ちょっと立ち話

涼しい朝。仕事に行く前にちょっとそこまで出かけてみた。近所とはいえ、いつもは行くことのない食料品市場は思いのほか賑わっていて、私がたまに前を通る時は夕方のことが多いから、既に半分が店じまいだから活気がないのだ、ということが分かった。そうか、そうか、とうなづきながら歩いていたら向こうの方から声を掛けられた。掠れた、けれども精一杯発したような声。声の方に目を向けてみたら、近所のバールの常連の旧トリュフ採りの名人が居た。彼は一人暮らしで自由気ままな生活だから、気が向くと朝から散歩をすると言っていたのを思いだして、散歩かと訊いてみたら、いいや、昼食用のパンを買いに来たのだ、とのこだった。しかし買いに来たはいいが目当てのパンはもう売り切れで、がっかりだったよ、と彼は言った。この時間でもう売り切れってどういうことなのかと驚き返す私に、彼は、ふふん、君は何にも知らないんだな、とでも言うように小さく笑って教えてくれた。この辺りの老人は朝が早いこと。皆、7時には活動開始だから9時などに行こうものならば欲しいものが手に入らないことだってあること。時計を見たら9時で、成程ねえ、とまた今日もひとつ新しいことを知った。老人と言えば彼もまた老人だ。80だったか、もうとっくに80を超えていたか、今となってはもうわからないが、老人とはいえ自分のことは自分で出来て、元気に毎日散歩をしたり食料品市場に買い出しに来れるのだから、元気なものだ。案外私なんかより、ずっと元気なのかもしれないと思った。昼食は12時、夕食は19時。そして食事のあとの近所のバールでカッフェをしながら仲間と世間話をしたり、サッカー中継をするのが彼の習慣らしい。そんなことを話しているうちに、時間が経ってしまった。もう夏休みなのかと訊かれて、違う違う、これから仕事に行くのだ、と言う私に、それは悪いことをしたな、てっきり君も暇なのかと思ってさ、と言うので笑ってしまった。朝から大笑い。そんな一日の始まり。




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自分

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明日は雨になるらしい。そうした情報が数日前から出ている。そんな情報を鵜呑みにしている私のことを周囲の人達は笑うけれど、私には感じる、今夜の風の感触の違いが。何となく冷やりとしていて、 近郊の山の辺りでは一足先にひと降りしているような、そんな感じの風。雨は嫌いだけれど、少し本格的に降った方がよいだろう。ちょっと降っただけでは、単に湿度が増して不快度が倍増するだけだから。思い切り降って、空気を清めてもらうとよいのではないだろうか。

このところ普通のことに疲れている。イタリアに来たばかりの頃は、如何に目立たぬことばかりを考えていた。何しろ、ひと目でそれと分かるような外国人があまり居なかったから、私は外に出ると周囲の自然を十分に集めて、居心地が悪いこと夥しかったのだ。兎に角普通でいようと、そればかり考えていた。周囲のリズムに合わせて、周囲の生活習慣に合わせて。それがいつの間にか体に染みついて、はっとする様なことを考えることもなければ、はっとする様な行動をすることもなくなってしまった。あなた、変わっているわねえ、と言われて喜んでいた、人と違うことを喜びと感じていたアメリカの女友達が今の私に会ったら、なんと言うだろう。退屈な人間に見えるだろうか。それともその他大勢的存在だろうか。勿論とか、当然とか、人は良く言うけれど、当然とか勿論とか、あまりに視野が狭すぎやしないか、と思うようになった。もし誰もが同じことを考えなくてはいけなくなったら、もし誰もが同じ行動をとらねばならなくなったら、それはあまりにも退屈すぎやしないか。そうして新しいことも生まれず、誰もが同じサイクルをぐるぐる回っているだけの人生なんて、楽しいだろうか。もっと柔軟でいたい。もっと自由でいたい、と思い始めた。この22年、それに気が付かなかったわけじゃない。気が付かないふりをしていただけだ。でも、もうやめよう。私は私でいよう。
昔のように手仕事をしたくなった。物を創りたくなった。最近、酷く傷ついたことで、やっと自分がどんな風で居たいのが分かった。だから傷ついたことは、私にとって良いことだったのだと今は思っている。プライドはぼろぼろになったけれど、ちっぽけなプライドだ。自分がどうでありたいかに気付いたことの方が、よほど尊い。

