過ぎたこと

DSCF0647 small


蝉が鳴く日曜日の朝。息つく暇もなく鳴き続ける蝉の声に耳を傾けていると、窒息しそうになる。蝉の声を聞いているとじわりと汗が額に浮かぶ。子供の頃からそうだった。あの頃は、暑ければ暑いほど嬉しかった。今思えば不思議で仕方がないけれど、子供とはそもそも不思議な存在なのだ。それとも大人になると子供の気持ちを忘れてしまい、不思議に思えるのかもしれないけれど。兎に角いくら考えても、何故暑い夏が好きだったのか、思いだすことが出来ない。母に被らさせていたのはサッカーと呼ばれる涼しい生地で作られたレモン色と白のチェックの帽子。つばが広くて、今思えばなかなか可愛い帽子だったのに、嫌で嫌で仕方がなかった。揃いの帽子を被っていた姉も、同様だったに違いないが、姉がこれに関して不満を述べていた記憶は全くない。姉は、実に優れていて、あまり文句を言わぬ子供だった。長女としての自覚があったからなのか、長女としてそのように躾けられたのか。兎に角、私と姉は何を取っても対照的で、姉は優秀で、次女の私は甘えん坊の弱虫の、泣き虫だった。昔はそれが嫌で嫌で仕方がなかったけれど、今となれば良い思い出で、笑い話のように語ることができるようになった。そうだ、過ぎてしまえばどんなことも思い出になる。笑って話せるようになるのだ。

1995年の今頃、私と相棒は居候の身だった。アメリカから引っ越してきたが、相棒の両親のところには行かず、相棒の友人や幼馴染の家に居候をしていた。生まれて初めて居候の身になった私は、こんな状況で生活しなければならないことを恨んだものだった。何を恨んでいたかと言えば、考えなしにアメリカの生活にピリオドを打ってボローニャにやって来てしまった自分たちのことで、そして先の計画もなく不安に溺れそうになっている自分だった。悪い夢を見ているのではないだろうか。目を覚ましたら、アメリカの自分たちのあのフラットの、天井が水色に塗られた寝室に横たわっていればいいのに、と幾度も思ったものだった。話し相手が居なかった。あの頃は英語を話す人が周囲に居なかったからだ。今でこそどこの街へ行っても英語がそれなりに通じるけれど、当時のボローニャにはあまり英語が浸透していなかったから、イタリア語を話せないで此処に来た私の方が悪いとしか思えなかった。周囲の人達がそれなりに気を使ってくれた。私達を昼食や夕食に呼んでくれて、少しでも楽しく過ごせるように。ただ、私には皆の楽しい話が少しも理解できなかった。私は楽しそうなふりをして、皆の話に耳を傾けて、時間が経つのを待つばかりだった。時々話の方向が自分に向けられて、慌てたものだけど、それだってイタリア語が分からないから、直ぐに話題は変わっていった。思えば淋しい時期だった。そんなことが3か月続いたが、何時まで経ってもイタリア語が分からない私に舅が言い放った言葉が、私に火をつけた。お前は3か月経ってもイタリア語を話せないのか。お前は馬鹿なのか。嫌なことを言われると不思議と理解できるものだ。私をあまり好ましいと思っていなかった舅らしい発言だった。周囲の人達は、そういうことを言うものじゃない、あんただってイタリア語どころか、ボローニャ語しか話せないくせに、と舅を戒めたものだけど、若かった私は言われた言葉で火がついて、相棒との会話をイタリア語だけにした。私のちょっぽけな意地だった。いいんだよ、気にすることはない。そう、相棒は言ったけれど、私は二度と英語を使わなかった。それを舅は、気の強い嫁だ、と言ってまた周囲の人達に戒められたものだが、今思えば、あの一言がなかったら、私は長々とイタリア語の分からない生活をしていたのだろうと思う。私がローマで、フィレンツェで、そしてようやくボローニャで仕事に就くようになると、長いこと対立していた舅が私の一番の味方になった。うちの息子の幸運は、君のような人と結婚したことだ。何時だったか、家族皆で話をしていた時にそう言って、私達を驚かせた。一体何時からこんなに私の評価が高くなったのかと。長いこと私は舅が大嫌いだったけれど、多分舅も私のことが大嫌いだったはずだけど、いつの間にか私達は仲の良い家族になった。君のことを悪く言うと親父に怒られるから、と何時だったか相棒が言うのを耳にして、こみ上げる笑いを抑えるのに苦労したものだ。どんなつまらないことも過ぎてしまえばいいのだ。そんなことがあったんだよ、と笑って話せるようになる。

