忘れたくないこと

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気持ちの良い気候の週末だった。11月下旬にしては温暖で、奇妙に感じるほどだったけれど、この時期にして暖房を入れないで過ごせるなんて、ちょっと感動的でもあった。しかし其れも長くは続かないらしい。寒さが直ぐ其処まで来ているらしいから。

11月の何時頃からだっただろうか。相棒と私がアメリカの生活を引き払ってボローニャに来て暫くして落ち着いた家はボローニャ郊外の畑の中の一軒家だった。近代的な暖房も備え付けられてはいたけれど、私達が借りた部屋にはそれが無かった。あったのは薪ストーブ。どっしりと大きなストーブから天井に向かって長い筒が伸びていて、煙を外に吐きだす、典型的な旧式の薪ストーブだった。火が入っていると暖かくて、嬉しかった。時々燻って煙いこともあったけれど、其れは薪がよく乾燥していないかららしく、やれやれと言いながら我慢するしかなかった。ただ、衣類や髪の毛が煙臭くなるのが難点で、そんな晩は早く眠ってしまうのが得策だった。薪は、薪小屋に山のようにあった。でも、薪をくべる前に斧で縦にふたつに割らねばならなかった。相棒が居る日はよかったけれど、時々相棒が居なくて自分で何とかせねばならぬ日もあった。部屋を貸してくれていた友人家族が同じ敷地に住んでいたけれど、彼らに頼るのがいけないような気がして、重い斧を振り上げて、えいやっ、と薪割をしたものだ。でも、うまくいった例は無かった。薪に命中せず、斧の歯が台に刺さって抜けなくなって、ああ、どうしようと困っているのを見かねた友人家族の家長が、なんだ、声を掛けてくれればよかったのに、と家の中から出てくるのが何時ものパターンだった。あの斧を振り上げる動作というのは大変力が居るもので、薪をひとつも割れなかったくせに一人前に筋肉痛になって、相棒や友人家族に笑われたものだ。あの年の11月は風が冷たかった。骨の中まで北風が沁みるようだった。それもボローニャ郊外の畑の中の一軒家だったからかもしれない。周りに遮るものが無かったから。そんなところに暮らしながら、ああ、どうして私はこんなところに居るのかなあ、と思ったものだ。仕事の誘いに飛びついてローマに行ったのは、あの生活から抜け出したくて、仕事をしたくて、相棒を通じてではない自分の友人知人を得たかったからだ。もう随分昔のことになったのに、忘れられない、忘れたくないことのひとつだ。あれが私のボローニャ生活の始まりだったから。

明日はもう月曜日。また一週間が始まるのだ、と溜息をついてしまうのは私だけだろうか。大丈夫。一週間が始まれば、また週末がやって来る。




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週末はゆっくり

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残すところあと数日の11月。目が回るほどの忙しさで疲れたけれど、案外楽しかったと思う。ひと月先の一年の終わりも、そんな風に思えたらよいと思う。週末の朝はゆっくりと時間を楽しむ。これは何時の頃からか私がそう決めたこと。急がない。平日は何時の急ぎのことばかりだから、週末くらいはのんびり行こうと思ってのことだ。たっぷりと眠った後の目覚めは、心も身体も豊かな感じがする。丁寧にカッフェを淹れて簡単な朝食をとる。でも、いつものように市販のビスコッティではなくて、少し塩気のある気に入りのバターと、たっぷりのジャムをのせたパン。パンは近所のパン屋で昨夕買ってきたもの。特別のパンではないけれど、パン職人が作ったパンはやはり美味しい。バターはデンマーク製。イタリアのバターに満足できない相棒と私が、探しに探してやっと見つけたもの。でも、スーパーマーケットで手に入るような手頃なもので、値段も他のバターに比べて恐らく50セントくらい高いだけ。良いバターが手に入るようになったことを心から喜んでいる。それで朝食の中で一番素晴らしかったのは、ジャム。これは姑の家に住み込んでいる年配の女性が作ったものだ。彼女はキッチンに立つのが大好きで、時間を見つけては焼き林檎を作ったり、果物のコンポートを作ったりする。今日のジャムは、杏子が安い時期に熟れた美味しそうなのをどっさり買い込んで作ったもの。果肉たっぷりの彼女のジャム。小瓶に入れて時々お裾分けして貰えることを私は全くの幸運と思っている。

