春よ、戻っておいで。

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連日の寒さ。朝晩の冷え込みは2度というすごさで、4月を半分終えた時期らしくない。まさかこんな寒さが戻ってくるとは思っていなかったから、早々に冬物をクリーニング屋さんに持って行ってしまった。だから重ね着で凌いでいるが、薄い風よけ程度のトレンチでは寒さを凌ぐのは無理なようだ。夕方の寒いこと。バスを待つ間、幾度クリーニングに出した冬のジャケットを恋しく思ったことだろう。今年は春が早くやってきた、そのうち丈の少し短いコットンパンツをはいて素足にモカシン、などと考えていた一週間前が嘘のようだ。もうそろそろ冬用の羽毛布団をクリーニングに持って行こうと思っていたのを先延ばしにしていたのが唯一の幸運だった。4月とはそんな季節。暖かいと思えば急に寒さが戻ってくる。だから早まらない方がいいのよ、と冬物を持ち込んだ時にクリーニング屋さんの女主人が言っていたっけ。

昨日、マッジョーレ広場近くの食料品市場界隈に行った。目当てはパン屋さん。この界隈には気に入りの店が二軒あって、うまく使い分けている。暫くATTI に通い詰めていたので、久しぶりにもうひとつの店に足を運んだ。年配の男性が営む、割と歴史のある店だ。仕事帰りに立ち寄るから大抵大したものが残っていない。だから毎度のように言われるのだ。シニョーラ、この時間は売り切れていて当たり前なんですよ。ところが昨日は、この急激な寒さと冷たい雨のせいなのか、それとも復活祭の休暇で客が街から出払っているのか、随分と沢山のパンが棚に置かれていた。シニョーラ、今日は運がいい。これもあるし、あれもあるし、と見せてくれる。その中からシリアルの入った弾力のある大きなパンを白い紙袋に入れて貰った。と、ふと思い出して訊ねてみた。ときどき見かける髪の短い女性、彼女はあなたの奥さんなの? すると店主は、いいや、雇っているんだよ、と答え、訊きもしないのに次から次へと話し出した。奥さんはイタリア人ではないこと。当初はイタリア語が話せなくて、だから店で働くなんてとんでもない話だったこと。でも、それで良かったこと。なぜなら店でも家でも一緒だったら、家と仕事の時間の切れ目がなくて、多分諍いが絶えないこと。ほら、それがストレスという奴さ、と彼は言った。ふーん、そうなの、と曖昧な返事をする私に、僕の奥さんはイギリス人なんだよ、と言った。それがどういう意味なのかは私にはわからなかったが、ふと思い出した。そういえば彼は、店に立ち寄る外国人の旅行者に、英語で応対をしていた。その英語は戸惑うことのない話し方で、自然に口からついて出てくるといった感じだったから、私はその様子を見ながら多少ながら驚いたのだ。このおじさんが、この店主が、と。成程、そういう訳だったのかと納得したところで、客が店に入ってきたので話を切り上げて店を出た。それにしても彼は、どうしてこんな話をしてくれたのだろう。暇だったことは間違いないが、それにしても。

先週はジェラートを求める人で一杯だった。薄着の人々が、冷たいジェラートを買い求める様子は、見ていてとても愉しかった。ところがどうだ、昨日今日のジェラート屋さんは。どの店も開店休業。おーい、春よ、戻っておいで、と思っているに違いない。うんうん、分かる、全くそう。私もちょうど同じようなことを考えていたところ。




