感謝

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日曜日。夏休み最後の日。今週末は高速道路が混み合うと予報が出ていたものだから、てっきり近所の人達も戻ってきて周囲が賑やかになるものと思っていた。しかし私の予想は大きく外れ、この辺りの夏休みモードはまだ暫く続く模様。

上階の夫婦は息子をひとり連れて、オーストリアの山の家に行っているのだろう。親戚がその辺りにセカンドハウスを持っているから、毎夏行くと言っていたから。何しろオーストリアの山は涼しいから。それに涼しいと食欲も湧くから。しかし彼らにはもうひとり息子が居て、大学生なのだけど、ひとり留守番をかってでたらしい。留守番というか、猫番かもしれない。上階にはラッキーという名の大変幸運な猫が居て、とても可愛いのだ。家族全員が出掛ける時は、ボローニャ郊外の猫のB&Bに連れていかれる。なかなかいい所らしいけれど、やはり自分の家以上に良い場所はあるまい。ということで、この猫はやはり幸運なのである。それで残った大学生の息子だけれど、両親が居ないので毎日友達を呼んで実に楽しそうだ。いつもは兎のようにおとなしいけれど。しかし其れももうすぐ終わりらしい。先ほど掃除機をかけていたから。大々的に掃除をしているところを見ると、今夜か明日にでも両親と兄が帰ってくるに違いない。
隣の家族はボローニャ県の山から帰って来たばかり。木曜日に頼まれていた日本のコスメを届けに行ったところ、奥さんは洗濯に追われていた。もう洗濯機を4度も回していると言って嘆いていたが、つまりは休みの間は家事などせずにしっかり楽しんだということだろう。それにしても奥さんは、若いというのもあるけれど、笑顔が実に魅力的で、夫がひと目で恋に落ちたという話は実に頷けるなあ、と彼女に会う度にそう思う。裕福な夫であるがゆえに、妻の座を得た彼女のことを悪く言う人が絶えないけれど、単に羨ましいからであろう。そういうことを聞いていたら、キリが無いというものだ。
ところで向かいの、と言っても随分と離れているけれど、大きなテラスの家のシニョーラは、一昨日から留守のようだ。日除け戸をきっちりと閉めている。洗濯を干すことも無ければ、植木に水をくべることもない。夫を亡くして以来、ひとり暮らしの、70代半ばのご婦人だ。一昨年の冬、クリーニング屋さんで会って以来、遠目に姿を見つけると、こんにちは、シニョーラ、と声を掛けあう仲である。一度彼女がテラスで何かをしていた時にばたりと倒れて意識が無くなってしまったことがあった。その様子を目撃した相棒が救急車を呼んで大事に至らなかったことから、シニョーラは相棒と私に大変友好的である。彼女の息子はボストンに住んでいるらしい。時々賑やかな声が聞こえる時は、息子がアメリカから帰省しているということらしく、今日はシニョーラは独りぼっちじゃない、と嬉しくなるのである。さあ、シニョーラは何処へ行ったのだろう。涼を求めてモンギドーロ辺りのホテルに行ったのかもしれないし、まさか、まさか、ボストンまで行ったのか。もしそうだとしたら喝采だ。何しろ長い時間飛行機に乗っていることは私ですらうんざりなのだ。70代半ばの彼女が長時間飛行機に乗ってボストンに行くなんて、ちょっとカッコいいではないか。

夕暮れが早くなった。まだ残暑は続くだろうけれど、いよいよ夏の終わりであろうか。何処かで水を撒く音。雨が少しも降らないから、誰かが水を撒かねばならぬ。夏休み最後の日。楽しかった毎日に感謝。楽しみを分かち合えた人達に感謝。待っていてくれた相棒と猫に感謝。こんなに沢山のことに感謝できる夏は久しぶりだ。




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21年

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家中のカーテンというカーテンを洗った。家は小さいくせに大小合わせて窓が6つもあるから、カーテンを仕立てる時も大変だったが洗う時も大変。そんなことを呟いたが、綺麗に洗い上がって乾いたものを窓に備え付けたら、家がとても明るく見えた。カーテンを洗うのは大仕事だけど、し終えた後は実に清々しい。夏の休暇のうちにしておきたかった仕事のひとつだった。ちょっと肩の荷が下りた。

