整理したいと思う。
こういうことにエネルギーや思考を使って外出禁止によるストレス解消していれば、そのうち再び外の生活を楽しめるようになるだろう。

窓の外の菩提樹の枝にようやく美しい緑の芽が付いた。この枝に葉が茂ったら、隣の敷地の建物も見えなくなり、早い初夏の到来だ。風が薫る5月に胸を膨らませて、誰もが辛い今の時期を乗り切ろうと思っている。




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夏時間の始まり

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                       昨年の今頃。旧市街の大きな郵便局前にて。



雨が降ると言われていた日曜日は快晴とは言わずとも光のある穏やかな一日となった。外に出掛ける用は無いが、家に居たって空が明るいのは気分が良いものである。窓を開け放って家の中の空気を入れ替えたり、シーツを剥がして洗濯機の中に突っ込んだり、天気が良いとしたいことが次から次へと思い浮かぶ。相棒は建物を取り囲む敷地の手入れに精を出す。別に彼の仕事でもなければ、誰かに頼まれたわけでもないけれど、恐らく、もう家の中になんて居られないよ、と、そんな感じに違いない。今は敷地に敷かれた砂利を均等にならす作業に忙しく、これで終わりかと思えば、生え始めた雑草を取り除くのだというからご苦労様なことである。こういう人がひとりくらい居ると住人は助かるというものだが、此処の住人達はそうではない。こういうボランティアで働く人が居ると、自分がしていないことに罪悪感を感じるらしく、大抵作業が終わる頃になると外に出てきて功労者を労い、そして自分が贔屓にしているワイン農家で購入した自慢のワインを二本ほど手渡すのだ。ありがとう、綺麗になって助かったよ、と。今回は相棒が作業をしているが、何時もそうとは限らない。夏場には炎天下で隣の人が芝刈り機でぼうぼうに生えた草を刈ってくれたし、からからに乾いて砂埃がひどい時は上階の人がホースで水撒きをしてくれる。すると待ってましたと言わんばかりに自分の自慢のワインを引っ張り出して労うという訳だ。一年通してみれば、案外平等にやっている。案外うまく行っているのだ。それにしても楽しそうだ。テラスから相棒の様子を見ながらそう思う。よほど家に籠もる生活にうんざりしているに違いない。

今日は実感のないまま夏時間が始まった。此れほど実感がないのは、夏時間のある生活をするようになって初めてのことだ。初めて夏時間を体験したのはアメリカだった。1992年の夏時間は確か4月第一日曜日に始まった筈だ。私は前年の夏に暮らし始めたこともあり、夏時間が始まる時がどんな感じなのか、とても楽しみしていたからよく覚えている。しかしその日を迎えてみれば何んてことはなく、単に一時間眠る時間が少ないだけだった。それにしても良い天気で、西海岸の街は海風が吹く日は酷く冷えるが、そうでない天気の良い日は快適で、私は一緒に暮らす友人に誘われて散歩に出た。彼女も私も半袖のシャツにジーンズという軽装で、すぐ傍にある停留所からONE CALIFORNIAのバスに乗った。私達が住んでいたのはサクラメント通り。此の道は東西にまっすぐ延びていて、東へ行けばチャイナタウン、そしてビジネス街、しかし西へ行けば大西洋が広がり、その途中には洒落た界隈があった。私達が途中でバスを降りたのは、その洒落た界隈を歩くためだった。私達の生活と少しかけ離れたその辺りに暮らすのは、裕福層と行かずとも良い仕事に就き、庭のある一軒家などに暮らすような人達。小さな店が連なって、中に入るでもなく外から覗きながら歩いたものだ。途中で私達はまたバスに乗り、来た道を戻ると、今度はフィルモア通りで下車して北へ続く坂道を上った。坂道のてっぺんまで来ると其の先に湾が見えた。気持ちの良い眺め。此れを見る度に、此の街に暮らせたことを感謝したものだ。どんなことも忘れてしまう眺め。ツマラナイことも残念なことも、切り詰めた生活も。私達は何を話しながら坂道を下っただろうか。感じの良い話題だったことは確かである。天気に恵まれた楽しい日曜日。何の予定もなく、急ぐ必要もない。湾まで行かずに私達は右折してユニオン通りを見て歩いた。此処は有名な通りで、当時は小さな店が数珠つなぎのように存在した。そのどれもが感じが良くて、そのどれもが私には手の出ない店だったけれど、見るのは無料、と店側には迷惑かもしれないが、私には楽しくてどうしようもない通りのひとつだった。そうだ、あの日友人は、散策中にサングラスを購入した。店のショーウィンドウに飾られた、レイバンのサングラス。ジョン・レノンがしていたのによく似たモデルでなかなか手に入らないものだった。200ドル以上もするのが玉にきずで、しかし財布の中に丁度現金があったので彼女は迷わず手に入れた。そんな現金が彼女の財布の中に入っていたことに私は大そう驚いたけれど、気に入ったものを手に入れる彼女の心意気みたいなものが気持ちよかった。そんな彼女のことを人はあれこれ言ったけど、私は彼女のことは好きだった。のびのびとした楽天家。人生を謳歌しているような人。困った時も辛い時も笑っていた。私には一生かけても真似できない、沢山の良い部分を持っていた彼女。そんな彼女と一緒に暮らすことが出来たのは、私にとって幸運だった。私がへこむと、彼女は言うのだ。大丈夫よ。きっとうまく行くから。そう信じて私は今までやって来た。彼女、今頃どうしているだろうか。

