友人

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目を覚ますと雨が降っていた。日曜日だと言うのに。それにしても頭痛がして、頭の焦点がなかなか合わず、目覚めが悪かった。良くあることだ。特に季節の変わり目。冬とはいえ、春へと向かうこの時期はによくあることだった。それにしても降り続く雨に、溜息が出た。そうして今日はヴェネツィア散策だと言っていた友人のことを思うと、心が痛んだ。

昨日友人と再会した。私達が古い長い糸を手繰って分かったのは、再会が25年ぶりであることだった。25年前に東京で会ったのが最後。そして私達が知り合ったのは、もう少し前の26年前のことだった。何処でどうやって私達が繋がったのか、私は思いだすことが出来なかったが、彼女はちゃんと覚えていた。彼女は授業代が高くて有名な語学学校に通っていて、私はその学校が無料で開いた午後のクラスに通い始めていた。無料なので毎日はなく、全く先に進まぬ授業だったが、私には十分だった。無料で学べるだけで有難かったからだ。それでそのクラスに大学生の男の子がいた。名前はタカオ。彼は午前中のクラスの生徒で、午後の無料クラスにも参加していた学生だった。彼の素性は知らない。大学生の日本人、ということくらいしか。だいたいタカオという名前だって、どんな風に書くのか知らない。同じ日本人だということと、年上で頼りになりそうだということで私に懐いたと言うと丁度良かった。その彼が友人と出会うきっかけを作ってくれた。同じ年齢で同じ日本人女性だから、と単純な理由だった。でも、きっかけなんてものは大抵そんなものなのかもしれない、と今は思う。兎に角、タカオを通じて私と友人は知り合い、短い期間だったが様々な相通じるものを見つけ、幾度も会い、そして彼女がアメリカを去ると手紙を交わすようになった。彼女はのんびり屋さんのようで情熱的、そして意表を突くような行動力があった。そうしたものが私には眩しかった。それも時間という壁、大きな海が私達の間に横たわって、いつの日か交流が途絶えてまった。ところが数年前、交流が復活した。今は様々な方法で人と知り合ったり、古い友人を探し出したりすることが出来るのだ。案の定、探してみたらすぐに彼女が見つかって、再び言葉を交わすようになった。その彼女がボローニャに来ると言うので嬉しさのなかに一抹の不安があった。25年という歳月だ。彼女も私も変化しているに違いなく、昔のように話が出来るとは限らない。互いが歩んできた異なる人生が育んだものが私達の間に大きな違和感としてのさばることも大いにあるだろう、と。海神の噴水の前で待っていたら、向こうから温かいコートに身を包んだ、25年前と同じ彼女が やって来た。何も変わらない。温かい表情も、自己主張し過ぎない話方も。私達は歩きながら次から次へと話を替えながらしゃべり続けた。25年の空洞を埋めるかのように。それでいてまるで昨日も会っていたような空気があり、肩がこらず、話は淡々と進み、互いが少しも変わっていない証拠のように思えた。旧市街の道を歩き、途中で食事をして、途中でカッフェをして、あちらに立ち止まり、こちらに立ち止まり、ミラノ行きの列車に彼女を乗せて別れた。またね。また近いうちに。もしかしたらまた長い年月が経つのかもしれないけれど、それでもいいと思った。彼女とは離れていても色んなことが分かり合えると分かったからだ。同い年同士。互いを尊重して、否定することはない。人間はみな違って当たり前。そうした気持ちが心の底にあるから、たとえ自分ならそうはしないと思っても、成程ね、そういうこともあるのだな、と肯定しあえる仲。だから肩が凝らない。それから自分をよく見せる必要もない仲。こうした関係を保てる人を私達は友人と呼んでいる。沢山歩いた分だけ、沢山話をした。昨年の秋にボローニャに来る計画があることを知らされて以来、ずっと楽しみにしていた一日。もう終わってしまったなあ。

足が棒のようだ。確実に歩き過ぎである。彼女もまた同じようなことを思っているに違いない。ボローニャのように歩いて散策できる街は、多々して歩き過ぎになりようだ。それにしたって彼女の行動力。並みならぬエネルギーに私は興奮している。私もそうでありたい。不可能なんてことはない。やってみなければ、何も始まらない。彼女の淡々とした控えめな言葉の中に、そんなことが秘められていた。確かにメッセージを受け取ったよと、窓の外に降り続く冬の雨を眺めながらひとり呟いた。




