古い店

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ボローニャは昔からあるものを大切にする町だ。それは古い建物に限らず、例えば昔からある店などもそのうちの入っている。近年は郊外の大きなスーパーマーケットや昼時も店を閉めずに朝から夜遅くまで営業している小型のスーパーマーケットが驚くほど増えたけれど、それでも昔ながらの店には特別な愛着があって、少々高くついてたとしても好んで足を運ぶのだ。ただ、それもここ数年、そうした昔の店が消えつつある。どうしたって大型店の価格競争には勝てないし、それからもうひとつ言えば、古い店に愛着を持って足を運んでいた世代の人々がどんどん減っているからだ。勿論、そうした習慣とは家族に受け継がれていくもので、古い人達が居なくなっても娘や孫が同じように、それらの店をひいきにすることもあるけれど。昨年の夏、スカラマーリが店を閉めた。ボローニャ旧市街の中心に建つ2本の塔の下から東に伸びるStrada Maggioreに食料品店として100年以上存在した店だった。店を閉めたと言う表現は正しくない。正確には、スカラマーリはフランス系のカラフールに吸収されたのだ。ポルティコの下に有る店の看板は取り外されてしまった。看板こそカラフール・エクスプレスとなったけれど、私たちのスカラマーリは今までどおり静かに存在している。

スカラマーリの名を初めて聞いたのは、私が相棒と共にボローニャに引っ越してきた頃だった。私たちは定着する家が無かったから、相棒の友人や幼馴染の家を渡歩いていた。あちらに2週間、こちらに2週間と言う具合に。私たちが大好きだったアメリカの海の町を離れてボローニャに来たのは、ふたりの娘を続けて亡くした相棒の両親を助ける為であったが、そうしてボローニャにやって来たら、誰もそんなことは頼んでいないぞ、と両親は私たちがボローニャに来たことを少しも喜んではくれなかった。少なくとも私はそんな風に感じた。もともと私たちは両親の家に泊まるつもりは無かったので、事前に友人に部屋を貸してもらう話をつけていた。だからあちらに2週間、こちらに2週間の生活は、了解の上でのことだった。ただ、そうと分かっていても、他人の家に居候する生活は、文字にする以上に惨めではあったけれど。両親は喜んでくれていないが、それにしても私たちは全てを引き払ってボローニャに来てしまったので、ああ、そうですか、と言ってアメリカに戻るわけにも行かなかった。相棒はボローニャ生まれのボローニャ育ちだが、しかし20年もアメリカに居たことで友人も知り合いも数えるほどしか居なかった。相棒もまた、私と同じ、零からの出発と言ってよかった。始めの2週間は旧市街の友人のアパートメントに、その後はボローニャ郊外の丘の町、ピアノーロに暮らす相棒の幼馴染の家に泊めてもらった。幼馴染は私よりいくつか若い女性、モニカだった。モニカはお祖母さんとモニカの恋人の3人暮らしだったから、其処に私たちが加わって5人暮らしの窮屈な生活だった。私が窮屈に感じたことは無いが、お祖母さんはそんな感じのことを時々ぼやいては、モニカに戒められていた。と言っても家はお祖母さんの家だったから、私はひそかに申し訳なく思っていた。私はまだイタリア語を話すことが出来なかったが、言葉をキャッチするのは早く、特に嫌なこと、嬉しくないことを言われたときは、周囲は驚くほど理解するのが早かったのだ。ある日、美味しい菓子を食べた。ボローニャに住んでいる、モニカの従姉妹の何と言う名前だったか、兎に角、モニカとは全然違うタイプの従姉妹が菓子を持ってきたのだ。彼女はお金に糸目をつけぬと言った感じの装いで、仕事で成功しているのが良く分かった。彼女が持ってきたのは、美しい箱に入った詰め合わせ、みたいなものだった。それがスカラマーリで購入したものだった。こういうもにはスカラマーリが良い、みたいな暗黙の了解と言うか何というか、地元の人達にしかわからないような感じが其処に居合わせた人達の話の底辺に染み付いているような感じがあった。私はスカラマーリと言う名前を、あの日、頭の片隅にインプットしたのだ。実を言えば、私は、幾度も店の前を歩いていた。ただ、店の構えは大きいけれど割と地味な雰囲気なので、気が付かなかったのだ。何年も経って、スカラマーリに入ったのは、手土産を探していたときだった。あの日の美しい箱に入った菓子を思い出したからだ。店に入ると親切な店員がやって来て、色々相談に乗ってくれた。昔ながらの対面式の商売を快く感じた瞬間だった。古いイタリアの映画に出てくるような、客ひとりひとりを丁寧に応対してくれることに、私は恋をしたと言うか、この町の人達がこの手の店を贔屓にしている理由が分かった瞬間でもあった。それから私は、こうした手土産を求めるとき、スカラマーリに行くようになった。そんなに頻繁ではない。ほんの時々のことだけど。
何年か前、若い友人から美味しいチョコレートを貰った。何処で購入したのかと訊けば、スカラマーリだと言う。当然だった。彼女は店の目と鼻の先に住んでいて、由緒ある家系の彼女は、こうした店をごく普通に利用しているに違いなかったから。若い彼女だったが、こうしたことにはこだわりがあって、菓子はここ、パンはあの店、ボローニャ料理はあの通りのあの店と、どれも此れも昔からボローニャに根を張っている老舗の名前ばかりがあがった。恐らく彼女の家がずっと贔屓にしていたのだろう。そういう彼女の拘りを、私は好ましいと思っていた。そうか、やはりスカラマーリなのか、と彼女とお喋りをしながら思ったものである。