イタリア代表チーム不在のワールドカップ。残念と言えば残念。でも、イタリア代表チームには、よい勉強になるだろう。初心に戻るがよい。そして新しい気持ちで4年後を目指してほしいと思う。




人気ブログランキングへ 

白いブラウス見つけた

DSCF0722 small


今週は、強い雨が何度か降って、急に空気が冷たくなった。雨で空気が清められたらしく、日差しが強い。澄んだ日射しは肌に痛く、アスファルトの照り返しですら目に痛い。昨晩は夜風が冷たく、眠る時こそいつだって窓を閉めてはいたけれど、食事時ですら窓を閉め切らずにはいられなかった。まるで山のよう。山の夜風は冷たくて、外を歩く時は夏だってコットンのセーターやジャケットが必要だし、家の窓は閉めておかねばうっかり風にあたって風邪を引くか神経痛になってしまう。そういえば、山の友人達のところに足を運ばなくなって久しくなるが、どうしているだろう。急にやって来た冷たい空気に、驚いてはいだろうか。

先週のある夕方、旧市街に立ち寄った。何をするでもなく、ちょっと散歩を楽しむために。最近は夕方ともなると夕立になって散歩どころではないから、雨のない夕方は無性に散歩したくなる。それに、この明るい夕方を楽しまない手はない、という訳だ。背中に汗が一筋走るような、そんな暑い日だった。ふと思いついて通りがかりの店に入った。この店には一頃よく足を運んだものだが、いつの頃かから遠のいてしまったのは何故だっただろう。女性向け衣料品を扱う、小さくて、感じの良い華奢な女主人の居る店だ。初めて店に足を踏み入れたのは、多分12年前のこと。私は友人と一緒だった。寒い冬の仕事帰りに旧市街で待ち合わせをして、少しウィンドウショッピングを楽しんでから食前酒、または夕食を楽しむプランだった。友人は私よりずいぶん若くて、若いお嬢さんと言った雰囲気。お洒落が好きで、何時も女性的な装いをしていた。私は正反対のタイプで、お洒落は好きだがドライでシンプルが好きだった。それらは互いの性格に反映していて、だから私達が何故友人なのか不思議に思うことも時にはあったけれど、私達が互いに母国を離れて暮らす外国人の立場で、自分の足で立って生活したい女性で、そして美しいものが好きだという共通点があるだけで充分だったのかもしれない。さて、店に入ろうと言いだしたのは友人だった。小さな店内には、他の店には置いていないようなものが沢山あって面白かった。どうやらイタリア国内外から女主人が自分の好みで集めたものを置いているらしく、ベルギーやフランス、デンマークなどと言ったところの品札がついていた。勿論イタリアのものもあったけれど、へえぇ、こんなブランドがあるのかと驚かされたものである。そしてハンドメイドのアクセサリー。帽子であったりネックレスであったり。これらは女主人と交流のある職人たちの作品らしかった。私達は狭い店の中をぐるりと見せて貰い、礼を言って外に出た。何も購入しなかったが、そんな店が存在することを知っただけでも収穫に思えた。冬が終わり春になって初夏を迎えた頃、私は店を再訪した。この時期にはどんなものがあるのだろうと興味があってのことだった。するとなかなか良いブラウスやシャツがあって、それらを試着してみたら涼しくて素敵だった。素材にこだわっているのだろう、どの衣類もよい素材のものばかりだった。それで私はブラウスとシャツを購入した。それから夏と冬のサルディに、そして季節が入れ替わる頃に、店に立ち寄るようになった。見るだけの時が断然多い。しかし嫌な顔一つしない女主人とは、そのうちお喋りを楽しむようになって、店の外で偶然すれ違ったりすると、女主人が声を掛けてくれるようになった。私は目があまりよくないが普段は眼鏡を掛けていないために、向こうからやって来る人を認識することが出来なくて、声をかけて貰わねば素通りしてしまうことが多い。だからこの様に向こうから声をかけて貰えるのは、有難い話であった。さて、そんな風にしてこの店には年に数回通っていたが、パタリと足が遠のいたのは特にこれと言った理由はない。久しぶりに店に来た私に女主人は喜んでくれて、暫く顔を見せなかった間どうしていたのかと訊くから、元気だったけれど忙しくてと、当たり障りのない言い訳をして、お喋りをしながら店の中を見せて貰った。店には先客はふたりいて、どちらも常連客らしい。数枚のドレスを試着室に持ち込んで、試着するたびに外に出て、どうかしら、と店主に意見を求めるから、その度に私達の会話は中断せねばならなかったけれど。この店のドレスはとても独特。客がそれらを試着する度に、私は感嘆せねばならなかった。いつか私もこんなドレスを着こなせるようになるのだろうか。いいや、恐らくそんな日は来るまい。そんなことを考えながら手に取った白いブラウス。薄手のコットンでボタンもなければファスナーもない。被るタイプのそのブラウスは大変美しいシルエットで、美しいデザインだった。ようやく空いた試着室で着てみたら、涼しくて、そして素敵だった。居合わせた先客のひとりが、大変良く似合う、と褒めてくれたのは嬉しかったし、事実大変気に入ったが、じゃあ、と言ってすぐに手が出せるような値段ではなかった。それを見透かしたように、高価なブラウス、でも、それなりに理由があっての値段だと思う、と女主人が言った。うん、そうだと思う。でも少し考える時間が必要。そう言って、ブラウスをもとの位置に戻した。こんな時、人はどうするのだろう。一点ものだから、無くなってしまう前にと購入するのか。私は後20日もすれば始まるサルディまで待とうと思う。その日までブラウスが売れていなかったら運命のブラウスとして購入するとしよう。既に無くなっていたら、それも運命、縁がなかったということにしよう。何でも安易に手に入り過ぎると有難味がない。数年前にそんなことを経験して以来、そんな風に考えるようになった。さて、あのブラウス。私を待っていてくれるだろうか。

