駆け抜ける風

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今朝、テラスのゼラニウムの花が妙に赤い。今日も暑くなるぞと言っているかのようだった。最近テラスには体の細い、ハミングバードによく似た鳥がやって来る。囀り声が可愛く、窓を開けても逃げることはない。猫が居ても驚かず、実に友好的。そのうち私達は仲良くなり、朝の挨拶を交わすまでになった。手を差し伸べたら指に乗りそうな感じもするが、そんなことをして驚かせてテラスに来なくなると残念だから、1メートルほど距離を置いて静かに眺めるだけが良いだろう。

今日は月曜日だけど仕事へ行かなかった。週末の不調は関係なくて、そんな予定にしていたのだ。数か所に用事があったのだ。用事を済ませて家に帰り、簡単な昼食をとって大急ぎで外に出た。いつもの月曜日よりも忙しくて体力を使ったように思えるが、しかし月曜日に早起きしない幸せを何と表現したらよいだろう。たまにはこんな風がいい。もう少しスローテンポで生活してもいいのかもしれない。それにしても、戻る家があるのは幸せだ。帰って来てほっとできる家があるのは幸せ以外の何者でもない、と私は思う。其れには風が関係している。家の中を駆け抜ける風。
以前私がピアノーロに暮らしていた頃、遠方からやって来た友人が面白いことを言った。この家は広くて明るくてとてもいい。でも、風が駆け抜けないのが気になる。彼女はその手のことに詳しいらしく、空気が難なくめぐることが出来ることは、大切なことなのだと教えてくれた。広いテラスとふたり暮らしには広い家。念願の郊外のアパートメントを手に入れて喜んでいたが、成程と思った。思い当たることがあったのだ。例えば何か問題が起きると、それが流れて消えることがなく家の中で停滞してしまう。そして不思議な閉塞感。だからという訳ではないけれど、アパートメントを買いたいと言う人が登場した時に迷うことなく売ってしまった。次に住む家のめどもなく、突然のことだったと言うのに。理由はもうひとつあった。私は車の運転にあまり向いている方ではないこと。だから公共機関のバスで自由に時間を気にすることなく動き回れる街中の方が良い、と気付いたからだ。広い家、広いテラスはボローニャ市内では望めないだろう。資金が限られているのだから。そう思いながら2年が過ぎたころ、今の家を見つけた。不動産業者から知らされた家の広さは以前の場所を考えると狭い。こんな狭い家、と思いながらも見ることに意義があると言わんばかりに行ってみた。小さな家。でも、雨戸を上げ、窓を開けた時にあっと驚いた。風が難なく駆け抜けて、明るい。狭いはずなのに広く感じた。今までこの手の狭い家は即座に断っていた筈なのに、これはいいと直ぐに大手を打った。相棒も不動産業者も慌てるほど決断が早かったのは、そんな理由だった。以前は家に居るのが嫌いだった。念願の自分の家だったのに。広々として気持ちが良いはずだったのに。友人の言葉は単に気付かせてくれただけだ。この家の中に居ると閉塞感を感じると自分で気づいてしまったのだ。そういう訳で私は、今の家の中で時間を過ごすのが大好き。窓を開け放つとゆるりと空気が動く感じ。住宅街なのに大きな樹があって、ここに居るとどんなことも、何とかなるさと思えてくる。小さな家、しかし好ましい空気。例の友人が数年前に遊びに来た時、この家に入るなり、この家はいい、風がするりと抜けていく、と言って大喜びした。風通しのいい家は人間同士の風通しもよくするらしく、此処に住み始めてから相棒と私はとてもいい関係になった。そう言うことはテラスにやって来る鳥や栗鼠にも分かるのかもしれない。此処はいいぞ。何だかいいぞ、と。

今夜は満月。もうじき20時だと言うのに空は明るく、月は何処を探しても見当たらぬ。丘の向こう側に隠れているのかもしれない。なだらかな丘に波のように揺らいでいた麦はもう刈り取られてしまっただろうか。ボローニャの丘。ピアノーロの丘。どの丘も美しく、私達の心を癒してくれる。近いうちに見に行こうか。相棒を誘って。




