自分らしくいこう

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空が明るい。今が一番日が長い時期だからなのだろう。と、カレンダーを見ると6月18日。そうか。今日が6月18日なのだと確認して一瞬の焦りを感じた。別に急いでいることなどひとつもないのに。

いつの頃からか、なるようになる、何事もそうなるべき形になるようになっているのだ、と思うようになった。若かった頃みたいに、何かにがむしゃらになったり、人より先に行こうと思ったり、人より秀でた立場になろうと思ったりすることが無くなった。別に人生を捨てたわけでもないし、諦めたわけでもない。ただ、肩の力を抜いて、自分は自分、自分らしく生きるのがいい、と気が付いただけだ。かと言って一生懸命な人のことをとやかく言うつもりもない。一生懸命な人は、それはそれで美しく、他人ながら、頑張れ、頑張れと応援したくなる。つまり自分はそうでなくてもいい、と思うようになっただけだ。今まで肩を張って、肩で風を切りながら長い道を歩いてきた、走ってきた、それをもうやめようと思っただけに過ぎない。
ボローニャに暮らし始めて辛い時期があった。随分長い間。一冊の本を送ってくれたのは日本に暮らす女友達だ。頑張っているのはあなただけじゃない、皆色んな形で戦いながら、自分が暮らすに良い状況を作ろうと努力をしている。ありきたりの言葉で応援したり窘めることなく、彼女は活字を通じで教えてくれた。それがどれほど私にとって有難いことだったか、彼女は知っているだろうか。私は彼女に伝えただろうか。
また、私が辛かった、いや、葛藤していた時期に、ミラノに暮らす女友達がこんなことを言った。川の流れに一度乗ってみたらいい。案外、悪くないかもしれない。そう言われて私は、彼女は他人事だからそんなことが言えるのだ、他人事だから、と密かに憤慨していたのだけれど、随分と月日が経ったある日、ふと彼女の言葉を思いだしてもがくのを辞めて川の流れに乗ってみたら、予想外の結果が出た。彼女が言っていたとおりだった。もっと早くそうしておけばよかったと思いながらも、彼女が言ってくれなかったらばずっともがき続けていたのだろうと思うと、決して遅くはない、遅すぎることなんてないのだ、と思った。
私はいつも人に感謝するばかりだ。人から何かをして貰うばかり。私も人に何かしてあげることはないのだろうかと海のずっと向こう側に暮らす女友達に手紙を書くと、特別なことなどする必要はない、そのままのあなたが自分の友達でいてくれるだけで十分有難いと手紙を返してくれた。私は彼女の言葉を決して忘れない。私の存在を有難いと言って貰ったのは生まれて初めてのことで、そのままの私でいいと言って貰ったのも生まれて初めてだった。
私にはこれと言った物質的財産はない。でも、良い友達がいる。決して多くはないけれど、輝くダイヤモンドやエメラルドよりも価値があって私にとっては大切な。それに気が付いた頃から、自分は自分、自分らしくいこう、と思うようになった。遠回りしたけれど、ようやく自分らしく生活できるようになったことを私は心から嬉しく思う。

今夜は少し暑さが控えめ。気持ちよく眠りに落ちることができそうな気配。




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髪を切る

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週末なのに早起きするのがこの夏の決まり。暑さにめっきり弱くなって、暑い時間帯は何も手につかぬようになったのを機に、自ら決めたこの夏のルールだ。早起きをして朝のうちに色んなことをしてしまおう、というのではない。気温が上がって気持ちがくじける前にさっさと外に出掛けよう、という訳だ。週末は朝寝坊を楽しむのが好きだった私が、急に早起きしだしたのを相棒は相当驚いている。そのうえ、いそいそと出掛けていく。暑くなる前に、と幾度説明してみても、相棒の疑惑がすっきり片付くまでにはもう少し時間が掛るようだ。

