お喋り

DSCF0829 small


11月が走る。冬に向かって大急ぎで。少し前までアフリカ大陸からの生暖かい風が吹いていたのに、急に寒風が吹き始めた。木の枝を埋め尽くしていた美しく色づいた黄色い葉がはらりはらりと地面に落ちていく。地面はまるで黄色い絨毯のよう。それを壊したくないがために、私達は大回りをして歩く。今日の空は鼠色。冬がその分厚い雲の裏側に控えているような、そんな今日の空。

昨夕、仕事帰りに旧市街に立ち寄った。今週ボローニャではCioccoShowとよばれるチョコレートの祭典なるものが開かれているが、今年は場所が移動した。マッジョーレ広場ではなく、ボローニャ中央駅周辺の小さな広場が会場だ。ちょっと覗いてみようと思っていたのにそんな不便なところに行ってしまったと知り、急に気持ちが萎えてしまった。駅周辺は私達にとって街中でもなければ便利な場所でもない。日本では駅周辺は栄えた場所、皆が集まる場所であろうけど、此処では駅の存在価値が異なる。そもそも昔は鉄道などなかったのだ。1000年も昔から街があり、街の中心には皆が集うシンボル的教会と広場があった。それを中心に街が栄え、つい160年ほど前に空いている場所に鉄道が敷かれ駅が設けられた。だから駅は街の中心ではない。旅人にとって駅は街に降り立つ窓口だけど、実に窓口という存在で、街の中心ではないのだ。ボローニャを知るには歩かねばならぬ。人が集まるマッジョーレ広場に、サン・ペトロニオ教会のある場所に。さて、今年の会場は街の中心ではないと知っていたのに旧市街へ行ったのには理由がある。2本の塔の下にある、自然薬局に用事があったからだ。街は不思議なほど空いていて、バスもすいすい先に進むし、自然薬局もがら空きだった。何時もなら何人もの先客が居て、10分以上待たされると言うのに。用事をすいすいと済ませ家に帰ろうとバスの停留所に行ったが、全然来ない。さて、どうしたものか。それで久しぶりにフランス屋に立ち寄ってみた。店には店主と、店主が褒めちぎるほど感じの良い青年店員がカウンターの中で忙しそうにしていた。それから店主の娘。勧められた南西フランスの赤ワインを頂きながら、ひとしきり話に花が咲いた。CioccoShowがマッジョーレ広場で行われない理由はセキュリティ上の為とのこと。人が沢山集まる場所にはテロ行為が発生しやすい。それが理由だそうだけど、あまり説得力がなかった。訪問者数は確実に減るだろうと思われるが、出展者たちがボローニャ市に支払う費用はマッジョーレ広場でも駅周辺でも同じ。だから出展者たちは不満を述べている、との話だった。こうした商売をしている人達は色んな人と繋がっているらしく、そうした話には大そう詳しかった。それから話はボルドーの話に移った。少し前に店主夫婦がボルドーで休暇を楽しむと嬉しそうに話していたのを思いだしてのことだ。店主によるとボルドーという街はボローニャよりも少し小さめの街で、実に情緒があって美しく、暮らしてみたくなるような街とのことであった。君のような散策が好きな人にはもってこいの街、と店主は私にそう言って、行ってみるといい、と付け加えた。そういえば随分前に、若い友人が同じような話をしていた。ボルドーねえ。と宙にその街の様子を描こうと試みる私に店主が付け加える。それに飛び切り美味しいワインがあるじゃないか。大変な殺し文句に私も青年店員も言った当の本人の店主も笑った。美味しいワインがある街。いつか足を運んでみたいと思った。

ところで価値観ほど面白いものは無い。これは人によって異なり、正解も不正解もないのだ。だから絶対なんてものは世の中には無いのだと思う。そういうことを知っていれば、どんなに話がこじれても相手を尊重する気持ちを失うことはないだろう。価値観が異なっているのはごく普通のこと。そもそも誰もの価値観が同じだったら、世の中は少しも面白くない。色んなことが交差して存在するからこそ面白い。