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時間がゆっくり流れる場所

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昨晩の涼しい風はマジック。昼間がどんなに暑くても、晩にはそんな風が吹く。それがまだ真夏になっていない証拠ということか。昔はこの時期になると山へ蛍を見に行ったけれど、いつの間にかそんな習慣も楽しみも、私と相棒から消えてしまった。あの頃のことは忘れようにも忘れられない。私はボローニャの生活の波に乗れず、仕事もなければ友人関係もなく、楽しいふりをしていつもに笑っていたが、本当は心の中で何時も泣きじゃくっていた。相棒とだってうまく行く筈がなく、私は此処から出ていきたくて仕方がなかった。だから結婚生活が壊れても不思議ではなかったのに、壊れず今も続いている。あの当時の私達を知っている人達が今の私達に会ったらば、きっと驚くに違いない。私の心は元気で、ボローニャの生活を楽しむようになった。そして相棒と私は互いの仕事に時間を沢山費やしながらも共通の時間を持つようにして、あの頃とは段違いに仲良しになった。だから山に蛍を見に行かなくなったのは残念だけど、残念ではない。私達はそれよりも大切なことを手に入れたに違いないから。

そんなことを思いだしたのは、実に久しぶりに旧市街の、何時も行かない界隈にあるジェラート屋さんに入ったからだ。サン・フェリーチェ通りにあるUgoという名の店だ。歩道にしては幅の広い、ポルティコの下にある古い店。私と相棒がアメリカから此処に引っ越して来た頃、この近くの友人のところに居候して、暑い晩は時々此処でジェラートを食べた。此の店に初めて連れてきてくれたのは美しい、チンツィアという名の女性で、彼女はこの店を贔屓にしていた。店は狭く、ジェラートの種類もさほど多くはない。私が良く行く他の店は30種類はある筈だから、それを期待していくとびっくり仰天なんてことになる。ジェラートを注文して待つ間、店の人と話をした。恐らく店主と思われる女性。もしかしたら彼女の旦那さんが奥でジェラートを作っているのかもしれなかった。店の隅には小さな女の子が座っていて、彼女が娘さんなのだろう。顔がよく似ていた。時々女の子は立ち上がって客が落として行ったに違いない紙くずを拾い上げてはごみ箱に捨てた。それを見る度に母親が、そんなことはしなくていいよ、後で母さんがするからね、と言うのがとても微笑ましかった。此の店には私がボローニャに暮らし始めた頃によく来た、もう24年も前のことだけどと言うと、彼女は頷きながらこの店はボローニャでも大変古い店で1942年創業なのだと胸を張って言った。第二次世界大戦中だったのだと言ったが、もちろん彼女はそれを体験している筈もなく、恐らくは彼女の両親か祖父母から聞いた話に違いない。注文したジェラートを受け取り、ポルティコの下に置かれた木製の長椅子に腰を下ろした。外から見ても中から見ても、店は洒落っ気がなく、昔からあまり変わっていないのが、もしかしたら古いボローニャの人達に好まれるのかもしれなかった。此処に座っていると時間がゆっくり流れるように感じるのは実に不思議なことだったが、そういう場所が存在することに喜びを感じ、そしてそんな場所を発見したことを嬉しく思った。店はあの頃からあまり変わっていない。変わったのは私で、もう友人知人の家を放浪する必要はなく、のんびりできる自分の居場所を手に入れた。もうベッドの中に潜って泣く必要もなければ、この街から出ていきたいと思うこともない。
だいたい、この辺りには来ることがないのだ。私がこの辺りに来たのは、一足早い割引を始めるから来ないかとの店からの誘いを貰ったからだった。丁度夏のシャツが欲しくて夏のサルディが早く始まらないだろうかと思っていたから、仕事帰りに行ったのだ。感じの良いブラウスとシャツを購入して、街の中心に向かって歩いている時にUgoの前で足を止めたという訳だ。それはまるで偶然の出会いのようなもの。ちょうど私に必要なものを空の誰かが与えてくれたかのような。こんなことでもなければUgoに入ることはなかったし、あの頃のことを思いだすことも無かった筈だ。

明日は満月らしく、夜空の月が限りなく丸い。まるで私を空から眺めているようで、時々窓の外を眺めては、月に話しかけたくなる。それにしても近所にある4つのバールのひとつが屋外ライブを仕掛けたらしく、大変な音量の音楽が聞こえてくる。それが兎に角上手い。本来なら苦情が出てもいいような音量だ。小さな子供のいる家から文句のひとつも出て良い筈だが兎に角うまいので誰も何も言わない。それどころか音楽を聴きつけて随分多くの人が集まっているのだろう、曲が終わるたびに大歓声が起こり、実を言えば私も見に行きたくてうずうずしている。けれども私は昨夕から体調がいまひとつで、残念ながら外にはでられない。という訳で窓から音楽鑑賞。素晴らしい、夏らしい夜になった。