夏時間が始まって、夕方の明るさに万歳。夏時間の賛成反対色々あるけど、夏時間が存在する限りは良い部分を楽しもうではないか。明るい夕方は良い季節がやって来た証拠。私達の生活が元に戻ったら、仕事帰りの明るい夕方にアペリティーヴォを楽しむのだ。うふふ。またひとつ楽しみが増えた。




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日光浴

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                                昨年の今頃。旧市街にて。



連日の冬のような寒さと鼠色の空に塞ぎこんでいたところ、今日は思いがけず空が晴れて気温も17度まで上がった。窓の外を眺めると、向こうの家の広いテラスに日光浴をする人達の姿が。日光浴するほどの暖かさではないけれど、暖かそうなジャケットに身を包んで、陽が良く当たる場所を陣取って、太陽を存分楽しんでいる様子に心を動かされた。太陽の存在。この状況の中にもまだ感謝すべきうことは存在するのだと嬉しくなった。

昼過ぎに携帯電話が鳴った。ブダペストに暮らす友人だった。長らく暮らしは北欧の街を引き上げて、先週自分の家に帰ってきたばかりの彼女。どうしているだろうと思っていたところの電話だった。電話口の声が明るいのでほっとした。互いに置かれている状況の報告をして、どんなことを考えているかなどを交換して。それにしても現在のウィルス騒ぎで外に出ることが出来ないとか、仕事に行かず給料が保証されているのかどうかとか、何時まで続くのか見当もつかないとか、話すことは山ほどあった。暗い話が多いが、しかし明るい話もあって、それはこの騒ぎが終結したらば、したいことを先延ばしにせずに実行したいということだ。何をしたいか。私が日本に帰省したら、老いた母と姉と一緒に、国内旅行をしたいこと。特に母はここ数年、足が弱ったことや疲れやすいことで旅行などはしていない。最後に一緒に出掛けたのは、確か8年ほど前のこと、母が若い娘だった頃に住んでいた自由が丘や、家族でよく遊びに行った銀座をそぞろ歩きした時だ。あれからは母はガクンと体力が落ちて、私が帰省しても一緒に何処かへ行こうと言わなくなった。だから私の散歩の友は何時だって姉で、それでよいと思っていた。しかし誘ってみようと思う。昔、私がまだ学生だった頃に家族皆で行った北海道。夏の北海道は気持ちが良いに違いない。そして美味しいものを食べたらば、良い気分転換になるだろう。私が日本を飛び出して29年。私は今まで自分のことで手いっぱいだった。様々な問題に直面しながらも、自分がしたいことを随分としてきた筈である。今、ようやく周囲を顧みる余裕ができた。それとも自分程の年齢になって、自分以外の人のことを考えることの大切さにやっと気付いたのかもしれない。それが母を姉と一緒に連れ出す小旅行ならば、あまりに小さな感謝の形だけれど。北海道もよいけれど、近場にも良い場所は沢山あると提案してくれたのは友人だ。それが箱根。話によれば新宿から電車一本で行ける位置に在るらしい。らしいというのは、私があまりにも日本を知らない証拠である。それはいい。其れなら母を連れだしやすい。何でも話してみるものである。自分が知らないことは沢山あるのだ。思いがけず、箱根の楽しい話で花が咲いた。それにしても女同士の電話は何故もこう話が弾むのか。おかげで2時間も話してしまった。よくあることである。特に彼女との電話は、何時もこんな風なのだ。思い切り笑い、互いが心に溜めていることを言葉にして。必要だったなあ、こんな長電話。此れも心の日光浴みたいなものだ。