家に居ようと思っていたけれど、旧市街に出掛けることにした。気分転換に良いと思ったから。昼から空が晴れたからかもしれない。バスが旧市街に入ると何やら人が妙に多いことに気が付いた。何かあるのだろうか。それとも昨日から街中が浮足のブラック・フライデーのせいかもしれない。サンクスギビングの翌日の金曜日をブラック・フライデーと名付けてセールをするアメリカのそれを、イタリアでも使い始めたらしい。兎に角、何処もが割引をして販売促進に励んでいる。アメリカが好きだけれど、イタリアが年々アメリカに似てきていることを、私は少し微妙な心境で眺めている。イタリアはイタリアの文化を大切にして、イタリアらしく居て欲しい、と言ったら、窮屈過ぎるだろうか。
中央郵便局前の広場には今年もフランス市場が建った。美味しい匂いを漂わせているのは食べ物屋さん。どんなものを食べさせてくれるのかは、あまりの人垣で分からない。匂いを横目に通り過ぎていくと、立ち飲みワインを楽しませてくれる店、菓子を売る店、ハーブを売る店と例年と同じ顔ぶれだ。奥の方に足を運ぶと、あった、あった、チーズの店。好きなフランスのバターを見つけたが、探しているチーズは見つからなかった。店の人は忙しそうで声を掛けることもできなかった。フランス市場は暫くここに居座る筈だから、また今度立ち寄ればよい。と思いながら広場を後にした。それにしても、今年もこんな時期になったのか、と心底驚いたのは私だけではなかった。通り過ぎた大人の男と女たちが、同じようなことを口にしていたから。きっと他にも同じように驚いている人達が居るに違いない。

今週は温暖。でも、夕方になると必ずのように雨が降って、小さな傘を手放せなかった。毎朝家を出る時に、傘がちゃんと鞄の中に入っているだろうかと気にしたことが、今週の中で一番印象的だったことかもしれない、と近所のバールに立ち寄って、カップチーノを頂きながら中で働いている女の子にそう話したら、そんなことが一週間で一番印象的だっただなんて、あなた平和な生活しているわねえ、と驚かれた。確かにそうかもしれない。忙しいけれど、平和な生活。感謝すべき平和な生活。彼女に諭されて気が付いた。