多忙な毎日。忙しいのは好みではないけれど、忙しい生活について行けると言うことは元気な証拠。私的にはかなり嬉しい。けれども今日は土曜日だから、ゆっくりのんびり。心身ともに癒されて、次の週を元気に迎えられたらいいと思う。




人気ブログランキングへ 

楽しい時間

DSCF0658 small


土曜日だというのに、間違えていつもの時間に起きてしまった。いや、実際はいつもの時間ではない。ふと目を覚ましたら窓の外が明るくて、えっ、と焦りながら時計を見るといつもの起床時間より30分ほど過ぎていた。目覚まし時計は鳴ったのだろうか。鳴ったのに無意識のうちに止めてしまったのだろうか。そんなことを思いながら慌ててベッドの中から抜け出して、キッチンに行くなりカッフェを淹れる準備に取り掛かった。寝過ごした、寝過ごしたと呪文のように唱えながら。小さなモカを取り出して、水を注いで。と、其処で思いだした。確か昨日の夕方は、同僚たちと帰り際に、良い週末をと言葉を交わしたような気がする。しかし分からない。ああ、分からない。今日は何曜日なのだろう。そうだ、携帯電話だ。箪笥の上に置いてあった携帯電話で確認したら土曜日。ああ、土曜日。良かったとほっとした気持ちと、折角の土曜日に早起きしてしまった後悔が交差した。ベッドにもう一度潜りこんだが目が冴えてしまったから観念して起きることにした。こんな一日の幕開け。それにしても空が明るくて高かった。

