元気で居たい理由

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まだ5月もやっと下旬になったばかりと言うのに。今からこんなに暑くてこの先どうなることやら。朝目を覚ましたのはいつもより数時間多く眠ってからのことだった。太陽は既に空高く昇り、開け放った窓から近所で話をする人達の賑やかな声が飛び込んできた。皆、大そう機嫌が良く、犬もまた愉しそうな声を上げていた。窓の前の栃ノ木もアカシアの樹も、既に花を落としたけれど、美しい新緑が嬉しかった。テラスではジャスミンの花が咲き乱れ、それから柚子の樹にも小さな花が咲き始めた。上手くせれば今年は、案外多くの柚子の実が収穫できるのかもしれない。昔の私は樹だったのではなかろうかと思うほど樹が好きだ。街を歩いていても時々樹の前で足を止めてしげしげと眺める。時には通りがかりの人が何があるのかと言いながら私の横に並んで眺めることがある。そんな時は美しい樹だとか、枝の広げ方が興味深いとか答えると、大そう驚かれる。毎日此の前を歩いているのに一度も気にしたことがなかったなんて言いながら。

今日は外に出たり帰って来たりを数回繰り返す忙しい土曜日だった。でも、あまり疲れていないのは、自分が欲したことをしたからだろう。それに私は動いているのが好きだ。そして晩は落ち着いて静かに過ごす、これが私の好きな生活スタイル。この時期は誰に会ってもこの夏はどうする? なんて話題が登る。今日もそうだった。もう行き先を決めたことや、何をしたいかなんて話をしているうちに、奄美大島や屋久島の話になった。実は私は日本人でありながらあまり日本のことに詳しくない。訪れたことのある土地も数える程しかなく、これまでを振り返りながら、自分は今まで何をしていたのだろうなどと思うほどである。だから奄美大島や屋久島についても名前を知っている程度である。とは言え、屋久島については多少知っている。昔、美しい写真を見たことがあるのだ。屋久島には美しい樹の群れがあって、私が観た樹の写真は、それは印象深く、いつかその場に行きたいと思った、あの日から30年以上が経ってしまった。今日は久しぶりに屋久島の話をして、あの美しい樹や美しい緑色のことを思いだして、いつか本当に実現できればいいのに、この目であの樹を見ることが出来ればいいのにと願った。沢山のことは望まない。ただ、旅を何時までも愉しめるように、元気で居たいと思う。

ここ数日のボローニャの暑さは実に夏のようで、公共バスの中の冷房が寒い。汗を掻いていたところに冷房の風が当たり、久し振りに扁桃腺が暴れ出した。そういえば今日行った先でもバルバラという名の女性が、冷房のせいで声が出ないと言っていたっけ。気を付けなければ。此れから冷房と上手に付き合っていかねばならぬと思いながら、夜空の星はあんなに美しいと言うのに深い溜息が出た。




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いい金曜日だった

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駆け足でやって来た金曜日。このところ足が痛くてどうしようもない。私がこの季節になると決まって足が痛くなるのは、多分季節の変化、気圧の変化、みたいなものだ。だから病気ではなく、医者に相談するようなものでもない。ただ、歩くのが好きな私には辛いことであることには違いなく、痛いのを我慢して歩くか、痛いから歩くのを我慢するか、其れが問題だ。仕事帰りに薬局に立ち寄って相談してみたら、イタリアでは案外多くの女性が同じ悩みを持っているとのことだった。病気ではなく症状。いろんな形で症状を緩和することが出来るそうで、薬局の人の勧めでオメオパティコを試してみることにした。オメオパティコは日本でホメオパシーと呼ばれているもので、私がイタリアに暮らし始めた頃こそあまり浸透していなかったけれど、今はその辺の薬局に行くと、誰もが持つ自然治癒力に働きかける治療法のこれを薦められることが多くなった。例えば今日の私のようなことや、花粉症など。私が持っている自然治癒力ってどんなものなのか知らないけれど、随分多くの薬を今までの人生に服用してきたから、今は薬に遠ざかっていたい、そんな気持ちがあってのことである。薬ではないからゆっくりゆっくり変化があるのだろう。それもよし。気長に症状を緩和させていこうと思う。そして薦められたのは、痛いから歩くのを我慢するのではなく、痛いけれど進んで歩くことだった。兎に角動くこと。痛いから歩かないなんて思っては駄目。そう言われて気が晴れたのは、多分私が歩くことを望んでいたからに違いない。これで心が決まった、土曜日は散策に出掛けよう。そして日曜日にゆっくりすればいい。