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朽ちた美

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丁度一週間前、旧市街で骨董品市が開かれていた日のことだ。私は何時も横目で見ながらも歩くことのない通りを歩いてみた。最後に歩いたのは何時だっただろうか。随分と前のことだ。その通りには幾つか小さな店があって、そのうちのひとつの店を私の友人は好きだと言った。彼女と会わなくなってから、その通りを歩かなくなってしまった。私達は仲違いをしたわけでもなければ、互いが嫌いなわけでもない。ただ、何となく会わなくなった。人間同士ってそんなものだ。距離を置いたほうが良い時期もある。互いにしがみつく必要は無い。そんなさらりとした関係が、私にはちょうどいい。
さて、久しぶりにその通りを歩いていたら、思い出したことがある。相棒に連れられて初めてボローニャを訪れた時のことだから、随分と昔のことになる。私達はミラノのリナーテ空港に降り立ち、アリタリアのバスでボローニャ駅まで連れてきてもらった。其れは冬の終わりで春の始まりと言った頃で、私には午後の太陽の陽が眩かった。それとは反対に人々は真冬のように着こんでいた。ボローニャの人は寒がり。そう思うようになったのはそんなことが理由だった。タクシー乗り場に並んでいるうちに気が付いたのが、当時の流行だった。キルティングのジャケット。誰もかれもが右を習えと言ったように同じタイプのジャケットを着ていた。違うのは色で、メーカーによる細部で、遠目に見たらまるで同じに見えたものだ。ひと月も滞在したのに半分しか楽しめなかった。初めの週は具合が悪く、翌週は入院したからだ。退院して自由の身になった私はあれもこれも見たくて、心配する相棒の腕を引っ張って街に出た。ボローニャの街はオレンジ色だった。其れは午後の陽に照らされていたからで、まだ少し寒いけれど、本当は春なのだよ、と言っているかのようだった。相棒はボローニャらしい通りを選んで歩いてくれたようだけど、私にはまだ寂びれた美しさ、朽ちた美が理解できなかったから、何故もこう、古くてほつれた糸のような場所にばかり連れていくのかと首を傾げてばかりいた。相棒が、そして時には同行した彼の友人達が、ああ、何て美しいのだろう、と感嘆する場所に、私は同感できないで、何か私たちの価値観が大きく違っているような気がして、これから結婚しようと言うのに大丈夫だろうかと心配したりしたものだ。そうだ、塔に登った後にこの通りを歩いたはずだ。それから骨董品市の帰りにもここを歩いた。なんて淋しい通りなのだろうと思いながら、どうしてこんな通りを選んで歩くのかと相棒の気持ちを探ったりした。その2年後、私達はアメリカの生活を引き払ってボローニャに引っ越してきた。持ってきたアメリカドルはリラに替えたら大したお金にならなかった。そんなスタートで生活が不安定だったから、散策を楽しむ心の余裕なんて無かった。私は毎日のパンの心配をしたし、相棒は明日の生活を心配した。だから、旧市街を歩こうなんて、歩いて楽しもうなんて、到底できなかったのだ。その後も私はローマへと飛び出したりとばたばたしていたから、本当にボローニャという街が分かり始めたのは、それから数年経ってからだ。遅いスタート、と言ってもいい。そうだ、私はボローニャのことなんて何にも分からなかったのだ。本当にボローニャを好きになり始めたのは、住み始めて10年も経ってからだっただろう。多くの友人が住めば都だとか何とか、私に言い聞かせたものだけど。そんなに長い年月を要してしまった私は、本当に頑固ものだったと思う。心を閉ざしていたのかもしれない。それとも分かろうとしなかったのかもしれない。私はずっと、周囲の手前上、ボローニャを好きなふりをし続けていただけだった。だから、 だから私がボローニャを美しいと思えるようになったこと、ボローニャに暮らすことになったことを幸運だったと思えるようになったことを、私は、心から喜んでいるのだ。見えなかったことが見えるようになった喜び。感じることが出来なかった心が起動し始めた喜び。それらを色にしたら、ちょうどあの日の、午後の陽に照らされたボローニャのオレンジ色なのかもしれない。そう言えば、この夏、姉が、初めてこんなことを私に訊いた。あなたの家は何処なの? 姉は日本と言って貰いたかったのかもしれない。そんなことを思いながら、も私は、ボローニャと答えた。言葉にしてみて初めて気が付いた。いつの間にかボローニャが自分の居場所になったこと。自分の言葉に戸惑う私に、姉は、それでいい、と言うかのように黙って私に頷いた。多分、本当に、それで良かったのだ。

今夜は赤ワインの栓を抜こう。そんな気分である。外は予想外の雨で、木も道も濡れて黒く光っている。11月。雨が降る月。そうとは知っているけれど、残念すぎやしないだろうか。




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雨が降った

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雨音で目が覚めた土曜日の朝。一週間のうちで一番好きなのは土曜日。その土曜日に雨に降られると、気持ちのやり場が無い。とぼとぼとベッドを抜け出すと、尻尾を私の膝下に絡みつける猫。猫も雨降りが嫌い。たとえ寒くても太陽の当たるテラスに佇んで外の様子を観察するのが好きだから。この雨は昨晩からの雨だ。女友達ふたりと家の近くの店で夕食を共にして、散々お喋りを楽しんで、さて、もう帰ろうかと席を立ったところで酷い雨降りなことに気が付いた。私達は雨の中を蜘蛛の子が散るように解散して、家に帰って来たのはもうすく零時という頃だった。それにしても全く久しぶりだった。ひとりとは1年振りで、もうひとりとは2年振りだった。こんなに長く会わないなんてと、彼女たちからの幾度かの誘いに乗らなかった私は散々責められた。お喋りが好きな私をさらに上回る彼女たちのお喋りに、私は目をぱちぱちさせながら、耳を傾けた。皆、それぞれの場所で頑張っている。色んなことに囲まれながら、色んなことに奮闘している。自分の人生を自分の思う方向に動かすべく、手探りで前進している彼女たちの話を聞くのはなんと楽しいことだったろう。時々ふいに話を振られて、ねえ、あなた、あなたはどうなのよ、などと訊かながら。