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美味しいチョコレートをひとかけら

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やっと金曜日の晩を迎えて、ほっと一息。いつの間にか日没時間が遅くなって、仕事を終えて外に出たら空がまだ明るかった。冬の寒さは少しも弱ることがないけれど、冬のコートに身を包まずにはいられないけれど、革の手袋も帽子も欠かせないけれど、しかし確実に冬と春の接点に近づいているのだと思うと、ふふふと笑みが零れてしまう。今はまだ、花屋の店先でしか花を見ることはないけれど、そのうちこの辺りの街路樹にも花が咲き、行きかう人々の目を楽しませ、心を穏やかにしてくれるのだろう。春。春とは何と美しい響きなのだろう。温かい響き。心を躍らせるような響きがある。しかし冬があるから春が嬉しいのだと思えば、冬もまた必要な存在、有難い存在と言えよう。ただ願うのはボローニャに雪が降ることなく、穏やかに冬を締めくくって貰いたいということだ。

昨日、仕事帰りに旧市街に立ち寄った。理由らしい理由はない。しかし、家と職場の往復に嫌気がさしたというのが、もしかしたら理由に当たるのかもしれなかった。バスが旧市街に入ったところで下車し、ポルティコの下を歩いていたら急にチョコレートが欲しくなって店に入った。此処はジェラート屋さん。けれども店内に小さなテーブル席が幾つか設けられていて、そこでジェラートだけに限らず、カッフェや小さな菓子を楽しめるようになっている。この辺りでは有名な店だ、と思う。夏場はジェラートを求める客でウナギの寝床のような店の中は一杯になる。わりと高めの店でありながら、これほど人が入ってくるのはやはり上質だからなのだろう。そして手作りであることも理由かもしれない。私の目当ての半分はジェラート、しかし残りの半分はこの店の奥で作っているチョコレートなのだ。店は適度に混んでいた。小さなテーブルの上から板状チョコレートを二種類取り上げて店主に代金を払った。と、店主が言った。前に買い上げたチョコレートはどうだったか、好みだっただろうか、と。そういえば前に購入した。しかし前と言ってもちょっと前ではなく、10月だった。確かにあの日、私は板状チョコレートを購入して、店主に言われたのだった。このチョコレートの感想を次回教えてほしいと。それは決して新商品ではなかったが、私が求めていたものがなかったので、店主のお薦めチョコレートを購入したのだ。それにしたって店主の記憶力の良さには驚いた。もう4か月も前に来た客の顔を覚えているなんて。夏場は頻繁に顔を出すが、かと言って常連客でもない私のことを。それで、美味しかったが私はやはり此れが好きだ、口の中での溶け具合とか、苦みと甘さのバランスとかが、と言って今購入したばかりの板状チョコレートを見せた。うん、うん、これはやはり一番だなあ、と店主は満足そうに頷きながら言った。購入したものは、その晩、相棒と堪能した。これはなかなか良い、え? 何処のだって? と目を丸くして驚く相棒。ボローニャ生まれのボローニャ育ち。しかし車人間の彼は、車で侵入できない近年のボローニャ旧市街のことはあまり知らない。いつの間にか、外国人の私の方がボローニャ旧市街の通になってしまったことをちょっと複雑に思った。

さあ、今夜は早めにベッドに入ろう。明日は友人と旧市街を思い存分散策するから。同じ年齢の友人だが、どうも大変健脚らしい。そんな友人との散策中に、疲れたよう、もう歩けないよう、などと弱音を吐かなくていいように。充分睡眠を取っておかねば、と。




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道具と手入れ

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昨日の雨には参った。朝から晩まで降り続けて、雨空と人間の根競べのような一日だった。だから今日もそんな一日だったらどうしようかと心配していたけれど、昼前に空が明るくなり、雨雲はどうやらボローニャ上空から立ち去ったようだ。ああ、気持ちがいい。と大きな伸びをして、深呼吸する。空が明るいとこんなにも気分がいいことを、空が明るいことの喜びを、雨降りの後にいつも思う。もしかしたらば神様が、地上の人間たちに感謝の気持ちを忘れぬようにと雨を降らせるのかもしれない。

