ついてる土曜日

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長い長い一週間だった。職場でも家でも追いかけられるような毎日で、金曜日の朝は起きるのが辛かった。だから金曜日が無事に終わってほっとしている。忙しすぎるのは自分らしくない。だから週末はのんびり楽しく過ごそうと思った。それでいて、折角の土曜日に早く起きたのは髪を切りに行きたかったからだ。来週の土曜日は遠方から友人がやって来るから、今日を逃してはいけないと思って。

家を出てから私は案外ついていた。乗り込んだバスの中で感じの良い老女と居合わせたこと。それから髪を切るために鏡の前に座ったら店の人が淹れたてのカッフェをご馳走してくれたこと。髪を切っている間に、近所に住んでいる小さな可愛い男の子が店に入ってきて、店の中に居た誰もが明るい笑顔になったこと。店を後にして少し散歩したこと。七つの教会群の前の広場に骨董品市が建っていたこと。家を出る頃にあった頭痛は酷くなることなく、いつの間にか治ったこと。小さな良いことを摘まみあげたら切りがないほどだ。他の人には大したことの無いことも私にはすべて有難く、そういうことを見つけては心の中で小さく、ありがとう、と呟くのだ。
ところで散策中、数軒の店の前で立ち止まった。まだ冬のサルディは続いているが早くも春先のものが飾られ始めたからだった。春物はいい。明るい色をみていると、わくわくする。若草色。レモン色。冬物とは確実に違う色合いは誰にとっても魅力的らしく、大きなガラス張りの店の前で私が足を止めたら、次から次へと女性が足を止めて美しい色の衣類に見惚れた。春物に手を出すにはちょっと早過ぎる。だから見るだけ。これはこの時期の楽しみのひとつと言ってもいいだろう。昨年古くなったトレンチコートをリサイクルに出した私は、一着新調しようと企んでいてトレンチ探しに余念がない。トレンチほど便利なものは無いというのが私の意見で、同意見の人は沢山居るに違いない。それから美しい色のスカーフ。身に着けていてわくわくするような色合いのものがいい。じっくり時間を掛けて自分らしい特別の一枚を探そうと思う。

家に帰って暫くしたら、友人から吉報が届いた。赤ん坊誕生。小さくて元気な赤ん坊。新しい命。自分の赤ん坊でもないのに、嬉しくて、涙がふた粒零れた。




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雪が降った

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雪が降った。予想されていた雪だったが、いざ、朝窓の外を眺めて一面が白いと、やはり驚きだった。はっと息を止めて、本当に降るなんて、と。考えてみれば2月だから、雪が降っても当たり前なのに。

雪や雨が降る週末は家に籠るのが通常の私が、それでもバスに乗って旧市街を目指したのには理由があった。遠方からやって来た友人と久しぶりに会う約束をしていたからだ。単なるひとり散策なら一瞬のうちに萎えてしまうに違いない週末の散策欲だが、人と会うとなれば大したもので、雪が降っているなら暖かくしていきましょうと、色々着込み、革の手袋にニットの帽子、襟巻をぐるぐる巻きつけて、いそいそ出掛けた。何しろ数か月前から楽しみしていた約束なのだから、と。家の辺りは15センチ積もっていて、先ほど除雪車が大通りを通過したらしいが、公共の道ではない、つまり私道とされている傾斜30度ほどの坂道の部分は誰が雪かきするでもなく、滑って転ばぬように時間を掛けて歩いた。僅か10メートルの短い道だというのに。そうしてバスが旧市街に入ると雪に姿はほとんど消えて、あまりの違いに愕然とするのだった。それにしても寒かった。この寒さの中を歩く人などあまりいないかと思えばそうでもなく、皆、大そう着込んで散策を楽しんでいた。私はそんな様子を眺めながら奇特な人達などと思い、しかし私も其のひとりなのだと気がついて、何だ何だと内心苦笑するのだった。
友人とのお喋りは楽しかった。私にとって友人という存在はごく少ない。知人や顔見知りはは沢山居るが、自分が友人と呼びたい人はほんの一握りしかいないのだと思う。そして友人には年齢差は関係なくて、例えば私よりも30歳も年上の人も30歳若い人だってありなのだ。そんな私のことを人は奇妙な人というのかもしれないけれど、それでいいと私は思っている。だからそうした友人達とお喋りをするのは、この上ない喜びで、その関係を細く長く続けていければと望むのだ。他の人には語らない、ちょっと私的なことや、近況や。ずっと一緒に居る必要はなく、それぞれが暮らす街で元気に暮らしていればそれでいい。

