贈り物とか

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夜道が明るいと思ったら、空に美しい月。明後日には満月になる月だが、もう充分満ち足りたように輝いていた。満ち足りる。それは素敵なことだと思う。人間にしてもそうだ。そして誰が何と言おうと、自分が満ち足りていると思えば、それで十分なのだと思う。

木枯らしの吹く寒い一日だったが、飛び切り天気が良かった。少し迷ったけれど旧市街に寄り道したのはそういう理由からだった。雨が降れば散策したくも出来ぬだろうから、と。クリスマスのライトアップが始まり、寒い冬の街を灯す。街の中心のマッジョーレ広場の真ん中に佇めば、あっという間に中世にタイムスリップしてしまう。初めてこの町に来た時は、なんて古い、なんて閉塞感のある、重苦しい、とそんなことばかり思ったものだが、今の私はそのどれも感じることがない。古いけれど案外自由。こうでなければならぬという法則があるようで無い町。勿論周囲の目はあるけれど、私が自分らしく居られる町と思えるようになった。自分の中でどんな変化があったのか知らないけれど、良いことだと思っている。絶対なんて言葉は使いたくない。人間は変化していくのだから。
街を歩きながら私は考えていた。どんな贈り物にしようかと。ひとつは姑に。ひとつは住み込みで姑の世話をしてくれる年配の女性に。高価なものである必要は無く、しかし貰って嬉しい実用品。毎日使いたくなるような。姑には毎年肌に優しい自然薬局の基礎化粧品を選んでいるが、今年はどうしたものだろう。住み込みの女性に贈り物をしたことは今まで一度もなかったが、夏に現在の人に交代したのを心配したが、驚いたことが起こった。姑がとても嬉しそうなのだ。そして食事を拒否ばかりしていたのに喜んで食べるようになった。嫌いな果物や野菜も。好転だった。姑に優してくれているらしいこの女性に、贈り物をしたくなったのはこうした背景がある。其れに彼女が居るから私も相棒もいつもの生活が出来ると言っても過言ではない。彼女の趣味は知らないから、装飾品類はやめた方が良いだろう。香水も好みがある。ならば、やはり肌に優しい自然薬局の基礎化粧品辺りが無難だろうか。近いうちに店の立ち寄って、素敵な包みを作って貰おうと思う。

あと2週間で冬の休暇に入るからテンションが高くなっているが、本当は心底疲れている。一年走り続けたような気分。諸々のことから少し離れて、何も考えずに過ごしたい。ああ、待ち遠しい。それがこの冬の休暇の過ごし方だ。




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旧市街へ

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冬期休暇まで残り2週間ともなれば気合が入るもので、苦手な月曜日もなんのその。という自分を都合のよい性格だと思うのは毎年のことだ。午後に頭痛が始まりどうなることかと案じたものの、どうにかなるものである。帰る頃には頭痛はおさまり、従ってバスに乗って旧市街へ行った。クリスマスカードを持って郵便局へ。簡単には済まないと予想していたが、しかし30分も待つことになろうとは思いもよらなかった。其れもこれも昔のように煙草屋さんで郵便切手を買うことが出来なくなったからだ。郵便物を送る人が少ないことが生み出した現実、と私は呼ぶ。郵便局を出ると目の前にはフランス市場が。当然素通りなど出来る筈がなく、温かいワインを購入して、ちびちびやりながら観て回った。チーズの屋台で見つけたのは、刻んだ山栗が入っているチーズ。胡桃が入っているチーズは見たことがあるが、山栗は初めてだった。見ればかなりの高額がつけられていて、店の人に声を掛けようとしたのに言葉を引っ込めてしまった。トリュフ入りのペコリーノチーズの倍ほどの値段がするのは何故だろう。何か理由があるに違いない。それは食べてみなければ分からないのかもしれない。などと、独りでぐるぐる考えながら結局買わずに帰りのバスに乗ってしまった。まだ2週間ある。もう少し考えてもよいだろう。

それにしたってボローニャの街は光の海。車窓の外の光の流線を眺めながら思う。幸せな風景。そして美しいものを美しいと思える私も幸せ者だ。其れに気付いた喜びを、誰かと分かち合いたいと思う。