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暑い日にレモン水

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強い日差しに火照った肌を撫でるようにして通り過ぎていく夕方の風。やっとそんな風が吹く時間になった。いや、今日は涼しい風が吹くのがほんの少し早いようだ。運がいい、と思った。土曜日を堪能すべく、朝のうちに旧市街へ行って散々歩いた。暑さに身体がついていかぬと言わんばかりに午後はぐったりしていたから、この風は何よりもの褒美。むきだしになった肩を撫でていく風を感じるのは喜び。そんなことを言ったら、人は笑うかもしれないけれど。

旧市街は意外なほど人が居た。こんな快晴で気温の高い週末は、人の気持ちは海や山へと足が向くのではないかと思っていたから。昨日知人が仕事を終えたらその足で海へ行くと言っていたから、そんな風に思いこんでいたのかもしれない。冬の間は日向を選んで歩いたものだが、近頃は日陰へ日陰へと足が向く。こんな季節はポルティコの存在が有難い。大理石の床、そして石造りの天井が生み出す空気は心地よい。夏の避難場所と言ってもよい。ポルティコの在る道を選びながら、旧市街を歩いた。いつの間にか閉じ、新しく生まれかわった店を幾つも見つけた。そのひとつが以前知人が営んでいた店。彼女がデザインした良質な素材の衣類を置く店は繁盛していたのか居なかったのかわからないが、肌触りが抜群に良くて、私はとても好きだった。と言っても二着しか持っていなかったけれども、こうしたものを生み出す彼女を一種尊敬していたと言ってもいい。兎に角単なる知人なのだ。それで長いこと立ち寄らないうちに店が無くなり、今度はボローニャにしては小奇麗なカフェになった。ボローニャにしてはと言うのは、私にとってのボローニャとはちょっとこじんまりしていて田舎臭くて、モダンな感じとは無縁と言った印象だからだ。此の印象は多分20年以上前に私の心に植え付けたもので、それ以来アップデートしていないから、例えば街の中心のザナリーニのような洒落感のあるカフェはどうもボローニャらしくない、と言うことになる。其れよりも、もう少し小規模で、感じはいいけど都会じみていないバールやカフェがボローニャには似合う。しかし其れも、単に私が持つボローニャのイメージでしかないのかもしれない。さて、喉が渇いていたので、その新しい店に入ってみることにした。店主らしい女性は愛想が無いが、こちらから挨拶を投げかけたら慌ててBuongiornoと返して来たところをみると、見るからに異国人の私はイタリア語を解さないだろうと思いこんでいたのかもしれない。カウンターの中に居る若い女性は感じが良くて、彼女に会うために常連客がつくに違いないと察した。レモンを絞って貰った。レモンを丸々二個、そして冷たい炭酸水。それから小さな菓子も。レモン水は兎に角酸っぱくてびっくりだったが、しかし暑さに参り始めていた私の背中をしゃんとさせてくれた。夏は酸っぱいものがいい。レモン水を飲みながら、家に帰ったら母が作ってくれた梅干しを食べようと考えたら、ますます口の中が酸っぱくなった。訊くところによれば、店を開けてからふた月しか経っていないそうだ。もう少し先に行けば気に入りのLE STANZEという名の店があるが、此の店も悪くない。時々立ち寄ってみようと思った。

3時間歩いて散々汗をかいた。汗と一緒に体力が流れ出てしまった今日は、何か力のつくものを夕食に用意したいものだ。この場合、日本ならば鰻だが、さて、イタリアでは何だろう。そう言いながらもパスタを茹でることですら嫌である。暑い夏も文句を言うことなく豆を茹でたり、天婦羅を揚げたりと、家族の為に火を使う料理をしてくれた母のことを思いだして、今頃になって感謝の気持ちが沸き起こった。お母さん、今更ながらありがとう。それで今夜の夕食は何にしたらいいの?




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見覚えのあるザクロ

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先日、仕事帰りに散策を楽しみ、さて、そろそろ帰ろうかとバスの停留所に向かって歩き始めた。ポルティコの下の小さなバールはこれ以上混み合うことが出来ないというほど混み合っていて、店から溢れ出た客たちがポルティコの下に集うものだから。其処を通り抜けるのは一苦労だった。もうすぐ小さな交差点というところで前を歩いている二人組に気が付いた。ひとりはやけに背の高い髭面の男。もうひとりは小柄で無駄な肉があまりない若い女。若い女の腕に割と大きな入れ墨があって、妙な模様だ、果物だろうかと首と傾げたところで思いだした。この入れ墨は見たことがある。これはザクロ。そうだ、彼らは私が贔屓にしている美容院の人達に違いない、と声を掛けた。チャオ。案の定彼らは店のふたりだった。仕事帰りにしては少し遅いので、今日は店が混んでいて遅くなったのかと訊けば、いいや、店は案外空いていて、店を閉めた後にアペリティーヴォを楽しんできたのだと彼らは嬉しそうに答えた。まさかあの小さなバールじゃないでしょうねと驚く私に彼らは、まさか、あんな混んでいる店には行かないよ、と言って肩を潜めた。あの店の常連はどうやら学生が多いらしい。僕らはそんな時代をとっくに過ぎたからと言うので、顔を見合わせて笑った。私よりも遥に若い彼らがそう言うのだから、私のそんな時代は大昔と言うことになるのだろう。

