ああ、ヴィエンナ

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皆、何処へ行ってしまったのだろう。そんなことを今日は幾度も呟いている。近所の小さな子供の声もしなければ、テラス越しに世間話をするシニョーラたちの声もしない。毎朝、仕事に出掛ける時に顔を合わせる近所の青年が、昨日午後に車に大きな荷物を詰め込んで出発した。きっと故郷に帰省するのだろう。声を交わしたことは無いから何処から来たのかは分からない。昔は車のナンバープレートを見れば何処の街から来ているのかすぐに分かったものだけど、いつの頃からか表示方法が変わり、何の手掛かりにもならない。イタリア人は長距離運転を苦にしない人が多い。勿論疲れるだろうし、渋滞に遭わない様に夜中のうちに出発することはあるにしても。その証拠に、ボローニャからプーリア州、ボローニャからシチリア島へ車に乗って帰省する。言うのは簡単、しかし1300キロにも及ぶ長旅。よくやるなあ、と私はそうした人達の話を聞きながら感嘆するのだが、そういえば家にもいるではないか。ボローニャからブダペストへ車で行きたがる人が。私達が選ぶのはオーストリアの大きな美しい湖を通る約1000キロ弱の道のりで、昔は一気に目的地へ行ったものだけど、いつの頃からかオーストリアの小さな村に一泊する楽しみを覚え、長距離を二分割するようになったけど、それにしたって長旅には変わらない。だから飛行機で行こうと提案するのに、いいや、車がいい、と言うのだから、どれほど車の運転が好きなのかが分かるというものである。兎に角そんな風にして、どの家も南へ北へと移動して留守なようだ。家族のところへ行かなくても、山へ海へとボローニャの街からの脱出を図る人々。ああ、イタリアだなあ、と思うのはこんな時だ。私のように家に居る夏なんて、考えたことも無いに違いない。そんな私だって、実は己に驚いているのだ。えー、家に居る夏の休暇? と。

本当ならば今頃ヴィエンナに居る筈だった。気に入りのホテルに泊まっての5日間。ボローニャから離れて、異なる気分を味わっている筈だった。初めてヴィエンナを訪れたのは10年前になる。独りでブダペストへ行く途中に立ち寄ってみたくなり、航空券はボローニャ、ヴィエンナの往復だけを購入して、其処から列車でブダペストへ行くと言う、実に旅らしい旅だった。降り立ったヴィエンナは気温が低くて驚いたものだ。ボローニャから同乗してきた若いボローニャ人達が、夏とは言えヴィエンナは涼しいから、必ず上着か何かを持ってこないと、と肩をつぼめている私を諭したものだった。大きな街で歩いても歩いても目的地に辿り着けず、ああ、成程、だから地下鉄やトラムが街を網羅しているのだと頷いたものだった。空気が違うと色も違う。街が違うと聞こえる音も違う。街を歩きながら私の好きなブダペストがヴィエンナに大きな影響を受けていることを確認し、そして私がこの街の魅力の虜になっていることを確認した。私は泊まったホテルはリンクと呼ばれる旧市街を取り囲む環状道路の外で、大通りを南にいったところに在ったけれど、昔は存在したらしいが現在ボローニャには存在しないトラムに乗ればすいすいと何処にでも行けた。夜中のトラムの音、早朝のトラムの音が好きだった。騒音とも呼べる音なのに。だからその後もこのホテルを予約する際は敢えて大通りに面した部屋を頼んだものだ。ボローニャに無い色、ボローニャに無い形、音。そんなものを見つけながらの散策は楽しく、行く先々でカフェに入って葉書を書いた。この夏のヴィエンナは4度目の筈だったが、4度目は延期となり、まだ何時まで延期されたのかは当の本人ですら分からない。ただ、私は知っている。ヴィエンナは決して逃げないことを。何時か皆がマスクを外して生活できるようになる。そうしたら4度目を計画するタイミングだ。そんなことを思ったのは、ふとしたところからヴィエンナの写真が出てきたからだ。暑さがすっかり戻って来たボローニャで、私は涼しいヴィエンナを想う。諦めが悪いねと相棒に笑われたのが救い。残念だったねと慰められるよりはずっといい。何故なら仕方のないことなのだから。

