独り言

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太陽が出ない日は夕暮れが酷く早い。折角春へと近づいていて、日照時間が長くなりつつあると言うのに。明日はどうだろうか。空が明るいと気分も良いというものだけれど。

私が初めてボローニャに訪れたのは23年前のちょうど今頃だったと覚えている。結婚する前に相棒の両親に会いたかったからだ。それから相棒が何時も口にしていた美しいボローニャとやらを見たいと思ったからだった。彼が生まれ育ったボローニャを見たら、もっと彼のことが分かるのではないか、と。リナーテ空港に降り立ち、其処から航空会社のバスでボローニャ駅に来た。あの頃はそんな具合だったのだ。大型バスに乗った乗客は相棒と私のふたりだけで、バスの運転手と相棒がああだこうだと話し続けているのをよそに、私は長旅に疲れて深い眠りに落ちて行った。だから途中の景色は何も覚えていない。ボローニャに着いたよ、と相棒に揺り起こされて目を覚ましたのだ。明るい午後で、寒いながらも春が近いことを感じた。
私達は彼の両親の家に世話になった。言葉が全然通じない彼の家族と私。気苦労は大きかったけれど、此処では私ひとりが外国人なので仕方がなかった。これが相棒の家族なのだ。そしてここは彼の故郷なのだ。新しい文化を受け入れるのは口で言う程安易ではない。私が生まれ育った日本とも、私と相棒が暮らすアメリカとも異なっていた。考え方ひとつにしても。独りぼっちでは可哀想、といつも誰かが私の傍にいた。言葉が通じないので何を話すでもないけれど。何かにつけて、可哀想、と言うので、私は全然可哀想ではないわよ、と心の中でいつも思っていたけれど。
一週間も経たぬうちに私は入院した。腎臓結石だった。病院では私は完全に異質な存在で、一目日本人を見ようと好奇心を掻きたてられた沢山の入院患者や医師、看護婦が入れ代わり立ち代わり私を訪ねた。そのくらい、日本人は珍しい存在だった、ボローニャでは。部屋が一杯だったから、私のベッドは廊下に置かれていた。衝立はあったが、何とも落ち着かないポジションだった。そのうち誰かの指示で、普通の人が入れない部屋に移された。外国人を廊下に寝かせることが、対外的に宜しくないと思ったのかもしれない。
暫くして退院した。まだ完全ではなかったが、もううんざりで、自分で責任をとるから退院したいと私がぐずったのだ。そうして病院の外に出ると、すっかり春になっていた。花が咲き、鳥が囀り、人々が外に出て、全てが楽しそうに見えた。
ある晩、相棒は私を連れて旧市街へ行った。友人たちと約束をしているのだと言って。その友人たちは映画を見に行っているので、それが終わってから食事に行くと言うのだ。細い道に面した映画館の前で待っていると若者が数人でてきた。それが相棒の友人たちと仲間だった。直ぐ其処の店でピッツァを食べようと言うことになった。イタリアでは映画の後はピッツァを食べることが多いのだと誰かが教えてくれた。手軽だからだろうと察した。私達は店に入って注文した。何が驚いたって、ひとりで一枚のピッツァを食べること。案外大きくて食べ応えがありそうなのに。驚いて目を丸くする私をみんなが笑い、ピッツァを一枚食べるくらい当り前さと口々に言った。私は半分でお腹が一杯になったけれど。みんな本当に早口でよく喋る。食欲がある分だけお喋りも旺盛なのか、此れがイタリアなのかと、分からない言葉に耳を傾けながら思った。長居して店を出ると凍るような寒さで、春は夜にまでは浸透していないのだなと思ったものだ。橙色の街灯が石畳を照らして、それが昔観た外国映画の一場面みたいだと思った。

ボローニャに4週間ほど滞在して、私はボローニャには暮らせないと思った。何がどうとも言えないけれど、此処は私が住めるような街ではないと感じたのだ。皆が良くしてくれたけど、それなりに楽しかったけれど、私はやっぱりアメリカがいい。相棒には言えなかったが、私はそんなことを思いながらアメリカのいつもの生活に戻った。ボローニャは旅行で来るのがちょうどいい。そんな風に思っていたのに。

静かな晩。音という音が何者かによって消されてしまったような晩だ。耳を澄ましたら、春が忍び寄る音が聞こえるのかもしれない。




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不思議

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夕方が明るい。寄り道が楽しい季節になった。それなのに、近ごろ何だか忙しくて、寄り道している時間がない。何がそんなに忙しいのか、本当のところ自分でもよく分からないけれど。