スカラマーリは看板を取り外したが、店の中には今も以前のようにスカラマーリのセレクト品が存在するらしい。昨年、たまたま前を通りかかったら人々にスパークリングワインを振舞っていた。何か祝い事のようだと見上げたところで、カラフール・エクスプレスの看板を見つけて酷く驚いたものだ。けれども人々の談話の中から、カラフールに吸収されたがスカラマーリの店主も店員も、そして品物も店内にそのまま存在するらしいことを聞き取って、妙にほっとしたものだ。私は常連でもなんでもない。ましてや古いボローニャ人でもなんでもない。でも、こうした習慣と言うか、何というか、私は古いものに拘るボローニャの感覚が好きなのだ。1912年に店を開けた初代の店主は、こんな風にして看板を下ろすことになったことを知って、驚いているだろう。Strada Maggioreといえば、昔から成功者や豊かな家系の人々の建物が立ち並んでいる。そして彼らはこの店をこぞって贔屓にしていたから、決して消えることはないと思っていたに違いないのだ。私にしてもそうだ。まさかスカラマーリの看板が下ろされる日が来るなんて。

時代の流れと言うものか。淋しいけれど、こんな風にしてボローニャも変わっていくのだろう。しかし旧市街の食料品市場界隈にあるパン屋のAttiだけはそんなことがあってはならぬ。あってはならぬのだ、と私は美味しいパンを求めて足繁く通うのである。




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土曜日くらい時間に追われずに居たい

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昨夜の雨はそのうち止んで、風が吹き始めた。時々、強い風の音がした。がたごと。それは日除け戸が風にあおられた音で、何だかいやな雲行きになったと思いながら眠りに落ちた。朝になると青空だった。昨夜の雨が空の塵を洗い流してくれたのだろう。青空に浮かぶ大小の雲が風に押されて、まるで空に浮かぶ船のようだった。船は行き交うことは無く、皆同じ方角に向かっていた。南東の風だった。空気は冷たいが、そのうち徐々に温かくなることが予想された。

相棒は私より先に起きてテラスの金木犀の剪定をしていた。今の時期にするのが正しいかどうかは分からない。ただ、枯れて花がつかないばかりか葉もつかない部分の枝を切り落とさないわけには行かなかった。さもなければ樹全体が病んでしまうに違いない。そう言ったのは私で、本当は自分で剪定をしようと思っていたのに、寝坊したために先を越されてしまった。いや、たとえ私が先にお起きていたとしても、相棒は自分がすると言ったに違いない。彼は自称、植物の魔術師なのだ。彼が手を加えた植物は、どんなに枯れていても元気になる、と。まあ、良い。私にしても鋏で硬い枝を切り落とせるのか疑問だったから。それに冷たい風の中で剪定作業などして風邪をぶり返したらどうしようと思っていたのだ。作業を終えた相棒は実に満足げだった。此れで大丈夫。この秋は沢山の花が咲く。相棒は自信ありげに言った。有難う、有難うと感謝すると、彼の満足度は高まって、青空に飛んでいってしまうかのようだった。

