風の音

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風に揺れる木の枝が奏でる音は、まるでさざ波のよう。目を閉じると瞼に浮かぶ海。サンフランシスコの海だ。昔、友人達と歩いた海辺。潮風も冷たくて、スニーカーを履いていたが、足が捥げでしまいそうなほど痛かった。それから剥き出しになった膝小僧も。貝殻を拾いながら歩いた夕方。8月だというのに涼しくて、誰もが上着を着こんでいた。海のある街に住むのは初めてで、それがとても嬉しかった。だから暇さえあれば海を歩いた。夏だって、秋だって、冬だって。

8月になれば暇になると思っていた仕事だが、其れをあざ笑うように忙しく、息をつく暇もないと言うに等しいく、少々気持ちが後ろ向きだ。あーあ。こんな筈じゃ無かったんだけどなあ。しかし其れも明日まで。頑張れ、頑張れ。夏の休暇までもう一息。だから今夜は外の風に耳を傾けて眠ろう。昔歩いた海を思い浮かべながら。貝殻を拾う姿を思いだしながら。明日の朝はもう少し元気になるように。




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街に恋する

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目を覚ますと雨。かと思えば突風が吹き荒れ、窓という窓を閉め終わると快晴。一日中そんな天気に振り回されてうんざりしたが、唯一有難かったのはそれほど気温が上がらなかったことだ。気持ちの良い風が肩を撫でていく。8月にしては珍しいことだ。8月。そうだ今日から8月なのだとカレンダーをめくる。何の書き込みもない8月のカレンダー。例年ならば此処から此処まで何処どこへ行くとか、飛行機の時間、特に到着日には詳しい情報が書き込まれているものだが、昨年に引き続き今年も何の書き込みもない。来年は、ごちゃごちゃと沢山書くことがあればいいと思う。そう言えば昨年の今頃も同じようなことを願っていた。

一時期、私は心が他の街に向いてばかりいた。街の名はブダペスト。友人達が暮らす街で、20年ほど前に初めて足を踏み入れた時から恋に落ちた。恋に落ちた街は今までに幾つもある。まずはサンフランシスコ。日本の生活を畳んで其処に暮らすようになったほど深く恋した街だった。それからリスボン、ウィーン、そしてブダペストだった。中でもブダペストは小さなアパートメントを手に入れて暮らしたいと思うほど深く心を入れこんだ。大きな街で自分には手に負えないかもしれないと思いながらも、大きな街だから馴染みやすいと思っていた。私がボローニャに暮らして知ったこと。都市であればあるほど街に馴染むのが早いということ。当時の私はボローニャがもっと大きくて外国人が普通に暮らしている街だったら良かったのにと思ったものだった。ブダペストに暮らすことを踏みとどまったのは、私がボローニャを同じくらい好きだからだっただろうか。それから、他の国に暮らすのは口で言うほど簡単ではないことを知っていたことも、心にブレーキがかかった理由だろう。だからアパートメントを手に入れたり移り住むことはないけれど、時々発作のようにして心に浮かぶ。ブダペストに行きたいなあ、なんて。
大通りの美しさ。古い古い建物の地上階に立ち並ぶ店のショーウィンドウの美しさだ。本屋といい、生地屋といい、カフェといい、私は歩みを止めてショーウィンドウを眺めるものだから、なかなか先に進まなくて、相棒が何時も溜息をついた。かと言って、そう言う彼も古本屋やレコード店、セカンドハンドの店を見つけると岩のように固まる癖があり、大抵中に吸い込まれて行く。それから美術館や博物館。彼と一緒に行くと時間が掛る。まあ、少なくても3時間。理由は中で館員と話すからだ。本には書いていないような面白い話が聞けるそうで、話し始めたら30分は動かない。此の街のいいところは、骨董品店が多いことだ。ボローニャでは見られないようなものが沢山見つかる。特に絵画。そういう店を偶然見つけると、素通りなど出来る筈もなく、中に入ってじっくり鑑賞させてもらう。どの街にもあるように、何かの支援団体が営む店が此の街にもある。ジャンクも多いが時々凄いものが見つかるのがこの手の店だ。身寄りのない老人の遺品や、古い教会から流れてきたものがたまにあって、私はそんな店で小さな絵を見つけた。多分教会から流れてきたもので、随分と古いものだった。壁に掛けてあるのに誰も見向きしなかったのは長いこと綺麗にしていないその絵が酷く陰気だったからだろう。店の人に手振り身振りで頼んで、その絵を手に取って見せて貰った。絵は分厚い板に書かれていた。ちょっと画面を触ってみたら指先が真っ黒になり、しかし其の下に見えた美しい金色と緑色。右下をこすってみたらサインが入っていた。裏をひっくり返すともっと驚いた。びりりと破れた黄ばんだ紙の下に文章が書かれていた。幾らかと訊けば其れほどの値ではなく、もうひとつのも購入するならもっとおまけできると言う。もうひとつって? と訊くと箱の中から取り出してきて、此れはふたつ一緒に店に入ってきたらしく、成程同じ絵風で、同じように分厚い板に描かれていた。二つ並べて飾るのもいいだろうと、ふたつとも購入することにすると、店の人は自分が薦めたくせに驚いて、あらまあ、といった顔を見せた。あらまあ、外国人と言うのは。そんな風に思ったのかもしれない。代金を払い終えると店の人が此の汚れはあんまりだと思ったのか、軟らかい布で丁寧に拭いてくれたら、美しい絵が現れた。店の人はもう一度目を丸くして、あらまあ、と私の顔を見るばかりだった。ふふふ、私は知っていたわよ、と大きな笑みを見せて店を出た。あの絵は居間の壁に飾っていたが、数回の引っ越しを繰り返すなかで、何処に仕舞いこんだのか分からなくなってしまった。恐らく倉庫の中にある筈だが、何分にも箱が沢山あるのでわからない。そしてその箱の中のひとつは家族友人から受け取った手紙や、昔撮った写真。この夏は何処へ行く予定もないから、箱を開けてみたいと思っている。