ところで、有難いと言えばもうひとつある。自宅待機が始まる前に職場でマスクをしていたら、顔がかぶれてしまった。もともと肌が弱いので、それは想像しうる問題だったが、果たして肌がかぶれると、肌が熱いわ痒いわ煩わしいわで仕事どころでないばかりか睡眠すらもとれない程だった。そんなタイミングで自宅待機が始まり、マスクをする必要が無くなったのは運が良かったとしか言いようがない。さて、かぶれた肌についてであるが、薬局へ出向いて相談したら、店の人が哀れみ深い表情を向けながら、時々そういう人が居るのだと言い、良いものがあると言って二種類のクリームを棚から取り出してくれた。ひとつは敏感ゾーン用。例えば目や頬骨の周辺の為に。もうひとつは顔や首にまで使えるもの。薬ではないという。ビタミンEなどを配合して作られたものだそうだ。双方ともかぶれが治癒してからも継続できるもの、洗顔後の肌を整えるクリームとして使えるものだとのことだった。私はその両方を購入した。早速使ってみると、あら、いい感じ。あの煩わしい熱を持った痒みはパタリと納まり、肌が冷静になった、とでも表現しようか。それに肌触りがさらりとしていて、違和感もない。化粧品店や薬局に並ぶ基礎化粧品よりも安価であるのに良質である。此れも今回のマスクかぶれが無ければ、出会うことの無かったもの。物は考えよう。良いことは案外思いが出ない場所に存在する。残り10日間もポジティブにいこう。




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時間がたっぷりある

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天気は良いが風が強く、外は驚くほどの寒さである。一昨日は昼には21度にも上がったので窓という窓を開け放ち陽の匂いのする外気を家の中に迎い入れたものだけど、今日はそうはいかぬ。外は僅か8度だから、カーテンを開けて窓がらず越しに陽を取りこむだけにしておくのが得策。こんな日に食料品や薬を購入するために、店の外に並ぶのは辛いだろう。ウィルスに罹らずも風邪を引くのがオチである。先週末に済ませておいてよかったと思いながら、青い空を眺める。車の交通量がガクンと減って2週間経つ。空が前より綺麗に見える。国に命じられた自宅待機が終わり、私達が大腕を振って外に出られるようになるころには、空気は澄み、空も見違えるほど青くなるのだろう。このウィルスで人間は毎日困っているけれど、自然には必要だったかもしれない、人間たちの車を使わぬ生活。そう思えばいい。自宅待機が自然の為に役立っていると思えばいい。