昼に髪を切りに行った。朝の涼しいうちに予約を取りたいと思っていたが、数日前に予約を入れた時には昼しか空きがなかった。涼しいうちに。誰も考えることは同じなのだ。髪の手入れをして貰っていたら、朝早く起きたせいなのか、眠気が襲ってきた。そんな私を目撃した店の女性が、隣のバールに走ってカッフェをご馳走してくれた。多分店から資金が出ているのだろう。この店に通うようになって一年と3か月ほど経つが、来るたびに飲み物をご馳走して貰っている。以前通っていた店とは10年近くの付き合いだったけれど、そんなことなど一度もなかったのは、予約制でないあの店には何時も10人ほどの順番待ちの客と10人ほどの手入れをして貰っている客が居たから、当然といえば当然だったのかもしれない。ひとりひとりの客に、飲み物を奢ってなどいられなかったに違いない。今の店は小さくて、だから予約制なのだと言うことだけど、とても感じがいい。何となく皆機嫌が良くて、近所の子供たちまでが店に入りこんで来たり、隣のバールにカッフェを注文して奢ってくれたり、行けば行くほど好きになる。以前の店の店主の腕は超がつくほど素晴らしかったけれど、潮時だったのだろうと思う。私は丁度良い時期に、髪を切る店を替えたと思う。ところでこの店に来る一部の客は大変興味深い。モーダの世界に関わっているのではないだろうかと思われるような、素晴らしく見栄えのする人達が髪を洗って貰っていたり、髪をカットして貰っている。それはもう、目を見張るほど素敵な人達。今日もそんな客が居た。彼を見かけるのはこれで数回目。何時も可愛い娘を連れている彼は、年齢で言えば50歳に手が届くかどうかと言ったところ。すらりと背が高く、少しのだぶつきもない。12月に見かけた時は仕立ての良いグレーのコートにシンプルな黒のセーターとパンツを合わせていたけれど、今日は膝より少し短めのダークグリーンのパンツを履いて上には白い半そでシャツ。かっちりした上質のシャツを着崩した彼の足元は素足にモカシン。口髭が気難しそうに見せ、髪形はそれに抵抗するようにカッコイイ。どんな職業についているのか彼を見かけるたびに想像してみたけれど、モーダ関係の写真家、それともモーダの雑誌関係者、そんな感じだろうか。着こなす術を知っていると言うのだろうか。シンプルなものを特別な感じに見せてくれる。それから柔らかい素材のひざ丈の黒のドレスを着た、髪の長い女性。すらりと背が高くて美しい。急に仕事が入って、髪をセットしに来たらしい。予約がなかったのに隙間に割り込みさせてくれたことを、店主に幾度も感謝した。何か特別な仕事なのだろうかと想像してみる。ジャーナリストか何かでテレビに出るのかもしれない。そういえば友人の夫はイタリア国営放送のジャーナリストで、彼は頻繁に髪を整えに行ったものだ。彼が有能だったからだろうか、その後はぐんぐん昇格してボローニャからローマへ、遂にはロンドンへ行ってしまった。能力ももちろん大切だけど、やはり見た目も大切なのだろう、こうした世界では。そうしているうちに私の髪はすっかり整って、楽しかった時間に終止符を打って店を出た。楽しい時間。そうだ、この店に来ることは、楽しい時間以外の何でもない。

夕方の空を飛び交うツバメたち。彼らの姿を見ると毎年同じことを思う。そんな季節になったのだなあ、と。そんな季節とは、上着の要らぬ、窓を開け放つのが気持ちの良い、遅くまで空が明るくてついつい夕食時間が遅くなる季節。一言で言えば大好きな季節だ。この季節を楽しまなくてどうしよう。小さな悩み事や心配事はひとまず胸のポケットの中にしまいこんでおこう。6月。ゆっくりテンポで生活しよう。




人気ブログランキングへ 

幻の人

DSCF0639 small


金曜日の晩を迎えてほっと安堵の溜息をつく。今週も無事に平日が終わった喜び。20代の頃にはそんなことを考えたことはなかったけれど、いつの頃からか平日が無事に終わったことを喜び、感謝して、週末を穏やかな気持ちで迎えるようになった。生きていくなかで様々なことを学んだからだろうか、昔よりも自分を取り囲む人達に感謝できるようになったからなのか。それとも自分を大切にするようになったからなのか。兎に角金曜日の晩は素敵だ。

