美しい色

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エルメスのショーウィンドウで足を止めた。この店は魔法でも持っているのではないだろうかと思うほど、前を通る人が足を止める。急ぎ足の人も一瞬歩調を緩めて眺めていく。私も、ほかの高級店のショーウィンドウでは足を止めないのに、此処では必ずと言ってよいほど足を止めて鑑賞する。そうだ、鑑賞というのに等しい。今日は美しい色合いのスカーフに心を動かされた。恐らくはカシミヤであろう。こんな色合いが好きだ、自分に似合うかどうかは別にして。どんな人がこれを買い求めるのだろうと思いながら、ふと店の中をガラス越しに眺めてみたら、案外多くの客が入っているので驚いた。この店には常客が沢山居るのだろう。店員と客が華やかな雰囲気で談話している姿を確認して、店の前から離れた。
美しい色の、暖かくて軽いスカーフが欲しい。様々な色が混乱したようなものが良くて、そんなのを暫く探しているが見つからない。もしかした、探しているようなスカーフは存在しないのかもしれない。いや、エルメスに行けば美しいスカーフはある筈。けれども私には上等すぎる。まだまだ。エルメスのスカーフは、先の楽しみにとっておこう。

帰り道にシャッターが下ろされた店の前に沢山の落花生の殻が落ちているのを見つけた。誰か、此処で落花生を食べながらお酒でも一杯やったのだろうか。その姿を想像したら、ちょっと可笑しくて笑ってしまった。でもすぐ後に、昔、父が黙々と落花生を割っては食べていたのを思いだして、ふと涙が零れそうになった。ああ、情緒不安定。




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空が青い

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この界隈の教会の鐘が鳴る。幾つも、幾つも。日曜日の朝のミサが終わった鐘に違いない。一体どれほどの人が教会に集まったのだろう、などと思いを馳せる。
青い空。強い日差し。キーンと冷えた空気が景色を鮮明に見せる。まるでサンフランシスコの冬のようだと思いながら窓の外を眺める。こんな天気が続くならば、此処の生活も悪くない、というのが相棒と私の意見だ。あまり期待してはいけない。しかしこんな日が3日も続くと、どうしたって期待してしまう。明日もこんなだろうか、もう10日くらい続くのだろうか、と。

昨日は、朝起きるのが辛かった。少し無理し過ぎた一週間だったから、そのツケが回ってきたのだろう。でも、と無理やり起きたのは、髪を切りに行きたかったからだ。2か月も放りっぱなしだった髪を何とかしたいと思って、予約を入れていたのだ。手早く身支度をして外に出たら、向こうの方からバスの姿が見えたので、走った。ちょっと待って、と手を振りながら。どうもありがとうと礼を言いながらバスに乗りこむと運転手が言った。シニョーラ、そんなに走らなくても待っているから大丈夫。そんなに息を切らせて。さあ、そこの空席に座って、息を整えて。走ったのは僅か10メートル。なのにこんなに呼吸が乱れるなんて自分でも驚いたが、運転手から見れば、今にも倒れてしまいそうな呼吸に見えたのかもしれない。私は黙って頷きながら空席に腰を下ろすと、ちょっと恥ずかしくなった。昔は走るのが得意で、誰よりも速く長く走れたのに。私の姉が、そんな私を、あなたは走るのだけは誰よりも長けている、と言ってたほどに。いつの間にか走るのが苦手になったことを、ちょっぴり残念に思った。バスを待つ時間が省けたので時間が余り、散策を楽しむ時間を得た。久しぶりだった。こんな良い天気の土曜日の散策は。気に入りの店に入ってみたり、良さそうな帽子を手にしてみたり。花屋の店先で花を観賞したり、それからバールでカッフェをひとつ注文したり。人々の表情が明るいのは何故だろう。何か良いことがあったのだろうか。それとも純粋に週末を迎えたからだろうか。ゆっくり流れるボローニャのポルティコの下で色んな人とすれ違ったが、一番素敵だったのは長い髪をひとつに纏めて、履きなれたスニーカーで闊歩していた若い彼女だ。元気が道を歩いているような印象だった。そんな彼女を眺めながら、私もあんな元気な人でありたい、と思った。体が元気だと心も元気になるとは、誰かが言った言葉だ。通り過ぎた彼女の姿を目で追いながら、思いがけず声が出た。かっこいいなあ。

髪をバッサリ切った。気分爽快。今週は仕事帰りに沢山寄り道をしようと思う。楽しいことを沢山しようと思っている。私は楽しいことには積極的な人間なのだ。




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これでよかったのだと思う。

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ふうーっ、と大きな溜息をつく。金曜日の晩を迎えてつく溜息だから、安堵の溜息であり、幸せの印だ。忙しい一週間だった。泉のように湧いてくる、こまごまとした小さな仕事。職場でも、家でも、走りまわっていたような記憶しかない。何だか誰かに追われているような感じすらした毎日だった。でも、それも終わりだ。色んなことに一区切りがついたから、深呼吸をして、自分のいつものゆっくりリズムで行こうと思う。一日一日を味わいながら、色んなことに目を向けながら。