風が吹く。風が吹く。ひんやりした風が肩を撫でる。火照った肌を冷やす風。必要だった。




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昼寝だなんて

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向こうの空に入道雲。夕方7時のボローニャの空は明るく、夕食の準備をするような気分には到底なれない。テラスに出て、植木鉢に水をくべると、生い茂ったバジリコが、ゴクゴクと音を立てて飲んでいるような錯覚に陥る。毎日たっぷり水をあげているのにカラカラになる土を見ながら、ああ、夏なのだと今更ながら思う。家中の窓を開け放っているから風が吹き抜けて気持ちがいい。こんな風が吹く限りは、どうしたって冷房のスイッチを入れようなんて気にはなれない。

それにしても昼食を済ませた後、急に襲ってきた睡魔。昼寝が大嫌いだから、どんなことをしたって体を横たえて昼寝をしようなんて思ったことは、あまりない。勿論それも体調が悪いとかならば別だけれど、頭痛がするでもなく、疲れているでもなく、自ら昼寝をしようなんて思うなんて、と驚きながらベッドの上に横たわった。ふわりふらりと揺れる大窓のレースのカーテン。美しいレースのカーテンは、恐らくは17年ほど前に相棒の友人のルイジが仕立ててくれたものだ。
どんな風にして相棒とルイジが知り合ったのかは、今となっては思いだすこともできない。覚えているのはある土曜日の昼前にルイジの店に居た相棒から電話がかかってきて、店に来ないか、昼食に行こうとルイジが誘っているんだ、と言うのが私にとってのルイジとの付き合いの始まりだった。当時住んでいたアパートメントから5分も歩くとルイジの店があった。ルイジはソファや肘掛椅子の布の張替えや、カーテンを仕立てる職人で、物心ついたころからこんな職人になりたいと思っていたんだ、と彼が言っていたけれど、彼にとっては天職ともいうべきだった。器用で腕がいいだけじゃない。辛抱強いところも。この仕事をする条件のひとつみたいなものだ。黙々と、きちんと仕上がるまで黙々と作業する。全く彼にぴったりの仕事だった。誘われるままに店に行ってみたら、さあ、レストランに行こうというではないか。てっきり近くのバールでパニーノか何かを齧るものと思っていたから、コットンのセーターに随分履き込んだジーンズといういで立ちだった私は驚いてしまったが、これから行くのはルイジの妹夫婦の店だからとのことで、気にすることなどないと強引に車の中に詰め込まれた。店はサント・ステファノ通りにあった。土曜日の昼時は此れほど混み合うものなのかと、世間の人達が如何に気前よく外で食事をしていることに驚いたのを覚えている。後から知ったのは、店にはボローニャのサッカー選手と家族や友達がつるんで店を訪れることが多いらしく、その土曜日は丁度それにあたっていたらしい。広い店内は満席で、そんな人の波をかき分けていくと奥の方に広いスペースが確保されていた。ルイジと相棒と私。それに彼の妹と子供たち。あなたが話に聞いていた日本人ね、と言ったのはルイジの妹、シモーナだった。私達は同じ年齢で、環境も文化も異なった中で育ったのに価値観がよく似ていて話が合った。店は案外名が知れていたらしい。それは単に場所が良かったからだけでなく、料理がどれをとっても抜群に美味しいからだろう。魚介のパスタの美味しかったこと! 南イタリアの野菜の味の濃かったこと。シモーナが作っているという、菓子の美味しかったこと。私とルイジの付き合いは、こんな風に色んな事がいっぱい詰まった形で始まった。その彼がある土曜日の午後、相棒と一緒に家に来た。レースのカーテンとカーテンを吊るす木製の棒を携えて。平日、私が留守の間に長さを図ったらしい。脚立に乗って棒を設置すると、美しいレースのカーテンがふわりと下がった。わあ、美しい! と歓喜する私にルイジは大変満足したらしい。見れば上等なレース地で、普通なら相棒と私が手を出せるような代物ではなかった。彼の客が注文したらしい。ところが途中で小さな変更があって何メートルか残ったらしい。うちに遊びに来た時に居間の大窓に掛っていたレースのカーテンが素敵じゃなかったのを覚えていたルイジが、私達のために仕立ててくれたとのことだった。カーテンという物のは、あればいいというものじゃない。外からの視線を遮ればいいだけじゃない。家の中に居る人が気分良くなるようなもの、それが大切。気分良くなるようなカーテンで外からの視線を遮るのが正しい考え方だ。というのがルイジの説明だった。大窓のレースのカーテンが素敵になってから、確かに気分が変わった。あれから私のカーテンへの考え方もすっかり変わった。
17年も経っているレースのカーテン。丁寧に洗濯しているから、まだまだ使える。何よりもルイジとの思い出が染みついているから、到底このカーテンを箪笥の中に仕舞い込むなんてことはできない。暫く会っていないルイジが、このカーテンが今も健在と知ったら、どんなに驚くことだろう。そんなことを考えているうちに、私は眠りに落ちたらしい。