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よく似た笑顔

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昨晩は先週同様、いつの間にか眠りに落ちた。夕食時から眠くてたまらなかったから、当然かもしれなかった。目を覚ましたら土曜日になっていて、相棒がちょうど家を出るところだった。空は既に十分明るく、土曜日とはいえ、こんな朝寝坊をしたことに多少ながら罪悪感を感じながら朝食の用意をした。朝食と言ったって、カフェラッテとビスコッティである。こんな朝食に、用意する、という言葉が当てはまるのか、私にはわからない。が、イタリアならばこれも立派な朝食のひとつであろう。ゆっくりと朝食を楽しみ、外に出た。先日、クローゼットを整理したら、不要なものがいくつも出てきた。気に入って何年も使ったが、ここ数年はもう手も付けなくなった、若しくは使い勝手が悪かったり好みに合わなかった数回使っただけのシャツやスカーフ、ジャケットそしてカバン類。捨てるのは忍びないのでリサイクルに出すことにした。いったいどこに持っていかれるのかはわからない、けれどもボローニャ市が路上に設置したリサイクルの大きな鉄製のボックスに投入しようと思って外に出たという訳だ。衣類をリサイクルのボックスに入れてしまうと、すっかり用事が済んでしまい、このまま家に帰ることもできたのにちょうど来た13番のバスに乗り込んだのは何故だったのだろう。空いている席に座っていたら次の停留所で年配の男性が乗り込んできた。一見シャンとしているけれど、その歩き方といい、後姿といい、軽く70歳は過ぎているように伺えた。それで背後から声を掛けた、座りませんか、と。そうして彼が振り向いたとき、私は思わず、あっ、と叫びそうになった。彼が、もう10年ほど前に空の星になった舅にそっくりだったからだ。顔に深く刻まれた皺も、強気なくせに一瞬見せる気弱そうな感じも。彼は私が席を立とうろとするのを手で制して、大丈夫、もうすぐ降りるんですよ、お嬢さん、と言った。お嬢さんなんて言われるような年齢ではないけれど、それにしてもお嬢さんなんてもう長いこと言われていなかったから、ちょっと感動して私は彼に笑みを返し、それと同時に沢山のことを思い出した。

舅と私が仲良くなったのは、相棒と私が丘の町ピアノーロに暮らすことにした頃からだった。テラスが広い、ふたり暮らしには充分すぎる家が見つかった。しかし酷く古くて修復しなければ住むこともできない家。決して値段も安くない。相棒と私が、うーん、と迷ったときに思い付いたのが舅のことだ。そうだ、舅に見て貰おう。そう言いだしたのは私で、それはいいアイデアだと同意したのが相棒だった。平日のある日、相棒が舅を連れて家を見に行くと、そんな大切な決断に呼んでもらえた舅は大そう喜び、舅に見て貰おうと言い出したのが息子の嫁の私であると知ると、ますます喜んだそうだ。修復にすごく時間とお金がかかるぞ、でも彼女がこの家を気に入っているのなら、時間とお金をかける価値がある、と判断を下して私たちはその家を手に入れることにしたのだ。責任を感じるのか、舅はしばしば修復作業が順調に進んでいるのかを確認しに来たし、私たちが遂に家に住み始めると、何か問題はないかと確認をしに来た。そのうち彼は土曜日の午後になると必ず立ち寄るようになった。もう長いこと身体が動かなくなった妻を喜ばせるために、毎日、午後にドライブする習慣があったが、土曜日の午後には私が家にいるということで立ち寄るようになった。舅が家に上がってくるのはせいぜい10分ほどのことで、仕事はどうなのかとか、夫婦喧嘩はしていないかとか、そんなごく普通の話が多かったが、時には彼が悩みを打ち明けて、そのうちきっといいことがあるから、と励ますこともあった。悩みは大抵体が不自由になってから何年も経つ姑のことだったが、それでいて舅はただの一度も連れ合いの介護を放棄しなかった。9年もの間。そんな舅を私は言葉にこそしなかったけれど、立派な人だ、と尊敬していた。戦争を潜り抜けてきた彼はとても倹約家だったから、楽しいことにお金を使いすぎるといつも私達を窘めた。それでいて家の中のものを買うときは、安物買いはいけないよ、すぐに壊れて結局買い直しすることになるのだから、と言って、大枚をはたいた。倹約家だからレストランで食事なんてとんでもない。でも、復活祭の翌日の月曜日だけは特別だった。私達や、親戚、それから姑のために通いでやってくるお手伝いさんも車に乗せて、ボローニャ郊外のレストランに行った。いつも同じ店だ。大きなテーブルに着いて好きなものをあれもこれも注文して、2時間も3時間もかけて食事をして、ああ、これは大きな勘定が来るなあ、などとみんなに冷やかされると、大きければ大きいほどいい、みんなで楽しく美味しい料理を頂くことができたということなのだから、と言いながら、胸のポケットに入れてある分厚い財布をポンポンと手で叩き、嬉しそうに勘定を払いに行ったものだ。カードマネーの存在を嫌う古い頭の彼だから、こんな日は財布の中に沢山のお札が入っていて驚くほど分厚かった。帰ってくるころには胸ポケットの中の財布はすっかり痩せていていたが、舅は大変ご機嫌だった。昔、若かった頃、ダンスが上手だったらしい彼だから、機嫌がいいと人前でダンスのステップを披露してしまう。いや、彼がダンスのステップを披露しているの見て、ああ、機嫌がかなりいいな、と分かると言った方がいいかもしれない。そんな忘れていたことを、年配の男性に声を掛けたことで思い出した。まじまじと顔を見ている私に彼は何と思っただろう。結局私の方が先に下車することになり、降りる間際に良い復活祭をと挨拶を交わした。あの、舅によく似た笑顔で。私はこれを見るために、ちょうど来た13番のバスに乗り込んだのかもしれない。そうだ。きっとそうだ。

