歩く

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一週間後の今日は夏時間。大窓の向こう側に広がる明るい空を眺めながら思う。長くて終わりそうにないように思われた冬も、そろそろ終わり。物事には必ず終わりがあり、そして新しく始まるのだと、この時期になるといつも同じことを思いだす。例えば辛いことも、苦しいことも、必ず終わりがあるのだ。私のボローニャの生活の始まりは想像していたのとは異なり、閉塞的で辛くて出口のないトンネルのように思えたものだが、気が付けば明るい空の下に居て、トンネルを抜け出したことにすら気づかなかった。気付けば悠々と散歩などして、気付けば仕事帰りにワインなど嗜んでいて。夏になれば糸の切れた凧のように家から飛び出して。こんな生活を手に入れることが出来るなんて、あの頃には想像もできなかった。それは勿論自分だけの力ではなくて、周囲に存在する遠くや近くの人達の応援や助けであり、そして見えない不思議な力もあったかもしれない。運が良かったのかのかもしれない。何にしろ、冬が終わって春が来るように、私達の人生にも、そういう時期があると言うことだ。春が好きなのはそんなことからかもしれない。一年に一度くらい、このことを思いだして感謝するのは良いことだと思っている。

昨日の散策。少ししか歩いていないのに、今日は足がガタガタだ。昔は8時間も歩いて、歩き過ぎだと皆に窘められたと言うのに。日本に暮らしている時もそんな風に歩いた。日本橋から銀座、そして新橋まで歩くなんてのはよくある話だったし、曙橋辺りから何処をどうやって歩いたかは覚えていないけれど、東京タワーの袂まで歩いたものだ。何がそんなに楽しいのかと友人に訊かれたけれど、楽しいと言うよりは交通機関を利用していたら見ることも発見することもない小さなものに歩いていれば出会えるから、と言うことだ。そしてそれはアメリカへ行っても同じで、あれほどバスが発達しているのに、バスの月ぎめパスも持っていたのに、空が明るい時間はひたすら歩いた。ちょっと出掛けてくる、という私に、一緒に暮らしていた友人や、そして後には相棒も、いつも同じ言葉を私の背に投げかけた。何処へ行くの? その問いが一番苦手だった。何故なら私には目的地なるものは無かったからだ。何時だって気が向く方向へ。海の方へ行こうと思いながら反対の丘の方へ行くことも多々あった。あれほど歩いても足が痛くてもう歩けないなんてことが無かったのは、やはり若かったからだろう。20年、30年という年月は自分が感じているよりもはるかに大きいと言うことなのだろう。
ところで昨日は久しぶりにVia D’azeglioを歩いた。此処にはちょっとした思い出がある。1995年、ボローニャに暮らし始めたばかりの頃、ほんの数回だけ無料の学校に通ってみた。週に一度か二度か、そんなことも覚えていない遠い昔のこと。イタリア語の授業で、1,2時間のクラスだっただろうか。そこにはヨーロッパ各地から集まった若者が居て、そしてその中に日本人の若い夫婦が居た。夫婦は音楽家で、音楽のためにボローニャに来たとのことだった。旧市街の古い由緒ある建物にアパートメントを借りることが出来る豊かな人達に違いないのに、決して其れをひけらかすことの無い、とても感じの良い穏やかな人達だった。その彼らと歩いた道。時々足を止めて店のショーウィンドウを見入ったが、驚くことにその小さな店は今も残っている。あれから随分経つ。その間に彼らは活動基地と住まいをローマに移したらしい。もう15年ほど前にローマへ行き、帰りの列車を待つべくテルミニ駅のホームに立っていた時、偶然見かけた。夫の方しかいなかったので確信は無かったが、声を掛けてみたところ、そうだと言う。昔ボローニャで一緒に帰り道を歩いたことがあると言う私に言葉に彼は目を丸くして、覚えていると喜んでくれた。どうやら彼らはローマで名を上げ、ローマでの生活に満足しているらしかった。どんなふうにして別れたかも覚えていない。また何時かイタリアの何処かで。そんな具合だっただろうか。そんなことを思いだしながら、久しぶりに同じ道を歩いた。あまり変わっていない。変わったとしたら、新しいバールくらいのもので。この辺りはいつもマイペースな空気が漂っていて、此れから先も変わることがないのだろうと思う。思えば、イタリア語が全然わからずに飛び込んだボローニャの生活が、うまく行く筈がなかった。私がこの街の生活に馴染み出したのは、自分の言いたいことを曲げることなく伝えることができるようになった頃と丁度一致するのかもしれbない。