雪が降ったが、それももう昨日のことで、今日は青空。空の気が狂ったのではないかと思うような展開に、私も相棒も目を白黒させている。昔、家族と一緒に田舎町に暮らしていた頃、2月といえばこんな空が広がっていた。乾燥してどうしようもなかったけれど、風が土埃をまき散らしてどうしようもなかったけれど、太陽の光が一杯で、家の中にできる日向に椅子を置いて本を読むのが好きだった。ひとつの日向には父が居て、もう一つの日向には私が居た。それぞれが本を読んでいて、互いに言葉を交わすこともなかった。
ふと壁に掛けてあるカレンダーを見たら、まだ1月のままになっていたので一枚めくってみたら美しい赤い花と鳥の絵が現れた。2月なんだなあ。4日遅れで、ようやく2月になった気分を味わっている。




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空は知っているだろうか

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帰り道が少し明るくなった。たったそれだけで、此れほど嬉しいなんて、空は知っているだろうか。まだ本調子ではないけれど、少し体が軽くなって歩くのが楽になった。多分週末辺りになれば、散策のひとつもしたくなるに違いない。

家の近くの停留所でバスを降りて、その足でパン屋さんへ行った。先週買ったカルニヴァーレの林檎の揚げ菓子がとても美味しかったから。それに、この時期にしかないし、相棒が喜んで食べるから。パン屋さんの女主人はサンドラというらしい。正式名はアレッサンドラだろう。近くのバールの人達がパン屋のサンドラが、と何時だか話していたことがある。この辺りではなかなか有名な人らしい。店に行くと先客が居た。若いお父さんと小さな女の子。夕食用のパンを購入しに来たらしいが、女の子はカルニヴァーレの菓子が欲しいらしい。でも若い父親は菓子を子供に与えるのを好まないらしく、パンだけ購入して店から出ていった。女の子はガラスケースに並ぶ菓子を幾度も振り返りながら、後ろ髪をひかれながら父親に手を引かれて店から出ていって、ちょっと可哀そうだった。さて、自分の順番がやってきて、サンドラに先ほど女の子が欲しがっていた林檎の揚げ菓子を注文した。これ、美味しいのよね、という私に彼女はにこにこしながら頷いた。そうだ、と思いついて彼女に訊いてみた。何故カルニヴァーレの菓子は揚げ菓子が多いのだろうか。彼女なら気の利いた理由を教えてくれるに違いない、と思って。すると、どうしてかしらねえ、昔から揚げ菓子ばかりなのよねえ、と、初めてそんなことを訊かれたみたい言った。何かしら理由があるのではないかと迫る私に彼女は何処吹く風で、不思議よねえ、どうしてかしらねえ、と言う。イタリアでは大抵どんなことにも逸話みたいなものが存在して、年上の人達が面白い話を聞かせてくれるけれど、サンドラに関しては例外らしい。ほんの少しがっかりしたが、まあ、良い。美味しい林檎の揚げ菓子を買えただけでも良いではないか、と気を取り直して店を出ると、すっかり暗くなった空の高いところに美しい月。暫く月のことを忘れていた。寒くて夜空を眺める心の余裕がなかったのかもしれない。月は丁度半分ほどで、半透明の真珠色。美しくてびっくりだった。