ブダペストの楽しみのひとつはカフェ。内装も素晴らしいが壁の色が美しい。私好みで、時々自分の家の壁もそんな色にしたらどうだろうかと思う。ボローニャにはなかなかない感じで、私を夢中にして止まない。そんなある日ボローニャ旧市街を歩いていたら見つけた小さな店。そうよ、こんな色合いよ。と、私はウィンドウにしがみ付く。店は生憎閉まっていたが、ふふふ、今度仕事帰りに立ち寄ってみよう。楽しみがひとつ増えた。




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記憶

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7月が駆け抜けていく。そんな風に思ったのは10日ほど前のことだ。何をしたのか覚えていない。時間だけが私を追い越していくような感じ。思えば随分前からそう感じていた。一体私はどうしてしまったのだろう。

今日も暑い。話によれば今日と明日が一番暑く、来週は少しばかり気温が下がるそうである。あまり期待するとがっかりするが、そんな希望でもなければ此の暑さは苦痛過ぎる。そんな今日に限って約束があり、正午を過ぎた一番陽が高い時間に家を出た。土曜日の昼過ぎ。街の人達は何処へ行ってしまったのかと思うような交通量で、それに合わせてバスの本数も随分減らされていた。時間通りに来る筈のないバス。停留所にあった小さな日陰を80歳にもなろうとしている痩せた老女に譲った私は、炎天下に20分立ちながら、それでも彼女に日陰を譲ったのは正しいことだと思った。さもなければ彼女は熱中症か日射病に罹ってしまうに違いないから。当然の顔して遅れて来たバスはガラ空き、そして冷房でひんやり冷えていて、停留所で待っていた誰もが命拾いをしたと思ったに違いない。バスが遅れてきたおかげで約束の時間ぎりぎりに着いた。本当ならばジェラートでも頂いて、喉を冷やしたいと思っていたのに。だから約束を終えたその足で、一番近いジェラート屋さんに駆け込んだ。カヴール広場に面したその店は、何時も長い列が出来ている。大抵店の外までの長い列で、列に並ぶのが嫌いな私は、それを見るなり立ち去ってしまうのだ。だから今日もそんな列があるのだろうかと案じながら店に行くと、あら不思議、列がなかった。どうやら街の人達は本格的に街を脱出しているらしい。脱出先は海だろうか、山だろうか、それとも近隣国だろうか。羨ましい気持ちが半分、しかしボローニャに残っている私にはそれは大変好都合。人の少ないボローニャ旧市街を存分楽しめるのだから。但し、もう少し気温が下がればとの条件付きだけど。ところでこの店はジェラートもいいがグラニータが美味しい。グラニータとはシチリア生まれの氷菓子でかき氷に限りなく近い。粉々にした氷にフルーツのシロップやカフェを加えて頂く。聞く話によれば、シチリアではカッフェのグラニータを朝食に頂くそうだから、どれほど暑いのかが窺えるというものだ。折角この店に来たのだ、グラニータにしよう、と数種類の中からマンゴーのグラニータを注文した。日本に居た頃の私ならば、美味い、しかし甘いと眉をしかめたに違いないが、今の私はこの程度の甘さはお手の物だで、甘い、しかし美味い、とにっこり笑う。人間は変化していく。郷に入れば郷に従えということで、良い変化だと思っている。店内での飲食ができないこの店だから、店の前のポルティコの下でグラニータを堪能した。頭が痛くなる程の冷たさで、それが数年前に日本に帰った時の記憶を引っ張り出した。あの日も相当暑い日で、息が詰まるような空気だった。私は姉と美術館へ行き、その足で最近できたという六本木の建物の群れの中に吸い込まれて行った。中が涼しいからと言う理由だったが、それに加えて私が和風の何か甘いものを食べたいとごねたからだ。姉は手頃な店に案内してくれて、私達は混んだ店の小さなテーブル席を獲得した。世間が夏休みであることと酷く暑いということで、どの店も大変混み合っていたから、待たずに席につけるのは運が良かっただろう。私と姉はあんみつを注文した。と、傍のテーブル席に大きな大きなかき氷が運ばれた。注文したのは恐らく60歳になろうとしている品の良い女性。前の席に座っていたふたりの可愛い学生は、連れではなく、単に相席しているだけのようだった。ふたりは前に座っている女性の前に大きなかき氷が置かれたのを見るなり目を丸くして、しかし笑っては失礼、じろじろ見ても失礼、と目のやりどころがなく困った風だった。困っていたのはそれを注文した女性も同様で、店の人に幾度も訊いた。此れ、本当に私が注文したかき氷? 最後は観念して、前に座る学生たちに頼むのだった。一緒に食べて頂けないかしら? えーっ、と顔を見合わせる学生たち。其処まで見届けて私と姉は運ばれてきたあんみつを食べ始めた。あれは実に大きいかき氷だった。あんな大きいのをメニューに載せるなんてねえ、と姉と帰り道に幾度も思いだして笑った。あれを全部食べたら、頭がキンキンに冷えて大変に違いない、と。かき氷は子供の頃の記憶にも繋がる。昼寝をした後のおやつにかき氷が出ると嬉しかった。もっと大きいのが欲しいと強請ると、頭が痛くなるからと父と母が私を窘めたものだ。あれは正しかったと思う。今は小さなグラニータを頂くだけでも頭が充分痛くなる。