22度。窓を開けて空気を入れ替える。多少鼻がむずむずするけれど。こんにちは、春。一緒に存分楽しもうではないか。




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土曜日は散策

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一昨日は春分の日だった。春分の日とは、何と良い響きなのだろう。そして春分の日が祝日であることに、日本という国が季節感のある国なのだと遠く離れてから気づき、感嘆するのだ。それは私ばかりでなく、周囲の人達にしても然り。身近な人達に、自然に感謝して春を祝う日と説明してみたが、正しいだろうか。昼間と夜の長さが等しくなる日との説もあるそうだけれど、単純に感謝して祝う方が私には合っている。
今日は朝から明るいので、久しぶりに散策に出掛けた。ずっと頭痛に病んで幾つもの土曜日を家で過ごしてしまった。本当を言えば頭痛は今も抱えているが、しかし以前と比べらた雲泥の差。痛いが本を読むこともできるし、書き物だって出来るから、もう気にするのを辞めた。そう言うと相棒は心配そうな顔をするが、病は気から。元気に生活していれば、そのうち頭痛がしっぽを巻いて逃げていくに違いない。一体何時から私はこんなにポジティブになったのか知らないが、心配してもいいことなどない、そうだ、忘れてしまおう、と最近の私はあまり深く考えない人間になった。それを私は良いことだと思っている。過去を振り返ると、心配すればするほど物事が悪い方向に向かうことが多かったから、ならばもう心配はしない。成るようになる。Que Sera, sera、Whatever will be, will be。ヒッチコックの映画“知り過ぎた男”の中で、彼女が歌っていたように。

旧市街の真ん中まで行かずにバスを途中で降りた。天気が良いし久しぶりだから、久しぶりついでに久しぶりの界隈を歩いてみようと思って。私の行動範囲は狭い。大抵同じ界隈で用が済んでしまう。買い物をする店は決まっているし、カッフェをする店にしても気に入りの店に足が向く。意図的に足の向く方向を変えなければ、同じ道ばかり歩いてしまう、それが私なのである。目的の界隈まで迷ったふりをしながら右へ左へ曲がりながら歩いた。さもなければ、近道をしてしまうし、知っている道ばかり歩いてしまうからだ。そんな私を見た通行人が声を掛けてくれた。シニョーラ、何処へ行きたいのですか。道が分から無いのですか。声を掛けてくれた主は青年。歳の頃は30歳前程の、この辺りに住んでいる感じのきちんとした青年だった。いいや、迷っている訳ではない、迷ったふりをして歩いているだけなのだと説明すると、彼は声を上げて楽しそうに笑い、大成功だ、とても迷っているように見えたから、と言って白い歯を見せた。良い週末をと言葉を交わして彼は向こうの方に歩いて行き、私はまた先ほどのようにふらりふらりと歩き始めた。この界隈にはあまり来ないが、実はよく知っているのだ。一頃この辺りが気に入って用もないのによく歩いたから。大抵途中でジェラート屋さんに立ち寄り、小休憩してまた歩くのが常だった。今日はジェラートの予定はない。ジェラートよりも美味しいカップチーノが欲しかった。うっかり足を踏み入れた通りを歩きながら思いだした。この先にある弁護士事務所。もう10年も前のことになるだろうか、七面倒臭いことが起きて弁護士の力が必要になった。知り合いに紹介された弁護士は女性で、この界隈に事務所を構えていた高級弁護士だった。果たして弁護士の力不足で満足のいく結果で終わらなかった。話し合いで随分安い料金を払って終わったが、あまり気分の良い話ではなかった。しかし其れも過去のこと。今は何の問題もなければ平和なもので、土曜日に散歩など楽しんでいるのだから幸せである。うっかり思いだしたことを振りきるかのように頭を左右にぶんぶん振ったら、ズキン、頭が強く痛かった。
目的の界隈まで足を延ばして、美味しいカップチーノを頂いて、バスに乗って帰ってきた。相棒と昼食を共にしようと思ってのことだ。そんな約束はしていないが、最近土曜日の昼食を共にするのが暗黙の了解になった。理由はない。何となくそんな風になっただけで、その習慣を私達はとても気に入っている。