世の中には不思議なことがあるものだ。自ら求めなくとも、向こうの方から突然やって来る。私には時々そんなことがある。私が初めてアメリカを訪れたのも、そうだった。別にアメリカへ行きたいと思って旅行会社へ行ったわけではなかった。少し時間があったから、そして外があまりに暑かったから、ふらりと近くの旅行会社に立ち寄ったみただけだ。ぶらぶらと見て回るだけの客が案外多く見受けられる店内には、様々なパンフレットが並んでいて、私はそのうちの一冊を抜き取って眺めていた。どんな写真が載っているのだろうなどと思いながら。すると見覚えのある風景が載っていた。私がまだ中学生になったばかりの頃、やはり旅行会社のパンフレットで見た写真と同じ場所だった。私はそれが何処なのか知りたくて、丁度通りかかった旅行会社の人に声を掛けたのだ。別に旅行をしたいと思ってパンフレットを手に取った訳ではなかったのに、急にその場所を自分の目で見たくなって、直ぐに航空券とホテルを手配して貰った。旅の道連れは無く、英語もろくにできないのに一人旅に出た。と言っても小さな勇気があれば誰にだってできたことだっただろう。そうして私は写真で見たあの場所を見ると、やっとここに辿り着いた、と思った。そんな風にして私はその街を訪れて、瞬く間に街に恋をした。それから数年経って、私はその街に暮らすようになった。あの日、旅行会社に立ち寄らなければ、あの街を訪れることも暮らすことも無かっただろう。そう思うと、やはりそれは不思議なことで、求めずとも、向こうの方から飛び込んできてくれたのだとしか考えようがない。
私には若い友人が居て、彼女との出会いもそんな不思議のひとつだった。其れは私が撮った写真がきっかけだった。沢山の年齢差にも拘らず、時々お喋りを楽しむようになった。でも、不思議はそれに止まることは無い。一度に不思議を発見することは無かったが、例えば、小さな小箱の蓋をひとつ、そしてまたひとつ開けるみたいにして、彼女と私の不思議が発見されていくのである。私と彼女がそんな不思議を求めた覚えは無い。不思議が自らやって来た。やはりそう呼ぶしかないだろう。世の中には理論的なものが沢山あるけれど、私はそれらでは説明し難い不思議が大好きだ。いつ何が起こるかわからない。それを楽しみながら生活出来たらよいと思う。

猫と私はよく似ている。寒いのが苦手なところ。だから春の到来が嬉しくて仕方がないところ。月を眺めるのが好きなところ。窓辺に立って、朝日に光る腕を大きく広げたような樹木を眺めるのが好きなところ。そもそも猫とはそういう生き物なのかもしれないけれど、それにしても気が合うので、私達の共同生活は桁外れにうまく行っていると言って良いだろう。そんな些細なことも幸運に思える。月が美しく輝いている。限りなく満月に近い月だ。


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群青色

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毎日少しづつ日が長くなっていく。連日の晴天で、其の上夕方が明るいので、気分がよくない筈が無い。夕方空が明るい。其れだけでこんなに楽しい気分になれる。我ながら単純であるが、素直に嬉しいと思えることは案外悪くない。

仕事帰りに旧市街に立ち寄った。2月2日以来、ボローニャ旧市街の中心に建つ、二本の塔から真っ直ぐ走る大通りが工事で閉鎖されている。この大通りが完全通行止めになって、バスのルートも大幅に変更された。先週、知人が6月まで工事だと言ったのに私は酷く驚いたが、改めて情報を集めてみたら今年の12月まで工事で閉鎖と分かった。もう驚きはない。驚きの代わりに落胆が大波のように押し寄せた。旧市街の大変古くなった配管を取り換えるための工事だそうだ。旧市街で商いを営む人や暮らしている人達に必要な工事とは知っているものの、11か月もかかる工事に誰もがうんざりしていることだろう。私は願うのだ。地面を掘り返して遺跡などを見つけないことを。あれはボローニャに暮らし始めた頃のことだ。市営の地下駐車場を作る工事が始まったものの、ある日ぱたりと止まってしまった。訊いてみれば遺跡を掘り当ててしまったので工事にストップがかかったとのことだった。イタリアではよくある話しだった。いや、10年程前に行ったクロアチアの、アドリア海に面した町でもそんなことがあった。工事現場で大騒ぎしているので何かと覗いてみたら、遺跡を見つけたとのことだった。掘り当てた工事現場の人たちと市の職員は歓喜を上げていたが、其処に大きな建物をたてようとしていた主は、此れで工事がストップだと落胆していたものだ。この辺りの人達の多くはイタリア語をまるでイタリア人のように話すので、私と相棒はこの騒ぎに首を突っ込んで様々な面白い話を教えて貰ったのだ。其れでボローニャだけれど、もしこの大通りの地下に遺跡などを発見してしまったら、なのである。ああ、遺跡など見つけずに、速やかに事が運びますように。
大通りはそんな有様なのに、少し入るといつもの情景がある。それらを眺めては胸をなでおろし、この寒さにも拘らず散策に時間を費やすのだ。それが金曜日の夕方であるなら尚更だ。5日間の疲れを忘れるかのように歩き回る。群青色の空は一日良い天気だった証拠。明日も良い天気になる知らせ。