ところで旧市街で見かけたミリタリーグリーンのフェッラーリ。ピカピカの新車だった。こんな色のを見るのは初めてで、路上駐車してあるそれをまじまじと眺めた。恐らく車の持ち主は車を停めたすぐ近くの男性向けセレクトショップの中に居る筈で、まじまじと眺める私を不審人物発見!と思っていたに違いないが、そのうち自然と見学者が増えて、あっという間に車をぐるりと取り囲んだ。私は車にあまり関心がない、が、フェッラーリは実にイタリア的で、そして美しい。店の中から私達を眺めていたに違いない車の主は、車に傷などつきはしないかとやきもきしながらも、散々称賛されて嬉しかっただろう。

ああ、それにしてもいい金曜日だった。




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好物

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5月らしからぬ暑い日が続いている。寒いよりは開放的な感じがするが、あまりにも季節が先に進み過ぎていると、朝から半袖姿の私は思う。長い夏になりそうだ。30度の毎日に、早くも食欲が落ちた。何か食欲をそそるものを、と思いながら歩いていたら目に飛び込んできた大好きなトロペア産の玉葱。旧市街の意外な場所に昨年だか一昨年だかに出来た青果店。あまりに綺麗な店の様子や場所柄から旅行者向けと睨んでいたが、案外そうとも限らないらしい。ちょっと足らないものを買い求めるのに丁度良いらしく、如何にもこの辺りに住んでいる感じの人達が案外沢山出入りしている。もう常連なのか、店の人は客の名前も覚えていて、へええ、案外此処に馴染んでいる店なのかと感心するのだ。青果店の店先は食料品市場界隈にしたって色鮮やかで賑やか且つ美しいが、此の店は人目を惹くことを計算していてニクイのだ。但し高い。だから私のようにこの界隈に住んでいない、そして急を要さない人は店の外を眺めるだけのことが多い。

トロペア産の玉葱を薄く薄くスライスして、それとツナ缶を上等なオリーブオイルで混ぜたものをスライスしたパンの上にのせて食べるととんでもなく美味しい。夏になるとこれがうちの食卓に上る回数が増えるのは、私の好物と言うことばかりでなく、低下した私の食欲を充分誘うからだ。今年は例年より2か月ほど早く、食卓に上ることになるだろう。

昨晩の満月は素晴らしかった。今夜は月が見えないと思っていたら、もうすぐ夜中と言う今頃になって月が姿を現した。今夜は風が涼しい。良い眠りにつけるだろう。




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冷えたワイン

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気持ちの良い風が窓から流れ込む。今日も空の明るい一日。近所の人達は朝から車で出掛けているらしく、全く静かなものである。昨晩止めてあった車の姿もないし、話し声も聞こえない。時々聞こえるのは、近所の老人たちの家からの声。そして風に揺れる木の葉の揺れる音。開け放った窓に掛ったレースのカーテンが膨らんだり萎んだりするのを眺めていると、私はすぐに日本に居た頃のことを思いだす。昼寝が嫌いだった子供の頃のこと。家族が昼寝をしている時間に遠くに暮らす人達に手紙を書いていた思春期の頃のこと。それからアメリカへと飛び立つ前の数か月のこと。どれも思いだすと胸が熱くなる。幸せだったのだと思う。そしてそういうことをまだ覚えていることを嬉しく思う。