土曜日くらい時間に追われずに居たい。私は何時の頃からかそんな風に思うようになった。朝食を楽しみ、家の中をざっと片付けたら、昼になっていた。昼食にしようかと思ったけれど、あまりに外が明るいので、身支度をして家を出た。旧市街を歩こうと思って。
明るいけれど風が冷たかった。私はいつもの装いで、まだ冬のそれだった。周囲の人達はといえば、俄かに春へ向かっているらしい。腰丈のジャケットや若干薄手のオーバーコート。私のようにきっちり着込んでいる人も勿論居るにしても。恐らくは数日前までウールの帽子を被っていたに違いない年配の男性たちも薄手の帽子に着替えて、春を意識しているように見えた。こういう人達を見ると嬉しくなる。幾つになってもお洒落心を忘れない人達。季節を楽しむ心を忘れない人達。私もそうでありたいと思う。それにしてもなんと沢山の人達。マッジョーレ広場には腰を下ろして太陽を楽しむ人達がいっぱい居て、そんな時期になったのだと感慨深かった。冬の間はこの広場に腰を下ろして時間を過ごす人など居なかったから。広場に面して建つサン・ペトロニオ教会。広場を挟んで教会の正面に建つのはポデスタ宮殿だ。美しい回廊を持つこの宮殿は、私のお大の気に入り。その宮殿の地上階に新しい店が開いたのはこの冬のことである。SIGNORVINO(シニョールヴィーノ)と言う名のその店は、国産ワインだけを扱い、食事も楽しめる、イタリアでも有名な投資家の店である。店はチェーン店で、色んなところに構えているらしい。私は実を言えばチェーン店なるものが好きじゃない。チェーン店と言うだけで、急に興醒めしてしまう。だから随分前にオープンしたこの店も気になりながらも所詮チェーン店だからと足を踏み込まなかった。しかしポデスタ宮殿の中の店ともなると、一度くらい中に入ってみたくなるものである。それから数日前姉に訊かれて探しているものがあった。南イタリア産の白ワインだ。そんな幾つかの理由を作って中に足を踏み込んだ。店は充分混んでいて、テーブル席が相手はすぐに次の客で埋まるといった具合だった。きょろきょろしている私に声を掛けてきたのは、一見外国人風の、しかしボローニャに生まれて育ったに違いない店の人だった。こんなワインを探していると言う私に、彼は私を奥のほうに誘導して、美しい2本のワインについて説明してくれた。私は興味を持ってその話に耳を傾け、そして心底驚いていた。なんと沢山の知識を持つ人なのだろう。もっと話を聞きたかったが、忙しいらしく、誰かに呼ばれて向こうに行ってしまった。さて、この2本のワインだけれど、2本合わせると50ユーロ。此れが高いか安いか。正直言って、私には大変高価なワイン。特別な日にしか購入できそうに無い。ふと見ると、テーブル席ばかりでなくカウンターでワインを楽しめるようになっていた。それで喉を潤す為に爽やかな白ワインを注文した。ひとりのときはこんな風にカウンターで立ち飲みワインが私の好みなのである。何事も先入観ほど怖いものは無い。またね、と店の人に挨拶をして、外に出るとなりそう思った。チェーン店だから、と足が向かなかったこの店だが、悪くない、全然悪くない。個人店のような店主とお喋りする楽しみは無いが、こんな雑踏みたいな雰囲気の中で、人間ウォッチングを楽しみながら立ち飲みワインするのも、また愉しい。また立ち寄ってみようと思った。広場では路上の音楽家たちが音楽を奏でていて、彼らを取り囲むようにして人々が耳を傾けていた。春はもう来ているのかもしてないと錯覚するような、穏やかな土曜日の午後だった。

重い冬のコートを脱ごう。3月から春らしく軽快に行こうじゃないかと提案する私に、相棒はとても懐疑的だ。まだ早い、油断するな、冬はまだ終わっていない、と警告するような言葉を投げかける。さあ、賽の目はYES とでるか、NOとでるか。私はYESと出ると思う。春は、本当に私たちの背後まで来ている、そんな気がしてならない。