人気ブログランキングへ 

空が青い

DSC_0027 small


秋晴れとはこういう空のことを言うのだろう。そんな言葉が心に浮かぶような美しい空に恵まれた日曜日。もっとも秋の空と女心と昔から言うように、この美しい空を一日中望めるかどうかは分から無いけれど。気付けばもう11月も中旬。いつもの生活に、いくつかの用事と約束事が散りばめられている。あっという間に11月の終わりの日を迎えるのかもしれない。

週末に髪を切りに行った。一週間前に予約をしていたのだが、風邪で寝込んだせいで延期になった。髪を切って貰うのが大好きな私は、それが残念でならなかったが、世の中には半年も髪を切らない人が居るそうで、だから6週間が7週間になったくらいで変わりはないではないかと店の人達が笑った。但し、と店の人達は言う。私のように髪を短くしている人は確かに1,2センチの伸びに伴うスタイルの乱れが気になるだろう、と付け加えた。本当に彼らはよく分かっている。それが彼らの職業柄美意識というものなのかもしれない。髪を洗い、髪のパックをして貰いながら若い彼と話をした。彼は先週休みを取って家族のところへ行ってきたそうだ。てっきりボローニャの人だと思っていたが、マルケ州の小さな海の町出身とのことだった。マルケの海のことは友人家族からよく聞かされていた。マルケの海は美しく、そして海の背後には丘があって、それはそれは情緒深く、素晴らしいのだそうだ。友人家族がマルケに休暇の為の家とヨットを購入したのは、そうした理由かららしかった。そんな素晴らしいところに住んでいた彼が何故ボローニャに来たのかと言えば、仕事を求めてのことだったらしい。彼のような美を求める仕事に就くためには、やはりそれなりの街でなければならなかったらしい。其れでボローニャに来て良かったと思っているかと訊ねると、勿論だと彼は言った。美意識の違いもあれば、職場での確実なステイタスも得られる。だからボローニャに来たのは正解だったと彼は言った。それに、と彼は言葉をつづけた。生まれ育った小さな町では髪を切るのは職人の粋を出ないけれど、此処では違う、髪を切るのはアートでありクリエイトなのだ、と。それを聞いて嬉しくなった。私は常々思っていたのだ。髪を切る、髪をいじる人は芸術家なのだと。私のその言葉に彼は喜び、そういう人が居る限り髪を切る喜びを持ち続けられると言って彼は頭を垂れて感謝した。さて、しかし私の髪を切る人は彼ではない。何故なら彼は男性の髪を切る専門だからだ。初めて彼が青年の髪を切るのを見た時、その素敵な鋏さばきに目を見張った。そして仕上がったスタイルの格好良いことと言ったら。髪を切り終えて立ち上がった青年に、あなた格好いいわねえ、と褒めたら、僕には専属のヘアスタイリストがついているからね、と言ってウィンクを投げられた。こうした小さな出来事でさえも、彼の喜びのひとつに違いない。髪のパックを終えてようやく髪を切る段になった。髪を切ってくれるのは店主で、何時も私に同じようなことを訊く。今日はどんな感じにしようか、と。髪の分け目はここ、長さはこのくらい、イメージ的にはこう、でもあなたのセンスを信用しているから、好きなようにして頂戴。すると大抵彼の瞳がきらりと光って、一言も喋らずに夢中になって切ってくれる。彼もまた芸術家なのだ。そういう人に髪を切って貰える私は運がいい。後は自分次第。朝家を出る前に髪に手を加える時間を作ればいい。これが実は一番難しい問題だ。

月曜日、火曜日、水曜日、木曜日、金曜日。次の週末まであと5日間あるけれど、髪もさっぱりしたことだし、ようし、楽しくいこう。




人気ブログランキングへ 

ちょっとスカーフを新調

DSCF0834 small


雨が降るでもない、しかし晴れるでもない、どんよりとした空の土曜日。病み上がりで辛かった一週間だったから、家でゆっくりしようと決めていたのに、昼頃になると、じっと居られなくなって家を出た。何をしたいでもない、何処へ行きたいでもなかった。ただ、バスに乗って何か平日とは違うことをしたかった。