毎日、様々なことを考える。兎に角時間がたっぷりあるのだ。今日はローマのことを考えた。私がローマに暮らしたのは1996年のこと。生活するにあたり私はヴィットリア・エマヌエーレ2世広場から少し行った辺りに在る、昔は豊かな人達が住んでいたに違いない外観の美しい、古い建物に暮らす老女のところに間借りしていた。新聞の3行広告で見つけた場所だった。ところがあまりに規則も不都合も多いので、時計屋を営む老女の息子に引き留められながらも、私は其処を2月最後の日に飛び出して、そして移り住んだのがテヴェレ河の向こう側のプラティという界隈だった。此処でも間借りで、私達は全員で5人だった。若い4人のイタリア人達とうまくやっていけるかどうかは住み始めてから考えればいいと思ったのは、兎に角老女のところを引き上げたい一心だったと言えよう。5人の共同生活。私の3月はそんな風にして始まった。ところで彼らも若かったが、私も若かった。ただ、彼らに比べれば少し年上だったと言うだけで。だから今に比べれば順応能力も高く、様々な方面に大変柔軟だったと言えよう。私が彼らから学んだものは数え切れない。皆でうまくやっていく方法。何時も使用中の電話や洗濯機の順番をうまく獲得する方法。誰かの食事中に遭遇して、美味しいものを分けて貰うコツ。時には誰かと一緒に外に出て、美味しいパンを買える店、新鮮な青果を手に入れる店、上等な生ハムを安く手に入れることの出来る店などをひとつひとつ教えて貰った。新鮮なモッツァレッラと牛乳を売る店は、アパートメントの建物の筋向いにあった。バールと店が兼用で、ちょっとカッフェを頂いたついでに牛乳を買って家に帰る。それが私達の習慣だった。あの界隈は穏やかな空気が流れていて、大通りを歩くのも楽しかった。小さな店が連なる洒落た界隈は、歩道も悠々と広く、3月も半ばになると街路樹に花が咲いて美しかった。あれは何の花だっただろうか。リラの花だったと思うけど、今は記憶が定かでない。途中には高級食材店なるものがあり、其処のに私を連れこんだのは、やはり共同生活の仲間だった。彼女は身に着けるもの持つものがどれも一流で、家での食事の材料も飛びぬけていた。そんな贅沢が出来るなら、何故ひとりで暮らさないのかとも思ったけれど、今なら分かる、彼女は皆で賑やかに暮らすのが好きだったのだ。寂しがり屋だったと言ってもよい。兎に角彼女の影響で、私もその店を贔屓にするようになった。珈琲豆を購入したり、新鮮なチーズ、惣菜を購入したり。そしてこの店のカッフェは美味しくて、何の買い物もしないのに、わざわざ足を運んで朝のカッフェを楽しんだものだ。私の場合、此の店に通うのは贅沢なことだった。しかし其れも相棒から離れて他人との共同生活の小さな豊かなエッセンスだと思えば、其れほど贅沢をしているようには思えなかった。それにカッフェをするカウンターはいつも混雑していて待たされるが、そのうち顔を覚えて貰うようになると後ろの方でもたもたと順番を待っている私を店の人がいち早く見つけて、カッフェを差し出してくれるようになったから、私にとっては居心地の良い、有難い場所だったのだ。勿論、5人の共同生活は楽しいことばかりではなかったけれど、3月になると私はいつも思いだしては、良かったこともそうでなかったこともひっくるめて、プラティ界隈に居場所を移したのは全くの正解だったと思うのだ。あれから随分の年月が経つので、雰囲気は変わったかもしれない。ボローニャが多少ながら変化したように。一年足らず暮らしたローマに此れほど思いを寄せるのは滑稽だろうか。でも、私は思っている。挫けかけていた私が前向きに生活する気持ちを取り戻したのは、ローマという街のおかげだと。兎に角広くて太陽が降り注ぐようなローマという街。だから人に好きな街はと訊かれると、色んな場所が好きだけど、ヴェネツィア、そしてローマと答えるのだ。遺跡とか、歴史とか抜きにして、ローマはやはり素晴らしい。

栃ノ木の葉がみるみる間に茂り、私を窓辺に誘いだす。花が咲くのも時間の問題。案外、私達の外出禁止が解かれる前に花が咲いてしまうのかもしれない。其れもよし。毎日窓からその様子を眺められるのは贅沢なことだから。ところで寒い。寒いのである。外で囀る鳥たちも驚いていることだろう。こういうのを日本語で寒の戻りと呼んだだろうか。春と呼ぶのはもう少し先になるらしい。




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