もう冬の温かいコートはクリーニングに出してもよいだろうか。と、数日前にクリーニング屋の女主人に話したところ、待ちなさい、もう少し待ってからの方が賢いわよ、とのことだった。人生経験70年の彼女の言葉には重みがある。私は年上の人の言葉に耳を傾ける女なのだ。




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美しい姿

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久しぶりに雨が降った。一昨日のことだ。随分と乾いていたから、これは恵みの雨。雨降りが嫌いな私とて、この雨は感謝の雨だった。数日前にテレビのニュースを見ていたら、雨の少ない冬だったから農作物に被害が出るだろうと話していた。雨の少ない冬。雨が多いのも困ったものだが、確かに少ないのも困りもの。丁度いいと言うことは、何と難しいことなのかと思う。兎に角久しぶりの雨はそれほど多くもなく、ほんのお湿り程度だったけれど、少なくとも空気が清められた。そして暖かくなり過ぎていた3月に、また寒さが戻ってきた。

月が美しい。満月は明日だそうだ。久しく月を眺めて居なかったのは、心に余裕がなかったせいかもしれない。久し振りに見た月は白く輝き、私に何かを語り掛けているような気がする。昔からそうだ。私は月を眺めると、月に何か語り掛けられているような気がするのだ。
アメリカに暮らしていた頃、満月の晩になると屋根の上に登った。フラットの屋根には登ってないかないことになっていたけれど、そして屋根の上に登ると今にも転げ落ちてしまいそうな錯覚に陥り、それはそれは恐ろしくもあったけれど、しかし屋根の上から眺める月は美しく、やはりここに限ると思ったものだ。私と相棒の周囲には月を愛する人が多く居て、それだから満月の晩はうちに集まり夕食を共にすることが多かった。居間の出窓から眺める月も美しかった。小高い丘の上に月が見えるのが私の気に入りで、その丁度下あたりに暮らしてみたいものだと思ったものだ。夕食に何時間もかけて、そしてすっかり遅くなった晩の締めくくりに屋根に登るのだ。皆が一緒に登って屋根が抜けると困るから、多くて4人まで。初めに4人が登り、そして交代して別の4人が登ると言った具合だった。そんな晩は幸せで、心地よい眠りに落ちることが出来た。その一年前までの私は、満月の晩になると妙に興奮して、無駄な喧嘩や諍いをすることが多かった。相手は大抵相棒で、満月の晩を迎えるたびに大騒ぎだった。それが、満月を眺めて過ごすようになるとピタリと止まり、手のひらを返したように穏やかに過ごせるようになった。だから、と私は思う。月は眺めて楽しむものなのだ。月は自分を眺めて貰いたいのだろうと思う。その月は、今では私の大切な友人の仮の姿となったので、独りで過ごす晩には時々月に語り掛ける。今日もいい日だったね、とか。何かいいことあった? とか。
今は家が一軒買えるようなお金を払うと、月に行くことが出来るそうだ。何と言う浪漫。昔には考えられなかったようなことが可能になったことに驚く。しかし、私がこれほど月が好きでも、私が月に行くことはないだろう。それは別に月への往復切符が高くて手が出ないからではなくて、私は月に足をつけるよりも、遠くからその美しい姿を眺めたいからだ。月の美しい姿。遠くから眺めるこそ分かる美しさ、というものも世の中には存在するのだ。