先日散策をしていて、ふと足を止めたのは、ガラス張りの窓の向こうに並べられた道具のせいだ。よく手入れされた道具。どんなふうに使われるのかは分からない。店はヴァイオリンなのかヴィオラなのか、兎に角弦楽器職人が営む店だ。昼休みらしく、店の中には人影がなかった。以前通り掛かった時は、奥で職人が作業をしていて、それをガラス越しに眺めた。私はこうした職人の作業する様子が大好きだ。これは子供の頃から少しも変わらない。
子供の頃、10歳にも満たぬ頃の話だ。ちょっと空き地に行くと職人の姿を見かけた。よく見かけたのは畳職人。危ないから離れていなよ、みたいなことを言われて、私は少し離れたところに立って何時までもその作業姿を眺めた。子供ながらに手際の良さや道具扱いのうまさなどに感心したものだ。どこに行っていたのかと訊く母に畳屋さんの仕事を見ていたと言っては喜んでいたことも覚えている。それにいい匂いだった。新しい畳の匂い。そんな子供時代を過ごすことが出来たのは、案外幸運だったと思う。
それから田舎に引っ越すと空き地ばかりだった。畳屋さんの姿を見ることはなかったけれど、その代わりに大工さんを見かけることが多くなった。空き地と思っていたその場所は、売られた土地だったらしい。そこに一軒家が建つらしく、基礎工事が済むと大工さんが毎日仕事に通った。しゅー、しゅーとカンナを掛ける音と、その動作が好きだった。そこでも私は危ないから離れているように言われたのだが、少し離れたところに佇んで、飽きるまでずっと眺めた。私達家族の家もこんな風にして建てられたのかと思いながら。一番好きだったのは、作業を終えた後に使った道具を綺麗にしてきちんとしまう瞬間だった。大切なものはこうして手入れをして長く使うんだよ、と教えてくれたのはもう老人と言ってもおかしくないほどの大工さんだった。大切なものは手入れをして長く使う。今の私が身の回りの好きなもの、大切なものを手入れして長く使うことのは、あの大工さんが教えてくれたからなのだと思う。いいことを教えてくれたと感謝している。

今週の土曜日に友人がボローニャにやって来る。アメリカに居た頃の友人で、最後に会ったのは多分25年ほど前のことだ。その後も手紙を交わしたりしたが、途中で途切れてしまった。それが数年前に復活して、ボローニャに一日だけ来てくれることになった。私達はどれほど変化を遂げているだろうか、などという一種の心配はよそに、とても嬉しく楽しみだ。一緒に真冬のボローニャを散策して、美味しいボローニャ料理でも頂いて、ちょっとワインで乾杯などして、ああ、また会えてよかったね、なんて思える一日になればいいと思う。そのためには、土曜日は是非とも晴れて貰いたいものだ。空よ。お願いだから。




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大切なこと

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良く晴れた日曜日。朝からシーツを剥がして洗濯物に追われている。タオル類は乾燥機で乾かすのがいいが、シーツは外気に触れらせるのが好きだ。それを私は小さな拘りと呼んでいる。もうひとつ拘っていることを言えば、タオルと下着以外の洗濯物に満遍なくアイロンがけをすること。誰かに頼んでしまえばいいと考えた時期もあったけれど、やはり自分が納得するようにアイロンをかけたい。馬鹿馬鹿しい拘り。しかし拘りとは大抵、誰にとってもそんなものだ。その合間に姑のところへ行った。久しぶりの日曜日の昼食会。暫く会っていなかったのは、週末になると決まって体調を崩したからだ。そんな時は笑顔を見せることもできないからと、私は家に閉じ籠ってしまう。久しぶりに訪問したら、姑は大そう喜んでくれた。無邪気に。子供のように。こんなに喜んでくれるのかと、心を打たれた次第である。なるべく日曜日の昼食会には参加しようと少し反省した。