昨夜の月は月曜日の満月を前にまん丸に近く、しっとりと黒い空にいい感じで輝いていた。窓を全開にして遅い夕食をとっていた相棒と私は、そんな月を眺めながら同じことを考えていた。いつものこの時期ならば、晩になると気温が下がって窓を開け放ったままになど出来なかったのに、と。どれほど昼間に気温が上がっても、5月というのはそう言う月だ、晩には冷えて窓を開けっぱなしにしていたら素足が冷えてどうしようもなくなる。おかしいね。うん、おかしいね。この夏は、もしかすると、とんでもなく暑い夏になるのかもしれない。
暑かったと言えば、数日前のことだ。アントワープから知人が妻とイタリアに来ていると言う。そしてボローニャに立ち寄ると言うのだ。知ったのは前日の朝のこと。それで昼の時間に旧市街で会うことになった。7年振りのことだ、彼と会うのは。友人と言うには足らないけれど、単なる知人と言うには味気なさすぎる。知人以上、友人未満と言うと丁度良い人で、彼の妻に関しては噂には聞いていたが初めて会う、全く知らない人だった。暑くなるとは聞いていたが、まさか此れほどとは知らず、うっかりコットンの長袖セーターを着て家を出や私は、すぐに後悔することになり、日陰ばかりを選んで歩いた。待ち合わせは正午にマッジョーレ広場。何か美味しいものをと思って知っている店数軒に電話をしたが、生憎昼の時間はやっていないと断られて、食料品市場界隈にあるサラミや直営の店で簡単な昼食をとることになった。冷えたワインに生ハムやサラミ、チーズの盛り合わせと言った、いわゆるアペリティーヴォ的昼食。だけど話がとても弾んで楽しかったから良しとしようか。時々私達の横を大きなピカチューの着ぐるみが通過しては、知人達は目を丸くして、ボローニャはピカチューが盛んなのかと訊かれて困った。そんなの私だって知らなかったから。それにしても大きなピカチューの怖いこと、怖いこと。そんな小さなことすらも笑いの種になったのは、彼らの人柄だったかもしれない。店には3時間居ただろうか。その後カフェに入って再び話をして、気が付いたら5時になっていた。私達の共通点と言ったら同世代であることくらい。通過した経験も異なれば現在の生活も異なるけれど、何か通じるものがあって、それが私達を長々と引き留めたのかもしれない。知人以上友達未満だったけれど、多分友達の始まり。次は私が彼らの街を訪れることを約束して別れた時、爽やかな感じがしたのは、多分それも彼らの人柄の良さによるものだろう。
久し振りに英語を使うのを心配していた。27年前にイタリアに来てから、私は英語を話すことからすっかり離れていると言っても良かったから。けれど、何とかなるものだ。5時間も話し続けることが出来たのだから。但し翌日から数日間、ひどく疲れたのは、暑さのせい、そして多分何時も使わぬ脳みそをフル回転させたからだ。あはは。私にとって英語を話すことは頭を沢山使うらしい。アメリカに居たのはもう27年も前のことなのだから、当たり前と言えば当たり前。ならば英語を話すことを忘れないように努力したいと思う。さもなければせっかく良い友になった彼らと話をする術を失ってしまうから。

テラスのジャスミンの花が咲き始めたのを見つけた。見つけたのは猫。テラスに出て声を上げているので見に行ったら、猫がジャスミンの花を手で撫でていた。ありがとう、ありがとう、教えてくれて。一番最初の花。此れからどんどん開花する。ジャスミンの花の季節到来だ。