忙しかった平日を終えることができたことに感謝。にわか雨が降ったけれど、穏やかな土曜日であることに感謝。いい感じだ。感謝出切るということは、気持ちに少しは余裕がある証拠だから。それにしたって三連休。これが嬉しくない筈がない。




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長い夕方

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昨夕のこと。仕事を終えて外に出たら、向こうの空がとても黒かった。黒かった、というよりも、黒い雲が空を埋め尽くしていたというのが正しいかもしれない。それでその、向こうの空とはズバリ私が暮らすあたりの空のことで、ああ、予報通りだ、雨が降るのだと思いながらちょうど来たバスに乗り込んだ。バスが家の方向に向かうにつれて急に暗くなり始めた。それは夜がやってくるのとは異なった、今にも大粒の雨が天から落ちてきそうな、いやな予感のする暗さだった。そうしてバスを乗り換えるべく途中で下車すると、ひとつふたつ、と降り落ちてきたのは大粒の氷の塊、雹だった。私は店に飛び込んだ。この冬、二匹のジャガー印のシチリア産オレンジを購入するために足繁く通った店だ。果物でも購入しているうちに雹なんてものは止むに違いない、と思ったからだった。先日の苺が美味しかったからと、苺を山盛り包んでもらった。そして少し店主夫婦と言葉を交わして時間稼ぎもしてみたが、少しも止む気配がない。困っている様子を見た店主が止むまで店に居ればいいと言ってくれたので、好意に甘えることにした。何しろこの店と言ったら本当に狭いので、長居は無用というのが私たち客の暗黙の了解だった。しかし店主が良いというのだから、良いのだろう。結局雹はそのうち大粒の雨に変わり、雷が鳴り響き、30分も降り続けた。世話になったと礼を言ってバスに乗り込んでやっと帰宅した。降るとは知っていたがこんなに酷い降りとはねえ、と猫に話しかけてみるが、猫はまだ鳴りやまぬ雷の音や空の稲光に驚いて、私の話し相手などしている余裕はないらしい。ところがそのうち黒い空に美しい虹が現れた。七色ではなくて濃いピンクと黄色のたった二色の、幅の広い虹。そんな美しい虹は見たことがなく、猫にしても同様らしく、私たちは窓ガラスに張り付いて美しい虹を眺めた。その晩の満月の美しかったこと。真珠色の満月。そういえば久しく月を眺めていなかったと気づき、自分には気持ちに余裕がなかったのだろうかと戸惑った。私たちの周囲には美しいものや心を打たれるようなものが沢山あるはずなのだ。特別なものでなくていい。ほんの身近なもの、ほんの些細なことだって。以前の自分ならば、そうした小さなことに気付いていたに違いないのに。折角の春。もう少し余裕を持ちたいものだと思った、月夜。気が付いたことに感謝した月夜だった。