ところで、数日前から相棒は干し鱈ケアに余念がない。塩を抜くために水に浸けているのだが、毎朝水を替えて、実にマメだ。このくらい家のことをしてくれるといいのにと思うけど、どうやら干し鱈に限ったことらしい。この鱈の調理は明日の晩とのこと。今からとても楽しみだ。上等な白ワインを冷蔵庫に忍ばせておこうと思う。




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冬は必ず終わる

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今日も晴天。外は寒いが目を覚ました時に窓の外が明るいと気分が良い。嬉しいなあ、と思うのは私だけではないらしく、猫がテラスに出たいと足元に纏わりつく。テラスへと続く大窓を少し開けると、猫は隙間に手を突っ込んで器用にテラスに流れ出ていく。その様子は岩場や藻をすり抜ける泥鰌や鰻のようで笑いを誘った。外気は冷たいが、閉めた窓の傍らに立つと日射しがとても暖かかった。まるで春のようだと思ったが、春という言葉を使うのは、ふた月ほど早いだろう。冬はこれからが本番。3月が終わるまでは油断がならない。

日が長くなって夕方5時を過ぎても外がまだ明るい。少し前までは冬という出口のないトンネルに入り込んだような感じで憂鬱感に埋もれそうだったけれど、しかし時間が経てば冬は必ず終わる、出口のないトンネルなど存在しないことに気づいて、満更悪くないな、と思うのである。毎年この時期になると同じことを思い、同じことを思いだす。私が欝々していた頃のことだ。ボローニャ暮らすようになったが、数か月するとローマに仕事を得て、逃げるようにしてボローニャから飛び出した私が、相棒をボローニャに残してきた罪悪感と、夫婦が別々に暮らすことへの疑問と、そして決定的だったのが相棒がローマに暮らすつもりが全くないと知って、ボローニャに戻ったのはボローニャに短い秋がやって来たころだった。楽しかったローマでの、4人の若いイタリア人たちとの賑やかな共同生活。仕事を通じて得た仲間、そして取り戻した勇気と自信。それなりに心身ともに元気でボローニャに帰ってきたはずだったが、ボローニャでの生活はローマのようにはいかなかった。21年前のボローニャは今ほど外国人に友好的ではなかったし、私もまた、ボローニャの良さを知らなかったから、ローマや、それから以前暮らしていたアメリカの街と比べがちで、此処での生活になかなか馴染むことが出来なかった。それでも希望を持っていた。私は何時かきっとこの街に馴染むことが出来るだろう。私は何時かきっとこの街で自分らしく暮らせるようになるだろう、と。だから私はボローニャという街に悲観的だったという訳でもなければ、嫌っていた訳でもない。ただ、うまくいかなかった。何時まで経っても軌道に乗れなかった。誰のせいでもない。運が悪かったのだと思う。そんなことが何年か続くと、初めに抱いていた希望は自分の中に存在する沢山の抽斗のどれに仕舞い込んだのか思い出せなくなり、いつの日か途方に暮れるようになった。私はここで自分らしく生活することが出来ない。此処での生活はもう終わりにしてしまいたい。そんなことを相棒に訴えるようになった。相棒は辛かったに違いない。違いない、というのには理由がある。そのことについて相棒が私に何かを言うことは一度もなかったからだ。何時も私の言葉を受け止めるだけ。彼は辛かったのではなく、困っていたのかもしれない。それとも私の言葉に同感だったのかもしれない。彼が何も言わなかったから、この話が先に進むことはなかった。ただ、私がそう思っているということだけだった。そんなある日、電話があった。仕事をしないか、という電話だった。場所はフィレンツェで、期間は半年、長ければ1年。ボローニャからフィレンツェは列車で1時間。遠くはないが日本のように列車通勤は容易くないイタリアだから一抹の不安は横切ったが、飛びついた。何かが変わるかもしれないと思って。ローマからボローニャに戻ってきたあの日から4年が過ぎた頃の話である。半年か1年のつもりが5年間続いた。現在も私がボローニャに暮らしているのは、私が相棒と結婚しているからだけではない。見えない何かに支えられて、もう駄目だなあ、と思う頃に必ず小さな幸運が転がり込んできたからだ。今は、ずっと前に希望を持っていたように、私はこの街に馴染んで自分らしく暮らしている。しかしそれは絶対に、自分がの力だけで得たものではない。世間で言うような実力で、なんてものは私に関しては当てはまらない。私が今も此処に居て、此処で気持ちよく暮らせるのは、私を取り囲む人達の助けや、理解や、それから目に見えないつながりや小さな幸運のおかげなのだ。そういうことを私は有難いと思い、時々思いだして感謝しなければと思う。冬が終わって春が来るように、と海の向こうに暮らす友人が私に言ってくれたのは本当だった。私はそうした人々の言葉にいつも支えられていた。それを幸運と呼ばずに何と呼ぼう。