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12月8日

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今日はいつもの日曜日ではない。聖母受胎祭という名のキリスト教に纏わる祝日。それが日曜日に重なった。実を言えば多くの人が今日という日が日曜日に重なったことを多少ながらも残念に思っている。私も其の多くの人のひとりである。伝統的に言うと今日がクリスマスの飾りを始める日。昔、と言ってもたかだか10年ほど前までボローニャもその伝統に従っていたが、いつの間にか11月中旬を過ぎると、まるで待ちきれないかのように、クリスマスの照明を設置したりマッジョーレ広場にクリスマスツリーが登場するようになった。そうすることで市民の気持ちが明るくなるのかもしれない。何しろ物騒な世の中になったから。しかし伝統を守り続ける相棒と私にには、今日がクリスマスツリーを飾る日。朝から大騒ぎして収納庫の中から大きな箱を取り出して、飾りつけをした。このクリスマスツリーは10年ほど前に相棒の知人が譲ってくれたもの。大き過ぎるからとのことだったが、それは単なる作り上げた言い訳みたいなもの。何しろあの家は驚くほど大きくて、多くなクリスマスツリーを幾つ飾ってもスペースは充分なのだから。クリスマスツリーを飾らないと相棒、飾りたい妻に、知人はていの良い言い訳を作って相棒に持ち帰らせたのだ。あれから12月8日はクリスマスツリーを飾る日となった。10年もの間に増え続けた小さな飾りは、今では何倍にも膨れ上がり100個を超えるほどにもなった。昨年相棒が持ち帰ったヴィンテージ物と私が骨董品市で購入した同じ時代のヴィンテージ物。これらがとても良い雰囲気でますます魅力を増したクリスマスツリー。何しろツリーが自分より遥かに高いし、飾るものが小さい上に多いので、2時間近く掛り腕も腰もガタガタだけど、居間の一角に温かく輝く姿を見ていると、そんな疲れも忘れてしまう。5歳になった大きな猫が、ツリーのよじ登らなければよいけれど。

今日はもうひとつしたいことがある。カードを書くことだ。先日、わざわざそれを購入するだけの為に旧市街へ行った。ガルガネッリと呼ばれるその界隈に店がある。この辺りには昔有名なガルガネッリという名のレストランがあったので、その名前が残ったのかもしれないし、若しくは昔からガルガネッリと呼ばれる界隈だったところに、その名を取って店を開いたのかもしれないが、多分90歳くらいの人に訊ねてみなければ分からないことだ。其れも昔の旧市街に詳しい人達。私の周囲には、残念ながらそうした人達は、いない。兎に角、ガルガネッリ界隈の店に行ったのだ。普通の店はどんな知店の規模が小さくても商店名を標すものだが、此の店ときたら看板に文房具屋と書いただけで、何処にも店の名は書かれていない。全く不思議な店なのだ。不思議なのはそればかりでなく、店の中が凄いことになっている。客は扉を押し開けて中に入るが、それ以上中に進むことが出来ない。まるで倉庫のように物が多く、それもかなり乱雑に置かれていて、店の人が何処に何が置かれているのかを把握しているのならば、それは驚くべきことだと思うほどの状況なのだ。だから客は店に入ったところで、何を欲しいか告げて探してもらうことになる。私は先客を待っている間に、偶然置かれていたカードに一目惚れした。これ。今年はこれにしよう! それで自分の番が来るなりそのことを告げ、同じものを3枚欲しいと店の人に頼んだ。ああ、これね。此れは本当に可愛いの。と店の人は言いながら同じものを探す。ところだ見つからない。ああだ、こうだ言いながら探しているが見つからない。良いものを置いているけれど商品管理が良くないのがこの店の欠点みたいなもの。探すこと15分。諦めて他の2枚は似たようなもので間に合わせようと思ったところで、店の人が喜びの声を上げた。ありましたよ! そうして3枚のクリスマスカードを手に入れた。うん、時間はかかったけれど、やはりこの店はいいものを置いている。だから商品管理がどうであろうと、私はカードを購入する時はこの店に足を運ぶのだ。あの山のような商品は宝の山。恐らく多くの客がそう思っているに違いない。あんな小さな店で、あんな看板の素っ気なくて、探すのに時間が掛かるけれど、多くの店が不況に風に吹かれて閉まっていくのに、あの店だけは残っている。何時から在るかは分からないが、少なくとも20年以上は続いている。もっと前からあったかもしれない、私が気付かなかっただけで。それどころか、私がボローニャに来る前から存在していたのかもしれない。その可能性は充分ある。