この夏、日本に帰省するにあたってひとつ心に留めておいたことがある。アメリカに居た頃の友人が同じ時期に帰省するということだった。最後に会ったのは相棒と私がイタリアに移り住む少し前だった。昔は手紙を送りあい、今は時折メッセージを送りあう仲。それにしたって21年も会っていない人。嬉しいような、怖いような。それだから、私が日本に帰省することは、彼女には直前まで知らさなかった。
彼女と知り合ったのは私がアメリカに暮らし始めて半年ほど経った頃だったと思う。ある週末のことだった。アパートメントをシェアしている友人と街の中心で繰り広げられているパレードを見て、家に帰ろうと歩いていた時、彼女に会った。彼女は友人の知り合いだった。恋人を待っているのだが、約束の時間をとっくに過ぎているというのに来ない。幾度電話をしても出ない。もう家を出ているのは間違いないのに。彼女はそう言って、待つのをやめてしまうか、それとも待ち続けるか、迷っているようだった。あの時代は携帯電話が普及していなかったから、今のようにすぐに連絡を取ることが出来なかったのだ。結局彼女は待つことにして、それじゃあね、などと挨拶を交わした、それが私達の始まりだった。彼女は弾けんばかりの若さを持っていた。媚びることのないショートヘア、潔く出した肩と腕、すらりと足を出したショートパンツスタイルは、彼女の魅力を存分に引き出していたと覚えている。あれから幾度か会っているうちに、私はさばさばした性格の彼女が好きになり、そして私はちょっとした彼女の相談役になった。私が幾つも年上だったからだろう。多分彼女は誰か年上の人の意見なりなんなりが必要だったに違いない。と言っても私が何か役に立つことを言えたかといえばそうでもなく、しかしただ耳を傾けることで十分だったのかもしれないと今になって思う。彼女の結婚、私の結婚、彼女の出産、そして私の引っ越し。数年の間に色んなことがあった。私と彼女の接点は、あの時期に同じ街に暮らしていたことだけ。その後は互いに違う生活をして、違う国に住み、多分違う考えを持っているに違いなかった。
日本に帰って家族と会うとようやく日程らしきものが決まって、彼女に会う時間を確保できることになった。彼女は息子と娘を連れて帰省していた。私の知っている男の子は今では大きな青年になっていて、彼を眺めては年月の厚みを感じた。私達はといえば多少老いた以外は変化が無く、彼女はやはりショートパンツが似合っていたし、私はやはり彼女の話の聞き手だった。敢えて違っていることと言ったらば、若い娘だった彼女がすっかりお母さんになったことかもしれない。しかし私は昔と同じ自由気ままな呑気者。心配する事はあまりない。その時その時を大切にしていれば、なる様になるさ。
結局、彼女とは会って良かったと思う。地球の裏っ側で友人が今も一生懸命生きているのを知ったのは、私の小さなエネルギーと勇気につながる。あの時、私達が知り合ったのは、偶然なようで偶然なんかじゃなかったに違いない。そうしてこんな風に再び会うことが出来たのも、単なる偶然ではないだろう。友というのはそういうものだ。大切にしたいと思った。

カーテンを洗って準備が整った。9月を迎える準備のことだ。爽やかな9月の風に揺れるカーテン。昔から大好きなもののひとつなのだ。




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鰻を食べに行こう

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夏休みはいつだって楽しいものだけど、こんなに楽しい夏休みは今迄にあっただろうか。と、自問するほど良い夏休みである。まだ二日残っているから、過去形は使わない。楽しい、楽しいと言って毎日過ごせることを、私は感謝せねばなるまい。