予想通り隣の家族も、上階の家族も、階下の住人も留守。そして相棒も姑のところに朝から出ていないので、ここに居るの私と猫ふたりぽっち。何と静かなこと。時間が止まってしまったような。しかしそれも悪くない。風通しの良いせ迂闊。聞こえるのは弱く鳴く蝉の声、風に揺れる木の枝の音、そして時々聞こえる遠くの通りを走る車の音。




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桃が好き

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目覚まし時計が鳴ったのに、うっかり寝過ごした朝。休暇中なのだからもっとのんびりすればいいのに、と相棒は言うけれど、朝はやはり早い方がいい。気温が上がって汗を掻く羽目になるからだ。適当に早起きして、涼しいうちに家のことなどを手早く終えて、外に出て。そうして午後に短い昼寝などをするのが理想だが、今日に限っては既に手遅れ。外の気温は十分上がっていた。休暇中なのに、しかも土曜日だと言うのに、時計を見ながら朝食を終え、身支度をして外に出た。今日は気温が高くなると昨日テレビで言っていたから、思い切り涼しい装いだ。先日仕上がった薄青緑色の一枚に、薄手のコットンパンツ。これ以上涼しい装いは無い。それにサンダルを合わせたら完璧なのだが、歩くには適していないので、やはり今日も素足にモカシンシューズ。旧市街へ。今日は相棒に頼まれた用事を済ませるために。そしてマッジョーレ広場脇の食料品市場で桃を買う為に。

8月になってめっきりバスの本数が減った。しかも週末となれば尚更で、バスを逃したら最後、なかなか次が来ない。停留所に待ち人が居ないところを見ると、バスが行ったばかりらしい。あーあ、と溜息をついたところでバスが来た。運が良い。寝坊はしたが出だし好調。旧市街は空いているかと思いきや、案外人が居るので驚いた。ボローニャの人が半分。他の街からの旅行者が半分。国外からの旅行者はあまりいない。当然と言えば当然、コロナウィルス以来外国人の姿はあまり見かけなくなった。太陽が天辺に上る前にすべてを済ましてしまいたかった。てっお縁に太陽が来たら最後、日陰がなくなってしまうからだ。勿論ボローニャにはポルティコと言う強い味方が居るけれど、しかしポルティコの下は風通しがあまりよくない。週末の今日は車両通行止めの通りが多いのだから、日陰を探して路上を歩く方が好みである。相棒に頼まれた用事の為に随分歩く羽目になった。行った先が閉まっていたので別のところに足を運ばねばならなかったからだ。まあ、歩くのは身体に良いし、歩くのは好きだけど、しかし今日のような気温の高い日にはあまり好ましくないことだった。33度の表示を街角で見つけた時、一気に汗が噴き出した。どうりで暑い訳だ。用事を済ませたので、店先を眺めながらのんびり歩いたが、何と多くの店が商売をやめてしまったことか。そして此れから閉店するために売り尽くしセールをしているところも。コロナウィルス騒ぎ以来、ボローニャはこんな感じになった。だからよく行く店の人達は、店を継続できるだけでも有難い話だと私に聞かせる。そんな言葉を思いだしながら、もぬけの殻になった寂しげな店の前を幾つも通り過ぎた。マッジョーレ広場脇の食料品市場界隈の半分は夏季休暇の為に閉まっていた。行きたかった店は閉まっていたが、初老のイタリア人男性が営む小さな店が開いていた。この界隈も随分変わった。イタリア人が営む青果店を見つけるのが難しくなった。以前はあまり気にしていなかったが、最近気づいたことがある。パキスタン人やバングラ人が営む店は此処ボローニャには沢山あるが、残念なことに自分の店に置いている野菜や果物の知識があまりないようだ。だから美味しいのを選んでほしいと頼んだところで、良いものにあたったことはあまりない。食べ頃の美味しいのを選んでほしいと頼んだところで、どれがいいかわからないとか、挙句の果てにどれも同じだなどと言われて、がっかりするのはもう沢山。それに頼んだ野菜や果物を、案外乱暴に扱うのも気に食わない。だから最近は好んでイタリア人の店に行く。彼らは親の代から青果店を営んでいることが多く、先代に良く仕込まれたのか、それとも青果に対するパッションがあるのか、食べ頃を選んでほしいと頼めば大変真剣に選んでくれるし、美味しいかと訊けば間違えないと太鼓判も押してくれる。私はこう言う店が好きだ。それで初老の男性の店には客が幾人も待っていた。ようやく自分の番が回ってきたのは10分も経ってからだった。どの客も桃を注文するので残り少なくはらはらしたが、白桃でも黄桃でもいい、兎に角食べ頃の飛び切り甘くて美味しいのを6つ欲しいと店主に頼むと、うん、と深く頷いて一瞬奥に入ったかと思うと、別の桃の箱を持って出てきた。白桃。しかも大きくてとても美味しそうだった。彼は其の箱から更に食べ頃のを6つ選び出し、間違えないよ、此れはとてもいい桃だよ、と言って袋にそれはそれは丁寧に桃を入れた。桃はデリケートな果物。だから乱雑に袋になんて居れたらすぐに痛んでしまう。その点から言ってもこの店は合格だった。有難う、良い週末を。私がそう言うと、彼はにこやかな表情で幾度も頷いた、その様子が随分と前に他界した舅によく似ていて、良きボローニャ人、なんて言葉が心に浮かんだ。生粋のボローニャ人。ボローニャの古い建物の分厚い壁のごとく頑固で強気で自信があって優しくて人情派。そんなボローニャ人は少なくなっているけれど、此処にひとり。時々この店で買い物をして、店主と言葉を交わすのも良いだろう。