さあ、カードを書こう。そして明日はカードを持って郵便局へ行くのだ。旧市街の大きな郵便局へ。その帰りにフランス市場に立ち寄って、温かいワインでも頂いたら、寒さも吹き飛ぶことだろう。




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冬の一日

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空が晴れた土曜日。12月7日になったとカレンダーを眺めながら思う。計画的行かないとクリスマスを迎える頃にばたばたする。すべきこと、したいことは先延ばしにせずに積極的行かねばならぬだろう。そう思って土曜日なのに早く起きた。今日はしたいことが幾つもあるのだから。

少し溜めてしまった衣類をクリーニング屋さんに持ち込んだ。溜めといたくせに一週間後には引き取りたいと申し出る私に女主人は笑いながら頷く。大丈夫、一週間後には全部仕上げておくから、と。その足で衣類のリサイクルボックスへ。一界隈にひとつくらいは設けられているこの大きな鼠色の鉄の箱に、私は不要な衣類を入れることが多い。古くなったもの。小さくなったもの。もう飽きてしまったもの。必要な人が使ってくれるならこんな嬉しいことは無い。しかしこのようにして定期的にクローゼットの衣類を確認してはリサイクルに出しているので、気付けば随分と衣類が少なくなってしまった。もっとも、こんなことでもせねば気に入っているからとか、まだ着られるからと10年も15年も着続けてしまうから、時々こんな風にして処分するのは良いことだと思っている。
小さな用事をふたつ済ませて、旧市街へ行った。髪を切るのだ。12月という華やかな時期に頭髪がぼさぼさはよろしくない。夏頃から予約が難しくなった店に、随分前に電話を入れておいたのだ。今日より早くても遅くても駄目。お願い、今日の正午にお願い、と。夏に店の人がふたり一緒に辞めていってから、一日に対応できる人数が限られるようになった。同時に客層にも変化があり、店主はどう考えているか知らないけれど、私はこれでよかったのではないかと思っている。落ち着いた雰囲気。丁寧な雰囲気になったからだ。今は店主と助手の若い女性だけで仕事を回しているのを、私はポジティブに受け取っていると店主に言うと、一瞬手を止めて鏡越しに私を見つめ、へええ、そんな風に思っている人が居るなんて考えても居なかったよ、と言った。どちらにしても辞めていった人が帰ってくることは無く、後戻りなど出来ないのだから、現在の状況で気持ちよく仕事をして客が喜んでくれればよいのではないかと言葉を続ける私に、君は見掛けに寄らず観察力があって色んなことを考えているんだねと店主は言った。そして確かにその通りだ、本当にその通りだよ、と鏡に映る私に言葉を返した。それにしたって、見掛けによらずとは。と思ったが、これに関しては追及しないことにした。私が傍目にどんな人間に見えるかなんて、怖くて訊くことなど出来ない。
髪を切るとクリスマスを迎える準備が出来たような気分になったが、伝統に従ってクリスマスツリーを飾るのは12月8日、明日である。此れがとても楽しいながら案外大変な作業で、歓喜する猫を宥めながらの飾りつけには軽く2時間を要する。その後の疲労感はとても大きく、ひと眠りしたくなる程である。それでも明日が楽しみなのは、私がクリスマスツリーを愛しているからだ。喜びとか、感謝とか。幸せとか、楽しみとか。それらが詰まっているのが私のクリスマスツリー。ああ、明日が待ち遠しい。