日本に帰省したのは親孝行の為だ。25年前に飛び出して、心配ばかりかけた娘は、今頃になって親孝行と言うことを考え始めたのである。勿論私自身が日本を恋しく思うのもあるけれど、それよりも母に会って、母と向かい合って、食事をしたり話をすることがどれくらい母に嬉しいことかと考えてのことだった。そうとも知らずに母は、久しぶりに帰ってきた娘を楽しませようとばかり考えている。母と言うのはそういうものなのかもしれない。母はもう随分と年を重ねているから、皆で週末を過ごした一緒に銀座へ、母が娘時代を過ごした自由が丘へ、といったことは数年前から出来なくなった。娘を何処にも連れていくことが出来なくて、と残念がる母の後姿を眺めるたびに、私は母を愛おしく思った。
ある日、姉と川越を訪ねた。川越へ行こうと言い出したのは姉だった。昔、父方の親戚の家を訪ねるたびに鰻をご馳走して貰ったことを話していたら、急に上等な鰻を食べたくなった。あれこれ調べたところ、川越に旨い鰻屋が沢山あるとわかり、恵比寿界隈行きを止めて、急に川越へ行くことになったのである。低気圧が近づいているのか、電車に乗ってすぐに雨が降り始めた。降るだろうとは思っていたけれど。やはり雨は嫌いだ。ところで川越は小江戸と呼ばれていてなかなか情緒のある街である。駅を降りた感じはそんな様子もなかったけれど、歩きはじめると確かにそうなのだと分かり始めた。雨に濡れた古い建物が黒く美しく光っているのを眺めながら、鰻屋に飛び込んだ。まだ正午になっていなかった。小さな店だった。テーブル席がたったの3つ、奥の座敷に大きな座卓がひとつと言った具合。外見も小さかったが、中も随分と狭かった。でも、少しも残念ではなかった。入り口の横の小さな窓から、もうもうと噴きだされる煙の匂いが、とんでもなく美味しそうだったから。注文を済ませる頃になると次から次へと客が来て、あっという間に満席になった。客層がまた良い。この辺りに住んでいる常連客と言った感じだった。待望の鰻はとろけるように美味しく、焼け具合が良くて、山椒が食欲を促し、普段はあまりお米を沢山食べない私が、すっかり平らげたのには姉も驚いたようだった。こんな美味しい鰻を食べられる幸せ。昔、姉と私が遊びに行くたびに叔母が上等な鰻をご馳走してくれたことへ感謝。私と姉は空になった漆塗りの器を眺めながら、暫くそんなことを話した。姉との子供時代の思い出は沢山あるが、鰻の思い出もそのうちのひとつなのだ。
雨はまだ強く降っていたが、店を出ることにしたのは中に入れないでいる客が居るからだった。小さな店だがこんな客たちが居る限り、店は安泰と言うところか。店の人に美味しい鰻の礼を言って外に出た。お腹が満たされて気分がよかった。姉の案内で小江戸の街並や神社を訪ねた。歩いていてわかったのは、此の街には本当に沢山の鰻屋があることだ。何処もが其れなりに繁盛しているらしい。小江戸というよりは鰻の街と呼びたいくらいだった。雨がようやく止んだのは、もう夕方という頃だった。雨に濡れた苔の美しさ。神社の屋根の色が濃いのは雨に濡れたせい。そう思えば、雨もまんざら悪くない。姉と私はそんなことを言いながら電車の乗って帰ってきた。楽しい小旅行だった、楽しかったのは姉も同じだったらしい。次の帰省時に川越を再訪しようと先に言いだしたのは姉だった。しっかり者の姉、何をしてもうまくいかない妹。私達は全然違うと面っちていたけれど、案外似た者同士なのかもしれない。こんな年になってやっとわかり始めた。

もうそろそろ頭を切り替えなければ、と思いながらも、もう少しこのままで居たいような気もする。そうだ、もう少しこのままで居よう。仕事に戻れば嫌でも忙しくなるのだから。相棒と猫と私。あと二日間、のんびり過ごすのもいいじゃないか。




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小さな祈り

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日本から帰ってきて、近所は俄かに日本ブームだ。隣の奥さんはクリスマス休暇に家族みんなで行ったタイで、日本のコスメ製品を手に入れたらしく、それ以来ずっと入手する方法を探していたらしい。それで日本であれもこれも買ってきてほしいと頼まれて、やれやれと思っていたれど、それらを届けたら大そう感謝されて、とても良いことをしたような気分になった。近所のバールのペルー出身の若者は、伯母さんが日本人で名古屋に住んでいるらしい。日本から戻ってきた私を見つけて、あれこれと質問が止まらない。来年日本に行きたいんだ、と鼻息が荒く、そう言っては質問が続くのだ。それじゃあ、資金を貯めなくてはね、と促す私に、相棒が横から口を挟む。そうさ、彼女は持って行ったお金を残らず使ってしまったくらいなんだからね。これには返す言葉がない。そうだ、私は確かに持って行った小遣いを全て使い果たし、其の上、クレジットカードも存分に使ったのだ。いや、なに、持って行った小遣いが少なかったからなのだけど、相棒は全然同意できないらしい。たまには良いでしょう、と言っても少しも同意して貰えない。困ったものである。それにしても私の留守中に相棒が存分に触れ回ったらしく、私が日本に帰省していたことは誰もが知っていた。だから会う人が皆、やあ、楽しい帰省だったかい、家族は元気だったかい、美味しいものを食べてきたかい、と興味津々で、暫くはむやみに外を歩かないほうがよさそうなのである。