だからという訳ではないけれど、今日は寄り道を楽しんだ。長い夕方。遅くやってくる夜。ふわふわとした感じの夕方は、幸せすぎて時として怖いくらい。あと数日働いたら、復活祭がやってくる。




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ゆっくり、のんびり。

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朝から明るい土曜日。近頃一日がとても長く感じられるのは、日照時間が長くなったからだ。朝、窓を開けて栃ノ木を眺めるのが習慣になった。2週間前にようやく芽吹き始めたと思っていたら、あっという間に枝が新緑に覆われた。その進み具合があまりに早いので、慌てなくていいよと思っていたところ、今度は沢山の蕾をつけて一昨日から花が咲いている。冬の間はふきっさらしで、乾いた風にあおられては裸の黒い枝をわさわさと揺らしていた栃ノ木。住人の意のほか大きく育ちすぎて枯葉の掃除が大変だとか、花粉がすごいとか、何とか、何かにつけて文句を言われている栃ノ木だけど、私はこの木が大好きだ。この生命力、力強さ、逞しさ。この木を眺めているとどんなに心が萎んでいる日も、ようし、もう少し頑張ってみよう、と思うことができる。だからこの木が誰かの手で切られてしまわぬように見張っている。どんなにみんなが嫌っても、私がこの木を守ろうと思う。
ところで頑張るということについてだけれど、私の頑張るは他の人と多少違っているかもしれない。私の頑張るは、もう少し続けてみると。無理をすることではない。我慢することでもない。自分ができるところまでやってみること、それだけのことだ。人生を楽しむことが私の人生の中心なのだ。私の大切な友達が夜空に光る美しい月になってから、私の人生観がぐるりと変わった。何が本当に大切かを、月になった友達が、こんな形で教えてくれたのだと信じている。

土曜日。今日は旧市街で骨董品市が開かれる日。午前をゆっくりと過ごしてから、バスに乗って旧市街に行った。骨董品市の雰囲気が違うのはレイアウトが少し変わったからだ。それから空が明るく、人々の足取りが軽いからだろう。いつものようにこれといった探し物もない、単なる冷やかし。見て歩くだけのことだけれど、月に一度、こんな楽しみがあってもいい。と思っていたところ、素晴らしい絵を見つけた。素晴らしい。店には先客がいて、店主とは何時まで経っても話ができそうになかった。そのうち痺れを切らして、またあとで戻ってこようと店を離れた。向こうの方にある椅子の店。正確に椅子ばかりではないけれど、いつもそこには沢山の鉄製の椅子が並べられていて、人々の関心を惹いている。こういうものを家に置いたら面白いと思うけれど、おそらく相棒はあまり喜ばないに違いないから、眺めるだけだ。ぐるりと骨董品市を見て歩いて先ほどの絵のことを聞こうと思って戻ったところ、長いこと話をしていた、あの先客が購入したとのことだった。ああ! そういうこともあるのか、と全くがっかりだった。もっとも私には手の出ない値段がつけられていたから、購入できるはずもなかったけれど。もう一度見たかったな、店主に絵の話を聞かせてもらいたかったな、と思いながら骨董品市を後にした。
歩いていたら、ひとり、ふたりと植木を入れた袋を抱える人を見かけた。その数は、先に行けば先に行くほど多くなって、思い浮かんだのが花市。きっと郵便局の前の広場で花市が開かれているに違いない、と行ってみると、あった、あった、春の花市。小さな広場に所狭しと並べられた植物を人々が嬉しそうな声を発しながら眺めていた。美しい土曜日。春はすべてが美しく、眩しく見える。数週間すれば日差しが強くなって、光の色も変わるだろう。そうしたら短い春が終わり、初夏がやってくる。そして駆け足で夏になるだろう。