花の時期を随分前に終えたジャスミンが、再び花を咲かせた。風に蔓を揺らせるジャスミン。空は一向に暗くならないけれど、空がもう疲れたから休みたいと言っているかのような色になった。蝉はまだまだ鳴き続ける。あと2時間は蝉の声が止まないに違いない。夏だもの。それもよし。




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長いしっぽ

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細く長いしっぽ。犬のしっぽ。斜め前の座席に腰を下ろした飼い主の前にちょこんと座った犬を、私は眺めていた。仕事帰りのバスの中でのことである。飼い主は坊主頭の、何だか怖そうな感じの若い男性だった。対して犬は優しそうな瞳の中型犬。痩せているわけではないけれど、細身で、しっぽを車内の床に垂らして、忠義を守るかのようにして飼い主を一心に見つめていた。あのしっぽ、誰かに踏まれなければいいけれど、と思ったけれど、バスは程よく空いているから心配はなさそうだった。バスが停車して、幾人かが下車し、入れ替わりに幾人かが乗り込んできた。その中に何か嫌な感じのする年配の女性が居た。髪はぼさぼさで、それを後ろで結わいていた。何が不満なのか仏頂面で、どやどやと歩き散らす感じで乗り込んできた、といった印象だった。そう思った瞬間に、悲鳴が聞こえた。犬の、あの犬の悲鳴だった。あの年配の女性が犬のしっぽを踏んだらしい。すると年配の女性は身を屈めて犬の腰からしっぽを優しく撫ではじめた。ごめんね、本当にごめんね。痛かったよね。そんなことを言いながら。怖そうな感じの飼い主が言う。シニョーラ、いいんですよ。彼女がしっぽをあんなに長く垂らしていたのがいけなかった。ほら、こっちにおいで。そんなところに居たらみんなの邪魔になるんだよ。その声といい、口調といい、第一印象の怖さが嘘のように優しかった。混み始めたバスの中で、年配の女性は犬にとても優しかった。あ、あなた、犬のしっぽを踏まないでね。踏んだら痛いんだから。そんなことを言いながら周囲の人に注意を促し続けた。そうして男性と犬が下車する時、男性が言った。親切なシニョーラ、あなたに良いことがありますように。私はすっかり参ってしまった。年配の女性のことにしても。嫌な感じだなんて。知りもしないのに。そんなことを思うなんて。先入観は失敗の始まり。先入観で物事を見ると、失敗すると思った瞬間だった。犬にはかわいそうだったけれど、こうしたことを通じて、忘れかけていた大切なことを思いだした。