丁度来た13番のバスに乗り旧市街へ行った。そういえば今週末は七つの教会群の前の広場で骨董品市がある筈だった。昼食時と言うことも理由だったかもしれないが、人はあまり居なかった。そればかりではない。出店も少なく、活気がないとはこういうことを言うのだなあ、などと言葉がつい口をついて出てしまうほど、閑散としていた。どうしたのだろう。風邪を引いたのだろうか。それともどこか別の場所でもっと面白いことがあって、そちらの方に人も店も流れたのだろうか。何にしても少々寂しげで、まるで今日の空ような骨董品市だった。ドイツ人だろうか、骨董品市の片隅で撮影していた。テレビかもしれない。それに興味を持った人が沢山居るらしく、唯一そこだけが人だかりで妙に賑わっていた。骨董品市を抜け出した小路に、以前よく足を運んだ店がある。この夏、素敵な白いブラウスを見つけて、値段が高いので迷っているうちに逃してしまった経験のある、あの店だ。骨董品市の日にこの店に立ち寄るのは稀だ。骨董品市を訪れた街の人や旅行者たちが、流れ込んでくるからだ。ところが店には客ひとり居ない。まあ、珍しいこと、などと思いながらショーウィンドウを覗いてみたら、いい感じのスカーフが目に留まった。私はスカーフの類を山ほどもっている。なのにスカーフをひとつ新調したくなった。こんにちは、と声を掛けながら店に入ると、開いた衣類を綺麗に畳んで片付けている女主人が振り向いた。彼女の良いところは、相手が誰かを確かめるとぱっと顔を輝かせて笑うことだ。恐らく10歳ほど年上の彼女。何時も身綺麗で感じがいい。ショーウィンドウのトルソーが首に巻いているスカーフ、あれがとても素敵だと言う私に、彼女はそれを取り外して見せてくれた。皮膚が弱くてすぐに痒くなってしまう私にも、これは大丈夫と彼女は太鼓判を押した。首に巻き付けてみると感じがいい。色合いもよいし、髪の色との相性が良かった。スカーフは不思議だ。それひとつで人の印象を変える。似合う色をしていれば魅力が引き立ち素敵に見えるし、似合わなければ酷く田舎者に見える。そしてそれは首に巻いて試してみなければ分から無いことが多い。彼女は私が好きそうなものをあれもこれも取り出してくれた。そうしては綺麗に折り畳んであったスカーフをふんわりと広げ、クシュクシュと私の首に巻き付けてくれた。時には、これは恐らくあなたの肌には合わないだろうと言って向こうに避けて。恐らく10枚以上見せてくれただろうか。そうして彼女は、一番初めに巻いたのが一番あなたに合っている、と言った。開いて山積みになった色とりどりのスカーフたち。後片付けが大変だと言って謝る私に彼女は言う。スカーフほど試してみなければ分から無いものは無い。スカーフを購入するとはそういうことで、スカーフを販売すると言うのもそう言うことなのだ。そう言って華やかな笑顔をこちらに向けた。店に置かれているものはちょっとユニークでフェミニンで、私には少々甘すぎる。でも、ときどき私好みの辛口があり、そして感じのいい女主人が居るこの店が、私はやはり好きだ。もう13年近くの付き合いだ。私は上等な客ではない。年に数回しか足を運ばず、購入するのは年に多くて2度。だけどそんな気まぐれな客を彼女はちゃんと覚えていて、街中で私の姿を見つけると声を掛けてくれる。まあ、元気だった? と言った具合に。だからまた店によってみようかと思うのだ。ただ見せて貰うだけでもいい。ただ挨拶を交わしに行くだけでも言い。兎に角、今日の私はご機嫌だ。新しいスカーフを手に入れて。思い切って外に出てよかった。

家に帰ると猫が窓の外を眺めながら独り呟いていた。栗鼠でもいるのかと思って窓の外を眺めてみたが、其処にあるのは風だけ。風に揺れる黄色い葉に話しかけていたのかもしれない。猫がうちに住み始めてもうすぐ丸4年。彼女の考えていることは大抵分かるようになった。それとも私達は似たもの同士なのかもしれない。