今日は髪を切りに行った。人は皆、まだ切る必要はないと言うけれど、私は短い髪が好きなのだ。それに6週間も経てば、髪型というものは多少なりとも崩れるし、痛みもするそういうのをひっくるめて、専門家に頼もうという訳なのである。今年の春先に今まで通っていた美容院に行くのを辞めて、新しいところに通うようになったのを私はとても喜んでいる。とても感じが良いし、無駄口が少ない。他人の噂話が耳の中に飛び込んでくることがないことだけでも、この店で髪の手入れをしてもらう価値があるというものだ。
思えば私の髪切り好きは私の子供時代に始まったことなのだと思う。5歳くらいまでは母親が庭で髪を切ってくれた。ちょきん。ちょきん。と、そんな具合に。だからいつだって代わり映えのないおかっぱ頭で、他の髪形にしたいと希望したら、次から店に行くようになった。それは小さな床屋だった。あの時代は女の子も床屋に通う時代だったのだろうか、と思い返しても、床屋に通っていた女の子など姉と私しか思い当たらない。床屋の入り口にはよく吠える犬が繋がれていて、まるで店に入るなと言わんばかりの吠えようだった。犬はそんなであったが床屋の店主は感じが良くて、機嫌よく髪を切った。ちょきん。ちょきん。と結局は母と同じくおかっぱ頭が出来上がってがっかりだったが、しかし店に行って髪の手入れをしているという事実が、早くも芽生え始めていた女の子としての自覚を喜ばせていた。両親は倹約家だったから、服が欲しいとか、本以外の何かを欲しがっても決して財布のひもを緩めることはなかったけれど、髪を切りに行くことには寛容で、そんなこともあってひと月に一度髪を切りに行くのが習慣になった。あれが始まりだ、私に髪切り好きは。靴も鞄もめったに新調しないけれど、髪を切ることには財布のひもを緩めるのは、あの頃の両親と同じだ、と思いだして笑ってしまった。この子はいったい誰に似たのだろうね。変わった考えの持ち主の私をいつも父と母が言っていたけれど、なんだ、私はやっぱり父と母に似ているのだ。髪を切ることも、銀座が好きなことも、千疋屋フルーツパーラーが好きなことにしても。あれもこれも私の両親が私にさりげなく教えてくれたことなのだ。
ところで今回も大変短く切った。髪を切ってくれるアランという名の人は、私から好きなように切ってくれればいいと頼まれるのを、心から喜んでいるかのように張り切って楽しそうに髪を切ってくれた。その彼の様子を眺めるのは、私にとっても楽しいことだった。帰り際に6週間先の予約をした。そんな先の予約をする人なんていないだろうと思っていたら、どの日にも予約が書き込まれていて、私と同じようにこの店を大そう気に入っている人が沢山いることが分かった。まさかボローニャで、こんなに気に入りの店が見つかるとは夢にも思っていなかった。

午後になって風が吹き始めた。涼しい風だと喜ぶと、ポーランドからの風だと相棒がった。先ほどテレビのニュースか何かで言っていたらしい。ポーランドからの涼しい風だ、と。しかしまた随分と遠くから吹いてくるものだと笑う私に、アフリカからの風が存在するのだからポーランドからの風が存在しても可笑しくはないと、相棒は言った。成程、そうかもしれない。こんな話をする時、ここが本当に欧羅巴であることを、私は深く感じるのだ。




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暑すぎやしないか

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暑い、暑い日が続く。6月からこんなに暑くては先が思いやられる、というのが私の周囲の人々の意見で、殆ど毎日の挨拶の一部になりつつある。暑いばかりではない。湿度の高さも特筆しておこう。梅雨時に似ている、と感じているのは私だけではないに違いない。そもそもボローニャは内陸に位置するために、夏場の暑さと湿度の高さは有名なのだ。こんなに住みやすくて素敵な街なのに、気候だけはイタリアで一番恵まれていない、というのがこれもまた私の周囲の人々の声である。

季節を問わずジェラートが大好きだけど、このところの暑さでジェラートを欲することもない。あまり食欲がないのだ。とは言っても食べねば体力が低下して夏バテしてしまう。毎日食べても飽きることのない大好きなパスタも、茹でるという行為がつらい。熱気にやられてしまうからだ。全く困った話である。そこで活躍しているのが、無花果とメロン。どちらも薄く薄く切って貰った生ハムを添えて頂けば、低下していた食欲も復活。誰がこの食べ方を考えだしたのか知らないけれど、夏の食卓の傑作だと思う。そして微発泡の水。のど越しが涼しいし、気分も盛り上がるし。

それにしたって長い一週間だった。金曜日の晩になった喜びは大きい。これで夜風でも吹けば完璧なのに。




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ジョーのこと

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穏やかな日曜日。今日は家から一歩も出ないと決めた。外の気温はもうすぐ30度にもなり、空は果てしなく晴れ渡っている。