明日は夕食に美味しいものを用意しよう。キッチンの大窓から見える満月を眺めながら、相棒と乾杯して。何に乾杯しよう。元気なことに乾杯。それとも仲良く生活できることに乾杯。




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彼のこと

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空が明るいと気分も明るい。こんな当たり前のことに改めて気づいて苦笑する。窓の前に枝を自由奔放に伸ばす大きな栃ノ木。つい最近まではただの枯れ木に見えたのに、いつの間にか丸い芽をつけ、そしてそれが充分に膨らんで、我慢できなくなったかのように開く姿に心を打たれる。人間の心と同じだ。むくむくと育つ小さな夢が、ある日、開くように。開かぬ夢もあるかもしれない。でもポジティブに考えたいものだ。いつかきっとと思いながら夢を追うのは全然つまらないことではない。この栃ノ木。この樹が私に今の家に暮らすことを決めさせた。この栃ノ木を眺めながら暮らしてみたいと思ったのだ。だから、私の樹と呼んでいる。ただ、この樹はうちの敷地ではなく、隣の建物の敷地の限りなくうちの窓に近い場所に存在するという訳で、いつか隣の建物の住人会議で、何かの理由で切り倒すことになっても、私は反論する権利は全くない。出来ることと言えば、そんな残念なことが起きないことを祈るだけだ。