昼頃、ようやく雨が止んだ。クリーニング屋さんに預けていた物をとりに行ったが、鼠色のシャッターが早くも下ろされていた。土曜日の閉店時間にはまだ15分もあると言うのに。何か急用でもあったのだろう。仕方がない、と外に出たついでだ、と道の向こう側のバールに入った。カップチーノひとつ。注文すると熱いのが出てきた。イタリアでは熱いカップチーノに出会うことはあまりない。多くのイタリア人が猫舌だからかもしれない。だからいつも注文時に言うのである、カップチーノ、ひとつ。熱いのをお願いね、と。でも、このバールで其れを言う必要はもう無い。私が何時もそんな風に注文していたから、言わずとも熱いカップチーノが出されるようになったのだ。常連ではないけれど。週に一度程度の客だけど。こんな注文をする人が他に居ないから、覚えてしまったに違いない。勘定を済ませてバールを出たところで、隣の店の主人に声を掛けられた。隣の店は石鹸屋。私はこの店の石鹸が大好きだ。初めて彼が作った石鹸を使ったのは、何時だっただろう。兎に角、相棒が家に持ち帰ったのが始まりだった。12月の、もうじきクリスマスと言う頃で、ざらざらした藁半紙のような紙に丁寧に包まれたものを手渡され、其れを開いてみたら薄紫色の石鹸が現れた。ラヴァンダの石鹸だった。どうしたのかと訊けば、バールの隣に出来た石鹸屋に貰ったのだと言う。ささやかな贈り物、とのことだった。試してほしい、そして感想を聞かせて欲しいとのことだった。あれから私達は、彼が作った石鹸の虜になって、バスルームと、キッチンにひとつづつ置くようになった。何しろ手に優しくて、洗い上がりの手がすべすべするのも嬉しかった。種類が沢山あるので選ぶのも楽しかった。先日一番気に入りのラヴァンダの石鹸を求めて店に行ったところ、生憎売り切れだった。どうやらファンが沢山いるらしい。それでは何にしようかと店の主人に質問しながら見ていたところ、優しい黄色の石鹸に目が留まった。何かと訊けば、カモミッラだった。鼻を近づけてみたら優しいカモミッラの匂いがした。それでカモミッラを購入した。帰り際に、後で感想を聞かせてほしいと言われた。あの日、相棒が初めて石鹸を貰った時に言われたみたいに。さて、店の主人はバールから出てきた私に案の定訊いた。やあ。カモミッラの石鹸はどうだったかい。それで、手に優しかったこと、泡切れがよく、洗い上がりの肌が柔らかくて、ラヴァンダと同じくらい気に入ったことを述べると、とても満足げだった。良い週末を。挨拶を交わして家に帰ってきた。今日はもうどこへも行きたくない。それで写真の整理をしていたところ、こんなものを見つけた。パリの写真。長いこと憧れながら、こんなに近い場所に存在しながら行けなかったパリ。急にパリの石畳を歩きたくなった。がたがたで時々躓きながら歩いた道。何時か姉を連れて行こうと思いながら歩いた街。昔姉が小さな私を携えて歩いたように。ふたりで、何か話をしながら。


風邪を引いたらしい。昨晩雨に濡れたせいだろうか。今夜は早めにベッドに潜ることにしよう。




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金曜日の晩

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空気が冷たい季節の月はひときわ美しい。だから数日前の満月を楽しみにしていたのに、あいにくの曇り空で何処を探しても月の姿はなかった。残念だなあ、と溜息をついたのは私だけではなかったの違いない。