私はこの様に幸運なのだが、しかし昨晩から炎症した扁桃腺のことを思うと決して幸運とは思えないのである。あれほど気をつけていたのに、何故。今夜は美味しいものを頂いて、さっさとベッドに潜ることにしよう。




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煙草屋の老女

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最近、夜明け前に鳥が鳴く。家の窓の前に広がる樹木の枝にとまった鳥が囀るのだ。猫がそわそわしているのはそのせいで、私がそわそわするのは春の予告のように思えるからだった。今年は早めに春が来るのかもしれない。案外2月に入ると街路樹の花が開いて。ボローニャに住み始めて2度目に迎えた2月がそうだったように。そんな風に思っていたのに、それを裏切るかのように今日は酷く冷えた。凍りつくような寒さとでも言おうか、これほど着込んでも寒いのはどうしたものかと驚いた。鳥の囀りは春の予告ではなくて、此れからやって来る厳しい寒さの忠告だったのかもしれない。

旧市街の煙草屋さんに立ち寄ったのは先週のことだ。切手を購入したかったからだ。1ユーロ分の切手を欲しいという私に、店の老女が抽斗を開けながら言った。1ユーロは無いの。それで、1ユーロ切手でなくてもいいから、合計で1ユーロになるように組み合わせてほしい、と頼んでみた。すると老女は言うのだ。95セントの切手しかない。ねえ、95セントでいいんじゃないかしら。殆ど1ユーロなんだから、と。私も、それから私の後に待っていた数人の客もこれには驚いて、いやいや、1ユーロ分の切手を貼らなければ郵便物が届かないから、と口々に老女に言った。老女は全然納得しなかったが、郵便物の宛先が国外と知って、ようやく頷いた。外国では仕方がない、イタリア国内なら多分大丈夫だけれど、と。客たちは再び驚いて、いやいや、イタリア国内だって届かないよ、と窘めると、老女はふーっと溜息をついて、昔のイタリアはこんなではなかった、もっと人情があって、こんな小さなことには拘らないで何とかなったというのにと言った。私は郵便局へ行くと言って、煙草屋さんを後にしたが、ポルティコの下を歩きながら、昔のイタリアは老女が言うように少しくらい切手が足らなくてもちゃんと郵便物が届いたのかもしれないと思った。もっと人情があって、何となく助け合って。負の部分も沢山あったに違いないが、今の時代にはない、温かい人間付き合いや助け合いみたいなものが存在したのかもしれない。私がボローニャに暮らし始めた頃にはその類の文化は消えつつあったが、彼女はそんな文化の中に生まれ育ったのかもしれない。古いイタリア映画の中に見る喜劇的な部分。こんなことある筈がないと思いながら、あははと笑うようなことが、本当の生活の中にも転がっていたのかもしれない。それはちょっぴり羨ましいことだ。今の世の中では、いくら探しても見つからないことなのかもしれない。
それにしたってこんな老女に店番をさせているなんて可笑しいじゃないか、と歩きながらふふふと笑いが零れた。

今週は雨知らず、の一週間になりますように。




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