先々週のことだ。ジョーと妻が引っ越しをするので相棒が手伝いに駆り出された。彼らは私達が今の家に腰を据える前に、仮住まいと言いながら丸々1年間居座ったアパートメントの建物に住んでいたカップルだ。まだ結婚はしていなかったが同居歴は長く、いつ結婚の話が持ち上がっても全然不思議ではなかった、そんな人たち。相棒と彼らの付き合いは案外長く、今から数えて12年前だろうか。ジョーがその建物の一階に広いアパートメントを購入して以来のことだ。当時ボローニャは不動産ブームで、沢山の人が家を購入するために家を探していた。そういう訳で家の値段は上がる一方で、現在の2倍の値でも飛ぶように売れていた時代である。ジョーのアパートメントは近所でも話題になるほどの値段が付けられていたが、一目でアパートメントを気に入って購入したジョーがこれまたとても若い青年だったために、近所の人たちの驚きは大きくなるばかりだった。高値が付けられていたが、別に新築でもなければ高級アパートメントでもない。ただ、建物をぐるりと囲むわずかな土地には木が植えられていて、花が咲き、鳥が囀り、確かに良い環境だった。ボローニャ旧市街にバスで一本で行ける、しかも15分足らずで。というのも条件としては良かった。そんな話を何故私が知っているかと言えば、私と相棒もまた、家探しをしていたからだ。相棒が、いい家があるんだ。でも高い。あんな高い家、誰が買うんだろう。と言った矢先にすぐに売れた。そういう訳で、一部始終を相棒から報告してもらったのである。さて、それからずいぶん経って私達が仮住まいと称して入居すると、ジョーと彼女はとても良い人たちと分かった。若いが堅実で、それに親切。もともと相棒は彼らのことに好意を感じていたらしいが、私もまた、彼らに好意を持つようになった。特に彼女。彼女は何か綿菓子のような雰囲気の人だった。仕事はしているのかしていないのか、未だにわからない。午前中はいつも家に居るのだというようなことを聞いたことはあるけれど。近所に家族が住んでいるが、ジョーと一緒の生活を好んでいるようだった。私達が今の家に引っ越して少し経った頃、帰りのバスでジョーと一緒になった。結婚するんだ、と嬉しそうに言ったジョー。ああ、ついに決めたのね、と喜ぶ私に、そうなんだ、そうなんだ、と彼は手放しに喜んだので、彼がずっとこの日を待っていたことを私は初めて知った。教会で結婚式を挙げて彼らはアメリカへと6週間の新婚旅行に出た。それほど長く仕事を休めること、それほど長い旅ができるほどの資金力。どちらも驚きだった。さて、今回の引っ越しには理由があった。彼らに子供が生まれるからだ。今の家だって狭くはない。でも新しい家族に相応しいアパートメントがあるんだ、と言うことだった。聞けば彼女の父親は、この辺りの不動産もちでは有名らしい。成程、背後に大物の存在あり。新婚旅行にしても、これらの話は全て近所の人たちの話題になったけれど、一度だって彼らのことを羨んだり妬んだり悪く言っていることを耳にしたことがない。それは彼らが良い人たちだからだ。常識のある人たちだからだ。道で会えば挨拶をするし、重い荷物を持って歩いている人が居れば手を貸すし。ほんの小さなことだけれど、こうした小さいことが本当は大切なのかもしれない、と思う。人というのはよく見ているものなのだ。本当にいい人と、いい人そうに振舞っている人の違いを。ところで相棒が引っ越しを手伝って帰ってくると、妙に興奮していた。すごい家なんだ、今度のところは。6人家族になったって困ることはないだろうとのことだった。子供が大好きなジョー。沢山子供が欲しいと言っていたから、6人家族になることもあるかもしれないねと言ったら、相棒はうんうんと頷きながら嬉しそうに笑っていた。

メロンの季節になった。一昨日、八百屋で購入したメロンがとんでもなく美味しい。シニョーラ、絶対間違えないから、と自信をもって選んでくれたメロン。今度行ったら、本当に美味しかったと報告することにしよう。




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胡桃のこと

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ここ数日の過ごしやすいことと言ったら! 開け放った窓から風が流れ込んでくる遅い夕方の冷たい風が剥き出しにした膝っ小僧をするりと撫でるときりきり痛む。朝方には15度にも下がるから、朝、窓を開けるならば冷たい空気で一気に目が覚めるというものだ。それもここ数日のことだけらしく、来週には気温がぐんと上がるらしい。夏到来! と何かの見出しに書かれていたけれど、まさにそんな感じかも知れない。夏は毎年暑いけれど、私が覚えている暑い夏は、ボローニャに引っ越してきた1995年と、それから1998年。他にも暑い夏は沢山あったはずなのに、このふたつの夏が忘れられないのは何故だろう。