帰りがけに小さなパン屋さんに立ち寄った。無花果と胡桃が練り込んであるパンが売り切れだったが、葡萄パンがあったので週末の朝食用に購入した。週末の朝食は平日とは少し違うものを。私の昔からの、週末を楽しむ朝の小さな儀式なのである。


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懐古

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日曜日のこの時間は、静かで落ち着いていて大好きだ。この時間というのはお昼時で、この辺りの人達は日曜日ともなると何処かに出掛けてしまうらしく、また、近くを走る、いつもなら交通量の多い道もはする車が殆どなくて、取り残されたと実感する時間なのだ。騒々しい音を立てて青信号を猛スピードで通過するのは大型のモーターサイクル達。こんなに天気がよければツーリングもしたくなると言うものだ。彼らは何処まで行くのだとう。アペニン山脈へと続く谷間の路を走り、山を越えてトスカーナまで行くのだろうか。そんなことを想像しながら、私はもうずいぶんの間、山へ行っていないことに気がついた。近いうちに足を延ばしてみようか。

こんな呑気な日曜日は色んなことを思い出すらしい。思い出したことのひとつは、それはもう大変前のことで、私がまだ10歳にもならなかった頃のことだ。私たち4人家族は東京の隅っこに住んでいて、月に一度くらいの割合で目黒区に住む親せきの家を訪ねた。親戚の家にたどり着くまでに色んな電車に乗るわけだけど、子供ながら一番インパクトが強かったのは、車両数の少ない目蒲線だった。目黒駅で乗り換えた。今となっては記憶は定かでなく、確か目蒲線に乗り継ぐための短い階段を上り、小さな改札を通過せねばならなかったと思うが、どうだろうか。今は何処もが改善改良新築されているから、目黒駅の在り方さえも随分変わっているだろう。兎に角目蒲線上にある駅はどれも面白そうだった。その幾つかに下車したことがあるけれど、どれもが私にとってはワンダーランドだった。何か下町風の、昔風の、路地を歩いているとチリリンと風鈴の音が聞こえてくる、長閑な町だった。それで親戚の家はその目蒲線の中ほどにあり、小さい駅ながら街はそれなりに広がっていて活気があった。駅を出て少しのところの角に大きな店があった。これは果物屋さんで、野菜は一切置いていないから青果店ではなく、正真正銘の果物屋さんであった。果物屋さんは繁盛していて、何時も待たねばならなかったが、兎に角いいものを置いているので、お土産に持っていくならばやはりこの店の果物でなくては、と私たち家族は思ったのだ。何も訪問先の地元の店で買わなくても、と今の私なら思うけれど、何しろ両親は子供だった姉と私の手を引いてのことだったので、私達が暮らす町の名物を持っていくのは大変だったのだろう。それに、そもそも私達が暮らす町に名物なんてなかったけれど。さて果物屋さんだが、地元の人達が普段に食する果物を求めに来るだけでなく、訪問先への手土産を求めに来る客も多いと見えて、店の人は家で食べるのか、それとも手土産用かと必ず聞いた。手土産用だと答えと店の人はいい具合に包装してくれて、その上に気の利いた色付きのひもで結わいてくれた。それを手にぶら下げて歩くのが私の小さな願いだったが、父も母も、それから姉でさえも、必ず落とすに違いないから、と持たせてはくれなかった。実際私は一度そんな失敗をしていて、それ以来土産物は一度たりとも持たせて貰えなかった。親戚は私たち姉妹を大そう歓迎してくれた。私達が来ると楽しくなると言って。あの時代は、どの店もがそうだったように魚屋さん、鰻屋さん、果物屋さん、お茶屋さんと今思えば専門店に思えるが、あれもこれも置いている店はあまりなかった。いつの間にか一軒の店であれもこれも手に入るようになって便利といえば便利だけれど、私は専門店風の昔の店の在り方のほうが好みらしい。懐古趣味と言えばいいかもしれない。
と、そこまで思って分かったのは、私がボローニャに暮らしてそれほど不便を感じなかった理由だった。大型店などあまりなくて、鶏肉と卵は鶏屋さんで、パンは勿論パン屋さん、小さな青果店で野菜と果物を買って、雑貨はカザリンガと呼ばれる生活必需品店で買った。アメリカから引っ越してきて、初めの頃こそ疎ましい思いをしたけれど、すぐに順応できたのはそんな背景からかもしれない。