今夜、冷えた桃を頂いた。店主の言う通り良い桃だった。皮がつるりと剥けるのが食べ頃のしるし。どんな菓子よりも美味しいと思った。たかが桃と言うなかれ。宝石のような果物だ。みずみずしくて甘くて、私を夢心地にさせる桃。ところで店先で私が桃を注文すると奥から別の箱が出てきたのは幸運だった。多分桃を6個なんて言ったら出てこなかったに違いない。兎に角食べ頃の飛び切り甘くて美味しいのを6つ。青果店の店主なんてのは見極めのプロみたいなもの。やはりきちんと注文しなくてはね。




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歩こう

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暑さが戻ってくるとは知っていたが、いとも簡単に戻って来た。それでも風が吹けば気持ちがよく、先週末とは格段の差。有難いことである。夏休み2日目にして曜日が分から無くなってしまった。木曜日から休みに入るとそういうことになる。だからカレンダーを毎朝見ることにした。そうすればこんな私でも世間の流れについて行けるはずだから。

旧市街へ行く為に家を出た。昨日のことである。なのに、旧市街の手前でバスを降りたのは、ずっと先送りにしていた買い物をする為だった。私の好きな下着を売る店。とても着心地が良いのでかれこれ10年くらい同じものを買い求めている。その間に品番が変わったり価格が変わったりはしたけれど、品質だけは安定していて、肌の弱い私の強い味方なのである。店は昨年閉店セールをして閉まる筈だったのに、一旦閉めてから再び開いた。店の名前が同じなので、もしやと思っての来店だった。店に入ると女主人と小さなプードル犬も軽快に飛び出して来た。女主人も犬も昔のままだった。訊けば買い取ってくれる筈の人が姿を消して、降りだしに戻ったとのことである。随分散々な目にあった筈なのに彼女は姿を消した人のことを悪く言うでもなく、淡々と状況説明をして、さあ、今日は何をお見せしましょうかと言うので、大したものだと舌を巻いた。イタリア人にはあまりいないタイプの人である。大抵こんなことがあれば相手かまわず文句を連ねるものだけど。彼女が話を終わりにしたので私は欲しい物の品番を伝えた。またもや品番が変わったそうである。私の足元には犬。さあ、撫でてくださいよと言わんばかりにお腹を上に向けてプードル犬が寝ころんでいた。彼女の気持ちの良いサービスを受けながら、此の店はいい、きっとこれからもうまくやっていくだろうと思った。
そうして店を出てバスに乗って旧市街へと思ったけれど、考えれば停留所ふたつ分で旧市街なので、運動不足解消に歩くことにした。ふと前を見ると二匹のテリア犬を連れた女性が歩いていた。犬の散歩ついでに存分歩こうなんて心意気が見える白いスニーカーを履いた彼女は、大変なお洒落上手らしく、私は彼女の後姿を眺めながら感心した。カジュアルスタイルだが、単に衣類を身に着けた感じは少しもなくて、きちんと鏡を見て吟味した感じが見て取れるお洒落。無難な感じは微塵も無い。颯爽と歩く彼女だが、犬達が立ち止まったところで私は彼女を追い抜き、どんな人かとチラリと振り向いてみて、あっと驚いた。彼女は60歳をゆうに超えているだろう。しかし老け込んだ感じは少しもなく、とてもいい感じ、好感の持てる女性だった。
シニョーラと言う呼び方がある。シニョーリーナが未婚の女性のことを指し、既婚の女性、若しくは未婚でもそれなりの年齢の女性のことをシニョーラと呼ぶ。日本のおばさんという呼び名には一瞬好ましくない印象を感じるのだが、どうだろう。シニョーラにはそうした印象は、ない。寧ろ敬称で、尊敬なども含まれる。だから私はシニョーラと呼ばれるのが好きだし、そう呼ばれるときは相手から丁寧に扱われていることを感じるのだ。イタリアに住み始めた頃、既婚でそれなりの年齢なのに見かけの若さでシニョーリーナなどと呼ばれていたことがあるが、軽く見られているような、馬鹿にされているような、少なくとも尊重された感じは少しもなく、酷く憤慨したものだ。犬を連れたこの女性は大変お洒落なシニョーラ。若作りなどしていないけれど、元気で颯爽としていて、中から湧き出る若さに満ちていた。ああ、こういう女性、いいなあ、と思わせるような人。私が彼女の年齢になった時、こんな風でありたい。だから時にはバスに乗らずに歩くのが良い。ボローニャの街を歩いているとこうした素敵な女性を見つけることができるから。
この夏の休暇のは歩こうと思っている。夏のボローニャの街を、日陰を探しながら歩くのだ。楽しい旅行の予定はなくボローニャに居るけど、春ごろの自宅待機、自粛とは話が違う。許可書を持つ必要もない。自分の気持ちひとつで自由に外に出ることが可能なのだから、暑いとか何とか言っていないでどんどん外に出ようと思う。朝の早いうちならば人も少ないし、朝の早いうちならばまだ涼しい空気が残っている筈だから。