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初夏

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金曜日の疲れは思いの外で、夕食を終えて、片付けをして、シャワーをしたところまで覚えているが、その後の記憶が飛んでいる。目を覚ましたら朝。其れも飛び切り良い天気の朝で、大好きな土曜日になっていた。昨夕は、週末は家に居よう、疲れを癒そうなどと思っていたけれど、こんな明るい空を見たら家にじっとしていられなくなった。かと言って何か楽しいことを企てるでもないし、誰かとの約束もないけれど、外に出ようと思った。時間を掛けて朝食をとり、クリーニング屋さんに洗濯物を持ち込んで、此れから旧市街へ行くの? と訊かれて頷くと、そうよ、こんな土曜日に家に居てはいけないわ、と言う女主人と顔を見合わせてもう一度深く頷いた。歩くだけだって愉しい土曜日の旧市街。

もしかしたら骨董品市が出ているのではないかと期待していたけれど姿が無く、ほんの少し肩すかしだった。同じように思っていた人は案外沢山居て、空っぽの七つの教会群広場にやってきて落胆している様子に思わず笑った。あら、私も同じ。あら、あなたも? なんて話しをして。
昔、私は内気だった。知らない人となんて、ましてや道端で居合わした人と話をするなんて夢にも考えることが出来なかった。かと言って度胸はあったから日本を飛び出してアメリカへ行ったけれど、やはり内気で引っ込み思案だった。自信が無かったわけではないと思う。ただM人と話をするのが苦手だったのかもしれない。アメリカへ行ってもそんなことが続いた。その私が今のように人とどんどん話をするようになったのは、人と話をする楽しさが分かるようになったのは、アメリカ生活を始めてから5か月目のことだった。そんなことを思いだす時に一番先に思いだすのはアマンダ。友達の友達で、だけど私のことを周囲から何時も見守っていてくれた。私の気持ちがすっきりして、変わろう、私は此れから変わろうと心が決まった時、一番喜んでくれたのはアマンダで、背丈のある彼女は私を肩からすっぽり包んで抱きしめながら、ああ、嬉しい、あなたがそんな気持ちに慣れて私は自分のことのように嬉しいと言ってくれた。その言葉が嬉しかった。そして、そんな人が存在する私の人生も、満更悪くないと思たものだ。兎に角あの時から私は人見知りとか内気と縁遠くなった。初めて会う人とも大きな声で笑いあえるようになった。人間は変わらないなんてよく言うけれど、絶対そうとは限らない。案外簡単なことなのだ、自分を変えるのは。努力なんてカッコいいものは必要なくて、自分はどうしたいかの意志は必要なだけだと私は思う。少なくとも私はそんな風にしてきたのだから。
骨董品市がない代わりに、何もない広場に沢山の旅行者が居た。此処数日ボローニャには外国人の姿が沢山で、世の中が扉を開けて少しづつ以前に戻ろうとしていることを感じるのだ。日向を避けて日陰を歩く人達の姿を眺めながら初夏を感じた。初夏。寒がりの私ですら半袖シャツで充分な気温になったことを嬉しく思いながら歩いた。はっとしたのはその時だった。前から歩いてくる女性。歳の頃は40くらいだろうか。癖のある長い髪をほどいて感じが良いと言ったらなかった。白い涼しそうな緩いブラウスに白いパンツ、その上にカッコいいベルトを締めて、それだけでも十分恰好よかったのに足元を見てあっと思った。踵がほとんどない先がツンと尖った銀色の靴を素足で履いていた。其れが昔、例えば80年代ごろアメリカで流行ったような感じのもので、大変印象的だった。私には到底似合わない靴だけど、こういうのを好む女性を眺めるのは好きだ。彼女の装いにモーダが繰り返す予感を感じた。

家中の窓を開け放つのが気持ちの良い季節になった。明るい夕方の空を眺めながら、ツバメが飛んでいるのを確認すると、確かに初夏になったと思うのだ。こんにちは、ツバメさん。今年も良い季節になりましたね、と声を掛ける。返事は勿論ないけれど、スイスイと空を飛び交う姿が彼らの返事なのかもしれない。




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