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彼女と私

雨が静かに降っている。何時から降り始めたのか気が付かぬほど、静かな雨。細く長く降り続けている雨を窓から眺めていると、私は少し複雑な気持ちになる。もしあの時、こうしていたら。もしあの時、私が其処に行かなかったら。後悔とは違う、一種の仮定法みたいなもの。人からすればどうでもよいような小さなことに、心を揺らす。こんな雨の降る晩は、時々そんな気分になる。私だけだろうか。世界の何処に同じような人はいるだろうか。

私が暮らしていたアパートメントは坂に面して建っていた。アメリカに暮らして二軒目のアパートメントのことである。階段を数段上がったところがエントランスで、入って右手に郵便受けが幾つもあって、左手には階段があった。エレベーターも備え付けられていたが、一度も使ったことが無い。最上階といっても4階だったし、私は2階に住んでいたから、若かった私は階段を上ることにまったく苦痛を感じていなかったからだ。25年も前の話なのだ。木製の床で、激しく歩くとぎしぎし言った。大きな出窓があって、天気の良い日は窓に腰掛けて、本を読んだりお喋りを楽しんだ。私は他のふたりと共同生活をしていた。私たちは皆、節約を強いられている身だったが、その中でも私がいちばん切り詰めていたと言ってよい。けれどもそんな生活が少しも苦痛ではなかったのは、やはり若かったからだろう。それから自力で何かをしている実感が、私を強く励ましていたのかもしれない。貯金がもっとあったらどんなに良いかと思いながらも、私はそんな生活を楽しんでいたのかもしれないと今は思う。一緒に暮らしていた友人は、私よりも更に若く、どんなことにも怖気づかなかった。そんな彼女をとても羨ましいと思っていた。どんなことにも真っ直ぐで、思ったことを言葉にする彼女。私には出来ないと思っていた。彼女のような自信は何処を探しても見つからなかった。自信とは面白いもので、自信が無いと思うとあれよあれよと言う間に消滅してしまう。反対に、自信があるときといったら、雪だるま方式で大きく膨れ上がり、いったい何処にそんな自信を隠し持っていたのだろうと自分でも驚いてしまうのである。私は彼女と一緒に居ると益々自信が首をもたげてしまうのだった。そんな自分がとても嫌いで、こういうタイプの人と一緒に住んでしまった自分を、失敗したと責めたこともある。快活な性格の彼女だ。いつも誰かが彼女の部屋に出入りしていた。その中のひとりがシボルだった。香港生まれ香港育ちのシボル。豊かな家のお嬢さんらしく、身につけているものが洗練されていた。そもそも大変美しい姿をしていたので、街を歩いていると誰もが一瞬小さく振り返った。背丈があってスレンダー、腰の位置が大変高くて足がすらりと長かった彼女。スリムなジーンズに飾り気の無い白いシャツ。それに紺のジャケットを着ると、まったくさまになった。無造作に着ていたがそれぞれを良く見れば、どれもが手の出ないような上質なものだった。彼女には一種のポリシーみたいなものがあって、ひと目で何処のブランドと分かるようなロゴの入ったものは決して身に着けなかった。だから何かの拍子に衣類の内側や隠された部分のタグを見て、驚くのだ。シンプルがいいのよ。そう言う彼女のクローゼットは、本当にシンプルなものばかりだった。みんながつまらないと言うんだけど、私は此れでいいの。気に入ったものを何年も着るの。飽きることなんて無いわ。彼女が言った言葉はそのまま私に染み付いて、いつの間にか私もそんな風に考えるようになった。シボルと知り合うことになったきっかけを作ったのは、一緒に居ると益々自信が首をもたげてしまう友人だった。一緒に住んだことを失敗したと思ったこともあったけれど、今振り返ってみれば、実に良い人と住んだと思う。どんなこともそんな具合だ。その時、あーあ、と思っても、何年も経って思い返せば感謝しても足らぬほど幸運だったりする。だから人生は面白い。過ぎてから初めて分かることが沢山あるのだ。もしあの時、私が友人と一緒に暮らしていなかったら。そう考え始めてみたものの、ありえない、ありえないと首を横に振る。私と友人は会うべくして会ったのだ。彼女と私の場合、もし会っていなかったら、と言う仮定法は成り立たない。