夜になっても熱気は冷めない。猫は冷えた床に寝転がり気持ちが良さそう。子供の頃、床に寝転がって父や母に叱られたものだが、思えば私は猫のようだったのだと笑いを誘う。今日は日本の記憶が浮かんでは消え、消えては浮かんだ。たかだか3年帰っていないだけなのに、私は日本が恋しくて恋しくて、どうしようもないらしい。




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今夜のギターはなかなか上手い

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暑い一日だった。昼間の暑さもさることながら、夕方の日差しの強さとぬるい風は、多くの人をノックアウトしただろう。帰りの乗り継ぎバスを逃したのは不運だった。日陰のない停留所に20分もいたものだから、家に帰って来た時にはぐったりだった。そんな不運もあるが、夕食は軽くいこうと相棒が提案してくれたのは幸運だった。数日前に食料品市場で購入したダッテリーニトマトやトロペア産の玉葱。水牛のモッツァレッラに茄子やカルチョーフィのオイル漬け、そしてパン。夏の夜はこんなものが美味しい。そして火を使うことなく簡単に準備できるのも魅力だ。夕食を始める前に始まった音楽。近所のカフェのテラスで、誰かがギターを弾きながら歌っているらしい。ギターはなかなか上手かった。始まりはピーノ・ダニエーレの歌。彼は独特で味わいのある声を持つ歌手で、良い歌を沢山残して何年も前に空に旅立った。彼の音楽を初めて聴いたのはアメリカに居た頃。イタリア人街のカフェだった。イタリア語だから歌詞の意味は分からなかったが、其処に居た誰もがこの美しい音楽に聴き惚れ、此の歌手が誰か訊きだすと、イタリア人街にある小さな音楽店に幾人もの客が走ったものだった。私が相棒をカフェで初めて見掛けた頃のことだから、1992年の春だっただろう。相棒が私に話しかけたが、私は彼を敬遠して目をそらしてばかりいた頃のことだ。でも、縁とは不思議なもので、それから3,4カ月も敬遠していたというのに、ある日突然仲良しになった。その後私達は結婚などして、互いの仕事を2週間ほど休んでネヴァダ、アリゾナへと車を走らせた。結婚してから数か月が経っていたが、それが私達の新婚旅行みたいなものだった。無計画な旅で、空が暗くなると、その辺りに宿をとった。アリゾナは素晴らしかった。アリゾナの言葉にできぬほどの大自然の中を車を走らせながら聴いたのが、ピーノ・ダニエーレだった。あ、この歌は知っている。あのカフェで聴いたことがある、と言う私に、相棒は喜び、其れは自分がボローニャから持ち帰ったカセットテープなのだと教えてくれた。当時の私は相棒を敬遠していたくせに、彼が持ち帰った音楽は手放しに気に入っていたのだと思うと、やはり不思議な縁を感じずにはいられなかった。彼の歌は何度も聴いた。カセットテープのテープが切れてしまうほど。気に入りの箇所はそらで歌えるほどになった。だから後にイタリアに暮らすようになって、何かの拍子に口ずさむと、何故あなたはその歌を知っているの? と皆に驚かれたものだった。まだろくにイタリア語も話せなくて困っていた私だったから、周囲が驚くのも無理なかった。今夜はそのピーノ・ダニエーレの歌とギターの音色が私の耳を楽しませてくれる。何処の誰だか知らないけれど、ありがとう、全く良い晩になったよ。