3月ともなると私が暮らしていたアメリカの街は大そう過ごしやすくなって、朝晩は霧が出て冷え込むにしても昼間は簡単なジャケットを羽織れば半袖シャツ姿で過ごすことが出来た。ボローニャの、相棒の幼馴染の随分年下の男の子がうちに泊まって英語の学校に通うことになったのは今頃の季節だっただろう。私は彼の姉さんにボローニャで会って知っていたが、彼に会うのは初めてのことで、そんな人がうちに転がり込むのが少々苦痛でもあった。空港に迎えに行った相棒が車に乗せて帰ってくるのが窓から見えて憂鬱だった。今までも色んな人と同居したというのに、何故だか彼を家に住まわせるのが嫌だった。私と相棒が結婚して1年も経っていなかったからかもしれない。そうして家に入って来たのは巻き毛のがっしりした骨格の青年で、英語力はゼロに等しかった。私だってアメリカに来たばかりの頃は酷いものだったが、しかし相手の言っていることは大まか理解できて、ただ、自分の英語に自信がなくて話が出来ないという類のものだった。彼の場合は違う。何しろ今まで英語を話そうと思ったことがなかったというから、納得だった。そんな彼だがとても前向きで、進んで手伝いはするし、重い荷物は当然のように持ってくれるし、何しろ親切。だからあっという間に周囲に馴染み、彼の人気は上がる一方だった。特に通いだした英語の学校では、どんなふうにして意思の疎通をしているのか知らないけれど、先生も生徒も彼にメロメロで、帰り道などはぞろぞろ女の子がついて歩いて来ると言った様だった。一度、彼にぞっこんの先生に訊いてみたことがある。彼のどこがそんなに魅力的なのかと。すると彼女は私の目が節穴なのではないかと疑うように私の顔をまじまじと見て、彼は大変魅力的、彼自身から滲み出る男らしさがとても素敵、とのことで私は開いた口が塞がらなかった。一度は家まで女の子が3人ついてきた。彼が好きならそれでいいけれど、どうもそうでもないらしい。相棒を通じて訊いてみると、女の子を邪険にするものではない、との彼特有の哲学があるらしく、遂には家までついて来てしまったと言うことらしかった。ボローニャでもこんなに人気があるのかと訊いたことがある。その質問に彼は大笑いして、僕が人気のある男だって?と訊き返すともう一度お腹を抱えて笑った。どうやらイタリアの男は、アメリカに行くとモテるらしい、と言うのが彼が周囲から仕入れた情報だった。そんな彼と一度歩いたことがある。私が歩くために外出しようとしたら、彼がついてきたと言うべきだろうか。私が歩くのは限りなく長いから、辞めた方がいいと言うのにも耳を貸さずに。どうやら彼なりに私と交友を深めたいと考えていたらしい。恐らく私が彼の存在をあまり宜しく思っていないのに気づいたのかもしれなかった。若いと言っても彼は既に20歳を過ぎていたが、しかし其れなりに吸収力が高いらしく、あれほど何も話せなかった英語をそれなりに話すようになっていた。私達はアメリカの暮らし、イタリアの暮らしなどを取りとめもなく話しながら坂道を上り、下った。ある坂道を登り切ると街並みを眺められる場所に出て、彼はあっと言ったきり口を噤んだ。これが私の好きな街。この街に住みたい、それだけの為に私は家族のもとを離れて此処に来た。今でも良かったと思っている。そんなことを誰に言うでもなく言葉にすると、君は強いな、僕は家族の住む街から離れるなんて考えられないよ、と言った。それは私に言ったと言うよりは、彼の呟きだったかもしれない。あの日を境に私達は互いが少しは分かるようになったのだろう。だから彼がボローニャに帰った時は残念だった。彼にとってあの1年にも満たぬアメリカの生活は大切な体験だったらしい。それも相棒と私が居なければ実現しなかったこととのことで、私と相棒がボローニャに引っ越してきた時は持て余すほどの歓迎と親切を受けることになった。ボローニャに来たはいいが軌道に乗れず葛藤する私に、彼が言った。君は強いな、いつも新しい環境の中に飛び込んで行く。彼にはそんな風に見えるのかもしれない、私と言う人間が。ただ、私に言わせれば、私は強くないけれど、無防備で怖いもの知らずなだけだ。
彼はどうしているだろう。数年前に彼の姉さんが新しい恋の為にボローニャを離れてローマに暮らすようになってから、すっかり音沙汰がない。元気ならばいいけれど。元気ならばまた会えるだろう。

無性に甘い苺が食べたくなった。イタリア産はもう出回っているだろうか。大きさも形もばらばらだけど、イタリア産の苺は本当に美味しい。そんな苺にありつけるのだから、イタリアに来たのは満更無駄なことではなかった、と言うことだ。




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宝とか喜びとか

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春の匂いがする土曜日。快晴かと思えば時折曇り、それがますます春らしいと思う。私の覚えている春とはそんなものだ。花曇り。そんな言葉がぴったりくる。平日の昼間は誰も家に居ないから、週末は昼間に思い切り窓を開け放って空気の入れ替えをする。冬であっても、である。それがこんな春の日ならば、どうして窓を開けずにいられよう。猫と一緒にテラスに出ると、向こうの庭におじさんの姿。自分が年齢を重ねるにつれて、人の呼び方も随分変わった。20代の頃ならば60歳を過ぎた人を老人の部類に入れていたが、今は60歳など少しも老人ではない。少なくとも私の周囲の60歳は実に活動的で、とても老人扱いなどできたものではない。例えば向こうの庭に椅子を出して太陽を存分に浴びるのが大好きなおじさんは、もう80歳にもなるだろうが、しかし其の若々しさ、陽に焼けた肌に黄色い帽子などを合わせる辺りが、どうしても私におじいさんと呼ばせない。おじさんが丁度いい。みんな元気で結構。こんな春の陽に彼の姿を庭に見つけることがなかったら、逆に心配になってしまう。病気になったのではなかろうかと。夏だろうと冬だろうとボローニャを離れることのない彼の姿に、この界隈の人達はそんなことを感じているのではないだろうか。そんな彼をおじさんと呼ぶのは、自分自身が昔ほど若くなくなったことから生まれた、自分の変化による表現の変化なのだろう。