それにしても寒い。冬らしい一日だった。空が良く晴れていた分だけ、陽が落ちた後の空の暗さが心に沁みる。窓辺に佇む猫が見ているのは空に輝く月。冬の月は美しい。触ったら手が切れてしまいそうなほどシャープに輝くのが冬の月。満月まであと5日。




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靴が好き

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今日という日が嬉しいのは、金曜日だからだけではない。風邪を引いて熱が出掛けたのを上手く潜り抜けることが出来たことや、思うように進まなかった仕事が何とか片が付いたことや、近所の青果店の奥さんに美味しい林檎を選んで貰うことに成功したことや、それから、それから。それから仕事帰りに閉店ぎりぎりに駆け込んだ靴の修理屋さん。店主に頼んでおいた自分の靴を渡されて、見違えるように美しくなっていたのには感激した。もともと私は靴の手入れは良い方だけど、それにしても靴の底の修理を頼んだだけだったのに、8年も履き込んで多少なりとも傷んでいた黒のショートブーツが良く磨き上げられて戻ってきた。うわー、こんなに良くしてくれて、と思わず言葉が零れると、店主は照れながら頭を撫でて、必要だと思ったからだと言った。私が修理を繰り返しながら大切に履き続けているのが伝わったのだろうか。兎に角、此の一件は私を深く感動させた。ありがとう。ありがとう。料金を支払いながらいったい何度ありがとうを言ったことか。この店の存在を教えてくれた友人に感謝せねばならない。この店は大当たりだった。少なくとも10年は通うことになるだろう。

ボローニャの靴屋の多さと靴好きは有名で、80年代から90年代に売れた歌手、ルカ・カルボーニの歌にも出てくるほどだ。この歌を初めて聞いたのは私がアメリカに居た頃だが、何しろイタリア語が分からなかったから、そういう歌だと知ったのは私がボローニャに暮らし始めてからのこと、この歌を初めて聴いてから何年も経ってからのことだ。確かに当時のボローニャには沢山の靴屋があって、靴好きの私を歓喜させたものだ。中でも靴を注文に応じて作り上げる店については話を聞くだけでもわくわくしたが、その店が友人の叔父の店だと知った時は興味と関心と驚きが交差して笑いが止まらなかった。靴職人が身近な人の周囲に居るなんて。彼は何時も素敵な靴を履いていて、既製品ではない、彼の足に合わせて仕立てたものだと分かる靴を何足も持っていた。そのうちの一足は橙色の靴で、艶といい色合いといい、そして形といいより抜かれた素材としか言いようがなく、貴方は何時も素敵な靴を履いているが、今日の此れは飛びぬけて素晴らしいと褒めたところ、此れは僕の一番の気に入りなんだけど、僕の靴はどれも叔父の店で仕立てたものなんだよ、とのことだった。どういうことなのかと突っ込んで訊いてみると、旧市街にある小さな工房の、有名な店だとのこと。ボローニャに暮らし始めて5年も経った頃、一度興味があって店に入ったことがある。話を聞いてみたら一足を作るのに何か月も掛り、代金は私の手の届かないものであると知り、退散するしかなかった。成程、ならば分かる。しかしあの店はこんな素晴らしい靴を生み出すのかと、それ以来彼と会うたびに靴ばかりが気になって仕方がなかった。私の靴好きも、其処までは手が出ない。自分の足に合わせて靴を作るのは、母に連れられて自分の体に合わせて服を仕立てて貰っていた其れとは話が随分と違うと思った。自分の足に合わせて靴を仕立てるのは、私にとって手の届かない贅沢のひとつ。かと言って良い靴を諦める気はさらさらなく、大変微妙なのである。近年は既製品ではあるが手製の、柔らかい革を使ったものが好きだ。高価だが、しかし8年も履けるなら良い。足元は大切だから贅沢ではない。足が痛くては歩くこともできぬ。そうだ、足元は大切なのだ。

明日も天気になるらしい。旧市街に骨董品市はあるだろうか。アンティークのクリスマス・オーナメントを今年も幾つか購入したいと願っている。何か可愛いのを。毎年少し買い足すのが、この時期の楽しみだ。




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