何処ぞで雨が降っているのか、今夜の夜風は飛び切り涼しい。昼間の熱気を一気に冷ますような。空に輝くお月さんが首をすくませていなければいいけれど。




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彼女流

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暑い日が続いている。一昨日の暑さはどうだ。道を歩きながら、息苦しさを覚え、幾度も屈みたい衝動に駆られた。身体の何処かが悪いと言うよりも、空気の重さ、吸い込むのも嫌になるような熱した空気が原因だ。だから昨日は思い切り涼しい装いにした。白い木綿の袖なしに、綿麻の緩いパンツ。足元もどうせならサンダルにしたかったが、それではあまりにリゾート風なので白いモカシンを素足で履いて家を出た。案の定暑い一日で、気温は上がる一方だった。ところが午後も3時を回ると、向こうの空が暗くなりだした。向こうとは、南の方。アペニン山脈の方角だ。職場の辺りも大風が吹いて、人まで飛ばされそうだと思ったほどだ。此れは雨が降るに違いない。そう構えていたのに、遂に一滴の雨も落ちてこなかった。夕方職場を出てバスに乗って旧市街へ行くと、それはそれは空が黒く、今にも雨降りになりそうだった。吹く風は涼しく、まるで夏の終わりのようだと思った。

風が強くて旧市街に埃が舞う。しかしサングラスとマスクをしていれば大丈夫。暑い夏場にマスクをするのは苦痛と私は毎日ぼやいているが、昨夕はマスクに感謝した。行き先は先日トップスを縫ってくれた人の店。あの白い麻のトップスは着心地が良く、涼しくて、今夏一番の気に入りになった。それで同じ型紙でもう一枚、と注文しておいたのである。白いパンツに合わせる為の、涼しげで気分が良くなるような色で、と。店主である彼女が言うには、薄緑水色の麻地が丁度ある。サンプルが手元に無くて見せることが出来ないけれど、あなたはきっと気に入る筈だし、とても似合うと思うのよ、との彼女の言葉を信じての注文だった。随分と彼女のセンスを信用したものだと、色サンプルも見ないで注文する自分に驚きながらも、彼女に任せておけばよいものが出来上がるような予感があった。店で彼女が身に着けている衣類は彼女の作品で、シンプルでラインが美しく、布地も良く吟味されているからだ。さて、風に煽られながらポルティコの下を歩いていたら、店の前に彼女が、恐らく知人なのだろう、お洒落な男性と話をしていた。黒い麻のドレス。袖の無い、膝丈のドレスはベルトでウエストを絞っていて、そんな装いが似合う彼女は映画女優のようだった。甘い印象のデザインなのに大人っぽい。こんにちはと声を掛けたついでに今日の装いを誉めると、彼女はとても嬉しそうだった。仕上がったものは他の商品と一緒にハンガーに掛けられていた。想像した通りの涼し気な色で、色サンプルを見ないことには決められないわ、などと煩いことを言わずに注文して良かったと思った。何しろ彼女は近いうちに夏休みに入るのだから。もたもたしていたら、店が閉まる前に受け取ることは出来なかったに違いない。彼女は服を包みながら、此の店を畳んで10月頃にオンラインショップを立ち上げるのだと言った。旧市街の此の店の家賃が高いからだろうか。それともあまり繁盛していなかったのだろうか、色んなことを思い巡らしていたら、彼女の方から答えをくれた。店に居ると縫う時間がないのだそうだ。彼女にとって此の店に置くものは作品。画家が絵を描くように、彼女にとって彼女が手掛ける衣類は作品なのだと言った。大量生産などしない、一枚一枚自分がミシンを踏んで縫う作品。店があれば私のような通りがかりの人も足を止めて購入していくけれど、肝心の作品を生み出す時間がない。