久しぶりにボローニャ旧市街へ行った。いつもより涼しいかったから。そして髪をどうにかしようと思って。ところがいつもの店は夏休みで、暫くはぼさぼさの頭で我慢せねばならなくなり、全くがっかりだった。仕方がないなあ、と旧市街を少し散歩してみることにした。日差しは強いがすでに夏の終わりの色である。何がどうと言うのでもないけれど、夏の終わりの色は、ほんの少し寂しく、そして私達をほっとさせる。思い存分焼けた肌を自慢げに見せている人々。イタリアの人達はどのようにしたら焼けた肌を美しく見せることが出来るかをよく心得ている、と何時も夏の終わりを迎えるたびに感心するけれど、シンプルなシャツを無造作に着てみたり、珊瑚色のシンプルな、膝上丈のドレスを着たりと、見せる鍵はシンプルらしい。涼しいと思って家を出たが、次第に気温が上がってきて、夏は終わっていないよ、と言っているかのようだった。暑さを逃れるために市庁舎の中庭へ。此処はいつも人が少なくて、少し涼しい気分になれる。生憎中庭の椅子と言う椅子は先客で塞がっていたけれど、誰が大きな声で喋るでもなく、本を読んだり、回廊を眺めたりして、実に良い空気が流れていた。人々を邪魔しないように私はその辺りを歩いていて、ふと足を止めた。昔は、誰かが結婚すると、結婚の報告が掲示されていた場所。今はそうした習慣は無くなったのか、流行りのプライヴァシーという奴なのか、その場所には昔の写真が飾られていた。何の説明もない写真。でも、一様に古く、主に子供たちが写されていた。観始めたら止まらなくなった。どれもとても良くて、誰が何時、何処で、どうして撮ったものなのか知りたくてたまらなくなった。何時か訊いてみなくては。しかし、昔の習慣というものは、いつもこんな風に知らないうちに消えてゆく。昔はそれが当たり前だったのに、新しい時代にはそぐわないからと言って。改善というものなのかもしれないけれど、少し寂しいような気がした。

イタリア中部で起きた地震。自分が住んでいる町でないからと言って無関係でいられる筈が無い。自然の怖さ。何処で起きても不思議ではない天災を私は恐ろしく思う。瓦礫に埋まっている人々を探し出す作業に追われている。瓦礫の下でまだ息をしているかもしれない人々を独りでも多く救い出す為に。早く、早くと、誰もが心から祈っている。




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ボローニャは快晴

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ボローニャに戻ってきた、台風に追われるようにして。遂に上陸した台風のせいで続々と欠航になったと知り、一寸前に日本を発てたことを幸いに思った。ボローニャは快晴。湿度が低く、日差しは強いが風はひんやり。夏の終わりを感じさせる、そんな空気に満ちている。8月下旬になるといつも感じる、夏が過ぎ去ろうとしている雰囲気を、今年は何故だろう、ことさら強く感じる。少しづつ日の暮れが早くなっているのも、其のしるし。日本で家族と過ごした時間が楽しかった分だけ、夏の終わりを寂しく感じる。また2年後に帰ってくるからと言って抱いた母の肩の小さかったこと。母はいつまでも母で、娘を守っていこうと思っているに違いないけれど、大きな大人になった私は、そんな母を守っていくのが私の務めだと思う。そんな互いの気持ちが交差しながら、じゃあまたね、と言って日本を後にした。姉について言えば、姉にとって私は、いつまでも小さな妹、こんなに年をくったって。何時まで経っても頭が上がらない。そしてそれでいいと思う。元気でいようね、と言って背中を押してくれた。さあ、帰りなさい、ボローニャへ、と言うように。私の心を見透かしたかのように。私の気持ちが日本に傾きかけているのを見透かしたかのように。こんなに楽しい夏休みは久しぶりだった。それもこれも母と姉家族のおかげ。私の宝物たち。

ボローニャ空港で待っていてくれた相棒。ほんの少し照れたような表情で。家の入口の扉の傍らで待っていてくれた猫。何か言いたいことがあるのか、にゃーにゃーと声を発して。どちらも大変優しい。こうして待っていてくれる人と猫が居る限り、私の家はボローニャなのだと思う。そして彼らもまた、私の大切な宝物たち。それにしたって飛行機の長旅は、年々苦手になっている。いつか長い飛行機の旅が出来なくなる日が来るかもしれないと思うけど、それまでは騙し騙し行けばいい。
有難い快晴。驚くほどの洗濯物がいとも簡単に乾いていく。夏は暑くて暑くてしんどくて、と不満が零れるけれど、それもそのうち洗濯物が乾かなくなれば、この夏の気候が恋しくなるに違いない。昼前に桃を購入しようと思って鞄を持ったら、眠っていた猫が頭を持ち上げた。またどこかへ行くのか。昨日帰って来たばかりではないか。そんなことを思っているのだろう、表情が硬い。ごめんごめん、桃を買ってくるだけだから、と言って家を出たが、帰り道に相棒に遭遇してバールでカッフェなどをして、其処に居合わせた近所の老人たちと話をしたら、随分と時間が経ってしまった。家に帰ってきたら扉の傍らに猫は待っていて、にゃーにゃーと声を発した。一体何処へ行っていたんだと言ったふうに。そうか。昨日のにゃーにゃーはお帰りなさいではなくて、私を放ってこんなに長く家を留守にして、だったのかな。

私の夏休みはもう少し続く。相棒と猫と共にゆっくり過ごす。時差ボケと疲れもそのうち治るだろう。ボローニャは快晴。私の心も同じくらい快晴。




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