先日、八百屋で胡桃を買って家に帰った。黒い針金で上手に編み上げられた籠に胡桃を入れたら、とても涼しげだった。相棒に見せたら喜んだが、胡桃の出所が店で、店で胡桃を買ってきたと知ってひどく驚いた。胡桃を買ったのかい? と、そんな感じに。他にどうやって胡桃を手に入れると言うのだ、と言いかけて、私はふと口をつぐんだ。そうだ、私達はボローニャに来てから、胡桃はいつも友人の家から分けて貰っていたのだ。
私達には、大きな胡桃の木のある家に暮らす家族のところに足繁く通っていた時代があった。山に暮らす友人が、彼女との関係を終えて住むところに困っていた時、どういう繋がりか、離れを貸してもいいと言ってくれたのがボローニャ郊外で大きな胡桃の木のある家に暮らす家族だった。大学の教授と小学校の教員の夫婦の家だった。私達がこの家に足を運ぶようになったのは、友人が年末に遠くに暮らす自分の家族のところに帰るから、動物の世話をしてもらえないかと頼まれたのがきっかけだった。友人が借りていたのは山に囲まれた、広い敷地に建てられた古い建物だった。彼の犬にご飯をやって、水をとりかえて、さあ、帰ろうと言うところで声を掛けられた。あなた達、だあれ? そんな感じだったと思う。声を掛けてきたのはこの家族の長女のマリアだった。見知らぬ人が出入りしている、しかもひとりは東洋人、不審に思ったに違いなかった。相棒は友人に頼まれて犬の世話に来たことを告げると、ああ、あなた達のことは聞いている、とやっと彼女を取り囲む空気が柔らんだ。そうしているうちに次から次へと大きな石造りの建物から家族が出てきて、あっという間に私達は囲まれた。私はイタリアに住み始めて2年経っていたと思うが、こんな風に大勢のイタリア人に囲まれると思うように話ができず、黙りっきりだったのを覚えている。そんな私に良くしてくれたのがこの家族の家長のパオロと、妻のパオラだった。この日から私達は週末になると決まってこの家に来るようになった。私達が其処を好んだからと言うこともあるが、今週は家に居ようかと思っていると向こうの方から声を掛けられた。そうして誘われるがままに遊びに行き、夏には広い庭で開放的な昼食を、冬には母屋で暖炉を焚いて実に山らしい、ヨーロッパ的な夕食会に参加した。その中でも一番好きだったのは夏場の夕方の食前酒だった。胡桃の木の下に置かれた小さなテーブルを取り囲んで好き勝手に椅子に腰を下ろし、庭で収穫した、ぷっくりと膨らんだ柔らかくて甘い無花果と、自家製の生ハム、それからやはり自家製のワインを頂いた。全く贅沢で豊かな時間。何を話したのかは覚えていないけれど、集まった人々のあの明るい、のんびりした表情は忘れていない。素晴らしい時間を過ごさせてもらったと今でも思っている。さあて、と腰を上げて帰ろうとすれば、君たち、夕食会に参加しないなんてことは無いだろうね、と引き止められ、そんな風にして私達は週末の一日を彼らと過ごしたのだ。ところで胡桃の木だけれど、私は胡桃がどんなふうに収穫されるのか、この家に行くようになって初めて知った。木の下に転がる黒くて何だか汚いもの。ごろごろと幾つも転がっていて、何なの、これ、と訊ねる私を、まるで珍しい動物を見るような眼でみんなが見たものだ。君は胡桃を知らないのかい? ほら、この中には胡桃が入っているのさ。周りの黒いのを綺麗に取り除いて、ほら、食べてごらんと道具を使って割ってくれた胡桃は、味がぎゅっと濃くて美味しかった。美味しい! と喜ぶ私に、やれやれ、これだから外国人は困る、美味しいに決まっているじゃないか、こんなに空気の良い山の胡桃なのだから、と言って、わらわらと地面から実を拾い集めると大きな紙袋に入れて土産にと持たせてくれた。あの日から、毎年胡桃の収穫時期になると、胡桃を分けて貰うようになった。だから買ったことがない。そしてこの家族に不幸があって、私達仲間が集まることがなくなると、相棒と私は胡桃を食べなくなってしまった。
店で買った胡桃は案外美味しかった。でも、山の胡桃には及ばないと私たちは口々に言い、あの頃に戻れるならば戻りたいと思った。誰もが元気で、誰もが幸せだった頃。幾つかの山と広大な土地、そして石造りの建物。大変な財産。あの山の家は何時か売られてしまうだろう。6人もいる息子娘たちはボローニャから遠く離れた山の家を継ぐのをあまり好んでいないようだったから。それよりも売ってしまう方がいい。そうしたらあの胡桃の木も無花果の木も、誰か知らない人の手に渡ってしまうのだ。残念だけれど、仕方がないのかもしれない。

遠くで何かの祝い事があるのだろう、打ち上げ花火の音がする。もう30分も続いていて、いったいどんな素敵な祝い事があるのだろうと想像ばかりが膨らむ。花火の音と美しい満月。素敵な金曜日の晩。




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