それが一番の問題だったと言う。成程、と頷きながらも私がこの店が好きなのは、自分のサイズに仕立ててくれることだった。だからオンラインでは購入することは無いだろうと遠くの方をぼんやり眺めている私に、私の心を見抜いたように彼女は言った。オンラインショップで気に入ったデザインを見つけたら、アポイントを取って彼女のアトリエに行けば、試着もできるし布地も選べる、長さの調整もできる、と。成程。この場所から店が消えるのは残念だけど、それも面白いだろう。今風と言うよりは、彼女流だと思えばいい。オンラインショップを立ち上げたら連絡をくれることになった。今から大変楽しみである。私がこれほど彼女の店や作品に思い入れがあるのは、勿論作品が良いものだからと言うこともあるけれど、私が無理せずに手を出せる私だけの一枚を作ってくれるからと言う理由と、彼女のような人が、自分の作品に拘り乍らコツコツとやっているのを応援したいと言う理由でもある。商人でもなければ職人でもなく、アーティスト。若い彼女が何処まで頑張れるか、気に入りの一枚を縫って貰いながら、しばらく見守ってみたいと思う。自分でミシンを踏んで自分の衣類を縫った時代は遠い昔のこと。私はそんな喜びを手放してしまったけれど、彼女がずっと掴み続けていればいい。そんな風に思っている。

家の最寄りの停留所でバスを降りて驚いたのは、つい先ほど雨が降ったと言わんばかりにアスファルトが黒く光っていたこと。相棒の話によればうちの辺りで突風が吹いたそうで、テラスの大きな柚子の鉢植えが倒れてしまったとのことだった。それは心臓に悪い話だった。うちの柚子の樹は只今23個の実を付けているからだ。ピンポン球ほどの大きさで、濃い深緑色でとても堅い。後ふた月もしないうちに収穫期を迎えるに違いない柚子の樹が倒れてしまったなんて。相棒が注意深く樹を起こして、もう倒れぬようにテラスの柵に括り付けたそうだけど。ショックで口もきけぬ私に、相棒は神妙な表情で話す。大丈夫。実はひとつも捥げていないから。ちゃんと数えたから。23個、ちゃんとある。ふふふ。凄いな。結婚して27年。初めての以心伝心だった。




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風に吹かれて

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夏の午後はなんて優雅なのだろう。それも平日ではなくて、週末の、家で過ごす午後のこと。何時までも明るい空。時折吹く風にレースのカーテンがまるでヨットの帆のように膨らむ様子をぼんやり眺めるのは至極幸せ。私の幸せな子供時代の記憶に重なるからかもしれない。昼寝が苦手だった私は眠っているふりをしながら、レースのカーテンが膨らんだり萎んだりするのを眺めながら、色んな空想をしたものだ。打ち寄せては引く海辺の波。それとも生茂る緑に囲まれた山小屋のテラスで涼しい風に吹かれている自分のワンピースの裾。空想ばかりして。と親に窘められてばかりいたけれど、空想ばかりしていたから、あまり気を病むことも無く、嫌な現実は鼻歌を歌いながらあっさり通り過ぎて今に至る。いや、目をそらしてばかりいたわけじゃない。直面しても鼻歌を歌いながら、ふんふんとあまり気にすることも無く、やり過ごしてきたと言えばよいだろう。そういう私のことを不真面目だとか何とかいう人が居るにしても、それでいいと思っている。世の中には年がら年中怒ったり文句を言って何かと戦っている人が居るけれど、あれはとても損だと思う。困っても苦しんでも泣いても、やっぱり前に進まねばならないのだから。ならば、あ、そうなのか、と現実を簡単に受け入れて、さっさと自己流に消化してしまう方がいい。