今日は良いことなんてひとつもなくて多少ながら落ち込んでいたが、大丈夫、明日は違う風が吹く新しい一日。なんとかなるさ。




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焼けた肌

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夕食後のジェラートが美味しかった。特別手の込んだ食事を準備しない夏場は、食後のジェラートが嬉しい。今日はこんな面白いことがあった、今度こんなことをしようと、相棒と話しながらジェラートを頂く時間。夏の晩はこんな風に過ごすのが愉しい。

此れから夏季休暇がやってくる私であるが、世間には既に休暇を楽しんだ人も随分いる。例えば私が以前働いていた会社がそうであったように、夏季休暇は6,7,8月の何処かで2,3週間の纏まった休暇を取れる仕組みの職場で働く人達。バスの中に居るすっかり日焼けした女性を眺めながら、何処へ行ったのだろうなどと想像するのは愉しいものだ。今年は例年ほど休暇を堪能できない傾向はあるにしても、しかし海や山へ行く人達はちゃんといるのである。先日バスの中で見かけた女性。袖なしの麻のブラウスに私好みのサーモンピンクの麻のパンツという涼し気な装いの人だった。顔も剥き出しの腕もサンダルから見える爪先も見事に焼けて、バスの中でも目立っていた。日焼けした美しい肌。私がイタリアに暮らし始めた頃、豊かな人達は一年中日焼けしていた。一年中温暖なところに行って日焼けできるのが、豊かな人達の特権と言うよりはステイタスみたいな風潮があった時代だった。事実私の友人の姑は一年中、さあ、コルティーナへ、さあ、サルデーニャへと足を運び、そんな姑のことを鼻持ちならないように思っていたようだ。但し姑が所有するそれらの土地の別荘を彼女も自由に使わせて貰っていたのだから、あまり偉そうなことは言えたものではなかったけれど。さて、バスの中の彼女には連れが居て、彼女たちのお喋りに耳を傾けて分かったのは、彼女がサルデーニャの海を楽しんできたことだった。成程。恐らく誰もがそう思ったに違いない。いつか私もサルデーニャの海を楽しみたいと思う。話によれば大変美しいそうだから。と、隣に座っていた人が私に声を掛けてきた。私が知らない人に話しかけるように、そういう人はイタリアには案外沢山居るのである。隣に座っていた女性は、私の良く焼けた肌が気になるとのことだった。どの海へ行ったのか。どれくらい長く海で過ごしたのか。此れは案外良く訊かれることだった。あなたの良く焼けた肌は、と。ところが私は海にも山にも行っていなくて、毎日ボローニャにばかりいるのである。しかも毎日仕事で室内に居て、せいぜい夕方仕事帰りに旧市街を少し歩いたり、土曜日の午前中に散策するくらいで。まあ、土曜日の散策の時は肩から腕をすっかり出して、満遍なく焼けるように心がけて入るけれど。けれど、日陰ばかり選んで歩いているのだから、日焼けなんて・・・。バスの中と言うのは案外聞き耳を立てている人が多いものだ。私が美しく焼けた肌の彼女の話に聞き耳を立てていたように。私達の背後に座っていた人達が、街でもこんなに焼けるのかと笑うので、私と彼女は顔を見合わせてあははと笑った。今の時期は皆他人の焼けた肌が気になるらしい。それにしても私の肌は焼けているのだなと改めて自覚した。ならば焼けた肌を自慢しようではないか。8月の終わりに街に戻って来たイタリア人達が焼けた肌を自慢するかのように真っ白のシャツを着るように、私も真っ白の袖なしシャツを着て街を闊歩しよう。でも、何処へ行ってきたのと訊かれたら、やはり正直にボローニャに居たのよと言うに違いないけれど。

蒸し暑い日が続いて、ほとほと困っていたところに吹き始めたひんやりと冷たい夜風。ひんやり。まさにその言葉が良く似合うような、剥き出しになった腕や脚がヘタすると痛く感じるくらいの夜風。いつもは窓を開けろだの、寒くないだのと言う暑がりの相棒が、窓を少し閉めようというほどの。このひんやりで、少々バテ気味だった私が息を吹き返えそうとしている。今夜は心地よい眠りにつけるに違いない。




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