降り続く雨。明日は晴れるだろうか。旧市街を散歩したいと、私は心底願っている。




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絆とか、家族とか。

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春へと向かう中、周囲は風邪やインフルエンツァに病んでいる。冬の終わりに来て気が緩んだのか、それとも防ぎようの無いものなのか。兎に角、家に帰ってすることはまず、手を洗うこと、うがいをすること。日本では当たり前のようなこの習慣は、此処では当たり前でもなんでもない。そういうことが、ああ、此処は日本ではないのだ、と思うよりも先に、ああ、私はやはり異国人なのだと思う。日本の几帳面な生活習慣は、時として感心されることがある。さすが日本人だな、と言われると、私はちょっと照れてしまう。まあ、私が保っている日本の生活習慣は、数えるほどしかない。例えば待ち合わせの10分前に行くなんて習慣は、何時から無くなったか覚えてもいない。

寒さが少し緩んだとは言え、朝晩の気温はまだ1度、2度と低い。だから冬の長いコートを着て仕事に出掛けるのだが、このところ少々飽きてしまった。早く薄手のコートに着替えたい。クローゼットの中の薄いコートを眺めながら、そんなことを思う。3月とてボローニャは油断は出来ないと言うのに。私が初めてボローニャに来たのが3月だった。私と相棒はアメリカに住んでいて、結婚をする前に家族に会ってみたいと思ってのことだった。ひと月とちょっと、私たちは仕事を休んで、ボローニャへと飛んだのは3月初旬だっただろうか。明るい日差しに満ちた乾いたカリフォルニアとはあまりに違い、まだ冬の匂いが充分する湿った雰囲気で私は驚いた。これがボローニャ。私が得たボローニャの第一印象はあまりにも陰気臭かった。午後のまだ日が暮れそうにない時間に散歩をすると、地面から冷気が立ち上がり私を酷く苦しめた。陽の当たらぬ場所に行こうものなら、首をすくめてしまうほど寒かった。この寒さは気温が低いと言うよりも、湿度が高いせいで、この街に生まれ育った相棒ですら、湿度の高さに文句を言った。ひと月の滞在だったが、ボローニャに着いて間もなく入院などしてしまったものだから、随分と損してしまった。だから退院すると周囲が心配するのをよそに、南へ、北へと小旅行を企てた。私が幸運だったのは、小旅行をすると知った相棒の友人が、自分の車を使えばいいと申し出てくれたことだ。暫く使わないからとはいえ、車を1週間も貸してくれる人など、そう滅多にいないだろう。ウンブリア、ローマ、トスカーナ辺りを回り、それはそれは愉しかった。ボローニャに戻って車を友人に返すと、今度は早朝の各駅列車に乗ってヴェネツィアへ行った。まだ相棒の家族が眠っている時間に家を出て、バスで駅へと向かうのは辛かったが、ヴェネツィアに着いたら、そんなことはすっかり忘れてしまった。美しいヴェネツィア。疲れないようにと諭す相棒の声に耳もくれずにひたすら歩いた。地図を持っていたが、そんなものは役に立たなかった。地図を見ていたら歩きにくかったし、見ていたとしても何時も何処かの袋小路に辿り着いてしまった。まるで魔法のような街だった。アメリカの友人知人たちが、ヴェネツィア、ヴェネツィアと騒ぐわけだ、と思いながら、そんな場所に自分が来て歩いていることが信じられなかった。夢なのではないかと幾度も思った。そう思ったのは相棒も同じだったらしく、夕方の電車でボローニャに戻る予定だったのに、一泊しようと言い出した。長いことヴェネツィアに来ていなかった相棒は、この街の美しさと魅力を忘れていたらしい。でも、私たちは何も持ってこなかったし、私は宿泊に必要なパスポートすら持ち合わせていなかった。結局一泊せずに、遅い電車でボローニャに戻った。相棒の家族の家に帰ってきたのは夜の11時頃だっただろうか。家族はすっかり眠りについていた。喉が乾いて水を求めてキッチンに行ったら、テーブルの上にピッツァを乗せた皿がひとつあった。外で食べるようなピッツァではなく、見るからに自家製のピッツァだった。翌朝、母親が相棒にこういったらしい。折角みんなでピッツァを食べようと思って作ったのに、あんたたちは帰ってこなかった、と。ヴェネツィアから帰りは遅くなると電話をしたではないかと諭すと、それでも母親は夕食時には帰ってくると思ったらしく、ピッツァを作って待っていたらしい。そのやり取りを眺めながら、私は、ああ、母親と言うのはそういうものなのかもしれない、と思った。私の母親もまた、そんな人だ。どんなに大きな大人になっても、息子は、娘は、やはり母親にしてみたら大切な子供なのだ、と。もっとも、その数年後ボローニャに暮らすようになって分かったのだが、イタリアの家族の絆は他の国のそれよりももう少し深くて、だから食事時に同席しないなんてことは、実に甚だしいことであることなのだ。相棒の代わりに私がごめんなさいねと謝ると、母親は少し恥じたらしく、そんなのいいのよ、と言って向こうに言ってしまったけれど。あの日のことは今になっても忘れない。もう24年も前のことだというのに。急にこんなことを思い出したのは、何故だろう。