私には大好きな人が居た。私は中学生で東京とは思えぬような緑の濃い、山のキャンプ場に行くのが毎年の習慣だった。小さい頃から姉と私はそこに行くのが楽しみでだったが、思えばあれは姉と一緒だったからだろう。しかし其れも私が中学生になると姉と一緒とはいかなくなり、独りで其処に送り込まれることになり、初めは大変心細い思いをした。そして出会ったのが彼。宣教師の息子で、3人兄弟の長男だった。話によるとカナダから来た家族で、日系カナダ人と呼ばれるものの、確かに日本人以外の何かが混ざった感じの顔立ちで、思春期だった私はそれを大変魅力的だと思ったものだ。黒い髪。黒い瞳。日に焼けた肌。ひょろりと長い手足。日本語はあまり分からないらしく、話をすることもままならなかった。楽しい夏の数日が終わって帰る時は本当に残念だった。ただ、来年も此処で会えおうねとありきたりの挨拶を交わしたのが嬉しくて、次の夏が楽しみだった。そうして翌夏山へ行くと彼が居た。一年のうちに背が伸びて大人っぽくなっていた。彼の両親も弟たちも私のことを覚えていたが、彼だけは覚えていないというそぶりで全く残念だったけど、其れも仕方がなかったのかもしれない、私はふたつに結わいて三つ編みにしていた長い髪をバッサリ切ってショートカットになっていたから。そんな風にして幾夏も過ぎた頃、母が興奮して言った。昔世話になった人が見つかったと。どんな世話になったのかは知らないけれど、母に連れられて会いに行ってみたら、あの日系カナダ人の宣教師家族だった。具体的に言えば宣教師の妻に世話になったそうで遠い昔を思いだしながら宣教師の妻と母は楽しそうに話をした。何時までも終わらぬふたりの話。連れていかれた私は手持ち無沙汰で、庭に出て風に吹かれていたら、例の彼がやって来て、やあ、こんなところでまた会うなんてね、と言った。いつの間にか覚えた日本語。英語のアクセントは多少残りながらも、数年のうちに格段に上手くなって、ああ、今ならいろんな話が出来るのかなあと思ったところで母が話を終えて出てきたから、結局大した話もできず、家路についた。あれから数回この家族と合流することがあったけれど、結局片思いのままだった。それも何年も片思いで、今の私ならありえないこと。思ったことは直ぐに伝えなくちゃ、と私は周囲に居る人に叱咤激励するが、あはは、昔の私は何年も、此の小さな気持ちを伝えることが出来なかった。可愛かったんだなあ。思春期だった頃の自分を思いだしてにやにやする。相棒が知らない、想像もつかぬほどシャイだった頃の私。土曜日の午後の緩い風は、そんな昔のことを思いださせる。こんなことを思いだすのは、気持ちがゆったりしている証拠。もう少し風に吹かれていようと思う。

朝、食料品市場で購入したインゲン。この店のシニョーラは私が此れ頂戴と野菜の名前を伝える度に、半キロでいいかと訊く。うん、半キロ頂戴と言って紙袋に詰め込んで貰ったが、帰って袋を開けてびっくり。半キロってこんなに沢山なのか。家には人間がふたりしかいないんだけどなあ。と言うことで、新鮮なものは新鮮なうちに。此れから半キロのインゲンの筋を剥くのだ。半分はさっと塩茹でして、それをオリーブオイルと大蒜で炒めて。そして半分は、綺麗に洗って冷凍庫へ。時間がない時に大いに役立つことだろう。それにしてもインゲンを手に取ると、10年以上前に他界した舅を想いだす。インゲンが好きだった舅。不器用な手つきで、一キロのインゲンの筋をひたすら剥く舅の姿が脳裏に浮かんでは消えて、私をひどく恋しくさせる。




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