それにしても入れ墨を入れる人が何と多くなったことか。良いとか悪いとかは私には分からない。基本人が良ければそれでよいと思っているのだが、私の母の時代の人達には、理解しかねる流行に違いない。昔、私が相棒に連れられて初めてボローニャにやって来た時、旧市街の隅っこの入れ墨の店に連れられて行った。そこは相棒の知人の店で、知人は名の知れた入れ墨師とのことだった。アメリカでも入れ墨の店には怖くて近寄れなかったのに、店の中に入るなんて。私はどぎまぎしながら店に足を踏み込むと、割と明るくて楽しい雰囲気で驚いた。知人と言うのは迫力のある人物で、客が絶えずあまり話もできなかった。店にはもうひとり若い男性が居て、彼は昔の少女漫画に出てくるような、緩いウェーブのある長い髪を垂らした美しい顔立ちの人だった。彼も入れ墨師とのことだったが、言わなければ流行のギター弾きか何かに見えた。驚いたのは彼がふたりの若い日本人と話をしていたことだった。このふたりはロンドンで何かを学んでいる女性達で、店の前を歩いていたら彼が店から出てきて自分の名前を漢字にしてくれないかと頼まれたらしい。それで彼女たちがあれこれ漢字をあてがっているところだった。其処に私が加わって3人で考え出したものを紙に書くと、彼は大変喜んだ。外国に居るとよく頼まれることだから、私も彼女たちも慣れたものだった。其れから10日もした頃、相棒と私、そして相棒の幼馴染とその恋人との4人でボローニャの国際見本市へ行った。何か珍しい催し物があってのことだったが、どんなものだったかは思いだせない。覚えているのは妙に混んでいたこと、それから奇妙な人が多かったこと。歩き疲れてもう帰ろうよと私がごね始めた頃、向こうの方から名前を呼ばれた。この街には知り合いなどいない筈だったから私達は驚いて周りを見回すと、あの入れ墨の店の長髪の男性だった。彼はブースを持っていて、そこで入れ墨をしてあげているのか、入れ墨のデザインを見せているのか、兎に角彼の周りには人垣が出来ていて、まったく大変な人気だった。その彼が立ち上がって、私に手を振っていた。招かれるようにして彼のところに行くと、彼は私の手を両手で握って感謝して、ほら、と言って肩から肘にかけて書かれた入れ墨を見せた。それは私とふたりの見知らぬ日本人が考え出した彼の名前の漢字にしたものだった。まさか入れ墨になるとは思ってもいなかったので、開いた口が塞がらなかった。ステーファノという名の彼の名をどんな文字にしたのか正確に思いだせないが、澄んだ青い目をした彼にちなんでステーファノのスは澄にしたはずだ。自慢気に自分の名の入れ墨を見せると観客が喜び、自分の名前も漢字で書いてほしいと言い始めたので、私達は手早く彼に挨拶をして会場から退散した。1993年のことだ。その後彼がどうしたかは分からない。今もボローニャに居るのか、入れ墨師を続けているのか。兎に角私と入れ墨の関係なんてその程度だ。見ているくらいが丁度いい、と言ったらよいかもしれない。

入れ墨よりも美味しいものが好きだ。夏は野菜が美味しくて、何を食べても本当に美味しい。今夜は火を使わない夕食にした。野菜とチーズ、そして気に入りの店で手に入れた噛み応えのあるパンを沢山食べてご機嫌だ。此れに冷えたスパークリングワインをグラスに一杯。こんなシンプルな食生活が一日の終わりのご褒美と思えるのだから、全く安上がりだと言って、相棒と大笑いした晩だった。空には月。明日も良い天気になるらしい。




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美味しい季節

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急に暑くなったボローニャ。初夏なのか、それとも夏なのか。こんな気候の時期はジェラートが美味しい。店の前を素通りするのが難しい。もうひとつ素通りするのが難しいのは青果店。メロンが美味しい季節になった。と言うことは、夏なのかもしれない。




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