それにしたって、明日はもう金曜日ではないか。やった、やった、と小躍りする私に相棒は言う。明日が金曜日なのがそんなに嬉しいか。私は心の中で思う。うん、こんなに嬉しいことはない。それから金曜日の晩はもっと嬉しいのよ。もしかしたら一週間でいちばん嬉しい瞬間かもしれない。




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てんとう虫見つけた

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鳥の囀りを耳にするようになった。まだまだ朝晩は冷えるけど、そんな鳥の囀りを耳すると春が其処まで来ていることを感じる。もうすぐ、もうすぐだから。そんな風に歌っているようだ。まだ芽の出ぬ裸の木の枝につかまるようにして止まっている鳥はメルロだろうか。見た目はそれ程格好良くないけれど、声の美しさは飛び切りだ。
風邪を引いたのが長引いている。うっかりした、と言うのが私の感想で、こんなに気をつけていたのにと、己の不注意にがっくりしている。こういう時は様々なことが連鎖的に上手くいかないもので、例えば愛用しているパソコンが起動しなくなったり、恐ろしく高額の光熱費の請求書が届いたり、がっくりに輪がかかる。なかなか上手くいかないものだ、と猫に話しかけてみるも、何のことかさっぱり、とでも言うように大きな欠伸をして見せてくれる。そんな様子を見ていると、まあ、そのうち何とかなるさ、などと思えてくるのだから不思議なものだ。いや、もともとそんな暢気な性格なのかもしれない。心配したり落ち込んでも、どうしようもないことは沢山ある。そんなときは楽しい事を考えて鼻歌など歌っていればいい。そのうち運が向いてくる。そんな風に何時の頃からか思うようになった。

夕方、一通のメールが届いた。フランス屋からの誘いだ。時々こんな風にフランス屋から自動通知がある。通知してくれるように頼んだのはもう2年か3年前のことだ。トリュフのブリーチーズが入庫したとの知らせだった。此れは本当に美味しい代物で、あっという間に売切れてしまう。いつもなら、おおっ、と通知を貰ったその足で店に購入しに行くが、今日は何となく気が乗らない。食欲が無いと言うのはなんと淋しいことか、と風邪を恨む。それにしても、ボローニャ旧市街はどうしたことだろう。あちらもこちらもワインを振舞う店ばかりがオープンする。それ程ワイン人口が多いと言うことなのか、それとも不景気でレストランへ行く足が鈍っているけれど、ワインを飲みながら軽食ならば懐も痛まない、と言うことなのか。私が知る限り、近々新しい2軒がオープンする。夕方にぶらりと店に立ち寄って、立ち飲みワインを楽しむとするか。こんな私の小さな楽しみを、人は変わった趣味だというが、そうだろうか。こんな手頃な楽しみがあっても良い。

今晩、家の中で見つけた小さな春。橙色のてんとう虫。猫がうちに暮らすようになってから、てんとう虫が姿を消して淋しいなあと思っていたところだったので、宝物を見つけたような嬉しさだった。ほら、これがてんとう虫。いじめてはいけないよ。と猫に教えた。分かって貰えただろうか。どうかなあ。




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