数日前、旧市街に立ち寄ってそぞろ歩きを楽しんでいたところ、雨が降りだした、と思った途端に本格的な降りになり、あっという間に路面が濡れた。傘は持っていた。いや、もう2週間ほど毎日小さな傘を持ち歩いているのだ。雨に濡れたくない、と思うようになったのは数年前からのこと。昔は全然平気とはいかなくとも、このくらいの雨、と思いながら歩くことが出来たのだ。少し雨脚が強くなるようならば、どこかの軒下やポルティコの下に逃げ込んで小降りになるのを待てばよかった。アメリカに居た頃はポルティコなど存在しなかったから、大抵近くのカフェに逃げ込んで、窓際の席に着いて雨が降るのを眺めながらカッフェを楽しんだものである。今はカッフェといえば大抵立ち飲みだから事情が違う。その代わりにポルティコがある。全く頼りになる存在だ。暫くすると雨が上がった。足元の水溜りに気を付けながら歩くのはあまり得意な方ではないけれど、しかし傘を差しながら雨の中を歩くことを思えば、何と有難いことだろう。同じ歩くにしても、傘を差していると、前をまっすぐ見て真剣に歩いてしまう。同じ道を歩くにしても、傘を手にしていないなら、開放的で様々なものに視線が届くというものだ。私のように眺めるのを楽しみながら歩く人は、やはり傘なしが良い。暫く歩いて途中でバスに乗った。13番のバス。バスは混んでいたが、奥の方に空間があるのを見つけた。行くと、ふたり掛けの座席に女性がふたり。奥の席には真っ直ぐの長い髪が美しい20代と思われる女性。手前には真っ直ぐの髪を顎の高さでちょきんと切り揃えた年配の女性。双方とも毛の長いチワワを抱きかかえていて、楽しそうに話をしていた。手前の年上の女性を見た時にはっとした。日本人ではないだろうか、と。今では日本人をバスの中で見かけるのは少しも珍しいことではない。しかし私がはっとしたのにはちょっと理由があった。私と相棒がボローニャに暮らし始めて数年経つころ、私達は友人を通じてある山の家族と知り合った。家族の長は大学教授で、夫婦には6人の娘息子が居た。そのうちの半分は既に結婚していて、一番上の娘マリアにはふたりの娘が居た。下の娘はダンスが好きで、小さい頃からダンスのレッスンをしていた。そのレッスンを開いているのは日本人女性で、もう随分長くボローニャに住んでいる人とのことだった。訊けば私よりずいぶん上の年齢で、とても厳しくて、とても優しくて礼儀正しくて、しなやかな女性とのことだった。マリアも彼女の娘も日本人の先生が大好きだったから、関心が湧いて、いつか私も会ってみたいと思ったものだった。もう20年くらい前のことである。先生が住んでいるのは、13番のバスが通る界隈で、私が現在住んでいる辺りの筈だった。だから、乗りこんだ13番のバスの中に年配の日本人らしき女性を見つけた時、彼女だ、遂に見つけた、と驚喜したのである。少しすると奥に座っていた女性が、さようなら、シニョーラ、楽しいお喋りをありがとう、と言いながらバスを降りた。チワワを隣の人に託して。どうやらチワワは二匹とも、髪をちょきんと切り揃えた日本人風女性の犬らしかった。独りになった彼女。今がチャンスと勇気を出して、とりあえずイタリア語で声を掛けてみた。もしやあなたは日本人ではないだろうか、と。すると彼女は一瞬驚いて、しかし笑みを湛えてこう答えた。よく訊かれるのだけど、私はイタリア人なのよ、と。一瞬にして幻となった日本人ダンスの先生。落胆しながらも、どうりでイタリア語が完璧だと思った、と言う私に、勿論よと言うように彼女が私の顔を覗き込むので、私達は顔を見合わせて息が切れるほど笑った。髪形が日本人ぽいのかもしれないけれど、顔立ちも東洋系なのかもしれないと彼女は言った。とても感じが良くて、ああ、だから先ほどの横の座席の女性とも話が弾んだのだろうと思った。彼女は多分初めての人と楽しく話をする術を知っている人なのだろう。二匹のチワワは彼女の膝の上でよく眠っていた。私達は5停留所分ほどお喋りをして、そして私が先に下車した。また会いましょう。また13番のバスで。初対面なのに楽しく話が出来る人が居る。とても素敵な人だと思った。今度バスの中で会ったらば、是非ともチワワを抱っこさせて貰いたいものだ。うちには猫が居る。私は猫が大好き。でも犬も大好きだ。猫派とか犬派とか、そういう分類には属さないのだ。私はどの動物も大好きなのだから。