ところで頭痛が治ったの良いことに、フランス屋に立ち寄った。待望の、と言うよりは、つい近くまで来てツマラナイことに遭遇して、元気づけにフランス屋の店の中に飛び込んだと言った感じだ。店には先客はいず、店主と若い店員がこれから始まる晩の忙しさに向けて準備をしている最中だった。食前酒の時間に向けて。と言ってもこの店には決まった食前酒の時間など存在せず、どの時間帯も食前酒に丁度良い。私にとっては夕方の6時半がそれで、仕事帰りに旧市街へ行って用事を済ませた後が、丁度良い食前酒の瞬間。こんばんは。と言って店に入ると店主が怪訝な顔をした。二週間も顔を見せなかったことに不信を抱いているらしく、病気でもしていたのかと訊くので長らく酷い頭痛だったと白状した。今時の季節はそうした人が多いらしく、店主は目を静かに閉じて頷いた。マッジョーレ広場は酷い混雑だったと報告すると、店主は心得ているようだった。丁度大きな見本市が始まったので、今週末は大変な混み具合が予想されているらしい。それにしても美容関係の見本市なので、街に集まった人々の姿の美しいこと。自分らしい美しさを表現する術を知っているとでも言ったらよいだろうか。そんな道行く人達に声を掛けて、色んな話を聞かせて貰いたいものだと思いながら横を通り過ぎた、と店主に話しているうちに、ひとりの感じの良い男性が店に飛び込んできた。その客を見るなり店主は目を丸くして気軽に挨拶を投げた。客は髪を短く刈って、顎髭を美しく整えて、シンプルなトレンチコートにシンプルな上下、だけど何となく上手に纏まっていて、あら素敵、と思わず言葉か零れてしまうような感じの装いだった。店に先客が居ることに気付くと彼は私に丁重な挨拶をして、そして店主に、新しく生まれ変わった店がなかなかいい感じだ、近いうちに時間を作ってくるよと言って慌ただしく出ていった。店主の顔を見るととても嬉しそうだった。訊きもしないのに、高校時代からの友達なんだと自慢げに教えてくれた。そう言えば数週間前は、彼の小学校時代からの友達3人が店に居て、なんだかんだと大騒ぎだった。居合わせた私に、そのうちのひとりがフランスの飛び切り臭くて美味しいチーズを振舞ってくれて、楽しい時間を過ごしたものだが、店主はこうした昔からの友人関係を失わずに居る努力をしているだけでなく、どうやら人間関係の達人でもあるらしい。そう言う私は子供の頃に引っ越しをしたことで小さい頃の友人との付き合いは無く、引っ越した先での友人も、ほんの一握りしか残っていない。アメリカに居た頃の友人が多く残っているけれど、店主のように気軽に会える距離の仲では無くなってしまった。羨ましいわねえ、と言う私に彼は自慢げに頷いた。友人関係は彼の宝のひとつなのだろう。彼の家の地下倉庫に眠っていると言う1000本を超える素晴らしいワインのコレクションと同じくらいの宝なのだろう。それにしてもこの店に来ると、毎回素晴らしいワインに遭遇する。一杯の喜び。そう言うと店主は笑うけれど、でも、本当。この美味しい一杯の喜びは大きい。

気が付けば3月中旬。向こうの丘では花が大そう咲いているらしく、丘肌が白く輝いている。こんなに暖かい3月は久しぶりで、少々戸惑っているのは私ばかりでなく、自然もまた驚いているに違いない。雪という雪が降らなかった冬。この夏、酷い暑さにならねば良いけれど。




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