もう私があの町を訪れることはない。だからあの果物屋さんが今も存在するのかもわからない。狭い道に入り込むと風鈴の音が聞こえるかもわからない。でも、目蒲線が今も元気に存在することだけは知っている。


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9月になれば

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9月。何て爽やかな響き。私は9月が大好きで、9月という言葉の響きも大好きだ。だから、ずっと指折り数えて待っていた。あと何日で9月、と言う具合に。今朝、窓から冷たい空気が流れ込んで目が覚めた。と言っても早朝に目が覚めたわけではなく、9時をとっくに回ってからだった。目覚まし時計が鳴ったのは耳にしたが、それを止めたのかどうかは覚えていない。昨晩どのようにしてベッドに潜り込んだのかも覚えていない。夏休み明けの仕事は、どうやら相当堪えたらしい。兎に角冷たい空気のせいで目が覚めて幸いだった。何故なら今日は散策を堪能しようと決めていたからだった。9月の散策。考えるだけでわくわくするではないか。寝坊したのを挽回するごとくカッフェを急いで沸かす。窓を開けると驚くほど涼しかった。道行く人の装いは長袖シャツ。雨が降るのかもしれない、と思った。向こうの空が妙に暗く、こちらに向かってくる気配を感じながら、それも良いと思った。家の前のプラタナスの樹は葉を半分も落とし、道行人々ががさごそと音を立てながら落ち葉を蹴り散らして歩く様子はまるで晩秋のようである。雨が降り始める前に帰って来れますようにと願いながら、バスに乗った。9月にしては物憂いな旧市街だった。こんなのは久しぶりで、とても新鮮だった。夏の光と影のコントラストの強いボローニャも美しいが、こんな憂いに包まれたボローニャもよい。考えてみれば私が知っているボローニャはこんな表情が大半だ。どんなに歩いても汗がにじまない。夏は近いうちに荷物を纏めて旅立ち、秋が予定よりも早く訪れるのかもしれない。いつも瞬きしている間に通過してしまうボローニャの秋だ。初秋から秋、そして晩秋をじっくり堪能するのもよい。ポルティコの下のにある時々立ち寄るだけの、しかし何年も知っている店の前を通ったら、女主人と目が合った。暇なのだろうか、店内に客人は居なかった。彼女は私の名前を呼びながらポルティコの下に飛び出してきて、両腕を大きく広げたかと思ったら私をぎゅっと包み込んだ。まるで旧友を迎えるかのように。急いでいないならちょっとお話しましょうよと、彼女は私を店の中に招いた。ショートカットから続く長い首、そしてすらりと伸びる腕。焼けた肌が美しく、何処で休暇をすごしたのかと訊けば、マルケ州の海だと言う。マルケにはまだあまり人の来ない秘密のような小さな海辺があると私は誰かから聞いたことがある。典型的な夏のアドリア海の海辺の喧騒がこれっぽっちもない海辺なのだそうだ。彼女はそんな海辺へ行ったのだろうか。とてもにこやかに話し続ける彼女。今迄のどの時よりもリラックスしている。良い休暇だったに違いない。少しすると後から後から客人が入ってきたので、また立ち寄る約束をして店を出た。昼間なのにうす暗い空。分厚い雲が頭上に停滞していた。思うに、そんな天気の日のボローニャの赤は美しい。いつもより更に赤く、中世の頃にこの町が栄えたことを安易に想像させてくれる。リスボンも良かったが、ボローニャも悪くない。そんなことを思いながら歩いた。家に戻るなり雨が降り始めた。始まりは大雨。そのうち糸を引くような雨になり、当分止みそうにない。


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