天気が良いので沢山洗濯をした。沢山洗濯するのは良いけれど、アイロン掛けが大変だ。アイロンが掛っていないシャツなんて、アイロンが掛っていないジーンズなんて。アイロンが掛っていないシーツや枕カバーなんて。もう、アイロンが掛っていないなんてありえない、そういうことが深く身に沁みついてしまった。それが良いかどうかは分からない。でも、確かに、アイロンが掛っているシーツは気持ちがいい。




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日曜日は雨になるらしいと誰かが言っていたが本当だろうか、と思うような良い天気になった土曜日。良い天気といっても時々薄日になって、しかしそんな不安定な感じが実に春らしく、そんな一日が土曜日に当たったことを嬉しく思った。4月1日をエイプリルフールと呼ぶよりも、4月の魚 (Pesce d’Aprile) と呼ぶ方が心地よくなった。いつの間にかである。それだけ年月が経ったということなのかもしれない。そういえば4月になったらしようと思っていたことがあった。それはこの辺りで言う Le pulizie di Pasqua, またの名はLe pulizia di primavera で、どういうことかと言いうと、復活祭の前にする掃除、もしくは春の掃除である。どちらも同じ意味が含まれている。これについては実に感心している。冬を終えて暖かい春がやってきたら、窓を開けて掃除をしよう。カーテンを洗っても、ほら、すぐに乾くでしょう?と、古くから言い伝えられているこの習慣は実に理に適っていると思うのだ。昔のイタリア人女性は掃除や洗濯が大好きで、どの家に行っても本当によく磨きこまれていて驚かされるものであるが、昔、近所に住んでいた老女は、暇なのか、そんなことしかすることがないのか、それとも一寸の汚れも我慢がならないのか、兎に角、頻繁にカーテンを洗ってはテラスに干していたものだ。私がカーテンの汚れに敏感なのは、そんなことが理由かもしれない。それから、どの家の床も実に綺麗だ。姑がまだ元気だった頃、もう随分と前のことになるけれど、彼女は毎日床のふき掃除をしていた。毎日なの?と驚く私に朝と夕方にと答える姑。私はもう一度驚かねばならなかった。実際、彼女の家は本当にいつ行っても床がピカピカしていた。それでも春の掃除は念入りにして、やはり一年に一度は念入りに掃除をしないと、というのだから驚きの連続だった。しかし相棒によれば、こうした世代の人たちはみなこんな感じらしい。別に姑が特別掃除好きな人という訳でもなく、そういうものなのだ、とのことだった。そんなことを思い出しながら、朝から掃除に精をだした。窓を磨き、カーテンを洗い、床掃除をして、それから冬物と春物の入れ替えをした。小さな事ばかり。でも、どれもこれも普段は時間がなくて出来ないことばかり。テラスに出て植物に水をたっぷりくべた。植物が枝を広げて喜んでいるように見えた。真っ赤な花をつけているのはゼラニウム。相棒の誕生日を知った花屋の店主が、贈り物だよ、と手渡してくれたものだった。ゼラニウムはいい。この夏は沢山のゼラニウムをテラスに置きたいと思っている。

ところで衣服や靴の冬物と春物の入れ替えをしていて思ったこと。私が持っているものはどれもこれも似たものばかり。今まではそれでよいと思っていたけれど、それにしたってクリーニング屋さんの女主人の言う通りだ。あなたはあまり想像力がないわね、と頼んでおいた衣服を引き取るときにいつも言われるけれど、全くその通りだと思った。この春は、何か新しいものをひとつ欲しいと考えていたけれど、そうだ、いつもの路線を抜け出してみよう。明るい色のもの。それともいつもの超シンプルを脱して、何かデザイン性のある物を。




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