めっきり寒くなった。私の感覚で言えば、これはれっきとした初冬であり、もう冬のコートを着ても可笑しくない気候である。なのに世間の人達ときたら案外薄着で、丈の短いジャケットにジーンズ、そして足元を見れば、足首は素肌がむき出しだ。素足というやつだ。そんな恰好でこの寒空の下を歩けるということが若さであり、元気の証拠のように思えた。私のように足首をすっぽりとショートブーツで覆っているような人は、どんな人に見えるのだろうか、彼女のような人達からは。帽子が欲しい、温かくて柔らかい帽子。さもなければ寒気で頭痛になってしまいそうだ。確実に冬へと向かっているということであろう。
ボローニャに暮らし始めた、初めの年の11月、私は暖かいコートを持っていなかった。それは、それまで暮らしていたアメリカの街が、寒い冬を持ち合わせていなかったからだ。勿論、冬になればそれなりに気温は下がったけれど、しかしボローニャのそれとは比較にならぬ程度のものだった。そんな街に暮らすために家族のもとを離れた時も、冬のコートは不要、と置いてきてしまったのだ。11月の寒い日、自分が持っている中で一番暖かいジャケットを着て出掛けたが、それを見た相棒の友人が、相棒に言ったものだ。もっと暖かいジャケットを、あなたの奥さんに買ってあげなくてはね。22年も前のことだけれど忘れないのは、あまりにも印象的なことだったからだ。これからもっと寒くなるから、と友人は言った。これ以上寒くなるのかと目を丸くして驚く私に、黙って深く頷いた友人。それがボローニャの冬がどれほど寒いかを暗示しているかのようだった。そして冬がやって来ると、痺れるような寒さだった。私達は郊外に部屋を借りて住んでいた。ストーブがあったが、到底追いつかないような寒さだった。それに辟易したからという訳ではないけれど、仕事のオファーを受けて、私はひとりでローマへ行った。何から逃げた訳ではない。相棒からでもなければ、不自由な田舎暮らしからでもなく、仕事をしたかったからだと私は今でも思っているが、しかし考えてみれば、私はボローニャの寒さから逃げ出したかったのかもしれない。けれども、ボローニャに戻って来た。そして今思うのは、寒いのは苦手だけれどボローニャの暮らしは案外悪くない、ということだ。私は遠回りをしてそれに気が付いた。でも気がつけて良かった。此処に戻ってこなければ、気付くこともなかったことだ。遠回りを、人は無駄と呼ぶのかもしれない。でも、私は思う。無駄なことなんで、生きていくうえで無駄なことなんて、あまりないのではないかと。無駄なように思えるけれど、その間に学ぶこともあるだろう。その無駄がなければ知ることもできなかった、なんてこともあるだろう。そもそも私の人生なんて、他人から見たら無駄ばかり。でも私にしてみれば、色んなことが詰まっていて、どれもこれも大切で愛おしい。11月になって、寒くなると、私は22年前のことを思いだし、これでよかったのだと思うのだ。

忙しくて残念に感じていたのは猫も同様だったらしい。肩の力を抜いて家に帰ってくるなり、兎のように跳ねながら猫がやって来た。遊んで。遊んで。そんな感じ。今週末はゆっくりしよう。深呼吸しながら、時間を気にせずに。金曜日の晩に乾杯だ。




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11月の雪とボンボローネ

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あっ、雪が降っている。そう、気が付いたのは午前10時頃のことだっただろうか。夜中のうちから降り始めた雨が折角の朝を台無しにして、何だ、今週も月曜日に雨なのかと窓ガラス越しに外を眺めながら呟いているのを耳にした相棒が、なんだ、毎週同じようなことを言っているなと戒めたので、えへへへ、と笑って誤魔化して、案外機嫌よく仕事に出掛けたのであるが、その雨が、まさか雪になろうとは。一体どれほどの人がこの11月の雪を予想していたのだろう。少なくとも私は意表を突かれて開いた口が塞がらなかった。11月の雪。22年ボローニャに居るが、こんなことは初めてだ、と思っていたが、1996年の11月下旬に雪が降ったような記憶もある。さて、どうだっただろう。もう随分と前のことだから、記憶はあまり定かではない。