人気ブログランキングへ 

みつけた

DSC_0055 small


少し前にヴェネツィアへ足を運んだ。雨が降る季節が来る前に、と相棒を誘って。毎年冬季にあるアクア・アルタ。水位が異常に上がる浸水現象のことだ。路地も広場も浸水して歩くこともできなくなる。しかし、まさかこんなに早くアクア・アルタになるだなんて、誰も予想もしていなかった。

ヴェネツィアを歩くのは簡単そうで難しい。行きたい場所、辿り着きたい場所に行けそうで行けない。勿論この街を歩くエキスパートは沢山居るに違いないが、少なくとも私と相棒はそうした類の人ではない。私が初めてひとりでヴェネツィアに出向いたのは13年前。今の仕事に就いて少し経った頃のことだ。ひとり列車に乗り、当てもなく歩いたのをまるで昨日のことのように覚えている。春先のことで旅人が多く、明るい日差しに水面がきらきら光っていた。7、8年振りに訪れたが、以前とあまり変わることもなく、私をほっとさせてくれたものである。何処をどう歩いたのかは覚えていない。ただ、ひたすら人の流れを避けるように小路へと足を運んでいたのは今も昔も変わらず、そうして見つけた場所があった。朽ちた建物。一体何時から開けられていないのか、窓という窓の日除け戸が閉ざされていた。運河に面した分厚い朽ちた扉が私を魅了して、細い運河の流れは春の陽で緑色に輝いていた。何と言う名の建物なのか。恐らく由緒あるものに違いないが、人が中に居る気配はなくて、忘れ去られた場所のように思えた。確か近くには建具屋さんの工房みたいなものがあった。言葉をひとつふたつ交わしたのを覚えている。白髪交じりのもじゃもじゃ頭で髭も同じくもじゃもじゃだった。あの場所が何処だったか、いくら考えても思いだせない。幾度もあの場所に行きたいと願って記憶をたどりながら歩いたけれど、歩けば歩くほど辿り着けない。まるで探し物のようだった。あれから13年も経って、歩くのが苦手な相棒を引き連れて彷徨っていたら、同じ場所に出た。同じ風景。ただ、朽ちた扉は取り払われ、察するに、どうやら館はホテルに変身したらしい。入り口は運河から到着する客を迎えるべくものだろう。それはそうだろう、と思った。こんな街中の運河に面した場所。長く館を放置するなんてことは考えられぬことである。長い年月をかけて修復作業をして、ホテルとしてスタートさせたのだろうと想像した。そういえば1年ほど前に、テレビで映画を見たのが丁度そんな話だった。運河に面した由緒ある館を相続する話。こんな良い物件を逃す手はないと周囲があの手この手でホテルにしよう、などという話だった。確かに金のなる木かもしれなかったが、最後はホテルにはならずに館をその姿のまま相続することになって、私はほっと胸をなでおろした。この街にある、運河に面した由緒ある館が、どれもこれもホテルになってしまったら興醒めだ。ホテルもレストランもカフェも土産屋も、もう充分すぐるほど存在する、と言うのが私の意見だが、さてどうだろう。私はヴェネツィアに普段の生活の顔を何時までも保っていてもらいたいと願うけれど。普通の人達が普通に生活できる街であってほしいと思うけど。ホテルになったらしい建物だけど、しかし変わらず美しかった。朽ちた感は多少減ってしまったが、これはこれで良いだろう。13年前にあった工房は遂に見つからなかった。13年と言う歳月の間に、工房自体が姿を消してしまったのかもしれない。
ヴェネツィアのアクア・アルタ。毎年のことであるが、それでもこの街を離れずに暮らし続ける人が居る。それほどこの街は魅力があるのだろう。それとも長年暮らした街は愛着があって、そうそう離れることが出来ないのかもしれない。

治りそうで治らないのが今回の風邪。若くないからな、との相棒の指摘に、そうかもしれない、と頭を垂れて萎む。私の薬は扁桃腺の為の抗生物質、そして梅干し。実を解して湯を注いで熱いうちに頂くと、身体がぽーっと温かくなる。ボローニャに居ても梅干し。ああ、日本人だなあ、と実感する瞬間だ。




