寒い夜
- 2015/02/05 21:47
- Category: bologna生活・習慣
昨夜から降り続いていた雨。氷のように冷たい雨だった。それが昼には雪に変わり、窓の外を眺めているだけで、ぶるる、と寒くなるようだった。雪は見るには美しいが、雪の中を歩いてい帰るのかと思うと気が重くなる。雨がいいか、雪のほうがいいか。それは私には決められない。此処だけの話だけれど、私はどちらも好きではない。私はやはり、足元が乾いた天気が好きだ。子供の頃からずっとそうだ。それがたとえ、真夏の晴天であっても。と言いながら、私は通り雨が好きだ。急に降り始めた雨に追われて大きな樹木の下に逃げ込んだり、ボローニャで言えばポルティコの下に佇んだり。雨が嫌いなくせに通り雨は好きだなんて我ながら矛盾していると思うのだけど、これに関しても子供の頃からずっとそうだ。
アメリカに暮らしていた頃。まだ相棒に出逢っていなかった頃。私は女友達とぶらぶら歩くのが好きだった。けれども彼女たちが自分の恋に忙しくなると、私はひとりで歩くことが多くなった。元々ひとりが好きだったから、別につまらなくも淋しくもなかった。むしろ自分の気持ちひとつで北にも西にも足を向けることが出来たから、楽しかったといっても良かった。そうして、ひとりで歩いていると様々な人に声を掛けられた。ひとりだから声を掛け易かったのかもしれない。坂道に面したアパートメントから湾へと向かって歩くのが好きだった。始めは上り坂。急な坂で、前方にはひたすら坂道の路面しか見えなかったが、それを上りきると視界が開けて、ずっと向こうに青い湾が見えた。大きな吐息をつきたくなるような、それは開放的な風景だった。私はその坂道をただ真っ直ぐ歩いていけばよかった。青い、太陽の光に輝く湾を目指して。
この街の道は真直ぐで、何処まで歩いても同じ名前がついていたから、この街を初めて訪れた時だって迷ったことなど一度もなかった。何処まで行っても道の名前が同じ。交わる道の名前が分かれば、通りがかりの人が教えてくれる。それはねえ、3ブロック先なのよ。と、こんな具合に。地図など持っていなくたって、そんな声に従っていけば何とかなった。あの町のそんな明快さ、単純さが私には心地よく感じていた。
ボローニャに暮らすようになって驚いたのは、数十メートル歩くと道の名前がもうほかの名前に変わっていることだった。ついさっきまでA通りだったのに、気が付けばB通りを歩いていて。だから私はいつも小さな地図を上着のポケットに忍ばせていた。さもなければ、あっという間に迷ってしまうからだった。私は地理感がある、などと思っていたのに、ボローニャに暮らすようになると私の小さな自信はガラガラと音を立てて崩れてしまった。ある日アメリカの友人がボローニャにやって来た時、もう、12年も昔のことになるけれど、同じような感想を述べていた。ボローニャの道は、ある地点で突然通りの名前が変わるんだな。細い道が無数にあって、しかも頻繁に名前が変わって、いったい幾つの通りの道が存在するんだい? それを聞いて相棒は、この国の町は何処だってそんなものさとと言ったけれど、私には友人の驚きが可笑しくてならなかった。ああ、此処にもひとり、同じような人が居る。私と同じように、名前が変わっていくことを驚きながら歩いている人が居る。翌年、別の友人がやって来ると、開口一番にこういったものだ。何だって? 真っ直ぐの道なのに、ちょっと歩くと道の名前が変わってしまうんだって? どうやら前年に来た友人が、アメリカに帰って皆に言いふらしたらしい。私も今はそんなことに慣れてしまったけれど、ボローニャを歩きながら思い出しては、ふふふ、と思い出し笑いが零れるのだ。それにしたってボローニャには海が無い。あの坂道の向こうに青く横たわる湾が恋しい。其れを無い物ねだりと人は言う。
寒い夜。外の寒さを想像出来ぬほどに暖めた室内。猫は幸せそうに居眠りを楽しみ、私は時々外の様子を確かめるために窓の外を眺める。雪が降り続いては居ないだろうか。明日の朝、仕事に行くのに差支えが無ければ良いのに。雪で大変なことにならなければよいけれど、と。椅子の上で居眠りしては、時々傍らに私が居ることを確認するかのように目を開けて、新たな眠りに落ちる猫。そんな猫を見ながら思う。猫ちゃん、あんたはいいわねえ。明日の朝、雪が降っていたら、私も猫ちゃんになって家に居ようかしら。
mk
数年前に買いそびれたコートを手に入れた女性が素敵な女性だった話、わくわくしながら読みました。そんなことってあるんですね。
黒い手袋はその後見つかったのでしょうか。新しい手袋が活躍していることと思います。ボローニャは流行とはまた違ったところで商売を続ける古くからのお店があるというのが頼もしいですね。