こんな日は、ボンボローネがいい。卵黄のクリームがたっぷり入ったドーナツのような物だが、似ているようで異なるそれは、イタリア人の大好物だ。ふわふわしていて軽い。中にはとろけるようなクリームが一杯。ボローニャ旧市街にある老舗、ATTIのボンボローネもいいけれど、知人が噂していた出来立てのまだ温かいうちに頂くことが出来るボンボローネも魅力的だ。この店は旧市街の、学生の多い界隈にあるらしいが、未だに何処だか分からない。それに分かったとしても、この年齢になって、出来立てのボンボローネに路上で齧り付くというのもちょっと、なのである。私が今までに頂いたうちで一番美味しかったのは、コルティーナというドロミテ渓谷の洒落た街にある小さな店のボンボローネ。友人のフランカと子供たちと歩いていて見つけた、出来立ての、まだ温かいボンボローネだった。もっともコルティーナ辺りではボンボローネとは呼ばれていなくて、クラフェンという名前だった。詳しく調べれば二者の違いがいろいろ出てくる。例えば生地の作り方が違うとか、どのタイミングでクリームを中に入れるとか。それからオーストリアの影響の強い北東部ではクラフェンと呼ぶとか。しかし私も友人も彼女の子供たちもそうした理屈には関心がなく、兎に角こんな美味しいボンボローネは初めてだと喜び、店の人からクラフェンだと訂正されたものだった。結構お腹が満たされるから、子供のおやつにぴったりだけど、いいや、イタリアでは大人だってこれには目がなくて、様々な菓子がトレイの上に並んでいても一番先に姿を消すのが、このボンボローネなのである。イタリア人の好物。そう言ったら語弊があるだろうか。

テラスに置きっぱなしだった白いシクラメンの鉢植え。昼頃家に帰った相棒が家の中に入れてくれたけど、すっかり風邪を引いてしまったようだ。落ち込んだように頭を下に向けるシクラメンの花をみて、可哀そうなことをしたと思った。突然訪れた雪に、シクラメンの花も驚いたに違いない。さて、どうしたものか。こんな時、母はどんなふうにしていただろうかと、遠い昔のことに思いを馳せるのだ。




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ジーンズを履いて颯爽と歩こう

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朝から天気がぱっとしない。天気がぱっとしないと気分も冴えない。典型的な、天気に左右されるタイプの人間なのだ、私は。猫だって、天気が悪いから丸くなって動かない。彼女と私は本当によく似ていて、互いのことがすぐに理解できる。彼女は、一緒に居るうちに私に似てしまったのだろうか。それとも元からそういう性格だったのだろうか。

アメリカに暮らすようになって、私はジーンズが好きになった。アメリカで初めてジーンズを買ったのは、必要に迫られてのことだった。何処でどんなものを購入すればいいかの見当もつかなかった私は、確か近所の人に訊いて、それでダウンタウンにあるエンポリウムという名の店に探しに行った。あそこなら、色んなのがある。結構手頃な値段で手に入るから。そんな風に薦められた記憶がある。エンポリウムは当時案外活気があって、何かにつけてセールをする大通りに面したデパートメントストアだった。店の人が滅多に声を掛けてこないのがこの店のいいところで、何しろ言葉がまだ堪能でなかった私だから、こんな有難いことはなかった。それにしても沢山の種類のジーンズ。メーカーも違えば、スタイルも色も違う。あまり多くて辟易し始めたころ、ブルーだけれど少し色合いの違う手頃な値段のジーンズを見つけた。こんな色見たことない。試着してみたら丈を短くする必要があるにしても実に履き心地が良かったから、これを購入することにした。セール中とのことで半額近くで手に入れたジーンズ。店の人が言うには丈詰めのサービスはないから自分で何処かに持っていかねばならないとのこと。例えばクリーニング店など。成程、クリーニング店で丈詰めとは、国が変われば事情も変わるのだなと驚いたものだった。ジーンズを買ったその足で、アパートメントの近所にある小さな小さなクリーニング店に行った。女主人は中国系アメリカ人だったか、フィリピン系アメリカ人だったか忘れてしまったが、兎に角東洋人同士ということで大変私に親切だった。兎に角、ジーンズの丈を詰めてほしい、このくらいと袋から取り出してジーンズを見せると、あら、これはいいジーンズね、あら、これはLevisじゃないの、と彼女が言うので、エンポリウムでセールをしていて半額近くで手に入れたと報告した。彼女は目を丸くしながら仕上がりは明日の昼すぎと言うと、ぱたぱたと店じまいの準備をして、私と一緒に店を出た。何処へ行くのかと思えば、エンポリウムへ行くのだという。このセールを利用して子供たちのジーンズを購入するということだった。店は? 店はいいのかと訊くと、いいのいいのと手を顔の前でひらひらさせて、嬉しそうに坂道を下って行った。時々店の前を通ると開いていたり閉まっていたり、営業時間が不安定だと思っていたが、成程、そう言う訳だったのかと分かって、笑いが止まらなかった。
あのジーンズから始まった。私とジーンズの付き合いは26年になる。ジーンズなしの生活なんてありえぬというほどジーンズが好きだ。ジーンズを履いて颯爽と歩く、それが格好いいと思うから。それからLevisのジーンズとの付き合いもあれ以来ずっと続いていて、いろいろ試してみたけれど、結局いつも原点に戻る。Levisのジーンズ。多分これからもずっと、幾つになってもこれだけは飽きずに履き続けるのだろう。

ボローニャに霧が立ち込める。うちの辺りだけかもしれないと思いながら、いいや、きっと旧市街だって、と思う。秋、冬の風物詩といえば聞こえがいいが、どうなのだろう。私はやはり晴れた空がいい。




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