家に帰ると猫の長いしっぽ。冷えた床が気持ちよいのだろう、長く伸びた肢体から、細くて長いしっぽが。踏まれないように気を付けてね。って、間違えて踏んでしまったのは他の誰でもない、この私だ。




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美しい

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朝から風が強く涼しい一日。ひょっとして此の辺りだけなのかもしれないとも思う。昨年、日本へと旅立つ日も風が沢山吹いていて、涼しくてどうしようもなかった。空港へ行く為に呼んだ車の運転手に、今日は風が強くて飛行機が心配だと零したら、シニョーラ、風が吹いているのは此の辺りだけですよ、と返された。実際、旧市街に近づくと木の枝は微動すらせず、正午で日影がない歩道を汗を拭きながら歩く人を幾人もみた。この風は、時には困りものなのである。例えば冬に吹く風。日除け戸を叩く音が耳について眠れなかったりするから。

昨日のことだ。ちょっと用事があって、いつも行かない界隈に足を延ばした。とはいえ、旧市街の中で、贔屓にしている店もなければ、友人も住んでいない、それであまり行くことがないといった具合なのである。朝のうちは涼しかったとはいえ、何しろ週末の旧市街はバス侵入規制があるために、いつもの倍は歩かねばならぬ。重いものが鞄に入っていたこともあり、昼になる頃には額に汗が浮かんだ。それに喉が渇いていた。用を済ませたので、さっさと帰ろうと思ったが、少し先にある店を思いだして立ち寄ることにした。冷たいものでも頂こうと思って。Le Stanze. この店との出会いは随分前のことになるが、初めて入ったその日から好きになった。Bentivoglio家のチャペル場所がバールになっているのだが、昔の味わいがよく残されていて、大変貴重な空間と私はいつも思うのだ。このBentivoglio家というのは14世紀半ばから16世紀の間、事実上ボローニャを支配した一族なのであるが、彼らの個人的なチャペルがこんな風にして一般市民がカッフェやワイン、カクテルを楽しみに来るようになるとは、当時の人達は夢にも思わなかなかっただろう。さて、店は開けたばかりらしく、客はひとりも居なかった。美しい髪の若い女性と私と同じくらいの年齢の男性が居て、店を開けた後の準備作業に精を出していた。こんにちは。と明るい声で迎えてくれた女性。檸檬を絞ったジュースを飲みたいのだという私に、レモンソーダならあるけれど、と言った炭酸物は飲みたくないの、レモンジュースが欲しいのよ、と強請る私に、彼女は首をかしげながら考えて言った。そういうメニューはないけれど、そうだ、レモンを、そしてオレンジも絞りましょう。檸檬だけでは酸っぱすぎますからね。話が纏まってレモンとオレンジを絞って貰っている間に、天井の美しいフレスコ画を眺めた。美しいわよね、と話しかけると、彼女はここに働き始めて1年が経つが、見飽きたことなど一度もない、全く美しい場所だと言った。以前この店で知人とワインを頂きながら、この場所が自分の家の一部だったらどんなに素晴らしいだろうと想像したことがあった、と私が呟くと、彼女はそんなことは想像したこともなかったと大変驚いたようだった。彼女はロシア人とのことだった。美しい姿。美しい金色の長い髪。美しい顔立ちに、感じの良い人柄だから、きっと店の人気者に違いない。美味しいレモンジュースをありがとうと勘定を済ませて店を出る際、楽しいお喋りをありがとうと彼女は言った。楽しいお喋り。私も楽しかった。あまり歩かない界隈と言わずに、時には足を延ばして、ジュースの一杯、カッフェの一杯、ワインの一杯を楽しみに来ようと思った。感じの良い店。美しい空間。


何処かからトランペットの音。近所にトランペット演奏者が住んでいるらしく、時折、日曜日の遅い夕方に、無料の演奏を堪能できる。大変良い音色なので素人ではあるまい。近所の人達もこんな音色だから、文句のひとつも言わない。美しい夏の夕方が、さらに美しく感じる瞬間。




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