久しぶりに汗を掻かなかった。昨晩の雨で空気が清められ、調子に乗って上がり過ぎた気温にもブレーキがかかったようである。窓を開けておくと夜風で足元が冷えるほど。今夜は気持ちよく眠りにつけそうだ。




人気ブログランキングへ 

月曜日の夕立

DSCF0616 small


夕方、雨に降られた。なんだってこう、帰り道に雨ばかり降られる。昼間に降ったって良いようなものの、と思ったところで思いだした。そういう季節なのだ。夕立。ちょっと素敵な響きが含まれている。


棚から抜き取った本の間から、ひらりと落ちた写真。写っていたのは、私と相棒、そして私達と仲の良かった友人ふたり。私達は開いた口が塞がらぬほど若かった。この写真は覚えている。アメリカに暮らしていた頃の写真だ。7月初旬の夕方、仕事帰りに友人を連れてチャイナタウンへ行った。生きた大きな蟹を4匹購入した。トラムに乗って家に帰る間、大きな紙袋の中に詰め込まれた蟹がごそごそ動いて気持ち悪かった。家に帰るなり私達は大鍋ふたつに水をたっぷり入れると火に掛けて、沸騰した鍋に蟹を2匹づついれて茹でたのだ。茹であがる頃には相棒がもう一人の友人を伴って帰ってきて、冷えたスパークリングワインと茹でたての蟹の夕食を楽しんだ。楽しんだとは言うが、食べている間は誰もが蟹を食べることに夢中で誰一人喋らない。ねえ、みんな、もっと話そうよ、と誰かが言うと一瞬お喋りに華が咲くが、気付くと再び無口になっていて、また誰かが促すのだ。もっとお喋りしようよ、と。夕食の後、月が美しかったから、本当は登ってはいけない屋根に上って月を眺めた。あれは満月だった筈だ。屋根に上って月を眺めるなんて、と口々に言いながら、重みで屋根に穴が開きやしないかと不安になったりしたものだ。あの夕食会は、相棒と私の結婚を祝ってのものだった。6月末に結婚したが、都合がつかずに食事会に来ることが出来なかったふたりの友人を家によんでの、内々の祝い事だった。それにしては随分と簡単な食事だったけれど、楽しくて美しい晩で、25年経った今でもよく覚えている。その写真が今頃出てくるなんて。私は拾い上げた写真を胸に抱いて、何か意味があるのだろうかと思い巡らせてみたけれど、何か特別なことはひとつも思いつかなかった。もう友人達とはかれこれ15年くらい会っていない。それぞれが、それぞれの道に進んでいる。元気ならばまた何時か会えるさと思うけれど、あまり遅くなり過ぎぬうちに会いに行きたいと思っている。

近所の青果店で桃を購入した。まだ早過ぎるのではないかと案じていたが、いやいや、とても甘くて美味。今年も桃の季節がやって来たのだなあ、とちょっと感動。




人気ブログランキングへ 

Pagination

Utility

プロフィール

yspringmind

Author:yspringmind
ボローニャで考えたこと。

雑記帖の連絡先は
こちら。
ysmind@gmail.com 

フリーエリア

月別アーカイブ

QRコード

QR