寒い日はさっさと家に帰るに限る、というのは昔からの私のポリシー。母が昔言っていた、強い風の吹く晩はさっさと寝床に着くのが良い、というのとよく似ている。これが母娘というものなのだろう、と最近の私はよく思う。母と私は似ていないとずっと思っていたけれど、小さな色々が似通っていて、思わず笑いが零れてしまう。今日初めて、ユニクロのヒートテックを着た。この夏日本に帰った時に購入したものである。噂には聞いていたけれど、まさかこれほど着心地が良くて暖かいものだとは知らなかった。今日は一日寒いと言わなかった。このところ連日寒い寒いとぼやいていた私は、笑いが止まらない。こんなに良いものだったなら、何故もっと前に試さなかったのだろう。しかもこんな手頃な値段で。と、今日は一日、ユニクロのヒートテックを宣伝しながら歩き回っている。それにしても11月とはこんな気候だっただろうか、もう冬になってしまったのだろうかと途方に暮れる。あっという間に夜になる。仕事帰りは、居残りなどしていないのに真っ暗だ。
昨日の帰り道の途中で携帯電話が鳴った。記憶にない電話番号だった。出てみるとTappezzeriaの奥さんからだった。Tappezzeriaというのは、日本語に訳せば内装の店とでも言おうか。カーテンを縫ってくれたり、ソファや肘掛椅子の布や革の張り替えてくれたりする店で、そうした店を営む人たちの職人芸はお見事としか言いようのないくらい素晴らしい。私の友人のルイージもそうした職人で何かにつけて頼んでいたが、数年前に引退してしまった。それで数日前の夕方、バスを途中下車して旧市街の小さな店に立ち寄ったのだ。カーテンを縫って貰いたかったわけでも、ソファの張替を頼みたかったわけでもなかった。革、そう、ソファと同じ色の柔らかい革でクッションを作って貰いたかったのだ。本当を言えば、恐らくそれくらい自分で縫える。但し、革があれば、の話だった。どの店に行っても革が無い。それで考えに考えた挙句、Tappezzeriaはどうだろうかと思いついたのである。店に入ったら細身の、私より少し年上風の女性が居た。前にこの店に立ち寄った時は年配の男性が居たから、彼女は彼の奥さんということなのだろう。革でクッションを作って貰いたい旨を伝えると、奥の方に案内してくれた。外からは見えなかった、仕事場。布や革が溢れんばかりに置かれていた。こんなところでこんな風に仕事をしているのかと、私は心を躍らせた。手仕事をする人々が好きだ。ひとつひとつ縫う作業を見るのが好きだ。布の張り替え途中の肘掛椅子を見て目を輝かせる私に、彼女はちょっと誇らしげだった。其れで革だけれど、何枚もの端切れがあった。これらはソファなどを張り替えた時の残りの革。だから安く作ることが出来ると言う訳だ。其の中からソファと同じ色のものを選び出したが、生憎十分な大きさではなかった。何しろ残りの革だから。それではと、全く違う色を選び出した私に彼女は目を丸くしたが、先ほどの革の上に重ねてみたら思いのほか素敵だった。感じがいい、なかなかいい、と私達は口を揃えて喜び、その革でクッションを3つ作ることになった。少し前金も残して、仕上がったら連絡をくれることになっていた。それだから電話が彼女からと分かり、もう仕上がったのかと心を躍らしたのだが、電話の内容は革の大きさが充分ではなかったというものだった。それで相談をしたいから、店に来てほしいと言うことであった。あの革。柔らかくて手触りが良くて、感じの良い色だったのに。ちょっと残念だった。さて、今日は真直ぐ家に帰りたかったけれど、そう言う訳で旧市街に立ち寄ることになった。店に行くと彼女は首を長くして待っていたらしく、さっそく例の革を広げて見せた。革の裏面に幾つもの線が引かれていて、成程、大きな四角が3つしか取れないことが其れで分かった。彼女は言った。他の革に変更するか、それとも片面をこの革にして、もう片面を別の革にするのも良いと思う、と。2つ目の案に心が動き、彼女と一緒に革を選び出した。チョコレート色の柔らかい革。並べてみたら、面白かった。これで行きましょう。私達は同意した。来週の水曜日には出来上がると思うと言う彼女に、急いでいないと言い残して店を出た。早く仕上がりを見たいけれど、別に急ぐことは無い。ゆっくり丁寧に作業をして貰う方が私は嬉しいのだから。

寒い晩。今夜は友人たちと食事に出掛ける。女同士の食事。会おうと言いながら、一年以上が経ってしまった。帰りが遅くなっても、明日は土曜日だもの。金曜日の晩、万歳。




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