人気ブログランキングへ 

雨の日は憂鬱

DSC_0077 small


空に訊いてみたところ、この週末は晴れる気はないらしい。天気予報によれば少しながらも太陽が出るとのことだったが、空が言うのなら間違いない。多分明日もこんな具合だ。冷たい雨に濡れた樹。心なしか寂しげだ。それともそれは人間の勝手な思い込みで、樹は樹でこのお湿りを喜んでいるのかもしれない。地上を眺めると、隣人たちは揃いも揃って不在。どの家の車の姿もない。多分、山の家で連休を過ごしているのだろう。それともこの雨による被害がないか、山の家を確認しに行ったのかもしれない。物を沢山持っていると心配事も多いのかもしれない。その点私はこの小さなアパートメント以外は何もないから、姑や海の向こうの家族を心配するだけで、全く気軽なものだ。

この時期は微妙。何故かいつも同じことを思いだす。アメリカに暮らしていた頃のことで、もう25年前にもなる。ローマ近郊出身の、長身で素晴らしいスタイルの陽気なアンナに恋をしたジムと、イタリアンカフェ界隈の中でも名の知れたカフェ・トリエステで待ち合わせをしたのは丁度この頃だ。実に湿った天気で、薄着をするには冷えるが厚着をすれば汗ばむ、何とも言えない気候だった。この場所を指定したのは私だった。彼がその近所に住んでいたからだった。私はと言えば随分と離れた、この街で一番大きい公園の近くに住んでいたが、何しろこのクサクサした天候で家から出たくて仕方なかったから、トロリーバスを乗り継いでここまでやって来たという訳だ。彼に会う理由は数か月間借りていたルービックキューブを返すためだった。アンナとジムのアパートメントを訪ねた時にそれを見て驚喜した私に、彼が貸してくれたのである。カフェに行くと彼はまだ来ていなかった。窓際の小さなテーブル席に座って暫くすると、ごつい黒の革のジャンパーを着た彼がやって来た。彼はいつだってオートバイに乗って移動するが、さすがに数ブロックの距離だから歩いて来た。革のジャンパーはオートバイに乗ろうと乗るまいと、つまり、彼のトレードマークみたいなものだった。ルービックキューブは遂に完成できなかったと言って笑う私に、大丈夫だ、君独りじゃないから、と言って笑う彼もどうやら完成できないひとりらしかった。そもそも彼は相棒の友人だ。相棒がボローニャに戻っていると言うことで一緒に来ることが出来なかったのを知った彼は、困った時には電話をするように、と言ってカフェを出ていった。当時の私は人に頼るのが好きではなかったから、彼の親切な言葉に有難うと言ったものの、大丈夫よ、どんなことも自分の力で解決すると思っていた。そういうことが私の自信であり誇りだった。今思えば随分頑なで、馬鹿らしい自信と誇りだった。人に助けて貰うのは決して恥ずかしいことでも愚かなことでもない。そして、助けとは目に見えるものばかりではない。周囲の人達の応援や思いやりもまた、同様なのだ。そうしたことが分かるまでに私は随分な年月を要した。それもまた、今思えば大したことではない。小さな大切な様々に気付くことが出来たのなら、決して遅すぎることはないのだから。それにしてもこの空が、この湿った空気が、あの日のカフェや彼の表情を思いださせる。彼は元気だろうか。今もアンナと一緒に居るのだろうか。あれは彼の一方的な恋愛だと周囲の人達は言っていたけれど。何しろ彼女は恋多き女だったのから。

美味しいものをひとつまみ。風邪はまだ治らないが、ようやく味覚が戻って来た。もう一歩というところだろう。だから美味しいものをひとつまみ。自分への褒美のようなマロングラッセを。
窓辺に猫が座っている。猫もまた空を眺めて何か感じることがあるらしい。今日も雨なのかと思っているのだろうか。それとも雨にもかまわずやってきた栗鼠や鳥を目で追っているのだろうか。それとも、それとも。雨の日は憂鬱。色んなことが頭の中を駆け巡る。




人気ブログランキングへ 

Pagination

Utility

プロフィール

yspringmind

Author:yspringmind
ボローニャで考えたこと。

雑記帖の連絡先は
こちら。
ysmind@gmail.com 

フリーエリア

月別アーカイブ

QRコード

QR