数日前のこと。街の中心の百貨店とは到底言い難いが、その種の店に用があって行った。只今店では家庭用品の多くが大幅割引中で、ピローケースを購入するべく私は上階で物色していた。何しろ随分前から割引が始まっていたので、数も種類も豊富とは言えなかったが、その中から無難な色合いの無地のピローケースを見つけ出した。シーツ類の高級ブランドのもので、良い素材で良い縫製だった。こういうものがいい。幾度洗濯してもに目が縮んだりせず、古びることがないから。それを二組購入して、階下でテーブルクロスを見て回った。気に入っていたテーブルクロスは残念ながら割引の対象から外れていて、残念ねえ、などと思っていたら、すぐそこから声がした。チャオ。元気かしら? と、まるで友人に声を掛けるかのように。私は顔を上げて声の主を探したら、エスカレーターに乗って上に移動中の女性が私に手を振っていた。モデルのように背が高くて細身でスタイルの良い、笑顔の素敵な女性だった。帽子を被っているのですぐに分からなかったが、あっ、と思いだした。地上階のコスメの店の人だった。2年ほど前の今頃、彼女に薦められたシャンプーを購入したらとても良くて、それ以来幾度か声を交わしたことがあった。それから今通っている美容院もそういえば彼女の後押しがあってのことだった。もともと気になっていた店だったけれど、彼女の一言がなかったら、私は足を踏み込むことは遂になかったに違いない。大きな笑顔で手を振る彼女に私も笑顔で手を振った。またね、近いうちに。それにしても、よくもまあ、私の顔を覚えていたものだ。常連の上客でもない私の顔を覚えて挨拶してくれるなんて、と驚きながら、挨拶とは何て気持ちの良いものなのだろうと思った。たった一言の挨拶でこんなに相手の気持ちをよくさせる。それも明るい声での明るい挨拶。彼女の一言で恐らくはずっと忘れていた挨拶の大切さに気付いた。当たり前のこと過ぎて忘れていた大切さだった。こんな風にして、私は周囲の人達から、何時も大切なことを教えて貰っていて、ありがとうを幾つ言っても言い足らないのだ。

今夜はシンプルな夕食。グラスに半分赤ワインを注いで。こんなシンプルな食事だって、ワインがあるとこんなに華やいで楽しい。昔お酒を一口も飲めなかったことが、嘘のように思えるこの頃だ。




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ついてる土曜日

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長い長い一週間だった。職場でも家でも追いかけられるような毎日で、金曜日の朝は起きるのが辛かった。だから金曜日が無事に終わってほっとしている。忙しすぎるのは自分らしくない。だから週末はのんびり楽しく過ごそうと思った。それでいて、折角の土曜日に早く起きたのは髪を切りに行きたかったからだ。来週の土曜日は遠方から友人がやって来るから、今日を逃してはいけないと思って。

家を出てから私は案外ついていた。乗り込んだバスの中で感じの良い老女と居合わせたこと。それから髪を切るために鏡の前に座ったら店の人が淹れたてのカッフェをご馳走してくれたこと。髪を切っている間に、近所に住んでいる小さな可愛い男の子が店に入ってきて、店の中に居た誰もが明るい笑顔になったこと。店を後にして少し散歩したこと。七つの教会群の前の広場に骨董品市が建っていたこと。家を出る頃にあった頭痛は酷くなることなく、いつの間にか治ったこと。小さな良いことを摘まみあげたら切りがないほどだ。他の人には大したことの無いことも私にはすべて有難く、そういうことを見つけては心の中で小さく、ありがとう、と呟くのだ。
ところで散策中、数軒の店の前で立ち止まった。まだ冬のサルディは続いているが早くも春先のものが飾られ始めたからだった。春物はいい。明るい色をみていると、わくわくする。若草色。レモン色。冬物とは確実に違う色合いは誰にとっても魅力的らしく、大きなガラス張りの店の前で私が足を止めたら、次から次へと女性が足を止めて美しい色の衣類に見惚れた。春物に手を出すにはちょっと早過ぎる。だから見るだけ。これはこの時期の楽しみのひとつと言ってもいいだろう。昨年古くなったトレンチコートをリサイクルに出した私は、一着新調しようと企んでいてトレンチ探しに余念がない。トレンチほど便利なものは無いというのが私の意見で、同意見の人は沢山居るに違いない。それから美しい色のスカーフ。身に着けていてわくわくするような色合いのものがいい。じっくり時間を掛けて自分らしい特別の一枚を探そうと思う。

家に帰って暫くしたら、友人から吉報が届いた。赤ん坊誕生。小さくて元気な赤ん坊。新しい命。自分の赤ん坊でもないのに、嬉しくて、涙がふた粒零れた。




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